骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

招き猫を骨で聴く

2008-02-29 12:24:58 | 骨で聴く巡礼旅

 招き猫は右手を上げているもの、左手のものと分かれています。
 由来についても大きく分けて6種類くらいあるそうです。

 以前ご紹介した豪徳寺(⇒豪徳寺を骨で聴く)も有力な由来を持っています。そして必ず右手を上げています。

 豪徳寺での由来は、簡略にいえば、彦根藩主・井伊直孝が猫に手招かれるままに寺を訪れたのをきっかけに、その寺を菩提所とし、没落していた寺が復興したというものです。

 参考:All About「招き猫の由来」

 境内には招猫殿があり、猫観音像が安置されています。

         

「崇め祈れば吉運立ち所に来り家内安全、営業繁盛、心願成就す」というご利益があるのだそうです。

 そして招き猫に願をかけ、結果的に願が成就した場合、招き猫を豪徳寺の招猫堂の横にある祠に返納します。さらにご利益があるとされます。
 この寺の招き猫は霊験あらたかなのです。その証拠に、この祠にはいつも祈願成就の猫がたくさん返納されています。

 ちなみに、一般的に左手を挙げているのが「お客さまを集める」招き猫、右手を挙げているのが「お金を集める」招き猫と言われています。従って豪徳寺は「お金」を集めるための霊験があるようです。

 浅草で購入した招き猫は左手でしたから、「お客さま」、要するに集客です。
 浅草寺は確かに集客力は抜群で、豪徳寺は世田谷の閑静な高級住宅街ですから、相当なお金が集まった地域なのでしょう。

 招き猫の威力はすごいのかもしれません。

 骨で聴きましょう。
 左右どちらの手を上げても対応できます。耳もふさぎません。特許技術の骨伝導により招き猫の霊験にあやかった音声を聴きます。

   「ニャー」
            「ニャーゴ」

 ⇒ 骨伝導の恐るべきパワー!

                         

巡礼旅を骨で聴く

2008-02-28 13:46:29 | 骨で聴く巡礼旅

  現在の栃木県岩舟町、かつての下野国都賀郡小野寺郷に生まれた慈覚大師円仁は、15歳で比叡山に入りました。弘法大師空海と並ぶ日本仏教の祖・最澄の弟子となり、42歳のときに遣唐使船に乗り、入唐しました。最後の遣唐僧でした。

 武帝の廃仏により国外退去となり、帰国後、第三代天台座主となりました。さらに後、朝廷から最初に「大師号」を授けられることにもなりました。「大師号」としては、最澄の伝教大師、空海の弘法大師より先だったということが、意外と知られていない事実です。

 この慈覚大師円仁の著作が「入唐求法巡礼行記」です。これは玄奘の「大唐西域記」、マルコポーロの「東方見聞録」とともに世界の三大旅行記のひとつにされています。

 しかも玄奘やマルコポーロが口述筆記だったのに対し、円仁は自ら書き記したといわれています。日本では最古の紀行文です。
 円仁の「入唐求法巡礼行記」は、マルコポーロの「東方見聞録」より400年も古く、当時の唐や仏教について、鮮明に記述されていました。この貴重な紀行文を世界に発信したのは、アメリカ駐日大使を歴任したライシャワー博士でした。翻訳され、世界に広く紹介されたことにより、歴史的な価値が認められたのです。

 もうひとつ、この「入唐求法巡礼行紀」で注目すべきことは、「巡礼」という表記です。日本で最古の「巡礼」という表現が使われています。「入唐」については、円仁以前に空海、最澄が行っていますが、「巡礼」の表記は現存しません。

 ⇒ 観音巡礼を骨で聴く

 巡礼という行為については、円仁の表記以前から行われていました。ほとんど人類誕生と同時に発生したとしても、決して誇張ではないでしょう。日本では「神宿る」山や島への巡礼は、縄文時代まで遡ることが出来るとも言います。

 その後、狭義の「巡礼」は西国観音巡礼となりました。伝説では、大和長谷寺の徳道(得道)上人が閻魔大王のすすめで発願したといいます。養老2年(718)に三十三ヶ所を選びました。観音様が三十三の姿に変化することに由来するといわれます。

 開祖の説には、他に性空上人や威光上人もありますが、むしろ中興の祖・花山法皇の伝説の方が一般的に知られています。
 花山法皇は冷泉天皇の第一皇子として生まれ、17才で第65代天皇に即位しました。しかし在位期間はわずか2年でした。この退位については「大鏡」「栄華物語」などで、藤原兼家による謀略であるとされています。藤原氏全盛時代の幕開けという渦に巻き込まれた、悲運の天皇だったといえます。
 退位した花山法皇は京を追われ、熊野の那智の滝上流へと向かい、籠山修行を行いました。ある日、熊野三所権現が現われました。そこで、

