骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

軽井沢・白糸の滝を骨で聴く

2010-04-28 11:17:40 | 骨で聴く癒しの世界

 軽井沢では定番の観光スポットといえる「白糸の滝」です。

 ゴールデンウィークには大勢の観光客で賑わうのではと予想されます。
 しかも周辺は道路沿いに停めるスタイルの駐車場しかないため、そこでの渋滞と人の多さで、本来の日本庭園の箱庭を感じさせるような雰囲気は満喫できないかもしれません。

 骨伝導で滝の音を聴くのは、雄大な水の音を耳だけでなく骨から脳へと伝え、マイナスイオンとともに癒し効果を与えることができるでしょう。しかしこの白糸の滝は、大きさが、高さはわずか3m、幅は70mほどで豪快さは一切ありません。
 普通の滝と異なり、川から水が流れ落ちてくるのではないからです。地下水が岩肌から湧き出し、細い糸状に幾重も降り注いのでいるのが特徴です。この光景から白糸の滝の由来となったのでしょう。
 従って、骨伝導で豪快な水の音を聴くのではなく、情緒たっぷり水の奏でる音楽を聴くのが正しいかもしれません。

 水は透明度が高く、澄んだ空気と一緒になって、心地よい気分が生まれます。
 観光客が集まると、喧騒の中に入り、骨伝導は騒音対策として効力を発揮することになります。

          ⇒ そんな骨伝導の驚異の情報へ

                                                                                   

多摩川浅間神社を骨で聴く

2010-04-23 11:43:15 | 骨で聴く巡礼旅

 浅間神社は以前にも取り上げていますが(⇒ 浅間神社を骨で聴く)、今回は熊野神社と赤城神社も合祀し、社殿が古墳の上にあるという大田区の浅間神社を訪れます。

 この多摩川浅間神社の本殿は、浅間造という建築様式で、東京都内では唯一のものだといいます。

 創建は文治年間といいますから鎌倉時代になります。

 近くの東光院でも取り上げた伝説があります。(⇒ 田園調布・東光院を骨で聴く

 源 頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時のことです。妻の北条政子は夫の身を案じ、多摩川まで後を追って来たといいます。
 政子はここで、わらじの傷が痛み、傷の治療をすることにして逗留しました。そんあある日、政子は亀甲山という丘へ登った際、富士山が鮮やかに見えることに感激しました。
 富士山の麓にある浅間神社に向けて手を合わせ、夫・頼朝の武運長久を祈りました。そして自身で身につけていた正観世音像をこの丘に建てたそうです。

 それ以来、この地域の村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀り、同時にこの神社の起こりとされているようです。

 伝説はこれで終わりませんでした。
 承応元年(1652年)に浅間神社表坂の土止め工事をしていた際に、九合目辺りから正観世音の立像が発掘されました。
 泥を洗い流すと片足が欠けていることが分かりました。そこで新たに足を鋳造して祀るようになったといいいます。
 このときの神事が6月だったことから、現在でも例祭は6月に行っています。

 骨伝導とともに訪れた多摩川浅間神社は、富士講の象徴的な神社の様子にまず驚きました。古墳の上に建つ神社らしく、関東平野の多摩川沿いにありながら、まさにそこは「聖なる山」でした。
 多摩堤通りに面しているので、クルマの騒音はあります。しかし骨伝導によって騒音対策が施された状態で境内に入ると、そこは完全な聖なる世界です。

 鳥居を潜り、登山のように進みながら本殿へと向かいます。
 すると、右手に石碑があるのを見つけました。

 富士講中興の祖である食行身禄の石碑です。
 明治15年にこの地の富士講・講社が33回目の登山を記念して建てたものだといいます。注目すべきは、

             この石碑の字を書いたのが、勝海舟ということです。

 登りつめ、右手には多摩川を見下ろす展望台があります。対岸は川崎市です。
 風が心地よく、特許技術の骨伝導により耳だけでなく骨から脳へと伝わる音声も、相乗効果で癒し気分を上昇させます。

 そして本殿へと向かいます。
 骨伝導の影響だけでなく、ここには確かな「気」が充満しているようです。
 俗に言う「パワースポット」でしょうか。

 骨伝導の驚異のパワーと一体化すると、とてつもなく運気が開けそうな予感がしたりして、一人ほくそ笑んでみます。

           ⇒ そんな驚異の骨伝導を身近に!

