骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

熱海の露天風呂を骨で聴く

2008-05-30 10:58:21 | 骨で聴く癒しの世界

 尾崎紅葉の「金色夜叉」でお馴染みの熱海温泉は、東京から100km程度の場所にあるせいか、箱根と並ぶ気軽な温泉街というイメージがあります。

 そんな立地条件のせいか、かつて、熱海温泉は日本を代表する歓楽温泉として栄華を誇っていました。良い意味でも悪い意味でも歓楽街として発展した温泉といえます。この反動は、バブル経済の崩壊による客離れ、日帰り温泉施設の台頭、レジャーの多様化など、複雑に関連した事情により、さらに拍車をかける結果となりました。

 昭和30年代は新婚旅行先として、高度経済成長期には団体旅行先として発展してきた熱海温泉の当然の結果といえなくもありません。
 実際、団体旅行先として定着した頃から風俗店が増加し、このイメージが家族旅行客にとっての悪いイメージを発生させ、バブル崩壊後は客離れから温泉旅館の経営破綻や安売り競争などに陥ってしまいました。休館している旅館が目立つと、温泉街としての活気が消え、寂れた温泉地の印象が生じます。これによりさらに客離れが進むという悪循環になってしまいます。

 ただ、温泉としての泉質が悪いわけではなく、新幹線でも東海道線でも気軽に行ける温泉場として確固たる位置づけなのは間違いありません。旅行先のひとつの候補として検討する価値は十分にあります。

 今回は熱海駅の裏側から急斜面を登り、歓楽街とは無縁な場所で露天風呂に入りました。海が見えます。
 熱海の街のさき青く広がる太平洋です。

 熱海市は人口4万人ほどの規模ですが、大型旅館、観光ホテルなどが多いせいか、地方の中小都市より多く見えます。また、位置的に神奈川県と隣接し、JRも東海と東日本の境界線にあるため、関東に属するような感じになります。

 この位置的な強みと、従来からのマイナスを克服して、ホテル・旅館経営者にはがんばって欲しいと切に願います。そのためには利益を上げることです。まずはできることからする…、としたら、最もかんたんな利益捻出法ノウハウを手に入れるのが得策かもしれません。

 ⇒ その驚異の簡単利益捻出法とは

 そして他の温泉地にはない魅力を多く出す必要があります。
 骨で聴くのも良いでしょう。骨伝導は熱海を救います。

 ⇒ 救える骨伝導



小田急ロマンスカーを骨で聴く

2008-05-29 12:48:14 | 骨で聴く鉄道駅

 ロマンスシートとは、英語の"love seat"に相当する二人掛け座席のことで、和製英語です。戦前の映画館や喫茶店などで使われた通称です。
 このロマンスシートを使用した鉄道車両の愛称がロマンスカーで、これも当然ながら和製英語です。そしてこれは小田急電鉄の登録商標でもありますが、1990年代後半に商標登録していますから、それ以前は一般的な愛称だったといえます。

 かつて、小田急ロマンスカーの乗客はほとんどが新宿から小田原・箱根方面への観光客で、新宿・小田原間ノンストップが主流でした。車内も独特の展望席や車内サービスの充実により、いわば非日常空間を楽しみながらの移動でした。目的地に着くための手段でありながら、移動そのものも楽しさを演出してくれる場でもあったのです。
 
 しかし沿線人口の増加にともない、特急の通勤利用という面が大きな役割を担うようになってきました。それにともない非日常的な電車から機能性という点が大きく加味され、今では複雑な停車パターンにもなってきました。

 最新の車両は50000系「VSE」で、これは従来のロマンスカーの楽しさを踏襲した内容、デザインになっていて、今でも写真撮影をする乗客が多いのも特徴です。

 ロマンスカーの種類を簡単にまとめてみます。

 ■スーパーはこね
 ■はこね
 ■さがみ
 ■えのしま
 ■あさぎり
 ■メトロはこね
 ■メトロさがみ
 ■ホームウェイ
 ■メトロホームウェイ
 ■ベイリゾート

 なんといっても地下鉄に乗り入れる唯一の有料特急があるというのが、他にはない大きな目玉かもしれません。
 通勤利用であっても、ちょっとした非日常空間に浸りながらの移動は、贅沢かもしれませんが決して悪くありません。

 そしてロマンスカーを骨で聴きます。

 ⇒ 骨で聴く旅はこちら

 日常生活のごく隣にある非日常空間をロマンスカーで体験するのに、耳だけで聞いていてはもったいないです。骨で聴きましょう。

         


玉川上水の金比羅・舟神様を骨で聴く

2008-05-28 15:42:22 | 骨で聴く巡礼旅

 それは、8店舗を経営する衣料品店社長からの依頼で、コスト削減の試算をしていたときのことでした。5店舗で年間百万円近い削減できる試算が佳境に入った頃、フル回転していた頭脳を休ませるため、玉川上水を散歩することにしたのです。

 玉川上水は、多摩川の羽村取水堰から新宿の四谷まで流れる用水路です。
 江戸時代、玉川兄弟により江戸の水源を確保するために行われた工事が、現在まで続く用水路の基盤となりました。美談で語られるのは、玉川兄弟が私財を投じて工事を行ったことによります。
 これにより江戸の飲料水としては貴重な水源になりました。
 さらに武蔵野地域の新田開発にも多くの分水(用水路)が開削されたことにより、農業生産への貢献度も大きいものでした。

 この玉川上水と西武拝島線が平行する立川市砂川町を当ても無くブラブラと歩きます。このときは設備投資なし、初期費用一切無料の利益捻出方法=コスト削減のことは頭から切り離しておきます。


