オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【続報】「HOW TO PLAY BINGO」頒布時期探求メモ

2022年01月16日 15時08分40秒 | 訂正・追加等

前回の記事で募集した、sigmaのフリーペーパー「HOW TO PLAY BINGO」をお分けするお年玉企画には、今回も予想を超えるご応募をいただきました。どうもありがとうございます。

前回記事では、今回お分けしたフリーペーパーの頒布時期を、「不明、おそらく1980年か81年」としていました。しかし、その後の調査で、実はもっと古いものである可能性が出てまいりましたので、メモを記録しておこうと思います。

前回の記事でお分けしたsigmaのフリーペーパー「HOW TO PLAY BINGO」の表紙と裏表紙。

●ビンゴインの始まりは1975年
 このフリーペーパーの裏表紙には、「BINGO-IN Milano」、及び「はじめてのビンゴ・初めての友 ゲームタウン ビンゴイン ミラノ」と書かれています。「ビンゴイン」とは、かつてsigmaが展開していたビンゴ・ピンボール専門のゲームセンターのブランドで、その第一号店は1975年に歌舞伎町の「ゲームファンタジア・ミラノ」の上階にオープンした「ビンゴイン・ミラノ」(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)でした。このフリーペーパーは、まさにこのビンゴイン・ミラノの名前で作られているわけです。

●2号店「ビンゴイン・サブナード」のオープンは1975年末
同じ1975年の12月25日には、ビンゴインの2号店となる「ビンゴイン・サブナード」がオープンしました。業界紙「アミューズメント産業」76年2月号には、そのオープンを報じる記事が掲載されています(関連記事:新宿・ゲームファンタジア・リトルサーカス&ビンゴイン・サブナードの記憶)。

 

「ビンゴイン」は、その後渋谷、高田馬場、池袋、六本木、上野などにも作られています。1977年秋に頒布されたsigmaのフリーペーパー「GF」の裏表紙には、その時点でのビンゴイン4店舗の名称と連絡先が記載されています。

sigmaが発行していたフリーペーパー「GF」の、77年秋号の裏表紙の一部。その時点のGFチェーンとビンゴイン4店舗が挙げられている。

sigmaが作成するフリーペーパーや広告ポスターには、系列店が記載されるのが通例と言えるほど多くありました。しかし、今回お分けしたフリーペーパー「HOW TO PLAY BINGO」には、「ミラノ」の名前しかありません。これはつまり、このフリーペーパーが作られた時点では、ビンゴインはまだミラノしかなかった可能性を示唆しています。

しかし、前述のビンゴイン・サブナードのオープンを報じるアミューズメント産業誌の記事には、こんな一節があります。

また、宣伝も口コミに期待し(中略)もっぱら同社が独自で制作している印刷物【ハウ・トウ・プレイ・ビンゴ、G・F等】を活用しているようだ

ビンゴイン・サブナードのオープンを報じるアミューズメント産業76年2月号の記事。宣伝に使用する印刷物として「ハウ・トウ・プレイ・ビンゴ」の文字が見える

ここで名指しされている「ハウ・トウ・プレイ・ビンゴ」が、今回のお年玉企画としてお分けしているフリーペーパーと同一のものであるなら、この作成及び頒布時期は1975年で、二号店オープン後も使い続けられていたということになります。

ただ、その蓋然性は高まったとは言えますが、決定的な証拠と言うにはまだ不足があります。そこでさらに調査を進めたところ、ネットオークションに出品されていた名画座ミラノのチラシに、今回のフリーペーパーからの流用と思しき画像を発見しました。名画座ミラノとは、ゲームファンタジア・ミラノとビンゴイン・ミラノが入居する商業ビルにあった映画館の一つです。

ネットオークションに出品されていた名画座ミラノのチラシ。三つ折りの背に相当する部分がsigmaの広告になっており、フリーペーパーから流用したと思しき写真が使用されている。

