オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

さよならミラージ/ミラージの想い出

2024年07月28日 18時04分22秒 | 海外カジノ

ラスベガスの大型カジノホテル「ミラージ(Mirage)」がオープンしたのは1989年11月のことでした。まだラスベガスがマフィアに支配されていた時代からほとんど変わらない風景の中で、ストリップに面して造成された人口火山による噴火ショウをシンボルに「南の島の蜃気楼」をテーマとした高級メガリゾートは新時代の到来を予感させるものであり、そして実際、これを境にラスベガスは変わっていきました。

しかし、その変化に乗って続々と建設される他のメガリゾートホテルの台頭によりミラージの地位は相対的に地盤沈下して、2010年前後くらいからの宿泊料は中級ホテル並みに下落していました。そして老朽化もあって再開発計画が持ち上がり、長い間ラスベガスのアイコンだった高級ホテルは、ついに2024年7月17日、その35年の歴史に幕を降ろしました。

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ワタシは、ミラージには1998年4月に一度だけ宿泊しています。

ミラージのスタンダードルーム。30万画素時代のデジカメなので画質は悪い。

ラスベガス随一との評判の割には、部屋の様子は他の大型ホテルとさほど差を感じるものではありませんでした(もちろんスタンダードルームだからとは思いますが)。ただ、バスルームにはシンクが二つあり、更にバスタブがジャクージ仕様であるところはさすが高級と謳われるだけのことはあると思いました。また、洗面台の小さな鏡は拡大鏡になっており、お肌が気になる人には嬉しかろうと思いました。

バスルームの洗面台。一般的なホテルではシンクは1つのところ、ミラージは2つある。また、右手の丸い小さい鏡は拡大鏡になっている。

ミラージのバスタブ。ジャクージ(いわゆるジェットバス)になっている。

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ところでこの頃、ラスベガスでは新興の「カジノ・ウォー (Casino War)」と言うカードゲームが流行りつつありました。これは、プレイヤーとディーラーにカードを1枚ずつ表向きに配り、ランクの高い方が勝ちとなるゲームです。

この、スキルも選択もないあまりにも単純極まりないゲームが本当に面白いのかとワタシは疑問に思っていたのですが、ミラージのカジノで発見したので、一度くらいはやってみるかと気まぐれを起こしました。既に2人の先客がいるテーブルに着席し、持っていた$5チップを賭けようとしたのですが、迂闊にもそこはミニマムが$25のテーブルでした。エンドラ(「奥様は魔女」のサマンサのママ。わからない方はこちら)のような風貌の女性ディーラーが「今回だけはいいわ」と言ってくれましたが、そういう事ならちゃんとやりますと言って$100札を出して4枚の$25チップにしてゲームを始めたところが。

エンドラは負け続け、ワタシと他の客のチップは増え続けました。エンドラはたびたび「さあ、どんどんチップを持って行ってちょうだいね」と言うようなしぐさをして、我々プレイヤーをいい気分にしてくれます。周りで様子をうかがっていた他の客も入ってきて満席となってもこのストリークは続き、ついにピットの親分が出てきて、「このテーブルはクローズします。別のゲームで遊んでください」と言い、ゲームは終了させられました。

$100で始めた「カジノウォー」での最終結果。ここに見える以外に、ディーラーへのチップとして$80くらいを支払っている。

これだけ勝てれば「カジノ・ウォー」も面白いと思えますが、こんな幸運はめったにあることではないことは承知しているので、ワタシはその後「カジノ・ウォー」を遊んでいません。

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ミラージのカジノでは、スロットマシンで初めて税金を支払う大当たりを出した幸運も忘れられません。

ミラージでのジャックポット。機種は「TRIPLE CASH」。まだビデオスロットが席巻する前のリールマシン。

白の7は3つ揃いで300コインの当たりですが、これに賞金が3倍になるワイルドシンボルが2つ入ってその9倍、2700コインのジャックポットとなりました。しかし、マシンゲームでは$1200以上の当たりには30%の税金が課せられるので、手取りは$1890でした。

