オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

不遇なメダルゲーム機「Roulette」(セガ、1981)

2024年07月21日 20時12分34秒 | スロットマシン/メダルゲーム

世の中には、作ったはいいが殆ど顧みられることなく忘れ去られていくゲーム機も数多あります。拙ブログはこれまでにも機会があるたびにそのような不遇なゲーム機に言及してまいりました(関連記事:メダルゲーム機「THE DIE IS CAST」(TAITO、1987?)の記憶など)。

今回はそんな不遇なゲームの一つである、セガ1981年にリリースした「Roulette」について記録を残しておこうと思います。

ワタシが学生だった80年代初頭、アルバイト先の関係で銀座・日比谷界隈をうろつくことが多くあり、その頃、日比谷映画街で、地下にあるゲーセンを発見しました。この界隈はその後再開発が進んで今は当時の面影が殆どなくなってしまいましたが、今調べると、セガが運営していた「ゲームスポット・ヒビヤ」であったようです。

「アミューズメント産業」1976年4月号より、「ゲームスポット・ヒビヤ」を紹介する記事。

この時期はビデオゲームブームの真っ最中でメダルゲームは退潮傾向にあったのですが、ここにはメダルゲーム機が比較的多く設置されていたので大いに好感を持って店内をうろついていると、1975年にリリースされた電光ルーレット機「プント・バンコ」を発見しました(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(10) プント・バンコ(SEGA, 1975))。

「プント・バンコなんてよく残っていたな」と思いながら近寄ると、しかしそれは実は「プント・バンコ」ではなく、その筐体を流用した「Roulette」でした。広告には「6人用」とあるところから、12人用だった「プント・バンコ」とは遊び方が少し変わっていたように記憶しているのですが、詳しいことはほとんど覚えていません。ただ、電光の移動の軌跡が「プント・バンコ」とは異なっていたことと、賭けた目を外す「蹴飛ばし」制御がきついとの印象が残っています。

この機械はフライヤーも発見されていません。セガは、業界紙「ゲームマシン」の1981年2月1日号の広告でこの「Roulette」を載せていますが、単独ではなく、その他のゲーム機と一括しての紹介です。

「ゲームマシン」の1981年2月1日号17面のセガの広告(部分)。初めの1文字目は「R」であるべきだが、誤って「Loulette」と記述されている。翌2月15日号の広告では正しく修正されている。

「Roulette」は、おそらく「プント・バンコ」があまり売れなかったので、在庫の部材をどうにかするための敗戦処理投手だったのだと思います。大型機でありながら「プント・バンコ」以上に人々の記憶に残っていないと思うのですが、ご存じの方はいらっしゃいますでしょうか。


1966年のアリストクラート (Aristocrat)

2023年10月01日 20時15分55秒 | スロットマシン/メダルゲーム

アリストクラート (Aristocrat)社は、1953年豪州で設立されたスロットマシンメーカーです。カジノ業界の見本市では、少なくとも90年代には既に他の大手メーカーに引けを取らない大きなブースで出展していましたが、ワタシがラスベガス(ネバダ州)でその機械を見るようになったのは2000年前後、ビデオスロットが急激に発達してからのことだったと記憶しています。

アリストクラートがネバダに進出して間もない2002年、50のペイラインを持つ「50 LIONS(フィフティーライオン)」と言うビデオスロットが画期的なボーナスゲームシステムを搭載してヒットしました。更にその続編となる、100のペイラインを持つ「100 LIONS(ワンハンドレッドライオン)」も大ヒットしました。

アリストクラートの製品は、豪州の法律によってスロットマシンを「ポーカーマシン(豪州では「ポーキ―マシン」と呼ぶ)」と強弁する必要があり、そのためシンボルにはトランプを示唆する「A、K、Q、J、10」などのシンボルが小当たり用として採用されています。ワタシはまずそれに馴染めないところがありました。また、その頃のビデオスロット全般に言えることでしたが、ペイラインが多くどこのラインに何の当たりが発生したかがわかりにくいため、あまり手を出す気になれませんでした。