 徳道上人以降、観音浄土の三十三所を巡る者が絶えている。河内の仏眼上人の案内で巡礼し再興せよ

というお告げをしたそうです。
 花山法皇はお告げ通りにしました。仏眼上人の案内で徳道上人が閻魔大王から授かった宝院を掘り出し、性空上人を先達として西国巡礼の旅に出たのです。
 この伝説が「中興の祖」として有名になりました。さらに、坂東や秩父の観音巡礼を創始したとも伝えられています。

 しかし史実としては不確かな部分が多く、記録に残っている西国巡礼の記述では、天台座主の行尊(1055~1135)の「寺門高僧記」が最古になります。このときは第一番が長谷寺になっています。第一番札所が熊野の那智山になったのは、室町時代以降であるといわれます。

 一方、関東の坂東霊場は鎌倉幕府の成立が契機だとも言われます。源頼朝は観音信仰が厚く、各地の豪族に寺院を推挙させ、幕府三代将軍の実朝が制定したといいます。鎌倉基点なのもこの理由からです。

 同じ関東でも、秩父の観音霊場だけが三十四あります。西国、坂東と合わせて百観音霊場とするために、元来三十三だったものに、一ヵ寺加えたといいます。

 秩父霊場の成立についても諸説あり、最も有名なものは「秩父観音縁起」で、文暦元年(1234)に性空上人を筆頭に十三人の聖者が開創したというものです。
 四国八十八ヵ所が弘法大師空海の霊跡を辿るのに対し、観音巡礼は衆生救済の観世音菩薩(サンスクリット語ではアヴァローキテーシュヴァラ)の霊場を巡ることになります。従って「同行二人」も四国遍路がお大師様と二人なのに対し、観音巡礼では観世音菩薩と一緒という意味になります。

 ⇒ 音楽寺を骨で聴く
 ⇒ 西武秩父駅を骨で聴く

 ではそもそも観音信仰とは、何でしょうか? 起源は一世紀頃のインドにまで遡ります。日本には飛鳥時代に伝わったとされます。観世音菩薩は三十三の姿に変化し、慈悲の深さから衆生を救います。観音菩薩の補陀落浄土とは、一般的には浄土信仰のもつ観念上の世界だとされています。そして観音と結縁すれば浄土転生を約束されるという往生思想があります。観音経にも観世音菩薩と唱えることにより、その声を聞いて解脱へと導いてくださるとあります。

 古代より日本人は浄土への直接渡航という修行を行い、観音信仰と一緒になって巡礼が一般化したのかもしれません。
慈覚大師円仁が「巡礼」と表記した行為は、時代を超え、四国八十八ヵ所・弘法大師信仰と並ぶ全国の観音信仰が普及したことにより、身近な行為となったのです。

 ⇒ 癒しの仏陀を骨で聴く

 そして現世利益を授けてくださる観音巡礼ですが、ご利益は短絡的なものではありません。日常生活から離れた空間の中で、真理を求めて修行する菩薩の姿を自分自身に見出すことにより、ご利益とは必ずしも形あるものでないことが分かることでしょう。

 ⇒ 難聴の方のご利益こそ骨伝導

                                                

ギャランΛ(ラムダ)を骨で聴く

2008-02-27 19:08:34 | 骨で聴く名車

 日本車で初の角型四灯ヘッドライトを採用したギャランΛを久しぶりに見かけました。1977年にフジテレビ系で放映されていた『華麗なる刑事』で、アメリカ・ロサンゼルス市警での研修を経て新宿南口署にやって来た高村一平(通称「ロス」)刑事の愛車でした。演じていたのは草刈正雄です。

 ギャランΛは、往年の三菱の名車だったギャランGTOの後継モデルとしてデビューし、当時のアメリカ製クーペ等にかなり影響されたデザインでした。実際、アメリカのビュイックとの共同デザインだったようです。
 欧州車、特にドイツ車の影響を多く受ける現在とは事情が異なっています。

            

 そしてこのエンジンは三菱が世界に誇る技術も導入されていました。サイレントシャフトです。
 直列4気筒エンジンのバランサーシャフトの商標ですが、これが優れたものでした。ポルシェ944でも採用された技術です。

