オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【小ネタ】四国プチレゲエ紀行

2024年06月30日 20時41分56秒 | ロケーション

今週末はいろいろ予定で埋まっており、本日もつい先ほど帰宅いたしました、そんなわけで今回は小ネタで凌がせていただきます。

実は昨年11月、女房とともに徳島県の親戚の家に行きました。せっかく四国に行くのであれば、ご当地のレゲエスポットはないかと探してみたところ、徳島県の「徳島ゲーセンリバース」と、香川県の「エレメント」の2軒がヒットしました。

まず「徳島ゲーセンリバース」は、かねてよりSNSで存じ上げておりました。我々が逗留する徳島駅近辺からはやや遠く、車で小一時間かかります。しかしながら、決して恵まれているとは言えない環境でレトロゲーセンをやって行こうというオーナーの心意気に感じ入り、この機会に訪問することにしました。


開店時間直前の「徳島ゲーセンリバース」。ゲーセンらしからぬ地味な建物であるが、周辺環境への配慮などの理由でこのようにせざるを得ないとのこと。


ハウスルールを記した注意書きが入り口にあり、ゲームアーケードであることがわかる。


店内その1。この日、我々は一番乗りで、まだほかに客はいなかった。壁にはイベントカレンダーやランキングが。


店内その2。ゲームの攻略本や、彩京のカタログ集のようなファイルが読める。


店内その3。壁際左端はUPLの「忍者くん 阿修羅の章」。昔はかなりやれたものだったのに、今回はまるでダメダメだった。


店内その4。これはいったい何なのか? 「2200円」と書かれた値札が傍らにあり、欲しい人がいれば売るようにも見える。


設置されているゲーム機はミディ筐体のビデオゲームのみです。設置機種はしばしば変更されることもあるらしいので、公式のSNS(X)を普段からウォッチすることをお勧めします。車が無いと行きにくい場所ですが、どうも健康に不安があると察せられる店主のがんばりには声援を送らずにはいられません。

徳島ゲーセンリバース:徳島県阿南市那賀川町上福井南川渕134-42

もう一軒、香川県の「エレメント」もご紹介しておきます。本来は「年齢、性別、国籍に関係なく楽しんでもらえるお店」をコンセプトとする雑貨店ですが、吹き抜けとなっている2Fに、たくさんのレトロゲームが設置してあります。

エレメントの入り口付近。最初、どこから入れば良いのかわからず女房と周辺をうろうろした。

店内は原則として写真撮影禁止ですが、お願いすると記者証のようなものを貸してくれて、これを首から下げていれば撮影しても構わないとのことでした。もちろん、他に人がいる場合は配慮が必要です。


1Fから吹き抜けの2F部分を見上げたところ。子供向けのエレメカ機がたくさんある。


こちらはテーブル筐体コーナー。初代の「ハイパーオリンピック」が2台並んで稼働していた。他には「アルカノイド・リベンジ・オブ・DOH」、「マリオブラザーズ」、アップライトの「ポールポジション」や「ハングオン」など。


子供向けエレメカ機の一部。


タイトーが1989年にリリースした「バトルシャーク」。左はコナミの「リーサル・エンフォーサーズII」。

「バトルシャーク」なんてタイトル、すっかり忘れていて、30年ぶりくらいに思い出させてくれました。

「エレメント」が入る「北浜alley」は、使われなくなった海辺の倉庫街を再生し、2001年に誕生し観光スポットとなっていますので、香川に行かれた折にはここで懐かしいゲームで遊び、帰りに雑貨店でお土産を買って帰るのが吉と思われます。


エレメント:香川県高松市北浜町3-2


名前通り天国のようなHeavenly(埼玉県羽生市)に感謝を

2023年12月17日 18時33分25秒 | ロケーション

Heavenly」は、埼玉県の北東部、群馬県に接し栃木県にもほど近い羽生市にある、極めて特殊なロケーションです。ワタシは昨日(12月16日)、こちらを訪問してまいりました。

