《今回は少し長く、趣向を変えたストーリーです》
乾いた風が吹き、落ち葉が舞うこの時期を迎えると、埼玉県越生町にある謎のピラミッドを思い出します。クリスマスに浮かれた街の喧騒も、なぜかこの神秘のピラミッドを連想してしまうので困ったものです。
⇒ 謎のピラミッドを骨で聴く
そもそも越生町には何の縁もありませんでした。
難読地名であることすら知りませんでした。埼玉県でもJR八高線というローカル線、東武鉄道では支線の越生線で訪れる町で、高速道路も近くを走っていない場所です。よほどのことがない限り、この町に来ることはありえませんでした。
⇒ 夜の越生を骨で聴く
最初に訪れたのは、つつじの咲く季節でした。
越生の五大尊は、関東でも有名なつつじの名所です。斜面に咲き誇るつつじの華麗さは桜や梅にない風情がありました。
⇒ 五大尊を骨で聴く
このとき一緒に行ったのがT子でした。
T子はこのときから越生に惚れ込み、その後も一人で度々越生の町を訪れていたようでした。友人達からは「もの好き」と呼るようになりました。
確かにつつじは見事でしたが、それ以上に彼女を魅了するものが越生の町のどこにあるかはまったくの謎でした。
やがてT子は、越生の土建会社で働く青年と知り合い、婚約する事になりました。当然、新居は越生になり、晴れて越生町民になることが決定したのです。
しかし、
その悲劇は突然やってきました。
婚約した青年が勤める土建会社が、折からの不況にあおられ、倒産寸前となってしまったのです。給料の未払いが続きました。でもT子にはどうすることもできませんでした。彼女の家は資産家ではありません。親の援助は不可能です。またT子も単なるOLです。彼女の収入も決して多くありません。
そこで彼女は一人、越生の弘法山へ祈願にいくことにしました。
標高わずかに164メートルのこの山は、端正な二等辺三角形をしたピラミッドの形をしています。この山容から、古代より神奈備山として崇められて来たことが想像されます。
さらに謎を助長させるのが、同じ名前の山が真南にあり、真北にはいかにも関係しそうな山があることです。レイラインです。
⇒ 弘法のレイラインを骨で聴く
T子は弘法山中腹の観世音に参拝し、頂上の諏訪神社を目指して登山を開始しました。このとき観音堂に犬の散歩に来ていた地元の老人が目撃しています。
登山といっても標高200メートルもない山です。登山道とも呼べないような坂道です。すぐに諏訪神社に着くはずでした。
しかし、
T子は諏訪神社に姿を現しませんでした。
以後の消息が不明になってしまったのです。謎のピラミッドでおきた謎の消失劇です。神隠しといっていいでしょう。
T子の行方を捜すために大勢の人が、このピラミッドを登りました。しかし何の手がかりもありません。遭難するような山ではないし、他に下山ルートもあることから、T子は自らの意思で姿を消したという説と、何かのトラブルに巻き込まれて拉致されたという説に分かれました。
まさか北朝鮮に拉致されたのでは‥‥という声もありました。
また、婚約者の青年と何がしかのトラブルがなかったかどうかも調査されました。しかし青年は途方にくれるだけで、その問いを否定し、周辺の聞き込みからも同様の結果でした。
諏訪神社への登山途中でT子の身に何が起きたのでしょう?
謎の場所だけに、様々な荒唐無稽な説まで飛び出してきました。
今から8年前の出来事です。
青年の会社はやはり倒産し、彼は越生を捨て、現在は八王子の会社で働いています。T子が忘れられないようで、今でも独身を通しています。
時々弘法山を訪れ、山頂の諏訪神社に参拝しているようです。この8年間で彼は難聴気味になり、ここを訪れるときは必ず骨伝導を使うようにしています。耳だけでは聴力が不足している事から、骨でT子の声を聴いているのかもしれません。
⇒ 骨伝導についての詳細
ジングルベルの音が雑踏に響き始めた頃に失踪し、今年は9回目のクリスマスを迎えようとしています。そんなとき、思わぬニュースが飛び込んできました。
新小岩の飲食店でT子が働いているのを見かけたというのです。情報元はT子の大学の後輩で、まず間違いないというのです。早速、婚約者の青年に連絡をとり、遠路はるばる新小岩に出向く事になりました。
JR総武線の新小岩駅は決して大きな駅ではありませんが、越生駅とは比較にならないほどの人であふれています。目指す飲食店は南口から商店街を抜けた場所にあるとのことでした。
しかし、
ここで待っていた結果は意外なものでした。
T子らしき女性は別の名前で働いていたのは事実でしたが、突然昨日辞めたというのです。実家に帰ると言っていたようでした。
「実家は埼玉の越生とか言ってましたけど‥‥」
と、店主は言いました。
新たな謎が生まれ、ますます混迷してきました。
店員は本当にT子だったのかどうかの確認もとれず、再び越生に向かうしかないことだけを確認しました。
T子、一体あなたに何が起きたの?
