オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

新ラスベガス半生中継2019年秋(2) DAY 1:成田~現地1日目

2019年10月27日 14時22分03秒 | 海外カジノ
◆スケジュールが変更された10月15日(火)、午後2時に成田空港に到着。出発ロビーでは長い行列ができている航空会社もあり、総じて人は多かった。台風で足止めを食らった人々がそれだけいたという事なのだろうか。しかし、その割にはセキュリティや出国審査は空いていた。ANAラウンジでごはんをいただきながら出発を待つ。はじめのうちはたいそう空いていたが、ワタシが出るころにはかなり混んでいた。

◆午後4時過ぎ、飛行機に搭乗する。出発前の安全ビデオが、スパイダーマンを使ったエンターテインメント性を意識したものになっていたが、あまり面白くない。

機内で映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観る。劇場でも観ているがやはり良い。それにしても、特にブライアン、ロジャー、ジョンの3人は実在のモデルにまったく栗卒だ。

眠れないのでもう一本、「ドリームガールズ」を観る。劇中で、ドリームガールズがラスベガスのシーザーズパレスで公演するシーンがあり、僅かな間ラスベガスの町並みが映るが、建物の配置がおかしい。1966年との設定だが、シーザーズパレスの向かいにフラミンゴがあるのは良いとして、そのすぐ(向かって)左隣にサンズがあるのは近すぎる。本来ならこの間には、将来LINQやハラーズが建つ土地があるはずだ。もっとヘンなのは、シーザーズパレスのすぐ北側にデューンズ(現ブラージョウ)のマーキーが見えていることだ。これはシーザーズの南側になければならないものだ。当時、このアングルでデューンズのマーキーがある辺りに見えるものがあるとすれば、それはガソリンスタンドの「SHELL」の看板のはずだ(これは帰国後に調べた)。当時のストリップエリアはまだ現在のように満艦飾のホテルがびっしりと建ち並んでいるわけではなかったので、映画としての絵面を整えるためにありえない夜景を新規に作りだし、そこに役者を合成したのだろう。実際の当時の写真と見比べると、シーザーズパレスやフラミンゴのマーキーの形も、本物とは微妙に異なる。それを悪いと言いたいわけではなく、映画を作るということは気づきにくいところで大きな苦労があるのだろうなあと思った次第。



ドリームガールズのラスベガスのシーン(上)と、1966年当時の実際のシーザーズパレス前の風景(下)。下の画像は「Vintagelasvegas.com」より

◆現地時間の午前10時ころ、サンフランシスコ到着。飛行機では結局一睡もしなかったが眠気は無い。入国審査は以前よりも更に簡略化されていて、機内で受け取って記入していた税関申告書を提出するシーンは無かった。UAのラウンジで約1時間半の乗り継ぎを待つ。

午後2時前、ラスベガス到着。レンタカーセンターで車を借り、ダウンタウンに向かう。レンタカーセンターは珍しくガラ空きだった。これから、昨日到着しているT本を投宿先のエル・コルテスで拾ってバスプロショップに行くことになっているのだが、エル・コルテス周辺の道路が工事のためあちこち封鎖されており、どこから入れば良いのかわからず往生した。

◆T本と共にバスプロショップ。普段使い用のポーチを購入。思ったほど選択肢がなく、結局購入したのは、本来はピストルを入れて運ぶことを想定したものだった。後でよくよく見たら、「For Wemen」とあるがあまり気にならない。税込54.11ドル。T本はキャンプ用品をいくつか買い込んでいた。

バスプロショップの2階をうろついていたら、1階の大水槽に向かって何かを投げ入れている男がいた。近寄ってみたら、タッパーウェアから小魚を掴んでは投げ込んでいた。「餌やりですか」と聞いたらそうだと言う。男は次にペレット状のエサを投げ入れた。これは下に沈むので水槽の下にいる魚がこれを食べるのだと言う。水槽を見下ろすと、ワタシの大好きな魚の一つである大きなチョウザメが見えたので、慌ててスマホでチョウザメの絵を検索して男に見せ、これは英語で何というのかと聞いたら、「ああ、これはスタージョンだね。ここには2匹いるよ」と教えてくれた。後で調べたら「sturgeon」という綴りだった。餌やりは1日1回とのことだったので、ラッキーだった。