赤い点が羽生市の位置。ワタシの家(青い点)からは電車を乗り継いで2時間ほどかかる。

Heavenlyには百数十台のピンボール機があり、全て無料で遊ぶことができます。Heavenlyは風俗営業の許可を得ていないので、お金を取ってしまうと違法な無許可営業となってしまうからです。

実はHeavenlyは、個人のピンボールコレクターが「個人的には無料でもピンボールをやってもらえたら楽しいなぁみたいなフワっとした動機」で始めた(Heavenlyの公式ブログより)という、まさに神様のような篤志家が、これに賛同する天使のようなボランティアスタッフと共に運営している、その名の通り「天国のような(Heavenly)」ロケーションなのです。

ただ、Heavenlyはいつでもだれでも入場できるわけではありません。オープンする日は不定期で、概ね月に1回を目安として予めSNSなどで告知されるので、入場を希望する者はメールなどで申し込んでおきます。

また、Heavenlyはゲーム施設として作られているわけではなく、供給できる電気のアンペア数に限りがあるため、利用者はゲームを終えたら筐体下面の電源スイッチを切り、遊びたいゲームがあれば自分で電源を入れることがお約束となっています。さらに、ピンボール機が並ぶ1列に付き概ね6台までの稼働に留めたいとのことで、稼働中の機械が多いラインは空くまで他のラインで遊んでいるという気づかいが必要です。

Heavenlyの場内。5つのレーンにピンボール機が並んでいる。意外にもピンボール世代には見えない若い人が多く、ご婦人も5-6人見かけた。人がまばらに見えるのには理由がある。この画像には入っていないが古いビデオゲームも若干ある。

Heavenlyに設置されているEM機は、ラスベガスの「ピンボール・ホール・オブ・フェイム」にも無い貴重な台が多く、その点でもまさにHeavenlyなところです。ワタシは昨年9月以来2回目の訪問でしたが、今回もたくさんのEM機を楽しみました。中でも、「Doodle Bug (Williams, 1971)」は思い入れの強い機種で、前回に続いて今回もさんざん挑戦してきました。

Doodle Bug (Williams, 1971)を正面から見たところ。

「Doodle Bug」には、そのバージョン違いを除いて他の機械では採用された例が無い、(拙ブログでおなじみの、カナダのCaitlynよりコメント欄にて1981年にBallyからリリースされた「Fireball II 」にも搭載されているとの指摘をいただいたので削除・2023.12.23)Doodle Bug Feature」という特異なフィーチャーがあります。これは、プレイフィールド中段にある5つのターゲットのうち中央のターゲットにボールを当てると、プレイフィールドの下に埋め込まれているキャプティブボール(封入されていてプレイフィールドには出てこないボール)が上下に往復運動を始め、キャプティブボールの通路中央にあるボタンを踏むたびに得点が得られるフィーチャーです。キャプティブボールの往復運動は、プレイフィールド上の「STOP DOODLE BUG」ボタンを踏むか、ボールが中段左右のロールオーバーを通過するか、またはボールがアウトになるまで延々と続きます。

プレイフィールド中段に埋め込まれている「Doodle Bug」フィーチャーとその周辺。5個あるターゲットのうち中央にボールを当てると、キャプティブボールが往復運動を始める。1から4のターゲットを番号順に4まで当てると、「Doodle Bug SCORES」が一段階アップする。

Doodle Bugはフリッパーの配置にも特徴があります。通常、フリッパーは「スリングショット」と呼ばれる三角形のバンパーの下端に付いているものですが、この機械ではフリッパーとスリングショットの間にやや大きな隙間があります。こうすることで、Doodle Bugフィーチャーが起動している最中にボールをホールドトラップ(フリッパーを上げて、スリングショットとの間にボールを留めるテクニック)ができないようにしていますが、この隙間からボールがアウトに抜けてしまうことも良くあります。

Doodle Bugの、フリッパーとスリングショットの間にボールが通り抜ける間隔が空く独特な配置。

このようなフリッパー配置は、他には「Gold Rush (Williams, 1971・1P用はKlondike)」でも使われましたが、そちらではフリッパーとスリングショットの間にピンを立てて、ボールがアウトにならないようにされていました。

