骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

寒川神社を骨で聴く

2012-06-30 07:38:48 | 骨で聴く巡礼旅

 相模国一宮で、旧社格は国幣中社という歴史と格式のある寒川神社へ骨伝道ヘッドセットともに参拝に行きました。ここも神奈川県の中ではパワースポット神社といわれる聖域で、横須賀の走水神社のパワースポットとは異なる荘厳さが漲ってます。(※走水神社を骨で聴く)

 古代には寒川神社の近くに位置する相模川沿いに相模国造があり、高句麗系の渡来人が入植した高座郡にも属する位置関係を考えると、この地の有力な豪族と関係があることが推測されます。社殿建立時期の記録は、雄略天皇在位の時期(456年-479年)に奉幣され、神亀4年(727年)に建立とありますが、『続日本後紀』では承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授るというのが公式に現れる最初です。

 朝廷との関わりだけでなく、武田信玄一行が立ち寄ったことでも有名です。信玄は纏っていた兜と太刀を安全祈願に奉納したといいます。他にも武将でいえば、源頼朝、北條義時、徳川家代々の篤い信仰をうけてきました。



 寒川神社といえば八方除の守護神として知られ、神奈川県だけでなく関東一円から参拝者が集まるほどです。また、テレビ業界では「視聴率祈願の神社」としても知られています。新番組が開始される前に参拝するのが多いといいます。

 緑に彩られた参道から本殿へと向かうと、確かに霊験あらたかな雰囲気を感じるができます。梅雨の時期、湿った空気が周囲を包み、気温も上昇してくると不快感極まりない状況になります。それでも寒川神社の発する「気」を感じ、さらに骨伝導によって耳だけでなく骨から脳へと伝わる音声が脳波にまで影響を与えそうです。まさに霊験あらたかなパワースポット神社を全身で感じ取ることができます。

          ⇒ 骨伝導と脳波まで考えた骨伝導専門サイト

 横須賀の走水神社とこの寒川神社を繋いだ線を少し探求したくなりました。このライン上にはまだまだ隠れたパワースポット神社あるのでは? と思ってしまいました。
 もちろん、探求の際には骨伝導機器と一緒の参拝です。

再びヤギを骨で聴く

2012-06-26 18:38:50 | 骨で聴く動物

 特許技術の骨伝導スピーカーによって、動物の声を聴きながら、その動物のことをあれこれと書き記してきましたが、取り上げる機会が少ないのを自覚しています。骨伝導ととも珍しい動物と出会うことも、触れ合おうことも少ないから仕方ないかもしれません。
 そこで今回は以前に取り上げたヤギに再び登場してもらうことにしました。

          ⇒ ヤギを骨で聴く

 動物と触れ合うことのできる施設で、子ども達がヤギに近づき、その声を聴き、その身体に触れる姿は、それなりに興味深いものです。むしろ、そんな空間では子ども達の歓声のほうが周囲に響き、骨伝導によってそれを聴き取ることで、米軍採用の特許技術を堪能できるようです。

 白いヤギは静かに寝ていたり、子ども達に触られるのも嫌がらずマイペースで行動していたり、何とものどかです。こんなヤギをただ意味もなく眺めているのも悪くない気がします。

          ⇒ 米軍採用の骨伝導の最新技術

 梅雨の合間に湿度が下がった本日、ヤギの声と子ども達の歓声を骨伝導が受け止めています。

横須賀・走水神社を骨で聴く

2012-06-22 12:13:19 | 骨で聴く巡礼旅

 神奈川県横須賀市に、隠れたパワースポット神社があります。
 走水神社です。今回は知る人ぞ知るパワースポットの聖域へ骨伝道ヘッドセットとともに参拝に出かけました。

 走水というのは横須賀市にある地名で、「古事記」や「日本書紀」にも出てくるほどの古い地名です。ただ、かつては馳水と書かれていたようで、これは足柄峠を越えて相模の国に入った古代の東海道が、鎌倉を経由して三浦半島を横断してこの街に至り、ここから海路をたどって上総の国へ通じていたようです。

