オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

第九回アミューズメントマシンショウ(2)出展機種画像1

2022年06月26日 19時51分33秒 | 歴史

前回は、第9回アミューズメントショウ(1970年10月)に出展されていたゲーム機のリストをテキストで掲載しました。今回からは何回かに分けて、発見できたゲーム機の画像を掲載してまいります。

・五十音順出展社別で掲載しています。

・掲載画像の出典
 無印=ワタシの手持ち資料。
 ★印=拙ブログをご高覧いただいているさる凄い方から過去にいただいていた物。
 ▲印=全日本遊園70年11月号または71年1月号に掲載されていた記事・広告
 ■印=遊戯機械名鑑'74/'75

ショウ出展時と販売時期は必ずしも一致するとは限りませんが、これにより少なくともその機種が70年10月時点には存在していたことの証明にはなります。

*****************
オリエンタル興業

 

★「モンテカルロ」、「ワイルドサイクル」、「インベーション」、「スーパーマッチ」。上は4機種が一枚に載るフライヤー。下は機械部分のみを抜きだした拡大図。「スーパーマッチ」はおそらくドイツからの輸入品かそのコピー機種で、同型もしくは類似機種をシングルロケでよく見かけた。

関西精機

▲「エアーファイター」。戦闘機の空中戦のゲームを遊んだ記憶はあるが、それがエアファイターだったかどうかは記憶がなく、定かでない。


■「インディ500W」、「インディ500M」。「W」は、「アミューズメントジャーナル」2018年8月号によれば、キャビネットを木製にしてコストを落としたものとのこと。

■「コンバットガン」。昭和40年代初期(1965~1969)のものとのことで、ショウ時点で新規披露したと言うわけではなさそう。

コパルマシン

★「C.P.M.」。上は総合カタログの中のC.P.M(青枠内)。下はC.P.M部分の拡大図。どんなものかはよくわからないが、「ムードビジョン」の命名から、アダルト映像を見せる機械のように思われる。

サニックコーポレーション


★「コンピューター」。上は「電子結婚相談コンピューター」を謳う「マリーコンピューター」のフライヤーの表裏、下は、「電子職業安定所」を謳う「ビジネス・コンピューター」のフライヤーの表裏。リストには単に「コンピューター」としか書かれておらず、このどちらを指しているかは不明。ひょっとすると両方か、もしくは別に「コンピューター」と言う機種があるのかもしれない。この当時、「コンピューター」は未来を連想させるマジックワードだった(関連記事:TRON(Bally/MIDWAY, 1982))が、これらの機械に本当にコンピューターが使われていたわけではない。


三共遊園設備

★「ねずみ退治」(上)と「ミニボクシング」(下)。当時の百貨店の屋上や遊園地のゲームコーナーでどこでも見かけた。ミニボクシングのボクサー像は、同社製パンチングバッグマシン「ボクシング」でも使用されていた。


▲「アストロファイター」。関西精機の「エアファイター」と同じく、ドッグファイトのゲームを遊んだ記憶はあるが、これだったのかどうかは不明。

▲「キックボクシング」。全く記憶になし。いわゆる「前蹴り」をさせるつもりなのだろうか。

三精輸送機

▲「月世界旅行」と「ジャンケンストリップゲーム」。上は全日本遊園70年11月号の第9回AMショウでの三精輸送機のブースを報じる写真で、「月世界旅行」と「ジャンケンストリップ」の筐体が見える。下は全日本遊園71年1月号の三精輸送機の広告より、「ジャンケンストリップ」部分の拡大図。どちらも実機を見た記憶はない。


児童遊園設備:

★:「タイガークレーン」。駄菓子屋の店頭やスーパーの屋上などで見かけていたかもしれないという程度の記憶しかない。


(次回に続く)


1970年の第九回アミューズメントマシンショウ(1)

2022年06月19日 20時51分28秒 | 歴史

現在も刊行が続く業界誌「アミューズメント産業」が創刊されたのは1972年ですが、アミューズメント産業以前にも機関誌紙を発行する業界団体は存在しました。しかしそれらは現在殆ど残っておらず、従って71年以前の業界事情を知ることができる資料は極めて少ないです。

そんな中、オールドゲーム繋がりの友人で拙ブログにもしばしばコメントをくださるCaitlynがシェアしてくれた業界誌「全日本遊園」は極めて貴重です(関連記事:AM産業と業界誌の謎(1)(2)(3))。

