オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

初期の国産メダルゲーム機リスト(1)1974

2022年08月28日 21時10分00秒 | 初期の国産メダルゲーム機

最近のTwitterで、「メダルゲームリストの同人誌でも作ったら需要あるのではないか」と言う趣旨のつぶやきを見かけました。そんなものがあればワタシもぜひ欲しいと思いますが、この分野の愛好家はピンボールやビデオゲームほど多くはないと思われ、望みは薄そうです。ならばワタシが作ってしまうかとも思いかけもしましたが、自称マニアにすぎないワタシでは網羅性や正確性を期待される資料を作成する自信はありません。

しかし、2000年ころまでのセガのメダルゲーム機に限定すれば、完璧とは言わずとも95%~最大98%程度の網羅性、正確性を伴うリストを作れるかもしれません。それでも良ければと同人誌の作り方を調べてみたところ、やはりそれなりに費用はかかり、そしておそらく製作費を回収できるほど売れるとも思えず、近日中に歯科治療で結構な出費が見込まれる身としては二の足を踏みます。

拙ブログでは「初期の国産メダルゲーム機」というカテゴリーを設けて、これまでに1974年から1977年ころまでにロケーションで見られた国産メダル機に言及してきました。そこで、完璧なメダルゲーム機リストは無理でも、これらに限定したリストならできそうだと思われるので、そのリストを今回から何回かに分けてご紹介していこうと思います。

************ 1974年の国産メダルゲーム機リスト (ハイパーリンクのあるタイトルは、クリックすると関連記事に飛びます)

# タイトル       タイトル(英文)  ジャンル    人数  メーカー   備考
1 ファロ        FARO       電光ルーレット  5  セガ    初の国産マスメダルゲーム。
2 シルバーフォールズ  SILVER FALLS    プッシャー    6  セガ     6Pプッシャー。ファロと同時期に発売。
3 ウィンザーシリーズ  WINDSOR       メカリール    1  セガ     海外向けスロットの転用機。全5機種
4 ボーナス・ライン   BONUS LINE    メカリール    1  セガ     米Bally社・EXTRA LINEのコピー。
5 ラッキーダブル    LUCKY DOUBLE   メカリール     1  セガ     米Bally社・ARROW LINEの模倣品。
6 ボーナスツイン   BONUS TWIN    メカリール     1  セガ     米Bally社・5LINE PROGRESSIVEの模倣品。
7 ファイブスター96   FIVE STAR 96    パチンコタイプ  1  セガ     アレンジボールに似るゲーム性。

8 ダブルアップ     DOUBLE UP     メダル弾き   1  セガ
9 アスコット      ASCOT       電光ルーレット  1  セガ     米Evans社・Winter Bookのコピー。
10 ハーネスレース    HARNESS RACE   メカ競馬     10  セガ 
11 ジャンボダービー   JUMBO DERBY    電光ルーレット   6  フジエンタープライズ  米Evans社・Winter Bookの模倣品。
12 クォーターホース   QUARTER HORSE  メカ競馬     1   MAX    おそらく国産ではないと思われる
13 スーパーボナンザ   SUPER BONANZA  メカリール    1  アムコ/ダックス貿易   米Bally社・CONTINENTALのコピー。
14 エキサイティングレース EXCITING RACE  メカ競馬     1  アムコ/ダックス貿易 

1974年には以上14機種が作られています。メダルゲームの国産化が始まった最初の年ということで、そのほとんどはセガ製品で占められますが、現存しない小さなメーカーも頑張っています。

■注釈
・10番の「ジャンボダービー」はゲーム性は米エヴァンス社の「ウィンターブック」を多人数用に翻案したもの。

・11番の「クォーターホース」は、おそらく国産ではないと思われるが、詳しいことはわからない。アミューズメント産業誌74年10月号にその広告が見える。

・ユニバーサル社の「ウィンターブック」は、ゲームマシン紙1974年11月20日号にディストリビューターによる広告が見えるが、ユニバーサル自身は1975年に広告を出しているので、ここに入れていない。

・これら以外に、米国Evans社の「Winter Book」の模倣品を、少なくとも7社8機種を把握しているが、拙ブログでは一人用のそれら模倣品は原則としてメダルゲームとして扱っていないため、このリストには含んでいない。

■筐体画像

リスト1及び2の「ファロ」(右)と「シルバーフォールズ」(左)。

リスト3のウィンザーシリーズ。これらは本来海外のゲーミング用だが、メダルゲームにも転用された。また、筐体はオリンピアマークIIIにも流用された。

リスト4~6の、左からボーナスライン、ラッキーダブル、ボーナスツイン。

リスト7及び8の「ファイブスター96」(右)と「ダブルアップ」(左)。

リスト9のアスコット。これもEvans社「Winter Book」の模倣品だが、メダルゲーム総合カタログに掲載されているので、例外的にメダルゲーム扱いとしている。