 東征中の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が辿った街道も古代東海道で、走水から船で上総へ渡ろうとした際、暴風雨に阻まれ、立ち往生してしまったようです。このときに同行してきた弟橘媛(オトタチバナヒメ)がみずから入水して海神の怒りを鎮め、航海の安全を図ったという伝説があります。走水神社の創建もこれにちなんでのものですから、まさに古社です。

 走水の地名の由来も、日本武尊が航海に先立ち当地を「水走る」と称えたことによるようです。日本武尊は弟橘媛を偲び、御所ヶ崎に祀り、村人の敬慕に謝し冠を下賜されました。村人はこの冠を石棺に納め、その上に社殿を建立したのが、走水神社のはじまりといわれます。明治43年になって御所ヶ崎に祀られていた弟橘媛を走水神社に合祀しました。境内には弟橘媛の顕彰と航海の安全の祈願を込めて奉納された「舵の碑」もあります。

 パワースポットと言われるだけあって、海沿いの小さな集落にある神社とは思えなしほど参拝者はいます。境内も斜面に広がり、確かに心地よい「気」を発していることがわかります。

 走水神社の境内に入り、最初に感動するのは、富士山から永い歳月をかけて湧き出ていると言われる水です。これを目当てに汲みにくる人もいます。
 古代からの水に関係するとなるとカッパ伝説です。本殿裏にはカッパ伝説に因んだ「河童大明神」が祀られているのも興味深いものです。
 


 現在の感覚でいえば、夫のために自らを犠牲にしたオトタチバナヒメミコトの「夫婦の絆」というパワーが、この神社の根底にあることで、古来からのイメージである「女性らしさ」のエネルギーに満ちていることになります。

 これにカッパ伝説までみなぎり、なんともいえず不思議なパワーを感じます。

 社殿から斜面に沿って上へ上へと登ると、海を見渡す景色の良さだけでなく、今度は荘厳な奥の聖域に至ります。



 骨伝道で耳だけでなく骨から脳へと伝わる周囲の音声は、木々の葉が重なる音、海から吹き込む潮風の音、鳥の鳴き声だけではないようです。古来からのパワーが音声にならない音、耳では感知できない音となって、かすかに骨伝道によって感じる程度のものになっているのかもしれません。

          ⇒ 耳をふさがない骨伝道

 パワースポットといわれる神社の中でも、ここは絶対的にお勧めです。赤城神社もパワーが強烈でしたが、ここは神秘的というより清涼感のあるパワーで漲っていました。

三溪園を骨で聴く

2012-06-21 18:09:49 | 骨で聴く癒しの世界

 横浜市中区で、国の名勝に指定されている庭園が三溪園です。17.5haの敷地に17棟の日本建築が配置され、清流と池にも囲まれた癒し空間です。骨伝道とともに癒しの空間を「聴く」ために出かけてみました。
 三溪園は実業家で茶人の原富太郎によって作られました。三溪園という名称は、原富太郎の号である三溪から名づけられ、2006年に国の名勝に指定されました。

 原富太郎は横浜の原商店に養子として入り、生糸貿易で財を成した人物です。
 単なる成金趣味ではなく、茶道具などの古美術を収集し、国宝級の美術品を多数所蔵したことで知られます。
 さらに彼の収集の範囲は、古美術品だけに限らず、室町時代の旧燈明寺の三重塔をはじめ、各地の古建築を移築したことで特異な存在といえます。旧燈明寺の三重塔は、三溪園をシンボル的な存在にもなっています。



 1906年(明治39年)に一般市民に公開され、第二次大戦中には横浜大空襲で被害を受けました。原富太郎の古美術コレクションは戦後の混乱期に散逸してしまうという結果にまでなりましたが、建造物はそのまま残り、現在の三溪園の出発点となりました。
 1953年(昭和28年)に財団法人三溪園保勝会が設立されるに至り、再び庭園の整備を行い、現在の姿が完成したといえます。



 三溪園は、国の重要文化財建造物が10件12棟、横浜市指定有形文化財建造物が3棟あります。しかも庭園とともに敷地の起伏を生かした配置をしていることで、独特の調和がとれた空間になっています。