今回は、この全日本遊園70年11月号の記事から、同年秋に東京晴海で開かれた「第九回アミューズメントマシンショウ」の記事を取り上げておこうと思います。

********************

全日本遊園は、「第九回アミューズメントマシンショウ」を、「一昨年あたりから、技術的なレベルアップが進み外国製品に肉薄する機種も珍しくなくなってきた」、「自信を持って外国へ輸出できるだけの製品も生まれ」と評しています。これはおそらく関西精機の映像投影式ドライブゲーム機「インディ500」を念頭に置いてのことと思われます。

関西精機が「全日本遊園」70年4月号に掲載した「インディ500」の広告。「今では世界の製品になりました」と誇らしげに大書し、「アメリカ向輸出コンテナ積込み」の様子さえ紹介している。

このショウには38社が出展したとのことです。ただし、その中にはバッテリーカーや大型遊園施設メーカー、更にはディストリビューターなど、ゲーム機メーカーではない企業も含まれていますが、ここではゲーム機のみをご紹介して、それ以外は割愛させていただきます。なお、ほとんどのゲーム機については画像がなく、どんなゲームであったかは不明です。もし、ご紹介する機種について資料や記憶などがございましたら、お知らせいただけると大変ありがたく存じます。

第9回アミューズメントマシンショウ:出展社と出展機種(ゲーム機のみ)
(赤文字の機種は次回以降で画像を掲載する予定。機種名は全日本遊園70年11月号に記載されている通り)

オリエンタル興業:「モンテカルロラーリー」、「ワイルドサイクル」、「インベーション」、「スーパーマッチ」

関西精機製作所:「エアーファイター」、「インデー500F」、「インデー500W」、「コンバットガン」、「ビックハンディング」

コパルマシン:「CPM」

さとみ:「クレーン」、「ザブロック」、「大障害」、「チンジャラボール」

サニックコーポレーション:「コンピューター」、「ラビットテスト」その他

三共遊園設備:「アストロファイター」、「キックボクシング」、「ねずみ退治」、「ミニボクシング」

三精輸送機:「ジャンケンストリップゲーム」、「月世界旅行」

児童遊園設備:「タイガークレーン」他

昭和遊園機械:「ゲーム機」

セガ・エンタープライゼス:「ジェット・ロケット」、「グランプリ」、「ダービーデー」他。

太東貿易:「スペースドッキング」、「アポロ・ボール」、「ファンタジー」他。

ダイナミック開発:「ダイナミックシュート」、「デットヒート」

大日本コインマテック:「ゲーム機」

タガワ機械:「ビリーボール」

東光遊園設備:「パチンボール

東都:「トーブル」

中村製作所:「レーサー」、「ミニコンピューター」、「サーテイテスト」、「ベースボール」、「浪人」、「プレイランド」、「スカイダイビング」

日本自動販売機:「コンピューター」、「クレイガン」、「ホークナイン

日本展望娯楽:「ジャンボキック

東日本遊園:「コスモク」、「バッティン」、「キャノン105」

藤商事:「ゲーム機」

ホープ自動車:「ベビーギャング」、「レッツゴーバズーカ」、「魚雷シャーク

太東貿易の「アポロボール」とは、ひょっとして6カードビンゴの風俗営業機のアレ(関連記事:IPDBと「アポロボール(TAITO, 1971?)」)ことでしょうか。そうであれば、発売年がずっと不明だったこの機械のお披露目は少なくとも1970年には行われていたということまではわかりました。この発見は一歩前進と言えるかもしれません。

(次回、一部機種の画像につづく)


1981年の新日本企画

2022年06月12日 16時16分01秒 | ビデオゲーム

資料をひっくり返していたら、初期の新日本企画(後のSNK)のフライヤーが出てきました。頒布時期は明確ではないのですが、記載されている機種から1981年と推察されます。

フライヤーは4ページ構成で、当時新日本企画が売り出していたビデオゲームが6機種と、ミニアップライト筐体が紹介されています。

新日本企画が1981年に頒布したものと思しきフライヤーの表紙。「ORIGINAL GAMES」と称して、「VANGUARD」のアップライト筐体がフィーチャーされている。

1ページ目は、当時の最新機種と思われる、「ヴァンガード(VANGUARD)」(1981)と「サタンオブサターン(SATAN OF SATURN)」(1981)が紹介されています。

