オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【補足】前回提示したいくつかの謎について続報

2024年01月14日 20時33分35秒 | 初期の国産メダルゲーム機

前回の記事「【謹賀新年】初の国産メダルゲーム機発売から51年目の始まり」の中で「よくわからない」と言っていた部分について、ご高覧くださった方々からSNSやコメントなどでいくつかの情報をいただきました。どうもありがとうございます。そこで今回は、前回の補足としていただいた情報を整理、記録しておこうと思います。

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まずはセガが作ったBallyのコピー品について。ワタシが知る限り、セガはBallyのコピーと思しきスロットマシンを3機種作っています。
一つは前回の記事でご紹介した「ボーナスライン」、残りのふたつは「ボーナスツイン (Bonus Twin)」と「ラッキーダブル (Lucky Double)」です。しかし、これらがいつごろ作られたものなのかは今までずっと謎でした。

「ボーナスツイン」は、3リール3ラインで2つのプログレッシブジャックポットが搭載されています。これはBallyの「スーパージャックポット (1970)」のコピーと思われます。

「ボーナスツイン」(上)とBallyの「スーパージャックポット」(下)。スーパージャックポットの筐体画像はゴーストタイプで「ラッキーダブル」とは異るが、フライヤーの左下には通常のモデルのペイアウトテーブルも掲載されており、セガはこちらをコピーしたものと考えられる。

「ラッキーダブル」は5リール1ラインですが、右の4つのリールでBallyの4リール1ラインマシン「スーパーコンチネンタル (1970)」と同一のゲームを行います。ただし、最も左のリールはペイラインに「LUCKY DOUBLE」のシンボルが停止すると配当が2倍になるフィーチャーがあり、ペイアウト率を考えると、リールに配されている絵柄の構成はBally製品とは異なると思われます。

Bally製品には「ラッキーダブル」と同一のゲーム性を持つ製品が見当たらず、おそらくセガが「ボーナスライン」の部材を使い回してオリジナリティを出そうとしたのかなあと疑いますが、ゲーム性としてはあまり優れているとは言えないと思います。

「ラッキーダブル」のフライヤー(上)と、Ballyの「スーパーコンチネンタル」のフライヤー(スウェーデン版)(下)。

いただいた情報によると、これらセガの3機種のうち、「ボーナスライン」は1973年製、「ボーナスツイン」と「ラッキーダブル」は1974年製であるとのことです。これにセガの他のメダルゲームを含めて製造時期の早い順に並べると、

1973
ボーナスライン

シルバーフォールズ

1974
ファイブスター96

ファロ

ラッキーダブル

ハーネスレース

ボーナスツイン

となるとのことで、その通りであれば国産初のメダルゲーム機はボーナスライン、国産初の大型メダル機がシルバーフォールズと言うことになります。

ただ、だとすると少し腑に落ちない点があります。Ballyのコピーを作ったのであれば、当時のセガには払い出し機構にホッパーを搭載する技術はあったはずです。しかし、この頃のセガは他のメダルゲーム機にはホッパーを使っていません。ホッパーはスライサーよりもコストがかかるという理由であれば、ホッパー搭載のスロットマシンを作った理由はやはりカジノ向けのつもりということだったのではないかとの疑念も払拭しきれません。

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もう一件、「アスコット」については、拙ブログではおなじみのCaitlynが自身のブログで採り上げ、米国のコインマシン業界誌「Cash Box」1966年12月17日号の記事が紹介されています。そこでは1966年にロンドンで開催されたトレーディングショウ「ATEショウ英国のディストリビューターからセガの『アスコット』が出展された」と報告されています。

改めて前回ご紹介した総合カタログに掲載されてる「アスコット」と、単体のフライヤーの「アスコット」を見直してみると、若干の差異があります。

頒布時期不明の「アスコット」のフライヤーの筐体部分(上)と、74年に頒布されたフライヤーに掲載されている「アスコット」の部分(下)の比較。フライヤーの方には、ゲームのインストラクション部分に英国の通貨単位である「1d」の表示が見える。また、電光ルーレット盤の構成が双方で異なっている。

ワタシはこれまで、「ボーナスライン」などのBallyのコピー品、及び「アスコット」については、フライヤーが存在するという事実以外は全く何も知りませんでした。それが、ご高覧くださる皆さまのおかげでこれらの背景が少しですがわかってきました。本当にありがたいことです。どうぞこれからもお気づきのことがございましたらご教示いただけますようお願い申し上げます。