 この落ち着いた日本的空間の中で骨伝道を使って、周囲の音声を聴いてみます。耳だけでなく骨から伝わる音声も含め、癒し効果が倍増されるようです。骨伝道スピーカーのヘッドセットを装着し、この名勝の庭園を散策するのは、不況の日本の行く末を明るくする要素まで持つようです。それほどの日本のパワーを感じることができます。

          ⇒ 骨伝道の脅威のパワー

 横浜市としてはある意味で異質な空間といえるかもしれまえんが、三溪園は絶対に訪れたい場所です。

上野花園稲荷神社と骨伝導

2012-06-15 13:29:01 | 骨で聴く巡礼旅

 喧噪の上野公園。その公園通りから、小さな段丘のような斜面を降りて不忍池に行くには、清水観音の石段、少し北側の石段と、スロープという選択もありますが、花園稲荷神社の鳥居を潜りながら石段を降りると異空間の雰囲気が満載です。
 今回はこの異空間に骨伝導機器とともに出かけました。精養軒方面に向かう坂道と別れる場所に、何基もの鳥居が連続して連なる空間が現れます。ひっそりとした地味な存在ながら、確かな存在感を誇ります。

 鳥居を連続して潜りながら石段を降りると、山の中腹のような場所に稲荷社が鎮座しています。




 古くからこの地に鎮座していたようで、忍岡稲荷が正しい名称のようです。俗称として「穴稲荷」もありますが、これは石窟の上にあった事からのようです。

 承応3年に、天海大僧正の弟子で本覺院の住僧・晃海僧正が、霊夢に感じ、廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神としたという伝説があります。異説では、徳川家光の命とも言われています。
 また幕末には、彰義隊の戦で最後の激戦地(穴稲荷門の戦)でもありました。

 明治6年に再興されたときに花園稲荷と改名され、さらに五條天神社が現地に遷座になったことで、社殿も南面して造営され、神苑も一新されました。

 左奥にある社は、古書では弥佐衛門狐と記され、寛永寺が出来る時に忍岡の狐が住む場所がなくなるのを憐み、一洞を造り社を祀ったといわれています。

 喧噪のすぐ隣にある異空間ポイントを、骨伝導の癒し効果で堪能し、静かに参拝です。耳をふさがない骨伝導機器ならではの、異空間を体感する一瞬です。

          ⇒ 耳をふさがない特許技術の骨伝導

 上野の隠れた穴場神社です。



おとめ山公園を骨で聴く

2012-06-13 19:08:34 | 骨で聴く癒しの世界

 おとめ山。
 言葉の響きから「乙女山」を連想しますが、実はそうではなく、「御留山、御禁止山」が正解です。江戸時代、将軍家の鷹狩や猪狩などの狩猟場であったことから一帯を立ち入り禁止として「御留山、御禁止山」と呼ばれていたっそうです。現在の公園の名称もこれに由来します。

 場所は東京都新宿区下落合で、新目白通りを高田馬場方面から目白方面へと目目白台地を登った場所です。神田川を臨む南傾斜地で、敷地内の斜面からは東京の名湧水57選に選ばれているわき水が出ているという知る人ぞ知るポイントです。しかも、この湧水を利用してホタルの養殖が行われています。毎年「ホタル鑑賞会」も開催されています。



 今回は骨伝導ヘッドセットとともに都内の癒しスポットであるおとめ山を散策しました。敷地内に入ると緑で覆われ、楢、椎、椚などの落葉樹が生い茂っているのが分かります。起伏に富んでいて、都内では失われた武蔵野の原野風景を垣間見る感じです。



 水の流れる音を骨伝導で聴き、鳥の鳴き声を耳で聞くことができます。緑で覆われた散策路から斜面を登れば、見晴台に至ります。ちょっとした山の山頂に登り切った気分です。ここからは高田馬場の街が眼下に広がり、その先には新宿新都心まで一望することができます。

