骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

アルファロメオ156SW(フェイズⅡ)を骨で聴く

2016-07-10 12:50:02 | 骨で聴く名車
アルファロメオは現在、イタリア最大手のフィアット傘下にある自動車メーカーですが、もともとは第二次世界大戦以前から自動車レース界の強豪として知られ、イタリアを代表する自動車メーカーです。
経営難に陥った後にフィアットの傘下になったとはいえ、未だ独自ブランドが確立されています。


そんなアルファロメオの中で、史上最も商業的に成功したモデルといわれるのが156シリーズです。

1997年のフランクフルトモーターショーで発表され、日本では翌年に発売を開始されました。1998年度のグッドデザイン賞を受賞したそのデザインは、ワルテル・デ・シルヴァが担当しました。
前のモデルの155が角ばったデザインだったの対し、156は優雅なフォルムを演出し、一気に世界から注目されることになりました。

SW・スポーツワゴンはアルファロ名初のワゴンで、日本での発売は2000年からです。最初は単にアルファ・スポーツワゴンと名乗っていましたが、2002年からはアルファ156スポーツワゴンと改称されました。
このスポーツワゴンの特徴は、ワゴンらしい利便性を捨て、スタイルを重視している点です。そのためクーペスタイルのデザインを活かし、トランク容量などは小さくなっています。



モデルとしては2回のマイナーチェンジが行われ、2000ccエンジンでは、フェイズⅠで従来からのツインスパークエンジン、フェイズⅡでJTSという直噴エンジンに変更、最終型のフェイズⅢで外観を変更し、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインになりました。

JTSは今、何かと話題の三菱自動車の市販化に成功したGDIエンジンのパテントを獲得してつくられました。
この直噴化によりパワーもトルクもアップしましたが、一部ではアルファロメオらしいエンジンではなくなったともいわれます。

しかし実際にはそんなことは全くなく、アイデンティティは失われず、むしろ現在の欧州車の主力を担うダウンサイジング技術を取り入れたことといえます。



エンジン音は多くの人々を魅了し、クイックなステアリングの動きも、いかにも伝統的なイタリアのスポーツカー要素を持っています。日本でもBMWやメルセデス・ベンツとは異なる魅力を感じた人たちにアピールできたことで、147と並んで大成功モデルとなりました。

しかし欠点は、とにかく壊れるという点です。
日本車やドイツ車と同じ感覚で乗るのは間違いです。警告ランプの点灯、電気系の故障など、日常茶飯事です。
それでも前のモデルの155と比較すると、オイルをいつも垂れ流すようなトラブルは激減しています。このころのユーザーから見れば、圧倒的に扱いやすくなったといえます。

次のモデルの159は車体が大きくなり、ワンランク上のカテゴリーに移ってしまたような感じです。そのため日本の道路事情を考えると、この156はサイズ的にはかなり魅力的です。

そんな156SWのJTSエンジンのサウンドを骨で聴きます。
使うのは米軍採用・特許技術の骨伝導機器です。

ちなみに運転中にも骨伝導は有効です。耳をふさぎませんから道路交通法をクリアできます。

運転中でも安心! 骨伝導ヘッドセットHG42-TBT

耳だけでなく骨から脳に振動とともに伝わるエンジン音。
まさにアルファです。イメージするより高回転型のエンジンではなく、絶対的なパワーより、操って楽しいという感覚を与えてくる稀有な存在です。


セレスピードを骨で聴く

2015-12-25 11:03:27 | 骨で聴く名車
よほどのクルマ好きの方でなければ「セレスピード」を知る人はいないかもしれません。
要するにセミATのことで、シングルクラッチ式2ペダルMTという、普通ではまずお目にかかれない代物です。

日本で初めてヒット作となったアルファロメオの156から採用されたもので、仕様は異なるもの、フィアットのデュアロジックやランチアのDFN、マセラティのカンピオコルサなども採用されました。
また何といっても、フェラーリの「F1マチック」も同種のシステムです。

日本車に限らず世間一般では、トルクコンバーター式にもマニュアルモードが付いたATがありますが、セレスピードは全く異なります。マニュアル車のギアボックスがベースとなっているのです。そういう意味ではオートマモードが付いたMTといえます。

トルコン式ではないので、AT車特有のクリープ現象は生じません。
やはり基本がMTのため、シフト・アップ、ダウンの操作性、特にそのダイレクト感は圧倒的にATより優れています。MTを運転する感覚で、クラッチ操作をしないながらも、積極的にシフト操作をするのが適しています。
ただし、クラッチ操作をしないものの、シフト時にアクセルを戻したり、シフト操作後に再度踏踏み込む感覚はMT車と同様です。むしろ、その感覚で操作をしないと、かなりギクシャクした変速になります。