異口同音の声です。この声も婚約者の青年は骨で聴いていました。
《曼荼羅の女・シーズン2のストーリー概要でした》
07年6月24日で取り上げたJR信越線の松井田駅の近くに、以前は急行停車駅だった磯部駅があります。
⇒ 松井田駅を骨で聴く
磯部駅は1日平均乗車人員は1,213人という小さな駅です。駅舎も歴史を感じさせるものになっています。相対式2面2線のホームで、横川-軽井沢間が分断された路線は、電車の数も疎らになっています。
ちなみに近くにある長野新幹線の安中榛名駅は1日平均乗車人員がわずかに245人、磯辺の隣の安中駅は1,902人です。
骨伝導機器の「きくちゃん」をセットして、駅前からブラブラと温泉街に向かうのがお勧めです。高崎市郊外としての住宅街と古くからの家並みがあるものの、ここは磯辺温泉の最寄り駅です。
近くを流れる薄い側に架かる愛妻橋・鉱泉橋に立てば、上州を代表する妙義山の奇岩を展望できます。さらに鉱泉橋近くには温泉街らしく足湯があります。
温泉マーク(♨)の発祥の地として知られている磯部温泉ですが、源泉については塩化物泉の低い温度で、草津や有馬などのインパクトがあるものではありません。だからといって最近無理やり掘った温泉とは一線を画しています。
またこの温泉は舌切雀伝説発祥の地であることも有名です。
温泉規模は決して大きいわけではなく、都内からも決して遠くはありませんが、旅に来たという気持ちが充分に伝わってくる場所です。
信越線に揺られ、古い駅舎から骨伝導を使って温泉に入る旅は、日常生活から少し離れ、癒しの世界に誘います。骨で聴くことで、脳波もシータ波からアルファ波へと進みそうです。
⇒ そこで骨伝導について調べる
日本の鉄道路線で営業キロが500キロを超える路線は多くありません。関東在住者が直ぐに思いつくのが東海道本線と東北本線くらいでしょう。
関西ならば山陽本線と山陰本線になるでしょう。
この中で全線を通して走る列車の設定がないのは山陰本線だけです。旧国鉄時代はありましたが、現在は「偉大なるローカル線」として、各区間でそれぞれ異なる性格の路線になりました。
始発の京都から園部までの区間は大阪の近郊区間になり、愛称は嵯峨野線です。その後は丹波・但馬から山陰の主要都市を結んで山口県の下関に至ります。
東北本線が新幹線開業の営業で分断されたため、支線部分を合算しない単独路線としては日本最長の営業キロを持つ路線になりました。
電化区間は京都から城崎温泉までで、その先は非電化区間が多くなりなります。米子から出雲市の間は電化区間ですが、普通列車の半数近くはディーゼルの気動車が運転されているなど、ローカル線の色が濃いのがよく分かります。
やはり旅情満点に感じられるのはディーゼルの音ですから、山陰本線は耳で聞くより骨で聴いたほうがいいでしょう。骨伝導機器をセットして気動車に乗り込みましょう。今までにない世界が開けるかもしれません。
⇒ 骨伝導について知る
東京都心部と異なり、西へのびる住宅街は極端に高い高層ビルはありません。比較的平坦な地に、低層住宅やマンションなどが周囲一面に広がっています。
上の画像で中央やや右に見える線路は東急世田谷線です。駅らしく見えるのは、西太子堂駅です。
⇒ 太子堂を骨で聴く
東急世田谷線は三軒茶屋を出発すると、世田谷区内をのどかに走ります。終点の下高井戸は杉並区の地名ですが駅は世田谷区内にあります。全線均一料金で140円です。上町駅を除いて途中駅には改札はなく、乗り方はバスと一緒です。
画像では確認できないでしょうが、西太子堂を過ぎると環七通りに直面します。ここで信号待ちをするのです。都内では珍しい光景だといえます。若林の踏切です。
踏み切りの隣には若林駅で、次に世田谷区の官庁街の最寄り駅に到着します。松蔭神社前駅です。
⇒ 松蔭神社を骨で聴く
⇒ 松下村塾を骨で聴く
松蔭神社前駅の次は、人口856,000人という巨大な区の名前である世田谷駅に到着です。駅名は立派ですがここも無人駅です。
ちなみにこの85万人という数は、福井県、徳島県、高知県、島根県、鳥取県の人口を上回っています。
上町、宮の坂と世田谷の住宅街を過ぎると小田急線との接続駅である山下駅です。小田急線は豪徳寺駅になり、ほぼ隣接した場所にあります。
さらに北上して松原、そして終点の下高井戸です。