 ⇒ 難聴でもポルシェ944を骨で聴く
 ⇒ FRポルシェを骨で聴く

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 サイレントシャフトは、「ランチェスターの法則」で知られるイギリスのフレデリック・ランチェスターによって1900年代初頭に発明されたバランサーの一種であるが、特徴的なのは、2本のシャフトの位置を上下にずらし、エンジンの振動のみならず、起振モーメントをも打ち消していることである。

                                出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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 これに匹敵する日本の技術といえば骨伝導の特許スピーカーでしょう。こちらもアメリカとの関係が深く、米軍で大活躍しています。

 ⇒ 骨伝導の恐るべき技術とは

 やはり、こんな技術大国・日本は骨で聴くことに限ります。

                              


磯部温泉を骨で聴く

2008-02-26 16:26:31 | 骨で聴く巡礼旅

 群馬県の磯辺温泉です。以前にも取り上げたことがあります。

 ⇒ 磯部駅を骨で聴く
 ⇒ 湯煙を骨で聴く

 磯部温泉は温泉自体の歴史は古く、浅間山の噴火時に湧出したのがはじまりと言われています。

 若山牧水の逗留した宿などもあり、文学とのゆかりも深いいで湯です。またいわゆる温泉記号の発祥地としても知られています。

 宿数は十件足らず、歓楽的な要素もなく、ひっそりと歴史を受け継いでいる印象が何とも言えない温泉情緒を醸し出しています。

   泉質:塩化物泉
   効能:リウマチ性疾患、運動器障害、創傷
      神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩など

 骨で聴きます。
 いつものように骨伝導のヘッドセットを装着して、磯部温泉を骨で聴くのです。

 ⇒ 骨伝導の秘密

                 

豪徳寺を骨で聴く

2008-02-25 16:52:45 | 骨で聴く巡礼旅

 大渓山豪徳寺は東京の世田谷区にあります。
 井伊直弼の墓があることで有名です。

 井伊直弼といえば、江戸幕府の大老として安政の大獄を行ない、反対派を処罰しました。このとき、事実上の幕府最高権力者となっていたのです。しかし大獄に対する反発から桜田門外で水戸浪士らに暗殺されるという最期を迎えました。

 豪徳寺に墓があるということは、井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備したことに関係します。また「招福猫児(まねぎねこ)」 、要するに「招き猫」発祥の地ともいわれますが、これは別の機会にしましょう。

 閑静な住宅地を貫く城山通りから豪徳寺の山門に入ります。
 正面に仏殿があり、奥に本堂があります。

 本尊は釈迦如来です。
 以下、簡単な歴史を振り返ってみます。


 文明12年(1480)吉良頼高の娘で同政忠の伯母にあたる弘徳院のために城内に創建された小庵で、初め臨済宗に属していました。この当時は弘徳院と称したと伝えられています。

 しかし天正12年(1584)に同じj禅宗でも臨済宗から曹洞宗に転じました。
 寛永10年(1633)に世田谷領を領した近江彦根藩主井伊直孝が大檀那となって堂宇、殿社を造営、井伊家代々の江戸菩提寺となります。

 万治2年(1659)井伊直孝が没すると、その法号久昌院殿豪徳天英居士にちなみ豪徳寺と寺名を変えました。

 万延元年(1860)江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼が豪徳寺に葬られました。ちなみに直弼の墓は都指定史跡になっています。

               

 正面右手には最近完成した塔があります。
 かなり綺麗で、優美な姿です。
 禅宗の寺院は地味な印象が強いのですが、この塔は存在そのものが華やかな感じがして不思議な感じです。

 大伽藍の豪徳寺を骨で聴きます。
 世田谷八幡神社の近くなので、骨伝導ヘッドセットを装着したまま豪徳寺に参拝にきてもかまいません。

 ⇒ 世田谷八幡神社を骨で聴く

 そして耳からでは聞こえない音を聴いてください。必ずそこに歴史と癒しの声があります。脳波も普段とは少し異なるようになるでしょう。

 そして次は招き猫へと向かいます(続く)

 ⇒ 骨伝導驚異の秘密

            

水澤観音を骨で聴く

2008-02-25 11:43:55 | 骨で聴く巡礼旅

 観音巡礼と骨伝導との結びつきについては以前にご紹介しました。

 ⇒ 観音巡礼を骨で聴く

 榛名山や伊香保温泉もご紹介しました。このときも骨伝導を使って骨で聴き、大きな意味を見出しました。

 ⇒ 榛名富士を骨で聴く
 ⇒ 湖畔の宿を骨で聴く
 ⇒ 源泉地を骨で聴く
 ⇒ 石段街を骨で聴く
 ⇒ 名湯の効能を骨で聴く

 そして今回は、二つを合わせた骨伝導巡礼の旅です。場所は水澤寺です。榛名山や伊香保温泉だけでなく、坂東観音巡礼や水澤うどんとしても有名な古刹です。大阪出身の紀行ライターの文章を一挙公開します。