ATに慣れたドライバーには明らかに向いていません。
また逆にMTにこだわる人にも不向きです。

でも、この中間に位置する人は確実に存在します。
MT愛好家でも、シフト・アップ時には興味を抱かないでしょうが、このセレスピードに感動するであろう瞬間は確実に訪れると思います。ある程度のコーナーでのシフトダウンの時です。
コーナー侵入時に、ブレーキングにより減速しつつ、同時にシフト・ダウンを行いますが、このときの操作性とダイレクト感は、レーサーになったかのように、実に見事に決まります。エンジン回転を合わせつつ、空ぶかしをしながらシフト・ダウンしていきます。
これはマニュアル操作でもよほどの腕がないと、このシフト・ダウンの感覚はありません。

イタリア製品のため、どうしても故障と隣り合わせという側面はあります。
それでもこの魅力にとりつかれると、これが標準になってしまいます。

同じように騒音の中で通話するのに、骨伝導ヘッドセットを使うと、しかも米軍採用の特許技術を採用すると、それが標準になります。
他社の性能や、骨伝導以外という選択肢はないくなります。
とにかく、一度使ってみて、その性能を堪能するに限るということでしょうか。

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エスティマ(2代目)を骨で聴く

2014-08-05 11:06:56 | 骨で聴く名車
初代のエスティマは「天才タマゴ」というキャッチコピーで、卵型の丸みを帯びた独特のデザインが印象的なミニバンでした。しかも駆動方式がミッドシップと四輪駆動という常識を打ち破る驚きを持って迎えられたクルマでした。

それが2代目になって、卵型の丸みを帯びた車体についてはある程度踏襲したものの、エンジン・レイアウトが特徴的だったミッドシップから、あっさりとFF(前輪駆動)に変更されました。ベースにしたのはカムリで、エンジンスペースを確保したことによりエンジンの大型化が可能となりました。
そこで登場したのがV6の3リッターモデルでした。さらに後にはハイブリッドモデルも追加されました。

2000年から2005年まで続いた2代目は、3代目にもそのまま継承され、エクステリアデザインは完全な正常進化型でした。

この2代目の2.4リッターエンジンは、2AZ-FEで、直列4気筒 DOHC 16バルブ VVT-iです。
重い車体でこのエンジンはかなり踏ん張っていたと思いますが、中低速域から停止直前までブレーキを踏まずに減速するような運転をした場合、吸気管や燃焼室内の負圧が高い状態で保持され、エンジンオイルが燃焼室まで吸い上げられてしまいます。そのためオイル消費量が増える事があり、トヨタ自動車の80点主義的なエンジンとしては少し異端といえたかもしれません。

それでも実際には癖のないエンジン特性で、ミニバンを誰でも気軽に運転するということではかなり貢献したといえるでしょう。
使い勝手も悪くなく、7~8人を快適に移動させることのできるミニバンとしては、ライバル車と比較しても特段の不利な要素はありません。

走りについては面白みに欠けるのは事実で、逆にトヨタ車らしい安定感のある走行を確保していることが、大勢にユーザーに支持されてきたといえるかもしれません。

そんな2台目のエスティマは、運転する人を選びませんから、車内での携帯電話の通話も楽にできるといえます。
ただし、携帯電話そのままの使用は道路交通法で違反になります。イヤホンをつけるのも違反です。
耳をふさがなければ違反になりません。

そこで骨伝導ヘッドセットの出番です。
耳を使わずに「聞く」ことと、ハンズフリーの実現により法規に違反することなく快適な通話ができます。しかも骨伝導ヘッドセットで使われている技術は米軍採用の特許技術です。

     → エスティマに最適! 骨伝導ヘッドセット

安定感のあるエスティマのようなクルマには、この骨伝導ヘッドセットは欠かせません。

アキュラNSXを骨で聴く

2014-02-21 11:43:31 | 骨で聴く名車
バブル景気絶頂期の1989年に発表され、販売開始は翌年の1990年9月14日。
以来、2005年12月末までの15年間、フルモデルチェンジを行うことなく製造され、翌年の2006年まで販売していたホンダの2シーター・スポーツカーがNSXです。

北米ではアキュラのブランドで発売されていました。このアキュラ(Acura)とは、本田技研工業が1986年にアメリカ合衆国・カナダで開業した高級車ブランドで、トヨタ自動車のレクサス、日産自動車のインフィニティの開業が1989年でしたから、それに先立つものでした。

NSXのデビュー当時、市販自動車としては類を見ないボディで注目されました。「オールアルミモノコック・ボディ」の採用でした。そのためほとんどを手作業で行うこととなり、他のクルマのように産業用ロボットによる流れ作業製作は不可能でした。

