goo blog サービス終了のお知らせ 

オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

先週見てきたPlayer1とPinball Hall of Fameの様子を少し

2025年03月16日 21時37分23秒 | ロケーション

3月4日から13日まで、ラスベガス巡礼の旅に行って参りました。旅の記録は今後「新ラスベガス半生中継」として別途アップしますが、一足早く、今回の巡礼で回って来たアーケードゲームのロケを記録しておこうと思います。

【PLAYER 1】

関連記事:レゲエファン必見!「PLAYER 1」(ラスベガス)その1

昨年10月にも訪れているバーケイド、「Player 1」を再訪。前回は見逃したカウンターに座ってみたところ、カウンターにはコンピューターゲームの歴史がびっしりと描かれています。

ビデオゲーム自体は1962年には登場していたが、商用となると1971年のコンピュータースペースが最初とされている。そして1972年、今も熱烈なファンが大勢残る伝説的なゲームメーカー、ATARIがノーラン・ブッシュネルによって創立される。

ATARIの登場以降、ビデオゲームが瞬く間に世界中に広がるが、右下にはビデオゲームではないセガの「HELI-SHOOTER」(1977)のフライヤーが見える。

1978年に登場したタイトーのスペースインベーダーは「1982年時点での売り上げ38億ドルは当時の娯楽製品の最高だった。これにより世界中で25セント貨が不足した」と解説されている。日本では100円硬貨が払底したという都市伝説関連記事:それはポンから始まったのだけれども(4) Space Invaders invaded Japan in 1988-1989があるが、米国でもそんなことがあったのだろうか。開発者の西角氏の姿も見える。

1980年にはナムコのパックマンが席巻した。開発者の岩谷氏がパックマンのモチーフとしたピザを食べている。

ラスベガスはどこもかしこも物価が高いが、レトロゲームが大好きそうなオーナーへのお布施のつもりでホットドッグ2個とクリームソーダ。およそ$13。

店員さんはメガネっ娘のコスプレイヤー。

 

【Pinball Hall of Fame】

ラスベガスに来たら一度は行きたいPHoF。今回は子供連れも多く、そう言えばワタシはここに来るたびにノスタルジーに浸っているけど、この子供たちにはまだそんな思い出など形成されていないわけで、ワタシとはまた違った感覚で遊んでいるのだろうなあと思いました。それでも子供のうちにピンボールに触れる機会があることは実に良いことで、最近の日本ではピンボールで遊んだことが無いどころか知らないと言うナウなヤングまでいるのは実に嘆かわしいことです。

今回のPHoFでは、今まで本でしか見たことが無かった「Lady Robin Hood(Gottlieb, 1948)」がプレイヤブルな状態でありました。

今回PhoFに設置されていたLady Robin Hood。得点表示がリールではなく、バックグラスに電光で行っている。

Lady Robin Hoodのフリッパーは、現代のピンボールとは違って、ボールを下から上へ弾き返すのではなく、上段、中段、下段のそれぞれの左右に配置された全部で6個のフリッパーが、反対側サイドに弾き返すように設置されています。

Lady Robin Hoodのプレイフィールド。フリッパーは現代の機械とは異なる位置に設置されている(矢印)。

 

この感動的な事実をSNSでつぶやいたところ、拙ブログでお馴染みのカナダのCaitlynが、「このプレイフィールドは『Humpty Dumpty』と同じ」と教えてくれました。Humpty Dumptyが初めてフリッパーを備えたピンボールとされていることは本で読んで知っていましたが、まさかそれに準じるゲームを遊べる日が来るとは想像もしていませんでした。

画像:Humpty Dumptyのプレイフィールド(Pinball Internet Data Baseより)。一部のキックアウトホールの数や一部パッシブバンパーの形状など、Lady Robin Hoodとは若干の差異はあるが、基本的にはほぼ同じ構成。

今回のPHoFには、40年代~50年代のボールシューターに手動でボールをロードするピンボール機を集めた一角がありましたが、プレイヤブルだったのはこの「Lady Robin Hood」と「Lazy Q(Williams, 1953)」の2台のみでした。遊べないことはもちろん残念ですが、実機を見られるだけでも眼福と言うものです。

ただ、PHoFでは機械の入れ替えが頻繁に行われており、また前は稼働していたのに今回は稼働していないという機械も少なからずあり、次回行ったときにも稼働できる状態で残っているとは限りません。やはりここは一期一会の精神で、ラスベガスに行ったら必ず一度は立ち寄って見逃しのないようにしたいものです。


