オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

データイーストのメダルゲーム「オーシャンツウオーシャン(Ocean to Ocean)」

2018年05月27日 22時47分07秒 | スロットマシン/メダルゲーム
かつて、「データイースト(DECO/デコ)」というゲームメーカーがありました。創業は1976年とのことで、確かに言われてみれば、日本でビデオゲームが発達していく過程のかなり早い時期から業界で活躍していたことを思い出しますが、過去記事「それはポンから始まったのだけれども(5) ポストインベーダーの頃」では、不覚にもこの会社の名前を挙げておくのを忘れてしまっておりました。

データイーストは、1986年にピンボールに参入したり、1996年には「スタンプ倶楽部」をヒットさせるなど、メカが伴うコインマシンにも手を出していましたが、本業はやはりビデオゲームメーカーだったと思います。今回は、そのデータイーストの、ワタシが知る限り唯一のメダルゲーム(注)である「オーシャンツウオーシャン」(Ocean To Ocean、1982? 1980)に絞って述べておこうと思います。

オーシャンツウオーシャンのフライヤーの表と裏。

ワタシはこのゲーム機を初めて見たのは、おそらく1982 1980年頃、自由が丘の「プリンス」というゲームセンターでした。そしてこれは、ワタシが初めて見る「9リール8ライン」のビデオスロットでした。

「9リール8ライン」と言えば、1983年にsigmaが発売した「スーパー8ウェイズ」(関連記事:ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(5) sigma、ネバダのゲーミング市場に参入
があまりにも有名ですが、実はそれよりも先に、データイーストが同コンセプトのゲームを出していたことはどれだけ知られているでしょうか。

sigmaの「スーパー8ウェイズ」。発売開始は1983年で、オーシャンツウオーシャンよりも少なくとも1年程度は遅く出ている。

当時のデータイーストに、メダルゲームを開発するノウハウがどの程度あったのかは全くわかりません。米国バーリー社の筐体を流用しているように見受けられるところから、あまり資本力のない、どこか野心を持つ無名のメーカーが作ったものをデータイーストの名前で売り出したという可能性も感じますが、今のところその真相を知る資料は私の手元にはありません。

「オーシャンツウオーシャン」の最大のメダル払い出し枚数は、全てのリールに「7」が揃った場合の6800枚とされていますが、これは、プレミアムというものが殆ど無いと言っても良いオッズです。すなわち、「7の3並び 300×8ライン=2400」+「ビンゴ役 200×21種類=4200」+「ジャックポット役 200×1=200」=6800という計算です。
これに比べてsigmaの「スーパー8ウェイズ」は、全て「7」が揃うと10万枚を謳っており、プレイヤーに与えるインパクトは文字通り桁違いです。こんなところからも、データイーストのメダルゲームのセンスには疑問を覚えます。

「オーシャンツウオーシャン」は、いくらかのロケーションで見られる程度には普及したように思いますが、データイーストがその後も継続してメダルゲームを開発するという事はありませんでした。

(注)ひょっとしてデータイーストは、「ジャックロット」(関連記事:メダルゲーム「TV21」(ジャトレ・1977)の謎)というメダルゲームを扱っていたような覚えも無きにしもあらずなのですが、確信が持てません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただけますようお願い申し上げます。

【お知らせ】繁忙期につきお休みをいただきます。

2018年05月21日 00時11分55秒 | その他・一般
ただいま、年に数回ある繁忙期のため、今週の更新はお休みとさせていただきます。
来週には再開する予定でおります。なにとぞご了承ください。


特に意味はありませんが、写真は1988年に制作されたsigmaのカジノ向けフライヤーの表紙。

初期の国産メダルゲーム機(7) ユニバーサル その2b

2018年05月13日 15時27分42秒 | 初期の国産メダルゲーム機

今回は、余談が多くてつい長くなってしまったユニバーサルの初期メダルゲーム機シリーズの最終回です。

◆ビッグアンドスモール(Big & Small, 1976) 
ユニバーサルの会社案内では昭和50年(1975年)の発売とされていますが、「アミューズメント産業」誌では1976年4月号に広告が掲載されています。


アミューズメント産業1976年4月号に掲載されたビッグ&スモール(旧)の広告。

また、この機種はなぜかすぐにバージョンアップを行っており、前作の広告が掲載されたわずか4か月後に刊行されたアミューズメント産業76年8月号に、その広告が掲載されています。


アミューズメント産業1976年8月号に掲載されたビッグ&スモール(新)の広告。

ここでは便宜上、バージョンアップ前を「旧」、バージョンアップ後を「新」と呼ぶことにしますが、「旧」も「新」も、タイトルは同じです。「新」の方のタイトルに、「NEW」などのバージョン違いを示すような言葉は付いていません。しかし、筐体の写真を比較すると、微妙に異なる部分があります。




「旧」の筐体(上)と「新」の筐体(下)。

「旧」では、向かい合ったサテライトの境が緑色の平面であるのに対し、「新」ではインストラクションが描かれた仕切りのようなものが追加されています。さらに、コントロールパネルの色合いも異なるので、さらに詳しく見てみました。