日本車で唯一のスーパーカーとも評されたことは、そんな特殊性が如実に物語っています。

世界的に見てスーパーカーといえばフェラーリやポルシェなどです。NSXの開発もこれらの高級スポーツカーを比較対象することとなりました。
その中でもフェラーリのV8モデルであるフェラーリ・328を徹底検証し、これを上回る走行性能を目指して開発されました。

しかも驚くべきことに、開発段階からアイルトン・セナや中嶋悟などが走行テストに参加していたのです。この時代は、ホンダがF1チームにエンジンを供給していた関係で、実現したことだといえます。

F1ドライバーの彼らからは、ボディー剛性の低さを指摘されたようです。
そこでドイツのニュルブルクリンクなどで8か月にわたる走行テストを繰り返し、世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディーの完成に至ったのです。



心臓部分のエンジンも、レジェンドのエンジンをベースにしたV6 SOHC 4バルブ 3.0L(265PS/6,800rpm)を、当時まだ開発中だったVTECを完成させ、NSXの独自のものにしました。

このNSXを所有することはできませんでしたが、運転席に乗ったことはあります。
そのときの驚きも凄いものでした。運転席からの水平方向の視界が311.8度というデータが示すように、従来のいわゆるスーパーカー、特にフェラーリやランボルギーニと比較して運転席からの視界がきわめて良好なのです。

しかも、運転席に座ると明らかにホンダ車だと感じるのです。
不思議な驚きを感じつつ、そのまま異世界に突入する運転を楽しみたかったのですが、現在までその機会はありません。

日本が誇る技術力はホンダだけでなく、骨伝導機器もあります。
NSXが北米市場でも評価されたように、米軍の無線機アクセサリーとして騒音環境でも通話を可能にする骨伝導ヘッドセットは日本の技術力によります。
その知られざる驚異的な技術を一般向けの商品にも応用したもの、さらには米軍で使われているのと全く同一の製品も手に入れることが可能です。

一般に公開しているのは下記のサイトです。

     → 米軍採用・特許技術の骨伝導機器

NSXから刺激されて、日本の世界に誇る技術力に触れてみるのも良いかと思います。

三菱・ディオンを骨で聴く

2014-01-07 11:59:02 | 骨で聴く名車
シャリオシリーズがシャリオグランディスとなり、3ナンバー・サイズのクルマとなったことから、三菱自動車の5ナンバー・クラスのミニバンとして登場したのがディオンです。

     → シャリオグランディスを骨で聴く

プラットフォームは5ナンバー・クラスというだけあって、ミラージュから派生したミラージュディンゴです。これを全長とホイールベースを拡大し、最大で7人乗車を可能としました。もっとも、三列目のシートは臨時用のようなもので、大人がゆったりと座れるようなものではありません。

このクラスのミニバンとしては、背の高いボディが特徴で、エンジンは全車GDI搭載です。
デビュー当初のエンジンは4G63型2.0Lで、2年後にギャランとほぼ共通の4G94型へと換装されました。さらに1.8Lの4G93型ターボエンジンも追加されました。



初期のエンジンである4G63型といえば、源流となったのがG63B型エンジンで、初登場は1979年でした。そのため基本設計が古く、鋳鉄製シリンダーブロックにより重いという欠点があります。
しかし、ランサーエボリューションに搭載されるエンジンには、アルミ製ブロックを搭載して、軽量化を図っています。

基本設計が古く重いという欠点があるものの、耐久性、低中速域でのトルクフルな特性があり、ランサーエボリューションだけでなく、スタリオンのようなスポーツカーに活かされ、同時に、デリカにも、三菱ふそうのトラック・キャンターにも、さらには三菱重工のフォークリフトにまで搭載されています。
ここまで幅広い用途を生んだ汎用エンジンというのも珍しいといえます。

実際に運転してみると、シャリオグランディスよりもCDIらしさは感じないものの、かなり扱いやすい印象を受けます。悪く言えば「可もなく不可もなく」ということでしょうが、トヨタ車や、日産車、ホンダ車のユーザーにも大きな違和感はないといえます。
ただしミニバンとしてみると、少し中途半端な感じも受けます。

シャリオグランディスの独特な足回りとGDIらしさ削れ、ディオンには全体的なインパクトにかけますが、それでも骨伝導機器を使って快適にドライブできるでしょう。
車内では耳に装着するイヤホンやヘッドションは禁止ですから、GDIエンジンを堪能しながら、耳を使わない骨伝導ヘッドセットを使って、運転を楽しむのはベストです。

