オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

「ケンタッキーダービー」と「玉ころがし」に関する続報

2022年08月07日 21時10分03秒 | 歴史

前々回の記事「法政大学出版局「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」のご紹介」の最後で、「昔のゲーム業界紙誌で『ケンタッキーダービー』と言うカーニバルゲームの記事を見た覚えがあるのだがみつからない」と泣き言を述べたところ、そのコメント欄で、拙ブログではもうおなじみの、カナダのCaitlyn関連記事:カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション)が、「ゲームマシン紙の75年1月20日発行の「第13・14合併号」に掲載されている」と教えてくださいました。Thank you so much, Caitlyn.

「ケンタッキーダービー」が新宿歌舞伎町の「カジノラスベガス」に導入されたとの記事。ゲームマシン1975年1月20日号の4面より。

上述ゲームマシンの記事より、写真の部分を拡大。

この記事にある「カジノラスベガス」は、一昨年の11月に惜しまれながら閉店した新宿プレイランドカーニバルの前身で、ケンタッキーダービーはその2階部分にありました。なぜそこまでわかるかと言うと、実はおそらく1976年頃、ワタシもこの「カジノラスベガス」で、記事にあるように優勝するともらえるメダルのサービス券を目当てに遊んでいたのです。

ケンタッキーダービーのレーンの終端はV字型に切れ込んでいて、その先は一段低くなっています。そこにはいくつかの穴がボウリングのピンのように逆三角形に配置されており、それぞれの穴の縁には、赤、青、黄のいずれかの色の、やや高さのあるリングが嵌め込まれています。レーン全体はプレイヤー側に僅かに傾斜しています。

ゲームは、レーンの手前からボールを転がし、入った穴の色により駒が1~3ステップ進みますが、どの穴にも入らなかったボールはレーン終端のV字型に沿って転がり落ち、最下段のリターンホールに入ります。この場合は駒は進みません。穴に落ちたボールはレーンの下を通ってプレイヤーの手元に戻るので、この動作を繰り返し、いち早くフィニッシュに達したプレイヤーが優勝となります。駒は馬だけでなく、ラクダ、車、海賊船、サーフィン他さまざまなバリエーションがあります。

ゲームマシン紙を更によく調べると、ケンタッキーダービーの第一報は1974年11月10日号にあり、そこでは、「ジャトレ」(関連記事:メダルゲーム「TV21」(ジャトレ・1977)の謎)が英国製のケンタッキーダービーの総代理店となり12月から本格的に売り出すと報じています。

ゲームマシン1974年11月10日号でのケンタッキーダービーの記事。

ただ、このケンタッキーダービーが英国製である点には少し引っ掛かりを感じます。玉ころがしが19世紀に人気を集めたのは米国での話です。ケンタッキーダービーが玉ころがしと似ているからと言って、本当に玉ころがしから派生したものと考えて良いのでしょうか。

とは言うものの、競馬の発祥地たる英国製であるにもかかわらず、タイトルを米国のレース名から採っているところを見ると、実はこのオリジナルは米国製で、それをコピーしたとも考えられそうです。この問題は未解決事項として今後も調査を続ける必要はありそうです。

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さて、ところで、Caitlynはそのコメントの中で、「スキーボールが玉転がし起源とすることには同意できない。スキーボールはボウリングを起源としていると考える」と異議を唱えています。

玉ころがしとボウリングは、どちらも目標に向かって手でボールを転がす点は共通しますが、微妙に差異があります。スキーボールのプレイスタイルは、ワタシも彼女の意見の通り、玉ころがしよりもボウリングに近いように思います。一方で、位置によって得点が異なる穴を狙うゲーム性は、玉ころがしやケンタッキーダービーに通じているようにも思います。

英語版のウィキペディアで「Bagatelle」を調べると、「スティックとボールを使ったテーブルゲームはグラウンドビリヤード、クロッケー、ボウリングなどのような屋外ゲームを悪天候時に室内で遊べるようにする取り組みから発展した」と説明されています。これを信じるなら、バガテール直系の子孫である玉ころがしは、ボウリングとは遠い縁戚関係にあると言えるかもしれません。

