オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【小ネタ】四国プチレゲエ紀行

2024年06月30日 20時41分56秒 | ロケーション

今週末はいろいろ予定で埋まっており、本日もつい先ほど帰宅いたしました、そんなわけで今回は小ネタで凌がせていただきます。

実は昨年11月、女房とともに徳島県の親戚の家に行きました。せっかく四国に行くのであれば、ご当地のレゲエスポットはないかと探してみたところ、徳島県の「徳島ゲーセンリバース」と、香川県の「エレメント」の2軒がヒットしました。

まず「徳島ゲーセンリバース」は、かねてよりSNSで存じ上げておりました。我々が逗留する徳島駅近辺からはやや遠く、車で小一時間かかります。しかしながら、決して恵まれているとは言えない環境でレトロゲーセンをやって行こうというオーナーの心意気に感じ入り、この機会に訪問することにしました。


開店時間直前の「徳島ゲーセンリバース」。ゲーセンらしからぬ地味な建物であるが、周辺環境への配慮などの理由でこのようにせざるを得ないとのこと。


ハウスルールを記した注意書きが入り口にあり、ゲームアーケードであることがわかる。


店内その1。この日、我々は一番乗りで、まだほかに客はいなかった。壁にはイベントカレンダーやランキングが。


店内その2。ゲームの攻略本や、彩京のカタログ集のようなファイルが読める。


店内その3。壁際左端はUPLの「忍者くん 阿修羅の章」。昔はかなりやれたものだったのに、今回はまるでダメダメだった。


店内その4。これはいったい何なのか? 「2200円」と書かれた値札が傍らにあり、欲しい人がいれば売るようにも見える。


設置されているゲーム機はミディ筐体のビデオゲームのみです。設置機種はしばしば変更されることもあるらしいので、公式のSNS(X)を普段からウォッチすることをお勧めします。車が無いと行きにくい場所ですが、どうも健康に不安があると察せられる店主のがんばりには声援を送らずにはいられません。

徳島ゲーセンリバース:徳島県阿南市那賀川町上福井南川渕134-42

もう一軒、香川県の「エレメント」もご紹介しておきます。本来は「年齢、性別、国籍に関係なく楽しんでもらえるお店」をコンセプトとする雑貨店ですが、吹き抜けとなっている2Fに、たくさんのレトロゲームが設置してあります。

エレメントの入り口付近。最初、どこから入れば良いのかわからず女房と周辺をうろうろした。

店内は原則として写真撮影禁止ですが、お願いすると記者証のようなものを貸してくれて、これを首から下げていれば撮影しても構わないとのことでした。もちろん、他に人がいる場合は配慮が必要です。


1Fから吹き抜けの2F部分を見上げたところ。子供向けのエレメカ機がたくさんある。


こちらはテーブル筐体コーナー。初代の「ハイパーオリンピック」が2台並んで稼働していた。他には「アルカノイド・リベンジ・オブ・DOH」、「マリオブラザーズ」、アップライトの「ポールポジション」や「ハングオン」など。


子供向けエレメカ機の一部。


タイトーが1989年にリリースした「バトルシャーク」。左はコナミの「リーサル・エンフォーサーズII」。

「バトルシャーク」なんてタイトル、すっかり忘れていて、30年ぶりくらいに思い出させてくれました。

「エレメント」が入る「北浜alley」は、使われなくなった海辺の倉庫街を再生し、2001年に誕生し観光スポットとなっていますので、香川に行かれた折にはここで懐かしいゲームで遊び、帰りに雑貨店でお土産を買って帰るのが吉と思われます。


エレメント:香川県高松市北浜町3-2


ローゼン・エンタープライゼス1961(5)ジュークボックスとキディライド

2024年06月23日 18時26分51秒 | メーカー・関連企業

セガの前身となった企業の一つ、「ローゼン・エンタープライゼス」が1961年ころに作成したと推察されるカタログシリーズ5回目(最終回)は、「ジュークボックス」と「キディライド」のページです。

前回のベンディングマシンとともに、ワタシにとってはストライクゾーンにギリかかるかどうかのきわどいボールで、また拙ブログをご高覧いただいている方の多くには退屈かもしれませんが、アーケードゲーム機とはコインマシンという共通項を持つジャンルを全く無視するわけにはいかないのです。