Gold Rush(この画像はその1P版であるKlondikeのもの)のフリッパー配置。スリングショットとのすき間にピンが打たれている。

ワタシは、一度でいいから「Doodle Bug SCORE」を10000点まで上げてDoodle Bugを起動させてみたいと50年以上前から思い続けているのですが、1000点まですらアップさせたことがありません。今回も100点まで上げるのがせいぜいでした。

Heavenlyにはどれだけ感謝の言葉を並べても足りません。この度は本当にありがとうございました。今後も機会があればお伺いさせていただきたいと思います。
なお、拙ブログをご高覧くださるみなさまには、Heavenlyは法律上ゲーム料金は取れませんが、なんらかの寄付をすること自体は違法ではないことはお伝えしておきたいと思います。また、Heavenlyの母体は斯界では有名なレトロPCゲーム専門店「BEEP」(ウェブサイトはこちら)とのことですので、今後もBEEPをご支援くださいますようお願い申し上げます。

 


札幌レゲエ紀行:G-BAOA・G(ジー・バオア・グー)

2023年08月27日 17時30分00秒 | ロケーション

今年の6月に入ったある日、女房が「今年の夏休みは北海道に行きたい」と言い出しました。女房はかねてより「(自分にとって)未踏の地である北海道にいつか行きたい」と言い続けており、いずれは叶えてやらねばなあと思いながらも、ワタシに積極的な動機が見つからず踏み切れないまま現在に至っていたのですが、今回は違いました。

と言うのも、ワタシは今年の3月、札幌に「G-BAOA・G(ジー・バオア・グー)」というゲーセンを偶然見つけていたのでした。同店の公式サイトは「本場アメリカ直輸入! 現役バリバリのピンボールがたくさん!」と謳って少なくない数のEMのピンボール機も見え、また「主に80年代~90年代、ビデオゲーム全盛を彩った懐かしくも安定のラインナップ!」と謳うページもあり、レゲエファンとしては大いに食指が動くロケです。女房の提案はワタシの思惑にもグッドタイミングで合致するので、旅程に札幌のゲーセンを組み込むことを条件に賛成しました。

念願の北海道旅行と言うことで女房は張り切って旅程を考え、8月上旬から札幌、小樽、余市、千歳を巡る5泊6日のスケジュールを計画しました。北海道全体から見れば極めて一部に過ぎない範囲ですが、そもそも広い北海道を一度の旅行で全部巡るのは無理な話ですので、妥当な内容だったと思います。

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そろそろ「いや、前置きはいいからさっさとG-BAOA・Gの話を進めろよ」との声が聞こえてきそうです。拙ブログに期待される点があるとすればそこだけであろうことは承知しています。

ただその、今回は拙ブログへの一般的な期待にお応えできる内容にはならない予感がしており、懊悩しています。とは言えいずれは明らかにしていかねばならないことなので、そろそろ本題に移ります。

初日、我々は新千歳空港からJRの「快速エアポート」で札幌駅に移動し、「ANAクラウンプラザ札幌」にチェックインして荷物を置いた後、徒歩で市営地下鉄南北線のさっぽろ駅まで行きました。漢字表記の札幌駅と、かな表記のさっぽろ駅が異なる駅であることを知らなかったワタシは多少混乱させられました。

「G-BAOA・G」の最寄り駅は「北24条」駅で、さっぽろ駅からは僅か3駅です。北24条駅に到着し、4番出入口を出て左に1ブロック進むと、「樽川通り」を挟んだ向かいに「G-BAOA・G」はありました。

G-BAOA・Gの外観。側面は車が10台以上停められる駐車場になっており、結構大きい。

店の入り口。上の方に「ピンボール 60's/70's」と大書してある。

樽川通りを横断していよいよ店舗の前に立ち、入り口の写真を撮りつつ中に入ろうとしたら、店内から少し年配の店員さんが出てきて、「あの、店内は写真撮影できないんですが・・・」と大変恐縮した様子で言われてしまいました。

