骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

西武「レオライナー」を骨で聴く

2014-04-28 09:50:26 | 骨で聴く鉄道駅
西武ホールディングスが東京証券取引所1部に上場しました。
西武鉄道は、有価証券報告書の虚偽記載で2004年に上場廃止となっていましたから、西武グループとしては事実上、9年4カ月ぶりの再上場となりました。この西武ホールディングスは西武グループの持ち株会社として設立され、西武鉄道だけでなく、西武バス、プリンスホテル、西武プロパティーズなど53の事業会社を統括しています。

別に再上場を記念して、というわけではないのですが、元西武線沿線住民としては、改めて西武鉄道の電車に乗車してみたくなりました。現在では地下鉄の有楽町線や副都心線、さらには東急東横線にまで西武の車両は乗り入れていますから、車両そのものは珍しくありません。
西武線ならではのコアな電車として、大手私鉄が保有する唯一の新交通システム路線用車両で、西武8500系電車・通称「レオライナー (LEO LINER) 」に乗車しました。

レオはまさにライオンズを象徴し、この車両の先頭部にもレオを象ったペットマーク直下に「LEO LINER」のロゴがあります。

通常の西武鉄道の車両ではなく、新交通システム車両になりますが、この車両は日本国内初となるVVVFインバータ制御を採用したことで知られています。

レオライナーが走る路線は西武山口線だけです。東京都と埼玉県の都県境を跨ぐ路線です。
もともとは「軽便鉄道」でした。1950年(昭和25年)に開業した多摩湖ホテル前駅とユネスコ村駅を結ぶ単線「おとぎ線」で、遊戯施設という扱いでした。
山口線になったのは、1952年(昭和27年)で、地方鉄道法に基づく地方鉄道に転換したことから改称しました。

レオライナーの登場は、山口線が運行開始してから30年以上経過してからです。
西武ライオンズ球場(現在の西武ドーム)の開場により、多摩湖線西武遊園地方面から西武ライオンズ球場へのアクセス改善が求められたことと、山口線そのものの更新時期を迎えていたことから、新たな路線として更新・整備することとなり、レオライナーの登場となったのです。

コンクリート製軌条とゴム製タイヤを用いた路線に変身したことで、乗り味は他の鉄道路線とは明らかに違います。また遊園地やゴルフ場が車窓に広がるので、日常的な空間とは異質な気分が楽しめます。

そんなレオライナーに揺られながら米軍採用の特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットを堪能すれば、さらに格段と異次元への旅になるかもしれません。
キャンペーンは一部だけになりましたが、それでも「全額返金保証」の製品もあります。

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西武の再上場はともかく、久しぶりのレオライナー乗車は充分に楽しめました。ぜひ骨伝導機器と一緒に楽しんでください。

皆中稲荷神社を骨で聴く

2014-04-24 11:30:42 | 骨で聴く巡礼旅
東京のコリア・タウンとして知られる新宿の百人町は、内藤清成が率いていた伊賀組百人鉄砲隊の屋敷があったことが地名の由来です。
百人組と呼ばれた鉄砲隊は、江戸の街の警護担当でした。その中でもトップを争うほどの腕前であったといわれています。

そんな鉄砲隊に関係する神社がJR山手線の新大久保駅からJR中央線の大久保駅に向かった先、大久保通り沿いにあります。皆中稲荷神社です。

鉄砲隊の隊士が稲荷の霊夢により百発百中の腕前に上達したことが起源だといわれています。皆中は「みなあたる」という意味になり、江戸時代は鉄砲組から信仰を集めていたといわれています。
その後「当たる」ものに利益があるということで、鉄砲隊だけでなく庶民にまで人気を集めてきました。これは現在でも続いていて、「賭けごとの神」として親しまれ、さらには「当選」や「合格」にも繋がるご利益となっています。



宝くじや試験の合格祈願にたくさんの方が参拝する神社ですが、ロケーションとしては商店街から住宅街に入る場所で、風情や情緒という言葉とは無縁です。
境内の入り口は喧騒の大久保通りで、二つのJRの駅の狭間にありますから、クルマだけでなく人の流れも多くあります。
喧騒の人ごみから聞こえてくる会話も、場所柄日本語とは限りません。時間帯によってはむしろ日本語のほうが少ないといえます。海外の留学生も多く往来するエリアです。

