久しぶりに栃木県の足利市です。
何度か訪れたことがありますが、今回は市街地からはるかに離れた山間部へ行きます。謎と神秘にあふれた巨石を骨で聴く旅です。
【過去の足利訪問関連】
足利駅・足利市駅を骨で聴く
行道山雲のかけ橋を骨で聴く
弘法大師像を骨で聴く(鑁阿寺) 足利尊氏を骨で聴く
寝釈迦を骨で聴く
法楽寺を骨で聴く
足利市の北部に名草という場所があります。
ここに昭和14年に国の天然記念物に指定された巨石群があるのです。
奇岩、巨石が多く、巨石群の中には厳島神社があります。もともとは名草弁財天として祀られていた場所で、明治の新仏分離令により改称していますが、今でも地元の人には「
名草の弁天様」と慕われています。
ここにある伝説は、おなじみの弘法大師伝説です。
大師が天女のお告げにより江ノ島(神奈川県)で堂を建て修行していたということから始まります。大師は護摩を焚き、その灰で弁天像を三対つくり、それぞれ三箇所に安置しました。
その場所は江ノ島、琵琶湖の武生島、そして足利の大勝寺。
ところが、いつしか足利の弁天像が行方不明となってしまいました。弘法大師は自らその探索に赴くことにしました。この地に入ると、とても香りのよい風が吹いてきました。香りのもとへと足を向け、そのもとが草であることに気付きます。これは名草(めいそう)だということで、地名の由来になったといいます。
さらに山中をさまようと、突如現れたのが白蛇でした。弘法大師は弁天様の使いに違いないと思い、白蛇の導き通り後を追っていきました。すると巨大な岩の前に出ました。
白蛇は岩の穴に入り、出てこなくなってしまいました。弘法大師はこの地に霊示を感じ、この場所こそ弁天様を祀るにふさわしいとして、経文を唱えました。水源の守りに弁財天を勧請し、祠が建てられることになったのです。
神社はその岩に建ちましたが、江戸時代に現在の場所に再建されたといいます。
科学的に見ると、大昔、この周辺は水成岩からできていて、ここへ地下からマグマが盛り上がり、約10万年の歳月を経て花崗岩になったそうです。さらに粗粒花崗岩が方状節理に沿って玉葱状に割れ、水に洗われ、風化することにより、球状に残った部分が折り重なったことにより、現在の巨石群ができあがったということだそうです。
専門的で、よく分かりませんが、天然記念物に指定されただけあって、貴重なものであるということだけはよくわかります。
さて、現地訪問ですが、駐車場から歩いていくと、大きな朱塗りの鳥居を越え、なだらかな坂道が前方に開けてきます。途中までは舗装されているので歩きやすく、周囲の杉木立も手入れが行き届いています。かなり快適な道だといえるでしょう。
参道はやがて短い石段になります。ここに石で出来た鳥居があります。斜面に沿って登っていくと、上方に巨石が少しずつ見えてきます。弘法大師が白蛇に導かれながら、この巨石の間を通り抜けたというのも、何だか当然のような気がするから不思議です。
要するにそんな雰囲気が漂っているのです。
話には聞いていても、実際に眼にしてみると、印象が異なることはよくあります。この巨石群も、突然現れてきた光景はそうでもなかったのですが、その場に立ってみると、異質な文明世界に入り込んだような気になり、事前の情報が一気に吹き飛んでしまいます。
「
謎の巨石文明」とでも表現すればいいのでしょうか。
イギリスのストーンヘンジ、マルタ島のジュガンティア遺跡等々とはまったく異質ではあるものの、自然が創出した空間というより、太古の人間の神秘に満ちた信仰があるように思えてきます。これが太陽巨石信仰と直結することなく、弘法大師伝説が残るということに、逆に弘法大師の偉大さがわかるような気さえします。
そんな巨石群の中で、一際目立つのが「
弁慶の手割石」。
おむすび型の巨大な岩が真っ二つに割れているのは圧巻です。
また本殿を見上げる位置にあるのが、「
胎内くぐり」。
高さは10メートルを越えているでしょう。岩に洞窟のような穴があり、案内板には潜り抜けると安産になると書かれています。
本殿は断崖絶壁の不安定な岩の上に建っています。とても小さな社殿ですが、この前に立つと、日常生活の苦悩も試練もいつの間にか消え失せ、瑣末なことでしかないと思えるだけの心の余裕が生まれてきます。この感覚を体験するためにここまで登ってきたのだとすれば、それはそれで何だか贅沢な気もしてきます。
そしてこの空間でこそ装着していた骨伝導が有効に作用します。
骨で聴く巨石です。
骨伝導の驚異を知る
本殿から「胎内くぐり」の頭上に到る橋を渡ると、奥にはまだまだ道が続いていました。骨伝導のヘッドセットを着けたまま、さらに奥の院へ向かう道を進むことにします。
この道は沢に沿っていて、水の流れる音が心地よく、足取りが軽くなります。そして何より水の音を耳だけでなく骨からも聴くことで、脳波がシータ波になり、活性化されていくのを感じることができます。
この沢では、水底に金色に輝く砂地を眼にすることもできます。砂金のように見えますが、花崗岩に含まれる金色の雲母が水に流され、堆積しているのようです。
奥の院には建物がありませんでした。
巨大な石が重なり合う場所に小さな祠が乗っているだけです。ただ、この周辺の巨石はかなりの迫力があります。
微妙な安定性の中で巨石が重なり、微動だにしないのです。不思議な光景です。不安定に見える巨石の配置も、実は自然界の法則の中で正負のエネルギーが見事に相殺され、一番の安定をしているということでしょう。
これは一般企業の経営にも通じる部分があるかもしれません。
売り上げ、利益というプラスの面と、仕入れや固定経費などのマイナス部分とのバランスです。しかし原油高が続く現在、たとえば電気料金などの公共料金でさえ経費は跳ね上がり、自然界のバランスほど大げさでないにしても経営のバランスが崩れています。
こんなとき、この場所に立ち、コスト削減を考えるのは賢い選択かもしれません。ただ自力で解決するのは難しいでしょうから、やはりプロに任せるのがベストです。
そんなことを考えつつ、近くを見回すと、「天然記念物名草村ノ巨石群」という石碑があるのを見つけました。さらに先に簡素なトイレもあります。
大鳥居の先の林道を車で進むと、迂回してこの奥の院に出てくることが分かりました。
骨で聴き、利益とコストのバランスを調整する名草の巨石群、
恐るべし!