宮本常一の「辺境を歩いた人々」の読書連鎖で、村井章介「境界をまたぐ人びと」を読んだ。
昔、「国境はある幅をもつ広がりであり、となりあう二つあるいは三つ以上の国家がまじりあう場であった。そして、その空間においては、いずれの側にも100%属することのない人間集団(境界人)とその活動があった。
国家の中心部からみれば辺境であるが、境界であるがゆえに豊かな富を生み出すエネルギーが、そこにはうずまいていた。」
これは、エミシの時代の東北、1060年から約60年間に日本海をまたいで活躍した唐人、何十万という単位で出土する陶磁器を残した博多に住みついていた宗商人たち、対馬・朝鮮半島・琉球をまたにかけて活躍した日本人、果ての地であった鬼界島、そして、琉球へいたる海の道・・・などの話だ。
村井章介著「境界をまたぐ人びと」山川出版、2006年5月25日、800円+税
境界人たちの世界。いつの時代にも存在する。
昔、「国境はある幅をもつ広がりであり、となりあう二つあるいは三つ以上の国家がまじりあう場であった。そして、その空間においては、いずれの側にも100%属することのない人間集団(境界人)とその活動があった。
国家の中心部からみれば辺境であるが、境界であるがゆえに豊かな富を生み出すエネルギーが、そこにはうずまいていた。」
これは、エミシの時代の東北、1060年から約60年間に日本海をまたいで活躍した唐人、何十万という単位で出土する陶磁器を残した博多に住みついていた宗商人たち、対馬・朝鮮半島・琉球をまたにかけて活躍した日本人、果ての地であった鬼界島、そして、琉球へいたる海の道・・・などの話だ。
村井章介著「境界をまたぐ人びと」山川出版、2006年5月25日、800円+税
境界人たちの世界。いつの時代にも存在する。