骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

猿庫の泉を骨で聴く

2011-02-28 13:08:55 | 骨で聴く癒しの世界

 骨伝導を使って癒しの音を聴きに行きました。
 単に「聴く」だけでなく、周囲の環境と味覚も一緒に味わうため、向かった先は天下の名水「猿庫の泉」です。

 江戸時代、茶道家の不蔵庵龍渓宗匠(ふぞうあんりゅうけいそうしょう)が茶に適した水を求め、諸国を遍歴中に天竜川下流の水のうまさに心をひかれ、その源を尋ね川をさかのぼること十里(約40km)、ついに風越山麓松川渓谷にこの泉を探し当てた、と伝わる名水です。



 茶の湯に適する名水なのは事実で、文化文政(1804~1830)の頃には、時の飯田城主・掘公が城内に数奇屋を建て、毎朝家来に馬を駆けさせ、猿庫の泉の水で茶の湯を点てたという故事が残っています。

 現在では環境省選定の名水百選の一つとして、地元の猿庫の泉保存会により、名水周辺の定期的な清掃活動がおこなわれ、維持されています。

 場所は長野県飯田市の北西に高くそびえる風越山の山麓です。円悟沢に湧出しています。飯田駅からは4kmの距離で、車で約10分程度です。
 しかし、市街地から遠くはないものの、そこは幽玄の雰囲気を持った癒しの地です。

 骨伝導ヘッドセットを使って、名水の音を聴くのは、本当に癒し効果があります。体験した人でなければ分からないのが残念です。



 過去に癒しの名水関連を骨伝導を使って聴いたのは、意外と多くありましたが、猿庫の泉はなんだか少し異なる感じがします。しかしその「なんだか」を言葉で表現できないのがもどかしく感じます。

 《過去の「名水」を骨で聴く》

          ⇒ 飲用不適の名水を骨で聴く 弘法の清水
          ⇒ 箱島湧水伝説を骨で聴く
          ⇒ 幽谷に湧く霊水を骨で聴く 弘法霊水
          ⇒ 藤岡の霊泉を骨で聴く 弘法井戸
          ⇒ 龍淵寺の奇跡・観音霊水を骨で聴く
          ⇒ 真姿の池を骨で聴く
          ⇒ 柳の井戸を骨で聴く 弘法大師の井戸

 やはり「水」関連は弘法大師の伝説が多くあります。
 猿庫の泉のように「茶」との関連は、そういう意味で新鮮かもしれません。

 特許技術の骨伝導を使うことで、水の音はよりクリアになり、脳へと伝わり、脳波をやさしい状態にして癒しへと導いてくれます。

         ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 こんな場所へのお勧め時期には、まだ早いかもしれませんが、残雪が所々に顔を出し、空気が澄んだ状態で訪れるのも格別なものかもしれません。

 飯田市の名水を骨伝導とともにぜひ、めしあがれ!

 

骨伝導ヘッドセットを骨で聴く

2011-02-25 08:36:16 | 骨で聴く体験記

 ヘッドセット(Headset)。

 ヘッドフォンに小型のマイクが取り付けられたものが、一般的にヘッドセットとよばれます。マイクを手で持つ必要がないので、ハンズフリーになりますから、両手が自由に使えるのが最大のメリットです。
 また、音源が口になりますから、一般的なヘッドセットの場合、音源とマイクの距離が一定となり、音声が安定することになります。
 別名を「インカム」といいます。

 現在では、テレビ局や演劇などの他、プレゼンテーションにも使われたりしていますが、やはり一般向けには携帯電話との装着でしょう。建設現場や工場、警備等では無線機との装着も多く見られます。

 騒音が激しい場所では、普通のヘッドセットでは相手の声が聞き取れません。モータースポーツのピットクルーやスポッターなどが、家庭用の例えばPCに接続する程度のヘッドセットを使っても無意味です。騒音で音が消されてしまいます。

 他にも航空交通管制や軍事ミリタリー、騒音の激しい工場内等々でも、同様のことがあります。

 そこで世界的には、そうような環境下でのヘッドセットは骨伝導が活用されています。
 骨伝導というと、難聴者対策の補聴器的役割をイメージされる方も多いようですが、実はこんな場面で様々な使われ方をしているのです。
 逆に骨伝導でなければ不可能ともいえる場面もあります。

 爆音の中での使用です。
 米軍では当たり前のように骨伝導ヘッドセットを使っています。

 単なる骨伝導ではありません。特許技術です。
 しかもその特許を持っている会社は日本にあります。知られざる真実です。

 骨伝導ヘッドセットを使うなら、この特許技術製品を選択するのがベストです。米軍で認められた技術を使わずして、最先端の骨伝導は語れません。

          ⇒ 米軍採用・特許技術の骨伝導製品

 現在では骨伝導で音楽を聴くことも、それほど不思議なことではなくなりました。通話だけでなくお気に入りのBGMを聴くことが、諦めていた騒音環境でも実現しました。

 携帯電話の多機能化が進んでいますが、装着するヘッドセットにもこだわりたいものです。

ジャガーXJを骨で聴く

2011-02-24 00:27:24 | 骨で聴く名車

 2代目のジャガーXJシリーズは、創始者のサー・ウィリアムズ・ライオンズが承認した最後のXJです。しかし3代目からはオールアルミボディが採用されていて、どうしても2代目は重い印象があります。

