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オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

セガ・スター・シリーズの登場時期が判明!

2025年02月09日 19時18分47秒 | 歴史

セガは、元々スロットマシンをアジア・太平洋地区の米軍基地に売り込むことを目的に設立された会社でした。少なくとも1956年までは、米国Mills社の「ハイトップ」と呼ばれる筐体に入ったスロットマシンを販売していたようですが、その後すぐにそのコピーを製造して世界中に売るようになりました(関連記事:セガのスロットマシンに関する思いつき話)。

そのコピー品は、セガ設立の黒幕である「マーティン・ブロムリー」と言う人物が、Mills社が予備としてストックしてあった製造ツールを買い取って作ったものでした。しかし、Mills社はセガの機械を「ニセモノ」と非難し厳しく指弾する広告を業界誌に掲載しました。(関連記事:【衝撃】セガ製Mills機、実は海賊版だった!?)。

セガとしてはこの非難に対してなにかしらの言い分はあったのかもしれませんが、本当に後ろ暗いところがあったのかもしれません。真相は明らかではありませんが、セガは最終的に、少なくとも表面上はMills社製品には見えないオリジナルの筐体を開発しました。その新筐体に入った製品名は最後に必ず「スター」と付けられていたので、ワタシはこの筐体を「スター・シリーズ」と呼んでいます(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(3) セガのスロットマシンその1


Mills社のハイトップ筐体のコピー品(左)と、セガが開発した新筐体「スター・シリーズ」(右)。

「スター・シリーズ」は、世界のオールドゲームファンの間で、コレクティブルなオールドスロットマシンとして良く知られており、特に英国や欧州にコレクターが多いです。で、あるにもかかわらず、「スター・シリーズ」が初めて登場した時期はネット上を検索しても明快な答えが見つからず、拙ブログでも「1960年前後」とまでしか特定できていなかったのが長年の癪の種でした。

ある日、海外の業界誌で得た情報を端緒としてあちこち資料を辿っているうちに、日本で発行されている英字新聞、「朝日イブニングニュース」にセガの特集記事があることを知り、国会図書館に行って調べたところ、それは1962年5月16日の日付で、セガがコインマシンのトップメーカーとなったことを4ページに渡って特集した記事でした。

1962年5月16日発行の朝日イブニングニュース。「Sega Inc. Becomes Top Manufacturer of Coin Machines」との見出しで、4ページに渡ってセガの生い立ちや目覚ましい発展ぶりを紹介している特集記事の1ページ目。

ワタシの英語能力はお粗末なのでまだ全文を読み下せてはいませんが、4ページに渡る特集記事の比較的最初の方に、スター・シリーズに関する記述がありました。

「スター・シリーズ」に関する記述の部分(赤下線はワタシによる)。

この部分を超訳すると、こんな感じかと思います。

1959年セガは「セガ・スター・マシン」という新しいユニークな新デザインのスロットマシンを発表した。これはスロットマシン業界で20年以上にわたる基本的デザインの最初の変更を取り入れたもので、すぐに成功を収めた。

つまるところ、ワタシがこれまで拙ブログにおいて「スター・シリーズ」と呼んでいた筐体が初めて世に出たのは1959年であることが判明しました。

この朝日イブニングニュースには他にもセガが最初に作ったAM機とか、セガがいかに先進的な企業であるかなど興味深い話があり、これらに付いてはいずれ拙ブログでご紹介したいと思いますが、先述したとおりワタシはまだすべて読み下してはいませんので、今回はとりあえず「スター・シリーズ」が初めて登場した年が判明したことを記録しておくにとどめておこうと思います。


半世紀前(1975)のアーケードマシン(2)メダルゲームその3

2025年02月02日 20時16分50秒 | 歴史

半世紀前に稼働していたコインマシンを、1975年11月に刊行された「'76 遊戯機械名鑑」(以下、76年名鑑)から見て行こうという趣旨の本シリーズ、今回は「メダルゲーム」の最終回、「グループゲーム機」です。