 さらにいえば、こんなときに忘れてならないのが特許技術の骨伝導ヘッドセットです。耳だけでなく骨で聴きながら歩くのです。日経新聞でヘッドホン難聴の危険性回避として骨伝導のお勧めが掲載されていましたが、こちらははるか前から骨伝導がおともです。

  まだ知らない骨伝導の本当のすごさを見る方はこちら

 遊歩道に立て札があります。
 休息モードの頭に書かれている文字がインプットされていきます。

 金比羅山? 金比羅神社?
 四国でもないのになぜ? 疑問が生じます。疲れた頭脳には心地よい刺激です。

 どうやらここは山の裏斜面になっているようです。
 コスト削減とは異なる問題解決に興味を抱き、表にまわることにします。住宅街です。立川市郊外の何の変哲もない町並みです。ところがそんな住宅地の間に入り口があります。

 参道? らしき道があります。
 本場の四国金比羅山とは比較できない階段があります。

 霊気が漂う場所というよりは、素朴な公園のようでもあります。
 おもむろに登ります。

 金比羅山と呼ばれるこの山は人工の小丘で、安政年間(1854~1860)にこの地(砂川村)の名主・砂川氏が玉川上水の残土、あるいは水田を開墾した残土をもって塚を築いたといわれています。
 標高は15メートルですが、丘より山と読んであげたくなるから不思議です。

 塚が築かれたときに、浅間神社・金比羅神社・秋葉神社が祀られたと伝わっています。

 浅間神社は富士山信仰です。

  浅間神社を骨で聴く
  富士山を骨で聴く

 と、いうことはこの神様を勧請した理由が想像されます。
 もともと富士塚として築かれたのだろうと考えまれます。金比羅神社も石段と山との関係が容易に想像されますから、まず間違いないでしょう。

 ただ、秋葉神社…って?

 普通、秋葉神社といえば火防・火伏せの神である秋葉大権現を信仰する神社のことをいいます。徳川綱吉の治世以降に全国に広まったとされていますから、富士塚とセットとなったのは、時代的な庶民信仰の影響でしょうか。

 この金比羅様は、玉川上水が水運として盛んになった明治時代に、水運に携わる人々から、舟神様として特に深く信仰されていたようです。そのため、この山が金比羅山と呼ばれるようになったともいわれています。

 水運と金比羅との関係は深く、祭神は大物主命とされているものの、実は神仏分離以前は金毘羅大権現と称していて、ガンジス川に住むワニ(クビラ大将)を本地として祀っていたのです。梵語で先のワニを指す「コンピューラ」が語源となっているようですから、ワニと水運との関係性から玉川上水の近くに金比羅山があるのは必然的なものかもしれません。

 山頂まで登ると、小さな祠があります。
 四国の金比羅山と比較になりませんが、この地に立つことがとても大きな意味を持つような感じになります。骨伝導を通して、周囲の音も骨から脳へと伝わっていきます。

 経営者にとってリスクなしという前代未聞の利益捻出ノウハウを展開しながら、どうしようもなく疲れた頭脳に活力が漲ってくるようです。
 山頂に一人立ちながら、立川の金比羅山の稜線に、苦しむ経営者が笑顔に変わる瞬間が見えました。

 
                  

幽谷に湧く霊水を骨で聴く

2008-05-24 13:42:20 | 骨で聴く巡礼旅


 今まで霊泉・霊水を取り上げてきたのは、

  藤岡の霊泉を骨で聴く
  謎の霊泉を骨で聴く

 そして今回は茨城県高萩市にある「弘法霊水」です。

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 茨城県高萩市は人口34,000人程度の都市であるから、都市というよりは町のような規模といえます。
 太平洋に面して、日立から福島県いわき市に向かった場所に位置する、のどかな町です。

 この町に「弘法霊水」があると聞いて、常陸路を北上することにしました。常磐自動車道も水戸、日立と過ぎると交通量も減ってきます。快適なドライブです。

 常磐自動車道の高萩インターチェンジから、県道で常磐線の高萩駅方向へと向かいます。「高萩それいゆ病院」の看板に沿って右折。左手に病院が見えてきます。

 続いてすぐに右に曲がる道路が現れ、この先に進めば「やすらぎの丘温泉病院」があります。この病院は、旧跡・大高寺の跡に湧出した温泉を治療に利用しているそうです。茨城県内では初めての温泉病院です。
 温泉成分は、ナトリウム硫酸塩泉療養泉。「脳卒中の湯」として知られています。

 目指す場所は、大高寺奥の院なので、病院方面とは反対の左側に進みます。少し進んで細い道を右折。この終点が目的地です。

 奥の院境内で最も目立つのは、バンコクのワットサケット住職から寄贈された仏舎利塔でしょう。東南アジアと日本の寺院とが不思議な融合をしています。その前には弘法大師像が、しっかりと建っているのが印象的です。

 境内の小高い場所には古い大師堂があります。
 木造の掘立小屋のように見えますが、近づくと確かに大師堂であることが分かります。まるで古墳の上に建っているようで、存在自体が興味深いものです。

 大師堂の中は暗いが、弘法大師空海が立っているのが見えます。さきほどの仏舎利塔前にある大師とは違い、荘厳さがないものの身近な感じさえします。

 大師堂から見下ろした場所に井戸があります。
 この井戸水が弘法霊水です。

 弘法大師が発見したわけではありません。
 弘法大師の夢告により、掘られた井戸です。この水は、かつてから眼病に効果があると信じられていました。一度涸れてしまったが、寺の信者がもう一度掘ったらまた湧いたといいます。

 弘法大師の伝説は国内に数多くありますが、夢に出てきてというのも、それなりにあるのでしょう。そこまで語り継がれるのが、弘法大師空海の偉人たる所以かもしれません。 

 ここで水を飲みます。
 思ったより冷たくありませんでした。冬には快適な温度かもしれません。眼病に効くということなので、運転に疲れた眼にいいかもしれない、と思います。

