骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

熱川温泉を骨で聴く

2013-03-30 14:02:06 | 骨で聴く癒しの世界

 川崎市から離れ静岡県の伊豆半島にある熱川温泉へと向かいました。
 最先端の骨伝導ヘッドセットとともに桜が散る海沿いの道路を走りました。

 温泉街は大きくなく、山間部が海沿い近くまで突き出た狭地になります。この狭いエリア意に19軒の旅館やホテルがある伊豆を代表する温泉です。温泉の特徴としては源泉温度が高いことかもしれません。何とその温度は約100℃です。
 そのためか源泉井の上部からは湯気が多く出ており、遠くからでもよく目立ちます。湯煙に包まれた温泉街の光景になっているので、温泉情緒は満喫できるといえるでしょう。熱川にはその噴泉塔が10本あるという話です。

 その中の一つで、温泉街の中心部にあるのが「弁天偕楽源泉」です。にごり川沿いにあります、「お湯かけ弁財天」とともに熱川のシンボル的な存在です。

 ところで、熱川温泉といえば前回取り上げた川崎市の神社(⇒ 天照皇大神を骨で聴く)にも登場した太田道灌が関係します。
 


 開湯伝説によると、太田道灌が川底から温泉が湧いている場所で傷を癒している猿を見て、温泉を発見したというものです。

 そんな熱川温泉の湯を感じ、最先端の骨伝導機器により耳だけでなく骨から脳へと伝えることで非日常の癒しを堪能します。熱川といえばバナナワニ園も有名ですが、湯の音を骨伝導で体感するのもお勧めといえます。ただし熱川温泉にはやはり米軍採用の特許技術を駆使した「本物」の骨伝導機器があいます。

          ⇒ 最先端の骨伝導機器

 

天照皇大神を骨で聴く

2013-03-28 14:21:19 | 骨で聴く巡礼旅

 雑踏が奏でる川崎駅周辺の繁華街から離れ、新川崎駅が最寄りとなる天照皇大神へと向かいました。もちろん米軍採用の特許技術を駆使した骨伝導ヘッドセットと一緒の移動です。
 新川崎駅は川崎駅とは比べ物にならないほど地味な駅ですが、それは以前に骨伝導機器とともにお訪れて取り上げたことがあります。(⇒ 新川崎駅を骨で聴く

 さて、天照皇大神ですが、川崎市幸区南加瀬にある神社で、夢見ヶ崎小学校の北に鎮座しています。すぐ裏手には夢ヶ崎動物公園が古墳とともに広がっています。
 鎌倉時代末期創建とされる歴史ある神社です。
 伝説としては、太田道灌がこの地に城を築こうとしたが、夢のお告げにより断念したというものがあります。道灌はこの地での築城を諦めたのちに江戸城を築いたというものです。

 狭い境内ですが、隣接する動物公園からも参拝者が訪れるようで、賑わいもある程度はありそうです。主祭神は神社の名の通り天照大神です。記紀によれば太陽を神格化した神ということになります。皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされています。

 珍しい名称を持つ神社といえるでしょうが、創建した時代には本来の伊勢の祭神を祀るという意味があったのかもしれません。鎌倉時代には藤原氏の勢力が弱まっていて、伊勢神道が勃興した時代であることからも推測できます。

 そんな珍しい神社の境内にて最先端の骨伝導機器とともに参拝です。耳だけでなく骨から脳波と伝わる音声が春の空気とともに心地よく感じます。さすが特許技術の骨伝導機器です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 穏やかな日には、耳だけでない音を骨伝導で体験しながら、こんな神社に参拝するのはお勧めといえます。

