骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

植木坂を骨で聴く

2008-03-31 17:48:27 | 骨で聴く体験記

 六本木の中心街から意味もなくブラブラと歩きました。
 骨伝導の都会での装着具合を体験するためです。街の喧騒だけでなく、都市部の雰囲気までも骨から脳に伝わる感覚を試しました。

 港区麻布台3丁目と麻布永坂町との境界にある坂道に出ました。周辺は高級な住宅街です。麻布台3丁目、麻布永坂町、麻布狸穴町に挟まれた地域は、なるほど、どこか異空間のような気もしないでもない…。
 と、そんなことを考えながら坂道を見ます。周辺は起伏が多いので、坂が多いのが分かります。その中のひとつ、「植木坂」で立ち止まります。

 この坂は、江戸時代に植木職人が多く住んでいた場所だったことが名前の由来だそうですが、現在では想像できない様子です。菊人形が早くから作られていたそうで、骨で聴く空間は頭の中だけでタイムスリップ。

 周囲はアップダウンが激しい場所で、音が遮られるわけではないでしょうが、かなり静かです。都心の真ん中だとは思えません。耳だけでなく骨から聴くノイズも少ないのはいうまでもありません。

 ⇒ 骨伝導の驚異の秘密へ

     

 

駒留神社を骨で聴く

2008-03-26 18:30:49 | 骨で聴く巡礼旅

 浅草の下町情緒を散策したあとは、山の手の住宅街に行きました。世田谷区です。
 同じ東京でも浅草のある台東区とはまったく異なる雰囲気です。

 環七通りは見た目だけならバイパス道路のようなものだし、住宅やマンション、ビルも佇まいは異質といえます。ただ、完全な郊外の雰囲気がないのも世田谷区の特徴で、場所によっては浅草と似た空気のあるポイントもあります。

 神社の例大祭は規模は別にすれば、世田谷でも浅草に負けていません。
 今回は環七沿いの駒留神社からブラブラと歩く旅に出かけました。

           
 
 国道246号線と環七通りが交差する場所から世田谷通り方面へ進むと、変則の交差点があります。弦巻通り・駒留通りの二本が交差し、その交差地点の上を環七通りが走っています。
 駒留神社はその交差点からわずかに北上した場所にあります。

 鬱蒼とした木々に囲まれ昼でも暗い感じですが、それだけに神秘的な聖域に入った気分になります。祭りのときは賑やかですが、普段は環七を走るトラックの重低音にも気にならないくらいひっそりとしています。

 骨で聴きます。
 骨伝導のパワーが発揮されます。

 ⇒ 骨伝導の知られざるパワーとは

         

千束稲荷神社を骨で聴く

2008-03-25 17:56:33 | 骨で聴く巡礼旅


 鳥越神社から黒船神社、駒形堂と浅草界隈を歩きました。さらに北へと足を向けます。春が近づいてきたおかけで軽快な足取りです。

 ⇒ 鳥越神社を骨で聴く
 ⇒ 黒船神社を骨で聴く
 ⇒ 駒形堂を骨で聴く

 浅草寺を通り、国際通りを北上してみます。

 ⇒ 浅草寺の五重塔を骨で聴く

 下町情緒は大分薄れてきましたが、まだこの地域は江戸の香りがわずかに残っています。もちろん骨で聴く音にも歴史が感じられます。

 樋口一葉の代表作「たけくらべ」で、明治時代の祭礼が舞台となり、子供達が遊んだ神社が千束稲荷神社です。国際通りから少し入った場所にありました。

                

 徳川幕府四代将軍・家綱の時代に創設された神社です。
 浅草一円を千束郷と称していました。上下二社の稲荷社がつくられ、この神社は下社になります。北千束郷の氏神です。

 明治5年の太政官令により竜泉寺町一円の氏神となり、現在の千束稲荷神社になったという歴史があります。

 骨伝導機器のヘッドセットを装着し、江戸時代の音や樋口一葉の声を聴きます。
 もちろん、実際に音声があるわけではありません。しかし骨を通して聴く世界が単なる江戸ウォーキングとは異なる味わいをかもし出してくれているのは事実のようです。

 ⇒ 骨伝導の驚異の世界へ

                      