「勝運」のパワースポット神社といわれていますが、ここでは喧騒の中で快適に通話の出来る骨伝導ヘッドセットの凄さもよく分かります。米軍の爆音の中でも無線通話を可能にした特許技術の骨伝導スピーカーの威力は、こんな場所でこそ威力が発揮されます。

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都内でも異質な空間が広がる大久保エリアですが、歴史的な意味を持ち、現在まで続くご利益・信仰を持つ神社としては貴重といえます。
宝くじを買って、骨伝導ヘッドセットを装着したら、まずはここへ参拝! これが良いかもしれません。

誕生八幡神社を骨で聴く

2014-04-22 10:02:31 | 骨で聴く巡礼旅
「目黒のさんま祭り」が行われる中心的な場所に誕生八幡神社は鎮座しています。
JR・地下鉄・東急の目黒駅から目黒通りを少し歩いた場所です。目黒とはいっても目黒区ではなく品川区上大崎です。

何とも奇妙な名の八幡神社ですが、この神社の由来を見ると頷けます。
創建は文明年間(1469年~1487年)で、太田道灌が夫人の懐妊にあたって、筑前国(現在の福岡県)の宇美八幡をこの地に勧請したことによります。無事に男の子が生まれ、「誕生八幡」と呼ばれるようになったといいます。そのため安産の守り神とされています。

目黒通り沿いで駅からも近い立地ですから、鎮守の森のような境内はありません。小さな都会の神社ですが、それでも目立つのはイチョウの存在があるからかもしれません。

品川区指定文化財・天然記念物第21・22号に指定されている樹木は、誕生八幡神社の鳥居のところにあります。
昭和45年(1970年)に神社の移転改築で現在地に移植されたものです。残念ながらその際に切り詰められてしまいましたが、それでも移植にも耐え、旺盛な勢いを見せながら目黒通りと神社の聖域を見守っています。




因みに天然記念物第21号は、幹囲3m25cm、樹高14m50cmで、第22号は、幹囲2m71cm、樹高11m50cmという大きさです。樹齢はいずれも推定250~300年といわれています。

また、誕生八幡神社は、階段を登り、社殿の左側にも小さな社殿があります。
この小さな社殿は「重箱稲荷」と呼ばれています。

重箱稲荷という名も何とも奇妙な名です。
もともとは六軒茶屋町(現在の上大崎2丁目)に鎮座していたようですが、明治42年に誕生八幡神社へ移されました。
この「重箱稲荷」の名にも由来があります。

(以下、しながわ観光協会より抜粋・引用)

三代将軍徳川家光がこのあたりへタカ狩りに訪れた時のことです。
「獲物をつかまえるなら今じゃ!」。将軍がそう思ったとき、大空高くタカが放たれました。しかし、どうしたことか、タカは獲物には見向きもせず、はるかかなたに飛んで消えてしまいました。「どこへ行ってしまったのじゃ……?」。将軍も家来の武士たちも、途方にくれてしまいました。タカがいなくなってしまっては、どうにも狩をすることはできません。
がっかりしていたところ、将軍は道ばたにひっそりと建つ小さな稲荷神社を見てハッとひらめきました。持ってきた重箱のお弁当を稲荷社におそなえしようと考えたのです。
「タカよ、戻ってまいれ……」。将軍がいっしょうけんめいお祈りしていると、不思議なことにタカがどこからともなく戻ってきたのです。とても喜んだ将軍は「狩りを続けるぞ!」と帰ってきたタカを連れ、再び出かけて行きました。
この重箱はそのまま社殿にそなえられ、稲荷社の宝として大切に守られました。このことから「重箱稲荷」という名前で呼ばれるようになりました。


