骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

湯島聖堂を骨で聴く

2013-02-16 14:59:22 | 骨で聴く巡礼旅

 受験シーズンのピークを迎え、湯島天神と並んで合格祈願の参拝に訪れる受験生が多いのが湯島聖堂です。御茶ノ水駅から聖橋を渡り、最先端の骨伝導機器ともに湯島聖堂へと向かいました。

 湯島聖堂の歴史を遡ると、1690年(元禄3年)に林羅山が上野忍が岡の私邸に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営したことが出発点であることがわかります。
 時の将軍は徳川綱吉で、これを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆しました。さらに付属する建物を含め「聖堂」と呼ぶようになりました。

 その後の大成院の建物は、度々の火災によって焼失し、徳川幕府が実学重視へ転換したことから再建が思うように出来ませんでした。1797年(寛政9年)になって、林家の私塾が幕府の官立の昌平坂学問所となり、さらに1799年(寛政11年)に、ようやく荒廃していた湯島聖堂の大改築が完成することになりました。建物は水戸の孔子廟にならい創建時の2.5倍規模のものに改められました。

 明治維新を迎え、1871年(明治4年)に閉鎖されることになりましたが、昌平坂学問所は、幕府天文方の流れを汲む開成所、種痘所の流れを汲む医学所とあわせ、後の東京大学へ連なる系譜上に載せることができます。
 また、東京師範学校(現在の筑波大学)や東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学) の源流ともなったようです。
 学問所の跡地は、現在では東京医科歯科大学湯島キャンパスとなっています。




 1922年になると国の史跡に指定され、翌年の関東大震災で入徳門と水屋以外の建物が焼失しました。
 現在の大成殿は1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造で再建されたもので、寛政年間の旧制をもとに再建したものです。

 孔子を祀っている大成殿という存在は、日本でも珍しいもので、1970年代に放送されたドラマ「西遊記」ではロケ地となっていました。2006年のリメイク版でもロケ地として使用されたようです。

 そんな湯島聖堂に立ち、最先端の骨伝導機器を使い周囲の音声を聴きます。
 日本の学問に関係する場所だけあって、日本が誇る世界特許の骨伝導技術が馴染む場所といえます。米軍で採用された最先端の骨伝導技術が、この地で光輝きます。

          ⇒ 世界に誇る特許技術の骨伝導製品とは

 湯島聖堂と骨伝導機器の組み合わせに感激し、難聴対策や騒音対策としての活躍場面を超えて、新たな発展が望めそうな気もしました。

穴澤天神社を骨で聴く

2013-02-13 19:04:30 | 骨で聴く巡礼旅

 隠れたパワースポットは、偶然に出会うことがあるようです。

 実は以前に訪れた京王線の「京王よみうりランド駅(京王よみうりランド駅を骨で聴く)」の近くに骨伝導ヘッドセットとともに行くことがあり、そこで穴澤天神社の存在を知りました。最先端の骨伝導機器と一緒だったことから、そのまま骨伝導巡礼に向かいました。

 京王よみうりランド駅から調布方向へとしばらく進むと、よみうりランドやジャイアンツ球場側が木々が繁る丘陵地帯と静かな住宅街とが線路を挟んで分かれています。そんな中、ガードをくぐって山に登る道があります。地味な道路で、初めての人はクルマで侵入するのに躊躇すること間違いなしの細道です。急斜面と角度の鋭いカーブを進み、登り詰めた場所に境内が開けています。

 クルマで来ると、参道入口の雰囲気とは全く異なる空間であることがわかります。斜面が切り開かれた場所に立派な社殿が建ち並んでいます。
 延喜式神名帳に記載される「武藏國多磨郡穴澤神社」に比定されている神社で、創建は孝安天皇4年(紀元前423年)3月とされるほどの歴史を持っています。

 多摩丘陵の中腹が境内になっていて、すぐ下に三沢川が流れています。境内直下の崖下に降りられるようになっていて、ここには洞窟の祠があります。また、東京の名湧水57選に選ばれている湧水が湧き出ています。