 多摩川駅や隣の沼部駅周辺を紹介してきましたが、やはり締めはこの多摩川浅間神社で間違いなかったようです。

                     ⇒ 多摩川駅を骨で聴く
          ⇒ 沼部駅を骨で聴く

                                        


沼部駅を骨で聴く

2010-04-21 10:45:57 | 骨で聴く鉄道駅


 田園調布本町にある東光院の最寄り駅が東急多摩川線の沼部駅です。

          ⇒ 田園調布・東光院を骨で聴く

 この駅は東横線・目黒線の多摩川駅から一つ目に位置します。

          ⇒ 多摩川駅を骨で聴く

 多摩川駅からわずかに0.9kmで、文字通り多摩川に沿って沼部駅へと到着します。跨線橋もなく、相対式のホームがあるだけのシンプルな駅です。
 それでも乗降人員は、一日に10,053人というデータがありますから、利用者は少なくありません。

 骨伝導のヘッドセットとともに多摩川駅から、一駅の乗車をしました。
 地下から地上に現れ、緑と住宅街の中をゆっくりと進んで、すぐに沼部駅に着きます。電車の奏でる音が周囲の風景と重なり、しかも耳だけでな捉えられない音まで骨伝導によって聴こえてくるようです。

 この駅は、昔、古来丸子荘という場所にちなんで「丸子駅」と名付けられました。
 これが「武蔵丸子駅」と改称されました。このときの所在地は荏原郡調布村大字下沼部で、さらに地名から「沼部駅」と名を変えてきたという変遷があります。

 現在の沼部駅の名称になったのは、大正15年(1926)ですから、歴史は十分にあるといえるでしょう。

 最新の特許技術を持つ骨伝導との対比がまたいいかもしれません。
 この駅から歩いてすぐの場所に福山雅治の「桜坂」で有名になった坂があります。

 この曲も骨伝導で改めて聴いてみましょうか。

          ⇒ そんな驚異の技術・骨伝導の世界へ

 春風に誘われ、骨伝導とともにこんな駅に降り立つのは、実に快適な気分です。

                        


多摩川台古墳群を骨で聴く

2010-04-20 17:35:23 | 骨で聴く体験記

 骨で聴く癒しの旅は再び舞台を東京の大田区に戻します。
 東急線の多摩川駅からほど近い場所に、古墳を見に行きます。もちろん骨伝導ヘッドセットと一緒です。

 古墳時代(6世紀前半~7世紀中頃)の直径15~19mの小規模な円墳の集積が多摩川台公園の中にあります。群集墳と呼ばれ、この地方の代々の首長の墓と見られるています。
 第1と第2号墳は前方後円墳で、第8号墳は古墳ではないといわれています。

 そして古墳群と隣接して
亀甲山古墳があります。

 大田区から世田谷区にかけて多摩川左岸に集中する荏原台古墳群の中で最大の規模を持つ前方後円墳です。昭和3年(1928)に国史跡に指定されました。

 整備された公園の中では異様な存在感を持つ古墳といえます。

 発掘調査が行われていないようで、詳細なことは不明だそうです。
 但し、4世紀終末から5世紀 前半頃の築造と考えられているようです。保存状態は良好で、破壊も盗掘も受けていないようなので、古墳の内部にある副葬品は多分手
つかずでしょう。
 このまま調査されず、永遠の眠りにあったほうが良い気もするし、調査の結果、発見があるのを期待したい気持ちと、複雑な思いが交差します。

 骨伝導により喧騒から離れた多摩川台古墳群の音声を聴き、遠い歴史の足音までキャッチする感覚を享受します。
 耳からだけでなく骨からも歴史の音が入ってきて、米軍の爆音の中で通信できる特許技術の骨伝導スピーカーが過去と未来を攪拌するようです。

 身近な旅でありながら、骨伝導によって異国の癒しの世界へと誘われます。
 そしてそれは、骨で聴く旅の醍醐味でもあります。


           ⇒ 骨伝導の驚異の秘密に触れる!