レゲエファン必見!「PLAYER 1」(ラスベガス)その2

2024年12月15日 19時16分42秒 | ロケーション

前回の続きで、設置してある機種のごく一部をご紹介します。

◆ATARI

Le Man(1976年)。このタイトルは何と読むのかわからなかった。今見ると牧歌的と言っても良い、なぜこんなゲームが面白かったんだろうと思うドライブゲームだが、当時は大ヒット作品だった。

Asteroids(1979)。ワタシは下手だったのであまりのめり込まなかったが、これも大ヒットし、ATARIの代表作の一つとなった。オマケの「Star Wars」は1983年。

Centipede(1981)。日本ではあまり流行らなかったが、アメリカでは今もビデオゲームが置いてある所にはこれ、もしくは「Milipede」がほぼ必ずと言っていいほど置いてある超定番機種。

720°(1986)。「2回転」を意味するタイトルは、スケートボードで技を決めるゲームであるため。回転操作しかできないジョイスティックは唯一無二だった。日本にはごく少数しか入ってきていないのは時代が早すぎたのか。

APB(All Point Bulettin)(1987)。パトカーで街を走行し、違反者を見つけて取り締まる。アメリカのパトカーのような筐体はカッコ良かったが、これも日本にはあまり多くは入ってきていなかったと思う。

Toobin(1988)。大きなタイヤのチューブに乗って川下りをする(チュービング)。これもやはり日本にはごく少数しか入ってきていないが、この頃のATARIはいわゆる「バカゲー」が多かったと思う。

S.T.U.N. Runner(1989)。ニチブツの「チューブパニック(1984)」からシューティング要素を除いたようなレースゲームで、日本ではそれほどヒットしなかったが、「コインいっこいれる」の名セリフで超有名タイトルとなった。

◆SEGA

Carnival(1980)。ワタシもかなり遊んだが、凡庸なゲームとの印象しか残っていない。一体何が楽しかったのだろうと今では不思議にさえ思うのだが、遊んでみると当時の心象が蘇ってきて、良い。

Pengo(1982)。過去記事「セガが破格の扱いを行ったビデオゲーム(1)「ペンゴ」(1982)」で触れたように、日本では「名作」と評価されているのにアメリカではあまり聞かなかったように思っていたが、ちゃんとアップライト筐体で輸出されていたのだなあ。

Zaxxon(1982)。斜めスクロールシューティング。斜めスクロールは高低がわかりにくく最初は手間取ったが、弾を発射して着弾点で高度を確認する技を覚えてからはそこそこ遊べるゲームとなった。Zaxxonはアメリカで大ヒットし、コンシューマやPCに移植されるだけでなく、「スーパーザクソン」や「フューチャースパイ」の続編も出た。

◆NAMCO

New Rally X(1981)。ナムコのゲームはパックマンシリーズほか多数あったが、最も衝撃を受けたのがこれだった。なんと画面縦使いで、英文も縦書き! 確かにゲームとしては縦横関係なくできるはずなのだが、90度回転するだけで激ムズになった。

◆SNK(新日本企画)

Vanguard(1981)。実に40年以上ぶりの再会! 今回のPLAYER 1探訪の最大のハイライト! 過去記事「1981年の新日本企画」でも触れたが、背景が縦、横、斜めにスクロールするシューティングで、前後左右4方向に弾を発射する孤高のゲームシステムで、往事はそこそこ上手にできたのだが、今は1面クリアさえできなくなっていた。

◆TAITO

Jungle King(1982)。ワタシの印象では、この頃のタイトーのビデオゲームは「粗製乱造」の時代だった(繰り返しますが、あくまでもワタシ個人の印象です)。Jungle Kingもその一つで、相当に単純なプラットフォームゲームだった。しかしそれでもワタシは懸命にプレイしていたおめでたいプレイヤーで、BGMは40年以上を経た今でも時々脳内で繰り返し再生される。左隣の「RYGAR」は、テクモの「アルゴスの戦士(1986)」のこと。

◆Bally/Midway

Tron(1982)。過去記事「TRON(Bally/MIDWAY, 1982)」でも触れたとおり、史上初のCG映画を謳った「TRON」をゲーム化したもの。ビデオゲームとしてはそれほど面白いものではないはずなのだが、映画の成功も手伝ったのか、そこそこヒットしたようだ。日本では大阪の「シルバーボールプラネット」で絶賛稼働中だが、ここで現存が確認できる2台目の発見となった。
なお、筐体の上の壁には映画に登場する「認識装置(Recogniser)」のネオンサインまで設置している。オーナーが熱烈なTRONファンなのかもしれない。

