骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

中村八幡神社を骨で聴く

2011-03-31 19:20:18 | 骨で聴く巡礼旅

 練馬区の聖域を骨伝導とともに巡礼するミニ旅行ですが、今日は中村八幡神社を取り上げます。

 練馬区の南部に位置し、すぐ南側を新青梅街道、北側を千川通りが通る地域は、北から中村北、中村、中村南という地名になっています。東側は練馬区の豊玉、西側は中野区上鷺宮となります。南北に走る道路の代表格が中杉通りです。
 この地域を代表する寺院は瑠璃光山医王寺南蔵院がになります。

 練馬区の中村地域は、『新編武蔵風土記稿』によると、多摩郡中鷺宮村だったようです。現在の中野区の鷺宮の地域と関連していたようです。ところが中鷺宮村を略して、「中村」となったという説が一般的だというので、ある意味これは驚きです。かつての地名でいうと、確かに上鷺宮村、下鷺宮村があり、中村地域と隣接はしていたのは事実ですが、二つの村の中間に位置していて中鷺宮となったわけではないので、実際は謎です。

 区画はきれいにされていて、碁盤目のように道路が整備されています。駅からも遠いせいか閑静な住宅地がほどんどです。千川通り沿いを除けば、高層建築もなく、住環境は抜群によさそうな印象を持ちます。騒音対策としての骨伝導より、一家団欒のための補助道具としての役目が主になりそうです。

          ⇒ 補聴器嫌いな難聴者対策・骨伝導

 そんな閑静な住宅地に八幡神社が鎮座しています。
 再び『新編武蔵風土記稿』によると、「村ノ鎮守ナリ、南蔵院持」とあります。この地域の中心的寺院である瑠璃光山医王寺南蔵院との距離は、東に約400m程度です。
 また北豊島郡神社誌を引用すると、「創立年代不詳ナルモ、徳川時代ヨリ、当中村町ノ産土神トシテ崇敬厚ク、明治七年四月、東京府ヨリ村社二指定セラレ、現在二及ブ」と記され、さらに「氏子 中新井村大字中全部(板橋区中村町全部)四百五十戸」とありますから、この中村地域の中心的な社であったことが分かります。

 実際に境内に入ってみると、その歴史的な背景を一気に感じさせてくれるほどの荘厳さを感じます、単なる村社だと侮ることなかれ‥‥です。鳥居をくぐって真正面に見える本殿は、まるでオーラを放っているかのような存在感を示します。社伝によれば、江戸時代前半の建築ということで、練馬区内でも屈指の古建築物ですから、その年月が発するエネルギーを感じるのかもしれません。

 骨伝導により八幡神社境内の音声を骨から脳へと伝えると、脳波は完璧なシータ波になりなります。何の変哲もなさそうな神社に見えますが、ここまでのエネルギーを感じられるのは本当にすごいことです。

 意外なお勧めパワースポットを発見したようで、なんだか得した気分になりました。もっとも、これは期待値が低かったからかもしれませんので、差し引く必要はあります。それでも練馬区の住宅街にあるそれほど大きくない神社が、ここまで特許技術の骨伝導を刺激するのは意外だったのは事実です。

          ⇒ 米軍採用の特許技術・骨伝導

豊島山道場寺を骨で聴く

2011-03-30 11:35:29 | 骨で聴く巡礼旅

 大震災からもうすぐ3週間になります。被災された方々は、未だ先の見えない状態が続いています。心からお見舞い申し上げます。東京では、悲惨な現実と関係なく、いつものような春を迎えようとしています。

 骨伝導とともに、練馬区の石神井へと出かけました。最初に訪れたのが、禅寺の道場寺です。豊島山道場寺は曹洞宗の寺院で、文中年間(北朝応安5年・1372年)に、当時の石神井城主・豊島景村の養子・輝時が、大覚禅師を招いて建てたものです。輝時は鎌倉幕府第14台執権・北条高時の孫にあたります。
 輝時は自分の土地を寺に寄付して、豊島氏代々の菩提寺としたと伝えられています。

 石神井城方面に向かって斜面となっている境内には、文明9年(1477年)に太田道灌によって滅ぼされた豊島氏最後の城主・奉経をはじめ豊島氏一族の墓と伝えられる石塔三基があります。

 旧早稲田通り沿いにある道場寺は、山門から三重塔が見えます。



 昭和48年(1973年)に建築されたものです。
 三重塔内部には、人間国宝であった香取正彦作の金銅薬師如来像が置かれています。台座にはスリランカより拝受の仏舎利は奉安されているそうです。

 骨伝導ヘッドセットを装着して静寂な境内に入ると、奈良時代から始まる日本の古典建築様式が随所に網羅されていることがよく分かります。様々な時代の様式が不自然でなく調和され、しかも禅寺らしい質素さを乱すことはありません。もちろん一般的な禅寺に比べれば、境内の豪華さはあるのかもしれませんが、嫌味は感じません。

 山門は室町様式で、三重塔は鎌倉様式です。右手にある鐘楼は安土桃山様式、正面の本堂は奈良時代の天平様式で、これは唐招提寺の金堂を模したようです。客殿は江戸時代の様式で、桂離宮を模して建てられたようです。
 まさに時代を超越した伽藍配置で、完成に至るまでには、昭和11年から60年の歳月を要したといいます。