 2代目の時代には、1998年のX308系がマイナーチェンジをした際、エンジンはジャガー伝統の直6をついに捨てV8となりました。さらに伝統的なV12エンジンも姿を消すこととなりました。

 現在のモデルは4代目のコードネームX351ですが、ここまでくると往年のジャガーXJの雰囲気はかなり変化してしまいました。

 やはり2代目が好きです。

 骨伝導とともに往年のジャガーXJに乗車し、伝統の直6エンジンのサウンドを堪能します。耳をふさがないので、耳からと骨からと、二つの経路で脳にエンジン音は伝わります。
 ドイツ車ではない、フランス車でもない、もちろん米国車とも日本車とも決定的に異なるジャガー独特の優雅なサウンドです。
 日本人の感覚とは違う高級サルーンが、日本で奏でる音は、周囲の日本家屋が並ぶ街並みにも不思議とマッチします。英国も日本も島国であるという共通点以上に、都市の形成には共通性はあまり見出せませんが、なぜか日本で乗るのに違和感がありません。

 輸入車の場合、どうしてもドイツ車が中心になりますが、日本人の感覚には、異質な文化でありながらなぜか英国車はマッチする気がしてなません。

 米軍で採用された特許技術の骨伝導スピーカーを通し、さらに実際に往年のジャガーXJを乗り回してみて、そんな感じを抱きました。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 X300のコードーネームで呼ばれる2代目ジャガーXJは、現在の日本で乗るには贅沢品です。燃費も悪く、古くなっている分、故障も目立ちます。エコ時代には相応しくないといえます。CO2削減にも反します。

 しかし、これほど堪能できる乗用車はありません。
 実は一般的なドイツ車は、人気とは裏腹にやはり日本人には合いません。サスペンションの設定にしてもギア比にしても、パワーとトルクの割合にしても、ドイツと日本ではあまりに道路事情が違いすぎます。もちろん英国車にもいえることですが、なぜかジャガーには、そんなことがどうでも良いように感じさせられます。

 骨伝導とともに往年のジャガーに乾杯したい気分です。

 

麻布山善福寺を骨で聴く

2011-02-23 11:28:07 | 骨で聴く巡礼旅

 東京都内では、浅草寺に次ぐ古刹の一つといわれる麻布山善福寺に骨伝導とともに訪れました。実は以前に参道までは来ていたのですが、境内に入る時間がなく、今回、初参拝です。
 以前は弘法大師の水伝説を秘めた「柳の井戸」や、麻布十番の商店街周辺を取り上げていました。

          ⇒ 柳の井戸を骨で聴く
          ⇒ 赤い靴の女の子を骨で聴く
          ⇒ 十番稲荷神社を骨で聴く
          ⇒ 暗闇坂を骨で聴く
          ⇒ 狸穴公園を骨で聴く
          ⇒ 隠れ家エステを骨で聴く (現在は弊店)
          ⇒ 植木坂を骨で聴く
 
 さて、善福寺ですが、天長元年(824年)に弘法大師・空海によって開山されたという寺院です。唐で真言密教の第八祖となってから帰国した弘法大師が、関東一円に真言宗を広めるために開山したという伝説です。創建の際、高野山に模して麻布山善福寺を開山されたといわれます。
 柳の井戸があることからも、弘法大師との関わりは強いといえるでしょう。当然ながら開山時は真言宗の寺院でした。



 鎌倉時代には、越後国に配流になっていた親鸞が幕府に許され、京へ上る途中に善福寺を訪れました。親鸞聖人を迎えたのは了海上人でした。了海上人は、7才で仏門に上り、比叡で顕密二法を修めた俊英の僧で、当時若冠17才だったといいます。
 了海上人は、親鸞聖人の高徳に傾倒し、一山をあげて真言宗から浄土真宗に改宗し、以来、上人は関東一円にわたって浄土真宗を広めていきました。
 史料『大谷遺跡録』によると、了海上人は関東六老僧の一人として名を残してることが分かります。

 開山堂から墓地を挟んで立つ像は、一見すると弘法大師のように見えますが、間違いなく親鸞聖人です。

 鎌倉時代にはまた、蒙古来襲に際して亀山天皇の勅願寺ともなりました。

 江戸時代に入り、安政5年(1859年)、日米修好通商条約に基づいて善福寺の中に初代アメリカ合衆国公使館がもうけられたこともあります。



 タウンゼント・ハリスらが在留し、善福寺に墓所がある福澤諭吉も当時出入りしていたようです。

 しかし、当時は壤夷を唱える人々の襲撃も受けることになり、庫裡、書院などが焼失したこともありました。善福寺の僧たちは、身をもって公使館員を守り、日米の友好の絆を深めたといいます。

 明治8年12月8日に公使館としての役目を終えましたが、現在でも周囲には各国の大使館が多く、国際色豊かな寺院としての存在感は薄れていません。

 こんな歴史的な寺院の境内から街の喧騒を離れ、骨伝導スピーカーを使ってお気に入りのBGMでも聴きたいものです。骨伝導サングラスとBluetoothによって、そんなことは簡単なことです。