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ワタシがラスベガスに毎年行くようになるごく初期のうちにこのような経験をしたミラージが無くなってしまうことには、いかに天邪鬼気質の傾向があるワタシであっても寂しさを感じずにはいられません。なお、跡地には宿泊棟がギターの形をした「ハードロック」が建つと言われています。これはラスベガスらしいというよりもむしろマカオっぽい感じで、個人的にはあまり歓迎できない変化です。


不遇なメダルゲーム機「Roulette」(セガ、1981)

2024年07月21日 20時12分34秒 | スロットマシン/メダルゲーム

世の中には、作ったはいいが殆ど顧みられることなく忘れ去られていくゲーム機も数多あります。拙ブログはこれまでにも機会があるたびにそのような不遇なゲーム機に言及してまいりました(関連記事:メダルゲーム機「THE DIE IS CAST」(TAITO、1987?)の記憶など)。

今回はそんな不遇なゲームの一つである、セガ1981年にリリースした「Roulette」について記録を残しておこうと思います。

ワタシが学生だった80年代初頭、アルバイト先の関係で銀座・日比谷界隈をうろつくことが多くあり、その頃、日比谷映画街で、地下にあるゲーセンを発見しました。この界隈はその後再開発が進んで今は当時の面影が殆どなくなってしまいましたが、今調べると、セガが運営していた「ゲームスポット・ヒビヤ」であったようです。

「アミューズメント産業」1976年4月号より、「ゲームスポット・ヒビヤ」を紹介する記事。

この時期はビデオゲームブームの真っ最中でメダルゲームは退潮傾向にあったのですが、ここにはメダルゲーム機が比較的多く設置されていたので大いに好感を持って店内をうろついていると、1975年にリリースされた電光ルーレット機「プント・バンコ」を発見しました(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(10) プント・バンコ(SEGA, 1975))。

「プント・バンコなんてよく残っていたな」と思いながら近寄ると、しかしそれは実は「プント・バンコ」ではなく、その筐体を流用した「Roulette」でした。広告には「6人用」とあるところから、12人用だった「プント・バンコ」とは遊び方が少し変わっていたように記憶しているのですが、詳しいことはほとんど覚えていません。ただ、電光の移動の軌跡が「プント・バンコ」とは異なっていたことと、賭けた目を外す「蹴飛ばし」制御がきついとの印象が残っています。

この機械はフライヤーも発見されていません。セガは、業界紙「ゲームマシン」の1981年2月1日号の広告でこの「Roulette」を載せていますが、単独ではなく、その他のゲーム機と一括しての紹介です。

「ゲームマシン」の1981年2月1日号17面のセガの広告(部分)。初めの1文字目は「R」であるべきだが、誤って「Loulette」と記述されている。翌2月15日号の広告では正しく修正されている。

「Roulette」は、おそらく「プント・バンコ」があまり売れなかったので、在庫の部材をどうにかするための敗戦処理投手だったのだと思います。大型機でありながら「プント・バンコ」以上に人々の記憶に残っていないと思うのですが、ご存じの方はいらっしゃいますでしょうか。


【続報】セガのMills機は海賊版などではなかった?

2024年07月14日 20時05分31秒 | 歴史

前回記事「【衝撃】セガ製Mills機、実は海賊版だった!?」において、「拙ブログでこれまで『セガは米国Mills社から金型と権利を買い取ってコピーした』との言説を事実として流布してきていたがその根拠とする資料が見つからない」と述べました。

しかしその後必死に捜索したところ、やっとその根拠を発見しました。それは米国在住の英国人、フレディ・ベイリー(Freddy Bailey)氏という方から受け取ったメールでした。てっきり雑誌の記事だとばかり思い込んでいたため、発見がここまで遅れてしまいました。

