オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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初期の国産メダルゲーム機最後の大ネタか? BLACKJACK(SEGA, 1976)

2020年01月05日 20時23分41秒 | 初期の国産メダルゲーム機
あけましておめでとうございます。2016年2月に始めた拙ブログも間もなく丸4年になろうとしています。これもひとえに拙ブログをご高覧くださる方々の温かい応援があってこそのことで、まことに感謝の念に堪えません。今年もオールドゲームやコインマシンの歴史に関する記録を主として細々と続けてまいる所存でおりますので、引き続きお引き立ていただけますようお願い申し上げます。

さて、拙ブログでは「初期の国産メダルゲーム機」というカテゴリーを設けて、1974年から77年くらいまでの間に発売された国内メーカーのメダルゲーム機に関する記事を掲載してきました。このカテゴリーの対象となる機種の殆どについては既に言及してきたつもりですが、ただ一つ、まだ触れていない機種が残っています。それが今回のテーマである「BLACKJACK (SEGA, 1976)」です。

今までこの機種に触れてこなかったことに、はじめのうちは特段の理由はありませんでした。しかし、いつの頃からか、これを述べたらその時点で一定の達成感を得てしまい(そしてまたネタ切れ感に襲われて)その後の記事更新の意欲がわかなくなるのではないかというおそれが芽生え始めて、記事化することに躊躇するようになってしまっておりました。

でも、いつまでも触れないままでいるわけにもいきません。昨年には「セガのブラックジャックの記事はないのか」という趣旨のコメントをいただいたこともあり、年の初めの一発目に思い切って取り上げることにいたします。

SEGAの「BLACKJACK」(正式の名称は「セガ・ブラック・ジャック」らしい)は、1976年に発売されました。業界誌を見ると、「アミューズメント産業」誌では1976年7月号にセガ社のカラー広告と新製品記事が、「ゲームマシン」紙では1976年7月15日号にセガ社のモノクロ広告がそれぞれ掲載されています。



セガ・ブラック・ジャックのフライヤー。二つ折りの開いた状態で、表紙側(上)と中側(下)。

フライヤーには、「中枢部は、いま電子工学技術の最先端を行く<マイクロプロセッサ>が受持っています」との記述があります。1970年代半ばは、アーケードゲーム機のシステムアーキテクチャにSS(ソリッドステート)という概念が取り入れられ始めたころです。セガがこの年に発売したこのブラックジャック機と「Rodeo」というピンボール機は、その世界的潮流のごく早い段階に開発されたSS機であり、その先進性が良い意味でも悪い意味でも特徴として語られる実にセガらしい製品と言えると思います。

ワタシが初めて「セガ・ブラック・ジャック」の実機に触れたのは1976年のたぶん晩夏から秋にかけての頃で、場所は都立大学駅にかつてあった「キャメル」というゲーム場(関連記事:柿の木坂トーヨーボール&キャメル)でした。まるで本物のブラックジャックテーブルを思わせる筐体デザインと、斬新なメダル払い出し機構で、たいへんにハマったゲームとなりました。

セガ・ブラック・ジャックは、それまでのメダル機と違ってプレイヤーの眼の前にメダルを払い出したので、まるで本物のブラックジャックテーブルでディーラーからチップが払い出されているかのように思われました。


勝ったメダルは、アームレストの下にある払い出し口(プレイヤーからは見えない)から図のピンク色の円内に吐き出された。

ブラックライトに照らされて不思議な輝きを放つカードの表示は、この時代の空港や鉄道の案内表示とか、壁掛け/卓上時計などによく使われていた「ソラリー式(反転フラップ式とかパタパタ式などとも呼ばれる)」という機械的な装置で行われていました。既にビデオゲームが普及してはいましたが、CRT表示でなかったのは、当時のビデオ技術ではカードを表示するにはまだ不十分なレベルだったのと、CRTはまだそれなりに高価な表示装置だったからでしょう(関連記事:メダルゲーム「TV21」(ジャトレ・1977)の謎 / ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(4)80年代の日本におけるビデオポーカーの暗黒時代)。

ソラリー式の表示には物理的な動作を伴うので、表示が完了するまでに、長ければ2~3秒程度の時間を要しました。しかし、目指す表示に達するまでパタパタとカードがめくれている間は、サスペンスが感じられたものでした。


