骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

目白不動を骨で聴く

2014-06-30 11:51:00 | 骨で聴く巡礼旅
東京都豊島区高田という場所は、都内でも屈指の急な坂道があるエリアです。
神霊山金乗院も急な坂道にある真言宗豊山派の寺院です。実はここ、江戸五色不動のひとつ、目白不動尊を祀っていることで知られています。

自宅近所の目青不動から始まり、目黄、目赤、目黒の各不動尊を回り、最終の目白不動へたどり着けました。すべて世界最先端の骨伝導機器とともに回りました。



目白不動のある金乗院は、開基である僧・永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作ったのが始まりであるとされています。永順は1594年(文禄3年)没なので、創建は天正年間と推定されています。

最初の頃は、中野にある宝仙寺の末寺で蓮花山金乗院と称していましたが、後に護国寺の末寺になり神霊山金乗院となりました。
江戸時代までは近隣の木之花開耶姫社の別当なども務めていました。徳川光圀の手によるものとされる木此花咲耶姫の額がありましたが、太平洋戦争の戦災で焼失してしまいました。

目白不動尊については、元々は金乗院のものではなく、1キロほど離れた関口駒井町(現在の文京区関口)にあった新長谷寺という寺院にあったものでした。

東豊山新長谷寺と書いて「とうぶさんしんちょうこくじ」と読むこの寺院は、やはり同じ宗派の真言宗豊山派でした。
この寺院にあった不動明王像は、唐から帰国した弘法大師・空海が出羽・湯殿山(一説には羽黒山)に行き修行を行っていた際に造られたといわれている像です。

全国に広まる弘法伝説の一種といえますが、貴重な不動明王像といえます。
その貴重な像が武蔵国関口(現在の文京区関口)に住む者の手に渡ったといわれています。しかし、その詳細や年代は全くの不明で、謎のままです。



江戸時代の元和4年(1618年)に奈良・長谷寺の僧・秀算によって中興され、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の命令によって長谷寺の本尊と同じ十一面観音像を造り、本堂などを建立し新長谷寺と命名しました。
寛永年間には、3代将軍・徳川家光により、新長谷寺の本尊である不動明王像に五色不動のひとつとして『目白不動』の名が贈られました。これ以降、この不動明王像は目白不動明王と呼ばれるようになりました。

これは地名にも影響を与え、新長谷寺一帯の高台が目白台と呼ばれるようになったのです。
現在でも目白や目白台の地名が残り、著名人も住む場所になっています。

5代将軍・徳川綱吉や桂昌院の帰依を受けることになり、ますます寺院としては発展することになりました。

しかし、新長谷寺は今に残ることができませんでした。
やはり太平洋戦争の影響です。
戦災で壊滅な被害を受け、1945年(昭和20年)に廃寺になってしまったのです。
そこで本尊の目白不動が金乗院に移されることになったわけです。



大僧正・天海による結界の一つが江戸五色不動霊場だといわれます。
最後に、この目白不動に来れて、骨伝導きくちゃんを使って周囲の音声も含めて骨で聴きました。

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前代未聞の「お買い得」きくちゃん登場で、こんな巡礼旅に最適な提案をどんどんしていきたいと思います。
まずは江戸五色求道霊場は結願です。

笹塚・福徳稲荷神社を骨で聴く

2014-06-26 10:22:39 | 骨で聴く巡礼旅
渋谷区笹塚にある福徳稲荷神社に、最先端の骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。
おそらく近所の人しか知らないような神社だと思います。

京王線で新宿から一つ目の駅ですが、甲州街道・環七通り・中野通りに囲まれた地域に住宅が密集しているエリアです。
そんな住宅街の片隅に古い庚申塔があったり、観音通りには笹塚観音があったりします。古くからこの地域での生活に素朴な信仰が根付いているのが分かります。

福徳稲荷神社もそんな素朴な神社です。

笹塚駅から甲州街道を渡り、住宅街の小さな道を歩いていくと、まるで箱庭のような神社の境内が現れます。
ミニチュアなのは鳥居もそうで、頭を下げないとくぐれない高さです。その先の境内も整っているものの、なぜか民家の庭のようです。

稲荷神社なので祭神は豊受姫命ですが、この神社の由来などは分かりません。おそらくこんな形で残されているということは、それなりの歴史を持っていると思いますが、今現在、全くの不明です。

