オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

「リズムボーイズ」第三の資料発見!

2023年09月24日 21時57分18秒 | 歴史

ワタシは過去記事「リズムボーイズ ― スロットマシンの必勝法の話」で、かつて存在したスロットマシンの必勝法「リズムシステム」について述べました。しかし、その時点では他にその必勝法に言及している資料が見つからず、都市伝説の一種である可能性も疑っていました。

その後ワタシは、スロットマシンメーカーのジェニングス社が「Anti Rhythm(リズム防止)」の宣伝文句を使用している1960年代のスロットマシンのフライヤーを発見し、「リズムシステム」が確かに実在したであろうことを確認することができました(関連記事:セガの歴史を調べていたら意外な話につながった話(2) リズムシステム実在の証拠発見)。しかし、それだけではまだ十分に資料が揃ったとは言えず、さらなる資料を探し続けていました。

先日、かつてアメリカで発行されていた、スロットマシン(骨董品含む)及びギャンブル、もしくはそれらに関連する事柄をテーマとする雑誌「Loose Change」のデジタル版をつらつら眺めていたところ、1996年4月号の表紙に「How To Cheat The Slots (スロットマシンのインチキの方法)」の見出しがあることを発見しました。

「Loose Change」1996年4月号の表紙。下の方に「How To Cheat The Slots」の記述が見える。イラストは1996年6月に開業したラスベガスのカジノホテル「モンテカルロ(現パークMGM)」の完成予想図。

これはひょっとしてと思い本文を読んでみると、期待したとおりそこには「リズムシステム」を「リズムメソッド(The Rhythm Method)」と呼んで紹介していました。

「How To Cheat The Slots」の見開きページ(上)と、左ページの拡大図(下)。赤枠内が「リズムメソッド」の記述部分。

当該部分を訳してみると、殆ど既知の資料(Scane's New Complete Guide To GAMBLING)に書かれている内容と同じでしたが、「リズムメソッド」はこの資料独特の表現であり、またスロットマシンのリールの回転をつかさどる部品「クロック」について、既知の資料には書かれていない動作が述べられていて、既知の資料とはまた別の資料があることが窺われます。

とは言うものの、独特の表現であることは決定的な証拠とはならず、またクロックの動作原理はアンティークスロットマシンを扱う人であれば知っていてもおかしくないことで、既知の資料を基に独自の理解を述べているだけである可能性もあります。

ワタシの「リズムシステム」の証拠を探す旅はまだ続きそうです。

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ところで、「Loose Change」は、1977年9月に創刊され、原則として月刊で刊行されましたが、80年代半ば以降はしばしば短い期間休刊することもあり、1998年06月号を最終号として刊行が終了しています。

出版元の「Mead Publishing」社は、「Loose Change」全228冊をデジタル化して1枚のDVDにまとめ、「Loose Change Magazine Digital Edition」として販売しています。ワタシは2010年にシカゴで開催されたコインマシンの骨董市「シカゴランドショウ」(関連記事:歴史の語り部を追った話(2):シカゴランドショウ(Chicagoland Show))でこれを購入しています。「Loose Change Magazine Digital Edition」は現在も購入が可能ですので、興味がある方は版元のウェブサイトを参照してみてください。

 


「パチンコ誕生博物館」館長杉山氏の新著「コリントゲーム史」のご紹介

2023年07月30日 15時41分31秒 | 歴史

パチンコ誕生博物館」(関連記事:【特報】パチンコ誕生博物館オープン(1))の館長である杉山一夫さんは、長年の研究によってパチンコの始祖は中世欧州のゲーム「バガテール」であることを突き止めました。そのバガテールは世界各地で個別の進化を遂げ様々な経緯を経て、あるものは「パチンコ」に、あるものは「玉ころがし」に、そしてまたあるものは「コリントゲーム」へと変化していったと述べています。

杉山さんはこれら3つの「バガテール」の子孫のうち、「パチンコ」と「玉ころがし」については既にそれぞれ独立した著書でその研究成果を発表されています(関連記事:法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介 / :法政大学出版局「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」のご紹介)。