「グループゲーム」とは、一つのゲーム結果を複数のプレイヤーで共有するゲームのことで、現在は「マスメダルゲーム」と呼ばれるのが一般的です。しかし、複数のサテライトを有するゲーム機であれば、大型プッシャー機のように必ずしも同じゲーム結果を共有しているとは限らないものでも、このカテゴリーに入れられるのが通例です。

「グループゲーム機」は、日本にメダルゲームと言うジャンルができた当初は「ジャパン・オーバーシーズ・ビジネス(J.O.B.)」社が輸入する英国製の機械が殆どだったように記憶しています。米国製品の例は思いつきません

それが、1973年セガが8人用プッシャー「シルバー・フォールズ」を発売し、翌年に5人用電光ルーレットの「ファロ」(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)と10人用のメカ競馬「ハーネスレース」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))と立て続けにグループゲーム機を開発して以降、タイトー、ユニバーサル、任天堂も参入してきて国産のメダルゲーム機が増え始めたのが、この76年名鑑が編纂されていた1975年という時期でした。


・グループビンゴ:(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975)
・ダークホース:(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム
・ギャラクシーフォールズ:(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(8) タイトー1975
・シーソーボール:これまで拙ブログで採り上げたことが無い。シーソーのように傾くプレイフィールド上のボールが何番のポケットに入るかを予想するゲームだったと思うが、一度見たことがあるだけで遊んではいないので確信が持てない。後述の「トート・ロール・アップ」と関連があるかもしれない。

 


・ゴールデンカップ:

・グランドフォールズ:

・デッドヒート:以上3機種はいずれもタイトーのグループゲーム。(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(8) タイトー1975
・ケンタッキーダービー:ユニバーサルの電光競馬ゲーム。(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム


・ザ・ダービー:sigma初の自社製メダルゲーム機。開発費に5千万円かけたとの話は、当時は破格だった(関連記事:sigma「THE DERBY」シリーズの系譜メモ (と、GWに伴う更新スケジュール変更のお知らせ)。
・ニューウィンターブック:コンセプトからタイトルまで、オリジナルを丸パクリしたユニバーサルの「ダービーゲーム」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a)。
・エキサイティングレース:ワタシはこの機械は業界誌の広告でしか見たことが無い。グループゲームとされているが本来は一人用。Gマシン界隈では、コインの投入口の数を、参加できる人数と言い変える宣伝が良く行われた。

 


・サンダーフォー

・ジャンボダービー:以上2機種はいずれもGマシンの「ダービーゲーム」をグループゲーム化したもの。
・ハーネス・レース:国産初のメカ競馬ゲーム(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))。
・ダービーグランプリコイン:一つ前の「エキサイティングレース」と同じく、本来は一人用の「ダービーゲーム」。

 


・ハーネスデラックス:セガの「ハーネスレース」のコピー。
・ハーネスダービーと・ワンダフルシックス:「ダービーゲーム」をグループゲーム化したもの。
・ビッグシックス:セガの「ファロ」のコピー。
このページの機械の製造者とされている「フジエンタープライズ」についてはいろいろと怪しい話を聞いているが、迂闊に公表できない。なお、現存はしない。

 


・ペニーダイス:どのようなゲームかよくわからないが、英国製のゲーム機のように思われる。「オリエンタル興業」は他にも英国クロンプトン社の「マジックトッパ―ズ」の類似機種を扱っていたりして(関連記事: 「マジックトッパ―ズ (Magic Toppers)」の謎)、謎が深くよくわからない。
・ニュー・ペニー・フォールズ

・ダブル・フォールズ

・スピナ・ウィナー:以上3機種はいずれも英国クロンプトン社のコインプッシャーで、この頃は「ジャパン・オーバーシーズ・ビジネス(J.O.B.)」が扱っていた(関連記事:プッシャーに関する思いつき話(2):日本におけるクロンプトン)。