残り少なくなってきましたが、7周年キャンペーンにより「全額返金保証」をしていますので、この機会にぜひご利用ください。

     → 骨伝導製品「全額返金保証」キャンペーン

いろいろありましたが、三菱のクルマは他のメーカーにない魅力があるので、骨伝導製品ともども癖になります。

フェアレディZ(S130型)を骨で聴く

2013-08-26 10:54:48 | 骨で聴く名車
昨年のS30型(フェアレディZ S30型を骨で聴く)に続いて、今年はS130型のフェアレディZを骨伝導で「聴く」ことにします。

今でも時々見かけることがあり、たまたまこの週末でも目にすることになりました。
ロングノーズ・ショートデッキスタイルを先代のS30型から継承し、見た目の印象を大幅に変えることなく、ややワイドサイズとなりました。正常進化させたスタイルといえます。

搭載されたエンジンは、2.0Lと2.8Lの日産伝統のL型エンジンでした。排出ガス規制の影響が残っていて、どちらも現在から見れば非力なエンジンといえるかもしれません。
それでも1981年のマイナーチェンジでは、2.8Lエンジンの圧縮比をアップさせ、フリクションを低減するなどの改良により10馬力ものパワーアップに成功しました。ただそれでも出力表示は155馬力で、現在の同程度の排気量のクルマからするとファミリーカー並みかそれ以下ともいえます。

ただ当時のクルマの中では別格に「速い」部類に入るクルマだったのは間違いなく、テレビドラマ『西部警察』では、ガス圧開閉式セミガルウィングウィンドウに改造された「スーパーZ」として使用されたりしました。

そしてついに翌1982年には、歴代フェアレディZとしては初めてのターボエンジンが登場します。L20ET型2.0Lターボエンジンです。
このとき、国産車初の60%扁平タイヤが装着されました。サイズは215/60R15でした。これも今ではミニバン程度のタイヤですが、当時は『超ワイドタイヤ』と呼ばれたほどでした。

何とも時代を反映する名車といえます。
そしてこれは。現在の目で単純にスペックを比較するだけでは見えない魅力を持つクルマです、当時、憧れだったという人も多いでしょうし、今、改めて運転しても結構楽しめます。旧車には馴染みのクルマです。

そんな名車の排気音を骨伝導ヘッドセットを通して聴いてみると、当時の思い出とともに色々と感慨深いものを感じさせてくれます。今回は思わぬ出会いとなりましたが、それだけに一瞬で当時の時代を蘇らせるパワーに脱帽です。


ユーノスコスモを骨で聴く

2013-04-30 17:06:25 | 骨で聴く名車

 世界初の実用・量産ロータリーエンジン搭載車として登場したコスモスポーツが生産修了した1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)までの期間、「コスモ」の名を冠するクルマがなくなりました。復活したのち、バブル全盛期の1990年(平成2年)にユーノス・コスモとして蘇ったときには、まさに夢のマシンともいうべき登場でした。
 しかし1996年(平成8年)にユーノスコスモは生産終了し、それ以降、再び「コスモ」の名は途絶えたままの状態になっています。
 今回は夢と幻に酔いながら、ユーノス・コスモを骨伝導機器とともに「聴く」ことにします。ロータリーエンジンの官能的な音声が、耳だけでなく骨からも伝わることで、コスモスポーツとは異なるサウンドを体験します。

          ⇒ コスモスポーツを骨で聴く

 個人的に所有していた期間は短く、あまりの燃費の悪さに辟易しながらも、実はわがままなユーノス・コスモが愛おしくて仕方なかった思い出があります。

 初代のコスモスポーツが「世界初の実用・量産ロータリーエンジン搭載車」であるのに対し、このクルマは「量産車初の3ローターのロータリーエンジン搭載車」といえます。
 また今では当たり前になっているカーナビですが、世界で初めてGPSカーナビを20Bエンジン車に標準搭載していたのも特筆すべきことです。ちなみにこのナビは三菱電機と共同開発したものでした。
 
 車内の質感も高く、バブル時代の申し子らしい内装でした。またエンジンは世界初の3ローターだけでなく、RX-7でお馴染みの13Bエンジンも設定され、どちらもシーケンシャルツインターボでした。

 3ローターエンジンは高排気量のV12エンジン並の滑らかを持つともいわれ、パワーの上でも当時の国産最高クラスでした。しかし、当時の通産省の行政指導により自主規制枠の280馬力デチューンが必要で、そのためにターボへの排圧を低くするバランスの悪さがありました。13Bエンジンと比較して排気ポートが狭く塞がるようになったのです。

 実はマツダのディーラーの人には、この20Bエンジンはやめたほうが良いと散々言われた思い出があります。どうしても無理な設定があって、エキセントリックシャフトや後部のローターの冷却性に問題があったり、ターボのプライマリー側とセカンダリー側で異なるタービンがトラブルを多く発生させたりすることがあって、メンテナンスの面からお勧めできないことを言われました。

