東京の六本木ヒルズに隣接した場所に、骨伝導ヘッドセットとともに年末の巡礼です。
住所としては港区西麻布となりますが、それにしても神社の名前が「櫻田」というのは、何とも不思議な感じがしましたが、調べてみると櫻田神社の縁起から納得させられるものでした。
治承4年(1180年)に勧進ですが、縁起によると、渋谷重国が麻布に狩りに来た時、ある石窟の前で火を焚いた時に、白狐が現れたので、社を造営したのが起源のようです。このとき「霞山稲荷大明神」として祀り、霞ヶ関を江戸太郎重長が守護していて、居館の鎮守としても祀ったといいます。
文治5年(1185年)には、源頼朝の奥州征伐の途次、この神社に立ち寄り戦勝祈願しました。頼朝は戦勝後、この神社に三十貫の田地を寄付し、御供田のしるしに田の畦道に櫻の木を植えたといいます。このことが起源となって「櫻田」の由来となったようです。
しかし、地名としての桜田郷のという名はすでに平安時代の『和名類聚抄』に見えるようで、江戸でも最も古い集落の一つだったようです。この由来の真偽はともかく、古くから鎮守として祀られていたことは間違いないといえます。
再興したのは太田道灌で、社殿を再興し、太刀甲冑を奉納しました。慶長年間(1596-1614年)に、溜池の台に遷座しました。
さらに寛永元年(1624円)には江戸の整備に伴い、氏子とともに霞ヶ関から現社地に遷りました。江戸城の桜田門は桜田郷の名に因むようです。これで六本木ヒルズに隣接する「櫻田」とつながります。
ちなみに、現在の西新橋の一部はかつての桜田村の一部だったようで、現在も櫻田神社の氏子だそうです。
古い神社ではありますが、境内は狭く、参道も六本木ヒルズ側から路地に入るような感じです。それでも古い歴史に彩られた空間が、こんな場所に存在するというだけで快適です。
喧騒の六本木の街ではありますが、骨伝導の威力を使って参拝すれば古から続くパワーを享受できそうです。最先端で米軍採用の特許技術を駆使した製品でなければなりません。
⇒ 米軍採用の技術を濃縮・骨伝導
2013年から2014年へ、六本木の新旧のパーワーを浴び、さらに骨伝導巡礼は続きます。