この名画座ミラノのチラシには、「No.69/May-June」とありますが、年の記載がありません。しかし、10号前の「No.59 77年7月号」と、7号後の「No.76 79年2-3月号」を発見し、No.69が作成されたのは1978年で、その時点で既に「HOW TO PLAY BINGO」を作成する映像素材が存在していることが判明しました。

No.59(77年7月号)とNo.76(79年2-3月号)の表紙

●結論
「HOW TO PLAY BINGO」の頒布時期をピンポイントで特定することは結局できませんでしたが、
 ・早ければ1975年には頒布されていた可能性がある。
 ・ただし76年以降も継続して頒布されていた可能性がある。
 ・遅くとも1978年には既に頒布されていたものと思われる。
と言う推論は成立すると思います。以上から、前回記事の「不明、おそらく1980年か81年」は、「1970年代後半」に訂正しておきたいと思います。


【号外】「PPフェア2002より昭和のパチンコ(4):昭和30年代」の補完情報

2021年08月30日 22時17分50秒 | 訂正・追加等

前回の記事「PPフェア2002より昭和のパチンコ(4):昭和30年代」 において、ワタシが「補充の必要が生じた台につながるホースの始端にどういう仕組みで補充球を流していたのか」との疑問を呈したところ、普段から拙ブログをご高覧くださっているtomさんより、「youtubeで『昔のパチンコ』で検索するが吉」とのコメントをいただきました。

さっそく試みてみると、「【昔のパチンコ・昭和30年代・パチンコ店】軍艦マーチ・娯楽・遊技場・レトロパチンコ」という動画がヒットし、この中に、まさにワタシが呈した疑問に対する答えとなる映像がありました。

賞球補充システムの始端。口の一つ一つに対応する台番号が付されている。このシーンは3’08くらい。詳細は動画をご覧されたし。

この動画の元ネタはTVのドキュメンタリー番組のようにも見えますが、実際のところはわかりません。しかし、賞球の補充だけでなく、シマの裏で働く従業員や人手不足問題、オートメーション化や換金問題などにも触れており、前回の記事の補完情報として実に素晴らしいので、ご紹介いたします。

(youtubeより)
【昔のパチンコ・昭和30年代・パチンコ店】軍艦マーチ・娯楽・遊技場・レトロパチンコ

10分強の動画ですので、スマホで閲覧される場合は容量制限にご注意されるがよろしかろうと存じます。

情報をくださったtomさん、どうもありがとうございました。ハラショー、ブンダバー、トレビアン、真棒、ワンダホー他世界中のあらゆる賛辞とともにお礼申し上げます。

以下、8月31日補完

普段からご高覧いただいているtomさんから、コメント欄に、「この動画の元ネタはNHKのドキュメンタリーで、尺は40分くらいと思われる」との追加情報をいただきました。この動画の7’38辺りで、「パチンコは戦後18年間、日陰で育った産業である」とのナレーションが流れるので、このドキュメンタリーが放映されたのは1945年の18年後、すなわち1963年(昭和38年)であろうと推測されます。

なんとか全編を見られないものかと「NHKアーカイブス」を調べたところ、ETVで1963年12月28日(土)の午後10:00~午後10:30に放映された「現代の記録 「孤独な遊戯」 ―パチンコ文化論―」であることが判明しましたが、残念ながら番組自体の映像は残されていないか、少なくとも公開はされていないようです。

「NHKクロニクル」の「公開ライブラリー」で検索すると、

「パチンコの歴史、ひけつなどを紹介し、全国6000軒、60万台のパチンコが日本文化に定着した理由を考える。【以下、アーカイブス番組HPより転記/2014.06】大衆娯楽の一つ、パチンコ。当時は、パチンコ玉を一個一個台に入れて手動で打っていた時代です。番組はパチンコ玉の製作場の様子を始め業界の舞台裏に迫っています。」