この逸話には続きがあって、家光の持っていた重箱は、徳蔵寺に納められていましたが、嘉永3年(1850年)の大火事で徳蔵寺ともども焼失してしまったといいます。

駅から近い商業地に江戸時代のこんな話の残る神社は、都内にはたくさんあります。
クルマが疾走する目黒通りは騒音も激しく、路上での通話には骨伝導ヘッドセットが便利といえます。参拝もできれば耳だけでなく骨からも聞きたいものです。そのためには、骨伝導機器といっても米軍で使われている特許技術を活かした性能でないとお勧めできません。

     → 米軍採用・特許技術の骨伝導機器

喧騒の街の中、ひっそりと鎮座する神社。
この対比こそ骨伝導巡礼の醍醐味ですが、この誕生八幡神社はまさにピッタリでした。

赤坂・日枝神社を骨で聴く

2014-04-21 10:25:52 | 骨で聴く巡礼旅
オリジナルの「リカちゃん」が、「日枝神社の巫女リカちゃん」として、日枝神社、タカラトミー、博品館で共同開発した七五三限定モデルとしてあります。また、「第12回全日本国民的美少女コンテスト」グランプリを受賞した女優・工藤綾乃がこの「リカちゃん」の“広報大使”として就任したこともありました。

そんな異色なことを行った東京・永田町にある日枝神社ですが、旧社格は准勅祭社で東京十社のひとつ、官幣大社にまで昇格した神社です。

創建年代は不詳ですが、文明10年(1478年)に太田道灌が江戸城を築城するに際して、無量寿寺(現在の埼玉県川越市の喜多院・中院)の鎮守・川越日枝神社を勧請したのが始まりといまれています。

徳川家康が江戸に移封されたときには、江戸城内の紅葉山に遷座することになりました。
しかし、慶長9年(1604年)に、秀忠による江戸城改築が行われた際に江戸城外の麹町隼町に遷座されました。

明暦3年(1657年)には大火により社殿を焼失し、万治2年(1659年)に家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあてたことで、現在の場所へと遷座することになりました。
この場所こそ、江戸城の裏鬼門に相当します。

日本の首都を司る国政の中枢が千代田区永田町ですが、現在地の日枝神社はまさに日本の核となる部分の緑多い高台に鎮座していることになります。
実際、国会議事堂にも近く、道路を挟んだ隣には衆議院の議員会館もあるという位置になります。

明治元年(1868年)東京奠都の際に准勅祭社に指定され、明治3年(1871年)に神祇官直下から東京府管轄へ、明治15年(1882年)に官幣中社へ、そして大正元年(1912年)には官幣大社へと昇格していきました。

しかし昭和20年(1945年)の東京大空襲では社殿が焼失してしまい、昭和33年(1958年)に再建されました。

日枝神社というのは、山王信仰に基づいた比叡山麓の日吉神社から勧請を受けた神社の社号で、全国的にそれほどの数があるわけではありません。なぜか東京の縁結びのパワースポットのひとつにもなっているようです。



そんな婚活パワースポットとしての知名度とは裏腹に、2008年(平成20年)6月13日には、赤坂日枝神社内巫女強姦事件が起きたことでも知られています。

日枝神社内で巫女が神職に強姦された事件ですが、この事件の特異なことは、強姦犯は逮捕されることなく、警視庁から東京地方検察庁に書類送検されたことです。警察が強姦犯を逮捕しなかったのは異例なことで、しかも当時の報道から分かることは、東京地方検察庁が起訴に消極的であったことです。そのためか、捜査当局へ圧力がかかったとの見方が一部の報道でありました。

リカちゃん、出世していく社格、縁結パワースポット、強姦事件と、様々な顔を持つ日枝神社ですが、圧倒的な存在感を示していつのは間違いなく、ある意味で「東京の顔」ともいえます。

そんな日枝神社の境内に立ち、耳だけでなく骨からも周囲の音声を聞きます。
最先端の特許技術で、米軍に採用された骨伝導機器を使います。逆にそこまでの性能でなければ、この地で骨伝導ヘッドセットを使う意味がありません。

     → 驚異の技術を体験! 最先端骨伝導機器

首都・東京が機能する真横に鎮座する日枝神社には、骨伝導を通しても何だか分からないパワーがあるように感じられます。

浅野内匠頭邸跡と芥川龍之介生誕地を骨で聴く

2014-04-16 09:51:06 | 骨で聴く癒しの世界
忠臣蔵で知られる浅野内匠頭の邸跡と芥川龍之介の生誕地は、すぐ隣でほとんど同じ場所といえます。意外と知られていないことですが事実です。