世田谷線の車窓から見たり、こうして上から見て、改めて感じることは道路の狭隘で非常に入り組んでいる点です。袋小路やすれ違いのできない道路、まさに住宅街は樹海のような道路状況です。
従ってバス路線は限られてしまい、さらには交通渋滞も頻繁です。
しかし、なぜか世田谷区は居住地として人気が高いのです。それは有名人や成金の人たちが多く住んでいることから、高級住宅街のイメージを持つ街が多くあるからでしょうか?
骨で聴いてみましょう。
耳では感じ取れない世田谷の街の声を聴きましょう。骨伝導で聴くのです。
⇒ 骨伝導についてはこちら
紅葉を堪能した松戸市の本土寺の五重塔です。
⇒ 本土寺の紅葉を骨で聴く
日蓮宗の古刹ですが、五重塔は新しく建てられたものです。歴史的な風格がない代わりに、現代建築の見事な姿を示しています。また、「朗門の三長三山」と呼ばれる寺院は本土寺の他、池上本門寺と鎌倉妙本寺になります。
⇒ 骨伝導巡礼(日蓮聖人・池上本門寺)
本門寺にも五重塔があります。建立は1608年(慶長13年)です。
やはり京都や奈良と違って、風格よりも存在感を示して景色に溶け込んでいるようです。まさにランドマークタワーといった感じです。
池上本門寺の五重塔
五重塔を見上げ、骨で聴くための骨伝導音声増幅器をセットします。
本土寺は、「北の鎌倉」と呼ばれるほどの四季折々の花々が咲く寺院ですが、五重塔を見上げながら、耳では聞こえない音を聴き取るのは悪くありません。
⇒ 骨伝導について詳しく知る
旅に出たときの楽しみの一つに駅弁があります。
でも、駅弁って何? 改めて問うと、駅で売っている弁当としか答えられないかもしれません。でもこの答えだと電車の中で販売しているのは駅弁ではないことになります。また、最近では駅構内に進出したコンビニで販売している弁当は何なのか? 疑問は増加します。
さらに不思議なのは駅弁の始まりについて複数の説があることです。以下に挙げてみましょう。
(1)東北本線宇都宮駅説
(2)東海道本線大阪駅説
(3)東海道本線神戸駅説
(4)東北本線上野駅説
(5)東北本線小山駅説
(6)高崎線熊谷駅説
(7)北陸本線敦賀駅説
どうですか? どれも日本最初の駅弁だと主張しているようです。邪馬台国の時代でもないのに、発祥の地が分からないというのも興味深いものです。
さて、駅弁の中で旅情を掻き立てるのが栗おこわです。
絶妙な甘さとなぜか郷愁を感じさせる黄色い栗の色が、旅の演出をしてくれます。
そして口の中でホクホクした感じがたまりません。
ついでですから、このホクホク感をそのまま脳に伝えてみましょう。骨伝導を使って骨で聴くのです。
電車の揺れとともに骨で聴く栗おこわの噛み心地は、何と表現したらよいのか分かりません。おそらくコトバを使って表現することじたい無意味な気がします。どんな文豪にも骨で聴く栗おこわは表現できないはずです。
ウソだと思ったら試してみてください。骨伝導機器は「きくちゃん」がお勧めです。
⇒ 骨伝導専門サイト「骨で聴くドットコム」
11月21、22日にパシフィコ横浜にてJSA(日本スイムスーツ協会)の2008合同展示会が行われました。新作水着の展示会と水着ファッションショーが行われ、会場内だけ華やかな夏に様変わりしました。
JSA日本スイムスーツ協会は、日本で唯一の水着協会団体で、各水着メーカーが様々な活動をしています。
⇒ JSA(日本スイムスーツ協会)公式HP
水着といえば夏の代名詞ともいえますが、「水着はなぜ9月、10月にも売れるのか」という興味深いテーマがありました。TV東京のワールドビジネスサテライトで取り上げていたようです。
しかし、季節モノ商品であることは間違いなく、百貨店も量販店も春から夏にかけて展示していることが一般的で、フルシーズン展示している店は少数派といえます。そういう点で水着メーカーにとっては、新作発表から夏に向けての勝負が始まっているのは過酷なものです。
日本人のレジャーも夏に海、プールというステレオタイプ的なものではなくなり、多種多様化しました。そこにどんな隠れたニーズがあるかを探ったとしても徒労に終わる事がしばしです。
実は、ニーズはないのです。ニーズがあるのは特定の条件が揃わない限りないのです。では、どうやって売るの?