 幽谷に静かに湧く霊水で喉を潤し、大きな息を吐き出します。ここには弘法大師空海が真言第八祖となった青龍寺と同じ空気が漂っているのかもしれません。

 そして喉を潤すときに骨伝導のヘッドセットが有効に作用してくれます。
 骨で聴く弘法霊水‥

  骨伝導の威力を知る

                        


聖なるものを骨で聴く

2008-05-23 12:16:18 | 骨で聴く巡礼旅

 聖なるものへの憧憬は、いつの時代、どこの場所においても不変です。

 聖なるもの、聖なる場所、霊場等を目指して旅たつことを一般に「巡礼」と呼び、古来より世界中で行われています。

 ハッジと呼ばれるメッカの巡礼は、イスラム教徒にとって、一生に一度課せられる義務です。キリスト教徒にとってはエルサレム巡礼、聖母マリア信仰では「ルルドの泉」や「ファチマの奇跡」などを目指す旅も巡礼といえるでしょう。


 日本では最も一般的で、代表格といえば何を差し置いても「四国八十八ヶ所」だろう。これは「巡礼」ではなく「遍路」と呼びます。

 四国八十八ヶ所の巡礼のみを「遍路」といい、この表記は十五世紀に登場しています。元来は永遠に歩くことを意味し、貴族社会や武士社会のような限られた世界の特権行事ではなく、あくまで庶民に広まった文化です。

 巡礼については、円仁の「入唐求法巡礼行記」(838年~847年)が本国では最も古い表記だと思われます。一般化したのは西国三十三観音巡礼からで、やがて日本全国に巡礼地が誕生し、意味内容も「参拝」の特殊な形態になっていきたようです。

 大きな特徴としては、札所・霊場に番号をつけ、連続的に巡るという点です。聖地を聖なる数の集合体として捉え、番号を付与し、順番に参拝するというものです。個よりも集合に大きな意味を生み出し、遍歴が基盤となって一般化したという点で、日本文化独特の「巡礼」「遍路」が見えてきます。
     
 これは例えば、西国観音巡礼が大和長谷寺の徳道聖人により創設されてから270年後、花山天皇が法皇となり、修行の後にこの巡礼を人々に広めたことが大きく影響しているのかもしれません。つまりは修行の延長と世の中の悩み、苦しみを救うということから普及したわけです。

 巡礼とはただ単に聖なるものへの憧憬ではなく、修行であり、救済でもある旅なのです。札所を巡る行為そのものが、ある種の目的にまで昇華した結果かもしれません。そういう意味では、行脚や遊行と同等の意味もあったということでしょう。

 ではこの「巡礼」や「遍路」だが、なぜ古来より綿々と続いているのでしょう?

 しかも21世紀の今日、改めて見直され、静かなブームとなった理由とは何でしょうか?

 現代では修行という意味は薄れ、大切な故人の供養、現世利益や霊験による健康祈願等、様々な目的で行われています。
 健康については、中高年を中心としたウォーキングという延長に、プラスアルファとしての「歴史」や「観光」という要素が加わった場合もあるでしょう。達成感を得るためというのも無視できない点だと思われます。

 また、昔より身近になった点として、交通機関の発達があることは事実です。距離的に完全徒歩巡礼が難しいものでも、結願に到る手段はかなり容易になりました。四国遍路は年間20万人ともいわれますが、クルマやバスを利用している方々が半数以上を占めています。いや、ほとんどかもしれません。「歴史」や「観光」というキーワードから考えて、充分に頷ける話です。

 しかしこれだけで、「遍路」「巡礼」が現代にここまで定着しているのか、抜本的な理由にはなっていないでしょう。

 巡礼は非日常である。

 ここに大きなポイントがありそうです。
 荒ぶる現世、先の見えない不況という世相を背景として、日常生活から離れた場として、現代の巡礼・遍路の本質があるのではないでしょうか。

 修行という意識が薄れたのは事実でしょうが、病んだ心をある意味で「修行」し、山伏のようにある意味での「験力」の獲得を求めることを欲しているのかもしれません。
 現実からの逃避ばかりでは先に進めない。ふと立ち止まり、倒産・リストラという外的要因だけでなく、ストレス・自己疎外など、現代社会が抱える問題に直面し、破壊し、再生することが求められているのではないでしょうか。

 聖なるものを目指し、触れあい、結願に向けて病んだ心を少しずつ癒していく、そんな場を提供する旅が、現代の巡礼・遍路なのではないでしょうか。旅だけでも非日常です。しかし、単なる日常生活からの解放だけでは、ここまでの意義はありません。レジャーによる気分転換の延長ではないのです。

 あらゆる既成概念と生活という単調な呪縛は、情け容赦なく己の実存を喪失させます。かつて欧州で失われた自己存在に対し、ニーチェが「神が死んだ」と叫び、カフカがグレゴール・ザムザを毒虫に変身させました。

 この失われた「自己」を取り戻すために、19世紀以来の哲学者や宗教家は、あらゆるアプローチを試みてきました。
 新興宗教の台頭と表裏一体の関係であることは、間違いないでしょう。占いやオカルトの流行も同様で、縛られ、失われた「自己」を再生する手段として利用されているのです。

 巡礼や遍路は、虐げられ、失われた「自己」を取り戻すだけに留まらず、聖なるもの他に道程の自然や人との触れあいも加算されます。この中から新たな「自己」を再発見していくのです。

 供養や祈願、あるいは修行なども、一度己を殺し、再生するための自己を発見していく過程のことなのです。巡礼地が聖なる集合体であるのと同様に、巡礼の周囲にあるすべての集合が自己完結する目的なのです。