          ⇒ 骨伝導サングラスGL42

 もし高齢者や難聴の方が訪れたのなら、ぜひとも骨伝導きくちゃんを首から下げて参拝して欲しいと思います。麻布という街と善福寺の歴史的空間が奏でる音声を、骨伝導によって脳へと直接伝えて欲しいのです。
 このとき耳をふさぐ必要がありませんので、都会では安心です。

          ⇒ 骨伝導きくちゃん

 前日の東長谷寺薬王院と今回の善福寺と、二日続けて都会の寺院を散策しましたが、まったく異なる空間の音を骨で聴いたようです。
 米軍採用の特許技術・骨伝導パワーも、それぞれ異質な音声を伝えてくれました。


東長谷寺薬王院を骨で聴く

2011-02-22 11:30:10 | 骨で聴く巡礼旅

 目白駅の前にある目白通りは、高台の上を西へと向かっています。学習院大学や商店街から南側は下り坂になっていて、降りきった場所に新目白通りがあります。目白が台地であることがよく分かります。

          ⇒ 目白駅を骨で聴く

 この台地の途中に東長谷寺薬王院はあります。
 花、特に牡丹で有名な寺院です。
 総本山は奈良県にある長谷寺で、ここから分株された牡丹約40種、1,000株を季節によって見ることができます。境内にはさらに遅咲きの枝垂桜、八重桜、ハナミズキと、様々な時期に色とりどりの花を見ることができます。

 今回は骨伝導とともに東京の長谷寺・薬王院へと向かいました。

 バイクのフルフェイスのヘルメットを一瞬にしてスピーカーに変えてしまう驚異の骨伝導シェルショッカーを装着し、新目白通りから狭い道に入り、山門前へと到着です。
 骨伝導がヘルメットをスピーカーに変えてくれていましたから、邪魔なイヤホンやヘッドホンは使わず、快適な道のりでした。

         ⇒ 骨伝導シェルショッカー

 山門の前には梅の花です。
 春が近づいていることを感じさせてくれます。花の寺院としてのお出迎えには最高の気分です。騒音で満たされた新目白通りを、骨伝導によって快適に過ごし、静寂に包まれた寺院に入る直前に季節の花を眼にするのは最高です。



 しかし境内は冬枯れの樹木も多く、少し寂しい雰囲気もあります。牡丹の季節に賑わうのが嘘のような状態です。
 
 ここは正式には「瑠璃山 薬王院」といい、当然ながら奈良の長谷寺と同じく真言宗豊山派です。真言宗の開祖はもちろん弘法大師・空海です。
 空海は山岳修行もしていましたし、四国の遍路でもお馴染みですから、この寺院の雰囲気は弘法大師の名に恥じないものです。

 山門の先の右側に「南無遍照金剛」と「弘法大師」の石碑があります。「遍照金剛」も「弘法大師」も空海のことです。骨伝導を使って般若心経でも聴いてみたくなります。

  


 日本では「大師」といえば弘法大師を示す代名詞にすらなっているのは周知のことです。
 これは空海と真言宗という結びつきとは全く無縁の次元の話といえるでしょう。これは普遍化された弘法大師伝説です。
 日本の歴史の中で、天皇から下賜された大師号を持つ人は27名もいるのに、空海だけが特別なのは、それなりの歴史があります。
 そんなことも特許技術の骨伝導ヘッドセットを装着して考えてみます。

          ⇒ 米軍採用の特許技術・骨伝導

 四国霊場と高野山を結ぶラインは中央構造線と一致する部分があり、各霊場と磁場との関係を研究する学者もいます。
 英国のレイラインと同じように、空海の霊場は地球のエネルギーを取り入れているのかもしれません。これは埋蔵された鉱石との関係だけではなく、霊水に代表される「水」「温泉」にまで及びます。

 空海から弘法大師へと変遷する過程で、地球のエネルギー、埋蔵された鉱物、水のそれぞれが伝説として根付いていたことを意味します。
 空海の密教ラインは弘法大師の伝説ラインになり、各地での「お大師さま」という身近な存在になりました。

 そんな空海の意思を東京の薬王院で垣間見た気がします。
 そして何より、骨伝導を使い、脳波までもが眼で見る花だけでなく、脳へと伝わる癒しのエネルギーを受けたようです。

高橋是清翁記念公園を骨で聴く

2011-02-21 10:51:50 | 骨で聴く癒しの世界
 高橋是清邸は都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」に移築され、以前に骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。二・二六事件で暗殺された邸宅です。
 今年も二・二六事件が発生した日が近づいてきましたので、今度は邸宅のあった赤坂へと骨伝導とともに向かうことにしました。

          ⇒ 高橋是清邸を骨で聴く

 金融恐慌を沈静化させた高橋是清の政策は、軍部のクーデターから第二次対戦への道と繋がっていきました。しかし、現代の経済状況と共通する部分もあり、今でも激動の時代は続いているといえるのかもしれません。


 
 赤坂御所と青山通りをはさんで向かい合う位置に、高橋是清翁記念公園はあります。
 建物は小金井に移築されたとはいえ、日本庭園がそのまま記念公園になっているので、雰囲気が悪くありません。むしろ庭だけのせいか、広葉樹の存在感が強く、日本らしい四季を彩っています。また、池泉のまわりには石橋や石人像、石灯篭が配置されていて、荘厳な雰囲気さえ漂っています。