 


・ホイール・エム・イン

・ダービーレーサー

・ケンタッキー・ダービー

・オート・ルーレット:これら4機種はいずれもJ.O.B.が扱っていた英国製のグループゲーム機。ワタシは1974年の段階でこれらを後楽園で遊んでいる(関連記事:1974年の後楽園)。


・ル・マン:これもJ.O.B.が輸入していた英国製グループゲーム。
・ゴールデンボール:これもやはりJ.O.B.が輸入していた英国製グループゲームだが、ワタシはロケで見たことが無い。1986年にsigmaがリメイクしたが、普及はしなかった。
・ディング・ア・ベル:やはりJ.O.B.が輸入していた英国製グループゲーム。どこでも見られるような機械ではなかったが、ワタシは1975年に自宅近くのダイエー碑文谷店で遊んでいる(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)。
・トート・ロールアップ:これについては詳しいことはわからないが、タイトーの「シーソーボール」の元ネタのように思える。

 


・プント・バンコ:(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(10) プント・バンコ(SEGA, 1975)

・アスコット:セガが1966年頃に作った「ウィンターブック」の模倣品。いわゆる「ダービーゲーム」にくくられるゲーム機だが、日本のアングラ市場に出ていたかどうかはわからない。
・シルバーフォールズ:国産初のメダルゲーム機。(関連記事:初の国産メダルゲーム機:シルバーフォールズ


・ファロ:(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)。
・ダービーグランプリ:これも数多く作られた「ダービーゲーム」の一つ。メーカーの「ワイプ」は、以前は「本木(もとき)」の社名でやはりダービーゲームを扱っており、電取法という「別件逮捕」で摘発された過去があるが、懲りていないようだ。
・ウィナーズ・サークル:米国Bally社製の2P用メカ競馬機(関連記事:NASAが発明したゲーム機「ウィナーズ・サークル」)。ワタシはsigmaの「ザ・ダービー」の元ネタではないかと疑っている。

当然と言えば当然なのですが、殆どの機種は拙ブログで過去に触れていました。ハイパーリンクを辿ればもう少し詳しい話や周辺情報が得られるかもしれません。

(このシリーズおわり)


半世紀前(1975)のアーケードマシン(2)メダルゲームその2

2025年01月26日 20時28分50秒 | 歴史

半世紀前に稼働していたコインマシンを、1975年11月に刊行された「'76 遊戯機械名鑑」(以下、76年名鑑)から見て行こうという趣旨の本シリーズ、今回は「メダルゲームその2」です。76年名鑑は全体を五部で構成し、第二部となる「メダルマシン」は、さらに「スロットマシン他」、「グループゲーム機」、「その他のメダルマシン」の3章に分けられています。

76年名鑑の目次部分より、第二部「メダルマシン」の部分。

前回はこのうち「スロットマシン他」の章をご紹介しました。順番通りに行くなら次は「グループゲーム機」になるのですが、ちょっと個人的に面倒に感じる「その他のメダルマシン」を先に述べておこうと思います。

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「その他のメダルマシン」の何が面倒かと言うと、一般に「ダービーゲーム」と呼ばれていた電光ルーレット機がここにまとめられているのです。「ダービーゲーム」の元ネタは、米国H.C.エヴァンス社の「Winter Book(1939)」と言うゲーム機ですが、これがなぜか1970年前後に日本のアングラ市場で流行し(関連記事:大阪レゲエ紀行(6) DAY 2・その1:tさんとGマシンなどの話で盛り上がるの巻)、国内の小規模メーカーがこぞってこの模倣機種を作り、しかも厄介なことに同一と思しき機種が異なるいくつもの会社から売り出されていて、何が何だかよくわかりません。これがまず面倒と感じる理由の一つです。