 骨で水の音色、耳で鳥の歌声、というように骨伝導を使った癒し効果は、おとめ山では十分に堪能できますが、さらに西武新宿線の電車の音までノイズとして聞こえるに至っては、骨伝導の威力満点です。

          ⇒ 骨伝導の威力を体感できる製品

 江戸時代には徳川家の狩猟地でしたが、明治時代にはこの徳川家の土地を近衛家と相馬家が所有しました。相馬家の所有部分は「林泉園」、近衛家部分は「近衛町」になりました。その後、第二次世界大戦後は国有地となりましたが、荒れ果て、「落合秘境」と呼ばれていたともいいます。
 それが近隣住民の強い要望により、東京都が整備を行い、1969年に公園として開園したという歴史があります。

 こんな隠れた癒し空間は、骨伝導を使ってぜひ散策してみることをお勧めしたいと思います。

新宿雷電稲荷神社を骨で聴く

2012-06-13 10:50:42 | 骨で聴く巡礼旅

 源義家が奥州征伐に行く途中、現在の新宿、明治通りと新宿通りの交差点付近で激しい雷雨にあいました。そこで小さな祠の前で休んでいると、一匹の白狐が現れ、義家の前で三回頭を下げたところ、雷雨がたちまち止みました。そこで義家は無事に北進することが可能になったという伝説があります。その神社が今にも残る新宿の雷電稲荷神社です。
 新宿高校に近く、現在では地下鉄の副都心線の出入り口にも近い位置で、その裏手のさらに路地裏のような場所です。
 駐車場の横にひっそりと鎮座する神社ですが、鳥居の横には避雷針のようなアンテナが立ち、雷除けの鉄網で囲わたキツネなど、なかなか見所のある神社です。

 いつものように骨伝導ヘッドセットともに喧騒の新宿の街を歩き、騒音対策としての骨伝導が活躍する場面から、この小さな雷電神社へと参拝に行きました。米軍で採用された特許技術の骨伝導ヘッドセットは新宿の喧騒でも何の問題もなく快適な状態を維持し、しかも耳をふさがないので安全性も確保されます。

          ⇒ 喧騒の中での安全な通話は骨伝導

 雷電神社というのは、関東地方を中心に日本全国に点在する神社で、一般的に雷除けの神とされています。ところが祭神や由緒は必ずしも一定ではなく、新宿のこの神社は稲荷神社の側面も持ちます。
 昭和3年(1928年)に花園稲荷神社と合祀され移転し、花園雷電稲荷神社となりました。さらに、平成17年(2005年)に新宿2丁目に鎮座していた三社稲荷神社が合祀されました。現在の新宿4丁目にある旧所在地にも、いつしか「雷電稲荷神社」が再建されたという不思議な歴史に彩られています。
 しかもさらに不思議なのは、祭神が受持神でしたが、再建後は菅原道真公になったともいわれています。そ菅原道真ならば天神社が普通ですが、まさに謎です。しかも稲荷社の祭神である宇迦之御魂神さえも祀られていないようなのです。

 何とも不思議な神社を騒音の激しい新宿で骨伝導とともに参拝でした。

 

本牧市民公園を骨で聴く

2012-06-11 11:21:26 | 骨で聴く癒しの世界

 断崖と広い芝生が印象的な横浜の本牧市民公園。
 米軍採用の特許技術が盛り込まれた骨伝導ヘッドセットとともに、癒しを求めて訪れました。三日月型の細長い公園で、本牧市民公園が約100,000㎡、本牧臨海公園が約41,000㎡という面積を誇っています。駅からは遠く、JR根岸線の「根岸駅」から市営バスを利用することになります。クルマ利用者には駐車場が用意されています。



 断崖絶壁の下に広がる芝生は以前は海だったといいます。埋立地です。なかなかの広がりを持っていて、市民公園としては異国風ともいえます。



 この公園の中で最も異国情緒が味わえるのは、上海横浜友好園です。上海と横浜の両市の友好都市提携15周年を記念して、上海市より横浜市へ寄贈されたものだそうです。中国江南様式の庭園は、これだけを見るのを目的に来ても損はないでしょう。
 ただ、昔は中の建物に入って見学ができたのですが、老朽化により立ち入りができなくなってしまったのは残念な限りです。