Recogniserのネオンサイン。

今回ご紹介したのは、繰り返しますが、設置されている機種のごく一部です。数十年の時を挟んで対峙すると、昔遊んだビデオゲームに当時の感覚がまざまざと蘇ります。それはカーペンターズの名曲「Yeterday Once More」の歌詞にあるように、全ての絵が、音が、今も輝いています。レゲエファンなら、ラスベガスに行かれる機会があればぜひ立ち寄るべき名スポットでした。


レゲエファン必見!「PLAYER 1」(ラスベガス)その1

2024年12月08日 18時30分58秒 | ロケーション

今年も1回だけとは言えラスベガスを巡礼することができ、その様子は「新ラスベガス半生中継2024年」として10月20日より6回に渡って記録しておりました。それらの中から、今回は「DAY 3:例によって(主に)ゲーセン巡り+Sphere」でご紹介した、レゲエファンなら必見のロケーション「PLAYER 1」を、2回に分けて少し詳しくご紹介しておきたいと思います。

「PLAYER 1」は、ストリップ大通りの東を南北に並行するメリーランド通り沿いの、サハラ通りに近いところにあるマーケットプレイスの一角にあります。

地図右上の赤い星が「PLAYER 1」の所在地。黄色の線がメリーランド通り、赤い線がストリップ大通り。

メリーランド通りから見たPLAYER 1(赤矢印)。知らないと見過ごしてしまうが、マーキーの「OFFICE DEPOT」が目印になるかも。右奥にはストラト(旧ストラトスフィア)のタワーが見える。

「PLAYER 1」の外観と入り口.

 

「PLAYER 1」は、「我々はビデオゲームとクラフトビールの二つに情熱を注ぐ」と宣言する、いわゆる「バーケード」です。酒場なので、21歳未満は入場できません

場内のゲームは、アーケード、コンシューマー共にほとんどは無料で遊べますが、1人$8の入場料がかかります。それにしても、安いものです。入り口で受け付けしてくれたのは、この時はセーラー服を着て女子高生のコスプレをしたおねえさんでした。ひょっとするとアニメかゲームのキャラのつもりだったのかもしれませんが、詳しいことはわかりません。ただ、この店はコスプレに寛容(というかむしろ推奨?)なので、日本のガチのコスプレイヤーがガチの装束で行けば、ウケるかもしれません。

画像の右側にセーラー服のおねえさんがいて、突き当りのガイルが向いている方向に進むと場内に繋がる。良い画像でないのが悔やまれるが、どうせ次回また行くからいいとする。

場内は概して暗いですが、思えば昔の日本のゲーセンもこんな感じでした。これにはゲームに光が写り込んで見えにくくなることを防ぐという実利もありましたが、ゲーム機のビルボードなどの照明が幻想的で美しく見える効果もありました。

ピンボールエリア。こちらはお金を入れて遊ぶ。ピンボールは新しいSS機しかないのが少し残念だが、それはPHoFに行けば済むから良いとする。

場内には多数のビデオゲームがあり、クレジットを入れるボタンを押して好きなだけ遊べる。ハロウィンが近いので、筐体にクモの巣を模した飾り付けが行われているものが多かった。

コンシューマ機器エリア。任天堂、セガ、ATARI他いろいろなコンソールが揃っていてタダで遊べる。

バーエリア。カウンターの前にも大型モニターがあり、飲みながらCS機が遊べる。

「PLAYER 1」がこだわるクラフトビールのタッパー。毎週入れ替えが行われているとのこと。別途缶ビールもある。値段は、最も安くて$6から、多い価格帯は$7~$10と、安くはないが、バカ高いわけでもない。

バーエリアでゲームに興じるご婦人二人。

画像が多くなったので今回はここまでとして、設置されているビデオゲームタイトルは次回にご紹介します。1980年代初頭頃からのレトロゲームが多く、日本ではもうどこでも稼働しているまいと思えるタイトルがたくさんあり、レゲエファンなら一日過ごせそうです。


