オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

幻の「アタミセンター」を求めて(3):「加奈」以前の浜町

2024年02月18日 17時22分31秒 | ロケーション

(前回のあらすじ)
「浜町」が現在の銀座町の一部であることを突き止め、Googleマップのストリートビューでその一帯を見て回っていたところ、疑問点はあるものの「アタミセンター」とよく似た看板建築を発見した。調べるとそこは1973年に開業した「加奈」と言う喫茶店だったが、それ以前は別業種の営業が行なわれていたらしい。「加奈」は2016年に店主が急逝して以降営業されていない。

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「加奈」以前を調べているうちに、旧浜町を含む銀座町やその周辺一帯は、かつて「赤線地帯」であったことを知りました。「赤線」とは、営業許可を得ていない私娼による売春が黙認されていた区域のことで、敗戦後の1946年から1958年まで日本各地に存在しました。改めて熱海の旧赤線地帯をGoogleマップのストリートビューで見てみると、そこには「加奈」のように建物の角を面取りした看板建築が多く見られます(看板建築については前回記事の【注】を参照)。

これは赤線で売春を行っていた店舗の主たる業態であった「カフェー【注1】は洋風の建物であるよう行政から要求されていたことによります。他にもタイル貼りの壁や装飾性の高い窓などの共通点を持つこのような建築様式は「カフェー建築」とか「赤線建築」と呼ばれていて、ネット上を検索すると昔のノスタルジックな街並みを愛好する人々によるブログがいくつも見つかります。

Googleマップのストリートビューで拾った、熱海における「赤線建築」の例。上が旧浜町を含む銀座町と渚町で、下が旧糸川町(現中央町の一部)。その後の増改築や修繕、あるいは取り壊し後の新築物件などで、そこがかつて「カフェー」であったことが一目ではわからないものもある。

赤線建築の特徴を持つ「アタミセンター」もかつては「カフェー」だったことに疑いはなさそうですが、しかし赤線が廃止された1958年【注2】が直ちに「アタミセンター」ができた年とは決めつけられません。「アタミセンター」となる以前に別の店が営業していた可能性があるし、逆に赤線廃止以前に売春防止法が施行された時点で早々に見切りをつけて転業している可能性もあるからです。

ならば「カフェー」からアタミセンターまでの過程を追うことで何かわかることは無いかと、熱海の歴史を調べてみました。

熱海は古くより温泉地として、また明治以降は政財界の要人や文豪が好んだ別荘地としても栄えました。終戦直後の1945年には「RAA(占領軍向けの特殊な慰安施設)」を受け入れて国際的な観光保養都市として復興を図りました。RAA自体はたったの7か月で閉鎖されましたが、熱海はその後も関東近辺の占領軍将兵らの遊興地であり、またRAAから放り出された女性従業員は私娼として残り、やがて赤線へと変化していきました。

昭和25年(1950)、後に「熱海大火」と呼ばれる大火災で、赤線地帯だけでなく市の繁華街や中心部を含む14.2万平方メートルが壊滅しました(火元は赤線に隣接する渚町の埋め立て工事事務所だった)。しかし、火災発生の2日後には熱海市で復興計画が練られ、4日後には熱海市長をはじめ熱海市議会議員、静岡県知事らが大挙して上京し国に支援を求めるなど懸命の努力を重ねて、3年後には早くも大火前の水準を凌ぐほどの賑わいを取り戻しました。

赤色で覆われている部分が1950年の熱海大火で焼け野原となった。その中には「浜町」とその周辺の赤線地帯が含まれている。

この素早い復興には赤線も少なからず寄与したであろうことは想像に難くありません。しかし1958年より売春防止法違反の罰則が施行されるようになったため、「カフェー」は通常の飲食店など他業種に転業するか、または完全に撤退することを余儀なくされました。