笹塚は、1604年(慶長9年)に大久保長安が甲州街道上に一里塚を設けたのが地名の由来といわれます。また、笹塚交差点付近の窪地には牛裂きの刑場があったとされています。
それより前の時代から伊勢や出雲から移り住んできた人たちが住み着いたともいわれます。

信仰深い人たちの鎮守様として、小さな本殿を持つ素朴な社がいくつか生まれ、その中のひとつがこの福徳稲荷神社なのかもしれません。

小さいし、由来もわからない神社ですが、なぜか気になる不思議な魅力を持っています。
都会のミニチュア化した神社はいくつもありますが、なぜかここは異なる雰囲気を感じます。

米軍採用の特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットで、周囲の音声を耳だけでなく骨からも聞くと、余計にその魅力が倍増します。

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ここから特許を保有する骨伝導メーカーの本社まで歩くのも悪くありません。無料体験で本社に来ていただいた高齢の方も、耳は悪いものの、足は丈夫で、この区間を歩いて帰りました。

南平駅を骨で聴く

2014-06-25 11:08:22 | 骨で聴く鉄道駅
京王線の南平駅は、東京都日野市南平6丁目にあるので地名がそのまま駅名になっています。
しかし江戸時代は、平村という地名でした。多摩郡小宮領または日野領に属していて、江戸期初めは天領、後には旗本・松平氏の知行でした。

その「平村」の由来は平資綱が所有していた土地からきているようです。
江戸期の小名「こんどう谷戸」にあった古碑が平資綱墓と伝えられていますが、実はこの古碑は平維盛墓という説をはじめ諸説あるようで確定していません。
この平村ですが、1878年(明治11年)の郡区町村編制法の施行によって神奈川県南多摩郡に再編入される際に、同一の名前の村が現在の八王子市内(現在の八王子市平町)にあったことから、南側に位置することから南平村としたようです。

この旧・南平村の地内を東西に横断しているのが京王線で、その中心となるのが南平駅です。

2010年に駅改良工事が行われた関係で、現在はきれいになっています。バリアフリー化と利便性向上を目的とした改良で、2011年には橋上駅舎が完成したことで、それまで地下だった改札が地上に移りました。かなり駅の雰囲気が変わったと言えます。

隣が特急停車駅の高幡不動駅で、南平駅は各駅停車だけでなく、区間急行、快速も停車します。
相対式ホーム2面2線の小さな駅で、周囲の風景ものんびりとしています。多摩丘陵が迫っているせいで緑も豊かです。

特段、観光名所があるわけではなく、宅地化もかなり前から進んでいる地域ですが、こんな私鉄の郊外の駅は個人的に大好きです。周囲の音声を最先端の骨伝導ヘッドセット(骨で聴く.com)でも聞いてみます。
日常の音声ととともに、なぜか懐かしいような空気に触れます。

時間があれば散策してみたい場所です。

堀ノ内のお祖師さま(妙法寺)を骨で聴く

2014-06-24 11:19:59 | 骨で聴く巡礼旅
杉並区というよりも東京を代表する寺院のひとつといえる妙法寺は、米軍採用・特許技術の骨伝導機器メーカーの本社から北に少し上がった場所にあります。

堀ノ内のお祖師さまと親しまれ、環七通りを通行していると、参道の門前町が見えます。
この「お祖師さま」ですが、発音としては「おそしさま」ではなく「おそっさま」になります。落語では粗忽者の繰り広げる爆笑噺「堀の内」の舞台として有名です。

環七通りに面して立つのはひげ題目が彫られた宝塔で、この先から門前町になっています。ただし、クルマの場合は逆の一方通行です。



環七から進むと右手に都内では巨大な規模を誇る寺院が見えてきます。
最初に目にするのが仁王門で、都指定有形文化財です。
門内は、江戸幕府4代将軍・徳川家綱が、妙法寺の地頭所・日吉山王社に寄進した金剛力士像が安置されています。

門の左右には、寺名札と日蓮宗「本山」を示す札があります。中本山だったのが、昭和27年に本山に昇格しています。
日蓮宗の場合、日蓮聖人の眠る身延山久遠寺を「祖山」、日蓮聖人一代にかかわる重要な事跡を「霊跡寺院」、宗門の歴史上重要な役割を持った寺院を「由緒寺院」、それ以外を「一般寺院」と称しています。
「本山」という表現の場合、江戸時代からの本末制度による寺格によります。
寺格では、総本山、大本山、本山の3種類に分かれますので、日蓮宗だと、祖山=総本山、霊跡寺院が、大本山7ヶ寺・本山7ヶ寺と別れ、由緒寺院も、本山41ヶ寺・他1ヶ寺となります。
ちなみに一般寺院で本山になっているのが1ヶ寺だけあります。岡山県の最上稲荷山妙教寺です。