リスト10の「ハーネスレース」。

リスト11の「ジャンボダービー」。ゲーム内容はEvansの「Winter Book」だが、多人数用のためメダルゲームとみなしている。

リスト12の「クォーターホース」。アミューズメント産業誌74年10月号に、風営機「ジェミニ」を開発したMAX社がこの広告を出しているが、おそらく国産品ではないと思われる。

リスト13と14の「スーパーボナンザ」(左)と「エキサイティングレース」(右)

 

次回、初期の国産メダルゲーム機リスト(2)1975」につづく。


Sea Rescue (Midway, 1971)のフライヤーで思ったこと

2022年08月21日 20時10分52秒 | ピンボール・メカ

まだビデオゲームなんてものが無いか、またはそれほど普及していなかった1970年代前半のアーケード機は、当然ながら今でいうエレメカ機が基本でした。今回はそんな時代の1971年、Ballyに買収されて間もない米国Midway社が発売した「シー・レスキュー(Sea Rescue)」のフライヤーのご紹介です(BallyがMidwayを買収したのは1969年)。

シー・レスキューのフライヤーの表。

ヘリコプターが、船乗りと思われる白人男性と、BQBな南洋の美人がいる南の島と思しきところにゲーム機を下ろしていますが、筐体の外観は小さく、よく見えないので拡大してみます。

フライヤー表面の筐体部分。側面にはヘリコプターが救命ボートに縄梯子を下ろしているようなアートワークが見えるが、操作系がどうなっているのかはよくわからない。

一体どんなゲームなのかと裏面を見ると、そこにはどうもゲームのプレイフィールドと思しき画像の周囲に、このゲームの特徴が書かれています。

フライヤーの裏面。

図の右下に見える「+SAR」とは、「遭難した航空機・船舶などの救難信号をとらえ救助活動を行う国際的システム」である「Search And Rescue(捜索救難システム)」の略で、どうやら筐体のアートワークにあるように、ヘリコプターを操って遭難者を救出するゲームであるらしいことは見当が付きました。しかし、実際のゲーム画面が全然イメージできません。ゲームの特徴として書かれている10個の短文も、こけおどしのハッタリとオペレーターが取れるオプションばかりで、ゲーム内容を端的に説明するものはありません。

これはたぶん現在でもそうですが、オペレーターはゲームの良し悪しまでは判断できないので、新製品が出れば半ば自動的に導入せざるを得ず、その余裕がないオペレーターはいち早く導入したロケでの稼働の様子を見て導入を決めているのが実情だと思います。そうであれば、メーカーが打つ宣伝では、ゲーム内容などよりオペレーターにとってのメリットの方がむしろ重要だったのだと思います。

ワタシはこのゲーム機を実際に見たことがあるかどうか、定かな記憶がありません。セガが1972年に頒布した価格表にはこのゲームの名前が記載されており、輸入はされているようです。

セガが1972年の5月頃に頒布した価格表より、シー・レスキューが記載されている部分。結構高い部類の機械だったようだ。

ヘリコプターを操るゲームとしては、68年にセガが「ヘリコプター」を発売しており、これは遊んだ記憶がありますが、それに類するゲームにしてはプレイフィールドを覗くウィンドウ部分がずいぶん小さいように思えます。

セガの「Helicopter」(1968)のフライヤー。2本のレバーでヘリコプターを操作して、点灯する目的地に着陸させるゲーム。実は米国のAmusement Engineering社も同年に「Helicopter Trainer」という同コンセプトの機械を作っているが、どちらが先なのかはわからない。

そこでネット上をググってみたところ、1件だけ動画がヒットしました。これを見ると、やはりヘリコプターを指定の位置に着陸させるゲームでしたが、この時代はブラックライトで対象物を照らす技法を使ったゲームが多く、記憶が混乱して、やはり確かに見たことがあると言えるほどの確信には至りませんでした。

ところで、フライヤーの表面には、機械の到着を喜んでいるらしい船乗りと、「私を退屈から救出するのはミッドウェイにお任せ (Leave it to Midway to save me from boredom.)」との一文が見えます。一方で、悲しそうな表情の半裸のBQB南洋美人も描かれており、つまりこの船乗りはそれまでさんざん世話になっていたであろうBQB南洋美人に飽き飽きしているというストーリーが察せられ、どんなゲームなのかもよくわからない内容であることと併せてドイヒーなフライヤーであると思わざるを得ません。