 都内に限らず全国的にも珍しい寺院だといえるかもしれません。
 それでも都内屈指の住宅街である練馬区の寺院らしく、境内の外は日常の「音」に満ち溢れています。平日は向かい側の練馬区立石神井小学校の児童たちの声、狭い旧早稲田通りをつ通行するクルマの排気音など、まさに平凡な音の「風景」です。
 そこには骨伝導を使って難聴対策や騒音対策が必要な場面が数多くあります。その延長上にこんな寺院に触れ、参拝するのは大いに意味があると感じます。特に今は地震関連で被災された多くの方に、こんな寺院から声を届けたいとも思います。

 骨伝導は米軍で採用された特許技術の製品に限ります。
 骨伝導巡礼の旅でも、特許技術の応用されたものしか使いません。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 身近な場所に、隠れた巡礼地をこれからも骨伝導とともに訪れたいと思います。

国分寺駅を骨で聴く

2011-03-29 11:26:21 | 骨で聴く鉄道駅

 立川駅まで上下線の高架化を完了した中央線は、今までいくつかの駅を取り上げてきました。東京近郊と山梨・長野では表情が異なる中央線は、骨伝導とともに訪れるのに魅力的な路線です。

          ⇒ 中央線を骨で聴く
          ⇒ 中野駅を骨で聴く
          ⇒ 荻窪駅を骨で聴く
          ⇒ 吉祥寺駅を骨で聴く
          ⇒ 三鷹駅を骨で聴く
          ⇒ 高尾駅を骨で聴く
          ⇒ 大月駅を骨で聴く
          ⇒ 初狩駅を骨で聴く
          ⇒ 中津川駅を骨で聴く
          ⇒ 恵那駅を骨で聴く

 さすがに路線距離が長いので、それぞれの駅にそれぞれの異なった顔があります。
 今回は骨伝導とともに今まで取り上げた中では、三鷹~高尾の区間にある国分寺駅へと向かいました。

 しかし国分寺駅はJR中央線の駅であると同時に西武鉄道も同一の橋上駅舎を使用しています。

 JR東日本では第28位の乗車人数ですが、西武鉄道では、池袋、高田馬場、西武新宿に次いで第4位を誇るターミナルでもあるのです。意外に知られない事実です。どうしても西武鉄道の場合、本線ともいうべき池袋線と新宿線のイメージが強く、支線である国分寺線と多摩湖線という路線のターミナルは、地味な存在となっています。

 国分寺駅には「国分寺エル」という駅ビルがあり、1階が北と南を結ぶ自由通路になっています。この通路に面しJRと西武の改札が並んでいます。

 南口の駅前広場は狭く、そのせいでバス乗り場は少し離れた場所にあります。多喜窪通り沿いは比較的賑やかな商店街になっていて、殿ヶ谷戸庭園もそれほど遠くありません。
 国分寺らしい光景はその先で、国分寺崖線、河岸段丘崖です。急な斜面となって、史跡に囲まれた住宅街になります。

          ⇒ 武蔵国分寺を骨で聴く
          ⇒ 真姿の池を骨で聴く

 北口は住宅街で、周辺は昔ながらの商店街の雰囲気を残しています。しかし駅前広場は
自由通路から右手に下がった場所にあり、ここも南口と同じように駅の規模に比較して小さい広場です。路線バスとタクシー乗り場があります。



 かつては、国分寺駅は中央線の支線である下河原線の始発駅でもありました。
 武蔵野線が隣の西国分寺駅を通るかたちで開業し、下河原線は廃止されました。駅改良工事時に大きく変貌したことで、現在では廃線の痕跡を見つける事はできません。

 骨伝導は雑踏の中で効力を発揮します。もちろん、中程度までの難聴者の気軽な対策としても威力は絶大ですが、人で混雑する駅では騒音対策としての威力が発揮されます。
 ただ骨伝導も今では様々な製品が世に出ていますが、米軍で採用された特許技術の製品であれば安心です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 福島原発の問題に揺れる東京都内ですが、中央線のミニ旅行で訪れた国分寺駅は、かすかですが復興の兆しが見えた気がします。それは電車がまだ少ないとはいえ動いていて、ターミナルに集まる人の流れに、隠れたエネルギーが宿っていました。
 骨伝導を通じてそんな息吹を骨で聴きました。

東村山八坂神社を骨で聴く

2011-03-28 11:07:03 | 骨で聴く巡礼旅

 府中街道沿いに風格のある神社があります。
 東村山市の府中街道と新青梅街道が交差する近くです。交通量の多い場所に、荘厳と鎮座する八坂神社は、被災地の方の応援メッセージを送る場所としても、都会的環境の中の聖域巡礼のための骨伝導が活かされる場所としても最適です。

