骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

栗原氷川神社を骨で聴く

2014-07-22 15:18:19 | 骨で聴く巡礼旅
東武線の西新井駅から環七をこえて住宅街に入った一角に鎮座する栗原氷川神社です。
今回はこの氷川神社へ最先端の骨伝導機器とともに参拝です。

創建年月は不詳ですが再建された記録は残っていて、天正2年(1574年)だといいます。
「上古 武蔵国造・出雲臣は、大宮に祖神氷川社を奉斎す。やがて陸羽街道と見沼荒川の水徳を得て、ここに治水発展の神を奉祀する事 歴々たり」
この地域は栗原村とよばれていましたが、その村の鎮守社だったようです。
天正2年(1574年)以降は八幡神が合祀され、明治5年に村社に指定、大正元年に近在の無格社天祖神社、無格社稲荷神社、無格社神明社を合祀して今の形になりました。

道路に沿って鳥居があり、その先には社務所があります。
直角に右折して二の鳥居です。



その先の左手に手水舎、正面に瓦葺きの入母屋造の拝殿があります。本殿は覆殿の中にあるようです。
90℃の角度で参道が曲がっている神社は怨霊を封じているといわれますが、ここははたしてどうでしょうか?
社務所の位置から考えて道路と交差点の都合のようでもありますが、真実は分かりません。

意外と広い境内で、特筆するようなものは何もありませんが、村の鎮守社だったことから地域の「広場」としての役目も担っているのが分かります。片隅には松や銀杏が茂っています。夏の強い光を避け、静かに参拝するのが似合う神社だといえます。

米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともにそんな栗原氷川神社の周囲の音声を聞きます。
耳だけでなく骨でも聴くことで、何となく心が落ち着くのは、単なる気のせいでしょうか?

世界最先端の骨伝導ヘッドセットを騒音環境だけでなく、神社境内でもぜひお試しください。キャンペーン継続中です。

     → 今すぐ骨伝導の異世界へ

かつての村の鎮守社だった神社は、確かに今にも残る「格式」のようなものがあります。
おそらくそれはドイツで小さな村にもあったマルクト広場に共通するものかもしれません。だからこそ、骨伝導の異次元の体験を神社でも体験されるのをお勧めしています。

向方南遺跡を骨で聴く

2014-07-14 10:53:03 | 骨で聴く癒しの世界
フジテレビ系列の「とくダネ!」で取り上げられたり、日経ビジネスでも記事のある骨伝導の特許保有メーカーは、杉並区にあります。米軍に認められ、採用された世界最先端の技術力を誇るメーカー本社が住宅街の杉並区にあるのは少し意外といえます。

そして杉並区の方南は、世界屈指の骨伝導技術を誇るメーカーの所在地だけでなく、遺跡も多くある場所です。
以前から周辺の遺跡について取り上げてきました。都内の遺跡ですから跡形もない場所になっていたり、学校や神社だったりしています。

     → 堀之内熊野神社を骨で聴く(縄文遺跡と後期古墳時代の遺跡)
     → 釜寺東遺跡を骨で聴く(縄文時代後期と古墳時代後期の複合遺跡)
     → 方南峰遺跡を骨で聴く(縄文時代中期~後期・弥生時代後期の出土)
     
今回足を運んだのは向方南遺跡です。
杉並区方南1丁目51番・52番一帯で、神田川右岸の台地縁辺部から低地部に立地しています。

発掘調査により縄文時代と近世以降の遺構・遺物が発見されています。
縄文時代早期前葉の土器と石器が多く発掘され、出土したのは359点で、土器破片の多くはまとまった範囲で接合し、四個体の土器の形状を復元できたとのことです。
この時代の土器が形状を窺い知れるまでに復元できる事例は少ないといいます。

武蔵野台地の石器群の典型的な組み合わせをもつ発掘結果だったようです。
向方南遺跡は神田川流域の縄文時代早期を代表する遺跡の一つであると評価されました。



しかしこの遺跡の場所に行っても何もありません。
杉並区立方南児童館があり、その先に学校があるだけです。

それでも太古より人々が居住してきた場所で、世界最先端の技術が生まれたと思うと、何ともいえない気分になります。
そんな米軍採用・特許技術の骨伝導製品ですが、軍隊だけでなく、難聴者や騒音の激しい工場、バイク用など、一般の方々にも身近になりつつあります。

     → 世界最先端の骨伝導技術を気軽に!