こうして赤線が消えた熱海でしたが、高度経済成長で日本国民の間にレジャーへの参加の機運が高まる1950年代末には「新婚旅行のメッカ」と呼ばれるようになり、さらに1960年代に入ると企業の団体旅行先としての誘致にも成功して、昭和が終わる1989年までは不動の人気を誇る国内随一の温泉リゾートでした。ワタシは、1960年代から80年代にかけての東京のTVでは熱海の観光ホテルのCMがしょっちゅう流れていたことを覚えています。

熱海の歴史を調べているうちに、「KURUWA.PHOTO 失われゆく色街の残影」というブログに糸川赤線一帯の地図を発見しました。

昭和33年(1958)以前の、カフェーの屋号が記入されている糸川町(現中央町の一部)の地図。画像はブログKURUWA.PHOTOより拝借。

この地図は、何かの地図から旧糸川町の部分を切り取ったもののようです。右上に見える「梅の家」のさらに右、糸川を挟んだ向かいに「加奈」が入る建物があるのですが、地図は糸川で切れており、残念ながらそこに何が描かれているかはわかりません。この地図の全体を是非とも見てみたいと思い、2月上旬にこのブログのコメント欄で質問を投げかけていますが、現時点で回答はまだありません。

赤線はセンシティブな要素を含むためか、核心に迫るずっと手前で情報が途切れてしまうことが多いです。今の時代、インターネットで何でもわかると思っていましたが、甘すぎました。そしてここに至ってついに、最後の手段である「行政機関に問い合わせる」ことを決意しました。

◆現時点で判明している事実年表◆(赤文字は今回追加部分)
1945 RAA第一号設置
1946 RAA閉鎖、多くの私娼が発生し一帯が赤線化する
1950 熱海大火により市の中心部が壊滅する
1953 大火前の賑わいを凌ぐまでに復興する
1958 赤線廃止で赤線の主たる業態だったカフェーが転廃業する
1965 「クレイジー15(こまや)」リリース
1973以前 浜町に空気銃の遊技場あり
1973 空気銃の遊技場が純喫茶「加奈」として開業
2016 「加奈」閉業、現在に至る

(次回、最終回につづく)

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【注1】カフェー
日本における「カフェー」は、明治末期にフランス・パリのカフェを模倣した芸術家たちの社交サロンから始まるが、本場の給仕は男(ギャルソン)だったのに対し、日本では女給が置かれた。大正末期には女給による接待を売り物とする、今のキャバレーに類するものとなり、赤線では「カフェー」を擬して売春を行った。現在の風適法が風俗第一号営業の業態例の一つに挙げている「カフエー」の由来である(風適法第二条第一号「キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」)。「カフェー」とは別業態だが似たような目的を持った「ダンスホール」もかつては風俗第四号営業とされていた。

【注2】赤線が廃止された1958年
売春防止法は、その公布が1956年、施行が1957年、さらに違反者への罰則適用が施行されるのが1958年で、赤線は売春防止法が施行された後も罰則が適用されるまでは営業を続けた店が多かった。


幻の「アタミセンター」を求めて(2):旧浜町で発見した看板建築

2024年02月11日 20時03分42秒 | ロケーション

(前回のあらすじ)
「アタミセンター」の所在地とされている「熱海市浜町」は現存しない。その消滅時期次第では「スーパーホームランゲーム」は「クレイジー15」よりも早かったことの証明になると考えてネット上を検索するが、見つかるのは「浜町通り」、「浜町観光通り商店街」、さらに渚町及び銀座町のそれぞれの一部で構成される「浜町町内会」など、「浜町」の「名残り」だけだった。

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次にワタシは、古い地図をネット上で調べて「浜町」の記載が途切れる年を割り出そうと考えました。これならさほど苦労することもあるまいと高をくくっていましたが、しかし町名まで記載されている古い地図は思いのほかみつかりません。あちこち探してようやく一つ、国会図書館の蔵書「日本都市地図全集 第3集(人文社、1961)」の中に「浜町」を発見しました。