当然の疑問です。
ここにビジネスの難しさがあるのでしょう。
とりあえず今は、新作水着を骨で聴きます。
ニーズではなく脳に訴えるデザインを「聴く」のです。骨伝導がそれを可能にします。これは店舗の効率化をはかるために、無線と骨伝導の組み合わせにまで発展するかもしれません。
耳をふさがずに聴くことで、新たな展望が開けたら素晴らしいと思いませんか?
⇒ 骨で聴く骨伝導の世界へ
幕末、長州藩士・吉田松陰が講義した私塾が松下村塾です。
吉田松陰は、1830年(天保元年)の生まれで、安政の大獄により斬首刑にされました。武士というより思想家、教育家、兵学者という人物です。また、明治維新に先駆けた事実上の指導者であり、理論家ともいわれます。
明治維新のキーワードは「尊皇攘夷」ですが、松蔭の「一君万民」はまさに尊皇に相当します。天皇の下に万民は平等になるという平等主義であることから、江戸幕府の権威を否定するほどの過激思想でした。
松下村塾は、長州の萩城下の松本村にありました。現在の山口県は萩市です。設立したのは松陰の叔父である玉木文之進です。塾生は明治維新の立役者である大物メンバーが名を連ねていました。
久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、天野清三郎等々です。
松下村塾の模築は山口県だけでなく東京にもあります。
国士舘大学のすぐ隣にある松蔭神社の境内です。
⇒ 松蔭神社を骨で聴く
明治維新の最大の謎は、「尊皇攘夷」による倒幕でありあながら、明治政府は天皇による直接的な政治ではなく、議会制を採用し、あっさりと開国したことにあるのかもしれません。ここで黒幕説が登場します。
これについては鯨 統一郎氏の著作を参照するのが賢明でしょう。
⇒ 鯨統一郎を骨で聴く
原油の高騰、格差社会の拡大という現代に、今改めて松下村塾の教えを勉強してみるのも良いかもしれません。その際に書物は音読が最も効果的に学習できます。それは音読する事で、耳だけでなく骨からも聴くことになるからです。このときの脳波がシータ波です。
さらに、耳からの音さえも骨で聴くことが可能になりました。
それが米軍で採用されている骨伝導です。
⇒ 骨で聴くとは何か?