悲しそうな顔の南洋美人(BQB)。


パンチボードで痛恨の記憶

2022年08月14日 16時04分02秒 | シリーズ絶滅種

かつて、「パンチボード(Punch Board)」というインスタント宝くじの一種がありました。後に世界最大の娯楽機メーカーとなる米国Bally社がまだ「ライオン・マニュファクチュリング(Lion manufacturing)」を名乗っていた時の主力商品ですから、昔の話です。

パンチボードの一例。これはラスベガスの「Spinettis Gaming Supplies」で購入したもの。売値の35ドル(右上の値段表示)は案外高いと思うがこんなものなのか。


パンチボードの起源はよくわかりませんが、英語版のウィキペディアによると、ギャンブリングを目的に18世紀に始まり、19世紀に最終形ができているようです。そして、過去記事「リズムボーイズ ―― スロットマシンの必勝法の話」にも登場したギャンブルゲーム研究家のジョン・スカーニーによる推定として、1910年から1915年の間に3000万枚、人気の頂点となった1939年にはその1年だけで5000万枚のパンチボードが販売されたとあり、結構な人気があったことが窺われます。

これはちょっと変わりダネの例で、スロットマシンとパンチボードを合体させた「MIDGET PUNCH BOARD(1926)」。3個のダイスの出目により、金券を受け取るか、または1回5セントのパンチボードが2回~20回引けた。これを作ったのは、現代スロットマシンの嚆矢「リバティベル」を開発したチャールズ・フェイ。

パンチボードには、穴が100個程度の小さなものから数千個の大型のものまで様々あります。

2005年秋のシカゴランドショウで販売されていた様々なパンチボード(関連記事:歴史の語り部を追った話(2):シカゴランドショウ(Chicagoland Show))。

穴の一つ一つには巻紙(スリップ=Slip)が1枚封入されています。これを専用のピンで押し出し、そこに書かれている内容によって当たりハズレが決まります。1回の料金は5セントから1ドルまで、ボードによってさまざまな種類がありました。

穴の部分。このボードでは、青、赤、黄、緑の4つの区画に分けられている。

穴の部分の拡大図。表面はアルミ箔のようなもので覆われている。

ある程度の規模のパンチボードには、より大きな当たりが隠されているSEAL(封印された穴)が設けられているものも多くありました。通常は、特定の当たりを引くとこのSEALの1カ所を破る権利を得るのですが、ボード上で仕切られている区画ごとの最後の1個をパンチすることで、やはりSEALの一カ所を破ることができるというルールを設けて売れ残りを防ぐ手法も多用されました。

SEALの部分。このボードでは、最低1ドルから最大10ドルが当たると謳っている。

ワタシの手元にあるボードの場合、64ドルのINに対して、平均で33.16ドルのOUTとなっており、ペイアウト率は51.8%とかなり低いですが、この種のゲームのペイアウト率はだいたいこんなものだったようです。これには、SEALによる払い出しが平均を大きく超えるような場合のマージンも含まれていたのではないかと思われます。

パンチボードに添付されていた計算書。完売すると64ドルのINに対して、通常の当たりの合計で平均26.44ドル、区画ごとのラストパンチで得られるSEALでの払い出し平均6.72ドルを合計して33.16ドルのOUTとなる。

類似の簡易宝くじであるブレークオープン(Break Open)とかプルタブ(Pull Tab)などと呼ばれるチケットゲームは、地域によって今も盛んに行われているようですが、パンチボードはもう作られていないようです。

現在も続くブレークオープンメーカーの一つ、Bingo King社のウェブサイトより、ブレークオープンチケットの例。

1990年ころ、渋谷の東急ハンズでこのパンチボードがひっそりと売られていたことがありました。おそらくはデッドストックを持つ納入業者がいたと思われ、上述のシカゴランドで見たようなオールドファッションドなボードが大小どれでも一つ1500円だったか2000円だったかの均一価格でした。ワタシはそこから面白そうなものをいくつか買って勤め先のイベントでくじ引きごっこに使ったところ好評だったので、その後も継続して買っていたら、どうもブーム到来と勘違いされたようで、売り場に販促ポップが付くようになってしまいました。でも買っていたのはたぶんワタシ一人だけだったと思います。

やがてめぼしいボードは全部買い尽くしてしまい、動きがパタリと止まった後、いつしか店頭から消えていきました。ワタシが買ったボードの中には、Ballyの前身のライオン社の製品も含まれていたのですが、使用済みでもあり重くかさばるため廃棄してしまったのは、今思えば全く痛恨の極みです。


「ケンタッキーダービー」と「玉ころがし」に関する続報

2022年08月07日 21時10分03秒 | 歴史

前々回の記事「法政大学出版局「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」のご紹介」の最後で、「昔のゲーム業界紙誌で『ケンタッキーダービー』と言うカーニバルゲームの記事を見た覚えがあるのだがみつからない」と泣き言を述べたところ、そのコメント欄で、拙ブログではもうおなじみの、カナダのCaitlyn関連記事:カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション)が、「ゲームマシン紙の75年1月20日発行の「第13・14合併号」に掲載されている」と教えてくださいました。Thank you so much, Caitlyn.