遺跡が裏付ける杉並区のパワーを感じてください。

特急「とき」を骨で聴く

2014-07-11 11:54:34 | 骨で聴く鉄道駅
特別天然記念物・国際保護鳥に指定されている佐渡島のトキ(朱鷺)にちなんだ特急の名称で、上越新幹線の開業時には各駅停車タイプの列車として名称が残りました。
しかし、1997年に東北・上越新幹線の列車名が運転区間別に変更され、「とき」は廃止されることになりました。

新潟県内では「復活」を求める声が強く、新潟県などの関係機関からもJR東日本に対し列車名を「とき」に変更するよう要請が行われました。
折りしも「とき」の代わりに上越新幹線で新潟まで結ぶ「あさひ」が、長野新幹線の「あさま」と似ていることから誤乗車が増え、JRのみどりの窓口でも発券端末での発券ミスを防ぐことが必要でした。

そこで2002年12月1日のダイヤ改正で「あさひ」から「とき」に変更され、見事に復活を遂げたのでした。逆に「あさひ」は廃止されることになりました。

そんな「とき」ですが、新幹線以前の1962年(昭和37年)に長岡駅 - 新潟駅間の電化が完成したことで誕生しました。
上野駅から新潟駅までを、高崎線・上越線・信越本線経由で運行する上越線初の特急列車でした。当時は上野駅 - 新潟駅間の所要時間は4時間40分でした。

1972年(昭和47年)には7往復が運行され、新潟駅までの所要時間も3時間51分に短縮されていました。
同年10には、さらに3往復増発されて10往復になりました。このときにエル特急になりました。

1978年(昭和53年)10月には14往復まで運行本数を増やしました。

在来線の特急としては、1982年(昭和57年)11月に「とき」は「はくたか」とともに上越新幹線の開業によって廃止されました。


  上野 
  大宮 
  高崎  
  渋川  
  水上   
越後中里   
越後湯沢 
  石打   
 六日町   
  浦佐   
  小出 
 小千谷   
  長岡 
  見附    
 東三条   
  加茂    
  新津    
  新潟   
     
懐かしい停車駅を掲載してみました。全列車が停車するのではなく、時間によって、ある程度の停車パターンがありました。
現在の上越新幹線とは比較にならないほど、ゆうくりとした行程であったのは事実です。

それでもなぜかこの時代のエル特急は旅情にあふれていた気がします。

いつか、現在の最先端技術である骨伝導も、こんなふうに懐かしいレベルとなるのでしょうか?
ただ現在では米軍採用の特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットは最強であることは間違いありません。むしろ、これがどこまで進化してしていくかが楽しみといえます。

     ⇒ 世界最先端の骨伝導製品

ちなみに画像は、群馬県伊勢崎市です。
伊勢崎市は、特急「とき」で活躍ていた「クハ183-1529」型車両をJR東日本から譲り受け、華蔵寺公園内の遊園地で保存展示しています。先頭車両の全長は21m、全幅2.95m、全高3.95mですから、駅でない場所で見ると意外な迫力があります。

倉見駅を骨で聴く

2014-07-07 10:26:01 | 骨で聴く鉄道駅
東海道新幹線で新横浜・小田原間を走行中にJR相模線を跨ぐ場所があります。
2010年6月の毎日新聞には、ここに将来、新駅を設置する構想があるとの記事が掲載されました。

現在、この交差ポイントのすぐ隣に倉見駅があります。
東海道新幹線だけでなく、相鉄いずみ野線も湘南台から倉見駅周辺まで延伸される構想もあるといいます。

そんな倉見駅ですが、1926年(大正15年)4月に寒川駅から相模鉄道線が延伸開業したときの終着駅として開業しました。しかし終着駅の歴史は長くなく、7月に厚木駅まで延伸開業したことで途中駅となり、さらに1944年(昭和19年)には相模鉄道が国有化され、国鉄相模線の駅となりました。