「コリントゲーム」も、それがパチンコの起源であるとする説が一般に広く流布されているからにはパチンコの歴史を語る上で無視できないゲームであり、紆余曲折があり難航もしたとのことですが、この7月27日にめでたく「コリントゲーム史 パチンコ四部作完結編」が出版されました。

「コリントゲーム史 パチンコ四部作完結編」(めい出版、2023年)の表紙。全474ページに渡る大著。

「四部作」とは、杉山さんが過去にパチンコとそれにかかわるゲーム機の歴史を探求した著書「パチンコ誕生 シネマの世紀の大衆娯楽」(創元社、2008年)、「ものと人間の文化史 186 パチンコ」(法政大学出版局、2021年)、それに「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」(法政大学出版局、2022年)の三部に次ぐ四部目の意味です。最初の「パチンコ誕生~」の出版が2008年なので、実に15年の長きにわたるシリーズです。

パチンコの「コリントゲーム起源説」が誤りであることはこれまでの著作の中でも言及はされていましたが、詳述まではできていませんでした。しかしこの本には誤った通説が発生・定着した経緯や、またコリントゲーム後に発生し一時はパチンコとともに栄えた「スマートボール」との関係についても書かれています。

レトロパチンコファン、レトロゲームファンの皆さんにはぜひとも一読いただきたい本ですが、ただ、この本は諸般の事情により価格が「5000円+税」と少々高くなってしまいました。個人で購入できる方はAmazonから購入できますが、厳しいと感じられる方は、地元の図書館にリクエストをすれば取り寄せてもらうことができる地域もありますので、ぜひ活用していただければと思います。


パチンコの歴史を学ぶ:「パチンコ産業史」(名古屋大学出版会)

2022年10月23日 21時04分25秒 | 歴史

取り急ぎのご報告です。10月26日に記事の一部を削除・修正いたしました。

拙ブログの守備範囲にはパチンコとその周辺も含みますが、ワタシは現行機種のスペックや攻略法などの「実用的」な情報にはまるで興味がなく、テーマはもっぱら1980年代以前の遊技機の変遷や発達、あるいは業界の歴史に限定されています。この傾向は今後も変わることはないと思います。

そんな偏屈なワタシは、過去に拙ブログで「パチンコ誕生博物館」と、その館長である杉山さんの著書、「パチンコ」及び「玉ころがし」(両著共に法政大学出版局)をご紹介してまいりました。

【関連記事】
パチンコ誕生博物館オープン(1)
パチンコ誕生博物館オープン(2) 展示内容
パチンコ誕生博物館オープン(3) 最終回:歴史の証拠を残すにはどうすればいいのか
法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介
法政大学出版局「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」のご紹介

杉山さんは、著書「パチンコ」において、パチンコの歴史や変遷に関する、従来広く流布している説の瑕疵を指摘し、綿密な調査により異なる結論を導き出しています。そして杉山さんは、「パチンコ」に続いてそのルーツである「玉ころがし」を出版しました。実はこの後さらに「コリントゲーム」と「スマートボール」が続き、パチンコの歴史を辿る全4巻のシリーズとなる予定だったそうです。しかし、最近になってこの企画は没となってしまったそうです。

今回は、その代わりというわけではありませんが、パチンコの歴史を知るに良い本を一つご紹介いたします。

パチンコ産業史の表紙。2018年名古屋大学出版会刊、5400円(税別)

「パチンコ産業史」は、子供相手の露店商だったパチンコが、ピーク時には売上高30兆円(この数字が直ちにパチンコ業界の利益ではないことには留意しておく必要がある)の一大産業に至った理由を、メーカー、市場、社会情勢、さらには在日韓国・朝鮮人の関わりなど様々な観点から考察しパチンコが生き残り社会に定着していく過程を詳らかにして、2018年にはサントリー学芸賞を受賞しました。

ただ、「パチンコ産業史」では、重要な部分で杉山さんの「パチンコ誕生」を引いている部分がいくつかあるのですが、それにもかかわらず、例えば説明の図版には杉山さんが「ねつ造」と非難している画像が使われていたり、まだパチンコに進化していない段階の菓子自動販売機を、おそらくは元の資料を鵜呑みにして「パチンコ」と言っていたりなど、いくつか杉山さんの認識とは異なる部分があります。杉山さんは今日現在まで5つの問題点を、韓さんに向けてツイッターで指摘していますが、それが韓さんに届いているかどうかはわかりません。