          ⇒ 江戸東京たてもの園を骨で聴く

 ただ青山通りの往来は多く、ここでも騒音対策の骨伝導が活躍します。
 米軍の爆音に耐える特許技術は、難聴対策だけでなく工事現場や街の喧騒にも応用できます。携帯電話や無線機の通話を快適にしてくれる骨伝導のパワーが見事に発揮できる場所です。
 また高齢の方には、耳をふさがないことで、しかも補聴器のような大げさなものでなく、気軽な集音機としても使えます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 高橋是清の邸宅跡地は、昭和13年、記念事業会が東京市に寄与しました。そして昭和16年に記念公園として開園しました。25年には港区が管理をするようになりました。



 現在の公園面積は5,320㎡ですが、青山通り(国道246号線)の拡幅等により開園当初よりやや減っているそうです。
 それでも和風庭園は ほぼ当時のままの姿で残されているので、小金井の邸宅とあわせてぜひたずねてほしい場所です。
 医療費が高騰し、消費財の増税論議がされる現在、ぜひとも高橋是清翁を改めて考えたいと思います。

 もちろん骨伝導を使って‥‥

下落合駅を骨で聴く

2011-02-18 11:32:13 | 骨で聴く鉄道駅

 高田馬場の西側に「落合」という地名があります。
 地名の由来は、神田川と妙正寺川の合流点から生じたといわれます。そしてこの地域こそ西武グループ発祥の地といえる場所です。
 西武グループの創始者・堤康次郎が自ら私邸を構える『目白文化村』として、この沿線を開発していったという歴史があります。

 西武新宿線としては、始発の西武新宿駅から三つ目の駅として下落合駅があります。新目白通り、神田川、妙正寺川に囲まれた駅です。いつものように骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。



 都内近郊の私鉄駅によくある相対式ホーム2面2線の駅ですが、ホームがかなり湾曲しています。そのため電車とホームの間に空間が生じ、「足元にご注意下さい」という注意喚起放送が流されています。

 1日平均乗降人員は10,976人と、決して多いほうではありません。西武鉄道全92駅中64位です。

 しかしこの駅は歴史的にも重要な駅です。
 昭和2年に西武電気鉄道(現在の西武新宿線)が本格的に開業したときの終着駅でした。高田馬場への乗り入れは、翌年の昭和3年からでした。
 このときの下落合駅は現在より東側にあり、神田川の田嶋橋から栄通り経由で高田馬場駅へと出て乗り換えるしかありませんでした。徒歩5分程度の乗り換えの道でした。

 下落合駅が東側に移動したことで、道路計画にも決定的な影響を与えたようです。
 放射7号線(新目白通り)の位置まで変更になったのです。高田馬場の街をわずかにずれるようになったのです。

 新目白通りは交通量も多く、下落合駅の移動によって高田馬場の中心部から外れたことは結果的に正解だったかもしれません。

 交通量の多い道路と電車の音は、騒音にもなります。
 骨伝導の活躍の場です。
 米軍の爆音下で通話できる無線アクセサリーとして、特許技術の骨伝導は活躍しています。これを一般向けに応用した製品なら、下落合駅周辺では快適です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 西武線は小田急線や京王線と異なり、東京のターミナルから西に沿線が伸びていることで共通しています。西武線は池袋線と新宿線の二つの大動脈があります。
 しかし西武新宿線だけが山手線沿線に二つの駅を持っているのが違います。西武新宿と高田馬場の二つが、事実上のターミナルとなっています。そういう意味で、下落合駅は二つのターミナルを形成する前の最初の駅だったといえるでしょう。

 こんな駅に骨伝導とともに降り立つと、西武グループの歴史を「骨で聴く」気分になります。

武蔵野八幡宮を骨で聴く

2011-02-17 10:55:28 | 骨で聴く巡礼旅

 吉祥寺の街を骨伝導ヘッドセットとともに散策していると、五日市街道と吉祥寺通りの交差点に武蔵野八幡宮がありました。

 桓武天皇の御代、延暦8年(789年)に、坂上田村麿が宇左八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられる古い神社です。さすがに歴史があるだけに、貫禄のある聖域という印象です。

 すぐ東側に多摩八十八ヶ所霊場の第1番札所の安養寺があります。

          ⇒ 多摩八十八ヶ所第1番・安養寺を骨で聴く

 吉祥寺の喧騒の街に隣接しながら、境内に入ると身も心も異空間に浸った気分になります。それほどまでに境内の内と外では異なる雰囲気があります。

 騒音対策としての骨伝導の威力は、喧騒の市街地ではかなり有効です。米軍の爆音に耐える特許技術のパワーでは、吉祥寺の騒音はほとんど静寂と一緒です。
 それでも賑やかな街から一歩境内に踏み込むだけで、骨伝導の威力と関係なく、荘厳な歴史のパワーに包まれるのがこの武蔵野八幡宮です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導専門店

 江戸時代、四代将軍家綱の頃、江戸小石川水道橋外吉祥寺火事を契機として、周辺町民に移住を命じられました。そして寛文初年吉祥寺村が開村され、村民の氏神様として尊崇された八幡宮は、境内も4,500平方mの広さを誇ります。