日本都市地図全集 第3集(人文社、1961)より、熱海市浜町の記載がある部分(赤枠内)を拡大。

この地図によると、北(地図の右手)は銀座町、南は二級河川の糸川を挟んで糸川町及び友楽町、東は渚町、西は本町に囲まれた、東西に連なる3つのブロックが「浜町」であるようです。なお、糸川町と友楽町は現在の中央町に、本町は銀座町にそれぞれ組み込まれており、浜町同様現存しません。

現在の銀座町(着色部分)のうち、旧浜町と思われる東西に連なる3つのブロック(濃い黄色の部分)。

「浜町」は少なくとも1961年時点には存在していたことはわかりましたが、この地図一つだけでは当初の目的を果たしたことにはなりません。それでも皆目見当がつかなかった浜町の位置が判明したのは画期的で、かつて浜町とされていた一帯をGoogleマップのストリートビューでうろついていたら、一軒の看板建築【注】を発見しました。

Googleマップのストリートビューより、旧浜町で発見した看板建築。右下の地図に示される赤点の地点で、Googleマップでは「熱海市銀座町2-9」と表示される。

角が面取りされた看板建築様式であること、2階左右壁面の窓の数、全体のプロポーションなど、アタミセンターの画像と共通点が多いように思います。1階の外装は異なりますが、この程度の改築は問題なくできるでしょう。もしかしたら重要な鍵を発見したかもしれないと色めき立ちました。

しかし、アタミセンターの画像とよくよく比較して見ると、外壁の上端の形状が異なることに気づいてしまいました。元々まっすぐだった外壁の上端を後になってわざわざ切り欠く改築などあるものなのでしょうか? あるいは外壁全体を改築した? だとしたらどのタイミングで、誰が? 狭い旧浜町内にあってこれだけ共通点の多い建物でも、これが直ちに元アタミセンターと判断するのは残念ながらまだ早いかもしれません。

現在の建物とアタミセンターの比較。赤矢印部分に示す外壁の切り欠きがアタミセンターには無い。

疑問は残りますが、他に縋るものがない現時点では可能性がありそうなこの建物を追及していきます。向かって左壁面の錆色のテント看板に見える「Kana」の文字を手掛かりに調べると、この店に言及するブログがいくつも見つかりました。

それらによると、ここは昭和48年(1973)純喫茶「加奈」として開業したそうです。近年は昭和時代の重厚な高級喫茶店の雰囲気を色濃く残したレトロな店として観光客からも注目されていたことが窺われ、店内の画像も多く残されていますが、2016年に店主の女性が58歳の若さで急逝され、以来店は閉まったままであることがわかりました。

テント看板部分の拡大図。「Kana」と読める。

では「加奈」以前はどうであったのか。「加奈」に触れているブログのひとつで2015年に書かれた記事に、「元々は空気銃?の遊技場だったそうで、喫茶店に衣替えした」との記述をみつけました。そのブログ主の方は、「空気銃」を射的のことと思っているようです。確かに、射的とストリップは温泉場を象徴する娯楽施設ですが、この建物は射的場にしては規模が大き過ぎるようにも思います。しかし、例えばかつて新宿歌舞伎町にあったエアライフル射撃場のように、ボウリングやアーチェリーに類する娯楽色のあるスポーツ施設だとすれば、アタミセンターの後の姿としてありそうな気はします。

「加奈」の店主は、亡くなった年齢から計算すると開業時は十代半ばになるので、おそらくは二代目と思われますが、そのお年であれば当時の様子もある程度ご記憶されていたことと思います。今も営業が続いているなら飛んで行ってお話をお伺いしたいのに、早すぎるご逝去は実に実に残念です。

今回の終わりに、前回記事を含んで現時点で判明している事実を年表にして整理しておきます。
◆現時点で判明している事実年表◆
1965 「クレイジー15(こまや)」リリース
1973以前 浜町に空気銃の遊技場あり
1973 かつての空気銃の遊技場が純喫茶「加奈」として開業
2016 「加奈」閉業、現在に至る

(つづく)

【注】看板建築
建物前面の外壁で屋根を覆い隠す建築様式。これにより正面からは洋風のビルディングのように見えるが、たいていは和風の木造建築なので2階建てであることが多い。関東大震災の復興時より、主として店舗を兼ねる住宅に良く用いられた。