逝く秋、時代を超え、シータ波の骨伝導で吉田松陰を学習するのは有意義な1日の過ごし方かもしれません。
新宿・高田馬場方面から来る電車が、拝島・西武遊園地方面と所沢・本川越方面に分岐するのが小平駅です。1日平均の乗降人員は約36,000人で、西武鉄道全92駅中24位です。
駅名のように東京の小平市にある駅ですが、乗降客数は市内では隣の駅の花小金井駅のほうが多いのです。(約52,000人で、西武鉄道全92駅中15位)
江戸時代の玉川上水の開発により、分水された用水路が整備され、新田開発が行われました。それにより武蔵野のこの地に村落が形成されていったようです。
明治以降も郊外の農村として発展していきましたが、のちに「学園都市」と銘打って宅地開発が始まりました。高度経済成長期には完全なベッドタウンと化し、現在は人口約185,000人の都市になりました。
西武鉄道とともに栄えてきた都市です。
また小平駅のすぐ近くには小平霊園が広がっています。
この雰囲気が単純なベットタウンではない要素となっていることも、なかなかに興味深いものです。墓参りだけでなく、武蔵野散策のためにも途中下車したい駅です。
ここでもお供にするのが骨伝導機器です。骨で聴く小平を堪能しましょう。
⇒ やはり最後は骨伝導について
新宿の高層ビルは、キノコのように建っているようです。
猥雑な新宿の街を象徴するように、それぞれの高層ビルが自己主張し、それでいて狭い地域で妙にまとまっているのです。
新宿の高層ビルを「Wikipedia」より引用してご紹介しましょう。
- 京王プラザホテル 本館47階178m、南館35階138.65m
- KDDIビル(旧名 KDD本社ビル) 32階164.4m
- 新宿住友ビル(通称:住友三角ビル) 52階210.3m
- 新宿三井ビル 55階225m
- 新宿センタービル 54階223m
- 新宿アイランドタワー 44階189.42m
- 新宿野村ビル 50階209.9m
- ヒルトン東京(新宿国際ビルディング) 38階130.2m
- 損保ジャパンビル(旧名 安田火災海上ビル) 40階200m
- 新宿NSビル(住友不動産本社) 30階133.65m
- 東京都庁 第一本庁舎48階243.4m、第二庁舎34階163.3m
- 新宿第一生命ビル 26階117.1m
- ハイアットリージェンシー東京(第一生命ビルとのツインビル) 28階117.1m
- 新宿モノリスビル 30階123.35m
- 新宿ワシントンホテル 25階85m
- 新宿エルタワー 31階124m
- 新宿グリーンタワー 28階110m
- 新宿スクエアタワー 31階123.4m
- 工学院大学 29階143m
- エステック情報ビル 28階130m
- 新宿オークシティ 38階183.84m
- 新宿パークタワー 52階235m
- 新宿ファーストウエスト 18階90.85m
- 新宿アイタウン 31階123m
- 東京オペラシティ 54階234.37m
- 西新宿三井ビルディング 27階 112m
- 新宿文化クイントビル 23階 111.6m
- 東京医科大学病院 19階 79.3m
- アトラスタワー西新宿 28階 105m
- セントラルレジデンス新宿シティタワー 31階 104.5m
- プロスペクト・アクス・ザ・タワー新宿 32階 104.4m
現在、モード学園が西新宿一丁目に、高層ビルのモード学園コクーンタワーを建設している。完成すれば高さ204mとなり、日本の学校法人で最高層の校舎となる。 西新宿三丁目では、高さ338mの超高層オフィス1棟と245mの超高層マンション2棟、190mの高層ビル1棟が計画されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こんな街を骨で聴きます。
骨伝導は米軍で採用された最新機器です。超高層ビルが建ち並ぶ街に似合わないわけがありません。耳からでは聞き取れない音が、骨を通して何かを語りかけてくれるようです。しかし、それが何かは分かりません。
いえるのは、骨で聴くことにより、脳波が日常空間から少しだけはずれ、非日常の心地よい気分を味わえることです。もちろんこれは個人的な感想で、新宿の高層ビルだからなのかどうかは分かりません。
でも、遠くから眺めながら骨で聴くのは悪くありません。これは事実。
⇒ そこで骨伝導についてもっと知る
東京の世田谷区に太子堂という地名があります。
世田谷区の中央やや北東の位置で、鉄道では東急田園都市線の三軒茶屋駅周辺から国道246号線、世田谷通り、淡島通りなどに囲まれている地域です。三軒茶屋から下北沢へのびる茶沢通りはこの地域を貫き、日曜日は歩行者天国にもなります。