 計画停電の影響やガソリン不足の影響か、いつもより静かな府中街道でした。それでも都下の街としてはこの神社の環境は都会的であることに変わりはありません。重いディーゼル音が響く街道は騒音であふれています。米軍で爆撃の中でも通話が出来る特許技術の骨伝導ヘッドセットを装着していなければ、興ざめしてしう環境です。
 骨伝導なら耳をふさがないので、交通量の激しい場所では安全性に優れます。
 
          ⇒ 米軍採用・特許技術の骨伝導

 この神社は、弘安元年(1272年)~応永14年(1407年)の頃に、以前に紹介した東村山市の古刹「正福寺」の守護神として牛頭天王が祀られたことから始まりと言われます。しかし江戸時代中ごろ、正福寺の火事により記録が焼失してしまったようです。

          ⇒ 国宝・正福寺地蔵堂を骨で聴く



 明治2年に「八坂神社」となりました。これは、同じ牛頭天王をお祀りする京都の祇園神社に倣ってのことだそうです。
 牛頭天王とは素戔嗚尊をあらわし、元来はインドの荒ぶる守護神です。両者のキャラクターが、「強さ」と「激しさ」で習合したようです。

 府中街道から圧倒的な存在感を示す鳥居をくぐり、境内に一歩足を踏む入れると、そこは荘厳なパワースポットとなります。一直線に拝殿があります。堂々たる風格です。



 神社としての規模はそれなりに大きいことがよく分かります。骨伝導は、騒音対策としての威力から、この雰囲気が奏でるメロディを骨から脳へと伝える道具となります。脳波も日常から離れ、シータ波へと変化していくようです。

          ⇒ 骨伝導と脳波との関係

 ふとした癒しを求めるときに、単なる「神頼み」ではなく、神域の放つパワーに触れることは、現代社会では重要なのかもしれません。特に東日本を襲った未曾有の惨事は、復興するのに莫大なエネルギーを要します。骨伝導とともにこんな神社を参拝してみてはいかがでしょうか。

白岩山長谷寺を骨で聴く

2011-03-25 12:25:40 | 骨で聴く巡礼旅

 東日本に住む人々にとって、天変地異への恐怖を今回ほど再認識したことはないでしょう。情報化社会や最新のテクノロジーを持ってしても、基本的なインフラまで破壊されてしまっては、復興への道も険しいといわざるをえません。インターネットや最新の携帯電話もインフラが整っていることが前提で、今回の未曾有の惨事には、それを思い知ることになりました。

 かつての日本で、生きるか死ぬかの戦いを繰り広げていた武将たちも、心の平静さを保つのは容易でなかのかもしれません。
 そこで今回は骨伝導とともに、榛名山麓の修験の寺院を取り上げることにしました。武将の信仰と悲劇に包まれた修験の寺「白岩山長谷寺」です。実は以前にこの寺院の境内にある不動明王像だけは紹介したことがありました。また、榛名山周辺も意外と多く取り上げていました。

          ⇒ 不動明王を骨で聴く
          ⇒ 箱島湧水伝説を骨で聴く
          ⇒ 鳴沢湖を骨で聴く
          ⇒ 水澤観音を骨で聴く
          ⇒ 榛名富士を骨で聴く
          ⇒ 湖畔の宿を骨で聴く
          ⇒ 石段街を骨で聴く

 群馬県高崎市の中心部から北上し、環状線を越えると、県道は北西に向かいます。長野新幹線のガードを越える頃には、市街地から郊外の風景へと変化します。そしてなだらかではあるものの、登りの坂道となってくると、東京湾から始まった関東平野の終点地となります。
 箕郷町に入り左折すると、地図上では長野新幹線と平行することになります。所々で高台から市街地を望む場所が現われ、巨大な関東平野の一部を望むことができます。

 坂東霊場の第15番・長谷寺は右手に突然現われてきます。駐車場は道路の反対側になります。ここでガソリン不足でも燃費の良いおかけで安心なバイクを降ります。ヘルメットには骨伝導シェルショッカーが装着されています。余震が続く関東地方では、ヘルメットをかぶった状態でも通信できる骨伝導シェルショッカーは大変便利です。

          ⇒ 骨伝導シェルショッカー

 白岩山長谷寺は役の行者ゆかりの修験の霊場です。この地には伝教大師最澄も弘法大師空海も訪れたといわれています。
 道路を渡って境内に入ると、以前に取り上げた真新しい不動明王像がお出迎えしてくれます。その先が観音堂です。
 本尊の十一面観音は秘仏だが、前立の像は同型で、木造金箔の鎌倉時代に作られたものです。県指定重要文化財になっています。像高が185センチだから、かなりの迫力と威厳に満ちてます。

 境内は決して広いわけではなく、山腹を切り開いたような地に、荘厳な霊気を漂わせている場所というのが第一印象でした。



 この地には、伝教大師、弘法大師だけでなく、行基も訪れたという伝説もあります。まさにオールスター勢揃いのようですが、東国だけあって武将との縁も深いのが興味深い点です。