1日平均乗車人員が1,837人という小さな駅ですが、倉見駅は何と言っても駅舎が特徴的です。
開業当初からのコンクリート造りで、アーチ型の入口が目を引きます。

相模川に平行して走るJR相模線の駅らしく、駅の西側はすぐ相模川です。
周囲には大きな工場もあり、北側には日鉱金属加工、東側にキリンビバレッジがあります。
駅前の道路も線路や相模川と平行して走っています。道幅が狭く、同じく並行する県道の裏道になっています。

大きな特徴を持つ街ではありませんが、アーチ型の駅舎を出て、何の目的も持たずに散策するには適しているかもしれません。意外な発見がありそうな雰囲気です。

ただ県道まで出ると、かなりの交通量で、おそらくこれは圏央道がこの区間は未開通であることを考えると、いずれ状況に変化があるかもしれません。
交通量の多い場所ではクルマの失踪する音、大型トラックの重いディーゼル音が響き、携帯電話の通話にも支障が出やすいといえます。そんあときには骨伝導ヘッドセットです。

耳を使わずに通話ができれば、工場が多く、交通量の多い場所でもクリアな音声を確保できます。
倉見駅周辺でも骨伝導ヘッドセットが活躍できる場所がおおくあります。

しかし、骨伝導ヘッドセットであれば、何でも良いというわけではありません。
骨伝導スピーカーの性能の差が大きく関係さいてきます。その点、米軍の爆音下で実績の特許製品は安心です。

   ⇒ 人気のBluetooth対応骨伝導ヘッドセット

もしここに東海道新幹線の駅ができたら、寒川だけでなく厚木、伊勢原、綾瀬、海老名の人たちの利便性が増すかもしれません。
しかし、乗降客数が圧倒的に多い小田急線から相模線に乗り換える場合は、ローカル駅の厚木駅になるため、果たしてどうなのか、まだ何ともいえません。

勝利八幡神社を骨で聴く

2014-07-02 09:59:41 | 骨で聴く巡礼旅
勝利八幡神社の名で知られる東京都世田谷区桜上水にある神社は、必勝祈願・勝運向上に霊験があるということで、特にスポーツ関係者の参拝が多いといいます。

旧上北沢村の鎮守で、創建されたのは1026年(万寿3年)、石清水八幡宮を勧請したことによります。
場所は京王線桜上水駅から南に向かい、七差路を東に向かった先にあります。隣は小さな児童遊園です。
周囲は住宅街と日大グラウンド、日大櫻丘高校、日大文理学部、世田谷区立緑丘中学などがあり、文教地域となっています。

八幡神社といえば源氏の氏神で、世田谷区や杉並区には源氏関連の神社が点在しています。これは鎌倉街道のルートに影響すると思われます。また、世田谷といえば吉良氏で、この祖は河内源氏になります。

こんな背景から想像すると、この勝利八幡神社も源氏の戦勝祈願から戦勝御礼という由来があるのでは、と思ってしまいます。
しかし由来は全く異なります。

日露戦争に徴兵され出征した氏子が無事に帰ってきたことに由来するようです。

この神社で注目すべきは旧本殿です。



世田谷区最古の社殿建築がこの勝利八幡神社の旧本殿なのです。天明8年(1788)の再建といわれ、世田谷区指定有形文化財となっています。
境内は社殿が綺麗に整備されていますが、旧本殿は、拝殿に向かって右側に天祖神社、稲荷神社と並んで建っています。
建物としてもの規模は大きくなく、しかも現在は鞘堂に覆われた状態なので、当時の雰囲気は伝わってきませんが、貴重なものであることは理解できます。

都内でも世田谷区の八幡神社は比較的清涼感を感じる場所が多いのですが、ここもまさにそうだといえます。
学生たちの声が遠くから聞こえそうで、最先端の骨伝導ヘッドセットを使って耳だけでなく骨でも聞きます。

改めて「勝利」を祈願する声まで骨伝導で届いてきそうです。

     ⇒ 米軍採用・特許技術の骨伝導製品

すぐ近くに珍しい七差路がありますから、あわせて見ていくとおもしろい場所かもしれません。