【謹賀新年】初の国産メダルゲーム機発売から51年目の始まり

2024年01月07日 18時43分11秒 | 初期の国産メダルゲーム機

今年2024年は、初の国産メダルゲーム機「シルバーフォールズ」(関連記事:初の国産メダルゲーム機:シルバーフォールズ)が発売されてから51年目となります。セガは、シルバーフォールズが発売された翌1974年に、おそらく日本初のメダルゲーム機の総合カタログを頒布しました。

セガが1974年に頒布したメダルゲームカタログ。二つ折り全4ページで構成されている。

「総合カタログ」とは言っても、なにしろまだメダルゲームは国産化が始まったばかりなので、それほど多くの製品はありません。嵩を増やすため(もしくは在庫処理のため)に、スロットマシンとして製造したウィンザーシリーズをメダルゲームに転用することは理解できますが、「アスコット」、「ボーナスライン」、それに「ファイブスター96」の3製品については詳しいことがわかりません。

アスコット」は、米国エヴァンス社の「ウィンターブック」のコピーのように見えます。拙ブログではおなじみのCaitlynが作成している「外国人のためのエレメカアーケードゲームガイド」では1966年の製品としています。

エヴァンス社の「ウィンターブック」。この個体はかつてsigmaが自社のロケで稼働させていたものと思われる。

しかし、1966年はまだ日本のAM市場にメダルゲームと言うジャンルは成立していません。一体セガは誰を相手にするつもりで「アスコット」を作ったのでしょうか。海外輸出用でしょうか。

次に「ボーナスライン」ですが、これは米国Bally社のスロットマシン「EXTRA LINE (1971)」のコピーのように見えます。

Ballyの「EXTRA LINE」のフライヤー。

セガは、ウィンザーシリーズを最後に海外のスロットマシン市場から撤退したと思っていた(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(4) セガのスロットマシンその2)のですが、この「ボーナスライン」はメダルゲームとするつもりだったのでしょうか。セガは他にも「ラッキーダブル」及び「ボーナスツイン」の、二つのBally製品のコピーを作っていますが、製造年はいずれも不明です。(24/1/7追記:SNSで、ラッキーダブルとボーナスツインは共に74年製のようであるとご教示いただきました! ありがとうございます!!

ファイブスター96」もよくわからない機種です。ここでは最高96枚のメダルを払い出すメダルゲームとして紹介していますが、1977年に頒布した価格表ではオリンピア機と並べて「ライセンスマシン」(つまり、風営機)として売り出しています。しかし、風営機であれば96枚もの大量の払い出しが認められるはずがなく、おそらくルールが改変されているはずですが、詳しいことはわかりません。

1977に頒布された価格表から、風営機としてのファイブスター96の部分。オリンピアマークIIIと共に掲載されている。

また、それ以前の1975年ころには「ファイブスターQ」を発売していますが、こちらはAM機(プライズ機)です。

「ファイブスターQ」のフライヤーの表裏。アレンジボールのバリエーションだった(と思われる)「ファイブスター96」とは機構が全く異なる。

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さて、遅れましたが、明けましておめでとうございます。今年もこんな具合で古い娯楽機の記憶や謎などについてつらつらと書き散らかしていこうと思います。もし、ご高覧くださる皆さまに思うところなどがございましたら、コメント欄にてお聞かせいただければ幸甚です。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。


初の国産メダルゲーム機:シルバーフォールズ

2023年05月21日 18時27分06秒 | 初期の国産メダルゲーム機

前回の記事でご紹介した通り、セガが自認する(大型)メダルゲームの国産第一号()は「ファロ」ではなく「シルバーフォールズ」であることが明らかになりました。

シルバーフォールズ。セガが1974年に頒布したメダルゲーム機の総合カタログより切り取った画像。

ワタシは過去記事「初の国産メダルゲーム機の記憶」で、「(初の国産メダルゲーム機は)1974年の春頃にセガから発売された『ファロ』と『シルバーフォールズ』になろうかと思います」と述べていますが、その本文では「ファロ」の説明しかしておらず、「シルバーフォールズ」はまるっきり無視しています。そしてその後もワタシは事あるごとに「ファロ」を初の国産メダルゲーム機と述べてまいりました。