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 伊香保温泉街から約4キロほど下った場所に五徳山水澤寺、通称、水澤観音がある。坂東観音霊場でも屈指の古刹だ。

               

 駐車場は広いが、早くもかなりの数の車が停まっている。大型バスもある。さすがに有名な寺院だけのことはある。
 真新しい平成13年建立の釋迦堂は、駐車場の横にある。まずはここから参拝。志納金は500円。

 貴重な仏像が荘厳な雰囲気の中に並んでいる。二つの仁王尊の間を抜け、正面に見えるのが、金色に輝く釋迦三尊像だ。釋迦如来を挟んで右に文殊菩薩、左に普賢菩薩。静かに合掌すると、頭の中に厳粛な真言が聞こえてくるようだ。
 必見なのは円空作の高さ53.3センチの阿弥陀如来像。荒削りな円空独特の彫刻がよく分かる。釋迦三尊像の右手の仏像の間にある。
 奥の間には、坂東三十三観音霊場の観音像が一列に祀られている。掛軸の間はこの反対側にある。

      
        

 さて、釈迦堂からいよいよ境内へと足を踏み入れる。駐車場からだと、仁王門から石段を上がった場所に出る。

 最初に目にするのが納札堂。古くなったお札だけでなく、古い人形やぬいぐるみまで納められている。

 次に十二支守り本尊が並んでいる場所の前に立った。干支により自分の守護本尊が定まっているというのは、古来より続く民間信仰の一種だ。古刹の境内で対面すると、歴史を刻んだ空気にまで守られているようだ。気持ちを引き締める。

        

 すぐ隣にあるのが六角二十塔。六地蔵を安置していることから、六角堂とも呼ばれている。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を守る地蔵尊が、六道輪廻の相を表している。その上の二階に相当する場所には大日如来が安置されている。

        

 地蔵尊信仰では日本を代表する建築物であるが、その珍しさは六地蔵尊自体が回転するという点だろう。この開運六地蔵尊の前には、「左に三回廻して、あなたの真心の供養を望みます」と書かれた立て札がある。
 巡礼者も観光客も順番待ちをしてまで廻そうとしている。

       

 私も三回廻してから本堂へ向かおうとしたところ、実はここでびっくりすることになった。周囲で私以外に驚いている人は誰もいない。別に幽霊を見たわけではない。想像していなかったものを目にしただけだ。

 その驚愕をよんだものとは、小さく目立たないながら、弘法大師堂があったことである。この出会いは全く想像の範疇を超えていた。

 五徳山水澤寺は天台宗だが、弘法大師を祀る寺院には宗派が関係ない場合が多い。だからそれ自体は驚くに当たらない。
 私が驚嘆したのは、この旅の下調べの際、弘法倶楽部の取材だということで、水澤寺と弘法大師との接点はないかと徹底的に調査し、その結果、皆無であると結論したからだ。

          

 そもそも水澤観音の由来というのは、推古天皇の時代に遡る。

 上野国の国司である高野辺左大将家成には、姫君三人がいた。北の方が亡くなると、継母はこの三人の姫を殺そうと謀り、末娘の伊香保姫を淵に沈めようとしたとき、姫の持仏の千手観音が姫を助けたという。
伊香保姫はのちに高光中将に嫁いだ。この夫こそが水澤寺を創建し、本尊が伊香保姫を救った千手観音だった。開山については、推古天皇、持統天皇の勅願により、高麗の高僧・恵灌によった。
本尊の千手観音は、七難即滅七福即生のご利益があり、古くから信仰されてきた。
 現在の建物は江戸中期の大改築によるものだが、かつては堂宇三十余という巨大な寺院だった。
 
 歴史的な背景とは別に、違和感なく大師堂があることに何か意味があるのだろうか? 

 謎の答えは、実に簡単なものだった

 これは個人の方が奉納したものだという。四国八十八ヵ所の結願から、坂東三十三観音の巡礼者に対する、ある種のはなむけのようなものかもしれない。巡礼・遍路の時代にふさわしい贈物だろう。

 弘法大師の伝説という点では、他の地域でも多くあるパターンがすぐ近くにあるのは事実だ。九十九の谷で百に一つ足りないので、高野山のような寺院を建立出来なかったというもの。
 水澤の先に船尾滝があるが、これは九十九谷の北端にある滝だという。帰りに寄ってみるのもいいかもしれない。落差が72メートルもあるという。

            