カード表示装置部分の拡大図。4つの窓それぞれが独立したソラリー式表示装置となっている。カードを左右に二分割した中央を軸として、表示板がパタパタと高速度でめくれる。

◆セガ・ブラック・ジャックのゲーム進行手順

 (1)ベット受付。メダルは8枚まで投入できる。投入したメダル数は一桁の7セグで表示された。
 (2)プレイヤーの窓に1枚のカードが表示される。
 (3)ディーラー(テーブルには「HOUSE」と書かれている)の窓に2枚のカードが表示される。
 (4)プレイヤーの窓に2枚目のカードが表示される。
 (5)ヒット操作受付開始。プレイヤーは一定時間内に最大2回ヒットできる。
 (6)ディーラーのヒット動作開始。(注1)
 (7)プレイヤーが勝っていればメダル数の2倍が払い出される。(注2)(注3)

 (注1)オリジナルルールとは異なり、16でもスタンドすることもあった。法則は不明。
 (注2)プレイヤーの最初の2枚がスペードのAとスペードのJの場合は8倍の払い出しとなる。
 (注3)プッシュの場合はプレイヤーの負け。



筐体前面の、ゲーム進行ガイドランプ。ゲームシークエンスに沿って、女声のアナウンスとともに現在の段階がランプの点灯で示された。

ヒットの操作は、「カードオープンボタン」というボタンを押下することによって行いました。このカードオープンボタンには豆電球が内蔵されており、操作を受付ける時には点灯しましたが、バストしてしまったら操作受付時間中であっても消灯しました。この設計思想自体は良いのですが、表示されるカードはカードオープンボタンを押下した瞬間に決定しており、その時点で結果が21以上であると判断されれば、ソラリー式の表示装置がまだ目的のカードの表示を完了していなくともカードオープンボタンを消灯させてしまうという、非常に興を殺がれる作りになっていたのがまったく残念でした

ただ、これは必ずしも悪いばかりでなく、最初の2枚が11の時にヒットしてボタンが消灯すれば、表示機の動作が停止する前に21になることがわかりました。また、12以上のスティッフハンドでヒットしても消灯しない場合は、少なくとも今回はバストを免れたということも察知でき、消灯してしまった場合は21ちょうどか、それともバストかとハラハラしながらソラリー式表示機の動作を見守るという、おそらくは開発者が想定していなかったであろう楽しみ方もできました。

「セガ・ブラック・ジャック」は、「ファロ」(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)や、任天堂の「EVRレース」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム)ほどではないにしても、かなり広く普及したように思います。これに気をよくしたか、あるいは小規模ロケからの要望が多かったのか、セガは翌1977年には同じ機構を使用した一人用のブラックジャック機を発売しました。これはワタシが一時アルバイトをしていたダイエー碑文谷店のゲームコーナー(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)にも設置されました。


「ゲームマシン」紙1977年2月1日号に掲載された一人用セガ・ブラック・ジャックの新製品記事。SSピンボール機「ビッグ・トゥゲザー」と「ノスタルジア」の発売も同時に発表されている。

しかし、5人用の筐体は、海外旅行がそれほど一般的ではなかったこの時代にまだ見ぬ海外のカジノでプレイしているかのような錯覚に陥ったものでしたが、この一人用は、ゲーム自体は全く同じはずなのに5人用ほどの高揚感を得ることもなく、あまりのめり込むことができませんでした。

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
どひゃあ!(死語) (tom)
2020-01-05 21:54:53
nazox2016さん

本年もよろしくお願いします(礼

「セガ・ブラック・ジャック」は小生が高校生の頃、大阪難波の繁華街のゲームセンターに設置されていました。

女声のアナウンスには磁気(エンドレス)テープを使っているのか、テープが酷使されたのか回転ムラを起こしており、某SF映画のダースベ○ダー卿の声みたいになっていました(笑)