 源 義家、新田義貞という源氏の武将の信仰が厚かったようです。
 特に新田義貞が倒幕の挙兵をした際には、この寺の修験者が坂東八カ国に檄を飛ばしたといいます。

 新田義貞の挙兵伝説は、
          ⇒ 生品神社の挙兵伝説を骨で聴く

 後に上杉憲政により伽藍が整えられ、日本三大長谷のひとつに数えられるようになりましたが、永録6六年(1563年)に武田信玄の箕輪城攻めの際に焼失してしまいます。現在の観音堂は、信玄の息子・勝頼が天正8年(1580)に再建したものだそうです。

          ⇒ 城跡を骨で聴く(箕輪城・高幡城)

 宗旨は金峯山修験本宗です。
 この修験道とは、日本古来の山岳信仰をベースにした、独特な民族宗教であるといえます。神道・仏教・道教などを混合したものです。
 その中心は実践性にあり、深山幽谷に分け入り、命がけの修行をします。霊力、験力の開発に勤しみ、究極的には菩提心まで得ます。自らの身体で体験し、高めていくのです。
本山が吉野の金峯山寺ですが、なるほど、この長谷寺の雰囲気は確かに共通する部分がありそうな気がします。

 それでも高崎の市街地からそれほど離れているわけではなく、深山幽谷とはほど遠いのは致し方ないといえます。逆に世俗の街のすぐ隣に、武将の信仰を集めた修験道場があるという事実こそ、価値あることなのかもしれません。

 骨伝導きくちゃんの骨伝導スピーカーを首から下げ、厳粛な気持ちで参拝を終え、参道脇の供養塔が並んだ場所へと行きます。厳粛な気持ちを維持したまま見上げます。神仏習合の白岩神社を目にすることができます。
 静寂の境内は、骨伝導スピーカーを通しても自分の両耳からも、いつまでもひっそりとした佇まいを維持しています。武将の信仰と被災にあわれたかたの気持ちを比較することはできませし、意味もないでしょうが、こんな修験の場で、気持ちだけでも伝わればと思います。

 特許技術の骨伝導も情報が錯綜したり、不足したりする被災地の高齢者にぜひ使って欲しいと考えます。まがい物でない骨伝導製品です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 参拝を終え、再び日常の生活に戻ります。しかし、震災以前に戻れるのいつの日でしょうか? 修験の道で会得しなければならないのかもしれません。

高尾駅を骨で聴く

2011-03-24 11:41:29 | 骨で聴く鉄道駅

 昨日は東京の東側・新小岩駅を取り上げたので、今回は西に移ってJR中央線の高尾駅へと足を延ばしました。いつものように骨伝導ヘッドセットを装着しての訪問です。

 高尾駅の「高尾」とは、ミシュランガイドで最高ランクの“三つ星”の観光地に選出されている高尾山の名であり、名刹「高尾山薬王院有喜寺」の名でもあります。

 開業当時は「浅川駅」という名称で、これは東京府南多摩郡浅川村の地名に由来します。浅川村は町になり、次に八王子市に編入されました。駅名が高尾駅になったのは1961年です。
 関東の駅百選に選定されている社寺風デザイン駅舎は北口になります。元々は大正天皇の大喪列車の始発駅として新宿御苑に設置された仮設駅舎を移築したものとして知られています。ただ2010年に改修されてからは、飲食店や売店も駅舎に入り、現代的な駅の機能も併せ持つようになりました。

 もうひとつ注目なのが、3・4番線ホーム東京寄りの場所にある天狗の像です。高尾山にちなんでのもののようですが、これが実に存在感があります。電車の音をさえぎるように骨伝導が威力を発揮しながらこの天狗像を眺めると、騒音対策としての骨伝導から癒しへのいざないとしての骨伝導と変化するのが分かります。これは体験した人でなければ理解不能な感覚でしょう。それほどまでに高尾山の霊気が、現代的な駅にまで及んでいるのかと思うと驚きです。
 ただこれも米軍で採用された特許技術の骨伝導ヘッドセットだからこその導きかもしれません。技術力の高さが高尾山の「気」にまで影響しているのだとしたら、それはそれで納得できるかもしれません。

          ⇒ 特許技術の骨伝導

2番線ホームの屋根支柱には太平洋戦争中の米軍による機銃掃射の弾痕も残っているようで、この駅の歴史も垣間見ることができます。

 JR中央本線の駅としては、高尾駅を境にして東京側と山梨側で運行形態が変化します。鉄道運行上の峠のような駅です。
 東京方面の快速電車の始発駅であり、終着駅でもあると同時に、甲府方面への普通列車も高尾駅が始発・終着の駅となります。これは他の路線では珍しいことで、常磐線、総武線、宇都宮線、高崎線、東海道線のように、緩行線と中距離電車が平行していないのです。
 特異な形態の中央線の中で、この高尾駅は特別な位置にあることだけは確かです。骨伝導とともに訪れるのに、これほど最適な駅はないかもしれません。