ワタシの意識が変わったのは、2008年に発売された「Buffalo(バッファロー)」からでした。「バッファロー」に採用された「Reel Power」システムは、従来のペイラインと言う概念では無く、リールのどこにでも現れてさえいれば良かったので、何がどこで当たったかで悩む必要がありませんでした。さらにボーナスゲームでは爆裂なアタリがしばしば出ることでも大人気となりました。更に続編が作られるたびにまた大ヒットすることを10年以上に渡って繰り返し、他社も真似をして似たような作風の機械を作りました。

アリストクラートの凄いところは、その快進撃がバッファローシリーズに留まらなかった点にあります。2016年に売り出した新ボーナスシステム「Lightning Link」がまたもや大ヒットし、その後のアリストクラートの製品の多くに採用され続けているだけでなく、これもまた他社が似たようなボーナスシステムを真似るようになったことで、アリストクラートはバッファローから数えて20年以上の長きに渡ってスロットマシン界のトレンドを作り上げたことになります。

そのアリストクラートが、既にBallyホッパーを搭載してスロットマシンに革命を起こした後(関連記事:米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2))の1966年にどんなスロットマシンを作っていたかと言うと、実はまだセガと同じく、従来の機構と大差のない、電気が無くても作動するメカニカルスロットを作っていたのでした。

アリストクラートが1966年の新製品として頒布したフライヤーの表紙側(上)と中側(下)。ハードカバーの本の表紙のように、左右両端が折り込まれて、全8ページのような構成になっている。

表紙側の左半分(上)と、表紙側の右半分(下)の拡大図。

中側の左半分(上)と、表紙側の右半分(下)の拡大図。

ただし、オペレーションがしやすいように筐体前面が開くようにしたり、筐体下部を手前に引き出すことでキャッシュボックスにアクセスできる
関連動画:one arm bandit Aristocrat Arcadian(Youtube))など、オペレーションのための工夫がされている点では、セガの「スターシリーズ」(関連記事:SEGA MAD MONEYがやって来た!(2):MAD MONEYの解剖その1)よりは洗練されていたとは言えそうです。

 

【お知らせ】10月8日より1週間、ラスベガスに行ってまいります(4年ぶり)ので、来週日曜日の更新はお休みさせていただきます。なにとぞご了承ください。


アイレム(IREM)のメダルゲーム

2023年07月23日 23時10分42秒 | スロットマシン/メダルゲーム

アイレム(IREM)は、元々は、後にカプコンの創業者となる辻本憲三氏が「アイピーエム」として立ち上げた会社が1979年に社名変更されたものですが、その社名の由来は、「International Rental Electronics Machine」の頭文字なのだそうで、これはちょっとなんだかセンスがナナメな感じ(悪い意味)がします。

アイレムは1980年にCRTモニターなど電子機器を製造していた「ナナオ(現EIZO)」に買収された後、「ムーンパトロール」(1982)、「ジッピーレース」(1983)、「10ヤードファイト」(1983)、「スパルタンX」(1984)、「R・TYPE」(1987)、「イメージファイト」(1988)など、人気タイトルをコンスタントに輩出するゲームメーカーとなりました。

このように、ビデオゲームメーカーの印象が強かったアイレムですが、1985年10月に行われた東京・平和島で開催されたJAMMAショウに、「NEVADA 21」と言うタイトルで5人用メダルゲーム機を参考出品され、後に「ブラックジャック (Blackjack)」の名で売り出されました。

「ブラックジャック(BLACKJACK)」のフライヤー。5席5人用で、サテライトそれぞれにモニターが付いており、更にディーラー席用として6個目のモニターが付いている。この頃のモニターは相対的に高価な部材で、贅沢な仕様と言えたと思う。

ブラックジャックをモチーフとしたメダルゲーム機はこれ以前にもありましたが、たいていは本来のルールになにがしかのアレンジが加えられており、正しくブラックジャックと言えるものではありませんでした。しかしアイレムの製品は実際のゲームを忠実に再現しています。試作段階のタイトルである「NEVADA 21」も、本物のブラックジャックであることを意識していることを伺わせます。