 そんな異世界を感じ、改めて骨伝導から身近な古墳という歴史にイメージが膨らみます。

               



常盤伝説を骨で聴く

2010-04-18 22:24:18 | 骨で聴く巡礼旅

 2年前に訪れた駒留神社に再び訪れました。
 環七通りに隣接するだけあって、クルマが疾走する音が境内に響いています。静寂な雰囲気の駒留神社の境内に、場違いな音が入ってくるのは都会の神社の定めかもしれません。

 骨伝導ヘッドセットがあるので、騒音は何の問題もないので、改めて駒留神社の境内を散策できたのはうれしい限りでした。

          ⇒ 駒留神社を骨で聴く

 今回は駒留神社から住宅街を世田谷通りの方向へ数分あるいた場所へも行きました。もちろん骨伝導機器と一緒です。

 江戸時代の刊本『名残常盤記』の悲話をベースとした常盤伝説があります。

 その伝説の舞台は戦国時代に遡ります。
 世田谷城主・吉良頼康が等々力・野良田に鷹狩をした日のことです。その日は雪でした。吉良頼康は白鷺を捕らえましたが、その足に一首の和歌を記した短冊が結びつけてありました。その文字は女文字であったため、白鷺の骸を土中に葬り、飼い主を家来に命じて探索することにしました。
 
 その結果、家臣である奥沢城主・大平出羽守の娘、名を常盤ということが分かりました。
 その後、常盤は吉良頼康の側室として召されることとなり、寵愛を一身に受けたといいます。
 世田谷城に迎えられた年の夏のことです。頼康は帰途、飛翔する白鷺にも似た花の大群落に出合います。その場所は何と、常盤の白鷺のを葬った場所でした。
 頼康はこの花に鷺草の名を贈り、鷺の宮を建立して白鷺の霊をなぐさめるのでした。

 さらに2年後、常盤は懐妊しました。
 このことで他の側室13人の嫉妬をかうことになってしまったのです。嫉妬は謀に発展します。寵臣の家臣と密通したと讒言されてしまったのです。

 吉良頼康は憤りました。寵臣を討ち滅ぼしてしまったほどです。
 常盤は御殿から脱出しましたが、中郷(現在の世田谷区上馬)の野でついに自害して果ててしまいました。

 このとき、常盤は19歳だったといいます。胎児はわずか8ヶ月でした。

 胎児の胞衣に吉良氏の五七の桐紋が現れていて、頼康の実子と判明され、さらには鷺の宮の霊が吉良頼康に真相を語り、この事件は新たな展開を見せました。
 吉良頼康は讒言した側室13人をすべて皆斬罪としたのです。

 吉良家とは足利尊氏を祖とした名門の家系です。
 奥州探題を務めたり、鎌倉府では足利氏、関東管領上杉氏につぐ第三位の地位にありました。しかし足利氏の崩壊とともに力が衰えてきました。

 そして常盤伝説は、先に挙げた世田谷の伝承文学『名残常盤記』の影響が大きいいえます。
 これは文学なので、実在したか否かは分かりません。

 しかし常盤塚は駒留神社からほど近い場所に存在します。
 駒留神社の中にも常盤弁財天が祀られているのは事実です。

 今回は骨伝導とともに常盤塚にも足をのばしました。
 世田谷通りに近く、周囲は完全な住宅街です。骨伝導を使って音楽や通話等々を楽しみながら歩いていたら、おそらく見逃してしまうような場所にひっそりとあります。

 常盤伝説を骨で聴きます。
 世田谷通りの喧騒は消え、骨伝導による骨から脳への伝達は、脳波を癒し方向へと誘ってくれるようです。伝説と特許技術による骨伝導スピーカーの驚異の実力がリンクし、江戸の音声まで聴こえてきそうです。

 恐るべし! 骨伝導!

