オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

2021年のハイライト

2021年12月26日 20時27分50秒 | その他・一般

ご高覧くださっている皆様に励まされ、今年も1年なんとか続けることができました。本当にありがとうございます。今年最後の更新は、今年アップした記事の中からハイライトをまとめてみようと思います。

【スロットマシン/メダルゲーム】関連
今年は7件を追加。sigmaが頒布していたビンゴ・ピンボールの遊び方を解説するフリーペーパーをeメールを介してお分けする企画では、予想を超えるお申し込みをいただきました。その節はありがとうございました。
・「sigmaのフリーペーパー「ビンゴゲーム入門」(1985)」(7/18)

また、おそらくこれが「初期の国産メダルゲーム機」シリーズ最後となるであろう
初期の国産メダルゲーム機(10)プント・バンコ(SEGA,1975)」(8/1)
も公開しました。


【ピンボール・メカ】関連
こちらも今年は7件を追加。「初期の国産フリッパーピンボール機」シリーズが本格始動しました。
・「初期の国産フリッパー・ピンボール機:カーニバル(セガ、1971)」(2/14)
・「初期の国産フリッパー・ピンボール機:サッポロ(セガ、1971)」(7/4)
・「初期の国産ピンボール機:エクスプローラー(セガ、1972)【在庫整理】」(12/12)

また、カナダ在住のCaitlynさんからメカに関する情報をたくさんいただきました。
・「IPDB、こまやなど日本製5機種をリストに追加」(1/17)
・「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」(1/24)
・「【追加・訂正】「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」に情報追加(その1)(その2)」

【歴史】関連
拙ブログで最も重視しているカテゴリーで、今年は10件を追加しました。そのうち6件は、2002年に開催された「パチンコ・パチスロフェア2002」で行われていた、パチンコの歴史を紹介するパネル展示でした。
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(1):宝くじ(久野義博、1948)」(8/8)
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(2):昭和7年のパチンコ機製造現場」(8/15)
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(3):終戦直後(昭和20年代)のパチンコ」(8/22)
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(4):昭和30年代」(8/29)
・「【号外】「PPフェア2002より昭和のパチンコ(4):昭和30年代」の補完情報」(8/30)
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(5):昭和40年以降」(9/5)

 

また、6月には「パチンコ誕生博物館」館長の新刊「ものとものと人間の文化史 186 パチンコ」が発刊されました。

・「法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介」(6/13)

【ビデオゲーム】関連
今年の追加は3件。セガロゴが現在のものに変わった時期の混乱に言及しました。
・「【小ネタ】「ROAD RACE」(SEGA, 1976)とセガロゴの話」(10/9)

また、今では生活必需品となっているコンピューターが、まだ一般民衆にとって魔法の技術だった時代は記憶しておきたいものです。
・「TRON(Bally/MIDWAY, 1982)」(10/31)

【ロケーション】関連
今年は2件を追加しましたが、どちらも意外なほど大きな反響をいただきました。
・「オモロン西新小岩店の記憶」(4/18)

・「ロンゴロンゴ(sigma, 1993):最もバブリーなロケーション」(9/19)

【メーカー・関連企業】関連
今年は、全カテゴリー中最も多い15件を追加。号外を含んで7回にも及んだ「Sega Price List 1977」シリーズは海外からのアクセスも非常に多くありました。
・「Sega Price List 1977(1):表紙と会社案内系その123456号外」(3/7~4/11)

また、富士電子のダイスゲームと「1960年代のTAITOシリーズ」は、ご高覧くださる方々からたくさんの情報をいただき、多くの謎が解明されました。
・「富士電子工業(FDEK)のダイスゲームとその後」(10/16)
・「1960年代のTAITO(1):1964-1967【情報求む】」(11/7)
・「1960年代のTAITO(2):1968-1969【情報求む】」(11/14)
・「1960年代のTAITO(3):追加情報その1」(11/21)
・「1960年代のTAITO(4)追加情報その2」(11/27)
・「1960年代のTAITO(5)追加情報その3」(12/6)

【海外カジノ】関連
Covid-19のせいで、丸2年もラスベガスに行けておりませんが、今回は2005年に解体されてしまった老舗カジノホテル「ウェストワード・ホー」の想い出1件を追加しました。
・「ウェストワード・ホー(ラスベガス)を懐しむ」(6/20)

【その他・一般】関連
今年は、閉鎖の危機に瀕する聖地存続のための募金をお願いしました。
・「貴重なゲーム遺産施設の存続にご寄付のお願い2件」(2/21)