 もちろん、巡礼そのものはレジャーでない分、辛く、苦しい経験も附帯するでしょう。徒歩巡礼であれば、足が痛くなり、持久戦になることもあるでしょう。ところがある一定のレベルを超えると、苦痛が苦痛でなくなり、逆に爽快感になることがあります。スポーツでもこのようなご経験のある方は多いでしょうが、ここにも巡礼・遍路の魅力があると思われます。

 そして達成感を得たとき、満足感だけでなく、聖なるもの、自然、人々などに感謝の気持ちが湧きあがってきます。一人で行う巡礼でも、決して自分ひとりの力でなし得ない結願を実感することでしょう。

 四国遍路は「同行二人」。
 お大師様と一緒に達成することで、至上の価値が見出されます。そして様々な人たちに素直に感謝できる自己を再発見することになっていくのです。

 物質文明と病んだ社会の中で、もっとも人間らしい行動の一つが、巡礼・遍路なのです。だから定着し、浅はかなブームに終わらないのだと結論しても、強引だとはいえないでしょう。

 そしてこれは骨で聴く世界にも通じます。

 ⇒ 骨で聴く世界への入り口

 さらにエネルギーの削減から自然回帰にも。

 ⇒ 削減して利益

           






神秘の巨石を骨で聴く

2008-05-22 11:19:44 | 骨で聴く巡礼旅

 久しぶりに栃木県の足利市です。
 何度か訪れたことがありますが、今回は市街地からはるかに離れた山間部へ行きます。謎と神秘にあふれた巨石を骨で聴く旅です。

 【過去の足利訪問関連】
  足利駅・足利市駅を骨で聴く
  行道山雲のかけ橋を骨で聴く
  弘法大師像を骨で聴く(鑁阿寺)
  足利尊氏を骨で聴く 
  寝釈迦を骨で聴く
  法楽寺を骨で聴く

 足利市の北部に名草という場所があります。
 ここに昭和14年に国の天然記念物に指定された巨石群があるのです。

 奇岩、巨石が多く、巨石群の中には厳島神社があります。もともとは名草弁財天として祀られていた場所で、明治の新仏分離令により改称していますが、今でも地元の人には「名草の弁天様」と慕われています。

 ここにある伝説は、おなじみの弘法大師伝説です。
 大師が天女のお告げにより江ノ島(神奈川県)で堂を建て修行していたということから始まります。大師は護摩を焚き、その灰で弁天像を三対つくり、それぞれ三箇所に安置しました。

 その場所は江ノ島、琵琶湖の武生島、そして足利の大勝寺。

 ところが、いつしか足利の弁天像が行方不明となってしまいました。弘法大師は自らその探索に赴くことにしました。この地に入ると、とても香りのよい風が吹いてきました。香りのもとへと足を向け、そのもとが草であることに気付きます。これは名草(めいそう)だということで、地名の由来になったといいます。

 さらに山中をさまようと、突如現れたのが白蛇でした。弘法大師は弁天様の使いに違いないと思い、白蛇の導き通り後を追っていきました。すると巨大な岩の前に出ました。

 白蛇は岩の穴に入り、出てこなくなってしまいました。弘法大師はこの地に霊示を感じ、この場所こそ弁天様を祀るにふさわしいとして、経文を唱えました。水源の守りに弁財天を勧請し、祠が建てられることになったのです。

 神社はその岩に建ちましたが、江戸時代に現在の場所に再建されたといいます。

 科学的に見ると、大昔、この周辺は水成岩からできていて、ここへ地下からマグマが盛り上がり、約10万年の歳月を経て花崗岩になったそうです。さらに粗粒花崗岩が方状節理に沿って玉葱状に割れ、水に洗われ、風化することにより、球状に残った部分が折り重なったことにより、現在の巨石群ができあがったということだそうです。
 専門的で、よく分かりませんが、天然記念物に指定されただけあって、貴重なものであるということだけはよくわかります。

 さて、現地訪問ですが、駐車場から歩いていくと、大きな朱塗りの鳥居を越え、なだらかな坂道が前方に開けてきます。途中までは舗装されているので歩きやすく、周囲の杉木立も手入れが行き届いています。かなり快適な道だといえるでしょう。

 参道はやがて短い石段になります。ここに石で出来た鳥居があります。斜面に沿って登っていくと、上方に巨石が少しずつ見えてきます。弘法大師が白蛇に導かれながら、この巨石の間を通り抜けたというのも、何だか当然のような気がするから不思議です。

 要するにそんな雰囲気が漂っているのです。

 話には聞いていても、実際に眼にしてみると、印象が異なることはよくあります。この巨石群も、突然現れてきた光景はそうでもなかったのですが、その場に立ってみると、異質な文明世界に入り込んだような気になり、事前の情報が一気に吹き飛んでしまいます。

 「謎の巨石文明」とでも表現すればいいのでしょうか。

 イギリスのストーンヘンジ、マルタ島のジュガンティア遺跡等々とはまったく異質ではあるものの、自然が創出した空間というより、太古の人間の神秘に満ちた信仰があるように思えてきます。これが太陽巨石信仰と直結することなく、弘法大師伝説が残るということに、逆に弘法大師の偉大さがわかるような気さえします。

 そんな巨石群の中で、一際目立つのが「弁慶の手割石」。
 おむすび型の巨大な岩が真っ二つに割れているのは圧巻です。

 また本殿を見上げる位置にあるのが、「胎内くぐり」。
 高さは10メートルを越えているでしょう。岩に洞窟のような穴があり、案内板には潜り抜けると安産になると書かれています。

 本殿は断崖絶壁の不安定な岩の上に建っています。とても小さな社殿ですが、この前に立つと、日常生活の苦悩も試練もいつの間にか消え失せ、瑣末なことでしかないと思えるだけの心の余裕が生まれてきます。この感覚を体験するためにここまで登ってきたのだとすれば、それはそれで何だか贅沢な気もしてきます。