フレディ・ベイリー氏。米国の地域ケーブルテレビ「SOMATelevision」が放映する「Nostalgia Alley」と言うシリーズ番組でのインタビューより。

彼は長くAM業界で活躍してきた大ベテランで、ご本人は「Coin Machine Historian」と名乗られ、「歩く百科事典」と評する人もいます。ワタシは彼から「Freddyと呼んでくれ」と言われているので、畏れ多くも敢えて以下は「フレディ」とします。

フレディは、ワタシが拙ブログを始める以前にウェブ上で公開していたセガの古いスロットマシンのフライヤーを見てメールをくださり、以降現在に至るまで貴重な資料や知識をシェアしてくださっています。

問題のメールは2012年12月13日に受け取ったもので、セガの部分のみを要約すると、

1950年のジョンソン法成立後、Millsは工場をシカゴからリノに移し、マーティ・ブロムリーはシカゴにあったMillsのツール(予備の在庫だった)を購入した。

とのことです。ジョンソン法とは、州を超えてスロットマシンやその部品を運ぶことを禁じる法律です。これにより、当時の大手スロットマシンメーカーは、海外に拠点を移したり、廃業したりなどしましたが、Millsはギャンブルが公認されているネバダ州に移転しました。

「ブロムリーが購入したツールはシカゴにあった予備の在庫(原文は'Marty bought the Mills tooling that they had in Chicago, this was the back-up tooling that Mills had in stock.')」などは知らなければ言及できることではなく、またフレディ自身もブロムリーとは50年代の昔から深い付き合いがあったことから、十分信ずるに足る証言と思われます。

ただ、ブロムリーがミルズからツールを購入したことは事実だったとしても、それがどのような契約内容のうちに行われたものかは定かでありません。Service GamesとMillsにはそれぞれ見解が異なる部分があるようですが、どちらが合理であるかは今のワタシには判断が付きません。とりあえずは、前回の記事の趣旨へのカウンターとしてこのような言説もあるということを記録することが今回の趣旨です。

なお、フレディは現在も「Game World」という会社を運営し、元気に活躍されています。末永く頑張っていただきたいものです。


【衝撃】セガ製Mills機、実は海賊版だった!?

2024年07月07日 19時46分39秒 | 歴史

拙ブログではこれまでセガの古い歴史について何度も言及しています。過去記事「セガのスロットマシンに関する思いつき話」では、セガの前身である「Service Games Japan」はマーティン(マーティ)・ブロムリーという人物によってアジア・太平洋地域の米軍基地にスロットマシンを売るために設立された」と述べ、さらに「(Service Gamesは)米国ミルズ(Mills)社の、アジア太平洋地区のディストリビューターとなり、ほどなくして自社でミルズ製品のコピーを製造するようになった」と述べています。

また、「セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(3) セガのスロットマシンその1」では、「ブロムリーは米国の大手スロットマシンメーカーだった米国Mills社から金型と権利を買い取ってコピーした」とも述べ、この部分は風営機オリンピアの誕生の経緯を想像して創作したストーリー「オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(4):第4幕/第5幕」で、ストーリー上の重要なキーポイントとして反映させています。

しかし最近、上記二つの赤文字で記した部分ついて、その認識を怪しまなければならない新資料を発掘してしまいました。

特に衝撃だったのは、「セガがMillsから金型と権利を買い取った」が虚偽である可能性が濃厚となったことです。ワタシはその根拠とした資料を探しましたが、なにぶんにも昔の事で長い間見返すこともなく、その後に次々と追加されていった資料に埋もれてしまい、どうにも見つけることができません。そこで今回は単純に、拙ブログがかつて事実として流布していた言説の反証となる資料をご紹介するに留めておきます。

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今回発掘した資料は、米国のエンターテインメント業界誌「Cash Box」1958年6月21日号の「Part II」の65ページです。(「Part I」は音楽業界関連、「Part II」がコインマシン関連であるようだ)ここにMills社はこんな広告を掲載しました。