 さていよいよ本堂へ。
 本尊は伊香保姫の持仏だったという千手観音だが、古来より「融通観世音」として知られている。「衆生の一切の願を融通し、救いの手を差しのべて下さいます」という。

 この本尊・十一面千手観世音菩薩は秘仏で、前立が江戸時代の作だという。
 本堂の周囲は線香の煙が舞い、幻想的な雰囲気まで醸し出している。

 関西人は京都と奈良という古都が身近にあるせいか、東国の神社仏閣に価値を見出さない人がいる。そんな人を、ぜひともここへ連れて来たいものだ。

 本堂の反対側が石段になっていて、本来の入り口である仁王門と参道が眼下に見える。
 その参道脇に御札堂、さらに隣に龍王辨財天がある。霊泉が注がれた泉の中央に辨財天が優雅な姿を見せている。

            

 霊泉はお水取りにくる方でも賑わっている。
 関東屈指のうどんの名所も水澤であるが、このような霊泉湧く地であることも関係しているのだろう。
 鐘楼の鐘は「大和(たいわ)の鐘」と命名されたもので、昭和五十年に完成したものだ。

 再び駐車場に戻り、車のドアを開ける前に境内を振り返る。

 西国観音霊場とは趣の異なる坂東巡礼旅だった気がする。しかし観音信仰に東西の区別はなく、霊験あらたかな場には共通する「気」があるのかもしれない。

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 その「気」を感じ取るために、耳だけでなく骨で音声を聴こうとした点が、今までにない巡礼スタイルでした。骨伝導巡礼です。

 改めて骨で聴くことのすごさを感じ欲しいと、ごく単純に思ってしまいます。

 ⇒ 骨伝導について

                 

クワンソウを骨で聴く

2008-02-22 17:37:23 | 骨で聴く癒しの世界

 睡眠・イビキと骨伝導については過去にご紹介しました。

 ⇒ 睡眠を骨で聴く

 今回も睡眠に関係する話題です。
 ズバリ、
   「快適な睡眠」についてです!

 現代社会の中で不眠、医学的には「睡眠障害」と言われ、日本人の20%(5人に1人)不眠に悩まされています。

 不眠の原因として考えられているのが、現代社会が生み出す

    「ストレス」
          「運動不足」
                   「夜型社会」


 など。1970年にNHK国民生活時間調査では国民の平均睡眠時間は約8時間でした。
 しかし、この30年ほどで睡眠時間は1時間ほど短くなっています。
 但し、アメリカの調査によると、睡眠時間は長くても短くても死亡率が高くなると発表しました。
 調査の結果、

  睡眠時間は平均7~8時間の人が

 一番長生きする。

 長く眠れば良いわけでもないらしい。睡眠は脳を休める事が出来ないと、長く寝ても睡眠不足を感じ疲れた状態になるのです。睡眠不足が進むと大脳の細胞が破壊され適正な判断、命令が出来なくなる影響が出始める。そこで、脳が自ら細胞の修復活動する事が「睡眠」なのです。

 細胞修復‥‥「睡眠」を妨げると細胞破壊が進行し、脳が死んで行き、欲に言う、ボケに繋がります。ボケない為にも「睡眠」は大切なことなのです。

 日本には長寿の島があります。沖縄です。

 沖縄に「よく眠れる薬草がある」と、話題になっています。お馴染みの日本TV「おもいっきりテレビ」でもその薬草の効果を紹介されました。その薬草の名は

    「クワンソウ」。

 秋にオレンジ色の花を咲かせるユリ科の植物で、アキノワスレグサと呼ばれています。
 この「クワンソウ」を食べる事で、睡眠時間が通常の1・5倍になると琉球大「上江洲栄子」教授がマウスを使った実験で確認し、経験的に伝えられた

       「眠れない時の、クワンソウ」

 という沖縄の睡眠を科学的に解明しました。
 マウスの餌にクワンソウの粉末を混ぜ、深い眠りで夢を見ている時の、パラドキシカル睡眠(深い眠り)の割合を調べる脳波検査。

 結果、クワンソウを食べていないマウスのパラドキシカル睡眠は38%程で、クワンソウを食べたマウスは60%になり熟睡時間が1・5倍ほど延びました。

 またマウスは夜行性で昼間に眠る時間も多いが、実験で昼間の睡眠時間に「クワンソウ」の影響はなかった。麻酔や睡眠薬と違い副作用もなく、また肝機能にも効果があると言う。
 沖縄では、昔から「クワンソウ」を食しています。眠り草と親しまれ、クワンソウの根は「味噌汁」「おひたし」「炒め物」で食し、葉は煎じて「お茶」にしてのむのが一般的な利用方法です。
「クワンソウ」は九州本土でも栽培されていますが、不眠症の改善、「眠れる薬草」と言う伝えは沖縄だけです。

 深い眠りを取る人と、浅い眠りの人とでは同時間の睡眠でも満足感が違い、疲れも引きずらない。しかも「クワンソウ」は夜の睡眠だけに効果があります。
 沖縄の年輩方々を見ると、

「あの明るい笑顔」「元気」

 は、どこから来るのだろう?