 そしてこの空間でこそ装着していた骨伝導が有効に作用します。
 骨で聴く巨石です。

  骨伝導の驚異を知る

 本殿から「胎内くぐり」の頭上に到る橋を渡ると、奥にはまだまだ道が続いていました。骨伝導のヘッドセットを着けたまま、さらに奥の院へ向かう道を進むことにします。
 この道は沢に沿っていて、水の流れる音が心地よく、足取りが軽くなります。そして何より水の音を耳だけでなく骨からも聴くことで、脳波がシータ波になり、活性化されていくのを感じることができます。

 この沢では、水底に金色に輝く砂地を眼にすることもできます。砂金のように見えますが、花崗岩に含まれる金色の雲母が水に流され、堆積しているのようです。

 奥の院には建物がありませんでした。
 巨大な石が重なり合う場所に小さな祠が乗っているだけです。ただ、この周辺の巨石はかなりの迫力があります。
 微妙な安定性の中で巨石が重なり、微動だにしないのです。不思議な光景です。不安定に見える巨石の配置も、実は自然界の法則の中で正負のエネルギーが見事に相殺され、一番の安定をしているということでしょう。

 これは一般企業の経営にも通じる部分があるかもしれません。
 売り上げ、利益というプラスの面と、仕入れや固定経費などのマイナス部分とのバランスです。しかし原油高が続く現在、たとえば電気料金などの公共料金でさえ経費は跳ね上がり、自然界のバランスほど大げさでないにしても経営のバランスが崩れています。
 こんなとき、この場所に立ち、コスト削減を考えるのは賢い選択かもしれません。ただ自力で解決するのは難しいでしょうから、やはりプロに任せるのがベストです。


 そんなことを考えつつ、近くを見回すと、「天然記念物名草村ノ巨石群」という石碑があるのを見つけました。さらに先に簡素なトイレもあります。
 大鳥居の先の林道を車で進むと、迂回してこの奥の院に出てくることが分かりました。

 骨で聴き、利益とコストのバランスを調整する名草の巨石群、

                恐るべし!

関東女人高野山を骨で聴く

2008-05-21 10:46:34 | 骨で聴く巡礼旅

 弘法大師悲恋伝説(悲恋伝説を骨で聴く)や奇跡の秘湯ぶんぶくの湯(秘湯ぶんぶくの湯を骨で聴く)を北上し、御前山へと抜ける県道を進みます。

 山道ですが最初は快適でした。ところが少し走ると、とんでもない裏切りにあってしまいました。突然道路は細くなり、クルマ一台が辛うじて通れるほどの道幅になったのです。しかも落葉樹の古い枯葉も道路に散らばり、ますます道路幅を狭く見せています。

 ガードレールも整備されているとはいい難い状況です。対向車が来てもすれ違う場所はありません。県道の表示に安心していたのは愚かな考えでした。

 茨城県は道路に使う金がないのか!

 と、思わず怒鳴りたくなります。勿論八つ当たりです。道路特定財源の話題がニュースを駆け回っていますが、都心100km圏内のこの道路状況を見ると、何となく考えさせられます。もちろん自分勝手なものですが…。
 樹木が空を覆い、昼でも暗い道路は、弘法大師伝説を知ったあとだけに修行地を連想させます。
 とにかく対向車が来ないことを祈りつつ走っていると、視界がわずかに開け、右手に寺が現れました。小川を渡った場所に車を停める場所もあります。

 真言宗岩谷山清浄院仏国寺です。

 創建はおよそ1250年前で、開基は行基となっています。
 後陽成帝勅願寺で、関東女人高野山、関東三十三番札所です。
 また、奈良時代後期に権力をほしいままにしていた道鏡が左遷され、住んでいたという伝説があります。

 まさに知る人ぞ知る寺院です。観光ガイドブックには出てきません。

 明治の廃仏毀釈で荒廃し、往年の勢力はないものの、歴史を感じさせる寺であるのには変わりありません。
 ただ、最初に目にするのは平成12年に竣工された参道で、場違いなくらいに真新しさを感じます。石段が斜面に沿って、永遠と続いているように見えます。

 石段の高さが歩幅に合わないようで、妙に苦労しながら登っていきます。
 上へ、上へと向かうごとに疲労が蓄積されていくようです。日ごろの運動不足を痛感させられます。そして登りつめた場所は、空気が信じられないほど新鮮でおいしいものでした。山が切り開かれたような場所にある境内の聖なる空気が横たわっているのです。

 なかなか立派な寺で、本堂も観音堂も新しく、荘厳な感じはしませんが、とにかく新鮮な感じを受けます。
 延命子育地蔵尊の隣には、鶴と亀の稲荷があり、これはなんだかユーモラスな感じさえします。

 無人でした。
 こんな境内で何も考えず佇むのも悪くないようです。

 残念ながら奥の院に行く時間がありませんでしたが、ここは時間をとってゆっくりと散策したい場所だと思いました。奥の院はさらに山奥へと続く場所にあるようで、完全な非日常の空間があることが予想されます。

 霊気が漂っているかどうかは正直言ってわかりません。しかし清涼感ある空気に触れる場所であることは100%真実です。

 こんな寺院にはやはり骨で聴く体験が似合います。
 骨伝導機器を装着することで、清涼感が骨からも聴こえてくるようです。これだから骨伝導巡礼はやめられません。耳だけでなく骨から入ってくる音と、聖なる場所が合流する感覚が癒しに繋がるのです。

 ⇒ では、骨伝導とは?