もうひとつ、2月には拙ブログが5周年を迎えたということで、記念の記事を挙げましたが、残念ながらあまり反響はありませんでした。
・「ブログ開設5周年/PHoF移転資金目標額達成/アマゾニアン(Sega, 1978)」(2/28)

なお、次の日曜日は元旦につき更新はお休みさせていただき、次回更新は1/8の予定とさせていただきますので、なにとぞご了承ください。皆様におかれましては、どうぞ良い年をお迎えいただけますように。


舞台サルまん

2021年12月19日 19時24分48秒 | スポーツ・マンガ

今回は、久しぶりにオールドゲームに関係しない話です。

漫画読みであれば、誰でも生涯手元に置いておきたい漫画作品があると思います。もちろんワタシにもそういうものはたくさんありますが、そのほとんどは70年代以前のもので、80年代以降の作品となるとめっきり少なくなってしまいます。その数少ない中の一つに、「サルでも描けるまんが教室(通称サルまん)」があります。

非常にもどかしいことに、ワタシは「サルまん」の優れている点を的確に称賛する文章表現力を持ち合わせておりません。それでもなんとか努力を試みるならば、サルまんは、ギャグマンガの体裁を取りつつも、その歴史を含む漫画に対する深い知識と分析及び考察に立脚した現代漫画の鋭い評論が秀逸であったと思います。もちろん、その結論を最終的に漫画に落とし込む際の表現技法が卓越していることは言うまでもなく、作者である竹熊健太郎・相原コージ両氏の力量には舌を巻きます。

「サルまん」が発表されたのは、1989年の晩秋から1991年春までのことです。「ビッグコミック・スピリッツ」誌(小学館)に連載されました。漫画は基本的に非耐久消費財のようなもので、最盛期を過ぎればほとんどの場合忘れられるか、そうでなくともあくまでも過去の出来事として時々思い出されて終わるのが常ですが、「サルまん」は連載終了から30年もの時を経て、このたび演劇「舞台サルまん」として復活しました。

「舞台サルまん」のフライヤー

「舞台サルまん」は、今年の12月15日から12月19日というごく短い期間ではありますが、演劇の街下北沢の「下北沢小劇場B1」で上演されました。サルまんを高く評価するワタシとしては当然観逃すわけにはいかず、またあの漫画をどのように舞台劇にするのかと言う興味もあって、今日、観に行ってまいりました。

下北沢小劇場B1は、その名の通りキャパシティは小さく、なおかつ8畳程度のほぼ正方形の舞台の二辺はその裏が楽屋に続く壁に接しており、残る二辺の延長線上に観客席があるという変則的な作りになっています。ワタシは演劇には全く詳しくありませんが、今までに見たことがない形の中で、「舞台サルまん」は演じられました。

原作では漫画の技術論やストーリーテリング技法が詳しく述べられていますが、劇ではその辺りは最小限に留められ、劇中劇である「とんち番長」を軸に、本来は読者が意識しないはずの葛藤を中心に演じられています。これは、舞台劇とする上では当然あって然るべきまとめ方だと思われ、ワタシは総じて大いに楽しみました。ただ一つ、竹熊と相原が初めて編集者佐藤に原稿を見せたときに、原作では原稿に目を通した佐藤が良いとも悪いとも言わずに「メシ食いに行こうか」と言うシーンがあるのですが、そこが割愛されていたのが個人的に惜しまれた点でした。

何しろオリジナルは30年前の漫画ですから、観客の年齢層も高いのではないかと予想していたのですが案外そんなこともなく、また半数以上が女性客であったように思います。30年の時を超えて今なおナウなヤングへの訴求力を持つ「サルでも描けるまんが教室」の偉大な普遍性を見た思いがしました。また、この名作に着目し、舞台化してくださった関係者の皆さんに、最大限の感謝の意を表したいと思います。観劇後、twitterで「舞台サルまんを大いに楽しんだ。見事な舞台化だった」と呟いたら、一部の出演者の方々から「いいね」をいただき、少し舞い上がりました。


初期の国産ピンボール機:エクスプローラー(セガ、1972)【在庫整理】

2021年12月12日 18時48分19秒 | ピンボール・メカ

拙ブログでは、「初期の国産ピンボール機」シリーズの中で、EM時代のセガ製ピンボール機のうち、これまで「カーニバル」(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール機:カーニバル(セガ、1971)と「サッポロ」(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール機:サッポロ(セガ、1971)の二機種を採り上げてきました。