◆バスプロショップからダウンタウンに戻る途中でPinball Hall of Fameに立ち寄る。機械がいくらか増え、配置が若干変わっていた。しかし、増えたのは新製品を含むSS機ばかりで、EM機の比率は減っている。これはワタシにとっては嬉しくない。などと言いつつも、EMばかりを1時間半ほど遊ぶ。

◆ダウンタウンに戻り、夕食はハートアタックグリル。ここに最後に来たのはいつだったろうか。とにかく久しぶりだ。パティ1ポンドのダブルバイパスにドクターペッパーで、チップ込み20ドル。


①ダブルバイパス(純ラードで揚げたポテト付)。 ②クラウンを取ったところ。 ③手に持つとずっしりと重い。チーズは4枚 ④瓶入りのドクターペッパーは初めて見た。

◆T本をエル・コルテスに送り届け、ワタシはメインストリートステーションにチェックインする。一睡もしていない状態であるうえ、明日は9時にホテルを発ちT本を拾ってG2Eショウ会場に行くので、12時前にはベッドに入る。

(つづく)

新ラスベガス半生中継・2019年秋(1) 準備~台風によるスケジュール変更まで

2019年10月27日 14時15分56秒 | 海外カジノ
【旅行準備】
10/15(火)~17(木)にラスベガスで開催されるゲーミング業界のトレーディングショウ「Global Gaming Expo(G2E)」見物を目的に、7月ころから準備を始める。

◆航空券はエクスペディアから、NRT-LAS往復を10万8千円で購入。旅程は10/12(土)日本発~10/20(日)日本着の7泊9日。久々に10万円台で済む航空券が買えて喜ぶ。

◆併せてレンタルWIFIとレンタカーを予約。レンタカーは、従来だと2万円台で済んでいたのに、今回は「このシーズンは混んでいて高い」とのアナウンスがあり、3万円を超えてしまった。とは言え、他のレンタカー会社だと5万円くらいかかってしまうところなので許すことにする。

◆ホテルはBOYDゲーミング系列からコンプで取れるところから選んで、
・最初の2泊をサムズタウン
・3~4泊目をメインストリートステーション
・4~6泊目をゴールドコースト
に取る。7泊目はコンプが出なかった(金曜夜だから仕方ないか)が、どうせ最後の夜は一晩中カジノで過ごし、帰りの飛行機を眠って過ごすのが通例となっているので、宿無しとする。荷物は車に積みっぱなしにしておけば良い。

◆この時期にラスベガスに行く知り合いは多いが、そのうちの一人であるT本が、偶然、行き帰り共にワタシと全く同じ便を取っていた。T本はレンタカーを持たないというので、現地では概ね一緒に行動しようと打ち合わせる。また、これとは別にY野という元同僚が、若い衆二人を連れて同じ時期に現地入りすると言うので、G2Eショウ前日の14日一日を割いてローカルカジノツァーの計画を立てる。

【台風の発生と接近】
10月6日ころ、台風19号が発生したというニュースが流れる。この段階では飛行機への影響に一抹の不安を感じるも、まだそれほど心配はしていなかった。日が進んで12日の台風の位置が伊豆半島の南くらいとの予報が流れた時も、これならギリギリ間に合うのではないかと期待していたが、10日になって、いくつかの航空会社が12日の成田発便は全便欠航すると発表した。

ユナイテッドが欠航を発表したのは出発前日の11日(金)。出社前に自宅のパソコンからユナイテッド航空のウェブサイトにアクセスして便の変更をしようとするも、「この航空券は外部から購入されているのでここでは変更ができない」と拒否されてしまった。やむなく、エクスペディアのサポートに電話を掛けるが、「ただいまたいへん混み合っているのでそのまま待て」とのアナウンスが流れるばかりで、オペレーターに繋がらない。小一時間ほど待ったが繋がらないので、諦めて会社に行く。

その日の午前中、T本からLINEで連絡があり、10/14(月)初の便に振り替えることができたという。T本も航空券は外部(エクスペディアではない)から買っていたが、ユナイテッドから変更手続きはここでせよとのメールが直接来て、手続きできたという。ワタシにはそんなメールは来ていない。

出社後も昼休み中ずっとエクスペディアをコールし続けたがやはり繋がらない。帰宅後、今度こそオペレーターに繋がるまで切らない決意でかけ直したところ、40分ほど待ってやっと繋がった。オペレーターに事情を話し、なるべく早く出発できる便に振り替えて欲しいと頼むが、10/15(火)出発の同じ便しかないと言う。ワタシと同じ旅程で取っていた者(T本)は月曜発の便が取れているのだがと食い下がったところ、ユナイテッドに確認して折り返し連絡すると言うので一旦電話を切る。