Twitterにおける、杉山さんの、韓さんに対する指摘の一つ。正村ゲージの例としている台は、日工組の理事長であった武内国栄が正村ゲージをより早く世に出たものと偽装するための工作が施されたものと杉山さんは指摘している関連記事:「ものと人間の文化史 186 パチンコ」を勝手に少しだけ補足する

「パチンコ産業史」の中において杉山さんの研究と重なる部分は全体の一部であるので、韓さんは杉山さんの抗議をさほど重要視していないということなのかもしれませんが、杉山さんの研究成果の他の部分は引用しておきながら、杉山さんが重視している部分を無視する態度は、残念なところです。

ワタシはこの「パチンコ産業史」を、昨日図書館で借りてきたばかりで、本文だけで354ページに及ぶ大作のうちまだ第一章の途中までしか読めておりません。しかし、これまでにない視点でパチンコの成り立ちを解き明かそうとする試みと、これまでなんとなく言い伝えられてきたにすぎなかったパチンコの闇の部分に光を当てようとする試みには大きく期待できます。その意味で、パチンコ産業史は広く読まれて欲しい本であるとは思います。願わくば、重版がかかることがあれば、その時には杉山さんの抗議を考慮した内容になっていてもらえればと思います。


「ケンタッキーダービー」と「玉ころがし」に関する続報

2022年08月07日 21時10分03秒 | 歴史

前々回の記事「法政大学出版局「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」のご紹介」の最後で、「昔のゲーム業界紙誌で『ケンタッキーダービー』と言うカーニバルゲームの記事を見た覚えがあるのだがみつからない」と泣き言を述べたところ、そのコメント欄で、拙ブログではもうおなじみの、カナダのCaitlyn関連記事:カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション)が、「ゲームマシン紙の75年1月20日発行の「第13・14合併号」に掲載されている」と教えてくださいました。Thank you so much, Caitlyn.

「ケンタッキーダービー」が新宿歌舞伎町の「カジノラスベガス」に導入されたとの記事。ゲームマシン1975年1月20日号の4面より。

上述ゲームマシンの記事より、写真の部分を拡大。

この記事にある「カジノラスベガス」は、一昨年の11月に惜しまれながら閉店した新宿プレイランドカーニバルの前身で、ケンタッキーダービーはその2階部分にありました。なぜそこまでわかるかと言うと、実はおそらく1976年頃、ワタシもこの「カジノラスベガス」で、記事にあるように優勝するともらえるメダルのサービス券を目当てに遊んでいたのです。

ケンタッキーダービーのレーンの終端はV字型に切れ込んでいて、その先は一段低くなっています。そこにはいくつかの穴がボウリングのピンのように逆三角形に配置されており、それぞれの穴の縁には、赤、青、黄のいずれかの色の、やや高さのあるリングが嵌め込まれています。レーン全体はプレイヤー側に僅かに傾斜しています。

ゲームは、レーンの手前からボールを転がし、入った穴の色により駒が1~3ステップ進みますが、どの穴にも入らなかったボールはレーン終端のV字型に沿って転がり落ち、最下段のリターンホールに入ります。この場合は駒は進みません。穴に落ちたボールはレーンの下を通ってプレイヤーの手元に戻るので、この動作を繰り返し、いち早くフィニッシュに達したプレイヤーが優勝となります。駒は馬だけでなく、ラクダ、車、海賊船、サーフィン他さまざまなバリエーションがあります。

ゲームマシン紙を更によく調べると、ケンタッキーダービーの第一報は1974年11月10日号にあり、そこでは、「ジャトレ」(関連記事:メダルゲーム「TV21」(ジャトレ・1977)の謎)が英国製のケンタッキーダービーの総代理店となり12月から本格的に売り出すと報じています。

ゲームマシン1974年11月10日号でのケンタッキーダービーの記事。

ただ、このケンタッキーダービーが英国製である点には少し引っ掛かりを感じます。玉ころがしが19世紀に人気を集めたのは米国での話です。ケンタッキーダービーが玉ころがしと似ているからと言って、本当に玉ころがしから派生したものと考えて良いのでしょうか。