 その他、蒸気機関車D51があったり、市民プールや運動場等々があったりで、半日以上は十分に楽しめるでしょう。
 そんな市民公園の横には首都高速。やはり骨伝導の出番です。騒音対策まで必要のない空間ですが、骨伝導ヘッドセットがあれば癒し効果はパワーアップです。

          ⇒ 難聴・騒音だけでなくても骨伝導

 休日をこんな場所で過ごすのは、本当に価値あります。

桜木町駅を骨で聴く

2012-06-08 18:25:12 | 骨で聴く鉄道駅

 初代・横浜駅であり、東急東横線の終着駅だった桜木町駅に骨伝導ヘッドセットとともに降り立ちました。横浜ランドマークタワーにも近く、地下鉄も走る桜木町駅は、JR東日本の一日平均乗車人員が61,536人で、JR東日本では68位の順位を誇ります。しかし平日の日中での人の流れは乗降客の数からくる印象とは異なるようです。少し閑散とした感じがします。

 それでも桜木町駅は、1872年、日本で最初に鉄道が開通した時から存在し、初代の横浜駅として開業した歴史が輝いています。品川駅と並ぶ日本初の鉄道の駅でしたが、その後、東海道本線の延伸に伴って「横浜駅」の名称を現在の横浜駅に譲ることになりました。そこで、桜木町駅に改称されたという歴史があります。このときは東海道線の電車線の終点駅で、程ヶ谷駅(現在の保土ヶ谷駅)への路線が廃止されるまではスイッチバック式の配線でした。

 東急東横線も横浜高速鉄道みなとみらい線が開業する前までは終着駅で、ホーム先には車止めが設置されていました。横浜市交通局の桜木町駅は副名称が「県民共済プラザ前」で、JRの駅からは国道16号を挟み、ぴおシティの地下にあります。

 喧騒と雑踏は、休日に発生することもあります。
 こんな光景を目にすると、横浜市も観光都市としての側面が結構強いのだと感じたりします。骨伝導を使って日本の鉄道の原点を聴きながら桜木町駅の雰囲気を堪能してみるのも良いかもしれません。ただそのときは、骨伝導機器の中でも米軍で採用された特許技術の製品でなければ意味がありません。ホンモノの歴史に彩られた桜木町駅は本物の骨伝導製品だけがあいます。

          ⇒ ホンモノの特許製品・骨伝導

 横浜はよく訪れますが、桜木町駅を改めて骨伝導で聴くと、いつもより少しだけ異なる世界が開けるような気がします。

戦没船員の碑を骨で聴く

2012-06-08 09:57:19 | 骨で聴く巡礼旅

  安らかにねむれ

      わが友よ  波静かなれ 
              
              とこしえに


 横須賀市にある戦没船員の碑は、昭和44年に海運・水産界の関係者によって、慰霊碑建立のための財団法人戦没船員の碑建立会が設立されたことに由来します。「報われることなく海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦火のない海洋永遠の平和を祈念するため」に建立されたものです。建立資金は、募金によって集められた1億4千万余円だったそうです。

 この碑の場所は、神奈川県横須賀市の観音崎公園の丘です。完成は昭和46年で、東京芸術大学教授の吉村順三の設計による碑文石、白磁の大碑壁、同じく芸大彫刻科教授の菊池一雄の制作によるブロンズ群像等で構成されています。またこの付近は大浦堡塁のあった場所で、僅かにその一部が芝生広場にその痕跡をとどめています。


 第二次世界大戦や海難事故の犠牲となって海洋で失われた6万余人の船員の霊を慰め,かつ永遠の平和への願いを込めて設けられた戦没船員の碑では、毎年5月中旬に慰霊法要が営まれています。

 白磁の大碑壁を中心にして、天皇陛下御製碑、皇后陛下御歌碑もあります。またかつての練習船の錨なども配されているので、それだけで巨大なモニュメントを形成しているといえるでしょう。