******* ジュークボックス

日本においてジュークボックスは、タイトーが1950年代に進駐軍払い下げのジュークボックスを再生して酒場に置いたところ大ヒットして、戦後復興期の日本に広まったようです。しかし、やがて払い下げ品が払底して製品の供給がままならなくなったタイトーは、1956年には自社で開発した「ジュークJ40」を売り出しましたが、不良品が多く失敗に終わりました(関連記事:オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(2):第1幕/第2幕


その後1961年セガが「SEGA1000」を発売します。輸入品よりも格段に安いのでよく売れたそうです。国産ジュークボックスとしては他に「ツガミ」と言うブランドがあったようですが、こちらは調べていないので詳しいことはわかりません。

タイトーが先鞭をつけた日本のジュークボックス市場はやはり米国製品が強く、ローゼン・エンタープライゼスも早い段階から複数のブランドの機械を手広く扱っていました。

 

★画像は例によって1ページを上下に二分割しています。

ジュークボックスその1。共に米国企業であるSeeburg社AMI社の製品が掲載されている。上の余白に誰かの手による「1963年」との書き込みがあるが、ここに掲載されている機種は次ページも含めて最も新しいものでも1961年製(最も古いものは1951年製)である。

ジュークボックスその2。前ページに引き続きAMI社と、やはり米国企業のUnited社の製品が掲載されている。ジュークボックスは以上の2ページしかなく、よく知られているWurlitzer社Rock-Ola社が扱われていないのはなぜだろう。

******* キディライド

キディライドは1930年に米国で発明されたものが最初だそうです。日本では、兵庫県の「宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)」に娯楽機が導入されたと聞いた日本娯楽機(後のニチゴ)の遠藤嘉一氏が昭和3年(1928)に視察に行ったところ、係員に2銭を渡すとアヒルのような形をした鞍が2分間揺動するドイツ製のキディライドを見て感じ入るものがあり、翌年これを自動化して売り出したものが国産のキディライドの始まりでした(関連記事:AM産業と業界誌の謎(2))。

日本のAM機器メーカーにはキディライドから始まった企業が多く、例えばナムコは、社内報のタイトルを自らの原点である「もくば」としていました。また後に日本のAM業界に「メダルゲーム」という新ジャンルを確立したsigmaの創始者である真鍋勝記氏も、最初はキディライドのレンタルから始まったと聞いています。

キディライドその1。上段中央に大きく掲載されている「Kamel」は「最新のキディライド」と謳われている。それにしてもなぜ「K」で始まるのか。米国製品には、このような故意のスペルミスをする商品をたまに見かける。中段左の「Fire Chief」は、Williamsのピンボール「Fire! (1987)」を思い出す。消防士はいつの時代もヒーロー。

キディライドその2。1961年は、ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行をし、またアポロ計画が発表された年。大きく掲載されている「Moon Rocket」はそれらを受けてのものなのだろうか。有人ロケットがどんなものなのかろくにわからなかった時代に、何を考えながら船内をデザインしたのだろうか。

キディライドその3。馬は定番であろうが、TVカメラマンは珍しい。左下のバイクは、ビンゴ・ピンボールなどギャンブル機に強く、3年後の1964年には世界のスロットマシン業界の頂点に君臨するBally製。

キディライドその4。「宇宙への飛行」や「ヘリコプター」を、「上昇、降下、左右の傾きなどリアルな動きでシミュレートする」と言っている。「加速、減速、ハンドルでの方向転換」や「離陸、飛行中音、秒読みを再現するサウンドシステム」などと謳われると、うっかり乗ってみたくなる。

(このシリーズ終わり)


ローゼン・エンタープライゼス1961(4)ベンディングマシン

2024年06月16日 18時36分56秒 | メーカー・関連企業

セガの前身となった企業の一つ、「ローゼン・エンタープライゼス」が1961年ころに作成したと推察されるカタログシリーズ4回目は、「ベンディングマシン」のページです。

ベンディングマシンとは、つまり自動販売機です。日本では、明治時代に郵便切手の自販機が登場しています。そこで販売される切手は、機械の中ではトイレットペーパーのようにロール状に収納されているため、側面に目打ち(切り取り線)がありません。このような切手は、収集家の間では特に「コイル切手」と呼ばれています。

