骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

下山口駅を骨で聴く

2009-03-24 15:39:16 | 骨で聴く鉄道駅

 西武線といえば、池袋と新宿という東京、いや日本を代表するターミナル駅を基点とした路線を展開しています。その二つの本線からそれぞれ支線が出ているのも、大手私鉄ならではといえます。

 西所沢から出ている支線は、西武狭山線です。終点は西武球場前駅で、ライオンズ・ファンにはおなじみの場所です。
 始発と終着の二つの駅に挟まれた小さな駅が、下山口駅です。

 ⇒ 西武鉄道下山口駅

 1日平均の乗降人員は、1万人にみたない9,266人(2007年度実績)で、駅としての規模も小さいわりに、なぜか存在感があります。
 
 そもそもこの西武狭山線は、1929年に西武鉄道の前身である武蔵野鉄道により開設された歴史ある路線であるものの、戦時中に政府から不要不急線として廃止命令を受けたことで、路線の休止時期があったという珍しい過去があります。
 戦後の1951年に復活し、1978年には終点に当時の西武ライオンズ球場が開設され、路線の様子が一変しました。

 この路線の駅の名称も変遷を見せます。

 昭和8年 - 上山口駅を山口貯水池駅に、
        村山公園駅を村山貯水池際駅に

 昭和16年 - 山口貯水池駅を上山口駅に
        村山貯水池際駅を村山駅に

 昭和19年 - 路線休止

 昭和26年 - 再開

 昭和29年 - 休止中の上山口駅と下山口駅を廃止

 昭和51年 - 下山口駅再開業

 上記のようにこの路線と駅の変遷は、何だかよく分からない運命に踊らされているようです。だからこそ存在感を感じるのでしょうか? 分かりません。

 こんな小さな駅をいつものように骨で聴きます。
 米軍採用の骨伝導特許技術のスピーカーは、複雑な歴史を持つ駅にピッタリです。ヘッドセットを装着して、骨伝導で音声が広がります。

 ⇒ 骨伝導の秘密を知りたい方はこちらへ

                                  


神田・幽霊坂を骨で聴く

2009-03-23 15:42:51 | 骨で聴く体験記

 東京には「幽霊坂」とよばれる坂道がいくつかあります。
 江戸庶民の文化が坂の名前に残っているのかもしれません。

 試しに『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみると、以下のように出てきました。

  • 幽霊坂 文京区 目白台二丁目(日本女子大学わき)
  • 幽霊坂 港区 三田四丁目(前述)
  • 幽霊坂 千代田区 損保会館前
  • 幽霊坂 千代田区 ニコライ堂:北側
  • 幽霊坂 新宿区 牛込弁天公園:南側
  • ゆうれい坂(幽霊坂) 品川区 品川ろう学校前(南品川五丁目) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 この中で 千代田区の御茶ノ水駅にほど近い幽霊坂をたずねました。
 案内標識には以下のように記されていました。

 この坂を幽霊坂といいます。
 もとは紅梅坂と続いていましたが、大正13年(1924)の区画整理の際、本郷通りができたため二つに分かれた坂になりました。

 「東京名所図会」には、「紅梅坂は」「往時樹木陰鬱にして、昼尚凄寂たりしを以って俗に幽霊坂と唱えたりしを、今は改めて紅梅坂と称す」とかかれています。

 また古くは光感寺坂とも埃坂などとも呼ばれていたこともあるようですが、一般には幽霊坂の名でとおっています。


 幽霊坂とよばれる割には、都会の中の明るい坂道のような感じがします。
 ただ、人通りが少なく、夜中にはされなりの雰囲気を現代でも出すのかな、と思ったりします。
 骨で聴きましょう。
 骨伝導の特許技術です。

 耳では聞こえない音を骨で聴きます。

   ⇒ 骨で聴くドットコム

                         

 



駒込駅を骨で聴く

2009-03-18 16:27:20 | 骨で聴く鉄道駅


 東京の山手線の中では比較的地味な駅といえるかもしれません。
 傾斜した地形に駅があるため、西側が掘割、東側が盛土上にホームがあります。こんな構造の駅は多摩丘陵を開拓した沿線でよく見かけますが、ここは正真正銘の山手線沿線です。