 それでもこの記念すべき3ローターのエンジンは、日本の技術力を世界に示すことのできるものであることは間違いありません。アクセルの開閉、特に低回転時の「重さ」を感じたときから一気に踏み込んだときの天井知らずの回転力、これはまさに官能的です。
 ロータリーエンジン特有のサウンドも心地よく、レシプロエンジンでは絶対に味わえない世界へと誘ってくれます。

 これを改めて最先端の骨伝導機器で聴きます。
 米軍で採用された特許技術の骨伝導機器には、世界初の技術が網羅されたユーノスコスモに似合います。今の時代の目でみても決して古さを感じないコスモは、最先端の骨伝導で聴くことも十分に魅力的です。

          ⇒ 世界特許の骨伝導機器

 懐かしさが先行してのものでしたが、やはりこの時代の贅沢なクルマは日本が世界に誇れる技術が満載であることを改めて感じました。

メルセデスベンツ280SLを骨で聴く

2012-12-22 14:33:18 | 骨で聴く名車

 1963年のジュネーヴ・モーターショーでメルセデスベンチは300SL、190SLに続く第2世代のSLとして230SLがデビューしました。ボッシュ製の機械式燃料噴射装置付きで排気量は2.3L、エンジンは直列直6SOHCエンジンを積んだものでした。
 現在でも人気のあるそのスタイリングは、当時のダイムラー・ベンツのデザイナーだったポール・ブラックによるものでした。何といっても特徴的なのは、正面から見ると仏教寺院の屋根のように真ん中が低くなっていることから「パゴダ・ルーフ」と呼ばれたもので、これは屋根の中央が左右より低い逆反り形状になっている点で、3代目 R107にも引き継がれました。

 1280SLへ移行したのは、2.5L 直6SOHCエンジンの250SLへ移行を経由して、1968年のことでした。排気量が2.8Lにアップした直6SOHCエンジンを搭載していました。

 1950年代を代表するスポーツカーだった300SLに対して、このシリーズはより多くの人が楽しめるように設計されていました。端正で美しいデザインとして、60年代の高級ヨーロピアンスポーツを代表する一台として歴史に刻まれています。

 そんなメルセデスの名車に、最先端の特許技術を駆使した骨伝導機器とを対比するのが何とも興味深いといえます。米軍で採用された骨伝導機器と60年代を代表するメルセデスと、その両者の特徴がミックスされることで驚異的なパワーを感じます。

          ⇒ 米軍採用の骨伝導技術

セリカ LB1600GTを骨で聴く

2012-12-07 17:00:52 | 骨で聴く名車

 トヨタ自動車は製造業の中ではマーケティン特化した部分があります。しかも自らマーケットを切り開くためのジャンルまで構築してしまうことがあります。その代表格がスペシャリティカーというものでしょう。これは純粋なスポーツカーではなく、スポーティな運転が楽しめるクーペタイプのクルマという極めて特殊なマーケットの創出です。
 この新しいジャンルに送り込まれたクルマが初代セリカです。

 初代セリカは、1970年12月に登場し、ボディタイプは2ドアハードトップクーペのみでした。同時に誕生したカリーナと車台を共用し、エンジン、変速機、内装を自由に選べる“フルチョイス”と呼ばれるシステムを採用したことで注目を浴びました。
 しかし面白いことに、ヤマハ製の2T-G型DOHCエンジンを積んだ最上級モデルの1600GTは“フルチョイス”の対象外であったものの、結果的に販売面ではGTの人気が高いということになりました。

 1973年4月になると、テールゲートを備えた3ドアリフトバック ( LB ) が登場しました。LB1600GTは、DOHCエンジンが搭載されました。

 翌1974年1月のマイナーチェンジでクーペのノーズのデザインがそれまでのLBの物に統一されました。さらに1975年には昭和50年排出ガス規制への対策に伴い、シリーズ全体のマイナーチェンジが実施されました。このとき、LB の一部は衝撃吸収バンパーが設定され、1400OHVモデルと1600 DOHCモデルが廃止されえしました。

 ツインカムエンジンは軽快な吹け上がりが魅力のエンジンで、70年代に一世を風靡したほどの勢いを持つセリカですが、このスタイルは現在の目で見ても新鮮さにあふれています。
 また、ファンの間では「バナナテール」と呼ばれているテールレンズも特徴です。

 スペシャリティカーという独特のジャンルを築き上げ、日本車としては華麗なフォルムを持つセリカ、それもLBというスタイルと排出ガス規制以前の官能的なエンジンとあわせ、歴史に刻まれるべき存在です。