 境内には欅や楠木等々の大木があります。
 大木の葉を風が奏で、由緒ある聖域らしい凛とした雰囲気を漂わせます。骨伝導スピーカーで、脳へと伝わる音声も、日常生活で失われた「癒し」に変貌するようです。

 石造りの鳥居は文化10年(1813)の銘があり、これも風格があります。賽銭箱は安永3年(1862)、そんな歴史的な眼で見るのも興味深いといえるでしょう。

 武蔵野市の市有形文化財に指定されているのは、昭和3年3月に境内の地ならし工事のとき、社殿西側大ケヤキの根元より出土した蕨手刀です。7~8世紀ごろの作といわれています、しかし残念ながら非公開です。

 想像だけで骨で聴きましょうか。

ヤギを骨で聴く

2011-02-16 11:09:56 | 骨で聴く動物

 久しぶりの「骨で聴く」動物は「ヤギ(山羊、野羊)」です。
 骨伝導ヘッドセットや骨伝導サングラスとともにヤギの前に立ちます。

 ヤギは人類にとって、家畜としての歴史が極めて古い動物です。
 紀元前7千年ごろといえば、まだ新石器時代ですが、この時代の西アジアの遺跡から遺骨が出土しています。この時代からヤギは家畜として利用されていたようです。

 人類と動物との関係で言えば、もっとも歴史があるのは「イヌ」でしょうが、ヤギの家畜化もイヌに次いで古いのかもしれません。
 ただしヤギの場合、野生種と家畜種の区別が難しいようで、その起源については未だ確定的ではないそうです。

 ウシよりも家畜としての歴史があるのが事実ならば、初めて搾乳が行われた動物はヤギとなります。チーズやバターなどの乳製品は、ウシではなくヤギの乳が発祥といえるでしょう。

 またヤギといえば遊牧民がイメージされます。
 搾乳だけでなく、肉や毛皮も利用されています。
 ヒツジやウシが農耕文明において重宝されてきたのとは別に、遊牧民はヤギを中心とした生活が基盤でした。実際、ヤギは農耕そのものには役に立つ存在ではないでしょう。
 遊牧民にとっては、ヤギは粗食に耐えることから、きわめてありがたい家畜だったという側面は大きいかもしれません。

 これは、18世紀以降に遠洋航海者が粗食に耐える利便性から、ヤギを船に乗せ、ニュージーランドやオーストラリア、ハワイなどに持ち込んだことにも繋がります。

 日本の場合、もともとは野生のヤギは存在してなかったようです。
 一説には、江戸時代ごろとされるようです。
 つまりヤギと日本人の歴史はきわめて新しいということです。何とも意外な感じがします。

 意外といえば、米軍の爆音に耐える通話性能を誇る特許技術を持つ会社が日本にあることです。軍事の最先端分野に貢献する特許技術・骨伝導は、米軍の軍事力を高めました。
 爆音で音声による通信手段がきわめて難しい状態を打破したのです。

 そんな特許技術の骨伝導を活用し、一般向けにした製品は、他の骨伝導メーカーとは一線を画します。騒音対策から難聴対策まで、特許技術の骨伝導は違います。

          ⇒ 特許技術の骨伝導の違いを確かめてください

 家畜化したヤギ、でも日本では新しい動物。
 そんなヤギを眺めながら骨伝導マイクとスピーカーを使って会話してみましょう!

荻窪駅を骨で聴く

2011-02-15 11:27:08 | 骨で聴く鉄道駅

 新宿駅と青梅街道はすぐ近くにあり、そこを基点として青梅街道もJR中央線も西へと向かいます。青梅街道の下には地下鉄丸の内線が走ります。
 中央線と青梅街道がそれぞれ別の場所を走り、再び重なる地点が荻窪です。そして青梅街道の下を走ってきた丸の内線もここが終点となります。
 JRでは新宿からすべて高架上を走ってきた電車が、ようやく地上に降り立つ場所でもあります。

 そんな荻窪駅に骨伝導ヘッドセット、骨伝導サングラスとともに訪れました。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品
          ⇒ 骨伝導サングラス

 荻窪は杉並区にあり、23区内ではあるものの、この街はもともと、大正から昭和初期にかけて東京近郊の別荘地として知られていました。鎌倉に匹敵する別荘地だったのです。それが住宅地として発展し、今では荻窪ラーメンと呼ばれるラーメン店の激戦地にもなりました。

 JR東日本による1日平均乗車人員は85,323人で、JR東日本では第48位にランクしています。地下鉄の1日平均乗降人員69,431人とあわせると、それなりの駅であることが分かります。

 駅のすぐ近くに青梅街道が走り、環八にも近い環境は、やはり都会の街らしい喧騒に満ちています。米軍の爆音に対応した騒音対策の骨伝導が活躍できる街です。

          ⇒ 米軍採用の骨伝導専門

 丸の内線は荻窪駅が終点ですが、青梅街道はこの先もまだまだ続きます。
 実は1990年代後半に、この駅から埼玉県の朝霞駅方面まで延伸する構想がありました。しかし、この構想は消滅してしまったようです。
 青梅街道は荻窪駅の前を通ると、再びJR中央線から離れ、鉄道路線のない地域を西へ向かうこうとになります。西武線に近づくまでは距離がかなりあります。そういう意味で、路線の延伸は意味がないことではないでしょうが、やはり建設費と採算性の問題でしょう。