 この場所は眼下に大小の船舶が往き来する浦賀水道があり、さらに太平洋の水平線までもが望まれます。

 

 海と船の音を骨伝導ヘッドセットを使って聴きながら、静かに合掌します。骨伝導巡礼の旅の中で、こんな場面にも有効にはたらくことを実感します。

           ⇒ 最先端の骨伝導機器

 海風の音と戦没船員の声とが交差し、遠くで聞こえる船の音もBGMにして、骨伝導が耳をふさがない世界を展開しています。

新宿・秋葉神社を骨で聴く

2012-06-07 11:42:26 | 骨で聴く巡礼旅

 地下鉄丸の内線の新宿御苑駅を四谷よりの出口から出ると、目の前は新宿通りになります。駅の並びには消防署があり、その手前にビルの谷間にひっそりと鎮座している神社があります。秋葉神社です。
 今回は骨伝導ヘッドセットとものに、新宿の小さな秋葉神社へ参拝です。本当に小さく、参道も短いものの都会の神社としては充分に雰囲気は残っています。

 何ともおもしろいのは、この神社は火伏せの神を祀っていますが、その隣が消防署ということでしょう。まるで消防署のための神社のようです。

 火伏せの神であるヒノカグツチが祀られていますが、この神様は火をつかさどることから防火のご利益があるというように転じました。秋葉神社の扁額にも「火防守護」の文字が読み取れます。
 
 この神社は新宿通りに面していて、しかも地下鉄の駅に隣接していることから、聖域としての静寂さは皆無といえます。そこで骨伝導の活躍の場が生じます。耳だけでなく骨から直接脳へと伝える骨伝導により、都会の神社を堪能することができます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 米軍で採用された特許技術の骨伝導製品だからこそ、秋葉神社での火伏せのエネルギーを享受できるようです。

新宿・秋葉神社を骨で聴く

2012-06-07 11:17:46 | 骨で聴く巡礼旅

 地下鉄丸の内線の新宿御苑駅を四谷よりの出口から出ると、目の前は新宿通りになります。駅の並びには消防署があり、その手前にビルの谷間にひっそりと鎮座している神社があります。秋葉神社です。
 今回は骨伝導ヘッドセットとものに、新宿の小さな秋葉神社へ参拝です。本当に小さく、参道も短いものの都会の神社としては充分に雰囲気は残っています。

 何ともおもしろいのは、この神社は火伏せの神を祀っていますが、その隣が消防署ということでしょう。まるで消防署のための神社のようです。

 火伏せの神であるヒノカグツチが祀られていますが、この神様は火をつかさどることから防火のご利益があるというように転じました。秋葉神社の扁額にも「火防守護」の文字が読み取れます。
 
 この神社は新宿通りに面していて、しかも地下鉄の駅に隣接していることから、聖域としての静寂さは皆無といえます。そこで骨伝導の活躍の場が生じます。耳だけでなく骨から直接脳へと伝える骨伝導により、都会の神社を堪能することができます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 米軍で採用された特許技術の骨伝導製品だからこそ、秋葉神社での火伏せのエネルギーを享受できるようです。

横浜三ツ池公園を骨で聴く

2012-06-05 17:41:26 | 骨で聴く癒しの世界

 神奈川県横浜市鶴見区にある三ツ池公園は、「かながわの公園50選」、「かながわの花の名所100選」、「かながわの探鳥地50選」などに選ばれています。横浜を代表する公園として、その規模、知名度ともに抜群の地位を築いています。また、特に桜の名所としても知られ、「桜の名所100選」にも選ばれています。横浜というより、首都圏を代表する桜の名所でもあります。
 今回はこの巨大な三ツ池公園に骨伝導ヘッドセットとともに訪れ、緑あふれる癒しの空間を体感してきました。