との説明があります。なお、これに続いて、「現代の記録」という番組自体の説明として、

「現代の記録」というドキュメンタリーシリーズに関しては、<番組メモ>として、「昭和37年(1962年)4月7日から昭和39年(1964)年4月4日まで放送されたドキュメンタリー番組である。「アジアで初めての開催となった東京オリンピック・パラリンピック(昭和39年=1964年)の前後から日本はいわゆる「高度経済成長」の時代に入り、1970~‘80年代の物質的に豊かで高い所得に象徴される「経済大国」としてのスタートを切った時代でもあった。昭和20年(1945年)8月の我が国の有史以来、初めての敗戦から復興に立ち向かう日本社会では戦争の惨禍と生活苦から何とか、脱出したいという国民全体の強い願望が国際社会が驚嘆した驚異的な経済成長へと結びついた。その陰では、急激な経済成長に社会の仕組みやインフラが追いつかず、重厚長大産業の大企業の操業に伴う「公害」の夥しい発生、健康被害に苦しむ公害病患者の発生、モータリゼーションの急展開と道路事情の未整備を背景とする「交通戦争」とまで表現された交通事故による死者の急増など実に様々な問題が噴出していた時代でもあった。こうした時代の様々な社会現象や深刻な問題を斬新なカメラワークを基に音声と映像で鋭く斬り込み、敗戦後の日本社会の課題を浮かび上がらせた。
「現代の記録」は視聴者から高い評価を得て、昭和38年(1963年)のラジオ・テレビ記者会の奨励賞も受賞した。主な作品としては、「新昆虫記」、「凶器と童話」、「姿なき犯人」、「ターミナル」など。
放送時間:教育テレビ土曜日の午後10時~10時30分、総合テレビ水曜日の午前11時~11時30分(再放送)
(放送文化アーカイブやNHK年鑑等を参考に、川口メタデータ整備班が作成 2017.07)」

と続いています。

何にせよ、「PPフェア2002より昭和のパチンコ(4):昭和30年代」において「昭和30年代」とまでしか特定できていなかった、シマ裏の女性従業員や賞球補給装置に関しては、少なくとも1963年の時点での現実だったことがわかったことは収穫です。


【号外】【追加・訂正】本日アップした記事の謎、早くも判明

2021年03月07日 22時48分19秒 | 訂正・追加等
本日夕刻にアップした記事「1977 Sega Price List (1):表紙と会社案内系その1」
https://blog.goo.ne.jp/nazox2016/e/8d746e0b1ce5a93258fd661ad9103d46
の中で、77年当時のセガのピンボール製造ラインに写っている機種が謎であると述べました。


問題の箇所。

上記画像のキャプション部分で言及しているWilliamsの「Satin Doll」のバックグラスはこんな感じです。


Williamsの「Satin Doll」のバックググラス。画像は「Internet Pinball Database」より。

あまりに癪なので、記事投稿後にあちこち調べてみたところ、ピンボール製造ラインの画像に写っている機種は、スペインSEGASA社製の「Baby Doll」という機種であることが(結構あっさりと)判明しました。


スペインSEGASA社の「Baby Doll (1975)」のバックグラス。この画像も「Internet Pinball Database」より。Williamsの「Satin Doll」を下敷きにしたアートワークであることがわかる。

昨年8月にアップした記事「【小ネタ】SEGASA (AKA Sonic)とSEGAの関係メモ」で述べている通り、SEGASA社は、米国Williams社の親会社が大株主であったなどWilliamsと縁があったそうです。そのため、SEGASA社はWilliams社のコピーのような製品をいくつも売り出しており、この「Baby Doll」もその一つなのでしょう。Internet Pinball Databaseの記事をよくご覧いただければわかりますが、「Baby Doll」のエプロンには「Sonic」の商号ではなくWilliamsのトレードマーク(関連記事:ピンボールのアートワークの話(3):ジェリーとクリスのその他の仕事&資料・その1)が描かれていますが、バックグラスには「Sonic」のロゴが描かれており、おそらくはSEGASAがSonicを名乗りだした初期のことであると推測されます。