妙法寺は本山の由緒寺院に相当します。



仁王門を潜って、最初に目の前に飛び込んでくる荘厳な建物が祖師堂です。ここも都指定有形文化財になっています。
やくよけ祖師・堀ノ内のお祖師さまとして有名な寺院として、まさにここが存在感を示すもっとも大きなお堂です。

ちなみに「江戸十大祖師」に妙法寺は入っていません。
なぜなのか不思議でしたが、おそらく十大祖師が成立したのが元禄以前のことだったといわれていることから、妙法寺が「やくよけ祖師・堀ノ内のお祖師さま」になるより前だったということかもしれません。

元々、この妙法寺は真言宗の尼寺で、日蓮宗に改宗したのは元和年間(1615年 - 1624年)です。
日逕上人が、母親である日圓法尼の菩提のために、山号を日圓法尼に因み日圓山とし、寺号を妙法寺としたといわれます。
碑文谷法華寺の末寺でしたが、元禄11年(1698年)に碑文谷法華寺が不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受けたことから、、改宗を余儀なされたようです。

このときに身延久遠寺の末寺となり、碑文谷法華寺にあった祖師像を譲り受けました。
祖師像は、日蓮聖人の「伊豆御法難」の際、師の無事を念じて弟子の日朗上人が彫ったもので、3年後に戻った日蓮聖人が開眼し魂を入れたものだといわれています。
この日蓮の祖師像が厄除けに利益があると評判になり、江戸時代より多くの人々から信仰を集めてきました。

1926年(大正15年)妙法寺貫首により、東京立正短期大学・東京立正中学校・高等学校を設立しています。杉並区が「立正」色が濃いのもこのときからです。




祖師を右側から回り込むと正面に見えてくるのが本堂(三軌堂)で、祖師堂より小さいものの落ち着いた感じがすばらしい建物です。文政5年建立だそうです。

今度は本堂の左手から祖師堂の裏手に進むと日朝堂が見えてきます。



文政11年造立で、身延山11世・行学院日朝上人の尊像が安置されています。日朝上人は室町時代の高僧ですが、学識の高さと、学問を修めるに当たり眼病を患うほどに精進し、治癒後、眼病に遭った人を救いたいとの大願を立てたといわれます。そのことから学問と眼病に験が高いものとして知られています。


日朝堂の右側には回廊を通り越して、二十三夜を祀っている堂宇があります。



二十三日の夜、月待をすれば願い事が叶うとされる「二十三夜信仰」によるものです。
妙法寺では第18世・日観上人の頃から始まり、毎月23日には縁日も並び賑わいをみせています。

とにかく都内の寺院としては、かなり見所満載で、庶民の素朴な信仰から伝統的な寺院としての形式もあり、参拝者にっては贅沢な感じがします。

世界最先端の技術を誇る骨伝導製品を生み出す、その地に、霊験あらたかな妙法寺が存在感を示していることに感服です。
この霊験と耳を使わない骨伝導スピーカーが杉並区で交差しているのも、何かの縁かもしれません。

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時々、メーカー本社に骨伝導無料体験に遠いから来られる方がいます。
せっかく杉並区に来られたなら、ぜひここにも立ち寄られたらいかがでしょうか。

大崎広小路駅を骨で聴く

2014-06-20 10:07:54 | 骨で聴く鉄道駅
広小路と名のつく駅は、都内では地下鉄銀座線の「上野広小路駅と東急池上線の「大崎広小路駅」があります。
元来、広小路とは、江戸幕府が明暦3年(1657年)の大火をきっかけに推進した火除地の一種として設置されたものでした。従って江戸の街に特有のものでしたが、万治3年(1660年)に名古屋でも大火亜があったことで、今に残る名古屋の広小路も設置されました。

火災の類焼を食い止める役割を果たす道路ということで、幅の広い街路でなければ広小路とはならないわけです。しかし江戸時代から昭和戦前までに誕生した街路のため、現在では広小路より広い街路を持つ道路も多く存在します。

