オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

新年お年玉企画

2022年01月09日 15時41分19秒 | ピンボール・メカ

明けましておめでとうございます。
昨年は多くの方々から貴重なコメントや情報をいただき、いくつもの長年の謎を解明することができました。本当にありがとうございました。どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。

さて、今年の第一回目となる今回は、ピンボールの本を買ってしまった話から始めようと思います。

昨年末に注文した「The Pinball Compendium」と言う本が、この1月4日に届きました。ホントは全部で4冊から成るシリーズですが、諸事情により、今回購入したのはまずはそのうちの3冊です。

今回購入した「The Pinball Compendium」シリーズ4冊のうちの3冊。左から「1930s-1960s」、「1970 -1981」、「Electro-mechanical Era」。この他に「1982 to the Present」がある。

ネット上を検索すると、国内でもこれらを扱っているEコマースがヒットするのですが、なぜか「現在出荷できない」と表示されたり、ただでさえ安くないものがさらに高い値段に設定にされていてなかなか手が出せずにいましたが、女房に背中を押されて、版元に直接注文してしまいました。送料込みで約3万円は少々度胸を要しましたが、セルフお年玉だと自分を納得させています。

収録されている機種数は膨大で、取り上げている機種一つ一つについて、その特徴と、概ねの市場価格が記載されています。この本に記載されている60年代終わり以降のBally, Gottlieb, Williams3社の製品はその殆どがワタシ自身が遊んでいるか、少なくとも見た覚えがあり、フィーチャーの概要を読んでいると、当時の記憶がまざまざと蘇ります。

この本は、Schiffer Publishingの公式ページから購入できます。参考までに、今回のワタシの購入にかかった送料は約60ドルでした。

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今回はもう一件、sigmaのビンゴ・ピンボール関連のフリーペーパー「HOW TO PLAY BINGO 得がたい愉しみのために。」を取り上げておきます。

これは過去に何度も記事にしようと思っていたネタですが、製作にお金をかけたと思われる割りにはあまりバエない内容で、さらに頒布された時期が特定できなかった(おそらく1980年か1981年ころ、早ければ1975年、遅くとも1978年には頒布されていたものと思われる時期か(2022.1.15訂正)、少なくともsigmaがICビンゴを本格的に展開する以前のもの)ため、一つの記事に仕立て上げるにはネタとして弱く、かと言って何もしないでいるのも惜しい、鶏肋となっていました。

そこで、今回はお正月に因んで、このフリーペーパーのスキャンデータ(PDFファイル(8.07MB))を、拙ブログをご高覧くださる皆様にお分けするお年玉企画を思いつきました。ご希望の方は、本文最後の応募方法に従ってeメールでご応募ください。

【サンプル画像】(PDFでは片側1ページの解像度は1586*2000です)


表紙と裏表紙


見開き2~3ページ

見開き4~5ページ


見開き6~7ページ

見開き8~9ページ


見開き10~11ページ


見開き12~13ページ

【応募方法】
①受付期間:2022年1月15日(土)まで。
②申し込み方法:eメールでのみ受け付けます(そのメールにPDFファイルを添付して返信します)。
  ・宛先: nazox2016@yahoo.co.jp (@は半角に書き換えてください)
  ・タイトルに「HTP BINGO PDF希望」と記入する。
  ・本文には、拙ブログへのご意見、ご要望、ご感想など(必須ではありません)。
③申し込みはお一人さま1通でお願いいたします。複数必要な場合は複製してください。
④返信は順次行いますが、場合によっては1週間ほどお待ちいただく可能性があります。
⑤ルールに従っていただけない場合はお分けできないことがあります。ご了承ください。

みなさまのご応募をお待ちしています。

最後にもう一度、今年も一年よろしくお願いいたします。


初期の国産ピンボール機:エクスプローラー(セガ、1972)【在庫整理】

2021年12月12日 18時48分19秒 | ピンボール・メカ

拙ブログでは、「初期の国産ピンボール機」シリーズの中で、EM時代のセガ製ピンボール機のうち、これまで「カーニバル」(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール機:カーニバル(セガ、1971)と「サッポロ」(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール機:サッポロ(セガ、1971)の二機種を採り上げてきました。

