オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

「トレード・チェック」の話

2025年02月23日 19時38分57秒 | スロットマシン/メダルゲーム

米国Bally社が1964年に払い出し機構にホッパーを導入してスロットマシンに革命を起こす以前の、まだ19世紀末にチャールズ・フェイが発明した3リールのスロットマシン「リバティ・ベル」の基本原理をほとんどそのまま模倣して作られていたスロットマシンの多くは、現金(硬貨)の他に「トレード・チェック (Trade Check)」も併せて使用することができました。トレード・チェックとは、換金はできないがそこに書かれている額面の商品と交換することができるトークンのことで、つまりは金券の一種です。

チャールズ・フェイの孫、マーシャル・フェイの著書「SLOT MACHINES A Pictorial History of the First 100 Years」第5版のP.45より、払い出しの仕組みの図解。この説明の中に、現金とトレード・チェックの識別の方法も含まれている。

この図が説明している、現金とトレード・チェックの識別の方法をごく簡単に解説しておくと、5セント硬貨(現金)はコインシュート内でピンに押し出されキャッシュボックスに運ばれるが、トレード・チェックは真ん中に穴が開いているためピンに押し出されることなくコインシュート内に残り、ペイアウト機構に送られる仕組みになっています。

このページの右下には、硬貨が入っていくキャッシュボックス(ここでは「キャッシュ・カン」と言っている)を模した囲みが描かれ、そこには「リバティ・ベルは、サンフランシスコではトレード・チェックの払い出しが違法とみなされる1902年までは、トークンを払い出す機械として稼働できた」と書かれており、トレード・チェックは法律に対応するための方便として使用されていたことが窺われます。

さて、実は今回はここまでが前置きです。先日、なんとある方から、セガのスロットマシンで使われていたと思われるトレード・チェックを2種類、いただいてしまいました。

いただいた2枚のトレード・チェックの表と裏。

1枚は径が19.5mmで、片面に「SEGA 3d」、もう片面には「VALUE IN KIND ONLY」と刻印されています。

もう一つの方は、径が19.0mmとやや小さく、両面とも同じく「SEGA NO CASH VALUE」と刻印されています。

セガのスロットマシンは英国にもたくさん輸出されているので(関連記事:【小ネタ】セガ・マッドマネーとアルフレッド・E・ニューマン(Alfred E. Neuman))、このうちのひとつはおそらく英国で使用された額面3ペンスのトレード・チェックで、もう一つの方は額面が書かれていないので価値はわかりませんが、穴あきであることからトレード・チェックと同様に機械に投入し、当たれば払い出し機構から払い出される性格のトークンであろうと思われます。

やや大きい方に刻印されている「VALUE IN KIND ONLY」とは、少しわかりにくいのですが、「現物に限る」と言う意味だそうです。つまり、3ペンス相当の商品と交換はできるが、換金はできないということなのでしょう。昨今、ポイ活勢に注目されるポイントみたいなものと理解すればよいのでしょうか。英国にはこの種のトークンが多く残っていて、「3d uk token」のキーワードで検索すると似たような画像がいくつもヒットするところから、60年代の英国ではこのようなトークンを使った運営が日常的に行われていたものと思われます。

ネットで検索するとヒットする、3dトレード・チェックの画像の一例。一部のトークンに見られる「PE」の刻印は、英国の大手ディストリビューター「Phonographic Equipment」(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(4) セガのスロットマシンその2)を意味しているもの思われる。

このトレード・チェックをくださった「ある方」には、何とお礼を申し上げれば良いのか言葉が見つかりません。大事に保管させていただきます。


【小ネタ】日本バーリーって知ってる?