そんな広小路の中で、池上線の大崎広小路駅へ骨伝導ヘッドセットとともに降り立ちました。

大崎広小路駅とすぐ隣の五反田駅との駅間距離は、約0.3kmという短さです。これは世田谷線を除けば東急線内で一番短い距離です。
なぜそんな近くに駅があるのかといえば、当初は池上線の終点がこの大崎広小路駅で、のちに五反田駅まで伸ばしたからです。

大崎広小路駅が終点だった頃は、山手線へ乗り換えるためには、五反田駅まで徒歩で移動していました。
ちなみに山手線の駅でいえば、大崎駅へも徒歩で充分に行ける距離です。

1953年(昭和28年)までは、五反田とは反対方向の戸越銀座駅との間に桐ヶ谷駅が設置されていました。
実はこの桐ヶ谷駅を復活させるという構想もあったといいいます。その場合は大崎広小路駅を廃止し、桐ヶ谷駅で都営地下鉄三田線と相互直通運転を行うというものでした。

桐ヶ谷駅も池上電気鉄道が大崎広小路駅まで延伸されるまでは終点だった駅です。立正中学校や桐ケ谷火葬場への最寄り駅でした。

東急池上線は地味な路線かもしれませんが、様々な歴史があり、調べてみると興味深い事実にあたります。この大崎広小路駅も小さい駅ですが、何ともいえない「いい味」を出しいます。あまりここで下車することがない、というより五反田駅から歩いていけるので駅とは無縁でしたが、今回、骨伝導ヘッドセットと降り立ったことで新たな見方ができました。

蒲田駅を骨で聴く

2014-06-18 10:22:03 | 骨で聴く鉄道駅
JR京浜東北線では、横浜方面へ向かって都内最後の駅になるのが蒲田駅です。特定都区市内制度の「東京都区内」南限駅で、東海道本線では東京支社管内最南端の駅となります。
また、東急線も池上線と東急多摩川線の2路線のターミナル駅になっています。

JRの駅の発車メロディは「蒲田行進曲」です。今はなき松竹蒲田撮影所に由来しますが、確かに蒲田といえば「蒲田行進曲」を思い出す人は今でも多いといえます。

実は蒲田駅は東急線の駅がなかなかの見ものです。
頭端式ホーム5面4線という規模を誇り、同じ東急線でも乗降客の圧倒的に多い田園都市線の渋谷駅とは比較になりません。
現在は東急東横線も地下鉄副都心線と相互乗り入れになり、私鉄のターミナルらしい頭端式ホームではなくなりました。

蒲田では、二つの路線とも短い車両ながら、それぞれ2線ずつ使用し、両端と中央のホームは降車専用ホームとなっています。
またどちらもワンマン運転に対応した監視設備や安全柵が設置されています。

1日平均乗降人員も池上線では線内2位の69,464人、東急多摩川線では線内1位の88,102人で、合計すれば157,556人というかなりの多い人数を記録しています。3両編成という電車であるものの、ここまでの乗降人員数は圧倒的といえます。

一方、JRの蒲田駅では、JR東日本の駅としては第20位という規模で、一日平均乗車人員は135,688人です。データが東急とJRでは「乗降」と「乗員」の違いがありますが、東京の南の玄関口に恥じない規模を持っているといえます。

雑踏が1日中続く蒲田駅では喧騒の中で、携帯電話で通話するのは、比較的苦労するといえます。
どうしても周囲の音声がうるさくて、相手の声が聞こえにくい状態になります。大切な連絡だったときは困ります。駅の雑踏を抜けたとしても、駅前のロータリーや周辺の商業施設、クルマの重低音等々、やはりベストな通話は難しいといえます。

そんなとき、頼りになるのが骨伝導ヘッドセットです。
耳を使わないで通話をすることで、周囲の騒音の中でも確実に相手の声を聞くことができます。

しかし、骨伝導ヘッドセットでも騒音の程度によっては、あまり効果がない場合もあります。骨伝導スピーカーの性能に左右されるからです。
一番安心なのは、より激しい騒音の中で実際に使われている実証データを持つメーカーの製品です。

それは米軍の爆音の中でも通話を可能にした特許技術を持つ製品です。

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羽田空港へ向かう場合は、この蒲田駅より京急蒲田駅の利用となります。
同じ蒲田駅ですが、意外と離れています。川崎駅と京急川崎の乗り換えはそれほどではありませんが、蒲田の場合はそれなりに歩くことを予定していないと乗り遅れます。