【小ネタ】四国プチレゲエ紀行

2024年06月30日 20時41分56秒 | ロケーション

今週末はいろいろ予定で埋まっており、本日もつい先ほど帰宅いたしました、そんなわけで今回は小ネタで凌がせていただきます。

実は昨年11月、女房とともに徳島県の親戚の家に行きました。せっかく四国に行くのであれば、ご当地のレゲエスポットはないかと探してみたところ、徳島県の「徳島ゲーセンリバース」と、香川県の「エレメント」の2軒がヒットしました。

まず「徳島ゲーセンリバース」は、かねてよりSNSで存じ上げておりました。我々が逗留する徳島駅近辺からはやや遠く、車で小一時間かかります。しかしながら、決して恵まれているとは言えない環境でレトロゲーセンをやって行こうというオーナーの心意気に感じ入り、この機会に訪問することにしました。


開店時間直前の「徳島ゲーセンリバース」。ゲーセンらしからぬ地味な建物であるが、周辺環境への配慮などの理由でこのようにせざるを得ないとのこと。


ハウスルールを記した注意書きが入り口にあり、ゲームアーケードであることがわかる。


店内その1。この日、我々は一番乗りで、まだほかに客はいなかった。壁にはイベントカレンダーやランキングが。


店内その2。ゲームの攻略本や、彩京のカタログ集のようなファイルが読める。


店内その3。壁際左端はUPLの「忍者くん 阿修羅の章」。昔はかなりやれたものだったのに、今回はまるでダメダメだった。


店内その4。これはいったい何なのか? 「2200円」と書かれた値札が傍らにあり、欲しい人がいれば売るようにも見える。


設置されているゲーム機はミディ筐体のビデオゲームのみです。設置機種はしばしば変更されることもあるらしいので、公式のSNS(X)を普段からウォッチすることをお勧めします。車が無いと行きにくい場所ですが、どうも健康に不安があると察せられる店主のがんばりには声援を送らずにはいられません。

徳島ゲーセンリバース:徳島県阿南市那賀川町上福井南川渕134-42

もう一軒、香川県の「エレメント」もご紹介しておきます。本来は「年齢、性別、国籍に関係なく楽しんでもらえるお店」をコンセプトとする雑貨店ですが、吹き抜けとなっている2Fに、たくさんのレトロゲームが設置してあります。

エレメントの入り口付近。最初、どこから入れば良いのかわからず女房と周辺をうろうろした。

店内は原則として写真撮影禁止ですが、お願いすると記者証のようなものを貸してくれて、これを首から下げていれば撮影しても構わないとのことでした。もちろん、他に人がいる場合は配慮が必要です。


1Fから吹き抜けの2F部分を見上げたところ。子供向けのエレメカ機がたくさんある。


こちらはテーブル筐体コーナー。初代の「ハイパーオリンピック」が2台並んで稼働していた。他には「アルカノイド・リベンジ・オブ・DOH」、「マリオブラザーズ」、アップライトの「ポールポジション」や「ハングオン」など。


子供向けエレメカ機の一部。


タイトーが1989年にリリースした「バトルシャーク」。左はコナミの「リーサル・エンフォーサーズII」。

「バトルシャーク」なんてタイトル、すっかり忘れていて、30年ぶりくらいに思い出させてくれました。

「エレメント」が入る「北浜alley」は、使われなくなった海辺の倉庫街を再生し、2001年に誕生し観光スポットとなっていますので、香川に行かれた折にはここで懐かしいゲームで遊び、帰りに雑貨店でお土産を買って帰るのが吉と思われます。


エレメント:香川県高松市北浜町3-2


名前通り天国のようなHeavenly(埼玉県羽生市)に感謝を

2023年12月17日 18時33分25秒 | ロケーション

Heavenly」は、埼玉県の北東部、群馬県に接し栃木県にもほど近い羽生市にある、極めて特殊なロケーションです。ワタシは昨日(12月16日)、こちらを訪問してまいりました。

赤い点が羽生市の位置。ワタシの家(青い点)からは電車を乗り継いで2時間ほどかかる。

Heavenlyには百数十台のピンボール機があり、全て無料で遊ぶことができます。Heavenlyは風俗営業の許可を得ていないので、お金を取ってしまうと違法な無許可営業となってしまうからです。

実はHeavenlyは、個人のピンボールコレクターが「個人的には無料でもピンボールをやってもらえたら楽しいなぁみたいなフワっとした動機」で始めた(Heavenlyの公式ブログより)という、まさに神様のような篤志家が、これに賛同する天使のようなボランティアスタッフと共に運営している、その名の通り「天国のような(Heavenly)」ロケーションなのです。