湯立人鉱泉を骨で聴く

2008-03-24 18:50:41 | 骨で聴く癒しの世界

 ほとんど無名の鉱泉を骨で聴く旅に出かけます。

 場所は山梨県です。
 大月の名勝「猿橋」に程近い葛野川沿いにある鄙びた温泉です。猿橋は江戸時代から日本三奇橋の一つとしても知られ、広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにも見ることができるほどの有名な橋です。

 しかし今回の目的地は道路沿いに「湯立人鉱泉」という小さな看板が立っているものの、そこから急な坂を下っていったところにあるのは、どう見ても普通の民家しかありません。

             

 そこには何も表示されていないので、ここが温泉だと思う人は皆無だろうと想像します。今回は非常識温泉紀行ライターの案内だったので、「なるほど、ここか!」と感無量な気分になりましたが、それでも普通の民家をいきなり訪問した感覚は残ります。
 ちなみに紀行ライター氏は去年は2回、通算では6回くらい来ているそうです。
 (そこが素人と違うところだなあ……)

 玄関の戸を開け声をかけると、愛想の良いおばあちゃんが出てきます。
 
 ここの歴史は江戸末期くらいまで遡るらしいですが、今は旅籠はやめて、土日のみ12時からの日帰りだけです。
 玄関にあらわれた70才くらいのおばあさんが1人でやっているそうです。

         
 

 浴室は意外と小ぎれいです。
 ……とはいうものの、浴槽や床のタイル張りはともかく、屋根が粗末なビニール製トタンというのはまさに「素朴」そのもの。何となく鄙びた感じが漂ってきます。

 男女別になっていますが、浴室を区切る塀がかなり低く、背の高い人なら覗けてしまうほどです。覗かれて困るようなお客様はこの温泉には来ないような気もするので、まあ問題ないのでしょう。

 自然湧出の鉱泉で、無色透明ですが、ろ過等はしてないので、湯の中に土の結晶(かけら?)みたいなのが僅かに混ざったりしてます。

 ここで常連の温泉紀行ライターの解説講座

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 秘湯ぶんぶくの湯と同様に、いわゆる「自然湧出の鉱泉」独特のよさが味わえます。⇒ 秘湯ぶんぶくの湯を骨で聴く
 
 思えば深い地下で温まってる地下水を強制的に掘ったら高温のが出るのは当たり前で、人体に例えたら身体に傷をつけて無理矢理出血させてるようなものかもしれません。だからボーリング(人工)の高温泉には殆ど価値を感じません。
(もちろん少なからず例外はありますが)
 
 地元のおばあさんや、たまに扇・百蔵の下山客が立ち寄ったりしてるようです。
女将さんは、あまり紹介されたくないみたいなので、ブログ等で取り上げたことはありません。(でもネット上では、スキ者がけっこう紹介したりしてます)
でも、骨で聴くなら「よし」としましょう!

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 と、いうことで骨で聴くことにしました。
 無名の鉱泉を骨で聴くことは、なかなか興味深いものです。耳では聞き取れない鄙びた鉱泉・温泉の音が聴こえてきます。

 骨まで伝わる無名鉱泉の効能。
 骨伝導で感じる癒しの湯音。

 ⇒ 骨伝導のすごさをもっと知る

      

日本海の味覚を骨で聴く

2008-03-21 10:51:58 | 骨で聴く体験記

 以前に餘部鉄橋へ行ったときの食事が忘れられません。
 やはり日本海に面した場所は松葉ガニです。

 ⇒ 餘部鉄橋を骨で聴く

 春が近づいてきたとはいえ、まだ寒い日本海。
 独りで旅しているときに、素朴ながらも最高に贅沢な日本海の味覚を堪能。

 食事の時には骨伝導のヘッドセットを装着します。
 カニが口の中に入り、歯で噛み締めたときのジワーッとした音が骨から脳へと伝わります。耳で聞くだけでないこの音こそ、最高のグルメです。

 ⇒ そんな骨伝導について知る

    