それがこの店のルールだというのであれば仕方ない、従うよりほかありません。そんなわけで、今回のレポートには店内の画像は一切ありません。これが、皆さんのご期待にお応えできそうにないと案じる理由です。

ヲタ属性な人を排除したがる気持ちを全く理解できないとは言いません。しかし、このようなゲーセンに興味を示しお金を落とす気が満々なのは今は殆どヲタ気質の人であろうに、そのヲタへの発信が極めて弱いのはどうなんでしょうか。「G-BAOA・G」の開店は2006年だそうですが、今までワタシの耳目に触れなかった理由の一つがここにあるように思います。Googleで検索してもヒット数が少ないです。

まあ、これ以上他人の店の経営方針に口出しするようなことは控えておきましょう。入って左手には、結構な数(数えたら全部で9台)のピンボール機があり、しかもすべてEM機です。機械に近づいてさらに驚くことに、1ゲームの料金が50円でした。これは1978年以前の料金設定です。そしてさらにさらに驚くべきことに、1台だけですが、ゲーム料金が30円の台もありました。こうなると1973年以前の料金です。

EM機が並ぶ壮観な風景を、本来なら皆さんにもぜひ見ていただきたいところですが、写真はありませんので、とりあえず設置機種リストを挙げておこうと思います。画像を見たい方は、機種の名前にIPDB(Internet Pinball Database)のハイパーリンクを貼っておきますので、そちらから参照してください。

Big Hit (Gottlie 1977)
Knockout (Bally 1975)
Jacks Open (Gottlieb 1977)
High Hand (Gottlieb 1973)
Buccaneer (Gottlieb 1976)
Centigrade 37 (Gottlieb 1977)
Volley (Gottlieb 1976)
Big Brave (Gottlieb 1974)
Camelot (Bally 1970) 1ゲーム¥30

ワタシはこれらのすべてを遊ぶことができました。ただ、問題が少なからずありました

問題の一つ目は、店内に50円硬貨の両替機が無いことです。仕方なくカウンターで両替してもらいましたが、50円硬貨の用意は殆どなく、8枚400円分しか替えることができませんでした。

問題の二つ目は、こちらの方がもっと深刻なのですが、まともに動く台が殆どありません。正常に動くことが確認できたのは「Knockout」のみでした。

もしかしたら「High Hand」は正常に動作していたのかもしれませんが、プレイフィールドが大きく右に傾いており、4つのドロップターゲットバンクすべての動作を確認する前に50円硬貨が尽きました。また、「Big Hit」も、二つのドロップターゲットバンクのうち一つしか動作確認ができていません。

その他の機種の不具合は以下の通りです。

・Big Hit: ボールが勝手に発射される(Big Hitはプランジャーが無く、右のフリッパーボタンを押すと、最下段中央、両フリッパーの間にある「Center Ball Shooter」からボールが発射される)。
・Jacks Open: ドロップターゲットが正常に作動しない。
・Baccaneer: 反応しないロールオーバーがある。
・Centigrade 37: 反応しないドロップターゲットがある。
・Volley: 中段正面のドロップターゲットのバンクが全く動作しない。
・Big Brave: 反応しないドロップターゲットがある。 1ゲーム5ボールの設定のようだがスタートは2ボール目からとなる。
・Camelot: ゲーム自体は正常に進行するが、リプレイスコアに達した時点で勝手に機械がリセットされ、リプレイが始まる。

何しろ古い機械ですから、多少の不具合には目を瞑らざるを得ないとは思います。しかし、ゲームとして成立しないレベルの不具合がある機械は、いかに安い料金設定とは言え、プレイしたいとは思えません。店の入り口にあれだけピンボールをアピールしているのに、この状態はとても残念です。しかし、それでもワタシは「G-BAOA・G」を応援したいと思います。願わくば、いつかピンボール機の不具合が修理されますように。

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G-BAOA・Gの2階には、夥しい古いビデオゲームとメダルゲーム機があります。すべてを試したわけではありませんが、概ね正常に動作しているように見えました。女房が気を利かせて気になったビデオゲームをメモしておいてくれたので、そのリストも挙げておこうと思います。