瑞龍山宗三寺を骨で聴く

2013-03-27 16:17:32 | 骨で聴く巡礼旅

 稲毛神社に続いて川崎市の繁華街周辺を骨伝導機器とともに巡礼します。
 今回は京急川崎駅のすぐ近くで、高架を走る電車が背景ともなる瑞龍山宗三寺です。

 中世前期の頃は、現在の京急川崎駅近くは「川崎荘」と呼ばれていました。この荘内に勝福寺という寺院がありました。この勝福寺は、佐々木四郎左衛門高綱の菩提寺となり、泰綱の時代の弘長3年(1263年)には、5,000人余りの浄財をあつめて梵鐘の鋳造が行われたといいます。それだけの信仰を集め、繁栄を誇った勝福寺でしたが、その後衰退してしまいました。

 戦国時代になると、小田原北条氏の家人・間宮豊前守信盛が開基となり中興し、末吉村寶泉寺第四世僧自山を招いて中興開山しました。これが瑞龍山宗三寺と号し、勝福寺の後身となりました。曹洞宗の寺院です。

本尊の釈迦如来は、「江戸名所図会」に「一尺ばかりの唐仏なり」と記述されているように、ひくい肉髯、玉状の耳朶、面長な顔、腹前に下着紉を結び、大きく掩腋衣をあらわす中国風の像であるといわれます。

 京急線のすぐ近い場所で、賑わいのある町並みではありますが、何とも禅宗らしいシンプルな空間が横たわり、決して都市部の寺院にある窮屈さは感じません。墓地も広がっていて、その中には大阪方の牢人で、元和元年(1615)川崎に土着した波多野伝右衛門一族の墓や、川崎宿貸座敷組合の建立した遊女の供養碑があります。

 そんな宗三寺の境内で骨伝導機器を使いながら周囲の音声を聞いてみます。大きな騒音はありません。電車の走る音もある種のBGMになるかもしれません。騒音対策としての骨伝導機器より、純粋に耳だけでなく骨から脳波と伝える特許技術を堪能しながらの参拝に向いているといえます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 川崎市の中心部にはこんな隠れた骨伝導巡礼スポットがあるので、まだまだ開拓したくなります。

稲毛神社を骨で聴く

2013-03-25 18:59:04 | 骨で聴く巡礼旅

 川崎市の繁華街のすぐ隣というような場所に位置し、神社本庁の別表神社である稲毛神社は、旧称が山王権現、武甕槌神社で、現在でも山王様の通称で呼ばれることもあります。
 川崎の守り神として市民に親しまれるている古社で、初詣、大祓式、例大祭(川崎山王祭)、酉の市などで年間を通じて多くの祭事で賑わいを見せています。

 実はこの川崎では、川崎駅前にある老舗の百貨店にて、骨伝導機器の体験会を実施していました。その成功を祈願して、稲毛神社にも参拝に訪れたのです。

 川崎市民に親しまれている神社ですが、創建年代は不詳です。
 社伝によれば、第12代・景行天皇が東国御巡遊の折、ここに賊難を避けられたといい、第29代・欽明天皇(在位539-571年)の御代には、この地方の動乱に対して、天皇はこの神社に幣帛・七串を奉り、新たに経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を配祀せしめられ、戦勝とその後の親和協力を祈られ、以後長く勅願所であったと伝えられます。かなりの古社であることがわかります。

 平安時代末期にはこの地域を領していた河崎冠者基家 (秩父平氏) が山王権現を勧請し、その後は、「河崎山王社」「堀之内山王権現」「五社山王」「三社宮」と改称したと伝えられます。
 鎌倉時代には将軍家より社領700石を賜り、佐々木四郎高綱が源頼朝公の命を受けて御社殿を造営・創建したという説もあります。

 室町時代には、当時の神主が足利市のライバルである新田家と関係が深かったことから、社領を20石に削られてしまったようです。

 豊臣秀吉からは20石を賜るようになり、江戸時代には「山王社」として幕府から社領20石の御朱印状を拝領し、川崎宿と河崎七ヶ村の鎮守として崇敬を集めていたといいます。
 明治維新の神仏分離令n際に「川崎大神稲毛神社」へ改称することとなり、さらにその後に現在の「稲毛神社」となりました。