と羨ましく思えていましたが、人が生きて行く為の、基本「眠る」の要素をバランスよく生活に取り入れているからなのかもしれません。

  夜、寝床に入ると5分もしないで熟睡‥‥こんな寝つきのいい人なら問題ないでしょうが、寝床に入っても20分‥‥30分以上かかってもなかなか寝つけない人が多いのではないでしょうか?
 寝付きが悪いと、寝ようとする思いが「ストレス」となり、さらに眠れなくなるのです。

 睡眠時間が多少短くても、脳を休める事が出来れば睡眠に満足感が得られ、疲れを引きずる事無く快適な目覚めになります。

 そして快適睡眠の脳波と音の関係にも目を向けたいものです。

 骨伝導です。

 ⇒ 骨伝導と脳波の驚異の秘密

           

焼肉を骨で聴く

2008-02-20 12:19:47 | 骨で聴く癒しの世界

 前回、幻の「壷ホルモン」を食べた店で、別の肉を食べます。

 ⇒ 壷ホルモンを骨で聴く

 忘れてはいけないのが、骨伝導。
 豪快な炎と肉の焼ける音を耳ではなく骨で聴き、一気に口に入れるのです。肉を噛み締める音も骨から脳に伝わり、おいしさが百倍!

 なんともいえない感動です。

 ⇒ 驚異の骨伝導パワーとは?

 毎日食べるものではないからこそ、こんな感動を持った焼肉の食べ方はすばらしいのです。骨伝導と焼肉に感謝です。

         

金沢動物園のゾウを骨で聴く

2008-02-19 10:31:11 | 骨で聴く体験記

 金沢動物園でコアラと並んで人気のあるインドゾウです。
 2頭いて、名前は「ボン」と「ヨーコ」だったと思います。

 場所は石川県の金沢市ではなく横浜市の金沢区です。横浜市の環境創造局の管理下にある動物園ですが、自然の起伏を利用して各大陸ごとのエリアを設けてあるのが特徴です。各エリアは下記のとおりです。

 ■アメリカ区
 ■ユーラシア区
 ■オセアニア区
 ■アフリカ区

 □ほのぼの広場
 □カブトムシの森

 昭和57年3月に横浜市内の野毛山動物園の分園として一次開園しました。のちに公開区域を広げつつ昭和63年4月に独立した動物園になりました。
 平成元年3月には全面完成し、周囲の金沢自然公園内にある動物園として確固たる地位を獲得しました。 

 この動物園でゾウを見ていると、やはり思い出すのは骨伝導です。
 ゾウは足を通して低周波をキャッチするという骨伝導のすごさを実感するのです。

 ⇒ ゾウも骨で聴く

 骨伝導については改めて述べるまでもないことですが、やはり詳細をチェックする必要があるでしょう。

 ⇒ 骨伝導驚異の秘密

 金沢動物園でインドゾウを見て、骨で聴くなんて、これは楽しい小旅行間違いナシです。

            
 

世田谷八幡神社を骨で聴く

2008-02-18 12:22:03 | 骨で聴く巡礼旅

 世田谷区の小旅行を続けています。

 ⇒ 世田谷区を骨で聴く

 三軒茶屋から東急世田谷線に乗車します。西太子堂、若林、松蔭神社前、世田谷、上町、と電車は停車します。

 ⇒ 太子堂を骨で聴く
 ⇒ 松蔭神社を骨で聴く
 ⇒ 松下村塾を骨で聴く

 今回は宮の坂で下車します。昔の世田谷線の車両が展示してあって、中に入れるようになっています。小さな子供を連れた親子が中で遊んでいました。ほのぼのとした光景です。

 そのすぐ先に鬱蒼とした森が見えます。
 2月の冷たい風に吹かれ、木々が凍えそうな声を出しているようです。すかさず骨伝導のヘッドセットを装着します。骨で聴く冬の声…。

 ⇒ 骨で聴くとは?