徳持神社を骨で聴く

2014-06-17 10:12:14 | 骨で聴く巡礼旅
池上本門寺や山内寺院が占めていることで門前町を形成している大田区池上ですが、この地域内にかつての徳持村の鎮守だった神社があります。徳持神社です。

建長年間(1249-55)の創建と伝えられ、もともとは池上7丁目の曹禅寺付近に鎮座していたようです。
創建の地は荏原郡池上村大字徳持だったことから、地域住民の守護神として尊崇されてきました。豊前の宇佐八幡宮より御分霊を勧請奉斎、御幡山八幡宮とも称されていました。



ところが池上競馬場の開設に伴い、北側の現在地へと移転しました。池上通りに近い場所です。
明治41年には、徳持上宿に鎮座していた稲荷神社を合祀しました。このときから社名を八幡神社から徳持神社と改称したようです。

例大祭はなかなかの規模で、本祭は2年に1度です。
陰祭に当たる年は、神社神輿が土曜の宵宮だけ渡御し、本祭では日曜日に渡御します。商店街から神社まで提灯が立ち並び、池上の街も本門寺だえkではないことがよく分かります。

そんな徳持神社の境内に立ち、最先端の骨伝ヘッドセットを使ってみます。
耳だけでなく骨からも周囲の音声を聞くことができますが、お祭りの雰囲気は伝わってきません。
それでも都会の神社としては、なかなかの雰囲気を持っているので、気分は良い感じです。

     ⇒ 耳を使わない骨伝導ヘッドセット

都内の小さな旅気分は少なくとも味わえるのは事実でしょう。でも例大祭の日にもう一度来ようとも思います、そのときは雑踏と喧騒に有効な骨伝導ヘッドセットの活躍の場が多いことでしょう。

草加市・女体神社を骨で聴く

2014-06-16 10:17:09 | 骨で聴く巡礼旅
埼玉県草加市柿木町に、北向きに立つ珍しい神社が鎮座しています。
その名も「女体神社」です。
米軍採用の特許技術を駆使した骨伝導ヘッドセットとともに参拝にいきました。

草加市の柿木町という地域は、東武伊勢崎線の草加駅周辺や松原団地駅周辺とは全く異なるエリアで、市の北東部に位置するのどかな田園風景が広がります。すぐ東側に中川が流れ、この自然堤防上に集落が形成されています。
草加せんべいとは別に、東京のベッドタウンとしても発展をしてきた草加市ですが、駅から離れたこの地域は首都圏とは思えないほどの鄙びた風景です。


歴史的には、平安時代末期に源頼義、義家父子が奥州征伐の際にこの地を通ったとの言い伝えがあったり、古刹があったりします。
しかし、草加市で最も自然に恵まれたエリアの一つですが、町内を南北に横断する東埼玉道路が開通し、交通量は増加しました。また隣接する越谷市にJR武蔵野線の越谷レイクタウン駅が完成し、国内最大級のショッピングセンターができたりして、大きな転換期を迎えているといえます。

そんな草加市柿木町の女体神社は、柿木の開祖である豊田氏によって創建されたと伝えられています。
豊田氏は平将門の伯父・平国香を祖とする下総国豊田荘の地頭でしたが、天正3年(1575年)に豊田小四郎治親が多賀谷氏に攻められ、討ち死にしてしまいました。城も陥落し、夫人と遺児は、家臣とともにの地へ移住したといわれます。
筑波の女体神社を信仰していたことから、この地にも勧請したのが由来といわれます。

神社としては珍しく北向きになっているのは、筑波山に向けて建てたからだといわれています。

現在の神社境内には郷土の作家・豊田三郎の文学碑もあります。

有名な場所ではありませんが、何とものんびりとした空間に覆われ、少し時を刻むのをゆっくりしているような感覚を持つこの神社は、かなりのお勧めです。都会に隣接するちょっとした贅沢な旅情気分を味わえます。

静寂の中にもクルマの通行音はありますが、こんな場所では最先端の骨伝導ヘッドセットで、耳だけでなく骨からも周囲の音を聞くのがすばらしいといえます。

     ⇒ 間もなくリニューアル! 米軍採用の骨伝導機器

源義家の鞍掛の松を骨で聴く

2014-06-11 10:55:15 | 骨で聴く癒しの世界
「東京のへそ」「子育・厄除八幡さま」として1000年の歴史を誇る大宮八幡宮の参道を久しぶりに通ることになりました。
東京の杉並区にあるこの神社は、鎮守府将軍・源頼義との関わりが深いのですが、参道に「鞍掛けの松(鞍掛の松)」という同じ源氏でも源義家(1039~1106)由来の樹木がありました。