2025年02月16日 19時14分24秒 | メーカー・関連企業

ワタシにとって「Bally (バーリー)」と言えば、60年代から80年代にかけて、ピンボール、スロットマシン、あるいはビンゴ機などを通じて深く馴染んだゲーム機メーカーで、拙ブログでもこれまで過去記事「米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(1)」をはじめ、しばしば言及してまいりました。

1978年、ワタシはその「Bally」のロゴをTVCMで見て、あの米国Bally社がついに日本に乗り込んできたのかと驚きました。そこでは、Ballyのロゴが入った帽子をかぶったおじさんが喫茶店やレストランを覗くとそこに「Ballyコスモス」が設置されているというストーリーで、最後はBallyのロゴを持ったおねえちゃんが「日本バーリー💛」とほほ笑んで締めくくられていました。

1978年に放映されていた「日本バーリー」のTVCMの一部。米国Bally社のロゴそのものを使用している。このCMの全容はyoutubeで見ることができる

しかし、「Bally」の名は日本のAM業界にとっては古くからビッグネームであったようで、(おそらく勝手に)「バーリー」を名乗るAM関連業者は国内に複数社あり、この「日本バーリー」もその一つであることを後に知りました。「'76 遊戯機械名鑑」の関連業者名簿では、1973年に「日本バーリー株式会社」として資本金1000万円で設立とありますが、なぜか社名は「日本バーリー観光株式会社」となっています。おそらくこれは、並びにある「日本ドリーム観光株式会社」と混同があった編集ミスでしょう。

'76遊戯機械名鑑の関連業者名簿より、「日本バーリー株式会社」の部分。社名が「日本バーリー観光株式会社」とあるのは、編集段階でふたつ下にある「日本ドリーム観光株式会社」と混同があったと思われる。

しかし、業界誌「コインジャーナル」に掲載されている広告では社名を「日本バーリー電子機器」としており、正式な社名はよくわかりません。

コインジャーナル1979年1月号に掲載された「日本バーリー電子機器」の広告。右上に、あのTVCMで見たキャラクターが描かれている。「Ballyおじさん」と言うらしい。

日本バーリー電子機器は1980年1月倒産してしまい、業界紙ゲームマシンは、1980年3月1日号でこれを伝えています。

「ゲームマシン」1980年3月1日号4面より、日本バーリー電子機器の倒産を報じる記事。

この記事によれば、「バーリー・インベーダー」、「キャプテン・スタントマン」、「赤いキツネ」などのビデオゲームタイトルがあるとのことですが、ワタシはこれらの実機をロケで見た覚えがありません。この時期の業界誌を眺めているとよく見かける名前ではありますが、どの程度普及していたものでしょうか。倒産の背景に、「インベーダー後の状況変化に対応できず」とありますが、具体的にはどういうことだったのか気になります。インベーダーブームの終息後、基板や筐体の在庫に悩まされたという話は良く聞きますが、これもやはり同じような理由によるものだったのでしょうか。

Bally」は世界のコインノップ業界のトップに君臨したビッグネームで、このような騙りまで現れるほどだったのに、最近のナウなヤングはこの名前を知らない人が多いのは何とも淋しいことです。


セガ・スター・シリーズの登場時期が判明!

2025年02月09日 19時18分47秒 | 歴史

セガは、元々スロットマシンをアジア・太平洋地区の米軍基地に売り込むことを目的に設立された会社でした。少なくとも1956年までは、米国Mills社の「ハイトップ」と呼ばれる筐体に入ったスロットマシンを販売していたようですが、その後すぐにそのコピーを製造して世界中に売るようになりました(関連記事:セガのスロットマシンに関する思いつき話)。

そのコピー品は、セガ設立の黒幕である「マーティン・ブロムリー」と言う人物が、Mills社が予備としてストックしてあった製造ツールを買い取って作ったものでした。しかし、Mills社はセガの機械を「ニセモノ」と非難し厳しく指弾する広告を業界誌に掲載しました。(関連記事:【衝撃】セガ製Mills機、実は海賊版だった!?)。

セガとしてはこの非難に対してなにかしらの言い分はあったのかもしれませんが、本当に後ろ暗いところがあったのかもしれません。真相は明らかではありませんが、セガは最終的に、少なくとも表面上はMills社製品には見えないオリジナルの筐体を開発しました。その新筐体に入った製品名は最後に必ず「スター」と付けられていたので、ワタシはこの筐体を「スター・シリーズ」と呼んでいます(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(3) セガのスロットマシンその1