アイレムの「ブラックジャック」は、個人経営に近いような小規模なロケ(1985年ころはまだそういうロケがたくさんあった)にも普及し、結構なヒット作となりました。これに気を良くしたのか、アイレムは1991年2月に開催されたAOUショウに、「クラップス」を再現した6人用メダルゲーム機「セブンアウト (Seven Out)」を出展しました。

「セブンアウト」のフライヤー。

クラップスは、プレイヤー自身が振った2個のダイスの出目で勝敗が決まる、特に北米で大変な人気があるゲームです。ダイスを振るプレイヤーは「シューター」と呼ばれ、良い結果を出し続けるシューターは他のプレイヤーからも称賛されて、大いに盛り上がります。「セブンアウト」では、各サテライトにトラックボールが付いており、シューターとなるプレイヤーはこのトラックボールを転がすと2つのCRTモニターで構成されるプレイフィールド上をダイスのグラフィックが転がりました。ただ、そのダイスの転がり方が、実際の操作の強さに比例している動きには感じられない点はストレスでした。

クラップスには、配当が整数倍でない賭け方(例えば6単位の賭けに対して7単位を支払う(1.16倍)6または8へのプレイスベット)もありますが、「セブンアウト」はこれも忠実に再現しました。このように小数点以下の倍率を付けた賭け目を採用したメダルゲームはこれが初めてで、sigmaやセガでもこの頃はまだやっていませんでした。また、ペイアウト率が100%となる「オッズベット」も、「シングルオッズ(当初の賭け金と同額までの意味。実際のカジノでは当初の賭け金の2倍以上に設定されているケースが多い)」ではあるものの再現しており、ベストプレイを行えばペイアウト率は99%を超えますが、これをメダルゲームとして稼働する上でどのように折り合いを付けていたのか不思議になります。

セブンアウトの遊び方の説明書。二つ折り4ページ。

遊び方説明書の、ゲームの説明部分の拡大図。実際のルールから若干の省略はあるが、大筋においては本来のルールが採用されている。

ことほど左様に本来のカジノゲームに近づけた「ブラックジャック」と「セブンアウト」を、ワタシは1996年か1997年ラスベガスのストラトスフィアカジノで見ています。ただし、メーカー名は「IREM」ではなく、聞いたことがない、海外の社名になっていました。おそらくはカジノ仕様に改造されているはずですが、IREMがどこまでこのカジノ版に関与していたのかはわかりません。

その後のアイレムは、90年以降は4号営業方面の開発にも参入し、「大工の源さん」や「海物語」など、永くその名を使い続けられるタイトルを作っており、元々ギャンブル志向を持ち続けていたメーカーだったのかもしれません。90年代半ばには「回転ハード」を使用した本格的ルーレットをナムコから発表するということもしていたようにも思うのですが、アレは結局発売されたのでしょうか。


「ファロ(FARO)」シリーズの記録(3) NEW FARO後のFAROその2

2023年06月11日 16時23分35秒 | スロットマシン/メダルゲーム

前回のあらすじ:セガは、「ファロ」、「ファロ II」、「ニューファロ」に続き、1983年に「ファロ III」を、1985年に「ファロキング」を発売した。しかし「ファロキング」は、「ファロ III」と同年に発売された「ルーレットキング」の筐体に「ファロ III」を入れただけのもので、筐体の目新しさ以外に新しいものは何もなかった。

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「ファロ」のように円盤を回して何かを決める抽選方法は、紀元前からすでに存在したとの言説があります。生まれては消えていったゲームがいくらもある中でその手堅さは歴史によって証明されているわけですから、セガが「ファロ」を何度もリニューアルしながら続けるのも理解できます。1988年にはファロシリーズ6作目となる6人用の「ファロジャック (FARO JACK)」を発売しました。

