オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

初期の国産メダルゲーム機(10) プント・バンコ(SEGA, 1975)

2021年08月01日 22時01分45秒 | 初期の国産メダルゲーム機

バカラ(BACCARAT)」というカードゲームは、なぜかアジア人(もちろん日本人も含む)に人気が高いゲームです。マカオに行けばテーブルゲームの大半はバカラだし、国内では「バカラ賭博で逮捕」などという報道が時々あるので、見聞したことがある人も多いと思います。

「プント・バンコ(PUNTO BANCO)」は、そのバカラの一種です。バカラにはいくつかバリエーションがありますが、ワタシはどうしてもバカラが面白いと思うことができず、本を読んでもすぐ忘れてしまうので、それぞれのどの辺がどう違うのかはよくわかりません。

例によって話がわき道に逸れていますが、ここから本題です。
プント・バンコ(PUNTO BANKO)」は、セガが1975年に発売した12人用のマスメダルゲーム機です。セガが初めての国産メダルゲーム機「ファロ」と「シルバーフォールズ」を発売したのが1974年(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)で、その後「ハーネス・レース」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))、「グループビンゴ」(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975))と続き、「プント・バンコ」はセガにとって5番目のマスメダル機として、1975年の秋に発売されました。

「プント・バンコ」はしかし、そのモチーフはカードゲームではなく、なぜかルーレットでした。英文表記の綴りは「PUNTO BANKO」となっており、ひょっとして異なる言語の綴りなのかもと思って調べてみたら、「BANKO」はリトアニア語で「銀行」の意味、「BANCO」はスペイン語で「銀行」、イタリア語で「ベンチ(長椅子)」の意味なんだそうです。このゲーム機の名前がこれらのどれに由来しているのかは知る由もありません。

プント・バンコ(PUNTO BANKO)のフライヤー。二つ折りの4ページ構成で、上から順に表紙、1ページ目、2ページ目、裏表紙。なお、システム推奨サイズでなるべく大きく表示するために各ページを上下に2分割してある。

改めて、「プント・バンコ(PUNTO BANKO)」は、ルーレットをモチーフにしているであろうことは一見してわかります。一般的なルーレットは、0の目と、1から36までの目で構成されていますが、プント・バンコは、0と、1から12までの目で構成されています。

プント・バンコのプレイフィールド。この画像では見えにくいが、レイアウト上にチップを模した色とりどりの円形の印があちこちに見える。

プレイフィールドを見ると色とりどりのチップ(円形の印)があちこちに散らばって見えます。このチップは12種類に色分けされており、その色は12の席にそれぞれ割り当てられた色に対応しています

遊び方の基本は一般的なルーレットに準じ、1目賭けの他、複数の目をまたいだ賭け方が4種類用意されています。ただし、賭けられる番号は賭け方ごとに固定されており、好きな数字を選んで賭けられるわけではありません。フライヤーでは、緑の席を例に説明されています。

フライヤーに掲載されている遊び方の説明で、ここでは緑色の席を例として、「これ以外のナンバーには張れません」と言っている。

説明を読むと、緑の席は、1から12の番号のうち、

・1目賭けは11番
・2目賭けは8-10番
・3目賭けは2-4-6番
・4目賭けは9-10-11-12番
・6目賭けは1-3-5-7-9-11番

にのみ、ベットすることができることになっています。一応12種の番号すべてを網羅してはいるので、すべてにベットすれば、0が選ばれない限りどれかが当たることにはなりますが、大当たりを狙える番号は常に固定されていることになります。

業界紙「ゲームマシン」の1975年10月15日号は、新製品を紹介する「話題のマシン」で、このプント・バンコを紹介しています。それによると、「最近の電子工学技術」により「中枢部は四百六十個のICボード」が積まれているとのことです。セガは世界的に見ても最も早くからゲームのIC化に着手したメーカーのひとつで、このプント・バンコもその初期のチャレンジの一つだったのでしょう。ただ、このような技術的なハッタリはセガが好むところのはず(関連記事:GOAL KICK(SEGA, 1974))ですが、フライヤーの中では言及されていません。