 弁天社と思われる祠が祀られているすぐ横が洞窟の入口です。入るためには飛び石を伝わる必要があります。それほど水が豊富な場所です。

 この洞窟は一説には、胎蔵界、金剛界と呼ばれているようで、確かに密教的な雰囲気が充満しています。しかし洞窟の中はあまり深くなく、奥行きはせいぜい10mあるかないか程度だと思います。壁面は酸化鉄でどろどろとしています。

 何とも不思議な空間で、期待していなかった分だけ衝撃的でした。
 ここは「気」が良い場所なのか、不思議と水の音が心に響いてくる感じがしました。隠れたパワースポットというのも頷けます。

 骨伝導機器を使って、霊水とともに神社の発する「気」を脳へと伝えてみます。耳から聞こえる音声とは異なる「何か」を感じるような、しないような、そんな曖昧な感覚が実は心地よかったりします。
 米軍で採用された特許技術の骨伝導製品だからこそ感じられる一瞬です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品はこちら

 久々に一押しのお勧め神社に出会えたことに感謝です。


こどもの国駅を骨で聴く

2013-02-08 12:40:12 | 骨で聴く鉄道駅

 1959年(昭和34年)に当時の皇太子・明仁親王の結婚を記念し、旧日本軍田奈弾薬庫跡地の丘陵に1965年(昭和40年)に「こどもの国」が開園しました。
 その「こどもの国」へのアクセス路線として、長津田駅から弾薬庫への引き込み線跡を一部を利用して1967年(昭和42年)にこどもの国線が開業しました。

 その路線の終着駅であり、「こどもの国」の南西に位置しているのがこどもの国駅です。
 この駅は無人駅で、長津田駅から遠隔監視を行っているそうです。自動改札機が3通路あり、行楽時期には臨時改札が使われます。このときには有人駅になります。

 駅の規模としては大きくなく、行き止まりの単式ホーム1面1線だけの駅です。従って番線表示もありません。しかし放送では「1番線に電車がまいります」という声が流れます。

 東急線の支線扱いのように思えますが、こどもの国駅の駅舎は横浜高速鉄道の所有です。この路線が横浜高速鉄道に譲渡された際、駅の無人化対応を行った後に改築されたものです。

 旧日本軍田奈弾薬庫へのアクセス路線の時代には、この先にも線路が続いていて、その名残はこどもの国駅の前から延びている桜並木が線路跡だそうです。さらに奈良川を渡り、現在のこどもの国中央広場の周辺に貨物ホームが設けられていたようです。

 戦時中の遺物が、こどものための施設となり、鉄道も観光路線となるのは時代の流れといえます。現在では休日の日など、親子連れの人々の明るい声が駅に響いています。

 そんなこどもの国駅で骨伝導ヘッドセットを試します。
 子供の声が耳だけでなく骨からも脳へと伝わります。楽しそうな雰囲気が強く伝わってきます。米軍採用の特許技術を誇る骨伝導製品は確実にその場の音声を吸収してくれます。

          ⇒ 米軍採用の骨伝導製品

 骨で聴く鉄道の旅も、こんな駅を訪れるのはあまりなかったので、これからはもっと幅を広げていきたいと思いました。

御田八幡神社を骨で聴く

2013-02-07 12:22:22 | 骨で聴く巡礼旅

 東京を代表する神社である神田明神から、第一京浜沿いにある御田八幡神社へと骨伝導巡礼を続けます。JR山手線・京浜東北線の田町駅や地下鉄の三田駅からほど近く場所に鎮座しています。

 ここは亀塚(⇒ 亀塚を骨で聴く)の断崖下のような位置にあたり、海側斜面に鎮座しています。かつては正面が東海道で、その先は江戸湾の海浜でした。しかし明治40年代から芝浦の埋め立てが始まり、現在ではその面影を全くありません。
 それでも周囲の木々は残り、神社らしい雰囲気は色濃く残っています。