 また、高尾駅は京王線の駅もあり、ここから終点の高尾山口駅までは単線です。乗車ホームはJRからの続番が使われ、5番6番線となります。

 改めて高尾山へ向かうのも悪くないと思いました。被災地の方に思いを届けたいとも思います。もちろん骨伝導を使って‥‥

新小岩駅を骨で聴く

2011-03-23 11:38:15 | 骨で聴く鉄道駅

 東京から千葉方面へ向かう総武線で、快速では錦糸町の次に停車する駅が新小岩駅です。快速は次の停車駅が市川ですから、都内では快速停車最後の駅になります。

          ⇒ 錦糸町駅を骨で聴く

 いつものように骨伝導ヘッドセットを装着し、新小岩駅へと向かいました。
 新小岩駅の前身は1926年(大正15年)に設置された新小岩信号所です。これが駅に昇格し、小松駅となりました。小松とは周辺の地名で、小松菜の名の由来にもなったものです。しかし小松駅の名は北陸本線に既にあり、区別するために「下総小松駅」となる案が最有力だったものの、周辺住民により、信号所の名称をそのまま使った新小岩駅となりました。
 のちに住居表示実施の際には、周辺の地名も駅名に合わせて新小岩・東新小岩・西新小岩となりました。このような例は以前に「骨で聴く鉄道駅」で取り上げた中では、西武線の東久留米駅と一緒です。

          ⇒ 東久留米駅を骨で聴く

 南口がメインで、びゅうプラザ、みどりの窓口、指定席券売機が設置されています。駅ビルはないものの、駅前ロータリーやバス路線は充実しています。
 以前に取り上げた松本弁天はここからバスに乗車して行くことになります。

          ⇒ 松本弁天を骨で聴く    

 一方北口は、快速停車駅とは思えないほどの小さな駅舎です。



 この北口・南口は、街としても総武本線の路線によってほぼ南北に分断されているといえます。葛飾区と江戸川区の二つの区が駅周辺に広がっていますが、江戸川区に近い駅南側はルミエール商店街や比較的規模の大きな商業施設があり、賑わいはあるといえます。
 それほど大きな繁華街ではありませんが、やはり震災以降、喧騒は去り、比較的静かな駅になったかもしれません。骨伝導の騒音対策という側面は、現状ではそれほどの威力を実感することはないでしょう。

 難聴対策としての骨伝導という側面で考えると、新小岩駅を中心としたエリアと福祉的要素をあわせ、今後の日本の復興にヒントがありそうな気がします。

          ⇒ 米軍採用の特許技術「骨伝導」
 
 改めて新小岩駅を訪れ、思いは様々な方向へと飛んでいきます。

駒沢緑泉公園を骨で聴く

2011-03-22 11:55:19 | 骨で聴く癒しの世界

 大震災以降、首都圏の人にも過剰なストレスが加わっています。
 もちろん、直接的に大打撃を受けた被災地の方に比べれば、ストレスの量もたかが知れているのは事実でしょう。しかし被災地に隣接し、日本の経済を支えているエリアが疲弊することで、復興にも陰りがでることは必至です。モノ不足や計画停電、物流の問題など、日本を支える経済力が極端に低くなっているのは事実です。また農産物の風評、放射能への過剰な不安も日々増幅されつつあります。

 そんな日常の中、都会のオアシスに触れてみたいと思い、骨伝導ヘッドセットとともに駒沢緑泉公園に行きました。公園の大部分を占める「樹木園」は、普段より人の数は少なかったものの、やはりそこにふく風の音は骨伝導を通じて「癒し」の音でした。

 この公園は「せたがや百景」の一つに選ばれています。昭和59年に区民による投票で選ばれた世田谷区の名所百選ですが、玉川通りから住宅街を抜けて駒沢緑泉公園に入ると、「?」ここが「せたがや百景?」と、疑問に感じるほど、どこにでもありそうな光景が広がります。



 しかし「樹木園」に入ると、背の高い木々が生い茂り、なかなかの雰囲気です。人工の湧水は訪れた時停止していましたが。ここから岩の間を通り、小さな川になって池に流れ注いでいます。人工的にくみ上げた水は、都会の公園らしく簡易的にせよ殺菌処理がしてあるようです。そのせいかい川底も比較的きれいになっています。
 おそらく夏には子供たちがここで水遊びを堪能できるのだろうと想像できます。ただ、川には子供たちが喜びそうなものも、怖いとおもうものも、生物はほどんどいないでしょう。

 散歩コースのような道は、いくつか枝分かれし、ベンチも多くあります。子供だけでなく大人が散策するのにも適しています。骨伝導マイクは木々の音をひろい、疲弊した「心」を少しだけ和らげてくれます。この「少しだけ」の部分が被災地で避難している人の気持ちにもかすかに協調しているのかもしれません。

 特許技術の骨伝導が、こんな場所でも威力を発揮し、復興に向けてエネルギーを充填できれば喜ばしい限りです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 夏であれば静かな避暑地を散策する気分が手軽にできる場所は、今の季節と震災後の状況で、骨伝導とともに明日への活力を復活させます。小川のせせらぎが耳ではなく骨から脳に伝わって癒され、新たな一日の幕開けに待機します。

上馬子育地蔵尊を骨で聴く

2011-03-21 09:33:10 | 骨で聴く巡礼旅

 東日本を襲った大地震や、福島原発の放射能から幼い子供達を守ろうしている人たちが日々頑張っています。もちろん子供だけを優遇するというわけではなく、高齢者や病気の人を含めて、被災した方の中でも、特に手助けが必要な人を最優先にしています。

