初期の国産メダルゲーム機リストの最終回です。今回は、1977年と1978年の2年分を一挙掲載です。と言うのも、1978年は、売り出された国産メダルゲームのタイトル数は、ピカデリーサーカス類を除いて非常に少なく、独立した記事にできるほどのボリュームがないのです。
警察庁の調査によれば、メダルゲーム場の件数は、1976年には1274軒、翌1977年は1544軒と、270軒増加しています(関連記事:TV報道番組に見る1978年のAM業界(4) 1978年のゲーセンルポと(なぜか)メダルゲームの市場規模推移)。
しかしその翌年の1978年、「インベーダーブーム」という社会現象が発生し(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(4) Space Invaders invaded Japan in 1988-1989)、それまで持て囃されていたメダルゲームは一気に退潮傾向を強めていきました。その時点でメダル機の大手メーカーだったセガ、タイトー、任天堂、ユニバーサルらはことごとくリソースをビデオゲーム開発に振り向け、以降しばらくの間はメダルゲームは冬の時代となります(関連記事: 「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)。
セガとタイトーが再びメダルゲーム機を売り出すようになるのは1981年からです。ユニバーサルは完全に7号(パチスロ)メーカーに移行しており、メダルゲームに戻ってくるのは海外ゲーミング向けのスロットマシンに手を出し始めた80年代半ばになってからでした。任天堂に至ってはメダルゲームから撤退してしまいました。
その一方で、シングルロケの方はまだ伸長の余地が大きかったようで、現金を併用するピカデリーサーカスとその同コンセプト品はその間も作られ続けました。全日本遊園協会出版局が出版した「’78遊戯機械総合年鑑」には、1977年のAMショウに出展された機種及び過去1年間に売り出された機種として、全10社による30以上の機種が記載されており、さらに1978年になるとテーブル筐体で提供されるようにさえなっていきます。ただし、それらテーブル筐体に入ったピカデリー類の多くはアングラ市場を意識していたものであろうと思われるものでした。
************ 1977~1978年の国産メダルゲーム機リスト(50音順メーカー別>50音順タイトル別)
・ハイパーリンクのあるタイトルは、クリックすると関連記事に飛びます。
国産メダルゲーム機・1977 | ||||||
# | タイトル | タイトル(英文) | メーカー | 人数 | ジャンル | 備考 |
1 | カラービンゴ | COLOR BINGO | タイトー | 6 | メカビンゴ | 1975年に発表されているが、販売開始は77年。 |
2 | パドック | PADDOCK | タイトー | 1 | ピンボール | プライベートショウ参考出展(ゲームマシン77.4.15)。 |
3 | ビッグショー | BIG SHOW | 大和東映 | 12 | ? | 詳細不明。ゲームマシン77.5.1に記事あり。 |
4 | EVRレースパーソナル | EVR RACE PERSONAL | 任天堂レジャーシステム | 1 | ビデオ競馬 | EVRレースを一人用に改変したもの。 |
5 | キングオブキングス | KING OF KINGS | ユニバーサル | 8 | カジノゲーム | ビッグ6のゲーム性をメカルーレットで。 |
6 | ルゴー | RUGO | 不明 | 5 | 電光ルーレット | ファロの類似品。ゲームマシン77.06.01 |
7 | ファロII | FARO II | セガ | 6 | カジノゲーム | ファロの後継機で、メカの円盤が回る。最高オッズ60倍。 |
8 | ジャックロット | JACKLOT | データイースト | 1 | カジノゲーム | ジャトレTV21(米A1Supply社製)のコピー? |
9 | アルキメデスプラザ | ARCHMEDES PLAZA | 関西企業 | 3? | ? | 詳細不明。77年AMショウ出展機種。 |
10 | マス・アレンジ | MASS ARRANGE | 不明 | 1×6 | 風営転用 | 風営機アレンジボールの転用。販売はエスコ貿易。 |
ピカデリータイプ(現金併用機)のうち異質なもの | ||||||
11 | スーパーダイス | SUPER DICE | ウコー | 1 | 電光ダイス | 2個の電光ダイスの合計値を予想。 |
12 | 宇宙ユニバース | UCYUU UNIVERSE | ウコー | 1 | メカディスク | ディスク2枚のロタミント風。 |
13 | ベースボールメイト | BASEBALL MATE | 関西企業 | 1 | 電光ゲーム | インタラクティブ性のあるピカデリー類。 |
国産メダルゲーム機・1978 | ||||||
# | タイトル | タイトル(英文) | メーカー | 人数 | ジャンル | 備考 |
1 | ジルバ | ZILVA | 大阪パブコ | 1 | メカリール | スキルストップボタン付き。 |
2 | TVポーカー | TV POKER | シグマ | 1 | カジノゲーム | 純粋に国産と言えるかどうか。 |
3 | グランプリフォー | GRAND PRIX FOUR | セガ | 4 | スロットカ― | アーケード機との2ウェイ可能との触れ込み。 |
4 | 数当てゲーム | KAZUATE GAME | ユニバーサル | 4 | ?(メカ) | プレイフィールドにばら撒かれるメダル数を当てる。 |
5 | コンチネンタルマークV | CONTINENTAL MARK V | ユニバーサル | 1 | メカリール | Bally社Continentalの模倣品。 |
***筐体画像***
1977年 1・カラービンゴのフライヤー。発表は1975年にされていたが、なぜか販売開始が遅れた。
1977年 3・ビッグショウを報じるゲームマシン1977年5月1日号の記事。
1977年 5・キングオブキングスの広告。コインジャーナル1977年6月号に掲載された広告。
1977年 6・ルゴーを報じるゲームマシン1977年6月1日号の記事。
1977年 7・ファロIIのフライヤーの表裏。