左が「平入り」タイプの戦前型、右が「妻入り」タイプの戦後型。戦前は外壁に凝った形状のものが多かったが戦後はシンプルでモダンなデザインが流行したのは、アール・ヌーヴォーからアール・デコへの転換に似ている。「看板建築 昭和の商店と暮らし」(萩野正和著、トゥーヴァージンズ刊)の図を模写。


幻の「アタミセンター」を求めて(1):失われた町、浜町(熱海市)

2024年02月04日 17時09分11秒 | ロケーション
アタミセンター」とは、かつて静岡県熱海市にあった娯楽施設の名称です。昨年11月、拙ブログでおなじみのCaitlynがネットオークションで発見した「東洋プレーイングマシン」社の「スーパーホームランゲーム」というフリッパー・ピンボール機のフライヤーにその外観が見られます(関連記事:【衝撃!】国産初のフリッパーゲーム機に従来の説を覆す大発見?)。

電飾が煌々と光り輝く「アタミセンター」の外観。向かって右側面の外壁には「ホームランゲーム」の看板が見える。二つ折り4ページで構成される「スーパーホームランゲーム」のフライヤーの、裏表紙に当たるページの部分。

Caitlynは、「スーパーホームランゲーム」は1948年に米国Exhibit社がリリースしたフリッパー・ピンボール機「Banjo」もしくは「Samba」のコピーに見えることから、「これは1965年に発売されたこまやクレイジー15よりも古い可能性があるのでは」と考えました(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール:「クレイジー15ゲーム」)。

Caitlynのブログ「外国人のためのエレメカアーケードゲームガイド」より、Exhibit社の「Banjo」(1948)と「スーパーホームランゲーム」を並べた画像。左が「banjo」で、右がフライヤーに掲載されている「スーパーホームランゲーム」。プレイフィールドの構成は確かにほぼ一致しているように見える。

ワタシはこれまで国産初のフリッパー・ピンボールゲーム機は「こまや」の「クレイジー15」だと思っていたので、もしCaitlynの予想する通りであれば、これは鎌倉幕府の成立年が1192年から1185年に変更されたことに匹敵する大事件です。しかしフライヤーにはその頒布時期を示す記述は一切なく、以来Caitlynとワタシは意見を交換しながら調査を続けています。

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日本におけるフリッパー・ピンボール機の歴史は、ジュークボックスやスロットマシンと同じく、終戦の1945年以降に進駐軍によって持ち込まれたものから始まったと考えて間違いないと思います。そして、タイトー1950年代半ばに進駐軍払い下げのジュークボックスを整備して営業に使用していたように、「スーパーホームランゲーム」も誰か(それが東洋プレーイングマシンだったかどうかはわからない)が進駐軍から払い下げられた「Banjo」を手本としてコピーしたものと考えられますが、それがいつの事であったかは見当が付きません。

フライヤーの2ページ目冒頭には、

日本遊戯機械の革命/スーパーホームランゲームは10餘年の歴史と傳統を誇るアメリカン遊戯の王座ピンボールマシンの日本版

とあります。


フライヤー2ページ目の冒頭。

米国でコインマシンとしてのピンボール機がブームとなるのは大恐慌下の1931年ですが、初のフリッパー・ピンボールとされているGottlieb社の「Humpty Dumpty」が発売されたのは、戦後、日本に進駐軍が駐留するようになった後の1947年です。フライヤーが謳う「10餘年の歴史」の起点がそこであれば、このフライヤーのスクリプトが書かれた時期は「クレイジー15」よりも古い1960年前後と推測できます。

ただ、この推論は当時の日本人(このスクリプトを書いた人)が米国におけるピンボール機の歴史を正しく把握していたことを前提としています。ワタシはその可能性を完全に否定するものではありませんが、懐疑の念も払拭できません。事と次第によっては、例えば「10餘年」の始点が手本にした「Banjo」に貼付されていた検査証の日付だったりしたら、それ次第では「クレイジー15」と近い時期まで食い込む可能性も考えられます。