Mills社のハイトップ筐体のコピー品(左)と、セガが開発した新筐体「スター・シリーズ」(右)。

「スター・シリーズ」は、世界のオールドゲームファンの間で、コレクティブルなオールドスロットマシンとして良く知られており、特に英国や欧州にコレクターが多いです。で、あるにもかかわらず、「スター・シリーズ」が初めて登場した時期はネット上を検索しても明快な答えが見つからず、拙ブログでも「1960年前後」とまでしか特定できていなかったのが長年の癪の種でした。

ある日、海外の業界誌で得た情報を端緒としてあちこち資料を辿っているうちに、日本で発行されている英字新聞、「朝日イブニングニュース」にセガの特集記事があることを知り、国会図書館に行って調べたところ、それは1962年5月16日の日付で、セガがコインマシンのトップメーカーとなったことを4ページに渡って特集した記事でした。

1962年5月16日発行の朝日イブニングニュース。「Sega Inc. Becomes Top Manufacturer of Coin Machines」との見出しで、4ページに渡ってセガの生い立ちや目覚ましい発展ぶりを紹介している特集記事の1ページ目。

ワタシの英語能力はお粗末なのでまだ全文を読み下せてはいませんが、4ページに渡る特集記事の比較的最初の方に、スター・シリーズに関する記述がありました。

「スター・シリーズ」に関する記述の部分(赤下線はワタシによる)。

この部分を超訳すると、こんな感じかと思います。

1959年セガは「セガ・スター・マシン」という新しいユニークな新デザインのスロットマシンを発表した。これはスロットマシン業界で20年以上にわたる基本的デザインの最初の変更を取り入れたもので、すぐに成功を収めた。

つまるところ、ワタシがこれまで拙ブログにおいて「スター・シリーズ」と呼んでいた筐体が初めて世に出たのは1959年であることが判明しました。

この朝日イブニングニュースには他にもセガが最初に作ったAM機とか、セガがいかに先進的な企業であるかなど興味深い話があり、これらに付いてはいずれ拙ブログでご紹介したいと思いますが、先述したとおりワタシはまだすべて読み下してはいませんので、今回はとりあえず「スター・シリーズ」が初めて登場した年が判明したことを記録しておくにとどめておこうと思います。


半世紀前(1975)のアーケードマシン(2)メダルゲームその3

2025年02月02日 20時16分50秒 | 歴史

半世紀前に稼働していたコインマシンを、1975年11月に刊行された「'76 遊戯機械名鑑」(以下、76年名鑑)から見て行こうという趣旨の本シリーズ、今回は「メダルゲーム」の最終回、「グループゲーム機」です。

「グループゲーム」とは、一つのゲーム結果を複数のプレイヤーで共有するゲームのことで、現在は「マスメダルゲーム」と呼ばれるのが一般的です。しかし、複数のサテライトを有するゲーム機であれば、大型プッシャー機のように必ずしも同じゲーム結果を共有しているとは限らないものでも、このカテゴリーに入れられるのが通例です。

「グループゲーム機」は、日本にメダルゲームと言うジャンルができた当初は「ジャパン・オーバーシーズ・ビジネス(J.O.B.)」社が輸入する英国製の機械が殆どだったように記憶しています。米国製品の例は思いつきません

それが、1973年セガが8人用プッシャー「シルバー・フォールズ」を発売し、翌年に5人用電光ルーレットの「ファロ」(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)と10人用のメカ競馬「ハーネスレース」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))と立て続けにグループゲーム機を開発して以降、タイトー、ユニバーサル、任天堂も参入してきて国産のメダルゲーム機が増え始めたのが、この76年名鑑が編纂されていた1975年という時期でした。


・グループビンゴ:(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975)
・ダークホース:(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム
・ギャラクシーフォールズ:(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(8) タイトー1975
・シーソーボール:これまで拙ブログで採り上げたことが無い。シーソーのように傾くプレイフィールド上のボールが何番のポケットに入るかを予想するゲームだったと思うが、一度見たことがあるだけで遊んではいないので確信が持てない。後述の「トート・ロール・アップ」と関連があるかもしれない。

 


・ゴールデンカップ:

・グランドフォールズ:

・デッドヒート:以上3機種はいずれもタイトーのグループゲーム。(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(8) タイトー1975
・ケンタッキーダービー:ユニバーサルの電光競馬ゲーム。(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム


・ザ・ダービー:sigma初の自社製メダルゲーム機。開発費に5千万円かけたとの話は、当時は破格だった(関連記事:sigma「THE DERBY」シリーズの系譜メモ (と、GWに伴う更新スケジュール変更のお知らせ)。
・ニューウィンターブック:コンセプトからタイトルまで、オリジナルを丸パクリしたユニバーサルの「ダービーゲーム」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a)。
・エキサイティングレース:ワタシはこの機械は業界誌の広告でしか見たことが無い。グループゲームとされているが本来は一人用。Gマシン界隈では、コインの投入口の数を、参加できる人数と言い変える宣伝が良く行われた。

 


・サンダーフォー

・ジャンボダービー:以上2機種はいずれもGマシンの「ダービーゲーム」をグループゲーム化したもの。
・ハーネス・レース:国産初のメカ競馬ゲーム(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))。
・ダービーグランプリコイン:一つ前の「エキサイティングレース」と同じく、本来は一人用の「ダービーゲーム」。

 


・ハーネスデラックス:セガの「ハーネスレース」のコピー。
・ハーネスダービーと・ワンダフルシックス:「ダービーゲーム」をグループゲーム化したもの。
・ビッグシックス:セガの「ファロ」のコピー。
このページの機械の製造者とされている「フジエンタープライズ」についてはいろいろと怪しい話を聞いているが、迂闊に公表できない。なお、現存はしない。

 


・ペニーダイス:どのようなゲームかよくわからないが、英国製のゲーム機のように思われる。「オリエンタル興業」は他にも英国クロンプトン社の「マジックトッパ―ズ」の類似機種を扱っていたりして(関連記事: 「マジックトッパ―ズ (Magic Toppers)」の謎)、謎が深くよくわからない。
・ニュー・ペニー・フォールズ

・ダブル・フォールズ

・スピナ・ウィナー:以上3機種はいずれも英国クロンプトン社のコインプッシャーで、この頃は「ジャパン・オーバーシーズ・ビジネス(J.O.B.)」が扱っていた(関連記事:プッシャーに関する思いつき話(2):日本におけるクロンプトン)。

 


・ホイール・エム・イン

・ダービーレーサー

・ケンタッキー・ダービー

・オート・ルーレット:これら4機種はいずれもJ.O.B.が扱っていた英国製のグループゲーム機。ワタシは1974年の段階でこれらを後楽園で遊んでいる(関連記事:1974年の後楽園)。


・ル・マン:これもJ.O.B.が輸入していた英国製グループゲーム。
・ゴールデンボール:これもやはりJ.O.B.が輸入していた英国製グループゲームだが、ワタシはロケで見たことが無い。1986年にsigmaがリメイクしたが、普及はしなかった。
・ディング・ア・ベル:やはりJ.O.B.が輸入していた英国製グループゲーム。どこでも見られるような機械ではなかったが、ワタシは1975年に自宅近くのダイエー碑文谷店で遊んでいる(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)。
・トート・ロールアップ:これについては詳しいことはわからないが、タイトーの「シーソーボール」の元ネタのように思える。

 


・プント・バンコ:(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(10) プント・バンコ(SEGA, 1975)

・アスコット:セガが1966年頃に作った「ウィンターブック」の模倣品。いわゆる「ダービーゲーム」にくくられるゲーム機だが、日本のアングラ市場に出ていたかどうかはわからない。
・シルバーフォールズ:国産初のメダルゲーム機。(関連記事:初の国産メダルゲーム機:シルバーフォールズ


・ファロ:(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)。
・ダービーグランプリ:これも数多く作られた「ダービーゲーム」の一つ。メーカーの「ワイプ」は、以前は「本木(もとき)」の社名でやはりダービーゲームを扱っており、電取法という「別件逮捕」で摘発された過去があるが、懲りていないようだ。
・ウィナーズ・サークル:米国Bally社製の2P用メカ競馬機(関連記事:NASAが発明したゲーム機「ウィナーズ・サークル」)。ワタシはsigmaの「ザ・ダービー」の元ネタではないかと疑っている。

当然と言えば当然なのですが、殆どの機種は拙ブログで過去に触れていました。ハイパーリンクを辿ればもう少し詳しい話や周辺情報が得られるかもしれません。

(このシリーズおわり)