 歴史のある神社に最先端の骨伝導機器とのコントラストが実に心地よく、疾走するクルマの騒音にも骨伝導機器の威力が証明されます。しかし、今回は高齢者の方のための気軽な骨伝導体験の場の提供がメインでした。

          ⇒ 最先端技術の骨伝導製品

 百貨店での体験会も無事終了し、大学関連の無料体験にて引き継ぐ手配をしました。それでも川崎駅前から続く繁華街の中にも骨伝導巡礼に最適なスポットがあることに気づき、「骨で聴く異世界」の巡礼として順次取り上げていきたいと思いました。

岩松山義国院青蓮寺を骨で聴く

2013-03-21 04:38:25 | 骨で聴く巡礼旅

 岩松山義国院青蓮寺は、平安時代後期の武将で、新田・足利両氏の祖・源義国(1091年?~1155年)の開基による寺院です。義国の長子が義重、次子が義康です。
 義重が新田氏、義康が足利氏となりました。また鎌倉から室町の時代に多く登場する山名氏・里見氏・今川氏・斯波氏なども新田、足利の家系にあたります。

 この歴史ある寺院へ、最先端の骨伝導ヘッドセットとともに参拝に向かいました。

 群馬県太田市の国道354号線から少し入った位置にあり、案内板のしっかりしていて訪れやすい寺院です。

 開山が源祐で、鎌倉時代の弘安年間(1278~1288年)に時宗になったといわれています。寺院の位置は現在より東側約500メートル場所にあったようですが、天正3年(1575年)に金山城主・由良成繁が現在地に移築されました。

 また、この寺地が新田・足利の祖である源義国の館跡と推定されていて、境内から掘立柱跡などの遺構が数多く出土しているようです。貴重な史跡といえます。

 道路から境内に入るとまず迎えてくれるのが仁王門です。力量感あふれる金剛力士像が安置されています。ここから一直線に本堂へと繋がり、他に鐘楼や庫裏などがあります。この雰囲気は何とものどかで、それでいてどことなく品の良さを感じさせてくれるのは、歴史の持つ重みなのでしょうか。

 静寂に包まれた青蓮寺の境内で骨伝導ヘッドセットを使いながら周囲の微かな音声を聴きます。騒音対策として抜群の効果を生む骨伝導機器ですが、この青蓮寺では参拝者の脳に、耳だけでは聞こえない「何か」を齎してくれるようです。それが「癒し」であるのなら、おそらく脳波と関係しているのでしょう。
 恐るべき骨伝導機器の威力です。米軍で採用された特許技術の製品だけが伝えられる感覚だといえます。

          ⇒ 米軍採用の最先端骨伝導製品

 骨伝導巡礼で訪れた寺院の中でもここは格別に思い出に残る場所になりそうです。

ハクビシンを骨で聴く

2013-03-19 17:34:50 | 骨で聴く動物

 ハクビシンは日本に生息する唯一のジャコウネコ科の哺乳類といわれ、日本の在来種なのか外来種なのかが議論されていた時代がありました。特にハクビシンの特徴である額から鼻にかけて引かれた白い線を中心として、顔面の斑紋などが日本各地の分布域により異なるというデータから、日本固有の独立亜種である可能性がありました。

 しかし現在では。明治時代に毛皮用として中国などから持ち込まれた一部が野生化したという説が有力となっています。文献学的に見ても、明治時代以前の古文書にその記録がないという事実が裏付けています。当然ながら化石もありません。

 日本の分布を見てみると、本州と四国の東半分に生息しているようで、例外的なのが北海道で、局所的に分布しているようです。日本の津々浦々までは生息していません。地域により連続的に分布していないということからも、外来種である可能性が高いといえるかもしれません。