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フライヤーの頒布時期を特定する他の有力な手掛かりとしては、「アタミセンター」の所在地があります。フライヤーでは「熱海市浜町四一六」とされていますが、「浜町」と言う町名は現在の熱海市には存在しません。もし「浜町」が1965年よりも前に消滅していれば、「スーパーホームランゲーム」は「クレイジー15」より先に存在したことの証明になると考えました。

そこで「浜町」をキーワードにネット上をあれこれ検索するのですが、熱海の町区変更に関する情報はごく最近のものしかみつかりません。関係しそうな他の単語をキーワードに加えてみても効果はなく、わずかに銀座町の「浜町通り」、中央町の「浜町観光通り商店街」、さらに渚町と銀座町の一部で構成される「浜町町内会」の名称にその名残を留めていることが判明しただけでした。

現在の熱海市中心部の地図。紫色が渚町、黄色が銀座町で、青色は中央町。銀座町の赤点が「浜町通り」、中央町の赤点が「浜町観光通り商店街」を指している(Googleマップによる)。

(つづく)



名前通り天国のようなHeavenly(埼玉県羽生市)に感謝を

2023年12月17日 18時33分25秒 | ロケーション

Heavenly」は、埼玉県の北東部、群馬県に接し栃木県にもほど近い羽生市にある、極めて特殊なロケーションです。ワタシは昨日(12月16日)、こちらを訪問してまいりました。

赤い点が羽生市の位置。ワタシの家(青い点)からは電車を乗り継いで2時間ほどかかる。

Heavenlyには百数十台のピンボール機があり、全て無料で遊ぶことができます。Heavenlyは風俗営業の許可を得ていないので、お金を取ってしまうと違法な無許可営業となってしまうからです。

実はHeavenlyは、個人のピンボールコレクターが「個人的には無料でもピンボールをやってもらえたら楽しいなぁみたいなフワっとした動機」で始めた(Heavenlyの公式ブログより)という、まさに神様のような篤志家が、これに賛同する天使のようなボランティアスタッフと共に運営している、その名の通り「天国のような(Heavenly)」ロケーションなのです。

ただ、Heavenlyはいつでもだれでも入場できるわけではありません。オープンする日は不定期で、概ね月に1回を目安として予めSNSなどで告知されるので、入場を希望する者はメールなどで申し込んでおきます。

また、Heavenlyはゲーム施設として作られているわけではなく、供給できる電気のアンペア数に限りがあるため、利用者はゲームを終えたら筐体下面の電源スイッチを切り、遊びたいゲームがあれば自分で電源を入れることがお約束となっています。さらに、ピンボール機が並ぶ1列に付き概ね6台までの稼働に留めたいとのことで、稼働中の機械が多いラインは空くまで他のラインで遊んでいるという気づかいが必要です。

Heavenlyの場内。5つのレーンにピンボール機が並んでいる。意外にもピンボール世代には見えない若い人が多く、ご婦人も5-6人見かけた。人がまばらに見えるのには理由がある。この画像には入っていないが古いビデオゲームも若干ある。

Heavenlyに設置されているEM機は、ラスベガスの「ピンボール・ホール・オブ・フェイム」にも無い貴重な台が多く、その点でもまさにHeavenlyなところです。ワタシは昨年9月以来2回目の訪問でしたが、今回もたくさんのEM機を楽しみました。中でも、「Doodle Bug (Williams, 1971)」は思い入れの強い機種で、前回に続いて今回もさんざん挑戦してきました。