「江戸名所図会」にも紹介されている松です。
大宮八幡宮から骨伝導の特許保有メーカー「テムコジャパン」方面へ約200m程度向かった参道際にあります。

源義家が奥州遠征の途中に参拝し、ここで下馬し、鞍をこの松に掛けたという伝説です。この松は鞍を掛けやすいように根元付近でまがっているのが特徴です。
しかし松の木そのものは代替わりしているようです。

残念ながら史跡としては風情がまったくありません。
電信柱はすぐ横にあるし、街角にそこだけ異質な様相を呈しているだけのものです。

それでも源氏の武将と関係する伝説や、このような松が続いていることに何だか価値があるように思います。

     ⇒ 大宮八幡宮を骨で聴く

都内のパワースポットとしても知られる大宮八幡宮ですが、何の風情もない参道にこんなスポットが残っている、ただそれだけで癒される気がするのは、もしかして骨伝導ヘッドセットを装着しているからでしょうか。
米軍採用の特許技術を駆使した骨伝導ヘッドセットは、その性能のすごさを癒し方向へも示してくれているのでしょう。

     ⇒ 世界最先端技術の骨伝導ヘッドセット

糀谷駅周辺・二つの天祖神社を骨で聴く

2014-06-10 09:55:46 | 骨で聴く巡礼旅
蒲田から羽田空港に向かう京急線で、最初の駅が糀谷駅です。
空港線京急蒲田から大鳥居間の連続立体交差事業により高架駅となりました。線路と交差して伸びる糀谷商店街はテレビドラマやCMの撮影によく使用されたりしますが、基本的に周囲は住宅街です。

この駅を最寄とするのが、神命愛心会の神命大神宮です。創始者・小松神擁による宗教団体で、崇拝対象なのが日本古来の伝統的な神である天照皇大神ですから、伊勢神宮の主祭神になります。一方、天照皇大神を主祭神にする神社を見てみると、全国には天祖神社として広まっていのが分かります。

糀谷駅から徒歩すぐの場所にも二つの天祖神社があります。
今回は二つの天祖神社へ最先端の骨伝導ヘッドセットとともに出かけてきました。



最初に訪れたのが西仲天祖神社です。
羽田神社の兼務社で、祭神は天照皇大神だけでなく豊受姫大神も入っています。創建年代は不詳ですが、村民久左衛門が創建したといわれています。現在では境内の一部が公園と一体化していて、周辺住民の子供たちの遊び場も兼ねているようです。



次にすぐ近くの糀谷神社へ向かいます。
こちらも羽田神社の兼務社で、創建年代が不詳、村民久左衛門が創建したといわれ、祭神も西仲天祖神社と同じです。
ただ糀谷神社の場合、明治維新後には村社に列格しています。また、昭和20年には釈護子稲荷神社を遷座し、境内に祀っています。

どちらの神社も素朴な印象で、地域の鎮守として長く存在してきたという感じがします。

羽田空港へ向かう場合に、いつも素通りしてしまう地域ですが、素朴な天照皇大神信仰の場が形成されていることに貴重な存在感を見出せそうです。
米軍で採用された特許技術を駆使した骨伝導ヘッドセットとともに、こんなのんびりとした神社散策も悪くありません。

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二つの天祖神社を創建した久左衛門が、どんな人物かは分かりませんが、この地を守り、反映させるために天照皇大神と豊受姫大神を勧請したのだとしたら、その結界は今でも続いているのかもしれません。

池上駅を骨で聴く

2014-06-03 12:20:32 | 骨で聴く鉄道駅
東急池上線は多摩川線と共通の3両編成の電車で運行され、ワンマン運転で、五反田駅から蒲田駅間を走行しています。
五反田を出て最初は中原街道と、雪が谷大塚からは環八通りと並行している路線で、同じ東急の目黒線・多摩川線と近距離で平行している区間もあります。実際、池上線の千鳥町駅と多摩川線の下丸子駅は約500mほどしか離れていません。