謎が解明するのはうれしいものです。これで今晩はよく眠れると思います。それでは、お休みなさいまし。

【追加・訂正】「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」に情報追加(2)

2021年02月07日 18時16分38秒 | 訂正・追加等
今回は、前回に引き続き、前々回の記事「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」の補足の後編です。

(6)パワールーレット


パワールーレット。

先の記事ではこの製造年を1980年としておりましたが、1978に訂正しました。この年は、のちに「インベーダーブーム」という社会現象を巻き起こす「スペースインベーダー」が発売された年です。インベーダーブームは日本全国を席巻し、客を取られてしまったパチンコ店がゲームセンターに商売替えをするというケースも珍しいものではありませんでした。

しかし、インベーダーブームがパチンコ業界を震え上がらせるのはパワールーレットが世に出た後のことです。先の記事ではパワールーレットがまるで対スペースインベーダー迎撃機であるかのような記述となっておりましたので、この部分も併せて訂正するとともに、この年がパチンコにもデジタル技術が投入され始めた時期である旨を追加しました。

(7)グローリーボールデラックス


グローリーボールデラックス。

盤面を見ると、ハッタリ(チャッカ―の前面の飾り)に描かれている絵は、ボート、馬術、射撃、フェンシング、それにストラップが付いたメダルのピクトグラムになっています。このシンボル構成は、パチスロの嚆矢であるオリンピア(関連記事:オリンピアとワタシの関わりの記録)を強く意識したものであるように見えます。


グローリーボールデラックスの盤面。シンボルがことごとくスポーツテーマになっているのはオリンピアのイメージに引っ張られたか。

全く根拠がない話ですが、両替機や硬貨計数機などの大手メーカーである「グローリー」が、かつて風営機を作っていたことがあったようななかったような・・・? どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただけませんでしょうか。

(8)ダイスゲーム


前々回の記事で「ダイスゲーム」として紹介したゲーム機。

このダイスゲームは、米国Exhibit Supply社の「SELECT-EM (1933)」でした。
1~6の番号のうち一つをあらかじめ選択してから4つのダイスを振り、選択した番号と同じ目が2個以上出ると得点を得る、というゲームです。

得点表を見ると、選択した目が2個出れば3点、3個出れば6点、4個すべてであれば20点だそうです。筐体には「このゲームは娯楽目的専用」との注意書きがありますが、時代が時代ですので、Gマシンとして使用されていたであろうことは想像に難くありません。そこでペイアウト率を調べてみたら、45.5%(得点1点につき投入した硬貨と等価のものを1枚払い出すとして計算)しかありません。いかにガムを払い出しているらしいとは言え、相当に低いペイアウト率です。なお、ヒット率(当たりの目が出る確率)は13.2%でした。つまり、7~8回遊ぶうちに1回当たるくらいの頻度です。

(9)ピンボール2機種
一つは米国Bally社の「Goofy (1932)」、もう一つは米国Gottlieb社の「MERRY-GO-ROUND (1934)」とのことです。


Goofy (Bally、1932)


MERRY-GO-ROUND (Gottlieb, 1934)

これらの古いピンボール機についてはワタシは詳しくありません。しかし、ピンボールで困ったらIPDB(Internet Pinball DataBase)があります!