Mills社がCashBox1958年6月21日号に掲載した広告。推奨サイズでなるべく大きく表示するために上下二分割してある。

セガの前身である「Service Games (Japan)」は、1956年9月の時点で、自らを「Millsのスロットマシンの太平洋エリアにおける排他的ディストリビューター」と名乗って、Mills製スロットマシンのマニュアルを頒布しています。

Service Games (Japan)が1956年に頒布していたMills製スロットマシンのマニュアルの表紙。Mills社の商標であるフクロウのマークとともに、最下段に「Exclusive Distributor - PACIFIC OCEAN AREA」とある。

しかし、Millsのこの広告は、これを否定しています。あまりの衝撃に手が震えていますが、詳しく見ていくことにします。

まず冒頭に

あなたはMillsの純正品とただのニセモノのどちらを取りますか?

と大書し、続いて

以下の広告を使用している Service Games (Japan) Inc. もしくは Westlee は、新品の純正Mills Bell-O-Maticマシンの販売代理店ではありません

と、「Service Games」他一社を名指しで否定しています。そして、これら二社「Service Games (Japan)」と「Westlee」の広告を左右に置き、その中央に

これらの広告の機械は、新品ではなく、Mills Bell-O-Maticの純正品ではありません。これらは左の写真に見られる純正品のただのニセモノです

と述べています。

あげつらわれているService Games (Japan)の広告はこう延べています。

90%以上...
世界に供給されているMills Bellモデルは、経験豊富な技術者と職人であるベルマシンエンジニアの中でも最も優れたスタッフの監督の下、我々の東京の工場で製造されています。

業界の歴史上最高級のMills製品は、世界に向けて販売されている機械の90%が日本で製造されています

もちろん、我々のMillsの品質、デザイン、それにプレイヤーへのアピールは、Service GamesのMills Bellマシンを導入することが良いビジネスであることを地球上のコインマシン業者を納得させています。


Millsはこうしてけしからん二社の広告を挙げた上で、

純正のMills Bellを主張する機械は米国ネバダ州リノで、Mills Bell-O-Matic社のみが製造し、公式のディストリビューターのみが販売します。それ以外の日本やその他で製造された機械は、Millsの50年前のデザインと製造経験に基づく古いものです。

過去何年にもわたって、Millsは100%純正のMills Bellマシンを製造し続け、世界中に販売しています。品質への評価は米国Mills Bell-O-Maticの純正品によってのみ築かれてきたことは明らかです。あなたは本物を手に入れることができる時に、なぜ保証のないニセモノに賭けるのですか?

とたたみかけています。この広告には他にもいろいろ書いてありますが、とにかく純正品はMillsのみ、それ以外はニセモノ、ベストな商いは純正品であってこそ、と言うようなことがしつこいくらいに書かれています。

そう言えばService Gamesは、「Mad Money」と言う機種で、米国の人気雑誌「MAD」のキャラクターを無断で使用したこともありました(関連記事:【小ネタ】セガ・マッドマネーとアルフレッド・E・ニューマン(Alfred E. Neuman))。現在のように世界が狭くなかった当時、一般的な米国企業の目はService Gamesが商圏とした極東・アジア地域まで届いておらず、それを良いことにService Gamesは好き勝手をしていたのかもしれません。

そして時期的に考えて、Service Gamesがオリジナル筐体「スターシリーズ」(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(3) セガのスロットマシンその1)を作ったのも、外観を変えてMills製品とは無関係の振りをして、Millsからの表立った批判を回避する目的があったものと考えることもできそうです。

「segaがMillsからライセンスを得ていた」とする資料は引き続き探しますが、現時点ではその説は分が悪そうに思われます。→(2024.08.30追記)資料を発見したので【続報】セガのMills機、海賊版などではなかった?をご参照ください。