 新たなマーケットの創出と独特の存在感という意味で、現在に共通するものはやはり骨伝導機器です。米軍に採用された特許技術を活かした骨伝導機器は、あらたなマーケットを創出するとともに独自の存在感を醸し出しています。

          ⇒ 米軍採用の骨伝導技術製品

トヨタ2000GTを骨で聴く

2012-11-16 12:33:13 | 骨で聴く名車

 国産車の歴史の中で燦然と輝く存在といえば、何といってもトヨタ2000GTといえるでしょう。純粋にトヨタのクルマいうわけではなく、トヨタとヤマハの共同開発で誕生したクルマで、トヨタブランドで限定生産されたスポーツカーとなります。

 映画『007は二度死ぬ』(1967年)に登場したことで、日本車で唯一ボンドカーとなった記念すべきクルマです。ただこのときは一般発売前で、試作車をベースとしてオープン仕様で製作されたもののようです。

 トヨタ2000GTの開発当時は、現在と異なり、トヨタは実用車主力のメーカーでした。スポーツカーとしての高性能エンジン開発や高級GTカーのデザインなどには通暁していませんでした。そのため、国産車としては当時異例ともいえる高性能エンジンの開発や高級GTカーとしての内装について、ヤマハ発動機のエンジン開発技術や日本楽器の木工技術が活かされることになったわけです。

 ヤマハ発動機は1950年代中期からモーターサイクル業界に参入していて、高性能エンジン開発では10年近い技術蓄積を重ねていました。主に2輪・バイクのエンジンで威力を発揮していましたが、それは現在では当たり前となっているものの、当時としては最先端のSOHC・DOHCのエンジン導入や研究が進んでいました。
 ヤマハはその技術力を活かしてトヨタ製の量産エンジンを改良し、DOHCヘッドを備えた高性能なエンジンを製作することができたのです。


 
 今の時代の眼から見ても、トヨタ2000GTのデザインは斬新です。当時のスポーツカーデザインの基本をベースにしているものの、現在でも十分に魅力的に感じるのは、全体に流麗な曲線で構成された点にあるかもしれません、当時の世界のイメージリーダー的スポーツカーはジャガー・Eタイプ(1961年)で、おそらくこの影響を受けていたことが、時代を感じさせないフォルムに繋がったのかもしれません。
 しかしジャガー・Eタイプと決定的に異なるのは、当時は5ナンバー規格の枠内でコンパクトにまとめることが必須の条件で、その制約がありながら仕上げたのは驚くべきことといえます。
 またヘッドライトを小型のリトラクタブルタイプとしつつ、固定式フォグランプをグリルと併せて設置したのも独特の魅力を出しています。

 そんな往年の名車を前に、最先端の骨伝導機器を使い、ぜひともエンジン音を聴いてみたい誘惑にかられます。耳と骨でこのエンジン音を堪能できれば、何とも官能的な陶酔に至る気がします。
 米軍で採用された特許技術の骨伝導機器ですが、騒音対策ではなく、積極的に聴きたい代表格の国産車といえます。

          ⇒ 驚異の骨伝導パワーについてはこちら

 骨伝導と名車の組み合わせは、アンバランスなものもありますが、トヨタ2000GTは間違いなく最高の組み合わせです。骨伝導サングラスをかけながら運転することも夢見たくなります。

ポルシェ 356を骨で聴く

2012-10-26 15:29:00 | 骨で聴く名車

 世界の名車ともいうべきポルシェですが、骨伝導とともに取り上げるのはFRポルシェばかりでした。そこで今回は製品名にポルシェの名を冠した初のクルマであるポルシェ356・Porsche 356を取り上げます。

 今でこそ世界トップレベルのスポーツカー製造を行うポルシェですが、創業当時は他社の車輌設計・開発請負を主な業務としてきました。それが転換点を迎えたのが、この356なのです。すべてはここから始まったともいえます。
 ポルシェが第二次世界大戦終戦後に開発に着手し、「356」の社内の開発コードで誕生しました。設計担当はフェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ、スタイリングはポルシェ社員のエルヴィン・コメンダでした。エルヴィン・コメンダといえば、フォルクスワーゲン・の代名詞的存在であるビートルを手がけた人物です。そのためビートルとの間には共通点が多いのが特徴ともいえます。

 設計が始まったのは1947年6月でした。終戦後の資材や物資が入手困難な状況でしたが、翌年には試作車が完成しました。そしてすぐにインスブルックのレースに出場して優勝という快挙を達成しました。