プント・バンコの発売を報じる業界紙「ゲームマシン」の1975年10月15日号7面。

「プント・バンコ」は、賭けたい番号に自由に賭けられないゲームシステムが受け入れられなかったのか、残念ながらファロ、ハーネスレース、グループビンゴらそれ以前のセガのマスメダル機ほど普及しなかったように思います。ひょっとするとこれがマスメダル機におけるセガの挫折の第一号と言えるかもしれません。

おそらく1978年、ワタシは日比谷の映画街にあったセガ系列のゲーセンで、「プント・バンコ」の筐体を使った、プント・バンコではないゲーム機を見た記憶があります。おぼろげな記憶では、「セガ・ルーレット」と名乗っていたような気がしますが、ゲーム内容ははっきり覚えていません。ただ、賭けたところを意図的に外す操作が行われているような印象を得ました。ひょっとして、「プント・バンコ」の在庫部品処理だったりしたのでしょうか。どなたかこの機械についてご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか


初期の国産メダルゲーム機最後の大ネタか? BLACKJACK(SEGA, 1976)

2020年01月05日 20時23分41秒 | 初期の国産メダルゲーム機
あけましておめでとうございます。2016年2月に始めた拙ブログも間もなく丸4年になろうとしています。これもひとえに拙ブログをご高覧くださる方々の温かい応援があってこそのことで、まことに感謝の念に堪えません。今年もオールドゲームやコインマシンの歴史に関する記録を主として細々と続けてまいる所存でおりますので、引き続きお引き立ていただけますようお願い申し上げます。

さて、拙ブログでは「初期の国産メダルゲーム機」というカテゴリーを設けて、1974年から77年くらいまでの間に発売された国内メーカーのメダルゲーム機に関する記事を掲載してきました。このカテゴリーの対象となる機種の殆どについては既に言及してきたつもりですが、ただ一つ、まだ触れていない機種が残っています。それが今回のテーマである「BLACKJACK (SEGA, 1976)」です。

今までこの機種に触れてこなかったことに、はじめのうちは特段の理由はありませんでした。しかし、いつの頃からか、これを述べたらその時点で一定の達成感を得てしまい(そしてまたネタ切れ感に襲われて)その後の記事更新の意欲がわかなくなるのではないかというおそれが芽生え始めて、記事化することに躊躇するようになってしまっておりました。

でも、いつまでも触れないままでいるわけにもいきません。昨年には「セガのブラックジャックの記事はないのか」という趣旨のコメントをいただいたこともあり、年の初めの一発目に思い切って取り上げることにいたします。

SEGAの「BLACKJACK」(正式の名称は「セガ・ブラック・ジャック」らしい)は、1976年に発売されました。業界誌を見ると、「アミューズメント産業」誌では1976年7月号にセガ社のカラー広告と新製品記事が、「ゲームマシン」紙では1976年7月15日号にセガ社のモノクロ広告がそれぞれ掲載されています。



セガ・ブラック・ジャックのフライヤー。二つ折りの開いた状態で、表紙側(上)と中側(下)。

フライヤーには、「中枢部は、いま電子工学技術の最先端を行く<マイクロプロセッサ>が受持っています」との記述があります。1970年代半ばは、アーケードゲーム機のシステムアーキテクチャにSS(ソリッドステート)という概念が取り入れられ始めたころです。セガがこの年に発売したこのブラックジャック機と「Rodeo」というピンボール機は、その世界的潮流のごく早い段階に開発されたSS機であり、その先進性が良い意味でも悪い意味でも特徴として語られる実にセガらしい製品と言えると思います。

ワタシが初めて「セガ・ブラック・ジャック」の実機に触れたのは1976年のたぶん晩夏から秋にかけての頃で、場所は都立大学駅にかつてあった「キャメル」というゲーム場(関連記事:柿の木坂トーヨーボール&キャメル)でした。まるで本物のブラックジャックテーブルを思わせる筐体デザインと、斬新なメダル払い出し機構で、たいへんにハマったゲームとなりました。

セガ・ブラック・ジャックは、それまでのメダル機と違ってプレイヤーの眼の前にメダルを払い出したので、まるで本物のブラックジャックテーブルでディーラーからチップが払い出されているかのように思われました。