「ファロジャック」のフライヤーの表と裏。

「前作が『キング』なのに新作が『ジャック』では格下げではないか」という議論があったかどうかはともかくとして、「ファロジャック」の抽選装置は電光式ではなく「ニューファロ」以来となる機械式で、さらに大小二つの円盤がそれぞれ独立して回転しました。小さい方の円盤には6色に色分けされた「JOKER」の目が1個ずつ配されています。

二つの抽選結果を組み合わせる手法は「ファロ III」(と、「ファロキング」)」でも採られていましたが、「ファロジャック」は大小の円盤のセグメントを64個とするほか、大円盤に配される8種類の当たり目にはそれぞれ1個ずつ緑色の特別な目を持たせたり、サテライトも6色に色分けして小円盤の「JOKER」の色に対応させたりするなどして、ゲーム結果の組み合わ数をけた違いに大きくしています。こうして当選時の配当が5倍、あるいは10倍となるフィーチャーやプログレッシブ・ジャックポットまで提供できる余地を作り出しました。

従来のシリーズにはない高配当の魅力ばかりでなく、カラフルでイルミネーション効果の高い筐体でありながら低価格がセールスポイントの「ファロジャック」でしたが、しかしヒットはしませんでした。その原因として、円盤の停止位置がずれてゲーム結果の表示が曖昧になる問題もあったと思いますが、それ以上にゲームバランスが良くなかったと思います。

「ファロ」というゲームの妙味の一つは、「本命で手堅く行くか、少し欲を出して対抗で行くか、それとも夢を見てを狙うか」と葛藤するところにあると思います。過去の「ファロ」シリーズの賭け目の構成はそのような感情を引き出すに、まあ妥当と言えるものでした。

「ファロジャック」の賭け目の構成は「2、3、4、5、7、10、14、20」の8種類です。これを見ると、「本命」の「2」に対して、一桁配当の「対抗」が「3、4、5、7」と4種類もあります。「対抗」に複数の選択肢があれば、「本命寄りで堅さを優先するか、穴寄りで欲を優先するか」の葛藤を生みますが、「ファロジャック」は「本命寄り/穴寄り」の段階が小刻みにたくさんあって、落としどころを決めにくいのです。

比較対象として、カジノで馴染み深い「ビッグシックス」の、ラスベガスでの典型的な例を見てみると、賭け目は「2、3、6、11、21、41、41(41は異なる2種類がある)」の7種類です。「対抗」は「3」と「6」の2種類のみで、こちらは葛藤の落としどころが明快です。

なぜ「ファロジャック」は優柔不断を誘うような賭け目構成にしたのか。ほかにやりようはなかったのか。ゲームのマス(数学)を調べればこの謎に迫れるかもしれないと思い、ペイアウト率を計算してみました。

ファロジャックの各賭け目のペイアウト率計算結果。すべての目の出現率が見た目通りの1/64であることが前提。各目のペイアウト率の平均は62.1%と低いが、これは倍率が5倍、10倍となるフィーチャーによる払い出し分が考慮されていないため。

この結果を見て、ワタシは「ファロジャック」が一桁配当の目の種類を増やさざるを得なかった事情を察しました。開発者の意図としては、ベースでの払い出しを60%強程度に抑え、フィーチャーによって20%程度を払い出し、トータルで80%半ばくらいのペイアウト率となるようにしたかったようです。しかし、円盤の64個のセグメントに払い出しを60%強とする設定で賭け目を配分しようとすると、一桁配当の目の種類を増やさないとセグメントが埋まりきらなくなってしまうのです。

この説明ではわかりにくいと思うので、カジノのルーレットを例に少し具体的に説明します。ルーレットには、38個のセグメントの中に、2倍配当である赤と黒の目がそれぞれ18個ずつと、ハズレの目2個があります。この状態での赤または黒のペイアウト率は(18個×2倍÷38=94.7%)です。これを、オッズはそのままでペイアウト率を60%強に下げるなら、個数を18個から12個に減らす必要があります(12個×2倍÷38=63.2%)。しかしそうすると、削減された元赤と元黒だった12個の目が空白になってしまうので、これを埋める第三の賭け目を設定する必要が出てきます。その場合、新たな賭け目は低配当でないと、空白を埋め切るほどの個数が出せません。「ファロジャック」の一桁配当の目はこのような理屈で増えていったのでしょう。空白となる目をそのまま「ハズレ」とする手も考えられますが、そうするとハズレの出現頻度が非常に高いゲームとなり、別の意味でバランスが悪くなりそうです。