1977年 9・アルキメデスプラザの筐体。
1978年 1・ジルバの広告。アミューズメント産業1978年5月号に掲載。
1978年 2・TVポーカーのフライヤーの表裏。
1978年 3・グランプリフォーのフライヤーの表紙。本来は二つ折り4ページで構成される。
1978年 4・数当てゲームの広告。ゲームマシン1978年8月15日号に掲載。
Caitlynは日本の古いゲーム機のリストを作成しようとしています。その中には60年代から80年代にかけてのオリンピアやアレンジボールなどの風営機も含まれていますので、今後忘れてしまった機会があった時には見てみれば何か出てくるかもしれません。
外国人のためのエレメカアーケードゲームガイド
https://earlyarcadesjapan.blogspot.com/2022/02/introduction.html
太陽電子・テレコンマシンの写真もありますね
ずばり、この機械です。
ちょっと興奮気味で記事すら見落としました。我ながら情けない。
記事の主は神保美佳、懐かしい名前ですね。
なんと、ごく最近に資料出した人がいたんですね。
これ、私のカビた脳の中に40年ぐらい記憶がこびりついてたんですよ。
テレクトロン、多分この亜種(?)だと思います。
でも私が見たのは台枠が藤商事じゃなくて太陽電子のものでした。
しかも当時は小学生だったので、太陽電子というのがパチンコメーカーというのを知らなくて、
この豪華な機械がソーラーパネルで動いてるものとばかり思ってました。
後にアレパチの「TAIYOELEC」を知った時、真っ先にテレクトロンを思い出したぐらいです。
でもどう見ても板基板は藤商事のものなので、
台枠が各社共通だったのか、あるいはゲーセン用に改造したものだったんでしょうかね?
でも、思い切って書き込んでみるものですね。脳にこびりついた記憶が取れましたよ。
モノクロやグリーンモニタ搭載の雀球は90年頃ぐらいにも生き残ってて、雀球屋でやったことはあります。
雀球に関しては、新台もまだ出てたと思います。客も入ってた。
天釘のところにDRAGONと書かれてある、パチ台でも使われてる汎用のセル画だったような。
この頃はまだアレンジボールも残ってましたね。
I saw the picture of Telectron by Mr. Fuji Shoji you pointed out, but my memory is too vague to remember if this is the same one I saw.
But that may be what Mr. 7743 thought.
In the next blog, I will introduce your "a foreigners' guide to eremeka arcades".
I think this is the machine you're thinking of. So many attempts to catch the popularity of the Invaders boom!
https://p-cultureclub.com/retro_pachinko/2904/
I think I know the arrangeball machine you are thinking of.
この投稿に移動します。
Go to this post: http://pinballnovice.blogspot.com/2021/01/transitional-electric-pachinko-machines.html
検索する:
search for:
"Unknown LCD game seen in promo video"
https://1.bp.blogspot.com/-7IULmuTiorI/YXK6z5PFquI/AAAAAAABzas/Z1HTOm9g-pIvXQCLye4IzJb0sjK2gPligCLcBGAsYHQ/w640-h498/pachi%2B2.jpg
1979年以降、インベーダーブームに押された7号業界では、失地挽回を期して電光を利用したLEDゲームのような役物を載せたパチンコもいくつか作られましたが、時期的にこれもその一環だったように思います。
ただ、ワタシの記憶は極めておぼろげで、ゲームでどうにかするとUFOを撃ち落とすビデオゲームが遊べて、成功するとメダルが多く払い出されるような内容だったように思いますが、それがどこのメーカー製でどんなゲームに搭載されていたのかが思い出せません。全くもどかしい限りです。
近いうちに国会図書館に行って心当たりを調べてみようと思います。うまく見つかったら、それをネタにブログ一本書きたいですね。
この豪華な機械は、ランプに変わって白黒モニタ(ブラウン管)が、入ったポケットを表示するんですが、
ラインがタテに揃うとブロック崩しが始まり、左の赤いスタートボタンを押して自動で成り行きを見守る(?)0~2点。
ヨコに揃うとインベーダーもどきがはじまり、スタートボタンで玉を発射する。0~1点。
インベーダーと言っても、砲台とインベーダーのUFOだけの画面で、飛び回ってるUFOを1発の弾で撃てるかどうかだったと思います。
ミッションをクリアすると、「オメデトウ タダイマノスコア 1テン」などとデカデカ出ます。
もう少し覚えてる範囲で書くと、
ブロック崩しはダイヤルがなかったし(もしかするとスタートボタンだけでパドルの位置を調整するものだったかも)、
インベーダーもスタートボタンで玉を発射するだけです。
1982年頃、阿佐ヶ谷のゲーセン(ダイヤ街の端っこにあった)で数回見て、数回プレイして、難しいなと思ったぐらいの記憶です。
改造機だったのかどうかもわからないし、2倍要素がどういう概念で働いてたのかもわかりません。盤面すらほとんど覚えてない。
最高10点の「平台」としては、かなり辛気臭い台です。
しかしそれ以降、同型機も、シリーズとおぼしき機械の資料なども、ゲーム業界・パチ業界共に、今まで全く巡り合っておりません。
資料価値としては凄まじいものと思われます。
当時テレビが見れるパチンコはあったらしいですが、ゲームとは連動してなかったはずです。
なのに、フィーバーパワフルや麻雀物語が出てくる10年以上前の時代に、白黒とはいえ、モニタを役物に使った機種が
間違いなくあったわけですから。