【G-BAOA・Gに設置されていたビデオゲームの一部(順不同)】
アイドル麻雀放送局(システムサービス 1988)
ARMED F(日物 1988)
アルカノイド(タイトー 1986)
namco クラシックコレクション(ナムコ 1995)
スパルタンX(アイレム 1984)
ワールドスタジアム93(ナムコ 1993)
スーパーワールドスタジアム1999(ナムコ 1999)
ミスタードリラーグレート(ナムコ 2001)
BOMBERMAN(アイレム 1991)
テトリス(セガ 1988)
ロジックプロ(デニアムコーポレーション 1996)
コラムス(セガ 1990)
ストリートファイター zero3(カプコン 1998)
ゼロガンナー(彩京 1997)
ぷよぷよ SUN(コンパイル 1996)
ぷよぷよ通(コンパイル/セガ 1994)
スーパーリアル麻雀 (セタ 1987)
Giant Gram2000(セガ 2000)
ばくばくアニマル(セガ 1995)
パズルボブル3(タイトー 1996)
パカパカパッション2(ナムコ 1998)
上海III(サンソフト 1993)
上海万里の長城 (テクモ 1995)
PENTA(ペンゴの海賊版・1982?)

ビデオゲームはこれら以外にもたくさんあります。札幌のゲームファンが羨ましいです。

最後に一つ、気になるメダルゲームも記録しておこうと思います。G-BAOA・Gには、大変珍しい「Tinker Bell (ティンカーベル)」がありました。

画像:Tinker Bell(セガ、1991)のフライヤーの表裏。

ティンカーベルは、セガが1991年に発売したビデオポーカーです。役ができると、役のランクに応じた人数のダンサーが画面上に現れ、ダンサーが一定数に達したらボーナスゲームに突入するというものでした。アイディア自体は良いと思うのですが、何しろ日本のゲーセンでビデオポーカーと言えばsigmaの独擅場で、他社から出たビデオポーカーで多少なりともヒットしたと言えるのは、Gマシン分野を除き一つもなく、ティンカーベルも敢え無く埋もれて行ったビデオポーカー群の一つとなってしまいました。

G-BAOA・G、ピンボール機は大変に残念でしたが、どうか今後も頑張っていただきたいものです。


大阪レゲエ紀行:エレメカ研究所(大阪・北区中崎町)その5(最終回)

2023年05月07日 19時40分46秒 | ロケーション

エレメカ研究所探訪記録の最終回のテーマは「リプロダクト」です。「リプロダクト」とは、通常は「複製品」の意味で使われることが多いですが、「再生」の意味でも使えるようです。エレメカ研究所には、オリジナルのままでは到底稼働が叶わないオールドゲーム機に手を加えて動作できるようにしてある機械が結構たくさんあります。例えば前々回の記事で採り上げた「コインパンチ」も、プレイフィールド部分はオリジナルのままですが、キャビネットは独自に作成されたものです。他にもおそらく、外見からはわからないけれども筐体内部でリプロダクト行われている機械もあるものと思われます。

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エレメカ研究所の最も奥には、水族館の水槽を思わせる大きな赤い箱があります。ウィンドウの上部には、「Helicopter」との銘板が取り付けてあります。

「Helicopter」の銘板が付いたゲーム機。


プレイフィールドの拡大図。中央のインストラクションには、「コインを入れますと、飛行可能ランプ(緑)が点きます。およそ50秒 / 緑ランプが点いている着地点に着地してください / 着地しますと確認ランプ(赤)が点き、しばらく / して、確認ランプ(青)が点きますと / 認定ランプが点きます / 3つ認定ランプが点きますとコインが出てきます」と書かれている。

この「Helicopter」の銘板は、セガが1968年にリリースした「Helicopter」のマーキーから持ってきたものと思われます。

Helicopter (Sega, 1968)のフライヤー。

エレメカ研究所のHelicopterは、操作するヘリコプター、ジオラマ、操作系部品までかなり手が加えられており、その違いはフライヤーの絵でもいくらかは察せられますが、Youtubeのこちらの動画を見る方がよりわかることと思います。