           ⇒ そんな骨伝導の驚異の世界へ

 駒留神社の再訪から常盤塚へ廻り、伝説を堪能しました。
 こんな伝説に絡む旅には、骨伝導の意外な威力が発揮されます。過去には弘法大師の伝説と絡めて骨伝導が大活躍しました。弘法大師・空海の法力や霊力を伴う伝説は、ある意味で骨伝導のパワーを凌ぐ要素もあるかもしれません。

          ⇒ 弘法大師といえば「弘法倶楽部」

 常盤伝説には弘法大師のようなパワーはないかもしれません。しかし秘話には何か心に響くものがあります。

                           

 

多摩川駅を骨で聴く

2010-04-16 16:07:42 | 骨で聴く鉄道駅

 東急線の東横線、目黒線、多摩川線が交わる主要な駅が多摩川駅です。
 しかしその割りに乗降客は多くありません。

 2008年度のデータで見ると、

 ■ 東横線 - 13,411人
 ■ 目黒線 - 2,884人
 ■ 多摩川線 - 3,195人

 東急の主要駅であり、急行停車駅ですが、信じられないほどの人数です。

 目蒲線が分断され、相互乗入れなどの形態に変化し、多摩川駅が変貌したことによります。実際に急行停車駅ではあるものの、駅前の道路があまりに狭隘な状態で、駅前広場は無理な場所になっています。
 路線バスは南口より先の多摩堤通り交差点近辺が乗り場になります。

 骨伝導とともに駅を巡る旅で、何だか不思議な感覚を覚える駅に出会った気分です。立派な駅舎と複数の路線、急行停車駅という条件でありながら、周囲は本当に閑静な場所で、多摩川を望む公園や周囲の森林に囲まれていることが、そんな気分を生んでいるのでしょう。

 騒音に強い骨伝導としては、閑静な地に響く電車の音を遮断して骨で聴くことが一番でしょうか。骨伝導の驚異のパワーもやや控えめにします。

 それでも骨伝導を使って駅を散策すれば、それなりの効果は十分です。

           ⇒ そんな骨伝導の驚異の世界へ

 多摩川を越えると神奈川県の川崎市です。
 
                               

田園調布・東光院を骨で聴く

2010-04-14 19:21:42 | 骨で聴く巡礼旅

 東京の高級住宅地である田園調布も、住所の表示が「田園調布本町」となると、庶民的な町となり、多摩川に沿った魅力ある地になります。
 桜坂と呼ばれる坂もその一つですが、今回はその手前、東急線の沼部駅の北側すぐの寺院を訪れます。もちろん骨伝導のヘッドセットは必携です。

 東光院という寺院です。
 かつては、この寺院のそばを次太夫堀-六郷用水が流れ、石橋があったといいます。現在では、用水跡を説明する案内板が建っているだけですが、寺院に沿った用水路はなかなかの風情をかもし出しています。

 骨伝導のヘッドセットから水のせせらぎが聴こえてくるようです。

 

 さて、この寺院ですが、正式には有慶山延命寺、東光院と号します。
 真言宗智山派の寺院です。開山は義賢和尚で元禄3年(1690年)ですから、なかなかに歴史があります

 多摩川を見下ろす場所に浅間神社が近くにありますが、その浅間神社に祀られた北条政子の守り本尊・観音菩薩像が、明治の時代にこの寺院・東光院に移されたようです。これは明治新政府の政策による太政官令によるものでした。

 このことから、約30センチの高さの銅製の菩薩像を神輿に乗せ、一日だけ東光院から浅間神社へ返す祭礼があたようですが、残念ながら現在には残っていません。

 こんな伝説と絡めた祭礼が続いていれば、神輿の掛け声を骨伝導を使って骨で聴きたかったと思ってしまいます。

 境内には「勇士碑」があります。
 
 境内へ入って左手にあります。大銀杏の樹の下に位置します。
 真言宗系列の寺院では定番ともいえる弘法大師像がありますが、その像の裏にひっそりとある感じです。

 弘法大師の法力や霊力に守られています。
 明治維新といういわば革命ともいうべき激しい奔流の中、殺傷の犠牲となった三人の無名な男たちへの追悼碑を、大師が優しく守っているのかもしれません。