 三ツ池公園は、まさにその名の通り、三つの池のある公園です。それぞれの池の周囲を雑木林が取り囲み、横浜市内とは思えないような緑濃い公園になっています。そのため、絶えず野鳥の声が聞こえ、耳だけでなく骨伝導を使って骨から脳へと野鳥の声を届けることで、癒し効果が倍増されてきます。
 米軍で採用され、爆音にも耐えうる骨伝導の特許技術が、こんな癒しの場でも活かされるのは知られざる効果といえます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品専門ページ

 三ツ池公園の中には「コリア庭園」という一角もあります。1990年(平成2年)の神奈川県と韓国京畿道との友好提携を記念して造られたもので、韓国庭苑家の監修のもと、瓦や石灯籠、庭石など、韓国の資材の寄贈を受けました。



 日本とは微妙に異なる建物は、反りの強い屋根で、異国の風情を醸しています。庭園は李氏朝鮮時代の地方貴族の邸宅をモデルにしたもののようですが、これも日本庭園と似た部分と異国情緒とが混在し、何とも新鮮な気持ちを味わえます。

 三ツ池公園としては総面積29.7haという広さを持ち、散策路は三つの池の周囲を巡るようになっています。それぞれの池の不規則な形に沿っているせいか、実際の数値以上に広く感じる気がします。雑木林が広がっているため、木々が開放感を阻害している場所も多くありますが、その分、緑の深さを感じ、周囲の市街地の喧騒を遮断している効果も出しています。本当に穏やかな空間です。

 骨伝導スピーカーによって、この癒し効果を堪能しながら散策することで日常のストレスを開放し、新たな明日へのエネルギーを充電できそうです。

東山藤稲荷神社を骨で聴く

2012-06-01 15:26:58 | 骨で聴く巡礼旅

 清和天皇の皇孫・源 経基が、延長5年初午の日に京都稲荷山より勧請御遷宮した御社であるという由緒正しい神社が、「藤稲荷神社」「富士稲荷神社」といわれ、新宿区の下落合にあります。源 経基を始め、源氏の守神として大変厚く信仰されてきたといいます。
 新目白通りから目白方面の急な坂を登り始めた位置にあり、おとめ山公園の入り口手前になります。気圧が不安定な日本列島ですが、そんな中、この聖域へと骨伝導機器とともに参拝に行きました。 



 東山藤稲荷神社の由縁は、平 将門が反逆を企てた折、東山稲荷の大神様よりその旨の御神託があったことから始ります。経基は御神託を受け、早速調査したところ大神様の御神託通りだったたことが判明し、帝の許しを頂き、これを平定することとなりました。この功により、経基は帝より源姓を賜っりました。源氏の誕生です。
 以来、東山稲荷神社を源氏の氏神様として一族で崇敬することとしたと伝えられるようになりました。さらに時代の流れと共に、源氏だけでなく、庶民の信仰も集めるようになり、「知恵と勇気」を御授け下さる福徳の神様として、広く江戸市中、さらには関東一円に増えていったと、東山藤稲荷神社掲示板にはあります。



「江戸名所図会」にはこの東山藤稲荷神社の様子が図示されていて、それによると堂舎もいくつかあり、かなりの規模の神社であったようです。
 しかし現在の境内は狭く、住宅街の細い路地の突き当たりに鳥居があり、そこから石段を登ったわずかな空間だけになっています。
 眺望が開けているわけではなく、おとめ山公園の樹木に囲まれているため、鬱蒼とした樹木のエネルギーに満ちた神域の雰囲気です。坂の下には交通量の多い新目白通りがあるため、クルマが疾走する音が響いてきたりします。さらに西武新宿線の電車の音も伝わってきます。そんな中、鳥の声も届いてきます。
 雰囲気は山間部のものですが、確かに都会の神社であることが分かります。
 骨伝導を使って、それぞれの音を耳だけでなく骨から脳へと伝え、この都会の隠れた源氏の守り神を堪能します。骨伝導によって脳波も微妙に癒しモードとなり、歴史の重みを秘めた信仰とともに、手をあわせます。

          ⇒ 耳をふさがない骨伝導

 耳をふさがない骨伝導だからこそ、骨と耳からで様々な音声を聴くことができます。骨伝導巡礼のパワー全開といったところでしょうか。