 ボランティア経験もない東京在住の人にとって、今、この場で出来ることは限られているかもしれません。しかし被災地の人との「心」の交流だけは保つようにしたいと思います。もちろん、被災していない人にとって、その悲惨さは本当の意味で理解できないでしょうが‥‥

 東京の大動脈でもある国道246号線と環状七号線が交差する「上馬」から、住宅街に入った場所に、上馬子育地蔵尊があります。道祖神のようなもので、二又の道路の間にポツンとあります。
 骨伝導とともに、被災地の子供達のことを思いながら、この素朴な地蔵尊に参拝にいきました。



 交通量の多い道路の近くですが、骨伝導機器がなくても騒音は大丈夫です。米軍で採用され、自衛隊でも活躍している特許後術も、ここではその性能をフルに発揮する必要はありません。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 道祖神やこんな素朴な地蔵尊は、都会の中でも確実に願いを聞いてくれる気がします。むしろ都会に残っていて、子供のそこやかな成長を見守り、今は被災地の子供に届けてくれると期待します。骨伝導とともに未来を託したいと思います。

 

福王寺薬師堂を骨で聴く

2011-03-18 11:02:51 | 骨で聴く巡礼旅

 東日本を襲った未曾有の大震災は、日々悲惨な状況が明らかになってきます。死者や行方不明者の数も未だ全体の数が判明していないほどです。
 被害にあわれた方に黙祷しつつ、日本の復興を願い、再び町田市の薬師池公園に向かいます。公園をのどかに散策するのではなく、薬師池の名の由来となった福王寺薬師堂が向目的地です。薬師様の霊力を被災地に届けたいと思います。
 もちろん、骨伝導ヘッドセットは装着した状態です。

 草創は天平年間(729~749年)といわれる古刹です。しかも行基が薬師如来を彫り、薬師堂が開山したというほどの寺院です。当然ながら町田市では最古の寺院です。ただ現在の薬師堂は1883年(明治16年)に再建されたものだそうです。



 中央に祭られているご本尊様こそが薬師如来様ですが、秘仏になっていて、12年に1回、寅年の4月1日から5月5日までの約1カ月間だけ扉が開かれます。薬師如来の右には日光菩薩、左には月光菩薩が脇仏として祀られています。
 
 薬師堂は薬師池より高台にあり、鬱蒼とした木立に囲まれています。昼でも薄暗いほどで、周囲に漂う空気に包まれると、それだけで霊験を感じるとともに、歴史すらも感じます。
 骨伝導スピーカーによって、周囲の音とともに癒しの音を聴きます。さらにこの気持ちは被災地にも届いて欲しいと願います。骨伝導による脳波が薬師如来の霊験と一緒になって日本の復興に少しでも役立てば、ここでの祈りに意味が生じることでしょう。
 骨伝導機器は特許技術の製品だからこそ感じられるもので、それだけは改めて感じることが出来ます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導

 芝溝街道沿いの道路北側に華厳院という寺院があります。薬師池公園内に建つ野津田薬師は現在はこの華厳院に属するのだといいます。本当はここまで参拝に行きたかったのですが、計画停電や交通機関の混乱が生じている首都圏では、それが断念することにして、骨伝導とともに岐路につきました。

霊験と特殊環境を骨で聴く

2011-03-17 11:14:33 | 骨で聴く体験記

 日本の大規模地震対策特別措置法第2条1号で、「地震災害」を定義しています。それによると、

「地震動により直接に生ずる被害及びこれに伴い発生する津波、火事、爆発その他の異常な現象により生ずる被害」

 と、なっています。
 直接的な地震の被害だけでなく、今回の東日本を襲った大震災は原子力発電所の問題も含まれるのかもしれません。現在でも自衛隊や警察が福島第一発電所で水の投下が行われ、被害拡大を防ぐように行動しています。

 かつての日本では、このような天災には祈祷が行われていました。信仰心により、目の前の災いを封じようとしていたのです。加持祈祷は、国家単位での大きな行事でした。
 平安時代には唐より密教を伝えた弘法大師・空海が祈祷でも活躍しました。

 現代では被災地への救援や原発などは特殊環境の要素が多く、最新の技術が使われています。このような特殊環境化での通信手段は無線になります。携帯電話の通話は不能になっても、特定の距離に特定の相手とだけ交信することで、情報の共有化をするためには無線が有効なのです。

 しかし防護服での無線機の使用は、相手の声がよく聞こえないという弊害を招きます。そこで米軍で採用されたのが骨伝導です。日本の自衛隊や警察庁でも導入されています。これは国際的な特許技術の製品が使われています。災害現場での活躍は、特に放射能を相手では大いに貢献できるのではないかと思います。

 この特許技術の骨伝導製品はバイクのヘルメットをスピーカーに代えたり、補聴器としての機能にしたりと、一般の人向けにも応用されています。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 弘法大師の霊力に頼れない現代にとって、骨伝導が活躍する場面は多くあります。天変地異はいつどのように発生するかわかりません。今回の悲劇的な惨状は、それを癒す時間が多く必要だと思われます。しかし、現代の霊力はさらに発展していきます。
 明日への希望を持ち、少しでも癒しの気持ちを復活させましょう。