1ページ目では「ヴァンガード(VANGUARD)」と「サタンオブサターン(SATAN OF SATURN)」のビデオゲーム2機種が紹介されている。

ヴァンガードは、ステージ(フライヤーでは「パターン」と呼んでいる)によって縦、横、斜めにスクロールするのも斬新でしたが、4つのショットボタンでレーザー弾を上下左右に撃ち分ける操作系は前例がなく、そしてフォロワーも現れませんでした。
SNKは後の1984年に「ヴァンガードII(VANGUARD II)」を発売しましたが、ナムコの全方向スクロールシューティング「ボスコニアン」と、同じくナムコの飛行物と地上物を撃ち分けるシューティング「ゼビウス」を併せたような内容で、名前だけ借りた別のゲームになっていました。

もう一つの「サタンオブサターン」は、当時はスポーツ新聞の広告でその名前をよく見かけてはいましたが、ワタシはロケで実機を見たことがありません。今調べてみると、ギャラクシアンの流れをくむゲームのようですが、グラフィックもゲーム性も、先行機種を凌駕する要素が見当たりません。それでもこの頃は、とりあえず出せば売れた時代だったと思います。

2ページ目には、「サスケVSコマンダー」(1980)、「サファリラリー」(1979)、「与作」(1979)の3機種が紹介されています。

2ページ目。「サスケVS.コマンダ―」、「サファリラリー」、「与作」の3タイトル。

「サスケVSコマンダー」は多少遊んでいるので今見れば懐かしさを感じます。
「サファリラリー」は、ゲーム中にライオンが出てきて轢き殺すとボーナス得点が得られたり、ステージをクリアすると女性の顔が出てきて「GOOD」のメッセージを表示する工夫が加えられていました。ステージクリア時このような演出を挟むAMビデオゲームは、ワタシはこれ以前のタイトルでは覚えがないのですが、何かありましたでしょうか。

「与作」は、過去記事「史上最も期待された「クソゲー」:「与作」の記憶」で述べている通り、複数のメーカーが群がって同名(もしくは類似名)のゲームを出していましたが、どれ一つとしてヒットしたものはなく、この新日本企画の「与作」もほとんど見た記憶がありません。

3ページ目には「オズマウォーズ」とミニアップライト筐体が紹介されています。

3ページ目。オズマウォーズの「オズマ」とは、敵キャラの総称であったことは知らなかった。

オズマウォーズは、ワタシが初めてエンドレスで遊べるようになったゲームです。当時のワタシは若年性椎間板ヘルニアが日常生活に支障をきたすほど悪化していたのですが、テーブル筐体のオズマウォーズを2時間半ほど遊んだところ、ゲームを終えて立ち上がった時には、椎間板ヘルニアの痛みが全くない、健康だった時の感覚そのものに戻っていました。上体を前屈することで脊椎の間隔を広げた状態が長時間維持されていたのが良かったようです。

なお、3ページには「スーパータンク」(1981)の名前だけがリストアップされていますが、ワタシはこのゲームをロケで見た覚えがありません。別ルートから入手したフライヤーを見ると、どうもドイツ製だったようです。そのゲーム画面は、sigmaが1980年に発売した「RED TANK」と似た印象を得ますが、関連性の有無はわかりません。

「スーパータンク」のフライヤー。ドイツ製らしいが、そう聞けば納得もできるデザイン。

【オマケ】

sigmaが1980年に発売した「レッドタンク」のフライヤーの表裏。これも、100円で1時間遊べるゲームだった。


1976年のバーリーの新製品騒動の話

2022年06月05日 22時37分34秒 | メーカー・関連企業

頂き物の、デジタルデータ化された古い業界誌を眺めていたら、「コインジャーナル」の1976年6月号23ページに、奇妙な記事を見つけました。その冒頭では、米国バーリー社の子会社だった「バリージャパン」の社長が、「バーリーサービス」、「エスコ貿易」、「マックスブロス」などバーリー社製品の大手ディストリビューターと、バーリー社の新製品について会談を行った、とあります。

さらに記事を読み進むと、バリージャパンが「ブル・マーケット」という6カードビンゴ機の定価を公表し直販に乗り出すかと見られる動きに出たため、ディストリビューターたちが「輸入の総元締めが定価を公表するのは業界事情を無視している」と反発し、バリージャパンの真意を問い正すという内容でした。