「ファロジャック」は、高配当を提供するという目的に囚われ、ゲームの妙味には意識が及んでいなかったのではないかと推理します。今であれば、当時は普及していなかった、もしくは考案されていなかった新たな方法で高配当フィーチャーも考えられるかもしれませんが、後の祭りです。

セガは「ファロジャック」の在庫部材を処理するため、1990年に同じ筐体を流用した「ベガス・ストリート(Vegas Street)」を売り出しました。ワタシはロケでこの機械をほとんど見ておらず、「ファロ」の後継機とは呼び難いゲームであったことくらいしか覚えていません。何か情報はないかと当時のゲームマシン紙を見ても、90年のAOUショウの特集記事に一度名前が記載されているのを発見しただけで、「話題のマシン」ページにも採り上げられず、セガも広告を打つわけでもなく、極めて不遇な扱いを受けていました。

不遇なベガス・ストリート。1990年に頒布されたセガのメダルゲーム総合カタログより。単独のフライヤーが作成されたかどうかは不明。

以降現在まで、セガはファロの後継機を作っていません。大量のベットが要求される現在のメダルゲームビジネスの潮流が変わらない限り、今後も復活することはないでしょう。ファロシリーズは事実上絶滅したと言えそうです。

歴代ファロシリーズのまとめ:
1974 FARO 5人用
1977 FARO II 6人用/3人用
1980 NEW FARO 3人用
1983 FARO III 5人用
1985 FARO KING 4人用 (ゲーム自体はFARO IIIと同じ)
1988 FARO JACK 6人用
1990 Vegas Street 6人用 (ファロシリーズと言えるのか?)

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最後にかなりどうでもいい、トリビアとも言えないマメ。
「ファロジャック」には、そんなもの無くても全然困らない、謎のCRTモニターが取り付けられています。

「ファロジャック」に設置されているCRTモニター。

これは、「ファロジャック」をビデオゲームと言い張るために設置されたものです。そうすることで何がどうなるのか、以前業界の方から聞いたことがあり、たしか減価償却とか耐用年数とかに関係していたような話だった気もするのですが、詳細を忘れてしまいました。どなたかビデオゲームであることのメリットをご存じの方はいらっしゃいませんか? 2023年6月14日追記:HKさんよりコメント欄にて「CRTモニタは電安法適用外とするために取り付けたのだと思われる」とのご指摘をいただきました。HKさん、どうもありがとうございました。

(このシリーズ・おわり)


「ファロ(FARO)」シリーズの記録(2) NEW FARO後のFAROその1

2023年06月04日 11時24分25秒 | スロットマシン/メダルゲーム

はじめにお詫び。前回の記事で「今回と次回の2回に分けて」と申し上げましたが、思いのほか長くなってしまい2回では収まらなくなってしまいました。見通しが甘くて申し訳ありません。

前回のあらすじ:ある方より「NEW FARO」の部品の写真をいただいたが、見たことも聞いたこともなかったので調べたところ、「NEW FARO」は、「FARO (1974)」、「FARO II (1977)」に次ぐファロシリーズ第三弾で、1980年に発売されたものであることが判明した。そのころは折からのビデオゲームブームに押され、ゲーセンではメダルゲームの営業面積が著しく縮小した時期であり、「NEW FARO」はほとんど普及せずに消えていったものと思われる。

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「ニューファロ」が発売されてから3年後となる1983年、セガは「ファロ III」を発売しました。