この動画と見比べると、エレメカ研究所の機械は殆ど原形を留めていないとさえ言えるかもしれません。しかし、なんとか動く状態で展示したいという強い思いを感じます。オリジナルのまま動けばそれが理想ではありましょうが、動かない機械をどこまで弄って構わないかは人により様々な考えがあり、最終的にはオーナーの意向に沿うものであるべきかと思います。

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コインを投入する娯楽機が黄金時代を迎えるのは1920年代の終わり頃からのことです。「ディガ―マシン(Digger machine)」と呼ばれるクレーンゲームは、その中でも早くから登場していました。エレメカ研究所には、おそらく1930年代のものと思われるアメリカ製の古いディガーマシンがあります。

エレメカ研究所のディガ―マシン。「今の『UFOキャッチャー』の元祖」との説明がある。

ただしこの機械は、オリジナルから機構部分のみを取り出し、その動作を見ることができるようにしてあるもので、実際に菓子類を掴み取るところまではできません。それでも、100年近く前に作られた機械が動くところを見ることができるのは大変に興味深いものです。

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もう一つ、リプロダクトを記録しておこうと思います。こちらは上記二つと違い、もはや「魔改造」の域に達していると言っても良いのではないかと思います。

エレメカ研究所の「魔改造」ゲーム機。バックグラスには「国盗りレース」とある。

バックグラスには「国盗りレース」と書いてあるので、たぶん国盗りレースと言うゲームなのだと思いますが、実はこのバックグラスは、1980年レジャックから発売された「国盗り合戦」という10円ゲーム機に使用されていた表示パネルに手を加えたものです。

「国盗り合戦(レジャック、1980)」の筐体。wikipediaより。

そして筐体は手作りで、プレイフィールドは関西精機の「ミニドライブ」を流用したものであるように見えます。

「ミニドライブ(関西精機、1958)」の筐体。ただしミニドライブは何度かリメイクされており、「国盗りレース」のベースとなっているのは別のバージョンかもしれない。

「国盗りレース」の筐体には、「最右・左からの切り返しはは一旦車を真っすぐにしてください」とイラスト入りの説明書きが張り付けてありました。しかし、ワタシが訪問した時は調整中とのことで遊ぶことはできませんでした。この、どこから流用したのか見当が付かないハンドルでの操作感を試してみたかったのですが、残念です。それにしても、ここまで自力でやってしまうエレメカ研究所のオーナーの努力には本当に頭が下がります。

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実はエレメカ研究所は、かつて大阪駅ビルでレトロゲームを多く設置しているとして斯界では有名だったゲームセンター「ZERO」のオーナーが、ZEROを閉めた後に始めたロケだったのだそうです。

ワタシがZEROを訪れたのは2019年の春(関連記事:大阪レゲエ紀行(7・最終回)) DAY 2・その2:大阪駅前第2ビルB1「ZERO」
のことで、ZEROが無くなってしまったら「ウルトラガン」、「ホームランゲーム」、「バッティングゲーム」、「アレンジボール」などの貴重なオールドゲームはどうなってしまうのかと心配していましたが、こちらに移設され、今も健在で稼働していました。公的な機関がこれらの文化遺産を保存する気が無いとなれば、民間の篤志家の頑張りに頼るしかありません。どうぞ皆様も機会を作ってエレメカ研究所にお参りに行き、いくらかなりともお布施をいただけますようお願い申し上げて、このシリーズを終えたいと思います。

大阪レゲエ紀行:エレメカ研究所シリーズ・おわり


大阪レゲエ紀行:エレメカ研究所(大阪・北区中崎町)その4

2023年04月30日 21時56分34秒 | ロケーション

エレメカ研究所にはたくさんの見どころがありますが、白眉と言えば2台の「一銭パチンコ」だと思います。

エレメカ研究所の2台の「一銭パチンコ」。上は大学野球をテーマとしており、下は当時の女性の映画スターがハッタリ(入賞口の飾り)にフィーチャーされている。台枠は同じものを使っているように見える。