「ケンタッキーダービー」が新宿歌舞伎町の「カジノラスベガス」に導入されたとの記事。ゲームマシン1975年1月20日号の4面より。

上述ゲームマシンの記事より、写真の部分を拡大。

この記事にある「カジノラスベガス」は、一昨年の11月に惜しまれながら閉店した新宿プレイランドカーニバルの前身で、ケンタッキーダービーはその2階部分にありました。なぜそこまでわかるかと言うと、実はおそらく1976年頃、ワタシもこの「カジノラスベガス」で、記事にあるように優勝するともらえるメダルのサービス券を目当てに遊んでいたのです。

ケンタッキーダービーのレーンの終端はV字型に切れ込んでいて、その先は一段低くなっています。そこにはいくつかの穴がボウリングのピンのように逆三角形に配置されており、それぞれの穴の縁には、赤、青、黄のいずれかの色の、やや高さのあるリングが嵌め込まれています。レーン全体はプレイヤー側に僅かに傾斜しています。

ゲームは、レーンの手前からボールを転がし、入った穴の色により駒が1~3ステップ進みますが、どの穴にも入らなかったボールはレーン終端のV字型に沿って転がり落ち、最下段のリターンホールに入ります。この場合は駒は進みません。穴に落ちたボールはレーンの下を通ってプレイヤーの手元に戻るので、この動作を繰り返し、いち早くフィニッシュに達したプレイヤーが優勝となります。駒は馬だけでなく、ラクダ、車、海賊船、サーフィン他さまざまなバリエーションがあります。

ゲームマシン紙を更によく調べると、ケンタッキーダービーの第一報は1974年11月10日号にあり、そこでは、「ジャトレ」(関連記事:メダルゲーム「TV21」(ジャトレ・1977)の謎)が英国製のケンタッキーダービーの総代理店となり12月から本格的に売り出すと報じています。

ゲームマシン1974年11月10日号でのケンタッキーダービーの記事。

ただ、このケンタッキーダービーが英国製である点には少し引っ掛かりを感じます。玉ころがしが19世紀に人気を集めたのは米国での話です。ケンタッキーダービーが玉ころがしと似ているからと言って、本当に玉ころがしから派生したものと考えて良いのでしょうか。

とは言うものの、競馬の発祥地たる英国製であるにもかかわらず、タイトルを米国のレース名から採っているところを見ると、実はこのオリジナルは米国製で、それをコピーしたとも考えられそうです。この問題は未解決事項として今後も調査を続ける必要はありそうです。

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さて、ところで、Caitlynはそのコメントの中で、「スキーボールが玉転がし起源とすることには同意できない。スキーボールはボウリングを起源としていると考える」と異議を唱えています。

玉ころがしとボウリングは、どちらも目標に向かって手でボールを転がす点は共通しますが、微妙に差異があります。スキーボールのプレイスタイルは、ワタシも彼女の意見の通り、玉ころがしよりもボウリングに近いように思います。一方で、位置によって得点が異なる穴を狙うゲーム性は、玉ころがしやケンタッキーダービーに通じているようにも思います。

英語版のウィキペディアで「Bagatelle」を調べると、「スティックとボールを使ったテーブルゲームはグラウンドビリヤード、クロッケー、ボウリングなどのような屋外ゲームを悪天候時に室内で遊べるようにする取り組みから発展した」と説明されています。これを信じるなら、バガテール直系の子孫である玉ころがしは、ボウリングとは遠い縁戚関係にあると言えるかもしれません。

膨大な資料に当たって研究しているCaitlynや杉山さん(「玉ころがし」著者)のお二人を前に、素人のワタシがろくに調べたわけでもないくせに結論じみたことを言うことは控えたいので、あくまでもワタシの印象という前提で、スキーボールはボウリングと玉ころがしのハイブリッドだった可能性はどうかなあと述べるに留めます。ただ、バガテール、玉ころがし、スキーボール、ケンタッキーダービーなどは、そのルーツを辿るとどこかでつながるということはありそうです。