 そしてこんな自然と一体化した場所を守りたいとも思います。
 先ほどは道路で文句を言いましたが、整備されない道路上にあるからこそこの雰囲気が保たれているのかもしれない―、そう思うと複雑な気がします。
 CO2やコストの削減が頭をよぎります。


 こんな旅、こんな場所を紹介するのは、おそらく酔狂なこのブログくらいでしょうか? 何となくそう思うこのごろです。

        初夏の日差しを浴びながら

            


レッサーパンダを骨で聴く

2008-05-20 12:41:42 | 骨で聴く動物


 一般に「パンダ」といった場合、白と黒のジャイアントパンダを指すようになっています。最近では上野動物園の陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したというニュースが話題になりました。これにより日本が所有権を持つパンダはいなくなり、ニュース番組では特集扱いの報道もされたほどです。
 ただ所有権がない、つまり借りているという状態のパンダは神戸の王子動物園や和歌山のアドベンチャーワールドにいるので、国内で実物を見るにはそこまで行く必要があります。

 レッサーパンダはジャイアントに対比して「小さい方の」という意味の英語「レッサー 」(lesser) を付けることにより、この呼び名が定着しました。中国でもジャイアントパンダのことを「大熊猫」と記すのに対し、レッサーパンダは「小熊猫」と記しますから、身体の色よりも大きさが区別の基準となっているから面白いものです。

  日本では約230頭が動物園などで飼育されています。動物園も約50園といわれていますからジャイアントパンダより実物を見る機会は多いといえます。

 しかし生息数は急激に減少しているようで、中国、インド、ネパール、ブータン、ミャンマーなどの地域で野生の生息数は5000頭以下と推定さています。当然ながらワシントン条約に関係する動物になっています。

 ジャイアントパンダと比較して動きが軽やかなせいか、とても愛らしい動作をします。子供たちに人気があるのも頷けます。

 ところでパンダとは、現地のコトバで「竹を食べる物」という意味だそうですが、レッサーパンダもジャイアントパンダも竹を食べます。まっすぐに伸びる竹とパンダとの対比が絵になるのは、パンダそのものの意味も関係しているのかもしれません。
 そして竹の緑はエコロジーを象徴し、中国のCO2削減を願うことに繋がります。

 日本でもパンダを見ながらCO2の削減をしようではありませんか!
 これがそのままコスト削減につながり、その部分が利益になるのならもういうことありません。レッサーパンダくん、ありがとう!


 骨で聴くことも忘れてはいけません。
 骨伝導の特許技術により、パンダの存在感をより感じましょう。

 ⇒ 骨で聴くとどうなる?

              


修善寺駅を骨で聴く

2008-05-19 19:16:18 | 骨で聴く鉄道駅


 伊豆の修善寺駅は、西武グループの伊豆箱根鉄道の駿豆線終点駅です。
 駿豆線は駿河と伊豆からとられた名称ですが、駿河地域を走っているわけではありません。すべて伊豆を走る路線です。ではなぜ駿河の頭文字があるかといえば、かつて駿河に位置する沼津を基点として路面電車が出ていて、それが由来だそうです。

 この路線にはJR東京駅からの直通電車があります。JR東日本の東海道線から熱海でJR西日本の路線に入り、三島からこの駿豆線に乗り入れるのです。定期列車の特急「踊り子」です。1日2往復が乗り入れています。
 しかし、駿豆線内では特急が特急料金不要の快速扱いになるため、この路線からは地元の人も普通に利用できます。

 伊豆の代表的観光地を走る路線のせいか中小私鉄の割には乗降客は多いほうでしょう。

 さて、この修善寺駅ですが、修善寺温泉の温泉街からは離れていることと、西伊豆やこの先の中伊豆方面の最寄駅ということもあって、たくさんのバスが発着するターミナルになっています。

 思いつくだけでも、

 修善寺温泉、戸田温泉、土肥温泉、湯ヶ島温泉、船原温泉、
 その他、 八木沢・宇久須・安良里・田子・堂ヶ島・松崎方面等々

 まさに温泉基地のような駅です。

 のんびりと旅をして、骨で聴きたいものです。

   ⇒ え? なんで骨で聴くの?

                      


葉の音を骨で聴く

2008-05-18 16:58:56 | 骨で聴く体験記


 木々の葉がかすかな風でなびいています。
 この音を骨で聴きながら海へと向かいます。

 自然の奏でるリズムを骨で聴いていると、日常の悩みがどれほど矮小化されたものかを感じずにはいられません。とはいうものの、例えば企業や店舗の経営者であれば毎月の支払いは悩みのタネです。公共料金も安くなれば‥と、願うかもしれません。

 
 そしてやはり骨伝導です。

 ⇒ 骨伝導の恐るべき機能

                 


修学旅行を骨で聴く

2008-05-17 01:41:45 | 骨で聴く鉄道駅

 JR池袋駅で修学旅行専用電車を見かけました。
 往年の特急電車が修学旅行の生徒達を乗せて走って行きました。どこからどこへ行くのか分かりませんが、何とも微笑ましく見送りました。

 そこでいつものようにウィキペディア(Wikipedia)で修学旅行を調べてみると、

「日本における修学旅行は、1882年(明治15年)に栃木県第一中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)の生徒たちが先生に引率され、東京・上野で開かれた「第二回勧業博覧会」を見学したことが日本での「学生・生徒の集団旅行」のはじまりといわれており、1886年(明治19年)には東京高等師範学校(後の筑波大学)が「長途遠足」の名で11日間のものを実施したという記録がある」
          出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 歴史があるようでないような、日本の教育上のひとコマこそが修学旅行なのでしょうか。自分自身の思い出といえば、やはり新幹線で京都に行ったことです。同じ新幹線に芸能人が乗車していてクラス中のみんなが騒いでいました。

 芸能人といえば、生稲晃子さんの取材に対応できず、残念なことになりました。スタッフのスケジュールが合わなかったのです。
 取材内容は、骨伝導だけでなくコスト削減の専門家集団としての意見などもあったようですが、本当に残念でした。