 JR線は西荻窪・吉祥寺・三鷹へ向かって再び高架になります。

          ⇒ 吉祥寺駅を骨で聴く
          ⇒ 三鷹駅を骨で聴く

 かつての別荘地の面影と、現代の街らしい荻窪は散策するのに最適です。思わぬ発見がある街です。骨伝導とともに荻窪へぜひ訪れてみてください。

野沢稲荷神社を骨で聴く

2011-02-14 10:57:34 | 骨で聴く巡礼旅

 世田谷区の神社を骨伝導とともに散策し、巡礼旅のようになってきましたが、今回はやはり環七に近い場所を訪れました。
 代田八幡神社を南下し、淡島通り、世田谷通り、国道246号線を突っ切った先にあります。やはり環状7号線の交通量は多く、骨伝導を使って、耳をふさがずに騒音下でも快適に音楽が聴けたり、通話ができるのをありがたく思いながら進みます。

          ⇒ 代田八幡神社を骨で聴く
          ⇒ 米軍採用・特許技術の骨伝導で騒音対策

 騒音の激しい環七通り・龍雲寺交差点を左折すると、住宅街の中を貫く道路になります。さらにこの道路から路地を一本裏へ入ったところに、目指す野沢稲荷神社があります。

 創建の由緒は不明とのことで、いわゆる「村の鎮守」として存在していたようです。
 実際に、江戸時代の「新編武蔵風土記稿」には野沢村の鎮守であることが既に記されています。世田谷にある稲荷神社は村の鎮守になっていることが多いので、ここも典型的な神社といえます。

          ⇒ 弦巻神社を骨で聴く

 野沢村というのは、現在では世田谷区の中でも閑静な住宅街になっていますが、もともとは開拓地だそうです。現在でも鉄道の便は悪く、田園都市線と東横線の中間地点に位置しているのは、歴史的な街道から離れた場所だったからかもしれません。

 野沢の開拓は、葛飾領東葛西の野村治郎右衛門と六郷領沢田の田中七右衛門の二人で、地名も二人の名が由来だそうです。これは驚きでした。

 住宅街の中に鎮座する野沢稲荷神社の境内に入ると、正面に本殿と向かい合うようになります。骨伝導がなくても環七の騒音は気にならないほどの静寂さになります。
 本殿の右側には神楽殿もあり、狭い境内ですが、それなりの貫禄はあります。鎮守の森も多くはないものの、きれいに上空へと伸びています。

 境内の北端に庚申塔があります。
 これには「元禄八年 野沢村」と記されているようで、小さな堂に納められています。歴史的に貴重な資料なのでしょう。

 骨伝導ヘッドセットとともに、野沢村の歴史に触れ、参拝して癒されるなら、こんな小さな巡礼は本当に悪くありません。


多摩八十八ヶ所第1番・安養寺を骨で聴く

2011-02-10 12:14:30 | 骨で聴く巡礼旅

 吉祥寺の街は東京23区の外にあるものの、郊外の都市機能よりも大都市・東京の重要な繁華街の一つかもしれません。雑踏が奏でる喧騒の街です。骨伝導の騒音対策が有効な街です。

          ⇒ 米軍採用・特許技術の骨伝導

 しかし、この街は江戸からの移住によって誕生した歴史があります。
 明暦の大火によって江戸本郷元町にあった諏訪山吉祥寺の門前町が焼失しました。、現在の文京区本郷一丁目、水道橋付近です。
 幕府は火災を契機として、新たな都市計画をすることになりました。この地域を大名屋敷として再建することにしたのです。

 火災で家屋を失われた吉祥寺門前の住人に対しては、「札野」「牟礼野」と呼ばれた幕府御用の萱場を代地としました。条件もよく、5年期限で扶持米を与え、さらに家屋の建築費用も貸与するというものでした。この好条件で希望者を募り、現在の武蔵野市一帯を開墾して住人達を移住させたのです。

 現在の吉祥寺はおしゃれな店が集まり、「住みたい街」ランキングでも必ず上位に挙がる街になっています。開拓地の名残はほどんどないでしょう。

          ⇒ 吉祥寺駅を骨で聴く

 JR吉祥寺駅から北側に進むと、アーケードや大型店舗の先に五日市街道が現れます。大きな道路ではありません。この街道から先は住宅街です。
 そんな中に岸光山安養寺があります。吉祥寺の繁華街に隣接しているとは思えないほど、ひっそりとした寺院です。



 ここが多摩八十八ヶ所霊場の第1番札所です。

 多摩八十八ヶ所霊場とは、本家本元の四国八十八ヶ所霊場の「写し」です。
 弘法大師空海と骨伝導との関わりは古く、「骨で聴く」旅でも度々取り上げています。弘法大師入唐1200年の記念の年から、中国西安の青龍寺との関係を原点としています。