 試作車から量産化に至る過程で、車体はクーペとカブリオレの2種となり、後部に補助シート2席を追加することになりました。フォルクスワーゲンとの構造、部品の共通化によるコストダウンが行われ、エンジンもフォルクスワーゲン用369型をベースとしました。しかし、スポーツカーカテゴリの1,100ccクラスへ出場できるように1,086ccに縮小しました。出力は当初35英馬力でしたが、1949年11月以降は40英馬力となり、最高速度は140km/hでした。

 その後1965年モデルまで発展し、量産が開始されてから約15年に渡り細かい改良を重ねて発展を続けてきました。ポルシェでは記念すべきモデルでした。

 往年の名車には最先端の特許技術を駆使した骨伝導ヘッドセットとともに対面したいものです。今とは異なるエンジン音は、騒音というものではありません。米軍採用の骨伝導としての役目ではなく、じっくりと耳だけでなく骨からもこの音を聴きたいものです。

          ⇒ 特許技術の世界最先端・骨伝導製品

 昔から大好きなポルシェですが、356まで遡って堪能できたらという希望を抱き続けています。やはりポルシェには骨伝導製品がよくあいます。

シャリオグランディスを骨で聴く

2012-10-16 07:21:54 | 骨で聴く名車

 シャリオグランディスは三菱自動車工業が製造・販売していたミニバンですが、1997年以前のモデルはシャリオ、1997年から2003年までのモデルだけがシャリオグランディスという名称でした。その後の2003年からのはシャリオの名が消え、グランディスとなりました。

 今ではミニバンはごく当たり前のクルマとなっていますが、日産のプレーリーと並んでミニバンの先駆けといわれたクルマです。

 特徴的なのは、当時としてはこのクラスで初のインパネシフトを採用し、全車に2400cc DOHC16バルブ・GDIガソリンエンジンを搭載していたことです。さらに3000cc V6 DOHC24バルブ・GDIガソリンエンジンを搭載した「ロイヤル」シリーズも追加されます。

 このGDIエンジンには電子制御スロットルが採用されているものの、変則的な機構になっています。というのも、スロットルセンサーがアクセルペダルに接続するのではなく、エンジンルーム内にあるからです。そのため、アクセルペダルからスロットルセンサーの間にアクセルワイヤーが介在することになっています。

 GDIエンジンはガソリン直噴エンジン(Gasoline Direct injection engine)で、ガソリンをシリンダー内に、高圧で直接噴射するエンジンのことです。「筒内噴射」方式と呼ばれるものです。




 ファミリー層に人気なミニバンですが、ガソリン直噴エンジンは高圧インジェクターによってノイズが発生してしまいます。エンジンのノイズがカタカタ、カチカチという音が聞こえます。ファミリー向けのミニバンとしては違和感を感じるかもしれません。

 ここではやはり骨伝導機器を積極的に活用したいものです。爆音のような騒音ではありませんが、ディーゼルエンジンに近いノイズは、バスよりトラックのような音を感じるかもしれませんから、骨伝導で快適に乗るのは悪くありません。

 米軍で採用された特許技術により、シャリオグランディスをより堪能してみると、まだまだ魅力的なクルマです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 シャリオグランディスは1998年3月にはおよそ1万1000台の売り上げを記録したことがあります。三菱としては大ヒットを記録したクルマで、今でも多く見かけることがあります。

パブリカを骨で聴く

2012-09-21 12:33:15 | 骨で聴く名車

 国産車の中でも稀有な存在であるトヨタのパブリカは、1955年に当時の通商産業省で立案された国民車構想に遡ります。いわば「国民車」の位置づけに相当し、国によって後援しようというものでした。ドイツのフォルクスワーゲンが文字通り国民車ですが、これは「日本版フォルクスワーゲン計画」ともいえるものでした。

 しかし、ことは簡単に進まず、結局、公式な政策にはなりませんでした。
 トヨタも国民車構想をそのまま実現するという考え方は持っていなかったようですが、技術開発推進の見地から、1,000cc級より更に小型の車の試作を開始するようになりました。
 そこで誕生した新開発のエンジンは697cc、強制空冷水平対向2気筒OHVのU型エンジンで、トヨタ車史上唯一の空冷エンジンでした。

 車名の「パブリカ」は、一般公募により決定されました。パブリック・カー(Public car)からの造語で、トヨタとしての国民車の位置づけに相応しい名称です。

 パブリカは軽量なフル・モノコック構造のボディにより、全長3,500mm余りの簡素なボディでした。現在のクルマでもよくある2ドア3ボックスのボディで、大人4人を載せる最低限のスペースを確保していました。独立したトランクスペースを設けていたのも特徴でした。

 今では公道で見かけることはなくなったクルマですが、日本の自動車史上に輝く存在のクルマです。トヨタとしては初の大衆車となり、ラインナップの中で最小車種として位置付けをキープしていました。この流れは現在販売されているヴィッツへと連なるものといえます。