Goofy (Bally, 1932)はこちら と こちら。JuniorとSeniorの2種類があるようですが、違いが良くわかりません。

MERRY-GO-ROUND (Gottlieb, 1934)はこちら

(10)ピンボール機の下にある2機種

一つは米国Bally社の「Signal Jr (1934)」、もう一つは米国Calp社の「Bridge Ball (1954)」とのことです。Bridge Ballの方は商品化されることはなく、試作品2台の存在が知られているのみで、これはそのうちの1台という大変貴重なものです。

 
Signal Jr.(左)とBridge Ball(右)

これらの詳細もやはりIPDBをご参照ください。

Signal Jr.はこちら
SignalにもやはりJuniorとSenior、さらに普通のSignalの3種類があるようですが、Caitlynが所有するものはJr.とのことです。

Bridge Ballはこちら
このページには、Caitlynが多くの画像を寄稿しています。中には筐体の内部の画像もあり、どんなメカであったかを見ることができて貴重ですので、ぜひご参照ください。そして、拙ブログをご高覧下さっている皆様の中で後世に残したいピンボールの資料をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひともIPDBにご寄稿下さいますようワタシからもお願い申し上げます。特に日本製のピンボール機を掲載する際には、機種名やメーカー名など日本語での表記を併記しておきたいとのことです。皆様、どうぞご一考いただけますようお願い申し上げます。

(このシリーズ終わり)


【追加・訂正】「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」に情報追加(その1)

2021年01月31日 16時31分19秒 | 訂正・追加等
カナダのオールドゲームコレクター、Caitlynさんのグレートなコレクションをご紹介した前回の記事「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」では、メーカーや製造年など不明が多くありましたが、この記事を読まれたCaitlynさん自身から、いくつかについてフォローの画像と情報をいただいたので、今回は前回記事の補足を記録しておこうと思います。

(1)メーカー、名称不明のパチンコ機


前回、「メーカー、名称不明」としたパチンコ機。

この画像のパチンコ機は、筐体に付いていた銘板には、「DAIWA」というメーカー名と1964年の日付が入っているとのことです。この時代には「大和製作所」と言うメーカーがあったようなので、おそらくそれではないかと思われます。

この機械は、台枠の彫刻の他に、ハンドルの左上にコインスロットを取り付けるという改造が施されています。


コインスロットの部分の表と裏(赤枠内)。裏面のホットボンドで固められている下端には外国の銅貨の一部が見える。

これらの改造から、この台はCaitlynの手に渡るまでの間に、一旦別の外国人コレクターが所有していたのではないかと想像されます。

(2)FILL'EM UP



FILL'EM UPは、英国Ruffler & Walker社の、1953年の機械です。いつもお世話になっている「pennymachines.co.uk」によると、同社の設立は1934年で、少なくとも1960年代までは存在していたようです。

(3)名称不明(**ALT


前回「名称不明(**ALT)」としていた機械。

ラックの支柱に隠れて全容が良く見えなかったこの機種は、ドイツWulff社の「RIALTO(1964)」とのことでした。遊び方は、ボールを3回弾き、その組み合わせによってペイアウトがあります。1ゲームは10秒の時間制限があるそうです。

Wulff社はドイツで1950年に創立されたゲーム機メーカー・ディストリビューターです。1980年代に米国Ballyの子会社「Bally Wulff」となりましたが、日本のパイオニア製カラオケシステムやセガ・ピンボールもディストリビュートしていました。現在も「Bally」を名乗っていますが、本家Ballyは同社を売却していたはずだと思います。

(4)CASCADE


Cascadeの拡大画像。

Cascadeは英国Bell Fruit社の機械で、1971年製です。同社は欧州ではそれなりのゲーミング機械メーカーで、現存するようではあるのですが、欧州の業界再編が進んだ結果、現在は「INSPIRED」というグループ会社の一部門なんだか子会社なんだか、よくわからない状態になっています。

(5)Skill Roll


Skill Rollの拡大画像。

米国Bally社、1956年製です。Caitlynはこれが日本の10円ゲームに強い影響を与えていると考えています。これにはワタシも同意できるのですが、日本の10円ゲームのメーカーとこのSkill Rollとの接点は謎です。

画像が多くなってきましたので今回はここまでとして、残りは次回にしようと思います。
(その2につづく)