          ⇒ 西安青龍寺・幻の小冊子を骨で聴く

 東京の多摩地区は弘法大師空海「お大師さま」への信仰心が篤い地域でした。
 そこで、文政6年(1823年)弘法大師の一千年御遠忌にあたり、武州多摩郡を巡る霊場として「武玉新国88ヶ所」が開創されました。
 しかし、明治の神仏分離令や廃仏毀釈などの時代には、弘法大師霊場にも衰退の傾向が出てきました。
 昭和の時代に入り、再び写し霊場が復活しました。昭和9年(1934年)弘法大師一千百年御遠忌を記念して誕生したのです。
 高幡不動尊が中心となり、多摩地区の真言宗寺院八十八ヶ寺で再編成され、「多摩八十八ヶ所霊場」が生まれました。

          ⇒ 高幡不動を骨で聴く

 再出発の趣意は、弘法大師の遺徳の讃仰と巡拝を通じての大師信仰の高揚、敷衍にありました。昭和11年には盛大な記念行事が行われたようです。



 ただこの後で太平洋戦争という悲劇もあり、この戦争によって巡拝者も少なくなってしまいました。お遍路・巡礼の復活は昭和30年頃からで、現代では健康的なウォーキング要素も含めて本場での四国霊場は毎年多くの人たちが集まります。
 多摩八十八ヶ所も、もっと巡拝者が増えてきてほしいものです。

 骨伝導は耳をふさがず、骨から脳へと音声を伝えます。
 これは音読しているときの脳波と同じ状況になり、シーター波に至ることもあります。この脳波のときに弘法大師の霊力・法力が合わさり、現代の「癒し」効果に繋がります。

 これは医療費抑制のための薬事法改正にも通じる話かも知れません。
 医薬品登録販売者資格取得も未病治療・予防医療の充実を図るものです。癒し効果が予防医療に繋がることで、高騰する医療費を抑制していけるかもしれません。

          ⇒ LES医薬品登録販売者講座

 医薬品登録販売者により医療用医薬品ではなく、OTC薬(一般用医薬品)で、自己責任の健康管理が出来る仕組みと、骨伝導を活用した弘法大師霊場の巡拝による癒し効果が掛け算となれば、時代は変わるかもしれません。

 五日市街道沿いの参道から第1番札所の安養寺へ入ると、山門近くに六地蔵や武蔵野市郷土資料の庚申供養塔が並ぶのが見えます。
 この庚申塔は、代官野村彦太夫により吉祥寺新田村の検地を受けた翌年の寛文5年(1665年)に建てられた、旧北多摩郡では最古の庚申塔だそうです。

 こんな見所もある安養寺に骨伝導とともに訪れましょう!

代田八幡神社を骨で聴く

2011-02-09 13:05:55 | 骨で聴く巡礼旅

 世田谷区の八幡神社の登場です。
 いつものように骨伝導ヘッドセットとともに参拝に出かけました。

 【以前に取り上げた世田谷区の八幡神社】

             ⇒ 太子堂八幡神社を骨で聴く
             ⇒ 世田谷八幡神社を骨で聴く

 今回訪れた八幡神社はすぐ東側に環七が通っています。渋滞も多く発生する場所です。
 そのせいか環七外回り車線をよく通行する人は、無意識に存在を認識している神社といえるでしょう。

 世田谷城の吉良氏が領主の座を追われ、その家人七家によって天正19年(1591年)に世田谷八幡宮から勧請して創建されたようです。

             ⇒ 世田谷城址公園を骨で聴く

 天和元年(1681年)に現在地に社殿等が建立されました。
 ここで新たに地元の人々からの信仰が集まりました。しかし、明治13年の暴風雨で社殿や樹林が壊滅してしまいました。昭和20年の戦災でも社殿が焼失しました。
 由緒ある神社らしく、そんな歴史を持っていますが、現在の社殿は昭和33年に再建されたものだそうです。



 環七の騒音に対して骨伝導の威力を実感し、代田八幡神社の鳥居までやってきます。やはり車の音は大きく、聖域への入口には違和感があります。骨伝導のパワーが協力に作用します。

             ⇒ 米軍採用の特許技術「骨伝導」ページ
      
 鎮守の杜は環七からも見えますが、境内に入るとよりその神社の持つ特有の空間を感じます。騒音は相変わらずですが、骨伝導ヘッドセットがあれば大丈夫!

 境内は綺麗に掃き清められていました。とても気持ちよい気分です。
 しかし環七側から境内に入ると、社殿は左側になり、よく見るとそこにも鳥居があります。本来の参道は左側なのかもしれません。
 社殿の造りは八幡神社とは思えないほどフラットでシンプルです。そんな切妻造風の本殿まで来ると騒音は消え、静寂で神聖な空間が作られています。

 環七側の東参道と比べると、こちらは人が誰もいません。
 逆に東側は人の往来がかなりあります。ところが神社の参拝者ではないのに気づきます。この神社の境内から環七をまたぐ歩道橋の入口があったのです。最寄り駅の世田谷代田駅にはこの歩道橋を利用すると便利なようです。

             ⇒ 世田谷代田駅を骨で聴く

 境内から続く歩道橋は大勢の地元の人たちに利用されているようで、ある意味、おもしろい光景といえます。
 環七を渡る際にはぜひ骨伝導を活用してほしいものです。


横浜駅を骨で聴く

2011-02-08 16:44:42 | 骨で聴く鉄道駅

 日本で一番多く鉄道事業者が乗り入れている駅が、実は横浜駅なのです。

 まずは東日本旅客鉄道(JR東日本)では下記の各線。

 ■東海道線
 ■横須賀線
 ■湘南新宿ライン
 ■京浜東北線
 ■根岸線
 ■横浜線

 東京急行電鉄(東急)の東横線。
 京浜急行電鉄(京急)の本線。
 相模鉄道(相鉄)の本線。
 横浜市交通局の横浜市営地下鉄ブルーライン(3号線)
 横浜高速鉄道のみなとみらい線。