         ⇒
弘法大師といえば弘法倶楽部

 時代が
大転換を迎えると、こんな悲劇は必ずおこるのかもしれません。
 耳だけで聞くことの限界が見えたとき、骨伝導との併用に移行した転換期には、こんな悲劇はおきませんでした。

 しかし、粗悪な骨伝導製品によって、骨伝導の実力がうまく伝わらなかったという悲劇はあります。米軍に採用された特許技術の骨伝導スピーカーならば、転換期の波に飲まれることはないでしょう。

         ⇒
特許技術の骨伝導製品

 田園調布の東光院にて骨伝導とともに合掌!

                                 


大師を骨で聴く

2010-04-13 09:25:36 | 骨で聴く巡礼旅

 日本では「大師」といえば弘法大師を示す代名詞にすらなっています。
 空海と真言宗という結びつきとは全く無縁の次元です。
 大師は多くいても、代表格というより代名詞的な扱いいなっている弘法大師・空海は、まさに普遍化されたも。実際、日本の歴史の中で、天皇から下賜された大師号を持つ人は27名もいるです。

 今回は骨伝導を使って、大師を骨で聴きます。

 そもそも「弘法大師」とは、延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から空海に対して諡号が贈られました。

 空海の「弘法利生(こうぼうりしょう)」の業績により「弘法大師」とされました。「弘法大師」の諡号が贈られたことにより、「弘法大師」は「空海」という歴史上の偉人を超越することとなりました。

 21世紀の現在まで続く普遍化したイメージが定着し、各地で伝説や霊場を生み出すこととになったのです。
 だからこそ骨で聴く巡礼地の中でも、骨伝導を使って弘法大師関連の霊場や伝説地がひときわ魅力を感じるのでしょう。今までも骨伝導ヘッドセットとともに、数多く弘法大師関連の聖地を訪れました。

 ところで、「空海」から「弘法大師」へと普遍化されるはるか前、原点である幼名は真魚といいました。

 宝亀5年(774年)の生まれです。讃岐国多度郡屏風浦で生まれました。現在の香川県多度津町です。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(または妹)で三男でした。
 15才のとき都に出て、18才のとき大学に入学しています。時代としては桓武天皇が奈良の平城京を長岡京に遷都した7年後のことでした。政情不安定な時期で、この3年後には平安京に2度目の遷都を行っているくらいです
 大学寮に18歳で入学、しかし中途退学、20歳で山岳修行僧の群れの中に身を投じるという波乱の生活を送ります。
修行の道場としては、吉野の金峰山、紀州の高野山、さらには故郷である四国に及びました。

           ⇒ この続きは専門サイト 「弘法倶楽部」へ

 荒ぶる現世、普遍化した弘法大師の法力が必要なのかもしれません。
 そして混沌とした現代、不況、退廃のとき、法力・霊力とともに、耳だけでなく骨から脳へと伝える回路を見直すことが重要です。

 骨伝導は難聴者の方だけでなく、米軍で採用されているように騒音対策にもなります。この時代にまさにふさわしい技術です。

          ⇒ そこで骨伝導専門サイトへ

 骨伝導と大師の結びつきに、意外な現代の盲点があるかもしれません。今後も研究を続けていきます。

                         

高幡不動駅を骨で聴く

2010-04-12 16:34:25 | 骨で聴く鉄道駅


 多摩動物園に電車で出かける場合、新宿方面からこの高幡不動駅で乗り換えになります。骨伝導と一緒に動物を「骨で聴く」こともありました。

 駅名の由来は高幡山金剛寺、通称「高幡不動」(⇒ 高幡不動を骨で聴く)で、この寺院は関東三大不動の一つになっています。
 古刹であるだけでなく、新撰組の土方歳三の菩提寺であることから、新撰組関係の史料が多いのも特徴です。
 