駒形堂を骨で聴く

2008-03-19 10:43:33 | 骨で聴く巡礼旅

 鳥越神社や黒船神社を訪れたあとは、駒形橋方向へと向かいました。浅草らしい光景になってきました。

 ここを舞台にしたものとして、吉原の遊女・二代目高尾が仙台の伊達綱宗を恋しがって詠んだという句が有名です。

  「ゆうべは波の上の御帰らせ、いかが候。
  御館の御首尾つつがなくおわしまし候や。
  御見のまま忘れねばこそ、思い出さず候。かしこ。
              君はいま 駒形あたり ほととぎす」。

 この句碑は橋の近くにある駒形公園に建てられています。
 公園には駒形堂があります。
 浅草寺と大いに関係する場所です。

 ⇒ 浅草寺の五重塔を骨で聴く

 「浅草観音縁起」で、浅草寺の本尊が出現したゆかりの場所になります。
 観世音菩薩の上陸地を記念し、近くの浅草川を遊泳する魚族の無事を祈念してこの駒形堂が建てられました。西暦942年(天慶5年)、平 公雅が新しい浅草寺観音堂などを寄進した際に一緒に造られたといわれています。

 現在の堂は江戸開府400年を記念して平成15年11月19日に新しく建て直されたものです。前に立つと新しく綺麗な感じが伝わってきます。

 ちなみに建築費用は1億円だったとのことです。

 骨で聴きましょう。骨伝導のヘッドセットを装着して、周囲の音を聴きます。
 日常の中の非日常が形成されます。

 ⇒ 骨伝導とは?

              



黒船神社を骨で聴く

2008-03-18 10:29:04 | 骨で聴く巡礼旅

 鳥越神社に行ったついでに、浅草方面にブラブラと歩くことにしました。

 ⇒ 鳥越神社を骨で聴く

 蔵前橋通りから北上すると次に現れる大きな道は春日通りです。住所の表示が三筋や元浅草になります。新しいマンションが増えた地域で、昔ながらの町工場や軒を連ねる小さな家々がかなり減っているようです。

 さらに北上し、浅草通りに至る手間に小さな神社を発見しました。

 それが黒船神社です。

 黒船といって思い浮かぶのがペリーの黒船来航ですが、この神社はまったく関係ないようです。鳥居は寛文11年(1671)、灯籠は安永2年(1773)、手水鉢は寛政7年(1795)という歴史が刻まれています。ペリーが浦賀に来航したのが1853年ですから、それ以前から黒船を名乗っていたのです。

 参道は短く、周囲の建物にほどんど埋もれているような感じです。鳥越神社の荘厳さとは比較にならず、忘れられているような神社です。

 しかし、ここでも骨伝導のヘッドセットを装着して境内に立ちます、二礼二拍手で、骨から神社の聖域が声として脳に届きます。
 骨伝導を使えば、こんな小さな浅草の神社も、立派な巡礼地になるようです。

 ⇒ そこで骨伝導について知る

         


鳥越神社を骨で聴く

2008-03-17 17:20:50 | 骨で聴く巡礼旅

 蔵前橋通り沿いにある東京・下町の鳥越神社です。
 この神社はとんど焼などで有名です。
 とんど焼は正月に迎えた神様(歳神様)をお送りする日本の伝統的な行事です。

 とんど焼とは平安の昔からおこなわれていたようで、神様に関係のある尊いものを焼くという意味が由来だそうです。
 以下に「浅草 鳥越神社トンド焼のいわれ」を引用します。

 ----------その焼くときの囃子言葉に「トンドヤ」と囃したりすることや、又火の燃える様や音が、ドンドと燃えると言う事から因んで、ドンド焼とも言われるのです。この火に書初めの清書を燃やして高くあがれば、字が上手になるとか、この火で餅を焼いて食べる事が、一年中疫除の呪(まじない)になるとされていめす。要するにこの火に依ってお正月様をお送りすると言う事とその一年中無病息災をお祈りすると言う新春のめでたい行事であります。----------------

       

 鳥越の由来としては、源義家の挿話がもとになります。
 源義家が奥州へ行くときにこの地を通りかかりました。しかし、入り江のために兵を進められませんでした。そのときに鳥が飛び立ち浅瀬を教えてくれたため鳥越の名をつけられたといいます。
 今でも蔵前橋通りを錦糸町方面に向かうとき、隅田川を渡る寸前にこの神社は現れます。感動的な出現です。

 骨で聴きます。
 境内では車の走行音とは異質な空気が骨に伝わります。耳だけでは感じられない音かもしれません。特許技術の骨伝導ならではの感動です。

 ⇒ 骨伝導について知ろう! 