ただ、Heavenlyはいつでもだれでも入場できるわけではありません。オープンする日は不定期で、概ね月に1回を目安として予めSNSなどで告知されるので、入場を希望する者はメールなどで申し込んでおきます。

また、Heavenlyはゲーム施設として作られているわけではなく、供給できる電気のアンペア数に限りがあるため、利用者はゲームを終えたら筐体下面の電源スイッチを切り、遊びたいゲームがあれば自分で電源を入れることがお約束となっています。さらに、ピンボール機が並ぶ1列に付き概ね6台までの稼働に留めたいとのことで、稼働中の機械が多いラインは空くまで他のラインで遊んでいるという気づかいが必要です。

Heavenlyの場内。5つのレーンにピンボール機が並んでいる。意外にもピンボール世代には見えない若い人が多く、ご婦人も5-6人見かけた。人がまばらに見えるのには理由がある。この画像には入っていないが古いビデオゲームも若干ある。

Heavenlyに設置されているEM機は、ラスベガスの「ピンボール・ホール・オブ・フェイム」にも無い貴重な台が多く、その点でもまさにHeavenlyなところです。ワタシは昨年9月以来2回目の訪問でしたが、今回もたくさんのEM機を楽しみました。中でも、「Doodle Bug (Williams, 1971)」は思い入れの強い機種で、前回に続いて今回もさんざん挑戦してきました。

Doodle Bug (Williams, 1971)を正面から見たところ。

「Doodle Bug」には、そのバージョン違いを除いて他の機械では採用された例が無い、(拙ブログでおなじみの、カナダのCaitlynよりコメント欄にて1981年にBallyからリリースされた「Fireball II 」にも搭載されているとの指摘をいただいたので削除・2023.12.23)Doodle Bug Feature」という特異なフィーチャーがあります。これは、プレイフィールド中段にある5つのターゲットのうち中央のターゲットにボールを当てると、プレイフィールドの下に埋め込まれているキャプティブボール(封入されていてプレイフィールドには出てこないボール)が上下に往復運動を始め、キャプティブボールの通路中央にあるボタンを踏むたびに得点が得られるフィーチャーです。キャプティブボールの往復運動は、プレイフィールド上の「STOP DOODLE BUG」ボタンを踏むか、ボールが中段左右のロールオーバーを通過するか、またはボールがアウトになるまで延々と続きます。

プレイフィールド中段に埋め込まれている「Doodle Bug」フィーチャーとその周辺。5個あるターゲットのうち中央にボールを当てると、キャプティブボールが往復運動を始める。1から4のターゲットを番号順に4まで当てると、「Doodle Bug SCORES」が一段階アップする。

Doodle Bugはフリッパーの配置にも特徴があります。通常、フリッパーは「スリングショット」と呼ばれる三角形のバンパーの下端に付いているものですが、この機械ではフリッパーとスリングショットの間にやや大きな隙間があります。こうすることで、Doodle Bugフィーチャーが起動している最中にボールをホールドトラップ(フリッパーを上げて、スリングショットとの間にボールを留めるテクニック)ができないようにしていますが、この隙間からボールがアウトに抜けてしまうことも良くあります。

Doodle Bugの、フリッパーとスリングショットの間にボールが通り抜ける間隔が空く独特な配置。

このようなフリッパー配置は、他には「Gold Rush (Williams, 1971・1P用はKlondike)」でも使われましたが、そちらではフリッパーとスリングショットの間にピンを立てて、ボールがアウトにならないようにされていました。

Gold Rush(この画像はその1P版であるKlondikeのもの)のフリッパー配置。スリングショットとのすき間にピンが打たれている。

ワタシは、一度でいいから「Doodle Bug SCORE」を10000点まで上げてDoodle Bugを起動させてみたいと50年以上前から思い続けているのですが、1000点まですらアップさせたことがありません。今回も100点まで上げるのがせいぜいでした。

Heavenlyにはどれだけ感謝の言葉を並べても足りません。この度は本当にありがとうございました。今後も機会があればお伺いさせていただきたいと思います。
なお、拙ブログをご高覧くださるみなさまには、Heavenlyは法律上ゲーム料金は取れませんが、なんらかの寄付をすること自体は違法ではないことはお伝えしておきたいと思います。また、Heavenlyの母体は斯界では有名なレトロPCゲーム専門店「BEEP」(ウェブサイトはこちら)とのことですので、今後もBEEPをご支援くださいますようお願い申し上げます。