 鳴き声は、猫のようでもありますが、どちらかというと「キッキ」というような声で、。威嚇する時は「カー!」といってかなり迫力があります。
 そんなハクビシンを最先端の特許技術を駆使した骨伝導スピーカーで聞けば、耳だけでなく骨から脳へと伝わる音声で、実に興味深くなります。骨伝導を使って動物の声はそれなりに聞いてきましたが、ハクビシンもお勧めです。
 しかし骨伝導機器は米軍採用の最先端の製品でないと、意味はないかもしれません。性能の差が動物の鳴き声に反映されます。

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炎を撮影する女たちを骨で聴く

2013-03-14 19:24:27 | 骨で聴くビジネス

 焼肉屋にて、壺ホルモンを炭火で焼いていると、炎が見事にあがりました。その瞬間、二人の女性が急いで撮影をする様子を捉えました。興奮して炎を被写体にする彼女たちは真剣そのもの。

 周囲の喧騒の中、炎と排煙機の音がかすかに聞こえます。
 最先端の骨伝導機器により、耳をふさがず、騒音にも対処しながらその様子を骨で聴きます。補聴器の役目も担うことができる骨伝導集音機「きくちゃん」であれば、首からぶら下げた状態で集音マイクを向けるだけでその様子がピンポイントで聴こえます。米軍で採用された特許技術の骨伝導スピーカーだけあって、その性能には定評があります。
 これが特許技術の骨伝導スピーカーでなければ、周囲の喧騒に消され、炎を真剣に撮影する彼女たちの様子も何だか間が抜けたものになりそうです。やはり繁盛した焼肉屋では「本物」の骨伝導製品だけが有効です。

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 そもそもホルモンとは、内臓肉(もつ)のことで、狭義では小腸・大腸、広義では正肉以外の臓物肉全般となり、胃、肝臓、心臓、腎臓、子宮、肺なども含まれることになります。
 ホルモン料理が広く普及した背景には「美容」の要素も多分にあるといえます。コラーゲンが含まれている事に由来します。ビジネス的にもこの美容というキーワードは相性がよく、女性客というターゲットが追加されたことにより、新規顧客の獲得、顧客単価のアップなどに影響を与えます。

 しかし、ホルモンを多量に摂取したとしてもコラーゲンの形で吸収され、しかもそれが効果的であるという事は、全く実証されていません。コラーゲンの含有は事実であるし、コラーゲンと美容の関係も事実ですから、それだけが一人歩きし、ビジネス展開に貢献したといえます。

 また、健康との関わりでいうと、昭和の初期頃から、「生命の基となる物質」、「若返りの秘薬」として、動物の内蔵・血液に多く含まれているのがホルモンだと考えられていたという話もあります。(田中聡著『健康法と癒しの社会史』より)
 しかしホルモンは、消化が悪い食べ物なのは間違いなく、しかもカロリーが高いという特徴があります。さらにプリン体を多く含んでいることから尿酸値の上昇にもつながります。
 そう考えると、健康にとって良いのかどうか分からなくなります。

 焼肉屋の繁盛ビジネスとしては、ステレオタイプ的な要素をキャッチとするより、「秘伝のタレで漬け込んだ壺ホルモンを炭火で焼くと、勢いよく炎が燃え上がり、何ともいえない火と肉汁のハーモニーを奏でます」とでも書かれたものを読んだほうが、よほど賢いような気がします。
 実際、その炎で恍惚状態になった彼女たちは、その後、もくもくとホルモンを平らげていました。その向かい側から最先端の骨伝導機器により冷静に骨で聴く自分自身は、まだまだホルモンの魅力にはまり込んでいないのかもしれません。その分、骨伝導機器のすごさを改めて知ることになりました。
 

新横浜駅を骨で聴く

2013-03-12 15:34:48 | 骨で聴く鉄道駅

 現在では東海道新幹線の全列車が停車する新横浜駅は、日本第二位の人口を誇る横浜市の玄関口といえます。しかし、東海道新幹線が開業した当時は、在来線の横浜線との交点に新たにつくられた駅で、駅の周辺は一面の田園地帯でした。しかも横浜線は単線で、本数も少ないローカル線の雰囲気を色濃く残していました。
 当然ながら新幹線も各駅停車タイプの「こだま」しか停車しない駅でした。