この記事を見て、業界紙「ゲームマシン」が、1976年7月1日号(第51号)のフロントページに掲載されたバリージャパンに対する謝罪広告をハタと思い出しました。そこでは、ゲームマシン紙が6月1日号(第49号)に掲載した広告においてバリージャパン社のレターヘッドを無断で使用し、またその内容が、2号前(第47号)に掲載されたバリージャパン社の広告を無断で訂正したことに対して、ゲームマシンの出版元であるアミューズメント通信社の名で謝罪が表明されています。

ゲームマシン第51号に掲載された謝罪広告。

そこで、第47号を見てみると、そこにはバリージャパンの名で、6カードビンゴ機の新製品「BULL MARKET」の全面広告が掲載されていました。

ゲームマシン紙5月1日号(第47号)に掲載されたバリージャパンの広告。

一方、謝罪の素となった第49号には、第47号の広告と体裁が非常によく似た別の広告が掲載されています。

謝罪の原因となった第49号の広告。「バーリーサービス」が広告主と思われる広告が、第47号とよく似た体裁で掲載されている。

改めてこの両者を見比べると、まず、問題となった第49号の方は、第47号とほぼ同じデザインを採りながら、広告主が「バーリーサービス」であるかのようになっています

更に、第47号では「定価¥775,000.-」と記載されているところが、第49号では「定価¥775,000.- (標準小売価格¥1,295,000)」と改変されており、広告の最下段では「本紙47号で価格面で誤解される広告をしました。訂正してお詫びします。」と追記されています。

ワタシがこの紛糾を知ったのは、2019年のことでしたが、何が何だかわからず放置したまま現在に至っていました。しかし今回、コインジャーナル紙の記事を知って改めて調べ直してみて、その騒ぎの本質がなんとなく想像が付いてきたので、「たぶんこうだったんじゃないか劇場」風に述べてみようと思います。

バリージャパン:ワタシたちのペアレントカンパニーが作った「ブルマーケット」というニュープロダクツの広告を載せてクダサーイ。値段は77万5千円デース。これが原稿デース。(第47号の広告)

ディストリビューター一同:ちょ、あんさん、待っとくんなはれや。なんやねんこの77万5千円ちゅうんは。あんさん、わいらディストリビューター通さずチョクで販売始めるつもりでっか。

バーリーサービス:これじゃオペレーターがこの値段で買えるもんと思ってまうがな。それじゃワシらディストリビューターは商売にならんがな。よしゃ、ワシが訂正の広告出したれ。えーと、77万5千円は51台以上の東京渡しの値段でっせ、普通に買おう思たら129万5千円でっせ、と。これだけじゃ不安やさかい、最後にもういっちょ付け足したろか。「本紙47号で価格面で誤解される広告をしました。訂正してお詫びします。」っと。これでよっしゃ。

アミューズメント通信社:訂正広告でっか。なら、前回と同じ体裁にした方が訂正とわかり易いんやないやろか。
バーリーサービス:せやな。ほな、47号の広告の体裁にこれ載せといてんか(第49号の広告ができる)。 これで51号まで3回連続掲載で頼むで。

バリージャパン:オーノー! あなた、なんでワタシたちのレターヘッドのデザイン勝手に使いますか。しかもワタシたち訂正する気なんてナッシングね! Don't licking us! ワタシたち舐めないでクダサーイ!
アミューズメント通信社:こりゃえろうすんまへん。謝罪広告載せよりまっさかい、どうか穏便に頼んます。

アミューズメント通信社:バーリーサービスはん、うちらえろう怒られてもうたがな。
バーリーサービス:そやけど、前の体裁に合わせた方がいい言うたんはあんたはんやないか。でもまあ仕方ないさかい、デザインは変えまひょ。(第50号、51号の広告ができる。)

第50号、51号の広告。問題とされたレターヘッドが消され、値段とお詫びの文章も削除されている。

ワタシの想像がどこまで事実と符合するかはわかりません。しかし、なにかしらのてんやわんやがあって、バリージャパンとディストリビューターの間で話し合いがもたれたという事のようです。

コインジャーナル1976年6月号に掲載された、バリージャパンとディストリビューターの間で会合が持たれたという記事。

バリーサービスが提示した値段が、誰を対象とした値段なのかはわかりませんが、77万5千円で売れればそれで良いというわけではありましょう。一方で、ディストリビューターを介すると129万5千円にもなるときくと、ずいぶん乗せているんだなあという感想は抱かずにいはいられません。