 ⇒ 骨伝導専門サイト

 取材はさておき、専用の電車で旅をするなんて、なんだかうらやましいと思う光景でした。明日こそいいことあるね。意味なくそう確信します。

             


横須賀中央駅を骨で聴く

2008-05-16 10:46:54 | 骨で聴く鉄道駅

 骨で聴く旅・初登場の京浜急行線です。
 今回は品川から快特に乗車し、横須賀中央駅に降り立ちました。

 相対式ホーム2面2線という構造なので、駅の規模としては大きくありなせんが、横須賀市内にいくつもある駅の中では最多の乗降客数を誇ります。その数は1日あたり70,709人(2006年度)で、京急線内では第8位の数になります。
 JR横須賀駅の1日平均乗車人員が6,220人ですから、乗降客数と乗車数の差があるのしても歴然とした差があります。

 一応は地上駅らしいのですが、傾斜地にあるため高架駅にしか見えません。ただ、東口側から見ると坂の下の地上駅だとかすかに認識できます。

 駅のすぐ隣はトンネルです。傾斜地の駅であることあよく分かる同時に、街の中心部にある駅とは思えない雰囲気もあります。

            
 
 ホームはカーブしているため、電車とホームとの間が大きく開いています。このため、下りホームには立ち番の駅員が配置されています。

 駅の高架下から東口方面に伸びる坂が平坂といいます。平坦でなく、かなりの急傾斜にも関わらず平坂と昔から呼ばれているそうです。
 坂を上った場所には上町銀座商店街のアーケードがあります。昭和の商店街といった趣で、地方都市に来たような気分異させてくれます。
 このアーケードが始まる手前にある階段を山のほうへ上がっていくと、歴史的な発見場所があります。残念ながら宅地化が進み、現在は民家の下になっていてどこがそうなのか分かりません。
 
 その歴史的発見というのは、昭和22年(1947)に近所の小学生が発見した約9000年前の貝塚です。縄文時代早期の土器や人骨などが発掘されました。とくにこのとき発見された平坂人骨は当時我が国最古の人骨として注目を浴びました。
 さらにここから30mほど離れた場所からもっと古い貝塚も発見され、『平坂東貝塚』と名付けられました。

 歴史のある場所なのです。

 こんな街と駅を骨で聴きます。骨伝導のヘッドセットを装着すると異世界へと突入します。横須賀といえば米軍とイメージされますが、その米軍で採用されている特許技術を活かした骨伝導を使うと、縄文時代から昭和のレトロ商店街まで一気に「聴く」ことが出来そうです。

 ⇒ 米軍で採用された特許技術とは

 そして、こんな歴史の街だからこそ次代に残したいものです。そのためにも不況を乗り越えて欲しいと願います。商店の方たちはより利益を上げて欲しいと思います。
 お助けできるとすれば、コストを削減してその分を利益に変える魔法でしょうか。

 ⇒ 一瞬にしてコストを利益を変える方法

   


弘法大師像を骨で聴く(永光寺)

2008-05-15 00:09:24 | 骨で聴く巡礼旅


 骨伝導巡礼旅で久々に弘法大師像の紹介です。

  西新井大師
  鑁阿寺
  吉見観音

 修行中の弘法大師像は、まさに日本文化のシンボルともいうべき遍路とも繋がります。そして日本人の花好きと相まって、大師像が参拝者を優しく迎える寺院があります。

 茨城県古河市にある道楽山永光寺です。
 今の時期は、別名「花の寺」と呼ばれるだけあって、見事な花に魅せられた参拝客で賑わいをみせていいます。境内には、ぼたん5千株、しゃくなげ2千株があります。

 また、いかにも「花の寺」らしく牡丹観音像(8メートルの石像)まで聳えています。参道を登りつめた場所には巨大な不動明王の石像も奉安されているので、参拝者の印象に残りやすいお寺だといえます。
 しかし本堂は入母屋造り瓦葺の七間四面で、派手さがなく、寺院の歴史と落ち着きが感じられます。

 寺伝によれば開基は承和10年(843)僧・無善によるといいます。その後、天明2年(1782)第十八世の宥覚のころに伽藍が整い、数多くの末寺を有し隆盛を極めたようです。

 弘法大師像はどちらかというと地味な場所にひっそりとある感じですが、それが逆に周囲の風景と溶け込み、何ともいえない雰囲気をかもし出しています。

 骨で聴き、無駄な経費を削減すると、こんな光景が具現化できそうです。そういう意味で花だけでなくとも訪れる価値のある寺院だといえます。

  骨で聴くドットコム
  一瞬にしてコストを削減して利益を増大させる脅威のノウハウ

                   


如意山宝珠院観音寺を骨で聴く

2008-05-14 11:00:57 | 骨で聴く巡礼旅

 以前に真岡鐵道や益子焼を取り上げたことがあります。

  真岡鐵道を骨で聴く

  益子焼を骨で聴く

 今度は観音寺つながりで益子を取り上げます。如意山宝珠院観音寺です。

  大慈山観音寺を骨で聴く

  大悲山観音寺を骨で聴く

 真岡鐵道の益子駅は、観光で訪れる人たちを優しく出迎えてくれます。綺麗な駅です。大きな特徴のある駅ではありませんが、非日常の入り口に入ろうとする人には悪くありません。

         
 
 益子駅から徒歩で約15分。
 益子焼を求めて賑わう街中から、観音寺石段の参道に足を踏み入れると、そこはまったく別世界が待っています。

 鐘楼を見上げながら石段をゆっくり登り切ると、本堂が正面に見えてきます。左手には弘法大師空海の御像があります。ここはケヤキの老樹に覆われた台地です。弘法大師御像からさらに視線を左に向けると、そこには地蔵堂、反対方向には客殿と納経所があります。