 東北地方太平洋沖地震により被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

篠崎駅を骨で聴く

2011-03-16 11:25:06 | 骨で聴く鉄道駅

 東日本を襲った大震災とそれに続く東京電力の計画停電により、首都圏の鉄道は本来の機能を取り戻せない状況にあります。鉄道の機能低下は他のライフライン同様に日本経済に大きな影響を与えます。
 JRよりも地下鉄の方が運転再開が早かったのは、踏切がないという事情もあったのでしょうが、それにしても地下への地震への影響がなかったのに改めて感心させられました。耐震性に優れた構造は、地震大国の宿命でしょうが、日本の技術力も大きく貢献しているのでしょう。

 東京の地下鉄は東京メトロと都営の二種類あります。
 今まで骨伝導機器とともに「骨で聴く鉄道駅」として取り上げた中に、地下鉄単独の駅はありませんでした。しかしこの未曾有の大震災後の地下鉄駅を改めて訪れ、骨伝導の威力と復興を考えてみることにしました。

 乗車したのは都営新宿線の篠崎駅です。
 新宿線は京王線との相互乗り入れをしていて、京王線・笹塚駅から千葉県の本八幡駅の間が主な区間になります。本来の路線は新宿~本八幡間ですが、東京都営なのに、終点が千葉県にあるというのは特徴といえます。

 篠崎駅は、東京都内の最東端の駅です。江戸川区篠崎町にあり、駅前にはロータリーはあるし、商業施設と一体化した再開発ビル(篠崎ツインプレイス)に駅があります。大きな道路もなく、周囲は住宅地であることも含めて見渡すと、およそ地下鉄らしくない駅です。私鉄のどこにでもある駅のような雰囲気です。

 都営新宿線は新宿から靖国通りの下を通り、岩本町から南西に進路を変え、隅田川を渡ってからは新大橋通りの下を通ります。しかし、東大島・船堀間で荒川を渡ってからは、新大橋通りとは関係なく、住宅街の地下を通ることになります。
 その影響で大きな道路とは無縁の路線となったことから、地下鉄でありながら住宅街に駅ビルとロータリーの設置が可能となっているのです。

 駅周辺はスーパーやドラッグストアがあり、古い商店街はないものの、郊外らしい商業地域となっています。ただ、駅から少し離れれば首都圏らしい住宅街が広がっています。所々で畑も数多く残っているのが確認できます。

 篠崎駅ならではの骨伝導が活躍する場面は想定できませんが、余震がなお続く現在、情報を確保する意味でも骨伝導は携帯したいものです。ただし、米軍で採用された特許技術の製品でなければ安心できません。

          ⇒ 特許技術の骨伝導

 庶民が生活する住宅街の篠崎駅の様子を見て、この地震による被害はむしろ「心」の部分かもしれないと思いました。人々は昨日と同様の生活をおくっています。電車も本数が減りながら何とか機能しています。
 しかし人々の表情の奥に、ものすごいストレスがあるように見えます。
 この巨大なストレスの集まりが、日本経済に与える影響も馬鹿にできないでしょう。情報と強いリーダーシップが日本には必要なのかもしれません。

 骨伝導ヘッドセットから、今後の計画停電と、福島の原発の情報を聞きつつ、篠崎駅をあとにしました。

下谷神社を骨で聴く

2011-03-15 11:05:23 | 骨で聴く巡礼旅

 「東北地方太平洋沖地震」により未曾有の大惨事が発生しました。原子力発電所のトラブルも続き、東京電力の計画停電も実施されたことで、複合的な理由から日本経済の危機が叫ばれだしました。

 被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
 今後の復興を願い、下谷神社へと骨伝導巡礼へと出かけました。

 以前に参拝にいった西町太郎神社から北に向かい、やや浅草よりの東側にいった先に鎮座している神社です。

          ⇒ 西町太郎稲荷神社を骨で聴く

 また、周囲には唯念寺や成就院もあります。

          ⇒ 元浅草唯念寺を骨で聴く
          ⇒ 摩尼山成就院を骨で聴く

 浅草通り側から南側に鳥居を望むことができます。東京の下町らしい光景の中に立派な神社があることが分かります。
 古くは下谷稲荷社と呼ばれていたそうで、その名残は地下鉄の駅名にあります。最寄り駅である地下鉄銀座線の稲荷町駅がそれです。



 祭神は大年神で、天照皇大神の御弟素盞雄尊の御子で五穀を主宰し厚く産業を守護する「お稲荷様」として祭られている神様です。配祀祭神は日本武尊です。第12代・景行天皇の皇子です。
 神社としての歴史は古く、第45代・聖武天皇の時代、天平2年(730年)に峡田の稲置らが、大年神・日本武尊の御神徳を崇め奉って上野忍ヶ岡の地にこの二神をお祀したのが
創建の由来といいます。

 この神社も危機を乗り越えてきました。

 大正12年の大震災のときには、社殿を悉く焼失してしまました。この際、仮社殿に遷座しましたが、昭和3年の土地区画整理により改めて社地を現在の所に定め、同6年には社殿造営の工事を起しました。完成したのは同9年でした。