IPDBによれば、セガのEMピンボール機は全部で9機種ありますが、残念ながらワタシの手元には「ウィナー(1971)」、「クレイジークロック(1972)」、それに「ロビンフッド(1972)」の3機種のフライヤーがありません。既に採り上げた2機種を除くと、残っているのは「エクスプローラー(1972)」、「サーフィン(1972)」、「アリババ(1973)」、「ギャラクシー(1973)」の4機種です。

しかし困ったことに、これら4機種のうち、ワタシが実際に遊んだことがあるのは「アリババ」のみで、他の3機種については実機を見た記憶すらありません。ことほど左様に、当時のピンボール市場におけるセガ製品のシェアが小さかったということなのだと思いますが、それはともかくとして、語るものがなくともフライヤーをウェブ上に残してはおきたいので、【在庫整理】と謳っておこうと思います。

◆エクスプローラー(Explorer 1972)

*画像は、ブログのシステムが推奨するサイズでなるべく大きく表示できるよう、2分割、または4分割されています。

フライヤーの表面。右側の2/5の部分は折り返しになっている。宇宙飛行士の宇宙服のデザインは、1968年に制作された米映画「2001年宇宙の旅」がモデルであるように見える。[上下二分割]

折り返しを開いたところ。プレイフィールドの画像とゲームの説明が現れる。[上下左右4分割]

折り返し内のプレイフィールド部分のアップ。 [上下二分割]

画像:裏表紙。 [上下左右四分割]

筐体の主要部分の拡大図。当時のゲーム料金の相場が30円であったことがわかる。

バックグラスの拡大図。フライヤーの宇宙飛行士は現実感のあるデザインだったが、バックグラスの宇宙飛行士は科学的な見地からの突っ込みどころが多そうなデザインになっている。

今回の在庫整理は以上です。


「Boozometer」(Sega, 1960年代?) 元祖電流イライラ棒?

2021年07月11日 13時33分29秒 | ピンボール・メカ

1971年か、その前後1年のいずれかのことだったと思います。両親に連れられて長野県にスキーに行ったとき、宿の近くの食堂に、いくらかのゲーム機が設置されていました。そこには、10円玉で稼働し10円玉を払い出すセガのスロットマシンや、おそらくこれも現金のペイアウトがあったと思われる「ウィンターブック」の他に、今回取り上げる「Boozometer」という機械がありました(関連記事:セガのスロットマシンに関する思いつき話)。

Boozometerのフライヤー。

この機械がいつ頃作られたものなのかはよくわかりません。ワタシが持つ1966年のセガの価格表(関連記事:セガ・エンタープライゼス@1966)にも、1972年の価格表にも、その名前はありません。ネット上を調べると、「1960年代」としているところや、「左上の人種差別的な描画(注:「人食い人種」が白人を火にかけている絵)から、遅くとも1970年以降と言うことはあるまい」と述べているウェブサイトなどがみつかり、これらに加えてワタシの記憶から、やはり60年代の機械と判断しておくのが、現段階では妥当かと思われます。

このゲームは、先端が輪状の電極となっているハンドルを、上下に波打つレールに触れないように、右端から左端までなるべく遠くまで運ぶことを目的としています。原理は単純で、ハンドルがレールに触れると通電してゲームオーバーとなる、というものです。筐体には「SOBRIETY TEST(飲酒テスト)」という文言とともに、スパークリングカクテルと思しきグラスの絵が描かれています。おそらく、バーなどで酔客が自分の酔っぱらい加減を診断する遊びに使う事を示唆しているのでしょう。

ゲームのスタート地点となる部分は厚いビニールの筒で包まれており、レールとハンドルを絶縁しています。ゲームを始める際には、まず最初にハンドルをこのスタート地点に戻しておく必要があります。 ワタシはそのことに気づかず、ハンドルがスタート地点に戻っていない状態で10円硬貨を入れてしまい、硬貨を投入した途端に「チン!」とベルが鳴り即ゲームオーバーとなって貴重な小遣いを失ったという、苦く、忘れられない思い出があります。