 弘法倶楽部でも、この高幡不動には注目していました。しかし現在は残念ながら掲載記事はないようです。

          ⇒ 弘法倶楽部オフィシャルページ

 骨伝導ともに巡る寺院とは別に、骨で聴く駅の場合、癒しの世界より駅としての存在感や喧騒の中での通信などに骨伝導の活躍の場が見出されます。
 しかし、骨伝導とともに訪れる駅としては、参拝をも考慮して行きたい駅です。

 骨伝導による癒しの脳波と、人ごみや電車の音でかき消される音を骨伝導でキャッチする技術と、見事に融合した世界が開けています。

         ⇒ 骨伝導専門ページ

 こんな東京郊外の駅へ、骨伝導とともに訪れましょう!

                 


池ノ上駅を骨で聴く

2010-04-11 14:02:03 | 骨で聴く鉄道駅


 三宿神社(⇒ 三宿神社を骨で聴く)から山を越え、淡島通りを越えた先の北沢八幡宮(⇒ 北沢八幡宮を骨で聴く)と、骨伝導を使った参拝をしてきました。

 帰りは斜面を登り、閑静な住宅街を抜けた場所にある池ノ上駅から電車に乗ります。

 京王井の頭線の駅で、下北沢の隣、渋谷よりです。
 大きな駅ではなく、急行も停車しません。駅のすぐ横で都道が線路と平面交差しています。この道路は幅員が5~6m程度しかなく、駅の横では一方通行となています。

 そんな場所ですからロータリーも駅前広場もありません。典型的な東京の私鉄駅といった感じです。
 それでも駅を横をかすめる道路沿いには商店街が形成されていたり、アンゴラ共和国の大使館があったりします。

 現在の池ノ上駅は、バリアフリー化されています。2006年3月に駅舎が改良されましたが、そのときからのことです。

 井の頭線は渋谷から下北沢・明大前・永福を通り、吉祥寺へと繋がっています。郊外へ向かう路線という側面もあるでしょうが、小田急線と京王線との連絡をする路線の役目も大きくあります。

 骨伝導ヘッドセットを装着して池ノ上駅へ到着すると、踏み切りの音と電車の音の中でも携帯電話で快適な通話ができることがわかります。騒音の中で通信できる特許技術の骨伝導スピーカーのおかげです。
 骨伝導を使った骨で聴く駅は、すべてに共通することかもしれません。
 しかし、ホームと踏み切りと、道路幅のバランスから、池ノ上駅は最も骨伝導の騒音に対する威力を発揮する場といえるかもしれません。

          ⇒ そこで骨伝導の驚異の秘密を覗きましょう!

 世田谷でも渋谷よりの場所を、骨伝導を使ってミニ旅行をしました。春らしい天気に恵まれ、気分は最高だったこと、最後に付け加えましょう。


                         


北沢八幡宮を骨で聴く

2010-04-09 16:15:39 | 骨で聴く巡礼旅

 三宿神社(⇒ 三宿神社を骨で聴く)から、急な斜面を登り、今度は降り、淡島通りを越えて下北沢方面へと住宅街を進みます。
 骨伝導とともに参拝する次の聖域は、北沢八幡宮になります。

 三宿神社からは、感覚的に一山越えた場所で、再び急な斜面が現れます。

 世田谷城主の吉良頼康が勧請したと伝えられています。
 境内は広く、実に立派な神社です。本殿の他に、神楽殿、高良玉垂社、円海稲荷社、産土社、弁天社、野屋敷稲荷社、愛宕稲荷社があります。
 社殿は嘉永5年に再建されたと言われますから、これも歴史を感じさせます。

 骨伝導機器により騒音下でも安定した通話ができる状況ですが、ここは比較的静寂な場所に位置していることがわかります。ここも台地の縁にあたる斜面に立地していて、三宿神社と同様に幾つかの段差があり、鳥居から上へ上へと登る感じになります。
 樹齢を重ねた大きな樹木が残り、風によって葉がささやくような音は、耳からだけでなく骨伝導により骨から脳へと伝わる感覚は、何ともいえない癒し効果を感じます。