もうひとつ、「ダービーゲーム」は、メダルゲームとして使われるケースも確かにありましたが、むしろゲーム場以外の場所に設置される、いわゆる「Gマシン」として多用されました。この当時のゲーム業界には必ずしも健全な産業とは言い難い陰の部分があり、業界の裏街道に通じているメーカーやディストリビューター、オペレーターが少なからず存在していたのです。ワタシ自身は賭博には寛容ですが、Gマシンとして普及したゲーム機を無邪気に「メダルゲーム」と紹介してしまうことに抵抗を感じてしまうのが、面倒と感じる二つ目の理由です。

「その他のメダルマシン」は全部で10ページあり、そのうち7ページに、少なくとも20機種の「ダービーゲーム」が掲載されています。まずは「ダービーゲーム」のページから見ていきます。

 

この3ページの全12機種はいずれもいわゆる「ダービーゲーム」。日本の市場に向けて小型化している。提供しているメーカーには、後にパチスロ業界で活躍するようになったところも多い。

「ニュー・ロータリー・パルス」と「バニー・ガール」はいわゆる「ダービーゲーム」。「クォーター・ホース」は国産の模倣品ではなさそうだが、「ボナンザ・エンタープライゼス」がディストリビュートしているところから、用途としては同じだったのではなかろうか。「ゴールド・ラッシュ」は画質が悪くてよくわからないが、プッシャーの一種?

「サーカスタイム」も「ダービーゲーム」の一種だが、抽選機構が電光ルーレットではなく、回転する人型の針を使用している。「ジャンボール」はアレンジボールの一種に見え、「ダービーゲーム」とは無関係。「ラッキー・コンチネンタル」は、おそらくプロジェクターによるスロットマシン。発売者が「コナミ工業」とあるが、米国Raven社の同様の機械を日本に展開しようとしていたことがあり(関連記事:ワタクシ的ビデオポーカーの変遷(3) 米国内の動き、この機械はそれを「ダービーゲーム」市場に合わせて改造したのかもしれない。

「スーパー・ロンド」はやはり70年前後頃に流行ったG機「ロタミント」(関連記事: ロタミント」の記憶)の模倣品だが、風俗営業の認可を受けており、パチンコ店で稼働できた。パチンコ業界はこのジャンルに期待を寄せたが、ほとんど普及せず短期間で消えて行った。「ファニー・ベンチャー」もロタミントの模倣品に見えるが、画質が悪くよくわからない。「マニックス」は、バーなどの飲み屋に置かれたカウンタートップのG機。「アンクル」はダービーゲームの一種。

 

「ハイ・ドロ」はよくわからない。他の3機種はダービーゲームで、「レーサーマシン」や「ゴールデン・ジャック」のコンソールタイプの筐体はオリジナルの「ウィンター・ブック」を思い出させる

「セガ・マッチ・マップ」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(1) マッチマップ(Match'em Up, SEGA, 1975)と「ダブルアップ」及び「スピナ・コイン」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(2) ダブルアップ / スピナコイン)はセガの純然たるメダルゲーム。「ミニ・カスケード」は英国製の、フィールドが横に動く小型プッシャー。

このページの4機種はいずれも「米国マーマティック社製」とあり、後に「ポーカーゲーム」(関連記事:ワタクシ的ビデオポーカーの変遷(4) 80年代の日本におけるビデオポーカーの暗黒時代)で悪い意味で一世を風靡した「ボナンザ・エンタープライゼス」のディストリビュートとしているが、「米国マーマティック社」は販社ではないか。「フレイミング・アロー」と「マウンテン・クライマー」はJ.H.Keeney社製のプロジェクターを使ったスロットマシン。「マーマティック・ルーレット」はよくわからない。「ハイ・アライ」は米国Performance Enterprises社製だが、これはメダルゲームではない。