         

柏駅を骨で聴く

2008-03-14 11:28:42 | 骨で聴く鉄道駅

 JR常磐線と東武野田線の主要駅である柏駅。
 乗降客の多い駅で、JR東日本では全駅で第23位です。しかも千葉県内では船橋駅に次いで第2位を誇ります。

 東武鉄道でも、伊勢崎線や東上線のような動脈的な路線でないにもかかわらず、東武鉄道全線で池袋駅、北千住駅に次いで第3位の乗降客数という意外なデータがあります。

         

 さらに意外な事実をご紹介しましょう。
 キーワードが「初」です。

①まだ国鉄の時代(昭和47年)に、国鉄初となる自動改札機を設置。
②柏駅東口と西口に日本で初めてベデストリアンデッキ(通称『ダブルデッキ』)が作られる。

 さらにいえば、これだけの駅でありながら常磐線が複々線になった当初、何と快速電車が停車しないばかりか、緩行線のホームしかなかったのです。
 さすがにこれは国会で激しい追及を受けるということを招き、今のようになったのです。もちろん特急電車も停車します。

 こんな駅をいつものように骨で聴きます。
 意外な横顔を持つ柏駅に骨伝導から脳へと音声が入力されます。悪くありません。

 ⇒ 骨伝導について

                   

目黄不動尊永久寺を骨で聴く

2008-03-13 11:30:22 | 骨で聴く巡礼旅


 江戸幕府三代将軍・徳川家光は、天海僧正の発案により、「江戸」の鎮護と天下泰平を祈願して、「江戸城」の回りに5ヶ所の「不動尊」を選抜しました。

 天台密教による五大要素(五行説)から、地(黄)・水(黒)・火(赤)・風(白)・空(青)の5ヶ所の「不動尊」を

 「目黄(めき)」・「目黒(めぐろ)」・「目赤(めあか)」・「目白(めじろ)」・「目青(めあお)」

 と名付けたのです。

 以前に目青不動尊でネコに会いました。

 ⇒ 目青不動尊のネコを骨で聴く

 今回は目黄不動尊へと行きました。もちろん、骨で聴く旅ですから、特許技術の骨伝導ヘッドセットを装着しての出発です。

 向かったのは東京の台東区です。
 実は目黄不動尊は、他の色と違って、いくつか候補があるようです。候補というとおかしな表現ですが、目黄不動尊としての位置づけといわれる寺院が複数あるようなのです。どれが本当かは分かりません。

 今回訪れたのは、日比谷線三ノ輪駅から徒歩1分程度の場所です。

        

 目黄不動の永久寺は、明治通りに面し、地下鉄の出入り口からも近いせいか、寺院独特の異界という雰囲気はありません。

 思わず通りすぎてしまうほどの大きさで、境内もかなり狭いように感じます。第一印象は普通の民家のようでした。
 もうひとつの候補である江戸川区の目黄不動尊は、こんあ都会型ではないと聞いていますが、ここは完全な江戸から東京に移転していました。

 骨伝導を通しても、クルマの走行音、ディーゼル特有の重低音が響くようで、残念ながら江戸の結界を体感することはできませんでした。目青不動尊で出会ったようなネコもいませんでした。

 しかし、江戸は東京になったわけですから、勝手に江戸情緒を求めるのは間違っているのかもしれない……そんな感じも抱きます。

 ⇒ 骨伝導の秘密だけでも解明

              


藤岡の霊泉を骨で聴く

2008-03-11 10:40:17 | 骨で聴く巡礼旅

 群馬県の藤岡市を久しぶりに取り上げます。
 以前にご紹介した蛇喰渓谷の近くです。観光ガイドブックにはない穴場の骨伝導巡礼地だといえます。

 ⇒ 蛇喰渓谷を骨で聴く

 渓谷のある県道沿いです。
 ここは関越、上信越自動車道のある藤岡ジャンクションとはまったく異なる風景です。市街地から山岳地帯へかなりの距離を走っています。

 県道に小さな立て札を見つけ、「弘法井戸」の文字を確認すると、右折して急な坂道を登っていきます。自動車であれば、対向車が来たらすれ違うことは不可能な道路です。路面も悪く、サスペンションを通じて車内に悪路の振動が伝わってきます。樹木が空を覆い、昼でも暗い山道です。