20分ほどしてエクスペディアからコールバックがあり、やはり月曜発は埋まっているという。あまり粘って取れるものも取れなくなることを懸念して、やむなく火曜発の便で良いとする。こうして、当初7泊9日だった旅行は、4泊6日の弾丸ツァーとなってしまった

【旅程変更の諸手続き】
◆まずはレンタカーをキャンセルして、新たに取り直す。あまりに直前過ぎるのでキャンセル料でもかかるかと思ったが、特に何もなくキャンセルできた。

◆ホテル。最初の2泊のサムズタウンと次の2泊のメインストリートステーションをキャンセルして、新たにメインストリートステーションを火曜日からの1泊で取り直す。この時期、メインストリートステーションは満室の日が多かったので今から取れなかったらどうしようと心配だったが、無事コンプで取れた。

◆レンタルWIFIのリスケジュール。特別のキャンペーンにより全部で980円で済んでいたものをキャンセルして取り直さなければならなかった。ちょっとショック。

◆大崎から成田までのバスもキャンセル。ただ、ここは「予約優先」ではあるが予約必須ではないので、ノーショウでもペナルティは無いようだった。

12日(土)の関東は確かに記録的な暴風雨だった。ワタシの自宅は4階建てのビルの4階だが、風で揺れる。これで飛行機を飛ばすなど自殺行為以外のナニモノでもないことは素人でも理解できるので、まだ若干の未練を残していた心の整理もついた。一度、あまりに強く揺れることがあったが、それは風ではなく地震だった。

(つづく)

【訂正・追加等】スペインのメーカー、「INDER」の件

2019年10月14日 15時13分24秒 | 訂正・追加等
ワタシは拙ブログを更新すると、オールドゲームに関心がある皆さんに向けて、Twitterで更新のお知らせを呟いております。

昨日(2019年10月13日)、スペインのコインマシンメーカー「INDER」に言及した記事「近況報告 + 謎のフライヤーの話」をアップした際、例によってTwitterで告知したところ、たちどころにInderをご存知という方々からリプライをいただきました。それによると、Inder社はどうやらスペインでユニバーサルのビデオゲームを扱っていたようで、またInderのピンボールを見たことがあるという方もいらっしゃいました。

ワタシは、自分をオールドゲームに関するオーソリティであるなどとは露ほども思っておりませんが、やはり全然知らない件についてより詳しいお話をご存知の方に遭遇すると、世の中の広さを思い知らされます。こうして新たな知識を分けていただけると、それを手掛かりにまた未知だったコインマシン業界の背景を追求することができるので、全くありがたいことです。今後ともよろしくお願いいたします。

Inderによるユニバーサルのビデオゲーム筐体の画像を提供いただいたTwitterはこちらになります。

なお、Inderのピンボールに関するデータはこちらにあります。

近況報告 + 謎のフライヤーの話

2019年10月13日 23時15分09秒 | メーカー・関連企業
12日(土)に出発するはずだった今回のラスベガス行は、台風19号のために飛行機が欠航となり、リスケジュールを余儀なくされました。しかし、航空券を購入したのがエクスペディアだったため、航空会社で直に便変更ができず、全然電話が繋がらないエクスペディアに繰り返し電話をしてやっと連絡が取れて得られた代替便は15日(火)の出発となってしまいました。

当初7泊9日だった旅程は、3日も短い4泊6日となりました。これでは現地で動けるのは実質3日半しかありません。そして、このうち2日間は行動予定が決まっています。まったくフリーに動ける日が僅か1日半では、目論んでいた計画の多くを断念せざるを得ず、ひょっとすると今回はPinball Hall Of Fameに行けないかもしれません。

愚痴ばかりでは記事更新の意味が無いので、かと言って特に準備していたネタがあるわけでもないので、今回はワタシが持っている謎のフライヤーをご紹介してお茶を濁そうと思います。

ワタシの手元には、「Inder Electronics」というコインマシンメーカーのフライヤーが1枚だけあります。中身を読むと、スペインの会社のようです。この入手経路には全く記憶がなく、ただ、1980年代に手に入れた物であることだけしかわかりません。