「プラザ・セブン」はメーカー名が記載されておらず、よくわからない。電光式のスロットマシンと思われ、これによく似た機械は1950年代から米国に存在するが、これはおそらく日本で「ダービーゲーム」と同じ市場に向けて作られた模倣品だと思う。「リーブン・コンチネンタル」もよくわからないが、米国Raven社(「REVEN」とあるのはおそらく誤り)のプロジェクターを使ったスロットマシンだと思われる。「スーパー・スナップ」と「ペニー・ボール」は英国ストリート社製で、ジャパン・オーバーシーズ・ビジネス社はこの頃英国製のゲーム機を多く輸入していた。

(つづく)


半世紀前(1975)のアーケードマシン(2)メダルゲームその1

2025年01月19日 20時17分13秒 | 歴史

半世紀前に稼働していたコインマシンにはどんなものがあったかを、1975年11月に刊行された「'76 遊戯機械名鑑」(以下、76年名鑑)から見て行く本シリーズ、今回から第2部の「メダルゲーム」に入ります。

メダルゲームというジャンルがAM業界に確立されたのは1972年(関連記事:「メダル」と「メダルゲーム」という呼称についての備忘録(1)」ですが、「76年名鑑」が刊行された1975年11月時点でのメダルゲーム機器のほとんどはまだ英米からの輸入品でした。

「76年名鑑」では、メダルゲームを、
・「スロットマシン その他
・「マスゲーム機
・「その他のメダルゲーム機
の3つの章に区分しています。

【スロットマシン その他】
当時のメダルゲームの主役であるスロットマシンはそのほとんど(感覚的には98%)が米国Bally社製でしたが、Bally製品には豊富なバリエーションがあり、プレイヤーには十分な選択肢が与えられていたので、それで飽きるということはありませんでした。

76年名鑑にはスロットマシンのページは10ページありますが、うち8ページ半がBally製品で占められており、残りの1ページにセガの4機種、最後の半ページに米国Jenningsの2機種となっています。

Ballyの8ページ(上)と、BallyとJenningsで半ページずつ分けられた1ページ(下)。ワタシはここに掲載されているBallyの機械の殆どを実際に見たことがあり、さらにここに掲載されていない機種もたくさんあって、まったくBallyの一人勝ちと言っても良い状況だった。

セガ製品は1ページ4機種が掲載されていますが、うち2機種は風営機「オリンピア」で、1機種は海外向けからの転用である「ウィンザーシリーズ」の一つ「アズテック」です。ここまでは理解できるのですが、最後の1機種「ボーナスライン」はワタシにとって謎が多い機種です。

セガのスロットマシンは1ページ4機種。風営機「オリンピア」2機種に、海外向けからの転用である「ウィンザー」はわかるが、Bally製品のコピーと思しき「ボーナスライン」には、そのテクノロジーや開発意図に謎が残る。

と言うのは、「ボーナスライン」は1973年に発売されたBallyの模倣品関連記事:【補足】前回提示したいくつかの謎について続報)で、払い出し機構にホッパーを使用しており、この時点でセガは既にホッパーの技術を得ているにもかかわらず、その後にセガが発売するマスメダル機にはホッパーが使われていないのです。

では「ボーナスライン」は海外のカジノ向けで特別だったのかと言うとそれも怪しく、セガは1969年にガルフ+ウェスタンに買収されてからは海外カジノ向けのスロットマシンの新規開発をやめているはずです。

ひょっとすると当時のホッパーは高価でおいそれとは使えなかったとか、当時のホッパーは電気的に制御していたのでコントロールが難しかったとかなどの理由を想像するのですが、真相はどうなんでしょうか。

「その他」としては、ビンゴ・ピンボール(関連記事:sigmaのフリーペーパー「ビンゴゲーム入門」(1985))が、2ページに渡り5機種が掲載されています。うち4機種はBally製で、新製品があるわけでもなく、どういう基準で掲載機種を決めているのか謎いです。もう1機種はセガの風営機「スキル・ボール」(関連記事:スキル・ボール(初の国産ピン・ビンゴ)と大岡山のオリンピアセンターの記憶)で、1975年時点ではまだ現役だったことが窺われます。