東京の築地界隈で聖路加病院の周囲は、意外な見所が多く、改めて歩いてみると歴史だけでなく周囲の独特の雰囲気を充分に味わうことができます。
今回はそんな築地の片隅にある史跡へ、最先端の米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともにたずねてみました。

聖路加国際病院と河岸地を含む一帯は、赤穂藩主・浅野家の江戸上屋敷があった場所です。その広さは8,900余坪といわれます。
築地川に面していたようですが、現在では埋め立てられてあります。
元禄14年(1701年)3月14日、江戸城内松の廊下で吉良上野介に斬りつけました。その咎で即日、切腹を命ぜられました。
このことで広大な上屋敷は没収されてしまいました。

浅野家の立退きのときの伝説も残っています。
屋敷の後方に多くの船を用意し、重宝什器を始め、家中の財産家具を積み載せました。その際にそれぞれ番号の札を付けて運搬させたといいます。
この合理的な手法により混雑もなくその夜のうちに方付いたという伝説です。

現在では「都旧跡 浅野内匠頭邸跡」の石柱が聖路加看護大学の横にあるだけになっています。その石柱の右側、距離にしてわずか10m少しの場所に芥川龍之介生誕の地の説明板が立っています。



芥川龍之介の生誕地は、赤穂藩主・浅野家の上屋敷があったところと重なっているのです。
実際には浅野家断絶の後に他家の屋敷となっているし、時代もかなり隔たっていますから、直接の関係があるわけではありません。
ちなみに浅野家の後は、が田沼玄蕃頭邸や松平周防守邸だったようです。

実は個人的に最も意外に感じたのが、芥川の生まれた時代、この地が乳牛の牧場だったことです。
芥川龍之介は、明治25年(1892年)生まれですが、父親は新原敏三で、現在の聖路加看護大学がある場所で渋沢栄一経営の牛乳販売業耕牧舎の支配人をしていました。

しかし龍之介はこの地に長くいませんでした。
誕生してわずか8ヶ月後に生母のフクが発狂したからです。
龍之介は本所区小泉町15番地(現在の墨田区両国3-22-11)に住む母方の伯父・芥川道章に引き取られることになりました。

浅野家は上屋敷が没収され、芥川龍之介は生まれてすぐに母の発狂によりこの地を離れたという、それぞれの歴史を残した場所です。

築地市場にも近く、聖路加病院のある地域ですから、多くの人々が行きかう一角です。そんな地にそれぞれの歴史が埋もれていたというのも興味深い気がします。
そんな歴史の空気を感じながら周囲の音声を骨で聞きます。

耳だけではなく骨からも脳へと音声を伝えると‥‥

やはり今では大都会・東京の街の音です。
過去の出来事とは関係なく、一定のリズムで時を刻んでいる周囲には、現在では歴史の音は聞けません。それでもこうしてかつての出来事を考えるのも良いかもしれません。

その際には最先端の骨伝導ヘッドセットをお供にしましょう。
骨伝導音声増幅器「きくちゃん」のお得バージョンも正式に発売されました。
しかも全額返金保証です。

     → 最先端の骨伝導機器へ!

築地は市場だけではなく、周囲にお勧めポイントがたくさんあります。
ぜひ骨伝導機器とともに散策してみてください。

駒場東大前駅を骨で聴く

2014-04-15 11:26:42 | 骨で聴く鉄道駅
東京の私鉄・京王電鉄は新宿と渋谷をターミナルにして西側へと延びる路線ですが、わずか一駅だけ目黒区内に駅があります。それが京王井の頭線の駒場東大前駅です。
今回はこの地味な駅に最先端の骨伝導機器とともに降り立ちました。

実はこの駅は井の頭線で最も新しい駅なのです。この駅だけ戦後に開業しました。
しかも意外と知られていないのが、二つの駅が統合されたという事実です。駅名から想像できるように駒場駅と東大前駅です。