 ところが新横浜駅周辺が急速に発展し、横浜線も複線化され、横浜中心部や町田方面のアクセスが向上し、しかも1985年には地下鉄の駅も延伸開業しました。
 新幹線も「ひかり」や「のぞみ」の停車本数が増え、名実ともに横浜を代表する駅となりました。

 そんな新横浜駅ですが、以前の雰囲気を残す場所があります。
 篠原口の改札を出た先です。(画像は新横浜駅篠原口)

 発展した表側と全く異なる新横浜駅篠原口に最先端の骨伝導機器とともに降り立ちました。
 ロータリーはあるものの、規模は極めて小さく、商店街も周囲にはありません。昔ながらのアパートや民家が立ち並び、小さな丘陵地帯も形成されています。キャベツ畑を見ることもできます。かなり郊外の駅前といった雰囲気です。

 雑踏の中での騒音環境に最も適した通話方法として骨伝導ヘッドセットが使われますが、新横浜駅のこちら側はその用途では意味がありません。例外なのは工事の音への対策と、難聴者への対策でしょう。

          ⇒ 聞こえない悩みを解消する骨伝導製品

 もともとの風景が残る篠原口を散策すると、この場所に新横浜駅が開業したそもそものの構想に思いが飛びます。
 戦前の弾丸列車計画により、横浜線との交点に設ける構想が発端でした。実際にそれが実現したわけですが、東急東横線との連絡という利便性を考え、菊名駅付近とする案が最有力だったと言われています。
 それが菊名駅から少し離れたこの地に誕生し、水田地帯に新たな「顔」が出現したことになります。

 今では完全に横浜市民に定着した新横浜駅ですが、そんなことを思いながら裏側の篠原口で途中下車してみるのも良いかと思います。

威光寺弁天洞窟を骨で聴く

2013-03-11 15:48:49 | 骨で聴く巡礼旅

 東京都の稲城市には、前回訪れた穴澤天神社(⇒ 穴澤天神社を骨で聴く)のすぐ近くに隠れた穴場スポットがありました。しかも都内ではかなり珍しい存在といえます。
 それが威光寺弁天洞窟です。今回も最先端の骨伝導機器とともに巡礼の旅に出かけました。

 京王線の駅からよみうりランド方面に向かう坂道の途中にあり、斜面に切り開かれた一見すると何の変哲もない寺院です。しかし、境内には弁天洞窟という地下霊場があり、新東京百景にも選ばれています。
 地下霊場は時々目にすることはありますが、ここは隠れた穴場的存在であり、関東ではトップレベルのものといえるでしょう。それほどのまでのものがあるにも関わらず、知る人ぞ知るという程度の知名度なのも素晴らしいといえます。

 境内に入って左側にある庫裏が受付となっていて、ここで入洞料を払います。懐中電灯もありますが、ロウソク立てのセットを選んで斜面の方角へと向かいます。このロウソクは、洞窟内を巡礼するためのもので、要するに中には明かりが一切ないことを意味します。

 実際に洞窟の内部に進み、二股の通路を過ぎると、電灯設備がないことから真の暗闇を体験することになります。揺れるロウソクの炎だけで。一つ一つの石仏を手で探っていく姿は現代人が経験したことのない神秘性にあふれています。
 ロウソクの炎は弱く、無風状態ではあるもののいつ火が消えるかわからないような心細さがあります。そうなったら完全な闇です。この不安定な状態こそが強烈な信仰体験となるのが分かります。

 この洞窟はもともとは横穴墓だったようです。明治時代に洞窟に改造し、地下霊場となったようです。そのせいか古墳と新たな信仰により、宇賀神、弁財天、大日如来、毘沙門天、文殊菩薩、そして弘法大師に蛇など、多彩な神仏が祀られえていることにパワーを感じます。