しかしそれが誤りであることが判明した今回は、改めて国産初のメダルゲーム機として「シルバーフォールズ」を記録しておきたいと思います。

)拙ブログでは、「国産メダルゲーム機」とは、国内メーカーによってメダルゲーム営業に供することを目的として作られた「メダルゲームネイティブ(そんな言葉があるかどうかは知らない)」のゲーム機を指しており、メダルゲームとして稼働していても本来がメダルゲーム営業以外の市場に向けて作られたゲーム機は除外しています。

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とは言うものの、ワタシはシルバーフォールズはコインプッシャーであること以外ほとんど知りません。今までは「あー、はいはい、こんなプッシャーもありましたねー」で終えていたので、これは大いに反省しなければなりません。

それでも手持ちの資料を改めて調べていると、新たに気づくことがありました。セガが頒布したフライヤーで、「シルバーフォールズ」と「ファロ」は、総合カタログでしか見たことがありません。そのうち、1974年の早い時期に頒布された二つ折り4ページのメダルゲーム総合カタログでは、「シルバーフォールズ」が表紙を飾っています。

1974年に頒布されたセガのメダルゲーム総合カタログの表紙。「シルバーフォールズ」が大きく採り上げられている。

ここに見られる画像が、ワタシが持つ最大の「シルバーフォールズ」画像です。まずはこれを観察してみました。

上記総合カタログ表紙より、シルバーフォールズの拡大図。

この画像によると、「シルバーフォールズ」は、

①8人用。
②プレイフィールドは円形で8等分に区切られている。
③プッシャーボックス(コインを押し出す機構)は円形。

であることが見て取れます。こうしてじっくりと見て初めて気づいたのですが、「シルバーフォールズ」のプッシャーボックスは回転軸が偏心した円運動をしているようです。円板カムの動きというものでしょうか。それまで日本で見られた英国クロンプトン社製のプッシャーボックスは直線運動でしたから、これはオリジナリティの高いアイディアだと思います。

このように円形のプッシャーボックスで同じような動きをするプッシャーは、90年代の後半に発売されたこともありました。

円形のプッシャーボックスの円運動でメダルを押し出すプッシャー「ドリームターボ」。製造元がよくわからないのだが、Gマシンで良く知られたところだったような気がする。

ワタシはこれと非常によく似たプッシャーを1995年頃に米国で見かけており、「ドリームターボ」はそれをパクったものと疑っていますが、いずれにしても、その20年も前に同じアイディアのプッシャーをセガが作っていた事実は、ワタシにとって全く新しい知見でした。

ただ、「シルバーフォールズ」が普及しなかったことと、「ドリームターボ」以降同様の機構を持つプッシャーが継続して現れなかったことから、このような機構はアイディアではあるけれど、あまり面白さには繋がらなかったと言わざるを得ないとは思います。

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ところで、「シルバーフォールズ」の装飾はアラビアをテーマとしており、プッシャーボックスの上には4体のベリーダンサーの人形が置かれており、その上部には円形の飾り看板が付いています。セガの社内報での記事では、「(プッシャーボックスの上にある)照明装置に書かれている、何やらアラビア風の文字の意味、おわかりですか・・・。」とあります。

セガの社内報で「照明装置」としている部分の拡大図。

確かにそこにはアラビア文字のようにも見えるものが書いてあります。しかし解像度が低く、本当にアラビア文字であるかどうかも判別できません。社内報では「(解答は24頁)」と続くのですが、ワタシが見せていただいた画像はこの1ページのみで、24ページはありません。一体ここには何が描かれていたのでしょうか。

謎の文字も気になりますが、それ以上にワタシのマニア魂を揺さぶったのは、「照明装置」に描かれている謎の「模様」です。

ワタシのマニア魂を揺さぶった「照明装置」の謎の模様(赤円内)。

この模様はひょっとしてアレではないかと思い当たり、セガが1973年にリリースしたピンボール機「アリババ」(関連記事:初期の国産ピンボール機:Ali Baba(SEGA、1973))のフライヤーを見ると、二つ折り4ページの裏表紙側に、フォルムが非常によく似たアラビア女性の絵がありました。

セガのピンボール機「アリババ」(1973)のフライヤー(裏表紙の部分)。左上のカットが「シルバーフォールズ」の「照明装置」に見える模様とフォルムがそっくりであるように思われる。

「シルバーフォールズ」の画像でこれよりも鮮明なものが無いのが残念ですが、発売年は「アリババ」が1973年「シルバーフォールズ」は1974年(ひょっとすると1973年の遅い時期かも)ですので、同じアラビアンをテーマとした「シルバーフォールズ」に、「アリババ」のフライヤーで使用したカットを流用したものと思われます。だからどうしたと言われても困るのですが、マニアと言うものはこういう些細なトリビアに反応するようにできてしまっているのです。すみませんね。


【衝撃の小ネタ!】国産初のメダルゲーム機、実はファロじゃない!?