Doodle Bug (Williams, 1971)を正面から見たところ。

「Doodle Bug」には、そのバージョン違いを除いて他の機械では採用された例が無い、(拙ブログでおなじみの、カナダのCaitlynよりコメント欄にて1981年にBallyからリリースされた「Fireball II 」にも搭載されているとの指摘をいただいたので削除・2023.12.23)Doodle Bug Feature」という特異なフィーチャーがあります。これは、プレイフィールド中段にある5つのターゲットのうち中央のターゲットにボールを当てると、プレイフィールドの下に埋め込まれているキャプティブボール(封入されていてプレイフィールドには出てこないボール)が上下に往復運動を始め、キャプティブボールの通路中央にあるボタンを踏むたびに得点が得られるフィーチャーです。キャプティブボールの往復運動は、プレイフィールド上の「STOP DOODLE BUG」ボタンを踏むか、ボールが中段左右のロールオーバーを通過するか、またはボールがアウトになるまで延々と続きます。

プレイフィールド中段に埋め込まれている「Doodle Bug」フィーチャーとその周辺。5個あるターゲットのうち中央にボールを当てると、キャプティブボールが往復運動を始める。1から4のターゲットを番号順に4まで当てると、「Doodle Bug SCORES」が一段階アップする。

Doodle Bugはフリッパーの配置にも特徴があります。通常、フリッパーは「スリングショット」と呼ばれる三角形のバンパーの下端に付いているものですが、この機械ではフリッパーとスリングショットの間にやや大きな隙間があります。こうすることで、Doodle Bugフィーチャーが起動している最中にボールをホールドトラップ(フリッパーを上げて、スリングショットとの間にボールを留めるテクニック)ができないようにしていますが、この隙間からボールがアウトに抜けてしまうことも良くあります。

Doodle Bugの、フリッパーとスリングショットの間にボールが通り抜ける間隔が空く独特な配置。

このようなフリッパー配置は、他には「Gold Rush (Williams, 1971・1P用はKlondike)」でも使われましたが、そちらではフリッパーとスリングショットの間にピンを立てて、ボールがアウトにならないようにされていました。

Gold Rush(この画像はその1P版であるKlondikeのもの)のフリッパー配置。スリングショットとのすき間にピンが打たれている。

ワタシは、一度でいいから「Doodle Bug SCORE」を10000点まで上げてDoodle Bugを起動させてみたいと50年以上前から思い続けているのですが、1000点まですらアップさせたことがありません。今回も100点まで上げるのがせいぜいでした。

Heavenlyにはどれだけ感謝の言葉を並べても足りません。この度は本当にありがとうございました。今後も機会があればお伺いさせていただきたいと思います。
なお、拙ブログをご高覧くださるみなさまには、Heavenlyは法律上ゲーム料金は取れませんが、なんらかの寄付をすること自体は違法ではないことはお伝えしておきたいと思います。また、Heavenlyの母体は斯界では有名なレトロPCゲーム専門店「BEEP」(ウェブサイトはこちら)とのことですので、今後もBEEPをご支援くださいますようお願い申し上げます。

 


札幌レゲエ紀行:G-BAOA・G(ジー・バオア・グー)

2023年08月27日 17時30分00秒 | ロケーション

今年の6月に入ったある日、女房が「今年の夏休みは北海道に行きたい」と言い出しました。女房はかねてより「(自分にとって)未踏の地である北海道にいつか行きたい」と言い続けており、いずれは叶えてやらねばなあと思いながらも、ワタシに積極的な動機が見つからず踏み切れないまま現在に至っていたのですが、今回は違いました。

と言うのも、ワタシは今年の3月、札幌に「G-BAOA・G(ジー・バオア・グー)」というゲーセンを偶然見つけていたのでした。同店の公式サイトは「本場アメリカ直輸入! 現役バリバリのピンボールがたくさん!」と謳って少なくない数のEMのピンボール機も見え、また「主に80年代~90年代、ビデオゲーム全盛を彩った懐かしくも安定のラインナップ!」と謳うページもあり、レゲエファンとしては大いに食指が動くロケです。女房の提案はワタシの思惑にもグッドタイミングで合致するので、旅程に札幌のゲーセンを組み込むことを条件に賛成しました。

念願の北海道旅行と言うことで女房は張り切って旅程を考え、8月上旬から札幌、小樽、余市、千歳を巡る5泊6日のスケジュールを計画しました。北海道全体から見れば極めて一部に過ぎない範囲ですが、そもそも広い北海道を一度の旅行で全部巡るのは無理な話ですので、妥当な内容だったと思います。