 1.3キロほど先に井戸はあるようです。自動車だと簡単に行ける距離のようですが、道路が道路だけに決して容易に到着するという感じはしません。

 目的地の「弘法井戸」とは文字通りの井戸ではなく、岩盤基部の穴から大量に湧いている水のことで、小屋に覆われています。

      
 
 弘法大師が修行の途次、この地を通りかかりました。山道の途中には水を求めるところがなく、人家もありませんでした。
 たまたま山中から機を織る音が聞こえ、大師はそこへ立ち寄り、一杯の水を頂くことにしました。
 親切な老婆は大師に水を与え、このこき村人たちが水不足で困っているという話をしました。
 大師はそれを聞いて、早速に浄地を定めたといいます。

 錫杖で岩を砕く。すると、そこから水が湧き出してきました。以来、夏でも冬でも枯れることのない清水が、いつでもこんこんと湧き続けています。

  村人たちは石を積み、霊水をまんまんと溜めるようにし、いつでも誰でも使いやすいようにしました。さらに、弘法大師の尊像を岩上に祀り、報恩謝徳の心を表したといいます。

 この霊水を飲む村人たちは、みな長寿だということから、わざわざ霊水を飲みに来る人があとをたたないようです。

 いかにも弘法大師らしい、水に関する伝説だといえます。

 実際に目にする井戸は味も素っ気も無いのが現実です。しかしこれは、この地の霊泉があり、弘法大師の伝説と重なって大いに意味があるといえます。この霊泉を骨で聴き、偉大なる霊泉に感謝します。

 そんな旅を続けます。

 ⇒ 骨伝導の驚異の秘密

              


北緯34度13分を骨で聴く

2008-03-10 16:22:31 | 骨で聴く巡礼旅


 レイラインではありませんが、北緯34度13分の謎があります。

 ⇒ 弘法のレイラインを骨で聴く

 やはりここでも主人公は弘法大師・空海です。

 空海の伝説は全国に弘法大師伝説として残っています。特に温泉や水に関する伝説が多く、神秘的な逸話や民話のようなものまで様々です。

 ⇒ 弘法大師伝説をたずねて

 空海は四国の善通寺で生まれ、唐の長安・青龍寺で真言密教の後継者となり、帰国後に高野山に入りました。実はこの3つの地域がすべて東西1本の線で結ばれるのだそうです。

 それが北緯34度13分です。
 具体的には、

 善通寺-空海誕生地

 長安 -遍照金剛生誕地

 高野山-入定留身の地

 と、いうことです。

 こんな謎をテーマにした旅も悪くなさそうです。
 このとき旅の必需品が骨伝導です。骨で聴く謎とロマンの旅なんて素敵じゃないですか。耳では聞こえない音を骨で聴き、弘法大師・空海の三大遺跡に触れるのもいいものです。

 ⇒ 骨で聴く神秘の世界

            



儲かるビジネスを骨で聴く

2008-03-07 10:24:46 | 骨で聴くビジネス

 儲からない企業が増え、中小企業のほとんどは業績不振に喘いでいます。しかしその半面で独立起業する人の数も大きく減らないのです。

 ⇒ 儲けを骨で聴く

 ライフサイクルが早い時代のビジネスは、旧来の経営者の頑固さを駆逐してきました。企業を成長させるのも衰退させるのも、同じ経営者で、同じ努力、同じ才能です。ライフサイクルの波に乗れるか乗れないか、また、その波を感じ取れるか、先取りできるかとは別問題です。

 ⇒ 商品ライフサイクルを骨で聴く

 そこで今の儲かるビジネスを見てみると、モノを販売するにしても、モノ売りではなかったり、売り方そのものが仕組みの中に入っていたりします。

  「こんないいい商品です。どうぞ買ってください!」

 これでは見向きもされません。
 商品の良し悪しと売れる売れないは、あまり関係なくなってきました。

 では、骨伝導製品はどうでしょう?