とは言うものの、競馬の発祥地たる英国製であるにもかかわらず、タイトルを米国のレース名から採っているところを見ると、実はこのオリジナルは米国製で、それをコピーしたとも考えられそうです。この問題は未解決事項として今後も調査を続ける必要はありそうです。

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さて、ところで、Caitlynはそのコメントの中で、「スキーボールが玉転がし起源とすることには同意できない。スキーボールはボウリングを起源としていると考える」と異議を唱えています。

玉ころがしとボウリングは、どちらも目標に向かって手でボールを転がす点は共通しますが、微妙に差異があります。スキーボールのプレイスタイルは、ワタシも彼女の意見の通り、玉ころがしよりもボウリングに近いように思います。一方で、位置によって得点が異なる穴を狙うゲーム性は、玉ころがしやケンタッキーダービーに通じているようにも思います。

英語版のウィキペディアで「Bagatelle」を調べると、「スティックとボールを使ったテーブルゲームはグラウンドビリヤード、クロッケー、ボウリングなどのような屋外ゲームを悪天候時に室内で遊べるようにする取り組みから発展した」と説明されています。これを信じるなら、バガテール直系の子孫である玉ころがしは、ボウリングとは遠い縁戚関係にあると言えるかもしれません。

膨大な資料に当たって研究しているCaitlynや杉山さん(「玉ころがし」著者)のお二人を前に、素人のワタシがろくに調べたわけでもないくせに結論じみたことを言うことは控えたいので、あくまでもワタシの印象という前提で、スキーボールはボウリングと玉ころがしのハイブリッドだった可能性はどうかなあと述べるに留めます。ただ、バガテール、玉ころがし、スキーボール、ケンタッキーダービーなどは、そのルーツを辿るとどこかでつながるということはありそうです。


法政大学出版局「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」のご紹介

2022年07月24日 20時10分05秒 | 歴史

今を去ること11年前の2011年、拙ブログではおなじみの米国Bally社が、「SKEE BALL (スキーボール)」というタイトルのスロットマシンを発表しました。

Ballyが2011年に発表したスロットマシン「スキーボール」のボーナスゲーム画面。慌てて撮影したので若干ボケているのが悔やまれる。

上の画面から、正面ボード部を拡大した図。ボケている画を画質調整しているので画面が汚い。

「スキーボール」は、その終端が若干持ち上がってジャンプ台となっている長さ数メートルのレーンに、直径9㎝程の木製のボールをボウリングのように転がし入れてジャンプさせ、正面ボードに設置されている穴に入れて得点を競うゲームです。穴はいくつかあって、その大きさや位置によって得点が異なります。

スキーボールが開発されたのは20世紀初頭(1907年に特許出願、翌1908年に特許取得)ですが、現在も全米の多くのアーケードやアミューズメントパークに設置されており、アメリカ人なら知らない者はいないほど浸透している定番ゲームとなっています。日本では、広い設置面積を要するためかどこにでもあるというわけにはいきませんが、遊園地などで見ることができます。

日本での設置例として、八景島シーパラダイスに設置されているスキーボール(八景島シーパラダイスの公式ウェブサイトより)。レーンの長さは一律でなく、これは比較的短いタイプ。

スキーボールは子供でも難なくできる簡単なゲームですが、誕生以来1世紀以上を経た今でも健在なのは、このゲームにはボウリングとダーツを併せたような技量が要求される、普遍的な競技性があるからだと思います。

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さて、実は今回の話の本題はここからです。(毎度前置きが長くてすみません)。拙ブログではかつて、パチンコの起源から発達の歴史を追った書籍「パチンコ」をご紹介いたしました(関連記事:法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介)。

著者の杉山一夫さんは自宅を改造して「パチンコ誕生博物館」を造り上げ、パチンコの歴史を追う調査で得た資料を公開されています(関連記事:【特報】パチンコ誕生博物館オープン(1))。その杉山さんが、このたび新たな著書「法政大学出版局 ものと人間の文化史 188 玉ころがし」を上梓されました。