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Unknown (EM好きおじさん)
2020-01-06 22:33:18
nazox2016様、本年もよろしくお願い致します。
待ってました、セガのBLACK JACK。私がこのマシンを最初に見かけたのは独立したゲーセンではなくてビルの1階のちょっとしたスペースで、最初はあのFAROが設置されていたのですがBLACK JACKにリプレースされたのでした。
私も結構遊びましたが、私が一番気に入っていた所は払い出されたメダルが上面ガラスの上に投げ出された時のチャラチャラチャラという音でした。自分の手元にメダルが払い戻された時の気持ち良さ・・・しかし自分が負けた時に他のプレーヤーの手元に音を立ててメダルが吐き出されるのを見ると悔しくなり止められなくなってしまうのです。実にうまくできていました。
あの機構を開発された方々はかなり苦労されたのではないかと思います。1回だけマシンのメンテナンス場面を見た事があるのですが、メダルを回転するベルトで挟んで勢いをつけて吐き出している様に見えました。他のメダルゲームの様に各プレーヤーのひざ付近にメダル払い出し口が実装されていたら、私はそれほど魅力を感じなかっただろうと思います。
ところでプレイヤーがスペードのAとJで勝った時のみ配当が8倍になるというルールですが、なぜこんなルールを追加したのか不思議でした。設計側が配当2倍だけでは面白くないだろうと考えたのでしょうか?
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Unknown (nazox2016)
2020-01-06 23:00:40
セガのブラックジャック、やはりご存じでしたね。
ブラックジャックの音声再生装置がなんというシステムなのかはわかりませんが、側面に磁気テープが付いた厚みのある円盤が回転し、その円周の1/4くらいの範囲に、中にヘッドが隠されていると思しきカバーで覆われた部品が寄り添っているという構造でした。おそらくはその円盤の回転が不安定になる(遅くなる)と、ベイダーさんの声のようになるのだと思います。おそらく初の国産メダルゲーム機であるFAROの音声再生システムも同じ機構と思われ、キャメルにあったFAROの音声は、今にも息絶えそうな老人の声のように聞こえたものでした。
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Unknown (nazox2016)
2020-01-06 23:07:32
EM好きおじさん、やっとセガのブラックジャックに触れることができました。あの払い出し機構は、本当に気分が盛り上がる、秀逸な仕掛けでしたね。今なら上出しホッパーで簡単に実現できることですが、当時はかなり頑張ったと思います。

スペードのAとJで8倍というルールは、ブラックジャックは基本的に2倍にしかならないゲームなので、そのくらいの夢を見せないと魅力的に見えないと思ったのではないかと想像しています。

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。
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Unknown (Liner)
2020-01-07 16:05:05
音声、この時代(というか私は生まれた直後だぞ)だといわゆる4トラックや8トラックが主流だったように思えます。再生装置の速度が維持できないと当然磁気テープなので音声がゆがみます…

そしてエスカレーターの発想がこの時代に存在したことを脅威に感じます。私が物心ついたときに上払い出しのエスカレーターを登載した初めての機種は、記憶が間違っていなければ「ワールドダービー」(83年?)なので。
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Unknown (EM好きおじさん)
2020-01-08 20:46:35
nazox2016様

私はBLACK JACKの劣化アナウンスを聞いた記憶はないのですが、その音声再生装置について考察しました。
側面に磁気テープが貼られた厚みのある円盤が回転しその周囲に磁気ヘッドを格納したと思われる部品があったという事ですが、仮に磁気テープ速度を8トラテープと同じ9.5cm/s、円盤の直径を30cmとすれば円周は約94cmなので一周の時間は約10秒で、円盤の回転立ち上がり時間が必要なので連続再生可能時間はこれより短くなります。
もちろん実際には要求条件と実装条件から最終的な円盤の直径と回転速度が決定されたはずで、さらに必要な数だけ磁気テープ上に複数のトラックを用意して対応する磁気ヘッドを複数配置し、必要に応じてトラックを切り替えて使ったと考えられます。
次に磁気テープについてですが、汎用の磁気テープであれば1/4インチ(6.35mm)幅、1/2インチ(1.27cm)幅、1インチ(2.54cm)幅のどれかでしょう。しかしテープの磁性面が外側でテープのツルツル(ベース)面が円盤側になるので接着剤で貼りつける事は簡単ではなさそうです。貼りつけを考慮した専用の磁気テープだったのかもしれません。
最後にどうやって録音したのかを考えてみました。外部で録音した磁気テープを全周に渡って位置ずれが起こらない様に貼るのは困難で、磁気テープ貼りつけ済の円盤を組み込んで録音しようとすれば製品に録音機能を持たせなければなりません。ですから側面に磁気テープが貼られた未録音状態の円盤ASSYを専用装置で録音し、録音済円盤ASSYとして製品に組み込んだ後ヘッド位置調整をしたのではないかと思います。