 歴史のある神社で、和銅2年(709年)にまで遡ることができます。東国鎮護の神として牟佐志国牧岡の地に祀られたのが最初です。寛弘7年(1011年)には武蔵国御田郷久保三田に遷座し、寛文2年(1662年)に現在地である荏原郡上高輪村海岸が開拓され、再び遷座が行われました。寛文8年の大火により社殿は全焼したことから、仮殿が伊皿子坂薬師寺に置かれた時期もありましたが、最終的に寛文12年に社殿が再建され現在のもとになりました。

 慶応元年(1865年)に「稗田神社」へと改称され、明治5年(1874年)に「三田八幡神社」に再度改称され、このときに郷社に列しました。しかし明治30年(1897年)には「御田八幡神社」に復しことになりました。

 東京大空襲のときには寛文12年造営の社殿が焼失し、復興されたのは昭和29年でした。

 ここも騒音と隣り合わせの聖域ですが、鬱蒼とした樹木と、亀塚方面への急な斜面との組み合わせで、都会の神社と思えないほどの神秘的な雰囲気が漂っています。
 骨伝導ヘッドセットを使って、耳だけでなく骨から脳へと音声を伝えることで、荘厳な雰囲気により浸ることができそうです。ただそのためには米軍採用の特許技術を誇る性能の骨伝導製品でなければ難しいかもしれません。

          ⇒ 米軍採用の技術を駆使した骨伝導製品

神田明神を骨で聴く

2013-02-06 11:42:06 | 骨で聴く巡礼旅

 正式な名称は「神田神社」ですが、一般的に呼称されているのは「神田明神」。
 東京の神田だけでなく日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神という神社です。
 最先端の骨伝導ヘッドセットとともに参拝に訪れました。

 一ノ宮に大己貴命、二ノ宮に少彦名命、そして三ノ宮に平将門命の3柱を祀る神社です。三宮の平将門こそ、この神社の特長を大きく出しているといえます。

 平将門といえば、関東一円を手中に収めた最初の人物で、自らを「新皇」と称するほどの人物です。源氏の鎌倉幕府、徳川の江戸幕府に先駆けて関東を拠点とする勢力でした。

 承平5年(935年)に平将門の乱で敗死した平将門の首がこの近くに葬られたことから、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けました。さらに嘉元年間に疫病が流行した際には、将門の祟りであるともいわれ、供養が行われるようになりました。
 そして、延慶2年(1309年)、この神田明神の相殿神とされるようになったという歴史があります。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれるほどになりました。

 明治7年に明治天皇が行幸する際には、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされてしまいました。その結果、平将門が祭神から外されることになりました。
 そのときに大洗磯前神社から勧請されたのは二ノ宮の少彦名命です。平将門神霊は境内の摂社に遷されることとなりました。

 しかし昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰し、現在の姿となりました。

 神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないというタブーも一般的に言われています。
 成田山新勝寺は、叛乱を起した平将門を討伐するために、僧・寛朝を空海作といわれる不動明王像とともに成田山新勝寺へ使わせ、鎮圧のため動護摩の儀式を行わせたといわれています。神田明神とは正反対に、新勝寺の参拝は反・将門の意味合いがあるともいわれるからです。

 そんな神田明神ですが、圧倒的な存在感を誇り、参拝者の数もかなりの多さです。
 都心一等地にふさわしい姿と参拝者を誇るといえます。

 それだけ参拝者を集める境内には騒音がつきものです。
 骨伝導の威力が発揮される場ともいえます。米軍の爆音の中でも通話ができる特許技術に裏打ちされた製品が、手軽に手に入るのは魅力的です。
 参拝とセットで使用すれば、耳を塞がない利点も多く現れます。

          ⇒ 米軍採用の骨伝導製品

 都内の神社では別格扱いなほどメジャーな存在ですが、改めて骨伝導ヘッドセットとともに参拝にでかけることにより、神社の持つパワーと米軍採用の驚異的な骨伝導パワーが見事に融合することがわかります。