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そろそろ「いや、前置きはいいからさっさとG-BAOA・Gの話を進めろよ」との声が聞こえてきそうです。拙ブログに期待される点があるとすればそこだけであろうことは承知しています。

ただその、今回は拙ブログへの一般的な期待にお応えできる内容にはならない予感がしており、懊悩しています。とは言えいずれは明らかにしていかねばならないことなので、そろそろ本題に移ります。

初日、我々は新千歳空港からJRの「快速エアポート」で札幌駅に移動し、「ANAクラウンプラザ札幌」にチェックインして荷物を置いた後、徒歩で市営地下鉄南北線のさっぽろ駅まで行きました。漢字表記の札幌駅と、かな表記のさっぽろ駅が異なる駅であることを知らなかったワタシは多少混乱させられました。

「G-BAOA・G」の最寄り駅は「北24条」駅で、さっぽろ駅からは僅か3駅です。北24条駅に到着し、4番出入口を出て左に1ブロック進むと、「樽川通り」を挟んだ向かいに「G-BAOA・G」はありました。

G-BAOA・Gの外観。側面は車が10台以上停められる駐車場になっており、結構大きい。

店の入り口。上の方に「ピンボール 60's/70's」と大書してある。

樽川通りを横断していよいよ店舗の前に立ち、入り口の写真を撮りつつ中に入ろうとしたら、店内から少し年配の店員さんが出てきて、「あの、店内は写真撮影できないんですが・・・」と大変恐縮した様子で言われてしまいました。

それがこの店のルールだというのであれば仕方ない、従うよりほかありません。そんなわけで、今回のレポートには店内の画像は一切ありません。これが、皆さんのご期待にお応えできそうにないと案じる理由です。

ヲタ属性な人を排除したがる気持ちを全く理解できないとは言いません。しかし、このようなゲーセンに興味を示しお金を落とす気が満々なのは今は殆どヲタ気質の人であろうに、そのヲタへの発信が極めて弱いのはどうなんでしょうか。「G-BAOA・G」の開店は2006年だそうですが、今までワタシの耳目に触れなかった理由の一つがここにあるように思います。Googleで検索してもヒット数が少ないです。

まあ、これ以上他人の店の経営方針に口出しするようなことは控えておきましょう。入って左手には、結構な数(数えたら全部で9台)のピンボール機があり、しかもすべてEM機です。機械に近づいてさらに驚くことに、1ゲームの料金が50円でした。これは1978年以前の料金設定です。そしてさらにさらに驚くべきことに、1台だけですが、ゲーム料金が30円の台もありました。こうなると1973年以前の料金です。

EM機が並ぶ壮観な風景を、本来なら皆さんにもぜひ見ていただきたいところですが、写真はありませんので、とりあえず設置機種リストを挙げておこうと思います。画像を見たい方は、機種の名前にIPDB(Internet Pinball Database)のハイパーリンクを貼っておきますので、そちらから参照してください。

Big Hit (Gottlie 1977)
Knockout (Bally 1975)
Jacks Open (Gottlieb 1977)
High Hand (Gottlieb 1973)
Buccaneer (Gottlieb 1976)
Centigrade 37 (Gottlieb 1977)
Volley (Gottlieb 1976)
Big Brave (Gottlieb 1974)
Camelot (Bally 1970) 1ゲーム¥30

ワタシはこれらのすべてを遊ぶことができました。ただ、問題が少なからずありました

問題の一つ目は、店内に50円硬貨の両替機が無いことです。仕方なくカウンターで両替してもらいましたが、50円硬貨の用意は殆どなく、8枚400円分しか替えることができませんでした。

問題の二つ目は、こちらの方がもっと深刻なのですが、まともに動く台が殆どありません。正常に動くことが確認できたのは「Knockout」のみでした。

もしかしたら「High Hand」は正常に動作していたのかもしれませんが、プレイフィールドが大きく右に傾いており、4つのドロップターゲットバンクすべての動作を確認する前に50円硬貨が尽きました。また、「Big Hit」も、二つのドロップターゲットバンクのうち一つしか動作確認ができていません。