スタート地点のアップ(上)とインストラクション(下)。「コインを投入する前に、ビニールの筒で包まれている部分(緑矢印)にハンドルを戻しておくこと」との注意書きがある。ワタシはこれに気づかず(と言っても当時は英語を解していなかったので読んでもわからなかった)に遊ぼうとしたが、ハンドルはレール上の赤矢印の部分にあり、貴重な小遣いを何もせぬうちに失ってしまった。

今フライヤーを読むと、「最後まで到達するとリターンコインボタンを押すことで投入したコインが戻ってくる」と書いてあります。ワタシは最後まで行ったことがないのでそんなフィーチャーがあるとは知らなかったのですが、それはいいとして、最後まで到達したことをどうやって判断しているのかが謎です。フライヤーの筐体を見ても、特にフィニッシュを判断するような仕掛けがあるようにも見えません。

フライヤーに書かれている製品の説明(左)と、レールの最後の部分(右)。どうやって最終段階の「SUPER・MAN」に達したことを検出していたのだろう。

 1990年代のTV番組で「爆裂電流イライラ棒」というゲームが流行りました。SNKはこれを1996年に「ウルトラ電流イライラ棒」と言うタイトルでアーケードゲーム化し、さらに翌年にはビデオゲーム版も開発されました。ワタシは残念ながらそのフライヤーを持っていませんが、調べているうちに筐体の画像と詳しい説明が記述されたウェブサイトを発見したので、どんなものかを知りたい方はこちらをご参照ください。 ウィキペディアによれば、「爆裂電流イライラ棒」の考案者は番組ディレクターの三木康一郎さんとされています。この方は1970年の生まれだそうですが、果たして「Boozometer」の存在をご存じだったのかどうか、お伺いできるならしてみたいものだと思います。


初期の国産フリッパー・ピンボール機:サッポロ(セガ、1971)

2021年07月04日 20時34分14秒 | ピンボール・メカ

新宿駅南口の広場で、最新式のピンボール機を多数展示して自由に遊ばせるというイベントが行われているところをたまたま通りかかり、近くにあった1台を見ると、筐体の右半分はビデオモニターでエレメカ時代のフィーチャーを再現し、左半分がメカのプレイフィールドとしているかつてない形式の最新機種で、ワタシが見たのはセガの「サッポロ」のリメイクでした。

・・・と言う夢を見たのが先週の水曜日でした。現実に戻って思い返すと、夢の中の「サッポロのリメイク」は実在する「サッポロ」とは似ても似つかず、そもそもピンボールにすらなってない機械のはずなのですが、夢の中ではそれは確かに「サッポロのリメイク」だったのです。とまあそんなことがあって、今度のブログのテーマはセガの「サッポロ」にしようと決めました。

A3判を二つ折りにして4ページにしてあるサッポロのフライヤーの表紙側(上)と、中側(下)。

重要部分の拡大図。

セガは、1971年から1973年までの3年間に9機種のEMピンボール機を売り出しており、「サッポロ(SAPPORO)」は、そのうちの最初期である1971年に発売された3機種のうちの一つです。フライヤーの表紙に「冬季オリンピック記念フリッパー!!」とある通り、翌1972年に札幌で開催される、日本での二度目のオリンピック(冬季)にぶつけた企画だったことは明らかです。

「サッポロ」のプレイフィールドには、二つのウィンタースポーツをテーマとしたフィーチャーがあります。一つは「スラローム(アルペン競技の回転)」で、フィールド左上の穴に入ったボールはリフターで持ち上げられて左側のスラロームレーンを滑降します。

スラロームレーン。

もう一つは「スキージャンプ」です。レーンを遡ったボールが「SKI JUMP」と書かれたロールオーバーボタンを押すと、レーンに仕込まれた「ジャンプ台」を左のフリッパーボタンで操作できるようになります。レーンを下ってくるボールのタイミングを見計らってジャンプ台を跳ね上げると、ボールの飛距離が伸びてより高得点のロールオーバーボタンを踏めるようになります。

スキージャンプレーン。


ワタシは過去記事「「パンチング・バッグ」(sega, 1962)のフライヤーから思ったこと」で、「セガは昔から「何か一つヘンなことをしないと気が済まない」という性状があり」と述べていますが、このスキージャンプもその例の一つと言えましょう。「何か一つヘンなこと」は、その後のセガのピンボール機のほとんどに見られます。