 駅のすぐ西側には本郷通りが横断しています。駒込橋で駅の横を通り抜けています。
 この雰囲気はすぐ隣の巣鴨駅と似ています。巣鴨駅の場合は白山通りが駒込駅の北郷通りと同じような位置関係になっています。また駅前の雰囲気も何となく似ている感じがするので、まるで双子のような駅に感じてしまうのは私だけでしょうか。

 ちなみに地下鉄の位置関係も似たようなものです。ただし、開発の歴史は巣鴨が早く、地下鉄開通も都営三田線と東京メトロ南北線では、やはり巣鴨を通る三田線の方が古いのはいうまでもありません。

 駒込駅に来たら、ぜひとも行きたい場所があります。(と、いっても一般向けではないかもしれませんが)

 駒込駅から田端方面へ約400m程度行ったところに、山手線唯一の踏切があるのです。第二中里踏切という名称だそうです。東京の大動脈ともいえる山手線だけに貨物線を除いてすべて立体交差化されている中で、唯一取り残された感じがする踏切です。

 ここで骨伝導の出番です。
 電車の音、踏み切りの音を骨で聴きましょう。
 骨伝導サングラスでは、お気に入りのBGMをとめ、駒込の懐かしい音を骨で聴くのです。忘れかけていた音に触れるはずです。

 ⇒ 骨伝導を使って異空間へ

                               

 

駅から田端方へ


ニコライ堂を骨で聴く

2009-03-09 13:28:27 | 骨で聴く巡礼旅

 ハリストス正教会以来のロシア正教訪問です。
 
   ⇒ ハリストス正教会を骨で聴く 

 東京の御茶ノ水駅近くにあるニコライ堂は、日本の重要文化財に指定されていて、正式名称は東京復活大聖堂といいます。
 ロシアの建築家であるミハイル・シチュールポフにより基本設計図が作成され、建築家ジョサイア・コンドルが監督したニコライ堂は、1891年に竣工しました。現在と違い、完成当時は都心近いとはいえ近隣に高層建築がなかった関係で、かなりの遠方からでも、この堂々とした建築物が望めたといいます。

 ロシア正教は起源がギリシア、というよりも東ローマ帝国に遡ることができます。
 キリスト教といえばカトリックやプロテスタントと思われている方には馴染みが薄いのは当然かもしれませんが、歴史的にも古く、文化的にも見るべきものがたくさんあります。
(※これは景教・ネストリウス派にも共通しますが…)

 ニコライ堂は手軽に行くことができ、見慣れない建築物に圧倒されます。
 ここを耳ではなく骨で聴くことはそれだけで意味があります。

 骨で聴く世界の醍醐味です。
 まずは骨で聴くこと、骨伝導を知ってください。

   ⇒ 骨伝導専門サイト「骨で聴くドットコム」

                                       

レッドアロー号を骨で聴く

2009-03-05 16:29:29 | 骨で聴く鉄道駅


 西武鉄道の特急電車・レッドアロー号です。
 西武ライオンズのイメージカラーが青なのに対して、特急電車は「赤い矢」になります。歴史は古く、1969年に西武秩父線開業とともに誕生した特急電車です。

 最初は主に池袋線と西武秩父線の速達電車で、ビジネスよりは観光色が強いものでした。しかし今では小田急のロマンスカーがそうであるように、通勤などにも使われ、ちょっと贅沢、確実な着席の移動手段という側面も強くなりました。

 現在では新宿線でも定期運行され、列車名も新宿線内は「小江戸」、池袋・秩父線内は「ちちぶ」「むさし」 があります。

 このレッドアローの魅力は何といってもシートです。
 シート間の間隔が広く、実に快適です。

 シンプルで味気ない車内ですが、長時間乗車するわけではなく、しかも日常の延長にある特急電車ですから、むしろ好感が持てます。

 こんな西武特急レッドアロー号に骨伝導ヘッドセットを装着して乗車します。
 骨で聴く西武特急は、見慣れた街の音を浄化してくれるようです。
 
 ただし、いくら骨伝導でも携帯電話の場合はデッキで使います。

  ⇒ 骨伝導専門サイトへ

 ここでレッドアロー号に最適な骨伝導ヘッドセットを探しましょう!