 このパブリカのエンジン音を聴く機会はほとんどありませんが、こんなクルマこそ骨伝導の最新機器で聴きたいものです。米軍が採用した特許技術による最先端の骨伝導機器と往年の名車との対比はなかなか興味深いものです。

          ⇒ 特許技術活用の骨伝導機器

フェアレディZ(S30型)を骨で聴く

2012-09-14 16:39:35 | 骨で聴く名車

 初代フェアレディZがS30型です。先代モデルは、オープンボディのダットサン・フェアレディでした。「Z」の名を冠してからは、ヨーロッパ車なみの高級GTとアメリカ的なスポーツカーのスタイルを兼ね備えたクルマとして位置づけられました。それでいて、当時のヨーロッパ車と比較すると格段に廉価でした。そのため、北米市場を中心に大ヒットを記録しました。

 日産自動車としてはまさにイメージリーダーカーになったといえます。
 当時のスポーツカーとしては空前の販売記録を樹立し、その数は世界総販売台数55万台でした。日本国内の販売数はその中で8万台という記録です。

 それだけマーケットを魅了したクルマではありましたが、主力エンジンは重量級の実用型量産SOHCのL型・水冷直列6気筒を搭載していました。北米向けには排気量をアップさせたL24エンジンでしたが、このモデルのカタログスペックは最高120 mphでしたから、それなりに速いとはいえましたが、決して俊敏とはいえませんでした。当時のヨーロッパのスポーツカーを凌駕するまでには至っていませんでした。

 それでもこのL型エンジンは、もともと実用者向けのものなので、実用面での低速域のトルクは十分に富んでいたせいで、大排気量のアメリカ車と同じような扱いやすさがありました。ポルシェのような高性能車の場合、どうしても複雑なパワーユニットになっていますが、フェアレディZのL型エンジンは単純な設計のおかげで整備が容易であったという利点をもたらしました。

 日本での最強モデルは1969年に登場しました。それまで国内ではSUツインキャブレターを装備したSOHCのL20型でしたが、スカイライン2000GT-Rに搭載されていたソレックスツインチョークキャブレターを3基装備したDOHCのS20型の2種類の直列6気筒2.0 Lエンジンが設定されるようになりました。
 スカイライン2000GT-Rのエンジンだけあって、これは別格な扱いともいえる存在でした。

 往年の名車とよべるクルマですが、日本経済の発展とともに存在感も誇示できるものでした。今でも街中で見かけると、つい見入ってしまいます。

 このエンジン音を骨伝導を使って聴くと、それはある意味官能的といえます。米軍で採用された骨伝導の技術と、北米で人気を誇ったフェアレディZの組み合わせは、それだけで意味があります。

          ⇒ 米軍採用の技術・骨伝導製品

コスモスポーツを骨で聴く

2012-09-07 10:49:15 | 骨で聴く名車

 俗にいう「旧車」の中でも、ロータリーエンジン搭載のコスモスポーツは、一際輝く存在と言えます。1967年に世界初の実用・量産ロータリーエンジン搭載車として登場しました。ただ、実際には世界で初めて市販されたロータリーエンジン搭載車としては、旧NSUヴァンケル社(現・アウディ)のが1964年に発売したヴァンケルスパイダーがあります。しかしこのロータリーエンジンは、多くの課題が未解決のまま搭載されていて、いわば「見切り発売」というものでした。

 しかしコスモスポーツは、ヴァンケルスパイダーの単一ローター・エンジンに対して、10A型エンジンとして、課題を克服し、量産に耐えうるマルチローターのもの仕上がっていました。

 日本の技術力を世界に誇る画期的な出来事といえました。これは世界的な特許を持つ日本の骨伝導技術にも共通するといえます。
 英軍で採用された骨伝導技術は日本が世界に発信する誇れるものです。これを手軽に活用できる製品こそ、他の骨伝導製品と一線を画しています。

          ⇒ 世界に誇る骨伝導製品

話をロータリーエンジンに戻すと、このエンジンの特性は、ロータリーピストンエンジン理論において証明されていたものの、100年以上の理論的蓄積にもかかわらず量産されることはありませんでした。ある意味それほどまでに厚い壁があったのです。


 1968年8月には、コスモスポーツを擁して84時間耐久レース「マラトン・デ・ラ・ルート」に挑戦し、ポルシェ・ランチアに次ぐ総合4位入賞となりました。参加59台中、完走はわずか26台の過酷なレースでの実績でした。



 コスモスポーツは、前期型が343台販売され、後期型の最終販売車までの累計が1176台でした。この記念すべき名車を見ると、日本の技術力を見直し、骨伝導についてまで思いが及びます。