 決して広い境内ではありませんが、まとまっていて、心地よい気分にさせてくれます。

        

 この益子観音寺は宝珠院といい、本尊が如意輪観世音菩薩です。栃木県の重要文化財に指定されています。
 開基は天平9年(737)、行基によります。延暦年間には弘法大師が巡錫し、如意輪観世音を奉安し、山号も如意山になったといわれています。

 文明元年(1469)には、住職の弘賢により、密教の学問所としても栄えたといいます。
 明治に入り、益子下大羽の宝蔵寺の本堂を移築した地蔵堂内には、子安地蔵尊が祀られています。


  【ご詠歌】
   にょいさんの てらのみまえに
    まいりきて かんのんぼさつを おがむもろひと


 《巡拝データ》
 ・如意山 宝珠院 観音寺(真言宗豊山派)
  栃木県芳賀郡益子町益子2935
   真岡鐵道益子駅 徒歩15分

 骨で聴く巡礼旅では、メジャーな寺院も取り上げますが、観音寺のような位置づけで訪れることが結構あります。これは神社にしても同様です。仮に地元の人しか訪れないような聖域でも、骨で聴くことで脳波をシータ波にし、少し異なる体験が出来ればという思いからです。

 実際、米軍の最先端で使われている特許技術を扱っているにも関わらず、伝統的な神社仏閣をこれだけ取り上げるブログは他にないでしょう。この稀有な位置づけは堅持していきたいと思っています。

  そこで骨伝導とは何かを調べる

 さらに、この地味なことを続けていることにより、昨日は三波豊和さんが主宰されているサイトから生稲晃子さんをレポーターとして取材させて欲しいというお話がありました。現在検討中です。

 なぜ検討しているのかというと、実は企業や店舗・施設向けのCO2削減、コスト削減の事業があまりに多忙を極めているからです。

  

 今後の発展を考えつつ、骨で聴く旅も続けていこうと思います。 


大悲山観音寺を骨で聴く

2008-05-14 00:35:04 | 骨で聴く巡礼旅


 前回の観音寺と1文字違いの寺院を訪ねます。
 大慈山観音寺から大悲山観音寺へと移動です。⇒ 大慈山観音寺はこちら

 栃木県の芳賀町が舞台です。
 この町は1954年に祖母井町・南高根沢村・水橋村の3つの町村が合併して誕生した町ですから、平成の大合併で生まれた町ではありません。人口は約1万6千人ほどで、栃木県都の宇都宮市郊外であることから、果樹や野菜類、施設園芸、畜産といった都市近郊型農業も盛んです。そして栃木県内でも代表的な米どころとして、水田地帯が広がっています。

 宇都宮市中心部から東に向かうと、のどかな田園風景が広がる手前に、大規模な工業団地の姿も目にします。この地域は台地となっています。

 鉄道には恵まれていません。JRも私鉄も駅はありません。JRのバスが芳賀町の中心部は祖母井(うばがい)を通り、茂木町のツインリンクもてぎに通じています。祖母井の手前には道の駅「はが」と、隣接して日帰り温泉施設「ロマンの湯」があります。

 目的地の芳賀観音寺は、祖母井から4キロ程度南下した田園地帯にあります。

 五行川に沿って元与能小学校のすぐ近くにあるお寺です。
 室町時代末期に観音堂過去帳の一部を残して焼失し、堂塔をすべて失ってしまったことから、創立不詳となっています。ただ寺伝によれば、大同3年(808)の徳一法師と伝えられます。小本寺格を有していたようです。
 再興は文化2年(1805)、宇都宮の能延寺老僧で大阿闇梨・学天によります。
 そして文政2年(1819)には、大阿闇梨・学天が仮本堂を建立したようです。

 明治6年(1873)からは、寺小屋教育の場となりました。これが近くにある与能小学校の前身となります。
 昭和49年から53年の間には、庫裡、本堂、庭園を再建し、さらに56年には観音堂を大修復しました。

 本尊は、金剛界大日如来です。野州続谷(現在の市貝町)の大仏師・荒井数篤の作です。

 正面にある観音堂は朱塗りの宝形造り三間四面、向拝の彫刻は目を見張るものがあります。行基作と伝わる聖観世音菩薩立像が奉安されています。これは栃木県指定有形文化財です。

 観音堂の左側には、昭和四十八年に再建された本堂があります。入母屋造り瓦葺、五間四面です。

 さらに庫裡があり、綺麗に整備された庭園もあります。天然記念物「イロハもみじ」の大樹が茂っています。

 またここは、ぼけ封じ観音・関東三十三観音霊場の二十七番札所にもなっています。

          

 のどかな田園地帯にある観音寺は、地域住民にとって、はかり知れないほどの存在感を示しています。それは、開運厄除虫切り観音子育ての霊験あらたかとして信仰されているからです。「与能の観音様」とも呼ばれ、近隣だけでなく、遠方からも参拝者は訪れるそうです。

 ひっそりとした境内、静寂でのどかな田園地帯、そんな素朴な場所へ参拝者が絶えないというのも、素敵なことだと思います。

 芳賀町には栃木ヘリポートもあり、ここは観音寺の境内とはまったく異質な騒音があります。ここでは骨伝導が必要なようです。ついでに観音寺でも虫の声を骨で聴くのも良いかもしれません。

 ⇒ そこで骨伝導について調べてみる

   【ご詠歌】
    みほとけの ふかきちかいを たずねきて
           よしやよのうと きくもうれしき


 《巡拝データ》
  大悲山 観音寺 (真言宗智山派)
  栃木県芳賀郡芳賀町与芭5
  JR東北本線・日光線・烏山線
  宇都宮駅からバスで45分