 洞窟の奥の方には赤い柵で囲まれた小さな池もあり、神秘性がますます濃くなってくるのを感じます。水がしみ出している地層もあり、暗闇の中の冒険の要素も加味されてきます。

 さて、ではこの威光寺ですが、ここは1675年から穴澤天神社の別当寺だったようで、宗派は真言宗豊山派です。坂浜の高勝寺の末寺となっています。



 墓地がきれいに区画されて、斜面に広がっています。観音像も見事です。本堂は江戸時代の中頃に焼失し、現在の建物は明治3年に改築されたものだそうです。

 墓参りの時期でなければ参拝者の数も多くなさそうな雰囲気で、観光で訪れる人も少ないようです。それでもここはぜひとも参拝することをお勧めできる寺院です。
 洞窟の中は静寂そのものですが、耳だけでなく骨から脳へと伝える骨伝導機器とともに巡礼することで、霊場の持つ耳では聞こえないパワーの音声が聞こえるような気分になります。それほどまでに衝撃的なパワーです。

          ⇒ 耳をふさがない骨伝導パワー

 今まで骨伝導機器とともに多くの巡礼をしてきました。しかしここは別格といえます。視界のない世界で、耳だけでなく骨から伝わる音声を聞き取ることがどれほどのものか、ぜひとも体験して頂きたいと思います。

ふなばしアンデルセン公園を骨で聴く

2013-03-10 18:17:51 | 骨で聴く癒しの世界

 シベリア鉄道からスカンジナビア半島を抜け、デンマークにたどり着いたのは、多摩美術大学で現代美術を専攻していたときでした。貧乏大学生の欧州旅行らしく、明確な目的があるわけではなく、強いていえば旅そのものが目的だったという時代でした。今では懐かしいだけの思い出ですが、首都圏でデンマークの雰囲気を持つアンデルセン公園があるというので、最先端の骨伝導機器とともに出かけました。

 アンデルセンは正式にはハンス・クリスチャン・アンデルセンで、デンマークの代表的な童話作家・詩人です。デンマークには首都のコペンハーゲンにしか滞在しませんでしたが、この都市には人魚姫の像を見に行ったことを思い出します。

 さて、千葉県船橋市にあるアンデルセン公園は、船橋市がデンマークのオーデンセ市と姉妹都市であることに由来します。オーデンセ市こそがアンデルセンの出身地です。この公園は4つのゾーンに分かれた巨大なもので、そのゾーンとはワンパク王国、メルヘンの丘、自然体験、子ども美術館に分かれていて、1日中遊べる場所といえます。

 デンマークの雰囲気が味わえるというものではありませんが、日本の公園というよりヨーロッパの公園という雰囲気はあるかもしれません。骨伝導機器を使うことにより遊びに興じる子供たちのこえが耳だけでなく骨から脳へと伝わってきます。
 アスレチックなどはかなり本格的で、樹木の間にこだまする子供の歓声が骨伝導の威力によって癒しの音声に感じられます。

 最先端の骨伝導機器とヨーロッパ的雰囲気、さらにアウトドア的な公園という組み合わせは、これからの季節には最適といえるでしょう。特に孫とともに出かけるおじいちゃん、おばあちゃんには、骨伝導機器との組み合わせでより堪能できるといえるでしょう。

          ⇒ 孫の声を聞かせてあげる骨伝導

 事業者相手の多い骨伝導事業ですが、この公園に来て大学生時代の自身を思い出すことで、身近な骨伝導活用を見直すことになりました。

恵比寿・台雲寺を骨で聴く

2013-03-07 14:49:22 | 骨で聴く巡礼旅

 都会の寺院はビルやマンションの中にあったりしますが、今回訪れたのもそんなロケーションです。場所は恵比寿で、駅からそれほど離れた場所ではなく、ここが寺院かと分からずに通り過ぎてしまうこともありえます。

 それが骨伝導機器とともに今回参拝にきた台雲寺です。

 まず眼にするのが堂々とした石碑です。これを眼にしなければ寺院らしさは皆無ともいえます。日清戦争で亡くなった軍馬を祀った慰霊碑には、以下のような文面が刻まれています。