現在の駅の北側は東京大学駒場キャンパスの敷地が広がっていて、まさに東大前駅という名にふさわしいわけですが、では駒場駅はどこに? という疑問が出てきます。
実はこれも知られざる事実ですが、東大前駅と駒場駅の駅間距離は極端に短かったようです。調べてみると、何と、現在の駒場東大前駅のホームの長さ分程度の距離だったといいます。

ちなみに現在の日本一短い隣接駅間距離は、土佐電気鉄道後免線一条橋停留場と清和学園前停留場間の84mですが、これはいわゆる路面電車のようなものですから、一般の鉄道では、松浦鉄道西九州線の中佐世保駅と佐世保中央駅間の0.2kmになります。
おそらく東大前駅と駒場駅の駅間もそんな感じだったのでしょう。

駒場駅のホーム跡が残っているのは、下北沢寄りの池ノ上駅へ進んだ場所にある踏切部分です。わずかな痕跡ですが、ここから現在の駒場東大前駅を望めば、確かにこの距離で二つも駅があるのは不合理だと感じます。

東大の駒場キャンパスがあることから学生街という印象を与えるかもしれませんが、商店街はかなり小規模です。駅の南側を東西に走る通りは通称「駒下」といわれ、小規模な個人商店の中に学生を対象とする店舗が少しある程度です。ちなみに「駒下」といわれるのは、標高が東大キャンパスより低いことから名づけられたようです。

学生街にしては閑静な駅周辺で、比較的のどかな印象を持ちます。当然、急行は停車しません。しかし、東大駒場キャンパスで大学入試センター試験や、東京大学入学試験などがある場合には、普段は通過している急行も臨時停車したりします。

そんな駒場東大前駅から周辺を散策しみると、本当に閑静な住宅街であることに気づかされます。活気のある学生街の印象はありません。
東大のキャンパス内で自己完結できるほどの規模がそうさせているのでしょうか。さすがに日本を代表する大学です。

骨伝導機器で耳だけでなく骨からも周囲の音声を聞いていると、高齢者の集団とすれ違いました。どこへ行くのかと思っていたら、旧前田侯爵邸や日本近代文学館のある駒場公園へ行くのだそうです。
少し耳の遠い老人性難聴の方もいます。

閑静な場所とはいえ、クルマの通行はあります。
耳が遠くなったら骨伝導音声増幅器を使用すれば、安全性は向上するでしょう。米軍採用の特許技術を駆使した機器です。
補聴器を嫌がる元気な高齢者のお出かけには、骨伝導きくちゃんが最適だと思います。

     → 高齢者の安全性にまで貢献する「きくちゃん」

そういえば、もう20年以上も前でしょうか、当時の仲間たちと駒場公園へ行ったことがあったことを思いだしました。考えてみると、それ以来、全く縁のない場所だったことになります。当時の友人たちの顔も思い出しながら町を散策することにしました。

東京大仏を骨で聴く

2014-04-14 09:36:36 | 骨で聴く巡礼旅
青銅製の鋳造大仏では、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさを誇る東京大仏は板橋区にあります。

池袋から埼玉県へと延びる東武東上線と、高島平の巨大団地へと向かう都営地下鉄三田線に挟まれた地域です。埼玉県との都県境にも近く、しかも最寄り駅といえる東武東上線下赤塚駅からは徒歩25分、都営三田線西高島平駅からでも徒歩20分という不便な位置です。

そのためか、東京23区内とはいうものの都心独特の喧騒とは無縁で、のどかで落ち着いた雰囲気に包まれたエリアといえます。

この東京大仏のある寺院が乗蓮寺です。
応永年間(1394年-1427年)に了賢無的が山中村(現在の板橋区仲町)にて人々に教えを伝えるために創建したと伝えられている寺院です。




江戸時代の初期には板橋区仲宿に移転し、当時は孤雲山慶学院乗蓮寺と称していましたが、後に慶学山乗蓮寺になりました。
天正19年(1591年)に徳川家康から十石の朱印地が寄進され、その後も歴代の将軍から朱印地が与えられ格式ある寺院となりました。
今でも境内入り口の門扉には徳川家の葵のご紋があります。