 子供達が遊べる公園としての役割も担っていることから、歓声も骨で聴きたいと思ったほどです。

 そんな世田谷の隠れた骨伝導参拝スポットは、まだまだありそうです。
 と、その前に骨伝導の驚異の秘密に触れるのも良いかもしれません。

          ⇒ 骨伝導専門ページへ

                                 


三宿神社を骨で聴く

2010-04-08 23:57:07 | 骨で聴く巡礼旅

 明治時代の氏子制度を受け、江戸時代の三宿村にあった多聞寺という寺院が、幕末には廃寺となり、それが神社となったのが三宿神社だといいます。
 多聞寺の本尊は毘沙門天だったことから、最初は祭神はそのまま毘沙門天で、後に「大物主命」に改ざんされたという記録もあるとか・・・・

 毘沙門天は元来がヒンズーの神です。それが仏教に取り込まれ、仏教の守護神となりました。日本にやって来たときは、仏教の神そのものと化していました。
 ちなみに毘沙門天は「多聞天」とも呼ばれることから、寺院の名前も多聞寺だったのでしょう。

 この神社の御祭神差替えは、経緯がはっきり判明してます。
 江戸から明治に至る過程での日本の宗教政策を裏付ける貴重なものといえるでしょう。
 神社としてのご神体は毘沙門天。
 それが大物主命と変化。
 戦後の宗教法人登記簿には「倉稲魂命を奉斉し公衆礼拝施設を備え神社神道に従い・・・・」と記載されています。なるほど、境内には稲荷神社もあります。三宿稲荷大明神です。
 
 骨伝導機器を装着しての「骨で聴く巡礼旅」で、三宿神社を訊ねたのは、そんな興味もあったからであり、まだ残る桜を満喫するためでもありました。
 
 三宿は渋谷から近い割りに、最寄り駅(池尻大橋・三軒茶屋)からは遠いという場所にあります。
 1990年代にいわゆる「トレンディ」と呼ばれる店が集まり、オシャレなスポットとして世に知られるようになりました。隠れ家的存在の街で、中心に位置する交差点は国道246号線と三宿通りにより、激しいクルマの往来があります。

 騒音です。
 爆音の中でも通話ができる骨伝導により、この点の問題はありません。
 三宿神社はさすがにそこまでの交通量がありませんが、それでも住宅街としてはそれなりの交通量かもしれません。
 特に急な斜面がある関係で、トラックの奏でるディーゼルの重低音な排気音は、境内にまでこだましてきます。

 やっぱり骨伝導です。
 三宿神社の参拝には骨伝導が欠かせません。

           ⇒ そんな驚異の骨伝導の世界へ

 世田谷の隠れた宗教秘話を持つ神社は、荘厳な雰囲気をわずかに残し、地域と一体化しています。耳ではなく骨から脳へと伝える骨伝導の威力と合わさり、聖なる空間が維持されます。

                       


市ヶ谷駅・江戸歴史散歩コーナーを骨で聴く

2010-04-07 18:28:42 | 骨で聴く鉄道駅

 地下鉄南北線の工事により江戸城の遺跡が出土しました。
 このときの遺跡とともに市ヶ谷駅の変遷や江戸時代の土木技術を展示するスペースが、地下鉄の市ヶ谷駅の一角にあります。

 都内の地下鉄駅構内なのに、ここだけが博物館の様相です。
 骨伝導機器とともに、乗り換えの際、このコーナーと出会いました。

 読んで字のごとくの「江戸歴史散歩コーナー」は、東京メトロの南北線と有楽町線を乗り継ぐときに出会うことができます。
 周囲は乗り換え客の靴音が響き、静寂な博物館とは少しだけ異質ですが、骨伝導を使えば何も問題ありません。騒音の中でも通話できる技術が骨伝導の特長ですが、こんなミニ博物館、しかも地下鉄駅構内でも大活躍です。

 骨で聴く駅シリーズでも、本当に今回は異質といえます。

 骨伝導とともに巡る駅ですが、こんな場所に遭遇すると、旅情気分も出てくるから不思議です。そしてまた骨伝導による脳波も関係して、これはもう最高です。

          ⇒ そんな骨伝導の世界へどうぞ!