後に日本のアミューズメント業界をリードする日本娯楽機(後のニチゴ)は、大正から戦前の昭和にかけて自販機を精力的に製造しています。

日本娯楽機が戦前の1936年ころに頒布したカタログに掲載されている自動販売機のページ2つ。香水や飲料水の販売機や、菓子販売機を謳うゲーム機が見える。

しかし、日本が「自販機大国」などと呼ばれるようになるのは、これら先行する国産自販機の躍進によるものではなく、1960年代の早い時期コカ・コーラの海外製自販機が全国に設置されてからのようです。1970年3月15日付の朝日新聞には「1967年から3年間、自販機の伸びは30%以上」との記事があり、この時期に既に社会的な注目を浴びる勢いで増加していたことが窺えます。

ローゼン・エンタープライゼスは、自動写真撮影機の成功から、日本における自販機の可能性を予期していたであろうことは想像できます。このカタログにも10ページに渡って各種自販機が紹介されています。

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★画像は例によって縦に二分割しています。

 

自販機その1。ホットサンドイッチの自販機。機械内の冷蔵庫に保存されているサンドイッチを電子レンジで加熱しているらしい。文字が潰れていて判読が難しいが、1個25セントから35セントまで、5種類を販売している。

自販機その2。コーヒーとココアの自販機。

コーヒーは「先進国」米国では当たり前の習慣でしょうが、1961年ころの日本にどれだけ馴染んでいたかはわかりません。ウィキペディアによれば「普及には1960年に森永製菓が国内生産を開始して以降、国産化が進展するまで時間を要した」とのことなので、認知はされていたようです。

自販機その3。これもコーヒーとココアの自販機。

自販機その4。牛乳の販売機。能書きには「Rudd-Melikianによる大容量牛乳ディスペンサーは、工場、オフィス、それに学校で、完全な殺菌とトラブルフリーの問題への答えです。従業員や学童は、昼食時やいつもの3時のおやつ時に、R-M 社が提供するさまざまなフレーバーの発泡スチロールカップに入った新鮮な冷たいミルクを好みます」とある。

自販機その5。130の品物が入るという自販機。選んだ商品が運ばれてくるシステムを「The magic touch」と呼んでいるが、何をどうするとどうなるのかはよくわからない。

自販機その6。コカ・コーラの自販機。冒頭で述べた「1960年代の早い時期全国に設置されたにコカ・コーラの海外製自販機」にはこれも含まれていたのだろうか。

自販機その7。コーヒーの自販機。スイッチの切り替えで、豆から淹れるコーヒーかインスタントコーヒーか、冷蔵されたフレッシュクリームか粉クリームかが切り替えられるらしい。普通に考えれば豆から淹れるコーヒーにフレッシュクリームがいいに決まっているが、選択によって値段が変わるのだろうか。

自販機その8。菓子やたばこの自販機。キャプションの「CAUDY」は意味不明。「CANDY」の事だろうか。

自販機その9。10セントの商品を販売する「U-SELECT-IT」は、10セント硬貨の他に5セント硬貨が使用可能であることが売りらしい。

自販機その10。これも「U-SELECT-IT」。188個の商品を収納可能な自販機で、客は店に行くのと同等の選択肢を提供できるとある。

次回「ジュークボックス他」(たぶん最終回)につづく。


ローゼン・エンタープライゼス1961(3)ピンボール

2024年06月09日 18時13分59秒 | メーカー・関連企業

セガの前身となった企業の一つ、「ローゼン・エンタープライゼス」が1961年ころに作成したと推察されるカタログシリーズ3回目は、「ピンボール」のページです。

このカタログにはピンボールのページが7ページありますが、そのうち4ページはページを横にして見るようにレイアウトしてあります。そういうわけで、通常の縦レイアウトのページは前回通り上下二分割ですが、横レイアウトのページは左右二分割として少しでも大きく表示できるようにしています。

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1961年ころに作成されたと思しきこのフライヤーには、まだ得点表示をリールではなくランプで行う1950年代半ばの機械が多く含まれています。IPDBを調べると、GottliebもWilliamsも得点表示にリールを使用するようになったのは1955年からで、しかも一気にではなく徐々にでした(Ballyはこの時期、ビンゴ・ピンボールしか作っていない)。

 

ピンボールその1。カタログの8ページ目。シャッフルボードが混じっているが、GotliebとWilliamsの、得点表示をランプで行う旧型機が14機種掲載されている。

ピンボールその2。カタログの9ページ目。上半分のGottlieb製ピンボールリストは、1954年から1961年までのリリース時期まで記載されており、貴重な資料となる。下段の機械4機種はいずれも得点表示がリールになっている。

 