そんな池上線は東急の路線の中では地味な存在といえますが、五反田・蒲田のターミナル駅を除いて沿線最大の乗降客数を誇る池上駅は一日平均乗降人員は33,862人という数字を出しています。しかし駅としてはローカルな雰囲気に満ちていて、相対式ホーム2面2線で、改札口から五反田方面ホームへ行くには構内踏切を経由するという構造です。

日蓮宗の本山である「池上本門寺」にちなんで付けられた駅らしく、池上本門寺お会式の際には自動販売機が移動され臨時改札が設けられるほどです。しかも大規模交通規制も行われるため、池上駅周辺が車両通行禁止になります。そのため路線バスも駅前には入れず、規制境界近くのバス停で折返し運行となるほどです。

     ⇒ 骨伝導巡礼(日蓮聖人・池上本門寺)

目の前には池上通りが走っています。
ただこの道路は、道路法第7条第1項によるものではなく、都知事が路線指定を行い、主要地方道以外のものとされる特例都道(道路法第89条)に相当します。でも実質的機能は一般都道と同じといっても良いかもしれません。正式名称は「東京都道421号東品川下丸子線」だそうです。全長はわずかに約6.4kmです。

メガトン級の雑踏が発生する池上本門寺お会式のときには、おそらく喧騒で携帯電話の通話もしにくい状態だと想像できます。そんなときには骨伝導ヘッドセットでハンズフリーで通話するのがベストです。

     ⇒ 最先端の骨伝導機器

米軍採用の特許技術を駆使した骨伝導製品でなければ、喧騒に性能が追いつかないかもしれません。
池上駅に降り立ち、そんなことを思いながら周囲を散策しました。

宮ヶ瀬ダムを骨で聴く

2014-06-02 12:06:37 | 骨で聴く癒しの世界
初夏というより真夏の様相を呈している最近の天候ですが、こんなときには活動的な「癒し」空間へと骨伝導ヘッドセットとともに出かけたくなります。

首都圏から50km圏内の近距離にあり、まだ全線開通には遠いものの圏央道のインター完成によりアクセスが向上した神奈川県の宮ヶ瀬ダムはこんな時期、最適な場所といえます。今回も最先端・米軍採用の特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットとともに出かけました。

   ⇒ 骨伝導ヘッドセットHG40
バイク用骨伝導インカムBUHEL

ライダーであればナビや携帯電話、あるいは好きな音楽を聴きながら出かける場所としても最高でしょう。
その際はヘルメットを一瞬で骨伝導スピーカーに変身させる【BUHEL】がお勧めです。

さて、宮ヶ瀬ダムですが、神奈川県愛甲郡清川村宮ヶ瀬、愛甲郡愛川町半原、相模原市緑区青山の3市町村に跨るダム湖で、計画発表から29年後の2000年(平成12年)12月に完成したものです。
しかも関東地方では、奈良俣ダムに次ぐ高さを誇り、浦山ダムと並んで、総貯水容量は小河内ダム(奥多摩湖)や矢木沢ダム(奥利根湖)に次ぐ関東屈指の大ダムになっています。

正式発表から完成まで時間を要した理由の一つとして、猛烈な反対運動が挙げられます。
この反対運動により補償交渉は長期化を余儀なくされたのです。結果的に1977年(昭和52年)に水源地域対策特別措置法の第9条指定ダムとして指定されたことで補償費国庫補助の嵩上げ対象となったという経緯があります。



現在は神奈川県の貴重な観光資源にもなっています。
毎週水曜日と第二日曜日には観光放流が行われます。高さ100m付近にある常用洪水吐きの2門のゲートから豪快な放流が4分間、1日2回行われるのです。この豪快な放流を見るために行楽客がダムの真下へと集まってきます。

そんな豪快な水の音は耳だけでなく骨でも聴きたいものです。
米軍採用の特許技術を駆使した骨伝導スピーカーで聴くことで、さらなる貴重な体験ができそうです。



ダムの先には神奈川県立あいかわ公園が整備されています。
パークセンター、ふれあい広場、子供広場、疎林広場、風の丘、花の斜面、花の森、冒険の森、冒険広場、自然観察林等、様々な施設があり、しかも入園料がないのはうれしい場所です。
ダムまでは徒歩で15分ですが、ロードトレイン「愛ちゃん号」に乗車すれば目の前まで連れて行ってくれます。

1日いても楽しめますから、骨伝導機器とともに出かけるには最適な場所としてお勧めです。