その他の機種の不具合は以下の通りです。

・Big Hit: ボールが勝手に発射される(Big Hitはプランジャーが無く、右のフリッパーボタンを押すと、最下段中央、両フリッパーの間にある「Center Ball Shooter」からボールが発射される)。
・Jacks Open: ドロップターゲットが正常に作動しない。
・Baccaneer: 反応しないロールオーバーがある。
・Centigrade 37: 反応しないドロップターゲットがある。
・Volley: 中段正面のドロップターゲットのバンクが全く動作しない。
・Big Brave: 反応しないドロップターゲットがある。 1ゲーム5ボールの設定のようだがスタートは2ボール目からとなる。
・Camelot: ゲーム自体は正常に進行するが、リプレイスコアに達した時点で勝手に機械がリセットされ、リプレイが始まる。

何しろ古い機械ですから、多少の不具合には目を瞑らざるを得ないとは思います。しかし、ゲームとして成立しないレベルの不具合がある機械は、いかに安い料金設定とは言え、プレイしたいとは思えません。店の入り口にあれだけピンボールをアピールしているのに、この状態はとても残念です。しかし、それでもワタシは「G-BAOA・G」を応援したいと思います。願わくば、いつかピンボール機の不具合が修理されますように。

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G-BAOA・Gの2階には、夥しい古いビデオゲームとメダルゲーム機があります。すべてを試したわけではありませんが、概ね正常に動作しているように見えました。女房が気を利かせて気になったビデオゲームをメモしておいてくれたので、そのリストも挙げておこうと思います。

【G-BAOA・Gに設置されていたビデオゲームの一部(順不同)】
アイドル麻雀放送局(システムサービス 1988)
ARMED F(日物 1988)
アルカノイド(タイトー 1986)
namco クラシックコレクション(ナムコ 1995)
スパルタンX(アイレム 1984)
ワールドスタジアム93(ナムコ 1993)
スーパーワールドスタジアム1999(ナムコ 1999)
ミスタードリラーグレート(ナムコ 2001)
BOMBERMAN(アイレム 1991)
テトリス(セガ 1988)
ロジックプロ(デニアムコーポレーション 1996)
コラムス(セガ 1990)
ストリートファイター zero3(カプコン 1998)
ゼロガンナー(彩京 1997)
ぷよぷよ SUN(コンパイル 1996)
ぷよぷよ通(コンパイル/セガ 1994)
スーパーリアル麻雀 (セタ 1987)
Giant Gram2000(セガ 2000)
ばくばくアニマル(セガ 1995)
パズルボブル3(タイトー 1996)
パカパカパッション2(ナムコ 1998)
上海III(サンソフト 1993)
上海万里の長城 (テクモ 1995)
PENTA(ペンゴの海賊版・1982?)

ビデオゲームはこれら以外にもたくさんあります。札幌のゲームファンが羨ましいです。

最後に一つ、気になるメダルゲームも記録しておこうと思います。G-BAOA・Gには、大変珍しい「Tinker Bell (ティンカーベル)」がありました。

画像:Tinker Bell(セガ、1991)のフライヤーの表裏。

ティンカーベルは、セガが1991年に発売したビデオポーカーです。役ができると、役のランクに応じた人数のダンサーが画面上に現れ、ダンサーが一定数に達したらボーナスゲームに突入するというものでした。アイディア自体は良いと思うのですが、何しろ日本のゲーセンでビデオポーカーと言えばsigmaの独擅場で、他社から出たビデオポーカーで多少なりともヒットしたと言えるのは、Gマシン分野を除き一つもなく、ティンカーベルも敢え無く埋もれて行ったビデオポーカー群の一つとなってしまいました。

G-BAOA・G、ピンボール機は大変に残念でしたが、どうか今後も頑張っていただきたいものです。