さて色々と勝手な想像で書いてしまい申し訳ありません。今後も楽しいネタ投下をよろしくお願い致します。

追記

ところで私はFAROならばワカメテープ再生時の様に音がワウワウと揺れていたアナウンスを聞いた記憶があるのですが、FAROが8トラテープを使っていた可能性はありますか?
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Unknown (nazox2016)
2020-01-08 22:50:10
Linerさん、EM好きおじさん、まとめレスで失礼いたします。

>Linerさん
4トラック、8トラックというキーワードで検索すると、似ているカートリッジの画像は出てくるものの、そのものズバリの画像が見当たりません。セガ・ブラック・ジャックの磁気テープが巻かれた円盤はカートリッジ化されておらず、円盤の上面に貼られた紙のラベルには、「注意・側面のテープにはなるべく手を触れぬよう取り外しをして下さい DO NOT TOUCH TAPE WHEN PICKING OF DISC」と書かれています。

この時代はそもそも払い出し装置にホッパーを使用したメダル機がほとんどどなかったですからね。しかし、sigmaが1975年に自社ロケでオペレートした「ザ・ダービー」は、上出しでした。

>EM好きおじさん
音声再生ディスクの寸法ははっきりしないのですが、直径はおそらく20cm程度であるように見受けられました。私の知人にシングル機の実機を持っていた人がいたような気がしますので、機会があったら聞いてみたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
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Unknown (Liner)
2020-01-09 16:06:20
ザ・ダービー(Vφ)も上出しだったのですか…
40年以上前に作られていたのですね。
なお、ワールドダービーの発売開始年は88年でした。お詫びして訂正いたします。

上出しはその後、エスカレーターになっていくと認識していますが、個人的にエスカレーターの形式で一番驚いたのはダービーMk4のものでした。
エスカレーターは通常金属レールで完全に筒を作る形状であるのが一般的と認識しており、何かの拍子にエスカレーターレール内部でメダルが詰まる障害があると取り除くのが大変だったと認識していますが、Mk4は「10度程度の斜度を付けたプレートに、一本の太めの針金で上がってくるメダルの横に対する中心を抑える方式」で、重なりが発生しても対処が簡単なようになっていました。
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Unknown (nazox2016)
2020-01-11 22:17:48
ザ・ダービーVφは、オーパーツと言いたくなるくらい先進的だったと思います。開発費に糸目をつけず少量生産を前提とするやり方はsigmaがオペレーターだからこそできたことで、量産してなんぼのメーカーには容易にまねできることではなかったでしょうね。
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Unknown (EM好きおじさん)
2020-01-11 22:35:09
今度はBLACK JACKのペイアウト率を計算してみました。ただしマシン側アルゴリズムが不明なのでかなり大胆に推察しました。DLはディーラー、PLはプレイヤーを表します。
1.DLとPLはそれぞれ独立した52枚のカードデックを使い、1勝負毎にシャッフルされる。
2.DLはソフト16の時ヒット、ハード16の時スタンドする。
3.PLの最適戦略を求める事が困難なので以下の戦略を用いる。
11以下の時:ヒット。
12~17の時:
・DLが11以下ならばヒット。
・DLが12~16ならばスタンド。
・DLが17~20ならばヒット。
18の時:DLが17以下ならばスタンド、それ以上ならばヒット。
19の時:DLが18以下ならばスタンド、それ以上ならばヒット。
20の時:DLが19以下ならばスタンド、それ以上ならばヒット。
この条件下のシミュレーションではペイアウト率が83%~84%になりました。この値の信頼度はかなり低いのですが、FAROの出目がランダムと仮定した時のペイアウト率85%とほぼ同じ値なので、それほど狂っている値でもなさそうです。

それでは、失礼します。
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