     



車返しの弥陀伝説を骨で聴く

2009-03-04 13:45:11 | 骨で聴く巡礼旅


 平安時代末期、奥州藤原氏・第3代当主、藤原基衡の嫡男にして<WBR>鎮守府将軍である藤原秀衡はご存知の方も多いでしょう。

 歴史小説などでも英邁な君主として描かれることが多い(出典:ウィキペディアWikipedia)という秀衡には、時の鎌倉幕府将軍である源頼朝はその武運をたいそう羨んでいたといいます。

 あるとき頼朝は、秀衡が負け知らずなのは運慶の手になる弥陀三尊を日夜拝んでいるからだという噂を聞きつけました。頼朝はこの弥陀がどうしても欲しくなり、何度も秀衡に使いを出して譲ってくれるよう頼んだようです。

(以下引用:早稲田の民話(21)所沢編)

 秀衡は大事にしている弥陀三尊を手放したくはなかったが、将軍の頼みとあっては断るわけにもいかない。ついに、弥陀を頼朝に贈ることに決めた。

 そこで弥陀三尊を立派な厨子に収めて車に乗せ、数十人の従者に守らせて鎌倉へ向け出発した。長い道のりを無事に旅し、ようやく現在の東京都府中市の付近まで来たところ、急に車が動かなくなってしまった。従者たちが力をあわせて押してもびくともしない。そこでとりあえず使いの者が大急ぎで鎌倉に行き、頼朝にこのことを報告した。

 頼朝は仕方なく「奥州に送り返すように」と指示した。そこで従者たちが車の向きを変え引き返そうとすると、不思議なことに車は何事もなかったように軽々と動き出した。このようなことがあったので、後にこの村を「車返村」と呼ぶようになった。

 その頃、山口堀ノ内村(現在の所沢市山口)の小さなお堂に旅の僧がひとり座禅を組んでいた。ある夜の夢に弥陀三尊が現れ、こう告げた。

 「私は府中の車返村というところにいる。長くお前の禅室に住もうと思うから、早く迎えに来るように」

 言い終わるなり、弥陀三尊は南に向かって飛び去っていった。
 僧が夢から覚めても、庵室の中には弥陀三尊の残した金色の光が満ちていた。
 翌朝になって僧はさっそく府中に赴いた。しかし車返村の名を知っている人は誰もいない。たまたま通りかかった老人が「奥州に帰る阿弥陀様がある」と教えてくれた。

 僧は弥陀三尊の乗った車を探しあて、従者たちに夢の話をした。従者たちもその不思議さに心打たれ、弥陀三尊を旅の僧に渡すことを承知した。
 堀ノ内村に帰った僧は、小さな草ぶきのお堂にこの弥陀三尊を奉り、毎日経をあげて敬った。

 後に来迎寺(所沢市山口)に奉られたこの弥陀三尊はたいへん霊験あらたかで、遠くから参拝に来る人が後を絶たなかったと言われている。

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 所沢武蔵村山立川線という道路があります。
 交通量は多い道路です。西武ドームに近く、周囲は典型的な東京郊外の住宅街といった雰囲気です。こんな何の変哲もない道路から奥に入った場所に来迎寺はあります。もちろん伝説の阿弥陀様も祀られています。

 新編武蔵風土記稿を勝手に意訳すると、江戸時代の末にはかなり認知されていたような気がします。

 こんな伝説の残る寺院に骨伝導機器を装着して参拝に出かけます。骨で聴く巡礼旅の真骨頂です。耳ではなく骨で聴くは、伝説を脳へと伝えるような気がします。これが科学的にシータ波だとかという論議は、ここでは意味がなさそうです。

 ただ骨で聴く。

 それだけのことです。
 交通量の多い都市部での巡礼旅は、難聴者には危険です。そういう観点だけで骨で聴く巡礼旅を捉えてもかまいません。それだけでも価値が分かります。
 それ以上のコトバは不要です。

 骨伝導の旅に多くの理屈をつけてきませんでした。これからもそうします。

 ⇒ 骨伝導専門サイトへ