IPDBによれば、セガのEMピンボール機は全部で9機種ありますが、残念ながらワタシの手元には「ウィナー(1971)」、「クレイジークロック(1972)」、それに「ロビンフッド(1972)」の3機種のフライヤーがありません。既に採り上げた2機種を除くと、残っているのは「エクスプローラー(1972)」、「サーフィン(1972)」、「アリババ(1973)」、「ギャラクシー(1973)」の4機種です。

しかし困ったことに、これら4機種のうち、ワタシが実際に遊んだことがあるのは「アリババ」のみで、他の3機種については実機を見た記憶すらありません。ことほど左様に、当時のピンボール市場におけるセガ製品のシェアが小さかったということなのだと思いますが、それはともかくとして、語るものがなくともフライヤーをウェブ上に残してはおきたいので、【在庫整理】と謳っておこうと思います。

◆エクスプローラー(Explorer 1972)

*画像は、ブログのシステムが推奨するサイズでなるべく大きく表示できるよう、2分割、または4分割されています。

フライヤーの表面。右側の2/5の部分は折り返しになっている。宇宙飛行士の宇宙服のデザインは、1968年に制作された米映画「2001年宇宙の旅」がモデルであるように見える。[上下二分割]

折り返しを開いたところ。プレイフィールドの画像とゲームの説明が現れる。[上下左右4分割]

折り返し内のプレイフィールド部分のアップ。 [上下二分割]

画像:裏表紙。 [上下左右四分割]

筐体の主要部分の拡大図。当時のゲーム料金の相場が30円であったことがわかる。

バックグラスの拡大図。フライヤーの宇宙飛行士は現実感のあるデザインだったが、バックグラスの宇宙飛行士は科学的な見地からの突っ込みどころが多そうなデザインになっている。

今回の在庫整理は以上です。


1960年代のTAITO(5):追加情報その3(終)

2021年12月05日 19時15分31秒 | メーカー・関連企業

本シリーズもいよいよ最終回です。今回は「バスケットボール901(1967)」と「ファンタジー(1969)」の追加情報です。これらについてもみなさんから画像や情報をいただきました。本当にありがとうございます。

まずは「バスケットボール901」のフライヤーから。

バスケットボール901(1967)のフライヤー。

60年代のバスケットボールゲームは何種類か見た覚えがありますが、駆け出しのメーカーであったTAITOの「901」がその元祖とも思えません。そこでネット上を調べたところ、案の定米国のMidway社が1964年に「BASKETBALL」を売り出していたとする資料が、pinrepair.comと言うウェブサイト内に見つかりました。

米国MIDWAY社の「Basketball(1964)」のフライヤー(pinrepair.comより)。

MIDWAY社のフライヤーには、「1 or 2 player game」として、「when played  as 1 player, game competes against player」と書いてあるのですが、意味がいまひとつよくわかりません。ひょっとして、ここで言っている「game」とは「ゲーム機」の意味で、機械がプレイヤーの相手をする、と言っているのでしょうか。

さらに、セガ1966年に、やはり「Basketball」と言う名称の類似機種を売り出しています。

セガが1966年に売り出した「Basketball」のフライヤー。

セガの筐体の外観はMIDWAY社製とよく似ており、また「SPECIAL 1 or 2 Players」と一人でも遊べるかのように謳っている点からも、MIDWAYのコピーであるように見えます。

なんにしても、TAITOが「901」を出す前に少なくとも2つの同名先行機種があり、過去記事「1960年代のTAITO(3):追加情報その1」で触れた「ペリスコープ」と同様、ここでも「仁義なき戦い」が繰り広げられていたことが窺われます。

さて、いよいよこのシリーズ最後のトピック、「ファンタジー(1969)」です。この筐体画像も、前述「1960年代のTAITO(3):追加情報その1」で言及した「スポーツマン」と同じ総合カタログに掲載されていました。

ファンタジーの筐体。

コンパネには、昭和時代によく見かけた蛇口のハンドル部分のようなコントローラーが見えますが、これだけではゲーム内容の見当がつきません。

と思ったら、SNSで、「ファンタジーは矢印のとこからピンポン玉が自動発射されて(発射方向はハンドルで操作)、時間内に全ての番号の穴に入ったら景品が出てくるマシン」と、解説画像付きで教えてくださる方が現れました。

説明に添えられていた画像。プレイフィールド手前の中央にあるのがピンポン玉の発射口。

ワタシはこのゲームを見た記憶が残念ながらありませんが、なるほど、このようなゲームなら蛇口のハンドルのようなコントローラーの形状も理解できるというものです。お名前を出してよいのかどうかわからないので仮名で失礼しますが、R-Xさん、どうもありがとうございました。これからもお気づきの点等ございましたらご教示いただけますようお願い申し上げます。

(このシリーズ・終わり)