INDERのフライヤーの表と裏。取扱い者として、「PHILIP SHEFRAS LTD.,」というロンドンの業者のスタンプが捺してある。




フライヤーの機種の肝心の部分。窓の下のボタンには、「HOLD」や「STOP」の文字が見える。

このフライヤーは、欧州で一般的な「AWS(Amusement With Prize)」というジャンルのスロットマシンのようです。

それにしても、スペインという国は比較的コインマシンメーカーが多い国だったと思いますが、この「INDER」という名前を他で見聞したことがありません。しかし、スペインの「SEGASA」や「PLAYMATIC」、「RECREATIVOS FRANCO」などのメーカーが、70年代から90年代にかけてピンボールを作っていたことを思い出して、日ごろお世話になっている「THE INTERNET PINBALL DATABASE」を検索してみたところ、思った通り、「Industria (Electromecanica) de Recreativos S.A. of Madrid, Spain (1970-1993) [TRADE NAME: INDER]」というメーカーがヒットしました。

とは言うものの、「Recreativos」という名前には引っかかります。これは「RECREATIVOS FRANCO」と関係があるのかないのか。「RECREATIVOS FRANCO」は、少し前までスロットマシンも作っていましたが、社長だかが脱税だったかなんかで挙げられてネバダの免許を取り消されたという話も聞いています。

こうしてまた謎は深まっていくのですが、今回は調査をしている時間がありません。とりあえずは、「こんな事でもひっかかってるんですよねー」という程度の尻切れトンボでおしまいとさせていただきます。すみません。

【小ネタ】本日のナツゲー:CHOPLIFTER (SEGA, 1985) + ブログ更新お休みのお知らせ

2019年10月06日 20時02分27秒 | ビデオゲーム
まず、お知らせです。来週12日(土)から20日(日)までラスベガスに行って参ります。目的は毎年恒例となっている「Global Gaming Expo (G2E)」の見物です。

と、いうわけで、最低でも毎週日曜更新を極力目指している拙ブログですが、来週13日の更新はお休みとさせていただきます。さらに次の日曜日となる20日にはなにがしかの更新ができればと思っていますが、こちらは帰国日なので状況次第です。なにとぞご了承ください。

で、これだけではなんかちょっとアレですので、小ネタを一つ。

その昔、米国Apple社がまだパソコンメーカーだったころ。「Apple II」というパソコンが、なんだかやたらとパソコンファンの間でもてはやされていました。しかし、日本のベストセラー機だったNECの「PC-8001」が16万8千円、「PC-6001」が6万9千800円だった時代に、Appleのパソコンは50万円ほどもしたように記憶しています。

そのApple IIのゲームソフトを、「マイコンBASICマガジン」は、しょっちゅう取り上げて、巻頭カラーで紹介していたのですが、当時(1982年頃)の50万円は今にも増して大金でしたから、誰でもそうおいそれと買えるものではなく、多くのパソコンファンにとって垂涎の機種でした。

「マイコンBASICマガジン」で紹介されていたApple IIのゲームソフトでは、「ブローダーバンド(Broaderbund)社」の「チョップリフター (Choplifter, 1982)」と「ロードランナー (Lode Runner, 1983)」が印象に残っています。どちらもアーケードに移植され、特に「Lode Runner」は一時アイレム社の看板タイトルであったように思います。

一方の「Choplifter」は、1985年にセガがアーケードに移植しました。ワタシはPCやコンシューマ系のゲームには詳しくは無いのですが、当時、ハードの性能はアーケードの方が圧倒的に高く、アーケードのタイトルを無理やりコンシューマに移植した例はあっても、コンシューマタイトルをアーケードに移植した例は殆ど無かったように思います(この辺、ワタシに認識違いがありましたらご指摘頂ければ幸甚です)。



1982年にSEGAが頒布した英語版の「Choplifter」フライヤーの表裏。裏には「ブローダーバンド社からライセンスを受けている」と明記されている。

ゲーセンで見る「チョップリフター」は、「マイコンBASICマガジン」の写真で見る「Choplifter」など比較にならないくらいグラフィックが美しく、ラインスクロールによって遠くのものほど遅く進むことで感じる遠近感には大変なスピード感を感じた物でした。

操作は比較的難しいゲームでしたが、敵の攻撃が激しくて捕虜を積み残して行かざるを得ない時などは、心の中で「許してくれ」とつぶやくくらい感情移入して遊んでいたものでした。

今ではアーケードもコンシューマもハードの差はなくなり、アーケードのアドバンテージは無くなってしまいました。これも、ゲームファンのゲーセン離れが進んだ一因だと思います。