昭和の時代になり、首都高速道路の建設と国道17号の拡幅工事の関係で、赤塚城二の丸跡に移転することになりました。昭和48年(1973年)です。
この城跡に移転したのが現在の場所で、山号も赤塚山となりkました。

東京大仏が建立されたのは、1977年(昭和52年)です。
関東大震災や東京大空襲など、悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込めて建立されました。




この東京大仏の製造を担当したのが浅草の仏壇店である翠雲堂でした。
その大きさは、高さが基壇が地上2メートル、蓮台2.3メートル、座高8.2メートルの計12.5メートルというものです。

またこの寺院には、国民栄誉賞を受賞した日本の冒険家・植村直己墓もあります。
1984年にマッキンリーにて消息を絶ち、未だに遺体は発見されていませんが、供養するための墓として境内にあります。

ちなみにですが、「日本三大大仏」とすると、奈良・鎌倉に次ぐものとして、この東京大仏だけなく、岐阜大仏、高岡大仏、兵庫大仏、赤田大仏などが候補に挙がるようですが、これはなぜか「三大~」が好きな日本人特有の感覚として生じた話といえます。

乗蓮寺・東京大仏のあるエリアは武蔵野台地の端に位置し、そのため地図上で見ただけではイメージできないような起伏に富んでいます。都内なので住宅地として整備されてはいますが、緑豊かな閑静な地域で、散策するのも楽しいエリアといえます。

そんな東京大仏を前に、周囲の音声を耳だけでなく骨でも聞いてみます。
米軍採用の特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットにより、東京大仏の与えてくれるパワーを骨から脳へと伝えてくれるような気分になります。とても気持ちの良い感覚です。

     → 特許技術の骨伝導パワー

米軍採用の実績のある骨伝導製品でなければ、ここまでの感覚はないでしょう。
小さな旅ですが、旅情あふれる訪問になった場所ですので、ぜひ骨伝導機器とともにお出かけすることをお勧めします。

野山北・六道山公園の里山民家を骨で聴く

2014-04-11 09:11:46 | 骨で聴く癒しの世界
東京の武蔵村山市にある野山北・六道山公園が春を迎えました。
園内の樹木はコナラ、クヌギ、エゴノキなどの落葉樹林が多く、昔からの里山に活気が出てきました。

そんな公園の一家にある里山民家も子供たちとともに、昔を懐かしむ大人も参加して「里山体験」をしています。ここではたくさんの公園ボランティアが活発な活動を行っています。

この公園は、一般的に想像されるものではなく、広大な丘陵地帯そのものが公園になっているため、里山民家がある場所も宮野入谷戸という自然の谷戸に位置しています。

文字通り、かつては里山として自然の中での人々の暮らしが行われてきた場所です。

このエリアに、江戸時代建築の宮鍋作造家住宅をモデルにして当時の民家を忠実に再現・新築した施設があります。オープンは平成12年(2000年)でした。

昔からの民家を移築したのではなく、新築した建物ではありますが、何ともいえない「古き良き」民家を再現しています。これだけでも一見の価値があります。実際にそんな事実を知らなければ、古民家だといわれても分からないかもしれないほどです。

この民家の周囲には生け垣が囲まれています。
その敷地の中には、母屋のほかに蔵や作業小屋、納屋なども再現されています。この配置もかつての里山の暮らしと風景が見事に再現されています。



母屋は茅葺きので、中に入り、囲炉裏ばたに座って寛ぐこともできます。お弁当を食べながら里山の暮らしを偲んだりするのも良いかもしれません。
里山体験の各種のイベントも頻繁に開催されているので、特に小学生のいる家庭では、かなりお勧めスポットといえるでしょう。

そんな里山民家の周囲の音声を耳だけでなく骨からも聞いてみます。
米軍採用の特許技術を使った最先端・骨伝導ヘッドセットからは、癒しの音が脳へと届きます。日本人のDNAに刻まれたどこか懐かしい原風景の音と、世界最先端の技術が一体化しています。

     → 全額返金保証もある骨伝導機器

春を迎えた里山に弁当持参で出かけるには、最適な場所といえるでしょう。