ピンボールその3。カタログの10ページ目。横に見るレイアウトのため、左右二分割にしてある。

 

ピンボールその4。カタログの11ページ目。このページも左右二分割にしてある。右下の「EASY ACES」のバックグラスには、Gottliebが1960年代初頭まで使い続ける「Amusement Pinballs as American as Baseball and Hot Dogs!」のキャッチフレーズが登場している。

 

ピンボールその5。カタログの12ページ目。左右二分割。

 


ピンボールその6。カタログの13ページ目。左右二分割。

横に見るレイアウトの4ページのいずれにも、最下部に「FIRST」で始まる宣伝文句が添えられています。

P.10 ”FIRST" is always second to none for values! (一番の価値は常に他の追随を許さない)
P.11 FIRST prize for FIRST class equipment! (一等賞は最高級の備品から!)
P.12 Always FIRST in qualiity! Satisfaction guaranteed" (常に品質第一! 満足を保証!)
P.13 ”FIRST" always brings you the best-FIRST! (一番は常にあなたにベストを最初にもたらす)

これはつまり、「だから躊躇せずさっさと(我々から)買え」と言いたいのでしょうか。60年代初頭と言えばまだどライバルが殆どいなかったはずと思うのですが、それ以上にそれほど多くのゲーム場があったとも思えません。この当時のローゼン・エンタープライゼスは一種のベンチャー企業だったと言えるのではないでしょうか。

ピンボールその7。カタログの14ページ目。ここから縦に見るレイアウトに戻る。

 

次回「各種自販機」につづく。


ローゼン・エンタープライゼス1961(2)ガンゲーム

2024年06月02日 20時28分44秒 | メーカー・関連企業

セガの前身となった企業の一つ、「ローゼン・エンタープライゼス」が1961年ころに作成したと推察されるカタログの中から、今週は「ガンゲーム」のページをご紹介したいと思います。

しかし、ただでさえ画質が悪いモノクロコピーを、gooブログが推奨する画像サイズ(長辺640、短辺480)まで縮小してしまうと、書かれている文字が判然としない部分が多くなってしまっておりました。

そこで今回の「ガンゲーム」では、多少なりとも画像を大きく表示できるよう、1ページを上下2段に分割しています。見づらいことには変わりありませんが、なにとぞご理解いただきますようお願い申し上げます。

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今でこそビデオゲーム化されているガンゲームも、この時代は当然ながらエレメカ技術で作られていました。物理的制約が多かったにもかかわらずメーカー各社は様々な工夫を凝らして多くのタイトルを開発し、このカタログの時代はピンボール機と並んでゲーム場の中核を成していました。ガンゲームは日本国内でも早い段階から作られ、「ウルトラガン」(関連記事:大阪レゲエ紀行(7・最終回)) DAY 2・その2:大阪駅前第2ビルB1「ZERO」や「チューハンター」(関連記事:セガのエレメカ機「MOTOPOLO」 (1968)などが人気を博しました。

ガンゲームその1。据え付け型のライフル銃で、筐体奥で鏡に映し出しいる標的を狙うものが多いが、右上(No.171 Genco社・SKY GUNNER)のように、ガンの中に標的のギミックを詰め込んだタイプもあった。

ガンゲームその2。中段左から2番目(No.188 Exhibit社・SILVER BULLETS)は2P同時プレイ可能。説明には、50フィート向こうで素早く出現したり隠れたりする酒の密造業者をリアルなコルト45口径で撃つ、とある。また、下段の右2機種は、小型で安価であることをアピールしている。

ガンゲームその3。上2機種は屋外でのハンティングをテーマとするSeeburg社のガンゲーム。おそらく光線銃。Seeburg社はジュークボックスで良く知られるが、アーケードゲームやスロットマシンも作っていて、ピンボールの三大メーカーの一つWilliams社の親会社だったこともある。

ガンゲームその4。中央(No.158 Bally社・PACE GUNNER)や下段右(No.155 Exhibit社・POP GUN)のように、ボールやピンポン玉を発射するガンゲームもあった。

ガンゲームその5。「1961年のベストガンゲーム」と謳って3機種を紹介している。左の「SATELLITE TRACKER」は上述「ガンゲームその4」の左上の機種。ロケットを月に送るとのことだが、どんなゲームなのかよくわからない。右下(No.202 Midway社・SHOOTING GALLERY)は、「初の本物のガン・11/16インチのプラスチックボールを発射する」とある。

次回「ピンボール」につづく。