「一銭パチンコ」は昭和の初期に流行した遊技機で、1銭硬貨を投入して出てきた玉を弾き、ゲームの結果によっていくらかの1銭硬貨が払い出されるゲームでした。「パチンコ誕生博物館」の杉山一夫館長の著書「ものと人間の文化史186 パチンコ」(法政大学出版局刊)(関連記事:法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介)の87ページでは、「パチンコは一銭パチンコから始まっている」と、現代パチンコの直接の先祖としています。とは言え、やはり現代のパチンコとは相違点も多く、人類の進化の歴史に例えるなら、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人くらい違うように思います。

エレメカ研究所の二つの一銭パチンコを良く見比べると、どちらも同じ台枠が使われているようです。拙ブログにしばしばコメントをくださるtomさんによれば、どちらも同じ寸法だそうで、確かに台枠の上部には同じメーカーの銘板が取り付けられています。

「YOSHIMITSU SAFE WORKS」と書かれている銘板。上が大学野球、下が映画スターのもの。

これら2機種はゲーム性が異なります。大学野球の方は、欧米で既に存在していた「ウォールマシン」と呼ばれるゲーム機のうち、盤面を落ちて来る球をカップを操作してキャッチする「ピック・クィック」と呼ばれるゲーム性を踏襲しており、もう一つの映画スターの方は、やはり「ウォールマシン」のうち、どこに入っても勝ちとなる「オールウィン」のゲーム性を踏襲しています。これらは、パチンコがウォールマシンの流れを汲んでいることの証拠となる貴重な資料と言えましょう。

ピック・クイック。拙ブログにしばしばコメントをくれるCaitlynのブログより

大学野球の方は、最初のアクションでキャッチできなかった玉を、もう一度別のハンマーで弾いて入賞させるチャンスを与えています。

 

大学野球のセカンドチャンス。台枠左にある小さなレバー(①)を引くと、②のハンマーが左に引っ張られ、レバーを離すとハンマーが③の玉を打つ。打たれた球はレールの穴のどこから下に落ち、セカンドチャンスとなる。

一銭パチンコは戦前からあったものですが、太平洋戦争が始まった1941年以降の日本では民間から金属を供出させる「金属供出」が行われたため、軍需物資に姿を変えたパチンコ機や玉も多かったことでしょう。また娯楽産業自体が不要不急の産業として禁止されたこともあり、パチンコの歴史は一旦途絶えることとなりました。

しかし、それでもいくらかのパチンコ台は残ったようで、戦後間もなくから隠匿されていたパチンコ台が闇市や復興イベントなどで稼働していたようです。Caitlynのブログでは、終戦直後の日本を舞台とする黒澤明監督の映画「野良犬」に登場するパチンコ屋の画像を掲載しています。エレメカ研究所の2台もどうにかして戦禍を免れて残った貴重なものです。

Caitlynのブログより、映画「野良犬」の一場面女の背後に戦時中を生き残ったパチンコ機が見える。

エレメカ研究所の2台の盤面には、右上に「兵庫県 公安委員会」との名が入った「検査済証」が貼られています。日本に「公安委員会」が設置されたのは戦後のことで、つまりこの2台は戦後に改めて営業の許可を得たものであるようです。

盤面に貼付されている、兵庫県公安委員会の検査済証。

パチンコ誕生博物館の杉山一夫館長はこれについて、「戦前の台にこれが貼られているのは、私の知る限り、この2台だけである。この2台は公安委員会誕生を示す超貴重な資料である」とSNSで述べています。

本来ならば博物館に展示されていてもおかしくない日本の娯楽産業の歴史遺産が実際に遊べる状態で展示されていることは、奇跡的と言っても過言ではないと思います。「いつまでもあると思うな親とカネ」という格言がありますが、このような歴史遺産についても同じことが言えます。遊べる、見られるうちに、その幸運を存分に味わっておくことをお勧めします。