勝ったメダルは、アームレストの下にある払い出し口(プレイヤーからは見えない)から図のピンク色の円内に吐き出された。

ブラックライトに照らされて不思議な輝きを放つカードの表示は、この時代の空港や鉄道の案内表示とか、壁掛け/卓上時計などによく使われていた「ソラリー式(反転フラップ式とかパタパタ式などとも呼ばれる)」という機械的な装置で行われていました。既にビデオゲームが普及してはいましたが、CRT表示でなかったのは、当時のビデオ技術ではカードを表示するにはまだ不十分なレベルだったのと、CRTはまだそれなりに高価な表示装置だったからでしょう(関連記事:メダルゲーム「TV21」(ジャトレ・1977)の謎 / ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(4)80年代の日本におけるビデオポーカーの暗黒時代)。

ソラリー式の表示には物理的な動作を伴うので、表示が完了するまでに、長ければ2~3秒程度の時間を要しました。しかし、目指す表示に達するまでパタパタとカードがめくれている間は、サスペンスが感じられたものでした。


カード表示装置部分の拡大図。4つの窓それぞれが独立したソラリー式表示装置となっている。カードを左右に二分割した中央を軸として、表示板がパタパタと高速度でめくれる。

◆セガ・ブラック・ジャックのゲーム進行手順

 (1)ベット受付。メダルは8枚まで投入できる。投入したメダル数は一桁の7セグで表示された。
 (2)プレイヤーの窓に1枚のカードが表示される。
 (3)ディーラー(テーブルには「HOUSE」と書かれている)の窓に2枚のカードが表示される。
 (4)プレイヤーの窓に2枚目のカードが表示される。
 (5)ヒット操作受付開始。プレイヤーは一定時間内に最大2回ヒットできる。
 (6)ディーラーのヒット動作開始。(注1)
 (7)プレイヤーが勝っていればメダル数の2倍が払い出される。(注2)(注3)

 (注1)オリジナルルールとは異なり、16でもスタンドすることもあった。法則は不明。
 (注2)プレイヤーの最初の2枚がスペードのAとスペードのJの場合は8倍の払い出しとなる。
 (注3)プッシュの場合はプレイヤーの負け。



筐体前面の、ゲーム進行ガイドランプ。ゲームシークエンスに沿って、女声のアナウンスとともに現在の段階がランプの点灯で示された。

ヒットの操作は、「カードオープンボタン」というボタンを押下することによって行いました。このカードオープンボタンには豆電球が内蔵されており、操作を受付ける時には点灯しましたが、バストしてしまったら操作受付時間中であっても消灯しました。この設計思想自体は良いのですが、表示されるカードはカードオープンボタンを押下した瞬間に決定しており、その時点で結果が21以上であると判断されれば、ソラリー式の表示装置がまだ目的のカードの表示を完了していなくともカードオープンボタンを消灯させてしまうという、非常に興を殺がれる作りになっていたのがまったく残念でした

ただ、これは必ずしも悪いばかりでなく、最初の2枚が11の時にヒットしてボタンが消灯すれば、表示機の動作が停止する前に21になることがわかりました。また、12以上のスティッフハンドでヒットしても消灯しない場合は、少なくとも今回はバストを免れたということも察知でき、消灯してしまった場合は21ちょうどか、それともバストかとハラハラしながらソラリー式表示機の動作を見守るという、おそらくは開発者が想定していなかったであろう楽しみ方もできました。

「セガ・ブラック・ジャック」は、「ファロ」(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)や、任天堂の「EVRレース」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム)ほどではないにしても、かなり広く普及したように思います。これに気をよくしたか、あるいは小規模ロケからの要望が多かったのか、セガは翌1977年には同じ機構を使用した一人用のブラックジャック機を発売しました。これはワタシが一時アルバイトをしていたダイエー碑文谷店のゲームコーナー(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)にも設置されました。


「ゲームマシン」紙1977年2月1日号に掲載された一人用セガ・ブラック・ジャックの新製品記事。SSピンボール機「ビッグ・トゥゲザー」と「ノスタルジア」の発売も同時に発表されている。