杉山一夫さんの新著「玉ころがし」の表紙。

このご本は 3200円+税で、購入可能な書店、オンライン書店は法政大学出版局の公式ウェブサイトで紹介されています。

「玉ころがし」は、パチンコと同じく「バガテール」を祖としますが、パチンコは欧州で生まれた「ウォールマシン」を経ており、バガテールの孫と言えます。一方の玉ころがしは江戸時代に西洋から持ち込まれたバガテールが直接日本国内で変容しており、バガテールの子に当たります。

従って玉ころがしの登場時期はパチンコよりもずっと早く、明治10年代からすでにパチンコのようにゲームの結果に応じて景品を提供する営業が行われ、たいそうな人気を博していたそうです。本書の4ページには、昭和26年(1951)のアサヒグラフ誌を初出とする「パチンコが流行るにつけても昔の「玉ころがし」を想い出す」で始まる秋山安三郎(演劇評論家、随筆家)の文章が紹介されています。

上から順に、出島資料館に掲示されていたバガテールの説明、長崎阿蘭陀出島之図の外国人がバガテールを遊んでいる図(部分)、それに復元されたバガテールテーブル。説明では「ビリヤード」と言っている。

明治29年(1896)、玉ころがしをアメリカに持って行って運営した櫛引弓人(くしびき・ゆみんど)という日本人がいました。櫛引は単なる玉ころがし屋に留まらず、日本風の公園事業(日本テーマのアミューズメントパークやファンランドの類)や、当時アメリカで良く行われていた博覧会のプロモーターとして成功し、アメリカにおける日本人社会の歴史に名を残しています。

残念ながら初期の玉ころがしの画像が見つからないのですが、拙ブログにしばしばコメントをくださるカナダのCaitlynが、自身のブログで「Tamakorogashi - Japanese Roll Ball - 玉ころがし」という記事を公開されており、ここに日本におけるバガテールから始まり、アメリカに広まっていくまでを今に伝える資料がたくさん掲載されていますので、ぜひご参照いただきたいと思います。

Caitlynのブログより、アメリカの有名な行楽地「コニ―アイランド」で営業されていた玉ころがしの図。ここでは「JAPANESE ROLLINGBOARD」と呼ばれている。

玉ころがしはアメリカでも好評を得て、同じアメリカの日本人社会内だけでなく、アメリカにも模倣する者が現れました。注目したいのは、1906年、後にスロットマシンの最大手メーカーとなるミルズ社が、玉ころがしを模倣した「Japanese Roll Ball 」を売り出した事実です。ミルズがその後の1910年に売り出した「オペレーターズベル」は、スロットマシンに初めてフルーツ柄を採り入れた機種で、これ以降フルーツはスロットマシンのデファクトスタンダードとなっています(関連記事:スロットマシンのシンボルの話(2) フルーツシンボルの出現)。

また、これまで拙ブログで何度か触れてきているGマシン「Winter Book」を製造していたアメリカのEvans社も「Japanese Roll Down」と言う名称の玉ころがしゲームを販売していた事実も目を惹きます。

こちらもCaitlynのブログより、アメリカEvans社が1929年に頒布したカタログに掲載されていた玉ころがし。

Caitlynは、杉山さんが本書を執筆するにあたり、カナダから多くの資料を提供しており、本文中の各所にそのお名前が出てきています。

同じバガテールから派生したパチンコは今も残っているのに、「玉ころがし」の名は消えてしまいました。しかし、アメリカに渡って定着した玉ころがしはやがて「スキーボール」に姿を変えて、現在もなお親しまれ続けていることが、冒頭の前置きにつながるというわけです。

なお、スキーボール同様今でもみられるボールを転がすゲームに、一般に「ケンタッキーダービー」と呼ばれるカーニバルゲームがあります。レーンの手前からボールを転がすのはスキーボールと同じですが、ジャンプ台はなく、レーンの先にはいくつかの穴があり、ボールが入った穴に記された数だけ正面ボードの駒(多くは競馬馬の形をしている)が進んで、他の客と着順を競うというものです。

これもそのゲーム性から玉ころがしから発展したものと言えそうです。日本でも70年代半ばに新宿歌舞伎町のゲームセンターが導入した実績があり、業界紙誌の記事で見た覚えがあるのですが、残念ながら締め切りまでに見つけることができませんでした。