 市ヶ谷駅は東京メトロだけでなく、JR東日本・都営線も乗り入れ、珍しいことに日本で唯一の特徴のある駅です。
 それは3社全相互間の連絡改札口があるという点です。

 意外や意外、知られざる市ヶ谷駅の特徴です。
 骨伝導も同様に、意外や意外の体験ができます。

               

六義園の春を骨で聴く

2010-04-06 07:16:41 | 骨で聴く癒しの世界

 東京の文京区のホームページを引用させて頂くと、

「1695年に、五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が綱吉から賜った地に下屋敷を造り、そこに造成した庭園である。
御殿を六義館、庭園を六義園と称した。
『詩経』の六義(りくぎ)から園名が名付けられている。
江戸初期に完成した桂離宮の庭園の様式を採用した回遊式築山泉水庭園である。
元禄時代の明るいおおらかな気風を反映した江戸大名庭園の代表的なものである。」

 こんな由緒ある都内の庭園であることが分かるのが六義園です。
 JR山手線・地下鉄 駒込駅からも近く、気軽に散策できるのが嬉しい場所です。

 この時期は桜です。
 骨伝導ヘッドセットを装着して、六義園のシダレザクラを見て、聴いてみました。

 何とも形容できない咲き方です。
 しかし日曜日は人がいっぱい。

 喧騒の中でのサクラ鑑賞です。早速骨伝導の威力とシダレザクラの魅力が合体です。妖しいといえるほどのサクラの咲き誇る姿を背景に、感嘆する人々の声、子供たちの甲高い声、そんな喧騒を骨伝導により骨から脳へと伝える技術により、雑音ではない音をひろいます。

 携帯電話での会話も骨伝導なら安心です。
 人ごみの中でも、こんなシダレザクラに感激した人々の中でも、相手の声は明瞭に聴こえます。

 こんな見事な庭園とシダレザクラには、やっぱり骨伝導です。

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 花見の季節は喧騒の時期です。花は人を狂わすほどの威力があります。
 骨伝導は騒音や難聴でも聴こえる技術があります。

                 


工事現場の騒音を骨で聴く

2010-04-03 12:57:47 | 骨で聴く体験記

 3年前に「年度末工事を骨で聴く」で取り上げた工事の騒音ですが、民主党政権になっても年度末と年度始めの光景は、大きく変化した気がしないのはわたしだけでしょうか。

 それでも公共工事は確実に減少しているのは事実で、大型建築物の工事も以前のような活気が感じられません。
 土木も建設業界も右肩下がりの現状は、むしろ経済的な問題も大きく関係しています。そんな中で工事現場に出会うと、社会的背景より先に騒音を感じてしまいます。
 重機類の奏でる音は、周囲に響き、一帯に音という幕をはるようです。
 携帯電話や無線は通常のように通話はできなくなります。

 耳だけを使っていれば‥

 骨伝導は耳ではなく骨から脳へと音声を伝えます。ですから工事現場での骨伝導は威力を発揮します。米軍の爆音の中で通信できる特許技術の骨伝導スピーカーの凄さは、工事現場で使うと革命的な体験となることでしょう。

 骨伝導は不能な通信を解決するだけでのものではありませんが、骨で聴く体験の第一歩としては、これはもうお勧めです。

 4月になり新年度を迎えました。
 この「骨で聴く異世界」も4回目の春を迎えます。

 さあ、みなさん
 骨伝導を体験してみましょう!

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 聴こえることは当然に思う方へ、この「聴こえる」大切さを難聴者の方のことも考えてみてください。想像する必要はありません。工事現場の中で骨伝導を使わずに通話すればよく理解できます。