 その森が世田谷八幡神社です。
 世田谷区教育委員会の説明書きがあります。引用しましょう。

 世田谷八幡宮
 この神社は、源義家が奥州の内乱をとりしずめた記念として建てたとつたえられる。その後、天正15年(1587)に世田谷城主の吉良頼康が、新しく建てた。
 宮坂八幡・宇佐八幡ともよばれ、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后をまつる。
 社殿は文化10年(1813)の建築で現在の社屋の中におさめてある。
 昔から行われている秋祭の奉納角力は有名である。


  昭和47年12月  世田谷区教育委員会


 鳥居を潜ってすぐ右手に池があります。その先に土俵です。「奉納相撲の世田谷八幡」としてせたがや百景に選ばれているだけのことはあります。

 神聖な場所であると同時に、歴史が少しだけ止まっている庶民の憩いの場でもあるような気がします。

 改めて骨で聴きましょう。
 癒しの空間と骨から伝わる歴史の声、冬の音、すべてがこの旅の目的を表しています。世田谷線の音まで癒し効果があるようです。

 ⇒ 改めて骨伝導について知る

        

ペリカンを骨で聴く

2008-02-16 13:53:14 | 骨で聴く動物

 ペリカンは漢字で伽藍鳥と書くそうですが、あまりピンときません。
 むしろ日本通運のペリカン便のイメージや、スペイン語のアルカトラズから連想されるもの、そして何より愛らしい鳥ということがすぐ浮かびます。

 動物園で人気者です。

 上の画像にあるモモイロペリカンは、アフリカ北部から東南アジアにかけて広く生息するもので、日本の動物園でもおなじみです。
 このペリカンに向かい骨伝導のヘッドセットを装着します。骨で聴くのです。

 う~む、
   骨で聴くことは、ペリカンと会話することとは違いますので、何ともいえません。

 ただ、動物園ではしゃぐ子供達の声が癒しの声に聴こえるのは骨伝導の影響なのか、ペリカンを前にした影響なのか‥‥。

 まずは骨伝導を知りましょう。

 ⇒ 骨伝導専門サイトはこちら

                  

漢詩を骨で聴く

2008-02-14 10:33:25 | 骨で聴く体験記


 深夜、ベッドにノートパソコンを持ち込みます。
 寝転がりながら画面を見ます。

 漢詩の朗読を聴きます。最初は普通に耳で…
 次に骨伝導のヘッドセットを装着して骨で聴きます。

 違いはどうでしょうか?

 その前に「漢詩一題」を―

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       庚辰紀行

      去歳青龍寺
      今登高野山
      眞言解不得
      唯想大師艱

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       去歳 青龍寺
       今登る 高野山
       眞言 解し得ず
       唯思う 大師の艱

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     (筆者・元大学教授 漢詩漢文同好会会長)

 庚辰とは、平成十二年のこと。
 この詩は漢詩漢文同好会の方々と聖武天皇の時代、万葉の宮廷歌人である山辺赤人が詠んだ「若の浦に潮満ち来れば、潟を無み芦辺をさして鶴鳴き渡る。」の歌で有名な和歌の浦から、聖地・高野山に向け旅をした時の作である。

 バスが右に左にくねくねと曲がりながら深山に分け入り、中の橋に到着した。そこからは徒歩で、杉の巨木老木に守られた道を、その間をぬって吹く冴え冴えした風をお友に御廟に向かう道すがら、前年中国に旅して西安の青龍寺を訪れ、一千二百年前に運命の師・恵果和尚と空海が踏んだ、まさしく同じ土の上に立った時、そして弘法大師の勉学の跡を見て、震える程に感動したことを昨日のことのように思い出した。

 その帰り道、よく晴れていたので、飛行機の窓から中国のどこまでも続く広大な大地を見ることが出来た。太行山脈の黒々とした山壁が幾重にも幾重にも重なっていた。

 その時、私は今、わずか四時間程で日中間を往来して、まことに呑気な旅をしているが、弘法大師は荒海の中、荒海の中、唐に渡り何十日も何ヶ月もかけてひたすら仏の道を求め、あの山々を越えて困難な千里の旅を続けられ、何十年もの修行が必要な奥義を全知全能を使ってわずか数ヶ月で全て伝授され真言第八祖の阿闍梨となり、「汝はそれ行きて、これを東国に伝えよ」―。

 師、恵果和尚の遺命に従い、まさしく奇蹟のタイミングで帰国して、この奥深い高野山に籠って教えを説かれたことを想像した時、まさに感無量のものがあった。

 御廟橋を渡りながらの帰途、昔、本で読んだ弘法大師の様々な偉業、各地に伝わる弘法伝説等を思い出しながらも、私には真言宗の教義は到底理解できないと思うが、せめて、大師の求道のお姿だけでも詩に残したいと思った。