しかし、5人用の筐体は、海外旅行がそれほど一般的ではなかったこの時代にまだ見ぬ海外のカジノでプレイしているかのような錯覚に陥ったものでしたが、この一人用は、ゲーム自体は全く同じはずなのに5人用ほどの高揚感を得ることもなく、あまりのめり込むことができませんでした。

初期の国産メダルゲーム機(8) タイトー1975

2019年07月28日 20時42分01秒 | 初期の国産メダルゲーム機
拙ブログでは、昨年の3月に「 初期の国産メダルゲーム機」というシリーズを始めて、およそ2か月間、7回にわたって、1974年から76年くらいまでに国内で開発されたメダルゲームについて述べて参りました。(参考:記事一覧・初期の国産メダルゲーム機

その中で、特にセガとユニバーサルについてはそこそこ詳しく述べているのですが、もう一つの主力メーカーであったタイトーについては、積み残したまま1年以上が経過してしまいました。なぜそんなことになったかというと、タイトーの初期のメダルゲーム機についてはあまり資料が無く、またワタシ自身の記憶も、正直なところあまり無かったからです。

しかし、その後いくらか資料が集まってきたこともあるので、まだ不完全な思いは残りますが、この辺でひとまずのカタを付けておこうと思います。

タイトー初のメダル機が何であるのか、実は定かではありません。しかし、過去記事「大阪レゲエ紀行(5) DAY 1・午後その4:大阪某所にて69年製エレメカと出会うの巻」に登場する「KTさん」という方からいただいた、1975年の初春に頒布されたと見られる「タイトー・メダルゲームマシン 価格一覧」には以下の6機種が記載されています。カッコ内はワタシが付けた注釈です。

・ダークホース(5人用電光競馬 210万円)(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム
・デッドヒート(6人用ビデオカーレース 170万円)
・シーソーボール(8人用 160万円/中古90万円)
・ギャラクシーフォールス(8人用プッシャー 96万円)
・グランドフォールス(6人用プッシャー 120万円/中古90万円)
・ゴールデンカップ(3人用プッシャー 85万円)

業界紙「ゲームマシン」1975年2月28日号(第17・18合併号)によれば、タイトーは1975年の2月14~15日に本社ショウルームでプライベートショウを開催し、全部で約35機種を展示したとのことですが、そこでは上記の6機種のほか、

・カラービンゴ(5人用)

も出展されたと述べられています。しかし、なぜかこの機種は、その後しばらくの間、塩漬けとなったようです(関連記事:カラービンゴ(タイトー)の発売年の謎)。

やはりKTさんからいただいたデジタル資料で、上記価格表の少し後に作成されたと思われる「メダルゲームマシン総合カタログ」には、

・ギャラクシーフォールスデラックス
・グランドフォールスツー

の2機種が更に追加されています。このうち「ギャラクシーフォールスデラックス」は、ワタシにとって長年幻だった機種で、過去記事「プッシャーに関する思いつき話(6):日本のプッシャー」で「筐体上部の投入口からピンパネルに投入されたメダルはまず階段状のプレイフィールドを落ちていくのですが、場合によってはメダルはそこで滞留し、最下段の本来のプレイフィールドまで落ちないというもの」と述べている機種が、まさにこれのことでした。

本当ならば、価格表や総合カタログの画像を掲載したいところではありますが、頂き物を大きな顔をして掲載することにいくばくかの後ろめたさを感じるところもあるので、ワタシの手持ちの資料から、3機種のフライヤー画像を掲載することでご容赦いただきたいと思います。


ダークホース。ゲーム詳細は「初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム」を参照してください。


デッドヒート。ワタシはこの機種をゲーセンで見た覚えが無い。筐体を見ると6台の車のレースを単勝式で当てると言うだけのように見える。画面のソフトは、時期からして、タイトーの大ヒットビデオレースゲーム「スピードレース」を応用しているのだろうか。


ギャラクシーフォールス。その後に出たと思われる「ギャラクシーフォールスデラックス」とはゲーム性が異なる。

初期の国産メダルゲーム機(7) ユニバーサル その2b

2018年05月13日 15時27分42秒 | 初期の国産メダルゲーム機
今回は、余談が多くてつい長くなってしまったユニバーサルの初期メダルゲーム機シリーズの最終回です。