「その他」としての2ページ。Ballyのビンゴ機(上)と、セガの「スキル・ボール」(下)。sigmaの「ビンゴイン」の一号店ができたのは76年名鑑が発刊された1975年だが、ビンゴはなぜかそれ以前から日本国内に普及し、ファンが存在していた。

 

(つづく)


半世紀前(1975)のアーケードマシン(1)コインマシンその2

2025年01月12日 21時44分12秒 | 歴史

半世紀前に稼働していたコインマシンにはどんなものがあったかを、1975年11月に刊行された「'76 遊戯機械名鑑」から見て行こうという趣旨の本シリーズ、前回は、「第一部・コインマシン」から、ガンゲームとボールゲーム(フリッパー、パチンコ、ボールゲームを)を見てまいりました。

第二回の今回は、同じく「第一部・コインマシン」から、「その他のコインゲーム機」を見ていきます。「'76 遊戯機械名鑑」ではこのジャンルを、
スポーツゲーム機
ビデオゲーム機
ターゲットゲーム機

の4つに細分化しています。

「その他のコインゲーム機」の扉ページ。

【スポーツゲーム機】
スポーツゲーム機は3ページ、全12機種が掲載されています。しかし新製品はなく、60年代から脈々と販売され続けている体力測定系遊戯機と、1972年に発売が開始された「エアホッケー」及びその模倣品が目立ちます。

「スポーツゲーム機」の全3ページ。セガの「パンチングバッグ」は1962年、タイトーの「スポーツマン」は1966年で、ブランズウィックの「エアホッケー」が1972年。今見ると当時はいかに製品寿命が長かったかが窺い知れる。

【ビデオゲーム機】
「ビデオゲーム機」は6ページ、全24機種が掲載されていますが、関西精機のエレメカ機「スペースボール」や「りんごの木」と言ったエレメカ機が混じっているのは、単なるミスだとは思いますが、ひょっとすると「ビデオゲーム」の概念がまだ浸透していなかったことによる混乱があったのかもしれません。

 

「ビデオゲーム機」の全6ページ。第1ページ目の最初の二つは関西精機のエレメカ機であって、ビデオゲームではない。

商用ビデオゲーム機の事実上の第一号機となったアタリの「PONG」が登場したのは1972年ですが、「'76 遊戯機械名鑑」が発刊された1974年時点でも依然として「PONG」の発想を受け継ぐ「ボール&パドル」ゲームが殆どでバラエティに乏しく、またメーカーも限られた数社しかありませんでした。そのためか、「ビデオゲーム」は日本のAM業界的にはまだ「その他のゲーム機」の一つでしかなかったようです。

【ターゲットゲーム機】
「ターゲットゲーム」とは今ではほとんど聞かないジャンルで、銃を撃つゲームですが、ガンゲームと違い多人数が同時に参加できる「射的」のようなものがこれに含まれるようです。光線銃やコルク弾を発射するもののほか、水を発射するものや矢を発射するものも見られます。ほとんどは無人で営業できることが前提です。

「ターゲットゲーム機」の全3ページ。ガンゲームと違って銃が筐体据え付けでないものがほとんど。

【他(その他のコインゲーム機)】
扉ページには単に「他」としか書かれていませんでしたが、当該ページの上部には「その他のコインゲーム機」となっています。掲載されている機種の多くは、今では「プライズ機」と呼ばれるもので、クレーン絵合わせなどが見られます。また。占いクイズ操り人形など、一般に「ノベルティ・ゲーム(Novelty Game:一風変わったゲーム機)」とされる機種がここに紹介されています。

「他」の全3ページ。ワタシの世代だと、クレーンゲームと聞いて最初に思い浮かぶのがここに掲載されているような形のものになる。景品はタバコかキャラメルのように箱に入った菓子類が多かったように思うが、ろくに取れたためしがない。

(次回「第二部・メダルマシン」につづく)