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 漢詩は難解で、耳で聞いても骨で聴いてもよく理解できませんでした。
 しかし、耳と骨の決定的な違いは脳波かもしれません。理解できないのは変わらなくても、脳の感じ方がなんだか微妙に違う気がします。

 この違い……

 うまくコトバで表現することはできません。
 この違いを骨伝導をより知ることで確認してください。

 ⇒ 骨伝導を知って違いを確かめる

             
 
               


気動車を骨で聴く

2008-02-13 16:54:48 | 骨で聴く鉄道駅


 冬の山陰本線一人旅は演歌が似合います。
 
 ⇒ 山陰本線を骨で聴く
 ⇒ 倉吉駅を骨で聴く

 重いディーゼル音が響きます。BGMの演歌とともに旅情を掻き立ててくれます。
 骨で聴きます。
 最新特許技術の骨伝導を使って、寒い日本海沿線の町を気動車で旅します。

 ⇒ 骨伝導についてはこちら

 実は、気動車=ディーゼルと、日本では常識になっていますが、本当は違うようです。というのも、ガソリン動車やタービン動車などがあるからです。
 ディーゼルエンジンは、低速域での加速度は一般に電車より高いといわれます。しかし、電車のモーターは起動時から同じ加速度を維持できるのに対し、気動車ではエンジン回転数が増すにつれ加速度が急激に減少してしまいます。自動車のディーゼルエンジンと基本は一緒です。

 最新のものでは、11~15リッタークラスの6気筒エンジンで定格460PS を発生するものもあり、大型トラックのディーゼルエンジンと比較するとおもしろいかもしれません。

 では、山陰本線気動車・演歌骨伝導旅情を紀行ライターの文章で紹介しましょう。

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 さて、城崎を出た気動車は香住あたりで、いよいよ日本海と出会い、真っ暗なトンネルと、どんよりとした海の景色を交互に見せ始めた。今にも泣き出しそうな空模様。

 乗客は私のまわりでは、先ほどの野菜のおばーさんとあと2~3人程。
 みな地元の人ばかりであろう。なんとなく旅行者フゼイは私だけか。鎧という無人駅を過ぎいよいよ餘部に差し掛かる。四年前は通り過ぎてしまったが、今回は降りる。そして初めて外から見上げるのだ。なんだかワクワクしてきた。

 トンネルを抜けいきなり空中に飛び出したような錯覚に陥ると、気動車は餘部鉄橋の上である。

 真下は餘部集落。少し視線を前に向けると相変わらずどんよりした日本海。餘部(余部でもよいらしい)駅はその鉄橋を渡りきったところにある無人駅である。ホーム上にはトイレ付きの倉庫のような待合室と電話ボックスがあるだけ。結局私以外は誰も降りなかった。

(出展:弘法倶楽部第2号「弘法大師伝説をたずねて」)

 ⇒ 餘部鉄橋を骨で聴く

 演歌の世界はやはり骨伝導だと感じます。

 ⇒ 驚異の骨伝導

             


みたらし団子を骨で聴く

2008-02-12 18:12:26 | 骨で聴く癒しの世界

 みたらし団子は、京都の下鴨の加茂みたらし茶屋が発祥といわれています。

 下鴨茂神社の境内に御手洗池があり、ここの水泡を模して団子がつくられたといわれているそうです。下鴨神社は通称で、正式には賀茂御祖神社といい、旧社格は官幣大社です。

 上の画像は秩父某所の団子です。
 やはり旅には団子が似合います。歯でかみ締めるときの感触がなんともいえません。このときの音を耳だけでなく骨で聴くことにより、脳波すらも「旅」と癒しのモードになる気がします。

 骨で聴くには骨伝導です。

 特許技術を使いましょう。でも、その前に骨伝導の驚異の秘密を探るのもいいかもしれません。団子から骨伝導へ…

 ⇒ 骨伝導の驚異の秘密とは

          

あくびを骨で聴く

2008-02-11 09:32:07 | 骨で聴く体験記

 寒い2月の連休。
 朝は眠くてベッドからでるのも大変です。

 春ならネコもあくびです。

 ⇒ ネコのあくびを骨で聴く

 そして人でも以前と同じ光景が展開されます。

 ⇒ 寝起きを骨で聴く

 同じ画像なだけでした。

 実は、再びあくびを骨伝導で聴いた衝撃が、以前に経験したものと少し変改しているように感じたからです。どこが違うか?
 うまくコトバでは言い表せません。

 とにかく骨伝導を勉強してください。

 ⇒ 骨伝導とは何か?

 今日も天気は上々、骨で聴く旅に出かけます。