◆ビッグアンドスモール(Big & Small, 1976) 
ユニバーサルの会社案内では昭和50年(1975年)の発売とされていますが、「アミューズメント産業」誌では1976年4月号に広告が掲載されています。


アミューズメント産業1976年4月号に掲載されたビッグ&スモール(旧)の広告。

また、この機種はなぜかすぐにバージョンアップを行っており、前作の広告が掲載されたわずか4か月後に刊行されたアミューズメント産業76年8月号に、その広告が掲載されています。


アミューズメント産業1976年8月号に掲載されたビッグ&スモール(新)の広告。

ここでは便宜上、バージョンアップ前を「旧」、バージョンアップ後を「新」と呼ぶことにしますが、「旧」も「新」も、タイトルは同じです。「新」の方のタイトルに、「NEW」などのバージョン違いを示すような言葉は付いていません。しかし、筐体の写真を比較すると、微妙に異なる部分があります。




「旧」の筐体(上)と「新」の筐体(下)。

「旧」では、向かい合ったサテライトの境が緑色の平面であるのに対し、「新」ではインストラクションが描かれた仕切りのようなものが追加されています。さらに、コントロールパネルの色合いも異なるので、さらに詳しく見てみました。




「旧」のコントロールパネル(上)と「新」のコントロールパネル(下)。

最大の違いは、「新」には、「旧」には無かったクレジットメーターが付いている点です(コントロールパネル上では「手持ちメダル枚数」と既述されている)。さらに、「大または小への賭け」が、「旧」ではメダル5枚までしかベットできない仕様であったものが、「新」では二桁の7セグ表示器が付いており、99クレジットまでベットできるようになっています。さらに言えば、新では緑色のクレジット払い出しボタンが装備されています。

「ビッグ・アンド・スモール」では、ゲームで獲得された配当はすべてクレジットで払い出され、メダルに換えたい場合はこの払い出しボタンを押す仕様になっていました。ただし、インストラクションには、「ゲームの配当を払い出している最中にクレジット払い出しボタンを押すとメダルが必ず少なくなる」という趣旨の注意が記載されておりました。国産のメダルゲームでクレジット機能を搭載したのは、この機種が初めてだったような気がします(間違いがありましたらなにとぞご指摘ください)。これは非常に画期的なことでしたが、しかし、まだ完成形とは呼べないレベルであったことがうかがわれます。

ところで、アミューズメント産業誌に掲載された「新」の宣伝コピーが、今では信じられないセンスをしています。面白いので、この部分をアップでご紹介しておこうと思います。



アミューズメント産業76年8月号に掲載された[新」の広告のうち、コピー部分の拡大図。前半の、突っ込みたくなるところ満載の小芝居ぶりもさることながら、後半のバカ正直にも出目の操作を行っていると言っているかのように読める部分があるなど、今の常識でみると眩暈がしそうなセンスである。

カジノで行われている本来のビッグ・アンド・スモールでは、3個のダイスが同じ目であった場合、大、または小の賭けについては親の総取りの目となります。そのような目の発生確率は本来は1/36ですから、控除率は2.8%となるはずですが、「より多く賭けられておる方から約2割ほどの確率をいただく」と述べているところから、このゲームはすべてがナチュラルディールで行われていないことが察せられます。

◆キング・オブ・キングス(King of Kings, 1976)

ユニバーサルからもう一機種、「キング・オブ・キングス」を記録しておきたいと思います。このゲーム機は、「ビッグシックス」というカジノのゲームを、物理的な回転盤とボールで行うように改変したものと言って良いものと思います。類似のゲーム性を持つものとしては、日本初の国産メダルゲーム機であるとワタシが考えているセガのファロ(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)が既にありましたが、抽選方法を物理的に行うことによって、インチキ臭さを感じさせないゲームにしようとしたのではないかと推測しています。また、このゲームでは、ホイール上の目がルーレットのように「赤/黒」に塗り分けられており、数字に直接ベットするだけでなく、赤または黒の目にベットすることができました。これは、ファロにも、あるいはその類似品であるコナミの「ピカデリー・サーカス」にもなかった賭け方です。


