練馬区の聖域を骨伝導とともに巡礼するミニ旅行ですが、今日は中村八幡神社を取り上げます。
練馬区の南部に位置し、すぐ南側を新青梅街道、北側を千川通りが通る地域は、北から中村北、中村、中村南という地名になっています。東側は練馬区の豊玉、西側は中野区上鷺宮となります。南北に走る道路の代表格が中杉通りです。
この地域を代表する寺院は瑠璃光山医王寺南蔵院がになります。
練馬区の中村地域は、『新編武蔵風土記稿』によると、多摩郡中鷺宮村だったようです。現在の中野区の鷺宮の地域と関連していたようです。ところが中鷺宮村を略して、「中村」となったという説が一般的だというので、ある意味これは驚きです。かつての地名でいうと、確かに上鷺宮村、下鷺宮村があり、中村地域と隣接はしていたのは事実ですが、二つの村の中間に位置していて中鷺宮となったわけではないので、実際は謎です。
区画はきれいにされていて、碁盤目のように道路が整備されています。駅からも遠いせいか閑静な住宅地がほどんどです。千川通り沿いを除けば、高層建築もなく、住環境は抜群によさそうな印象を持ちます。騒音対策としての骨伝導より、一家団欒のための補助道具としての役目が主になりそうです。
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そんな閑静な住宅地に八幡神社が鎮座しています。
再び『新編武蔵風土記稿』によると、「村ノ鎮守ナリ、南蔵院持」とあります。この地域の中心的寺院である瑠璃光山医王寺南蔵院との距離は、東に約400m程度です。
また北豊島郡神社誌を引用すると、「創立年代不詳ナルモ、徳川時代ヨリ、当中村町ノ産土神トシテ崇敬厚ク、明治七年四月、東京府ヨリ村社二指定セラレ、現在二及ブ」と記され、さらに「氏子 中新井村大字中全部(板橋区中村町全部)四百五十戸」とありますから、この中村地域の中心的な社であったことが分かります。
実際に境内に入ってみると、その歴史的な背景を一気に感じさせてくれるほどの荘厳さを感じます、単なる村社だと侮ることなかれ‥‥です。鳥居をくぐって真正面に見える本殿は、まるでオーラを放っているかのような存在感を示します。社伝によれば、江戸時代前半の建築ということで、練馬区内でも屈指の古建築物ですから、その年月が発するエネルギーを感じるのかもしれません。
骨伝導により八幡神社境内の音声を骨から脳へと伝えると、脳波は完璧なシータ波になりなります。何の変哲もなさそうな神社に見えますが、ここまでのエネルギーを感じられるのは本当にすごいことです。
意外なお勧めパワースポットを発見したようで、なんだか得した気分になりました。もっとも、これは期待値が低かったからかもしれませんので、差し引く必要はあります。それでも練馬区の住宅街にあるそれほど大きくない神社が、ここまで特許技術の骨伝導を刺激するのは意外だったのは事実です。
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