平坦な地域ではありますが、遊歩道を最下部にして三軒茶屋方面と下北沢方面に少し上りの傾斜が見られます。この遊歩道は烏山川という川が暗渠化されたものです。
太子堂の地名は聖徳太子像に由来します。
その太子像を祀った寺院が聖王山法明院円泉寺で、真言宗豊山派に属しています。
⇒ 寺院のページで確認する
住宅街の中で、それほど大きな寺院ではありません。
しかし、境内の太子堂こそがこの地名の由来であり、1日に平均乗降人員116,715人を誇る三軒茶屋駅の場所にあることは意外な発見かもしれません。
山門から入って真正面に本堂、右手に太子堂で、境内は都会の寺院らしく舗装されています。境内に足を踏み入れての最初の感想は、法事で訪れるような場所ということかもしれません。実際、そんな雰囲気が漂っていることは間違いありません。
それでも弘法大師修行像、聖徳太子像などを改めて眺めてみると、由緒正しい伝統的な寺院であることに再認識させられます。世田谷の散歩コースには最適です。
⇒ gooの地図で確認する
ところで、聖徳太子は民間信仰としては定番とも呼べるものですが、実在したかどうかが疑わしいという説もあります。
⇒ 聖徳太子を骨で聴く
いずれにしても聖徳太子は日本の仏教を語る上では外せない存在であり、新仏習合という日本独特の文化を築いた出発点でもあります。これはクリスマスも神社への初詣も寺院での法事でも、何でもありの日本文化の礎が出来上がったことを意味するかもしれません。
ライプニッツが「モナドには窓がない」といいました。
モナドは、これ以上分割できない究極の個体ということですが、同時にそれが無限化したものだという意味かもしれません。(専門家ではないので間違っていたらごめんなさい)この意味で窓を開けなくとも内部で無限化したもの、まさに日本の宗教文化の根底はモナドだといえるかもしれません。
骨で聴きましょう。
特許技術の骨伝導で太子堂を骨で聴き、日本の独特の文化を体感しましょう。三軒茶屋と下北沢の間にある小さな寺院で、骨で聴く無限旅をするのです。
⇒ 窓のある骨伝導とは
千葉県松戸市にある長谷山本土寺です。
別名「四季の寺」とよばれ、桜、花菖蒲、紫陽花で有名です。今の時期であれば、境内に1,000本あるモミジです。
この寺院は、源氏の名門である平賀家の屋敷跡だったと伝えられています。
1277年建治三年(1277年)、領主の曽谷教信卿の協力により領内の地蔵堂を移して法華堂とし、日蓮大聖人より長谷山本土寺と寺号を授かったといわれます。
池上の長谷山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺と並び、朗門の三長三山と呼ばれ、宗門中屈指の大山として末寺百数十を統べました。山内は七堂伽藍がその山容を誇っていましたが、度々の不受不施の法難と明治維新の廃仏毀釈運動のために衰滅してしまいました。
しかし、水戸光圀が寄進したと云われる松や杉の参道、その正面の朱塗りの山門・仁王門など、今でも大寺院の風格は十分です。
中でも、平成3年に建立された五重塔は新しいこともあって、綺麗で、しかも見事な調和を保っています。
そして何といっても紅葉です。
やはりこの時期は紅葉を見て、耳では聞こえない音を聴くのが素晴らしいものです。そのためには骨伝導のヘッドセットが一番です。
米軍で採用された特許技術の骨伝導機器を使えば、紅葉な鮮やかさと、歴史ある古刹の霊気とを一身に感じ取ることができるでしょう。
⇒ そこで骨伝導について調べる
今年の紅葉はやや遅れ気味な感じがします。
このチャンスを見逃すのは損した気分になります。骨伝導で骨で聴く紅葉をぜひ堪能してください。
両国駅をまっすぐ南下し、京葉道路を渡ると、回向院というお寺の参道が目に入ります。境内に入り、裏にまわると、そこに鼠小僧の墓があります。
鼠小僧治郎吉は、江戸時代を代表する義賊でしょう。
回向院のホームページにも紹介されています。引用しましょう。
「時代劇で義賊として活躍するねずみ小僧は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去ったといわれ、その信仰は江戸時代より盛んでした。長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んで、現在も特に合格祈願に来る受験生方があとをたちません」 出典:回向院ホームページ
小雨の降る日にここへお参りにいきました。
骨伝導機器の「きくちゃん」をセットし、鼠小僧の活躍を骨で聴きました。
東京下町の小旅行の気分を、骨で聴くことが盛り上げてくれたようです。
⇒ 骨で聴くこととは?