また、この「サッポロ」には、2ボールのマルチボールフィーチャーがありました。マルチボールを初めて採り入れた機種がなんであるのかはまだ調べていませんが、71年の時点では珍しいフィーチャーでした。マルチボールとなっている時にスラロームレーンにボールを通すと、エクストラボールのチャンスとなりました。

ところで、フリッパー・ピンボールには「ナンバーマッチ」というフィーチャーがあります。これは、ゲーム終了後にバックグラスに表示される一桁(または二桁)の数字が、得点の下一桁(または二桁)と一致すると1回フリープレーとなるもので、下手なプレイヤーにとってはありがたい最後の望みした。しかし、EM機時代のセガのピンボールにはこれが装備されていませんでした(76年以降、SS機になってから装備されたが、それも「ヘンなこと」と言える変則的なルールだった)。そのため、ワタシにはセガのピンボールはソンだという印象があり、あまり多くは遊んでいません。でも、「サッポロ」は、当時珍しかったマルチボールと言うフィーチャーがあったのと、楽しみにしているオリンピックテーマと言うこともあって、比較的良く遊んだ機種でした。

思えばこの頃の日本はまだ夢と希望に溢れており、オリンピックも純粋に楽しめたものでした。ワタシはスポーツ観戦オタク(関連記事:RIO五輪に因んだ(こじつけた)スロットマシンの話)であるので、今回の東京五輪が決まった時も楽しみだったのですが、エンブレムの盗作騒ぎから始まり、スタジアムのデザイン変更やどんどん増える開催費用といった騒ぎを見るにつけだんだんとこの五輪の意義に疑念が生じ、このたびのコロナ禍でも強引に開催させようとする政治家たちの言動に呆れ切っており、今回の五輪は観なくてもいいやと思うようになってきてしまいました。東京五輪、ホントにやるんですかね。


初期の国産フリッパー・ピンボール機:カーニバル(セガ、1971)

2021年02月14日 17時35分53秒 | ピンボール・メカ
日本で、ポップバンパー(関連記事:ピンボールのアートワークの話(番外):Gottliebのもう一つの独自性)を備えた本格的なフリッパー・ピンボールが登場するのは、1971年セガが製造した「ウィナー」、「カーニバル」、「サッポロ」の3機種からです。今回はこれらの中から「カーニバル」のフライヤーをご紹介いたします。




セガ「カーニバル(1971)」のフライヤーの、表紙(上)と裏表紙(下)。

表紙は、ページの半分ほどの幅で見開きとなるように折り畳まれています。その部分を開くと、筐体の画像と遊び方の説明が現れます。


フライヤーの折り畳まれた部分を開くと、筐体と遊び方が見開きで現れるが、開かれた外側に書かれている、表紙側の「パチンコの」に続くコピーが見えなくなるので、この画像だけでは構成が間違っているかのように見える。

バックグラスの右側にはパチンコのような装置があります。「インターネット・ピンボール・データベース(IPDB)」では、このようなフィーチャーを「バックボックスのバガテル(bagatelle in backbox)」と呼んでおり、60年代半ばから終わりにかけての米国製ピンボール機では時々見られる機構でした。また、筐体部分をよく見ると、1971年当時のゲーム料金は、1ゲームは30円ですが、50円硬貨を投入すると2ゲームできるのが相場であったことがわかります。



見開きの筐体部分の拡大図。画像は、なるべく大きく表示できるよう上下に2分割してある。



見開きのプレイフィールド部分の拡大図。こちらもなるべく大きく表示できるように上下2分割してある。

この「カーニバル」に限らず、70年代のセガのポップバンパーは、米国製の一般的な機構とは一線を画す、かなり特殊な造りをしていました。どういう造りになっているのか、今でもよく理解できません。セガと似た外見のポップバンパーは、関東電気工業が1972年頃に製造した「Tarkey Bool」(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)にも見られますが、これがどこまでセガのものと同じだったのかはわかりません。


左がセガのポップバンパー(画像はIPDBの「カーニバル」より)、右が一般的なポップバンパー。

この時代、ゲーム機が設置されている場所と言えば、商業施設かボウリング場のゲームコーナーが一般的でしたが、セガのピンボールを置いていないロケーションも珍しくなく、ワタシにとってはある意味で希少価値を感じさせる機械でした。