2023年05月14日 18時44分16秒 | 初期の国産メダルゲーム機

先日、オールドゲーム関連のコミュニティでは有名なある方より、セガの古い社内報をデジタルカメラで撮影した画像のほんの1ページを見せていただく機会があったのですが、そこにはこれまでのワタシの認識を覆す新事実が書かれていました。

 

見せていただいたセガの社内報の一部。

ここには、「新製品紹介 セガ・シルバー・フォールズ 大型メダルゲーム機の国産第一号」との見出しで、新製品「シルバーフォールズ」が紹介されています。

これがいつ発行された社内報なのかは不明とのことですが、「メダルゲームが(中略)本格的に人気が盛り上がったのは、昨年から」と記述されているところから、おそらくは1974年、早ければ1973年関連記事:「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)に発行されたものと思われます。他にも「セガも昨年大阪でアポロ・ベガスを開場し」ともあり、その時期が特定できればより正確にわかるはずですが、残念ながら私は突き止めることができませんでした。その後の調査で、アポロ・ベガスがオープンしたのは1972年7月とのことでした。従って、シルバーフォールズの発売年は1973年であることが判明しました。2023年11月27日加筆

本文には、

そこで誕生したのが、大型メダルゲーム機(マスゲーム機とも呼ばれています)の国産第一号”セガ・シルバー・フォールズ”なのです

開発に当っては、国産第一号とのことで、様々な苦労があったようです

と、二カ所で「国産第一号」と書かれています。

ワタシの手元にある資料のうちセガのメダルゲームが現れる最も古い媒体は、「アミューズメント産業」の74年3月号です。

アミューズメント産業74年3月号に掲載されているセガの広告。ファロとシルバーフォールズが見える。

ワタシは長年この画像を頼りに、「国産初のメダルゲームはファロ」と決めつけてしまっておりました。ここには「ファロ」と「シルバーフォールズ」の両方が掲載されていますし、またこれよりも古い媒体にシルバーフォールズのみ掲載されているものがあった可能性もあるにも拘わらず、です。

正直に申し上げると、ワタシは、「ファロ」はメダルゲームのある場所ならほとんどどこにも見られた一方、「シルバーフォールズ」はあまり見かけなかったことから、いくらか無理があることを承知の上で、シルバーフォールズを無視していました。それが今になって、よもやまさかシルバーフォールズを国産初とする確かな資料に出くわすとは思いもしておりませんでした。

ワタシはこれまで拙ブログにおいて複数回にわたり、「国産初のメダルゲームはファロ」と断言してしまっています。まずはその一番最初となる「初の国産メダルゲーム機の記憶(2016年3月)」を修正しなければなりません。その他の部分については思いつき次第順次修正していく所存です。やはり、インチキをすると後でしっぺ返しが来るものでありますね。しまったなあ。


初期の国産メダルゲーム機リスト(4)1977-1978

2022年09月18日 21時19分19秒 | 初期の国産メダルゲーム機

初期の国産メダルゲーム機リストの最終回です。今回は、1977年1978年2年分を一挙掲載です。と言うのも、1978年は、売り出された国産メダルゲームのタイトル数は、ピカデリーサーカス類を除いて非常に少なく、独立した記事にできるほどのボリュームがないのです。

警察庁の調査によれば、メダルゲーム場の件数は、1976年には1274軒、翌1977年は1544軒と、270軒増加しています(関連記事:TV報道番組に見る1978年のAM業界(4) 1978年のゲーセンルポと(なぜか)メダルゲームの市場規模推移)。

しかしその翌年の1978年、「インベーダーブーム」という社会現象が発生し(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(4) Space Invaders invaded Japan in 1988-1989)、それまで持て囃されていたメダルゲームは一気に退潮傾向を強めていきました。その時点でメダル機の大手メーカーだったセガタイトー任天堂ユニバーサルらはことごとくリソースをビデオゲーム開発に振り向け、以降しばらくの間はメダルゲームは冬の時代となります(関連記事: 「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)。

セガタイトーが再びメダルゲーム機を売り出すようになるのは1981年からです。ユニバーサルは完全に7号(パチスロ)メーカーに移行しており、メダルゲームに戻ってくるのは海外ゲーミング向けのスロットマシンに手を出し始めた80年代半ばになってからでした。任天堂に至ってはメダルゲームから撤退してしまいました。