「アミューズメント産業」77年6月号に掲載された「キング・オブ・キングス」の広告。

ワタシはこの機械を、「ゲームファンタジア渋谷」(現・アドアーズ渋谷)で見ていますが、他のロケで見た覚えがほとんどありません。機械動作部分が多いので、ファロなどと比べれば高価であったろうことは想像ができますし、また故障の問題もあったのではないかと思います。しかし、この機械に強いインプレッションを感じた人もいたようで、大阪・天王寺にあるゲームセンター「かすが娯楽場」では、このゲームのロゴや回転盤のデザインを取り入れた看板を作成し、店頭に誇らしげに掲げており、それは今も残っています(関連記事:かすが娯楽場(大阪)の記憶



かすが娯楽場のエントランスと、「キング・オブ・キングス」のロゴを掲げた光看板。
(このシリーズ・おわり)

初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a

2018年04月27日 00時03分36秒 | 初期の国産メダルゲーム機
ワタシの手元に、ユニバーサルの会社案内1982年版と1984年版があります。これらには、それまでにユニバーサルが世に出した製品のリストが掲載されています。


ユニバーサルの会社案内1982年版に掲載されている、かつて発売した製品のリスト(部分)。「昭和45年」=1970年、「昭和48年」=1973年、「昭和49年」=1974年。

ワタシは、過去記事「初の国産メダルゲーム機の記憶」以来、拙サイトにおいては「初の国産メダル機は1974年にセガが発売したファロ」と主張してきましたが、このリストを信じるならば、「ゴールドパンサー」が1973年に発売されたとあります。また、1974年にも少なくとも3種のメダルゲーム機を発売したとしており、ワタシのこれまでの主張が事実なのかという疑念が生まれてきてしまいました。

しかし、ユニバーサルが74年に発売したとしている3機種は、業界誌「アミューズメント産業」を見る限りでは、いずれも1975年または1976年にその広告が掲載されています。掲載時期と販売開始時期は必ずしも一致しているとは限らないし、またワタシは当時の業界誌紙の全てを参照できているわけではないのでそれ以前から広告が掲載されていた可能性もありますが、それでも、遅くとも1974年3月号に広告が掲載されたセガのファロよりも早いということはないという確信に近い記憶があります。

ただ、「ゴールドパンサー」には引っ掛かります。ネット上を検索すると該当する画像が一つだけあり、それは一見したところ、「ウィンターブック」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム)の類似機種で、「ダービーゲーム」と言われていたGマシン(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))のバリエーションのようにも見えます。そして、ワタシもこの盤面には見覚えがありますが、しかしそれはメダル機ではなくプライズ機であったように記憶しています。「ゴールドパンサー」については今後の宿題として、近いうちに国会図書館で過去の業界誌をひっくり返して調べてみようと思います

なお、上図における昭和49年(1974年)の「ステークス・レース」と「ダブル・オア・ナッシング」も、その名前からメダルゲームと思われますが、このゲーム機は私の記憶にありません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただければありがたく存じます。それと、昭和51年(1976年)の「ミニ・ルーレット」と昭和52年(1977年)の「スーパーマシン」は、コナミの「ピカデリーサーカス」(関連記事:【小ネタ】一人用メダルゲーム「ピカデリーサーカス」とセガのファロ)の類似機種です。

今回も前置きが長くなってしまいましたが、これよりユニバーサルの会社案内が1974年と1975年に発売したと言っている機種について覚えていることを記録していこうと思います。

◆ニューウィンターブック(New Winter Book, 1975)
前掲の会社案内では昭和49年(1974年)の発売となっていますが、業界誌「アミューズメント産業」での広告の掲載は1975年3月号となっています。3月号ということは発売自体は2月であり、原稿の入稿時期も考慮すると、1974年に発売された可能性は否定できませんが、例えそうであったとしても、1年前の1974年3月号に同誌に広告が掲載されたセガの「ファロ」より早いということはないと思われます。ワタシがこれを初めてにして唯一見たのは、1975年の5月、オープン直後のダイエー碑文谷店のゲームコーナー(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)でした。


業界誌「アミューズメント産業」1975年3月号に掲載されたニューウィンターブックの広告。

内容については、過去記事で前述の「初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム」で触れていますので省略します。