 以前に取り上げた人口でも横浜は日本で二番目の数を誇っています。

          ⇒ 横浜を骨で聴く

 当然ながら乗降客の数も多い駅で、JR線全体の中で、新宿駅、池袋駅、渋谷駅、大阪駅に次いで第5位という順位です。

 骨伝導とともに訪れてみると、東口と西口ではイメージが異なることに改めて気づきます。
 画像にある東口は横浜駅舎移転当時からの玄関口にあたりますが、すぐに高速道路が走り、殺風景な印象を受けます。商業施設は多くないものの、地下街横浜ポルタとそごう横浜店がある関係で、人の数は決して少なくありません。

 こんな雑踏と高速道路の車の音には、骨伝導が有効です。
 耳をふさがず、骨から脳へと音声を伝えるため、騒音の中での通話性能に優れます。携帯電話に接続したり、ブルートゥースなどで使用したりすると、骨伝導の威力がよく分かります。
 米軍に採用された特許技術を十分に堪能できることでしょう。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 西口は横浜の一大繁華街です。
 かつては砂利置き場があるなど荒地だったようですが、現在では想像すらできないほどです。1950年代より相模鉄道(相鉄ホールディングス)が積極的に開発を行い、横浜駅周辺を巨大な街に変貌させました。

 しかし横浜駅とは、1872年6月12日(明治5年)に、品川駅からの鉄道路線が開通した際は現在の桜木町駅に相当する場所でした。
 2代目横浜駅は、1915年(大正4年)8月15日に、東海道本線の横浜通過を避けることを目的に現在の地下鉄高島町駅付近にできました。これで初代横浜駅が桜木町駅に改称されました。
 1928年(昭和3年)には東京横浜電鉄線(現在の東急東横線)が開通し、同年10月15日に、駅が北側に移り現在地に移転しました。これが現在の3代目横浜駅です。
 東海道本線も現在のルートに変更されました。

 巨大な駅は様々な変遷を経て、現在に至っています。
 骨伝導がもっとも有効な駅になるまでの期間は、東海道本線のルートと横浜ターミナル駅との地理的関係に翻弄されたことによるのかもしれません。実際、新幹線は新横浜駅が横浜の表玄関になり、既存の横浜駅とは地下鉄で結ばれているものの、まったくの別の顔です。

 骨で聴く鉄道の駅も、こんな駅をたずねるのは実は悪くないのです。

世田谷代田駅を骨で聴く

2011-02-07 11:25:31 | 骨で聴く鉄道駅

 東京近郊私鉄沿線の駅に骨伝導とともに訪れる旅は、またまた小田急線へと戻りました。工事真っ只中の世田谷代田駅です。以前に取り上げた梅ヶ丘駅のすぐ隣の駅になります。

          ⇒ 梅ヶ丘駅を骨で聴く

 開業時の名称は世田谷代田ではなく「世田ヶ谷中原駅」でした。1927年(昭和2年)4月の開業でした。しかし昭和20年7月の空襲により被災し、営業を休止することになりあmした。小田急線の駅では唯一空襲で焼失した駅です。

 翌昭和21年6月に営業再開され、8月に世田谷代田駅に改称されました。



 この時代、世田谷代田駅と環七を北に上がった場所にある井の頭線新代田駅の間に、代田連絡線という線がありました。これは井の頭線に車両を運び込むための連絡線で、現在の連絡線跡地は、東北沢 - 梅ヶ丘間の連続立体交差化(地下化)・複々線化工事の中に埋もれてしまっています。

 1日平均乗降人員は8,339人と、小田急線70駅の中の63位です。新宿からわずかに5.6kmの距離にあり、隣の下北沢で乗り換えれば渋谷にも近い位置にありながら乗降客が少ないのは、周辺に駅がたくさんあるからでしょうか。

 下北沢駅とは徒歩圏内にあり、北に歩けば新代田駅、西に梅ヶ丘駅、南に世田谷線が走っていることから、この駅でなければ不便という範囲が限られているのは事実です。また街が形成されているわけではなく、環七が走っている以外は世田谷らしい住宅街で、大規模なマンションも少ないといえます。

 やはり工事途中の駅は騒音が激しく、また環七なの交通量の多さに対抗するために、骨伝導が有効です。自宅の電話は「きくテル」に、難聴傾向の方には「きくちゃん」がお勧めです。

          ⇒ 骨伝導受話器きくテル
          ⇒ 骨伝導音声増幅器きくちゃん
          ⇒ 赤外線(ワイヤレス)骨伝導きくちゃん

 携帯電話にもPCにも骨伝導との組み合わせは有効です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品一覧

 もちろん骨伝導がなければ生活できない街ではありません。防音設備が整っていたり、駅や環七から少し外れただけで閑静な住宅地が広がっているのも分かります。

 ただ、やはり完成までの期間は骨伝導の威力がますます分かるのが、簡単に想像できるだけです。