 そして太平洋戦争の災禍に遭いましたが、御神体御宝物を含め、社殿全建物に聊かの損害もないという奇跡的な終戦を迎えました。

 このたびの東日本を襲った大震災も、下谷神社の復活と奇跡にあやかり、今後の復興を祈願いたします。災害現場で活躍する無線機には、米軍で採用された骨伝導機器が多く使われていることでしょう。下谷神社の参拝のときにも、骨伝導を使って祈ります。

          ⇒ 特許技術の骨伝導

 今後の震災からの復興、日本経済の復活を、日本古来からの神様へ骨伝導とともに届けたいと思います。


錦糸町駅を骨で聴く

2011-03-14 12:46:56 | 骨で聴く鉄道駅

 未曾有の大惨事を招き、今もな余震だけでなく様々な面で大混乱を来たしている地震の翌朝、JR錦糸町駅にいました。終日運休により家路に急ぐひとびとでが、ようやく動き出した電車を待つため、駅のホームは人ごみであふれていました。

 携帯電話もまだ通じにくい状況で、喧騒の中、骨伝導ヘッドセットだけが相手の声を正確に伝えてくれていました。しかし、通信ができない状態では、さすがの骨伝導も意味をなしません。地震当日は、残念ながら活躍の場はあまりありませんでした。

 錦糸町駅はJRと地下鉄半蔵門線が通っています。JRは総武線の快速も停車します。

 JR東日本の1日平均乗車人員は98,986人で、JR東日本の駅で第37位にランクします。首都圏の中でも主要駅に位置づけられるでしょう。一方、地下鉄半蔵門線は、1日平均乗降人員は81,494人と、意外に多い数字を誇っています。実は、半蔵門線の開業前(延伸前)の予想では32,000人程度と見込まれていたそうです。ここまで予想を大きく上回る理由が何なのか、興味深いことです。

 南口は東京の中でも名だたる歓楽街といえます。
 多国籍の女性が多く働く飲食街が広がっています。東京都により「東京副都心」にも定められており、東京東部を代表する街となっています。

 北口の北斎通りに「錦糸堀」が地名の由来と言われています。この錦糸堀は、本所七不思議の「おいてけ堀」のことです。

 とにかく猥雑な街の表玄関は、喧騒と狂乱を伴うときがあります。しかし大地震のあとの錦糸町駅は、どこか沈んだ印象でした。骨伝導も天災の無線機使用時に活躍しますが、それもやはり米軍採用の特許技術の骨伝導だけです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導

 これだけの災害現場に骨伝導だどれだけ活躍しているか、報道では知ることが出来ないでしょうが、錦糸町駅に立ち、思いは様々な方向へ駆け巡ります。


旧荻野家住宅を骨で聴く

2011-03-11 14:01:51 | 骨で聴く体験記
 薬師池公園の中の旧荻野家住宅に、骨伝導とともに向かいました。

          ⇒ 薬師池を骨で聴く

 以前に訪れた琉球村や江戸東京たてもの園のように、古い伝統的な家屋が残されています。それが旧荻野家住宅です。

          ⇒ 琉球村を骨で聴く
          ⇒ 神アサギを骨で聴く (琉球村)
          ⇒ 水牛を骨で聴く (琉球村)

          ⇒ 江戸東京たてもの園を骨で聴く
          ⇒ 都電7514を骨で聴く (江戸東京たてもの園)
          ⇒ 高橋是清邸を骨で聴く (江戸東京たてもの園)

 旧荻野家住宅は薬師池公園の中で、丘陵の斜面を背景にして、緑に囲まれた建物です。古きよき日本の家屋が存在感たっぷりにあります。平家の入母屋造りで、大きな家屋ではありませんが、どこか不思議な癒しムードを漂わせています。



 骨伝導によって脳へ伝わる音声も、歴史的な家屋の雰囲気とあわせて、実に清々しさを感じます。出入口は妻入りで、軒が30cmくらい深くだしたせがい造りになっています。中へ入り、開けた外を振り返ると、まだ電気のない時代の暗い家屋から望む外の風景に、日本人としてのDNAが刺激されるようです。

 骨伝導サングラスなら、内蔵されたBluetoothを使って、懐かしい日本の童謡でも骨伝導スピーカーで聴きたい気分になります。

          ⇒ 骨伝導サングラスGL42

ただし、電灯がないのでサングラスでは少し家屋の中が暗くなってしまいます。その点だけは難点といえるかもしれませんが、この場面での骨伝導サングラスの利用は絶対にお勧めです。
 米軍に採用された特許技術の骨伝導だけが成しえる癒しの世界です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 幕末期に町田市の農村部にあった医家が旧荻野家住宅ですが、再び外に出て外観を改めて見ると、茅葺の屋根には苔や草が生えていたりして、時の流れも感じることができます。裏に廻って台所などを覗くと、往時の生活の匂いまで漂ってきそうに感じます。
 骨伝導が往時の子供の声まで再現してくれるような感覚すら持ちます。

 こんな建物は、今後も残してほしいと感じて、公園をあとにしました。