◆ニューケンタッキーダービー(New Kentucky Derby, 1975)
この機種も、会社案内では昭和49年(1974年)の発売となっていますが、「アミューズメント産業」誌での広告の掲載は、前述の「ニューウィンターブック」と同じ1975年3月号となっています。そして、ワタシがこれを都立大学駅近くのゲームセンター「キャメル」(関連記事:柿の木坂トーヨーボール & キャメル)で見たのは、1975年以降のことでした。


ニューケンタッキーダービー。業界誌「アミューズメント産業」1975年3月号(前述ウィンターブックの広告が掲載された同じ号)に掲載された広告。

これも前述の過去記事「初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム」で触れていますので、内容は省略します。

◆スーパースター(Super Star, 1975)
この機種も、前述2機種と同じく、会社案内ではやはり昭和49年(1974年)の発売とされていますが、アミューズメント産業誌の1975年12月号には、同年の秋に開催されたAMショウの出展機種紹介記事にて紹介されており、さらに、翌年の1976年3月号には広告が掲載されています。また、ワタシがこの機械を都立大学駅近くにあった「トーヨーボール」(関連記事:柿の木坂トーヨーボール & キャメル)に入荷したところを見たのは、間違いなく早くとも1975年以降です。




業界誌「アミューズメント産業」1976年3月号に掲載されたスーパースターの広告(上)と、筐体部分の拡大(下)。

遊び方は、3列のフルーツシンボルのランプが、左から右へと一つずつ順次点灯(右端に達したら左端に戻って以下繰り返し)していき、最終的にどのフルーツシンボルが点灯して停止するかを当てるゲームです。

ワタシはこのゲームのルールをあまり覚えておりませんでしたが、広告の文面を読んでなんとか思い出したところでは、一つのシンボルにつきメダルを3枚までベットできたように思います。例えばチェリーシンボルに1枚ベットすると、最上段の列のチェリーのみが当たりとなりますが、中段と下段はゲームに関係しません。さらにチェリーに2枚目のメダルをベットすると、上段と中段のチェリーが当たりとなりますが、最下段は関係しません。続けて、一つのシンボルのマックスベットである3枚目をチェリーにベットすることで、全ての段のチェリーが当たりとなる、というルールだったような気がします。シンボルは全部で6種あり、それぞれについて同様の要領でベットします。

スロットマシンのマルチペイラインタイプも、ベットするたびに有効となるペイラインが増えるので、それと同じようなものとも言えますが、スロットマシンはとにかく何でもいいから当たりの目が出れば良いのに対し、「スーパースター」では、出現率が異なるシンボルの中から当たりとなる目を自分で選ばなければならず、しかもメダル1枚で遊ぶ限りでは大当たりが望めないということからも、ワタシはこのゲームを面白いと思えず、遊んだ記憶がありません。ひょっとすると、全てのシンボルにマックスベットすればそれなりに面白くなったのかもしれませんが、当時のワタシはメダル1枚を惜しみながらベットするようなプレイヤーだったので、そんな度胸はありませんでした。

一度も遊んだことがないと言いましたが、しかしゲームサウンドだけは強く印象に残っています。スーパースターにはおそらくリズムボックスが内蔵されており、ベット受付中とゲーム進行中では異なるリズムが刻まれていました。そしてこの機械は、客の有無に関わらず自動的にゲームが進行するので、近くにいれば嫌でもそのリズム音を繰り返し聞かされます。まだリズムボックスというものの存在を知らなかった当時のワタシは、その高音質の心地よいリズムに驚いたものでした。

なお、筐体上部のビルボード部分にもフルーツシンボルが円形に並んだランプが3つあります。これは、一つのシンボルにマックスベットして、そのシンボルがすべての段で点灯した場合に与えられる大当たりのフィーチャーに関するものだったような気がするのですが、定かな記憶ではありません。もしかしたら、単なる結果表示である疑いも(ほとんどナンセンスではありますが)感じます。

ユニバーサルの初期のメダルゲームについては、もう少し言及しておきたいものがあるのですが、今回は前置きが長かったため、残りは次回とさせていただきます。

(つづく)