今回で4回目の高野倉です。
■第1回 高野倉大師堂を骨で聴く
■第2回 高野倉ふれあい自然公園を骨で聴く
■第3回 高野倉百観音を骨で聴く
■第4回 高野倉百観音・秋の静寂を骨で聴く
今回は高野倉八十八ヵ所です。
主役は山崎家です。この地方の名主であると同時に近隣地域の代表的存在だった家柄です。
時代は1871年(明治4年)にさかのぼります。
この時代の当主・万右衛門が38歳の若さで急死しました。さらにその2年後には、娘のセイも18歳で急死してしまいました。
このごく短期間に名門山崎家の当主と愛娘を亡くした夫人のひでは、絶望的な気持ちになったことでしょう。時代はまさに近代化の波が押し寄せています。封建制度が解体し、新しい日本の黎明期を迎え、激動の時代になっていました。
こんな劇的変化の中で一人取り残されたひでは、絶望を乗り越え、山崎家の維持と再興を図ろうと考えました。
そこで考えたのが開運祈願でした。そのために西国観音巡礼と四国八十八ヵ所遍路をすることを決意したのです。使用人や関係者の中から2人を抜擢し、3人で巡礼の旅に出かけたのです。一心に開運を祈願することは、山崎家の将来がすべて託されていることを意味していたかもしれません。
しかしこの時代の交通事情は江戸時代と何ら変わりません。齢78才の女性にしてはつらい旅だったに相違ないでしょう。それほどまでの一大決意であり、努力だったということは現代の私たちには簡単に想像できないかもしれません。
そして晴れて結願・満願となってひでは故郷に帰ってきました。
高野倉に各寺々を参拝して受けたお砂を埋め、八十八ヵ所石塔を建立しました。
高野倉の御堂山東南側から八十八ヵ所石塔が建ち、北東上り口には阿弥陀堂があります。
逝く秋の今、落ち葉が参道に舞い降り、赤い絨毯のような自然な演出がされています。この八十八ヵ所参道からから御堂山の頂上へかけて幾筋かの道があります。そこには百地蔵や百観音が祀られてます。
石塔の石代は家々の寄進によるものだそうで、願主(寄進者)の名が刻まれてます。
山自体が信仰と祈願の聖地にしたことは、ひでが山崎家の再興に命をかけた結果だったといえるでしょう。齢78才でこうした事業を成し遂げたことは、高齢化社会の現代の今、改めて賞賛されるべきことでしょう。
ここで登場した御堂山は、高野倉のシンボル的存在です。
標高はおそらく50m程度でしょう。東側斜面には八十八ヵ所と百観音がありますが、頂上には大黒天が祀られています。小高い丘のような山ですが、四季折々の花が咲き誇る場所でもあります。
さて、この高野倉ですが、一体どこにあるのでしょう?
観光ガイドブックを見てもおそらく見つけられないでしょう。
埼玉県の鳩山町と聞いても、近隣の人でない限り、どのへんかは想像できないでしょう。しかも鳩山町の西端で、比企丘陵の連なる小さな集落ですから、これは地図を見なければわからくて当然です。
⇒ gooの地図で確認する高野倉
御堂山頂上の大黒天は、明治24年3月に建立されました。
その後まもなくひでは養子を迎えました。名前は茂八でした。これにより山崎家は次第に復興してきたのです。 経済的にも恵まれ、名主制度こそなくなりましたが、以前のように高野倉のリーダー的存在として栄えるようになったのです。
観光客が訪れることもない高野倉に骨伝導の旅をしてみてはいかがでしょうか? これから冬へと向かう高野倉の景色と、山崎ひでの悲願達成のエネルギーを耳だけでは聞き取れない音として、骨で聴くのです。
⇒ 骨で聴く旅の準備はこちら
まもなくこのブログも1周年を迎えることになりました。
無理やり骨で聴いた1年だったかもしれません。しかし難聴者にとっては、無理に骨で聴くわけではなく、骨で聴くからこそ快適な生活ができる方もいるのです。
補聴器をお使いの方などは、テレビを観るのに使われているケースもあります。骨伝導の「きくちゃん」であれば、補聴器を外してヘッドホンやイヤホン感覚でテレビが観られるといいます。
また、補聴器はどうしても敷居が高く、使用に躊躇している方などが気軽に利用されるものとして、骨伝導受話器の「きくテル」があります。どうしても電話では、聞き返したり、声が大きくなって、周囲に迷惑をかけてしまいます。それが受話器を交換するだけで普通に聴こえるのですから、補聴器とは違って本当に手軽です。
この1年で新たに登場したものでは、携帯電話へ接続する骨伝導ヘッドセットやUSB接続、ブルートゥースなどがあります。米軍で採用された技術がふんだんに活かされているようです。
1周年記念として特別に企画していることはありませんが、これからも骨で聴いていきたいと思っています。そして、骨で聴くサイトもリニューアルを楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします。
⇒ リニューアルが待ち遠しい!