その一方で、シングルロケの方はまだ伸長の余地が大きかったようで、現金を併用するピカデリーサーカスとその同コンセプト品はその間も作られ続けました。全日本遊園協会出版局が出版した「’78遊戯機械総合年鑑」には、1977年のAMショウに出展された機種及び過去1年間に売り出された機種として、全10社による30以上の機種が記載されており、さらに1978年になるとテーブル筐体で提供されるようにさえなっていきます。ただし、それらテーブル筐体に入ったピカデリー類の多くはアングラ市場を意識していたものであろうと思われるものでした。


************ 1977~1978年の国産メダルゲーム機リスト(50音順メーカー別>50音順タイトル別)

 ・ハイパーリンクのあるタイトルは、クリックすると関連記事に飛びます。

国産メダルゲーム機・1977
# タイトル タイトル(英文) メーカー 人数 ジャンル 備考
1 カラービンゴ COLOR BINGO タイトー 6 メカビンゴ 1975年に発表されているが、販売開始は77年。
2 パドック PADDOCK タイトー 1 ピンボール プライベートショウ参考出展(ゲームマシン77.4.15)。
3 ビッグショー BIG SHOW 大和東映 12 詳細不明。ゲームマシン77.5.1に記事あり。
4 EVRレースパーソナル EVR RACE PERSONAL 任天堂レジャーシステム 1 ビデオ競馬 EVRレースを一人用に改変したもの。
5 キングオブキングス KING OF KINGS ユニバーサル 8 カジノゲーム ビッグ6のゲーム性をメカルーレットで。
6 ルゴー RUGO 不明 5 電光ルーレット ファロの類似品。ゲームマシン77.06.01
7 ファロII FARO II セガ 6 カジノゲーム ファロの後継機で、メカの円盤が回る。最高オッズ60倍。
8 ジャックロット JACKLOT データイースト 1 カジノゲーム ジャトレTV21(米A1Supply社製)のコピー?
9 アルキメデスプラザ ARCHMEDES PLAZA 関西企業 3? 詳細不明。77年AMショウ出展機種。
10 マス・アレンジ MASS ARRANGE 不明 1×6 風営転用 風営機アレンジボールの転用。販売はエスコ貿易。
ピカデリータイプ(現金併用機)のうち異質なもの      
11 スーパーダイス SUPER DICE ウコー 1 電光ダイス 2個の電光ダイスの合計値を予想。
12 宇宙ユニバース UCYUU UNIVERSE ウコー 1 メカディスク ディスク2枚のロタミント風。
13 ベースボールメイト BASEBALL MATE 関西企業 1 電光ゲーム インタラクティブ性のあるピカデリー類。
             
             
国産メダルゲーム機・1978
# タイトル タイトル(英文) メーカー 人数 ジャンル 備考
1 ジルバ ZILVA 大阪パブコ 1 メカリール スキルストップボタン付き。
2 TVポーカー TV POKER シグマ 1 カジノゲーム 純粋に国産と言えるかどうか。
3 グランプリフォー GRAND PRIX FOUR セガ 4 スロットカ― アーケード機との2ウェイ可能との触れ込み。
4 数当てゲーム KAZUATE GAME ユニバーサル 4 ?(メカ) プレイフィールドにばら撒かれるメダル数を当てる。
5 コンチネンタルマークV CONTINENTAL MARK V ユニバーサル 1 メカリール Bally社Continentalの模倣品。

 

***筐体画像***

1977年 1・カラービンゴのフライヤー。発表は1975年にされていたが、なぜか販売開始が遅れた。

1977年 3・ビッグショウを報じるゲームマシン1977年5月1日号の記事。

1977年 5・キングオブキングスの広告。コインジャーナル1977年6月号に掲載された広告。

1977年 6・ルゴーを報じるゲームマシン1977年6月1日号の記事。

1977年 7・ファロIIのフライヤーの表裏。

1977年 9・アルキメデスプラザの筐体。

1978年 1・ジルバの広告。アミューズメント産業1978年5月号に掲載。

1978年 2・TVポーカーのフライヤーの表裏。

1978年 3・グランプリフォーのフライヤーの表紙。本来は二つ折り4ページで構成される。

1978年 4・数当てゲームの広告。ゲームマシン1978年8月15日号に掲載。