前回、前々回で、「拙ブログでは従来より初の国産メダルゲーム機は「ファロ」と述べてきたが、それは誤りで、『シルバーフォールズ』が正しい」と訂正いたしました。この結論に至るきっかけとなった情報を下さった方は、同じ時期にまた別の写真も送って下さっていて、それは私が国産初と思い込んでいた「ファロ」とはまた別の「ファロ」でした。
「ファロ」は1974年に初代が発売されて以降、80年代までにいくつもの後継機が作られているのですが、ワタシの記憶ではどんな機種がいつ発売されたかが極めてあやふやになってしまっています。ちょうどいい機会なので、今回と次回の2回に分けて、「ファロ」シリーズについて記録しておこうと思います。
まず、先述の送っていただいた写真を見てみます。
「シルバーフォールズ」が国産初のメダルゲーム機である証拠を見せてくださった方から同じ時期に送られてきた写真。大型ゲーム機の部品に見える。
この写真にはセガの大型メダルゲーム機の部品と思しきもの二点が写っており、そのうち手前の方の左上には「NEW FARO」と書かれています。
この画像を送ってきてくださった方は、「『ファロ』の次は『ファロ II』だと思っていた。自分の持つ資料には『NEW FARO』は見当たらないのだが、何か心当たりはないか」とおっしゃっていました。しかし残念なことに、ワタシもこれまで「NEW FARO」の名を見聞した覚えがありません。
ワタシもこの方と同様、セガが1977年夏に売り出した「ファロ II (FARO II)」が「ファロ」の二代目と認識していました。初代は、(表面上は)機械動作のない「電光ルーレット」だったのに対し、「ファロ II」は大きな円盤を回転させて目を決定します。また初代は筐体の背面を壁に向ける前提の構造で5席でしたが、「FARO II」は回転盤を表裏両面から見えるようにして、片面に3席、合計6席のセンターピース(フロアの中央に置ける)構造でした。さらに、初代の盤面は36分割で最大倍率は30倍だったところが、「FARO II」の盤面は72分割で最大倍率は60倍にパワーアップしていました。
ファロIIのフライヤー。
手持ちの資料を調べてみると、セガが1977年5月に発行した価格表には「ファロ」のみ掲載され、翌1978年5月発行の価格表では「ファロ」と「ファロ II」が掲載されています。と言うことは、「NEW FARO」は「ファロ II」よりも遅い時期の製品と考えられそうです。そうとなれば当たるべき資料は1978年以降に絞られ、さらに後継機が出るまでには少なくとも1年くらいは間隔が空くだろうと推察して、ゲームマシン紙の1979年7月1日号から順にゲームマシンアーカイブで虱潰しに追っていったところ、1980年9月1日号のセガの広告に「ニュー・ファロ」を発見しました。
ゲームマシン1980年9月1日号に掲載されたセガの広告から、「ニュー・ファロ」の部分。
これを見ると、頂いた写真ではわからなかった筐体は「FARO II」の使いまわしのようです。広告には「3人用」とあります。実は「FARO II」も片面のみ3席バージョンは用意されていたので、「NEW FARO」は、おそらく売価を抑えるために、その3席仕様で作られたものと思われます。
そしてゲームマシン紙の次の10月15日号では第18回AMショウの特集記事があり、その「各社出展内容一覧」にも「ニューファロ」の名前がありました。
ゲームマシン1980年10月15日号の「各社出展内容一覧」から、セガの部分。「④メダルマシン」の中に「セガ・ニューファロ」の名が挙がっている。
時期が特定できれば他の資料でも見つけることは簡単で、「'80遊戯機械総合年鑑」にも収録されていることを発見しました。この年鑑は、冒頭で「79年10月から80年8月までの間に製造、販売、あるいは発表された機種を収録(要旨)」としており、「ニューファロ」のゲームマシン紙の広告が80年9月1日号であったことを考えると、ギリギリ滑り込みでの収録であったようです。
「NEW FARO」がお蔵入りとならず世に出たことは確かなようですが、やはりワタシは見た記憶がありません。1980年と言えば、スペースインベーダーに端を発するビデオゲームブームによりメダルゲームの営業面積の縮小傾向がまだ続いていた時期だったので、3席限定で売価を抑えてもなお、普及する余地がなかったのかもしれません。その結果、当時現役だった我々マニアですら知るチャンスがなかったのだと思われます。
(つづく)