 米軍や各国の軍隊だけでなく、消防庁、警察庁などでも採用されています。民間向けのものもあります。でも…

 まだ成長曲線は描けていないようです。
 参入するなら「今」しかないかもしれません。

 ⇒ その前に驚異の骨伝導技術を知る

           

横浜あざみ野を骨で聴く

2008-03-06 10:37:32 | 骨で聴く癒しの世界

 横浜を骨で聴く旅を続けます。

 ⇒ 横浜を骨で聴く
 ⇒ 横浜ランドマークタワーを骨で聴く
 ⇒ よこはまコスモワールドを骨で聴く

 港町・ヨコハマから郊外へと向かいます。上の画像は横浜市営地下鉄3号線(ブルーライン)が終点・あざみ野駅へ入るため、地下に潜ろうとする直前の場所です。
 丘陵地帯のため、地下鉄とはいっても完全に地下を走らないところが横浜郊外らしいといえます。

 みなとみらいとはまったく異なる横浜の姿です。

 あざみ野駅は市営地下鉄だけでなく、東急の田園都市線の急行停車駅として乗降客が多い駅です。
 E・ハワードの提唱した田園都市構想を用いて建設を行った「多摩田園都市」により、東急田園都市線は発展し、あざみ野周辺も中核をなす地域となりました。

 現在は横浜市の青葉区になりますが、もともとこの地区は緑区でした。緑区元石川町、大場町、美しが丘の一部だったのです。1970年代に宅地化が進んだことから区域の人口の増加し、新しい町名が設けられることになったのです。

 それがあざみ野の地名の始まりです。
 アザミが咲き乱れる野のイメージから、「あざみ野」という地名が設けられたそうです。さらにこれにともなって田園都市線の新駅としてあざみ野駅も開業しました。

 最初は各駅停車だけしか停車しない駅でしたが、横浜市営地下鉄の乗り入れとともに、急行も停車するようになりました。
 現在では1日平均乗降者数 131,186人(2006年度・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) で、田園都市線内第3位を誇るようになりました。

 平成20年3月30日には横浜市営地下鉄のグリーンラインも開業します。人の流れもあざみ野周辺に影響を与えるかどうか楽しみです。

 骨で聴きましょう。

 ⇒ 骨で聴く骨伝導

              
 

新宿太宗寺を骨で聴く

2008-03-05 10:39:01 | 骨で聴く巡礼旅

 昨日、落語家の三遊亭金時さんとお会いし、おもしろいお話をたくさん聞けました。
 残念ながらそのときは耳だけで聞いていたので、今度は落語を骨伝導を使って聴こうと固く心に誓いました。

 ⇒ 三遊亭金時の部屋

 その前に、久しぶりに新宿を歩くことになりました。単なる移動の合間だったのですが、新宿御苑前駅すぐそばの太宗寺にブラリと立ち寄りました。

 正式な名称は、『霞関山本覚院太宗寺』
 
 浄土宗寺院で、甲州街道の内藤新宿の宿場にありました。江戸時代には参拝者も多かったことから門前町も形成されたほどです。現在は新宿2丁目の住居表示になります。

 太宗寺という名の由来は、このあたりに太宗という名の僧侶が建てた草庵「太宗庵」だそうです。時代は慶長元年(1596年)頃だといいますから、まさに江戸の歴史とと一緒に歩んできた寺院だといえます。

 寛永6年(1629)には、内藤家第五代正勝逝去の際に葬儀を一切とりしきりました。
 寛文8年(1668)には、内藤家第六代重頼から寺領7396坪の寄進をうけたことにより現在の太宗寺となりました。

 以来この寺院は「内藤新宿のお閻魔さん」「しょうづかのばあさん」として親しまれてきました。

              

 そして何より、境内に入ってすぐ目にするのが地蔵菩薩坐像です。
 江戸六地蔵のひとつで、猥雑な新宿の街には不釣合いなほど堂々と座しています。なかなか見事です。

 やはりここでも骨で聴きます。

 耳からでは聞こえない音を骨を通して直接脳へ伝えるのです。
 骨伝導のヘッドセットは耳をふさがないので、新宿の音は耳で、太宗寺と江戸の歴史は骨で聴きます。
 落語もこんな調子で聴いてみよう……そう思う一日でした。

 ⇒ 骨伝導って、ところで何?