「みいくさを のせるのみかは かてをさへ はこぶも馬のちからなりけり」

 犠牲になった軍馬への追悼和歌が印象的な慰霊碑です。

 明治時代の人の博愛精神が垣間見ることができるのは、敵味方の慰霊碑です。日清戦争で亡くなった日本軍だけではなく相手方の清軍の軍人に対しても供養しています。当時の敵も味方も関係ない姿勢は、現在でも貴重なものだといえます。

 日清戦争は朝鮮半島をめぐる大日本帝国と大清軍との戦争で、ともに多大な犠牲者を出しました。約120年前の戦争です。実は、敵味方関係なく供養する形の慰霊碑は全国にもあるというのは後で知りました。

 慰霊碑から眼を右に向けると子育地蔵尊もあり、その先に寺院の入り口、墓地が続きます。



 周囲は比較的静かで騒音対策としての骨伝導機器としてよりも、脳波をベータ波にしつつ、この寺院の環境と一体化する意味での活用が有効といえそうです。
 都会の中に出現した癒し空間とともにこの博愛的な雰囲気を全身で感じ、骨伝導巡礼の醍醐味を思う存分堪能できます。

          ⇒ 骨伝導と脳との関係

 恵比寿の隠れた名所ともよべる場所で、骨伝導機器とともに気軽に訪れるのが良いといえます。


立川駅を骨で聴く

2013-03-01 14:06:49 | 骨で聴く鉄道駅

 多摩地区最大の駅といえば立川駅といえるでしょう。
 米軍採用の最先端特許技術を誇る骨伝導機器とともに立川駅に向かいました。

 JR東日本の中央本線・青梅線・南武線の3路線が乗り入れ、駅を挟んだ南北に多摩都市モノレールの立川北駅と立川南駅がある巨大な駅です。運行系統上「中央線」と案内される電車が中心ですが、甲府方面へ向かう中距離電車の運転区間では東端になっています。また、青梅線は起点になり、南武線は終点となる駅です。
 特急列車も「スーパーあずさ」の一部、「あずさ」と「かいじ」全列車が停車します。「成田エクスプレス」も一部停車します。
 
 駅は南北に自由通路があり、東側は従来からのコンコースで西側にはエキュート立川になっています。東側のほうが広いコンコースを有していて、グランデュオにつながっています。西側は2007年に開始されたもので、エキュート立川のオープンと同時に西側コンコースの南側に南改札口が供用を開始するようになりました。

 乗降客が多い駅であるにも関わらず、改札口が少なく、しかも各ホームからコンコースへの階段も1組しかなかったことから、混雑がひどい状況でしたが、東西に分かれたことで大分緩和されてきたようです。

 その一日平均乗車人員ですが、データでは155,868人となっていて、JR東日本管内では第15位という数です。八王子支社管内ではナンバーワンであり、東京の23区外の駅では最多です。JR線同士の乗り換え客は含まれていないため、実際の駅利用者数はこの数字よりもさらに多いと思われます。それほどの規模の駅が立川駅なのです。

 駅周辺で見てみても、吉祥寺、町田、八王子とあわせて多摩地域4大商業地といわれています。
 そのせいか雑踏と喧騒は日常の光景となっていて、騒音対策としての骨伝導機器としては活躍の場が多くある駅です。実際、駅構内で快適に携帯電話で通話をしようとしたら、絶えず大声を出すか、何度も繰り返さなければならない場面が出てきます。

 米軍の爆音の中でも通話ができる骨伝導技術を使えば一気に問題は解決します。
 実績のある技術でなければ意味がありません。骨伝導機器なら何でも良いというものではありません。本物だけです。

          ⇒ 米軍で採用された骨伝導パワーはこちら

 多摩地区最大の駅には骨伝導機器とともに快適なコミュニケーションを! これほど実感できる場はないかもしれません。