特急「踊り子」を骨で聴く

2013-02-05 12:33:47 | 骨で聴く鉄道駅

 骨伝導とともに鉄道関連を扱うのも久しぶりになってしまいました。
 今回はJRの特急電車「踊り子」です。
 川端康成作の小説『伊豆の踊子』にちなんだ名称なのはご存知の人も多いでしょうが、実は一般公募により決定したもののようです。

 特急「踊り子」は特急「あまぎ」と急行「伊豆」を統合したもので、その後「スーパービュー踊り子」が登場してました。

 東京駅から伊豆急下田駅間を1日3往復運転されていて、特徴的なのは、3往復中2往復は電車が修善寺駅発着の列車が連結されている点です。熱海駅で増解結を行います。ただこのパターンの電車は、三島駅から修善寺駅の間は特急料金が不要の扱いになります。

 デビューから年数が経過している車両で、熱海から東京の間は新幹線と競合関係にある路線です。速さという点では、どうしても見劣りしてしまうのは否めません。それでも東京から直通で伊豆の観光地を乗り換えなしで行けるのは、やはり魅力的といえます。

 急がず、快適に伊豆の温泉旅行に行くのには最適です。
 古き良き鉄道旅を堪能し、骨伝導ヘッドセットを使って骨で「聴く」と、旅情もさらに掻き立てられる気分です。耳だけでなく骨からも音を聴き、電車の振動に身を委ねてみるのもよいでしょう。

 最先端で米軍採用の骨伝導技術とともに「踊り子」で癒しの世界へ入りましょう。

          ⇒ 最先端の骨伝導製品

亀塚を骨で聴く

2013-02-01 15:47:23 | 骨で聴く癒しの世界

 東京の聖坂を上り、弥陀三尊種子板碑最初のフランス公使宿館跡と続けて見学しましたが、その先には謎の塚が待っていました。亀塚です。

 住所表示は東京都港区三田四丁目16番20号になり、児童公園の敷地内に亀塚は存在します。
 なぜ謎の塚なのかというと、どう見ても古墳という存在の塚ですが、実は何も分かっていないというのが真相だからです。円墳状の盛り土は、古くから知られていて、その姿はまさに古墳そのものです。昭和46年に港区教育委員会と慶應義塾大学文学部との合同調査が実施されたほどです。



 結果はというと、副葬品も含めて何も見つからなかったようです。従って古墳であったとは判断できず、便宜的に古墳らしき扱いになっています。ただしこの周辺では、縄文時代の住居跡が発掘されているエリアになります。

 亀塚の名の由来としては、「更級日記」に出てくる竹芝伝説が関係しているようです。竹柴の衛士の宅地にあった酒壷の下に住んだ霊亀を、土地の人が神にまつったというものです。

 亀塚の円墳には頂上まで登ることができます。
 昭和30年代までは、この頂上から房総半島を視認することが出来たといわれていますが、現在は東側に樹木が生い茂っていて遠望は望めません。

 イメージ的に、岬の突端のような地形です。実際、武蔵野台地が海に落ち込むところだったようで、江戸時代にはこの亀塚から先は海だったようです。現在では第一京浜が走っていますが、眼下に望む場所が海だったとしても不思議ではない地形といえます。

 これは以前に骨伝導機器とともに訪れた多摩川台古墳群の亀甲山古墳と同じ立地条件といえます。

          ⇒ 多摩川台古墳群を骨で聴く

 多摩川台古墳群のときと同じように、ここでも骨伝導ヘッドセットを装着して古の音を耳だけでなく骨でも聴きます。都会の喧騒から少し離れた地で、癒しの音が聞こえる気がします。
 骨伝導の威力により、そんな時間を堪能するのも快適です。

          ⇒ 驚異のパワー炸裂! 骨伝導製品

 聖坂には、骨伝導ヘッドセットとともに散策するのに、実にマッチする場が存在し、それぞれに不思議なパワーを発しているような気がします。パワーの音を耳だけでなく骨伝導を使って「聴く」ことに大きな意味があります。