「旧」のコントロールパネル(上)と「新」のコントロールパネル(下)。

最大の違いは、「新」には、「旧」には無かったクレジットメーターが付いている点です(コントロールパネル上では「手持ちメダル枚数」と既述されている)。さらに、「大または小への賭け」が、「旧」ではメダル5枚までしかベットできない仕様であったものが、「新」では二桁の7セグ表示器が付いており、99クレジットまでベットできるようになっています。さらに言えば、新では緑色のクレジット払い出しボタンが装備されています。

「ビッグ・アンド・スモール」では、ゲームで獲得された配当はすべてクレジットで払い出され、メダルに換えたい場合はこの払い出しボタンを押す仕様になっていました。ただし、インストラクションには、「ゲームの配当を払い出している最中にクレジット払い出しボタンを押すとメダルが必ず少なくなる」という趣旨の注意が記載されておりました。国産のメダルゲームでクレジット機能を搭載したのは、この機種が初めてだったような気がします(間違いがありましたらなにとぞご指摘ください)。これは非常に画期的なことでしたが、しかし、まだ完成形とは呼べないレベルであったことがうかがわれます。

ところで、アミューズメント産業誌に掲載された「新」の宣伝コピーが、今では信じられないセンスをしています。面白いので、この部分をアップでご紹介しておこうと思います。



アミューズメント産業76年8月号に掲載された[新」の広告のうち、コピー部分の拡大図。前半の、突っ込みたくなるところ満載の小芝居ぶりもさることながら、後半のバカ正直にも出目の操作を行っていると言っているかのように読める部分があるなど、今の常識でみると眩暈がしそうなセンスである。

カジノで行われている本来のビッグ・アンド・スモールでは、3個のダイスが同じ目であった場合、大、または小の賭けについては親の総取りの目となります。そのような目の発生確率は本来は1/36ですから、控除率は2.8%となるはずですが、「より多く賭けられておる方から約2割ほどの確率をいただく」と述べているところから、このゲームはすべてがナチュラルディールで行われていないことが察せられます。

◆キング・オブ・キングス(King of Kings, 1977)

ユニバーサルからもう一機種、「キング・オブ・キングス」を記録しておきたいと思います。このゲーム機は、「ビッグシックス」というカジノのゲームを、物理的な回転盤とボールで行うように改変したものと言って良いものと思います。類似のゲーム性を持つものとしては、日本初の国産メダルゲーム機であるとワタシが考えているセガのファロ(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)が既にありましたが、抽選方法を物理的に行うことによって、インチキ臭さを感じさせないゲームにしようとしたのではないかと推測しています。また、このゲームでは、ホイール上の目がルーレットのように「赤/黒」に塗り分けられており、数字に直接ベットするだけでなく、赤または黒の目にベットすることができました。これは、ファロにも、あるいはその類似品であるコナミの「ピカデリー・サーカス」にもなかった賭け方です。


「アミューズメント産業」77年6月号に掲載された「キング・オブ・キングス」の広告。

ワタシはこの機械を、「ゲームファンタジア渋谷」(現・アドアーズ渋谷)で見ていますが、他のロケで見た覚えがほとんどありません。機械動作部分が多いので、ファロなどと比べれば高価であったろうことは想像ができますし、また故障の問題もあったのではないかと思います。しかし、この機械に強いインプレッションを感じた人もいたようで、大阪・天王寺にあるゲームセンター「かすが娯楽場」では、このゲームのロゴや回転盤のデザインを取り入れた看板を作成し、店頭に誇らしげに掲げており、それは今も残っています(関連記事:かすが娯楽場(大阪)の記憶



かすが娯楽場のエントランスと、「キング・オブ・キングス」のロゴを掲げた光看板。
(このシリーズ・おわり)


ラスベガスから戻りました。

2018年05月06日 18時44分39秒 | その他・一般
このゴールデンウィーク、ラスベガスに7泊9日で行って参りました。何の告知もしないまま出発し、その間更新が滞ってしまいました。申し訳ありません。

ワタシは普段、ラスベガスで宿泊するホテルは、ボイド系列かステーション系列しか利用しないのですが、今回は例外的に「ダウンタウングランド(旧レディラック)」に3泊しました。ここのセルフパーキングは、カジノのある宿泊棟とオグデン通りを挟んだ向かいにあるのですが、そこに向かう途中の歩道上で、紙幣のようなモノを拾いました。広げてみると、50ドル札のように見えます。



ダウンタウングランド前の歩道上で拾った紙幣のようなものの表と裏。

50ドル札とは珍しいと思って眺めてみると、しかし、肖像が、口をへの字に曲げ、しかめっ面をしていて、紙幣のデザインにふさわしくない表情に見えます。

ひょっとしてニセ札??

それにしても、ニセ札を作るなら100ドル札であろう。最近は警戒が強まったから50ドル札にするようになったのか。などと言いながら、同行者が持っていた、日本の銀行で両替していた50ドル札の真券と比較したところ、やはり顔の表情が微妙に違います。そしてよくよく見ると、表裏ともに「MOTION PICTURE USE ONLY」の文字がありました。つまりこれは、映画の撮影で使われたもののようです。今後、アメリカ映画で紙幣が出てくるシーンがあったら、よく見てみようと思います。

次回の更新は5/13(日)ごろの予定です。よろしくお願いいたします。