多忙のため更新が遅れております。今週末から今年最後(のはず)のラスベガス巡礼が控えており、今、更新しておかないとまた少し先になってしまいそうなので、なんとか頑張って更新します。
1971年12月18日、メダルゲームというジャンルを確立したsigma社により、新宿歌舞伎町の東急ミラノビルに、日本初の本格的なメダルゲーム場「ゲームファンタジア・ミラノ(以下、GFミラノ)」がオープンしました。
業界誌「アミューズメント産業」72年3月号の特集記事によれば、「地に真赤なジュウタンを敷いたミラノは、まるでお城にでも行ったかのような錯覚さえおぼえる」このロケの設備投資には1億円がかけられたとのことです。当時の1億円と言えば、現在の2.2億円くらい(大卒初任給の当時と現在の比較による推計)になります。ゲーム場が大型化し運営に大資本が関わることが当たり前の昨今ではたいした事もないように聞こえますが、この当時では破格の事であったことは想像に難くありません。
GFミラノは、運営会社であるsigma社がアルゼに吸収され、社名も「アドアーズ」に変更されたころから、「日本初!! メダルゲーム発祥の店」と謳うようになっていました。<修正ここから>実際は、sigma社は1968年から葛飾区新小岩のボウリング場で実験運営を始め、その翌年に渋谷と、さらに翌年に大田区池上のボウリング場でも実験を展開しています(関連記事:「メダルゲーム」の曙を見た記憶、「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)が、GFミラノは既存の施設の付帯施設として行ってきた実験運営を離れ、単独店舗として本格運営に入ったという点で<修正ここまで>実質的にはあながちウソと言うわけでもないとは思います。

GFミラノの店頭に掲げられていた「メダルゲーム発祥の店」の看板。でも、この謳い文句に何かを感じるのはワタシのようなヘンなマニアだけで、「そうか、ではここでメダルゲームでもやってみるか」と思った人はいなかったと思う。
残念ながら、GFミラノ(最終的にはアドアーズミラノ)は、2014年12月23日を最後に、43年と6日の歴史に幕を閉じてしまいました。わずかなりとも救いに感じるのは、ゲームセンターがバタバタと閉店し、アーケードゲーム業界の市場規模縮小が言われて久しい中、GFミラノの閉店の理由が、東急ミラノビルの閉鎖に伴うものとされているところです。
70年代中ころから80年代には、ここの2F(3Fだったか?)にもピンボールビンゴ専門店「BINGO-IN」がありました。そしてまた、sigmaの旗艦店ということもあって、ワタシは、おそらく1978年ころから閉店まで、しばしばこの店舗で遊んでいたのですが、不思議なことに昔のことはあまり覚えていません。印象に残っていることと言えば、78~79年ころ、スギウラという高校時代の友人(関連記事:新宿・ゲームファンタジア・リトルサーカス&ビンゴイン・サブナードの記憶)がここで短期間バイトをしていたこと、フォーチュンコイン社製と思しきビデオスロット(関連記事:ワタクシ的ビデオポーカーの変遷(3) 米国内の動き)や、BINGO-INで「Bally Computer "21"」(関連記事:ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(2)それ以前のビデオポーカー)、そしてなぜか写真ですら残っていない「ザ・ダービー・マークII」を遊んだことくらいのものです。
以下の画像は、GFミラノの店内に掲げられていた、初期のGFミラノの店内を示すパネルを、閉店前日に訪れて撮影しておいたものです。

GFミラノの入口。この画像が開店当時のものかどうかは不明だが、「ルーレットパーティ」の看板とアーチ状のエントランスには覚えがある。

sigmaとメダルゲームの歩みをブリーフィングしたパネル。

店内の様子その1。人っ子一人いないところを見ると、開業直前の様子だろうか。左の壁沿いにセガのダルマ筐体のスロットマシン(関連記事:セガのスロットマシンに関する思いつき話)が並んでいるのが見える。これがオリンピアかどうかは、この写真では判別できない。

店内の様子その2。左側に見えるバーリーの「5-Line Pay(1970)」は、当時としてはほぼニューマシンと言っても差し支えないものだったはず。

このゲーム機は、セガが1975年に発売した「Group Bingo」。ということは、この写真は開店直後に撮影されたものではない。なお、Group Bingoは、セガが1989年に発売した「Bingo Circus」の元ネタである。

上段右の「GOLDEN BALL」は、英国ストリーツ社製のペイアウトゲーム(製造年不明)。sigmaが1980年代終わりころにリメイクしているが、ヒットはしなかった。下段はピンボールビンゴに興じる人たち。

THE DERBY Vφ(関連記事:NASAが発明したゲーム機「ウィナーズ・サークル」)に興じる人たち。これも稼働は1975年からなので、開店当初に撮影されたものではないことがわかる。
これらの写真を見ていると、ワタシが最も馬鹿だった頃を過ごした場所としてむやみに懐かしくなります。他にもいろいろな写真がきっとあったことと思われますが、今でもどこかに保管されているのなら、なんとかウェブ上で良いので公開してほしいものです。