「ファロ III」のフライヤー。片面印刷で裏面はない。

「ファロ III」の盤面は初代と同じ36分割の電光ルーレットに戻っています。並び順は異なるものの、目の構成も初代と同じです。ただし、盤面の内周に新設した小ホイールによる「カラーマッチ」フィーチャーが加わっています。

「カラーマッチ」とは、赤、青、緑のいずれかに塗り分けられている外周の目の当たりとなった色と、小ホイールで停止した色が一致すると配当が2倍になるフィーチャーです。小ホイールは12分割されており、赤、青、緑が1カ所ずつ配されているので、カラーマッチは12ゲームに1回の割合で成立する理屈です(外見上では)。

「ファロ III」の盤面の拡大図。外周の目(数字)は赤、青、緑に塗り分けられており、盤面の内周には12分割された小ホイールがある。

「ファロ III」の目の構成は初代と同じなので、出目の決定に作為がなければペイアウト率は初代よりも約2.3%高い87.5% 92.3%となります(ペイアウト率の誤りを修正・2023/06/10)。この数字は、この時代のメダルゲームとしてはかなり高い方です。そんな「優良機」ですが、ワタシは「ファロ III」をロケで見た記憶が僅かしかなく、それほど多くは普及していなかったように思います。

ところで、「ファロ III」の前には「ファロ」、「ファロ II」、「ニューファロ」の3機種があるのに、その後に発売されたこの機種がなぜ「III」と命名されたのでしょうか。フライヤーでも「”ファロ”シリーズ第3弾堂々登場!!」と謳っており、「ニューファロ」の存在は完全に無視されています。当時のセガに何があったのかはわかりませんが、「ニューファロ」がつくづく不遇な機械であることに同情の念すら湧いてきます。

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ファロシリーズは、初代こそ殆どすべてのメダルゲーム場に設置されたかと思われるくらい大ヒットしましたが、後継機でそこまで普及したものはなかったように思います。それでもセガはしつこくも、1985年にシリーズ5作目となる「ファロキング (FARO KING)」を発売しました。

ファロキングのフライヤーの表と裏。

「ファロキング」は、これまでずっと垂直に立てていた盤面を初めて水平にしたところが斬新とは言えましょう。しかし、非常にがっかりさせられる機械でした。

「ファロキング」では、ボールを表すランプにLEDが使われていましたが、1985年当時のLEDはまだ発達途上の技術でした。現在でこそ車のヘッドライトに使用されるほど強い光を発するLEDも、この当時のLEDは照度も輝度も低く、「ファロキング」の一つの円の中に仕込まれている5個のLEDは、点灯すればその光点は見えるものの、円全体を明瞭に発光させるほど明るいものではありませんでした。

しかしがっかりするポイントはLEDではなく、「ファロキング」の目の構成と並び方、そしてゲーム内容が「ファロ III」と全く同じものだった点です。「ファロキング」は、「ファロ III」を従来の例を破った新筐体に入れただけのものでした。しかもその筐体は、「ファロ III」が発売された同じ年に発売された「ルーレットキング」というメカ式のルーレットゲーム機の使い回しでした。

「ファロキング」の筐体のオリジナルである「ルーレットキング(1983)」のフライヤーの表と裏。裏面に記載されている筐体のサイズは、「ファロキング」と全く同じ。

「ルーレットキング」は、高温多湿の日本の気候では木製のホイールが反ってしまう障害が相次いだそうです。ついでに余談を付け加えれば、「ビンゴサーカス」(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(3) ビンゴサーカス(Bingo Circus, 1989)とその後継機種)の回転盤が木製ではなく金属(アルミ)製だったのは、「ルーレットキング」での教訓があったからと聞いています。

「ルーレットキング」については別の機会に改めて言及することとして、「ファロキング」とは、邪推するなら「ルーレットキング」が思いがけぬ障害のために在庫が残り余った部材をなんとかするために既存の「ファロ III」を載せて売り出した「敗戦処理投手」だったのではないかと思えます。その勘繰りが正しいかどうかはもちろんわかりませんが、「ファロキング」も他の後継機と同じくあまり普及していた印象がありません。

(つづく)