膨大な資料に当たって研究しているCaitlynや杉山さん(「玉ころがし」著者)のお二人を前に、素人のワタシがろくに調べたわけでもないくせに結論じみたことを言うことは控えたいので、あくまでもワタシの印象という前提で、スキーボールはボウリングと玉ころがしのハイブリッドだった可能性はどうかなあと述べるに留めます。ただ、バガテール、玉ころがし、スキーボール、ケンタッキーダービーなどは、そのルーツを辿るとどこかでつながるということはありそうです。


法政大学出版局「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」のご紹介

2022年07月24日 20時10分05秒 | 歴史

今を去ること11年前の2011年、拙ブログではおなじみの米国Bally社が、「SKEE BALL (スキーボール)」というタイトルのスロットマシンを発表しました。

Ballyが2011年に発表したスロットマシン「スキーボール」のボーナスゲーム画面。慌てて撮影したので若干ボケているのが悔やまれる。

上の画面から、正面ボード部を拡大した図。ボケている画を画質調整しているので画面が汚い。

「スキーボール」は、その終端が若干持ち上がってジャンプ台となっている長さ数メートルのレーンに、直径9㎝程の木製のボールをボウリングのように転がし入れてジャンプさせ、正面ボードに設置されている穴に入れて得点を競うゲームです。穴はいくつかあって、その大きさや位置によって得点が異なります。

スキーボールが開発されたのは20世紀初頭(1907年に特許出願、翌1908年に特許取得)ですが、現在も全米の多くのアーケードやアミューズメントパークに設置されており、アメリカ人なら知らない者はいないほど浸透している定番ゲームとなっています。日本では、広い設置面積を要するためかどこにでもあるというわけにはいきませんが、遊園地などで見ることができます。

日本での設置例として、八景島シーパラダイスに設置されているスキーボール(八景島シーパラダイスの公式ウェブサイトより)。レーンの長さは一律でなく、これは比較的短いタイプ。

スキーボールは子供でも難なくできる簡単なゲームですが、誕生以来1世紀以上を経た今でも健在なのは、このゲームにはボウリングとダーツを併せたような技量が要求される、普遍的な競技性があるからだと思います。

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さて、実は今回の話の本題はここからです。(毎度前置きが長くてすみません)。拙ブログではかつて、パチンコの起源から発達の歴史を追った書籍「パチンコ」をご紹介いたしました(関連記事:法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介)。

著者の杉山一夫さんは自宅を改造して「パチンコ誕生博物館」を造り上げ、パチンコの歴史を追う調査で得た資料を公開されています(関連記事:【特報】パチンコ誕生博物館オープン(1))。その杉山さんが、このたび新たな著書「法政大学出版局 ものと人間の文化史 188 玉ころがし」を上梓されました。

杉山一夫さんの新著「玉ころがし」の表紙。

このご本は 3200円+税で、購入可能な書店、オンライン書店は法政大学出版局の公式ウェブサイトで紹介されています。

「玉ころがし」は、パチンコと同じく「バガテール」を祖としますが、パチンコは欧州で生まれた「ウォールマシン」を経ており、バガテールの孫と言えます。一方の玉ころがしは江戸時代に西洋から持ち込まれたバガテールが直接日本国内で変容しており、バガテールの子に当たります。

従って玉ころがしの登場時期はパチンコよりもずっと早く、明治10年代からすでにパチンコのようにゲームの結果に応じて景品を提供する営業が行われ、たいそうな人気を博していたそうです。本書の4ページには、昭和26年(1951)のアサヒグラフ誌を初出とする「パチンコが流行るにつけても昔の「玉ころがし」を想い出す」で始まる秋山安三郎(演劇評論家、随筆家)の文章が紹介されています。

上から順に、出島資料館に掲示されていたバガテールの説明、長崎阿蘭陀出島之図の外国人がバガテールを遊んでいる図(部分)、それに復元されたバガテールテーブル。説明では「ビリヤード」と言っている。

明治29年(1896)、玉ころがしをアメリカに持って行って運営した櫛引弓人(くしびき・ゆみんど)という日本人がいました。櫛引は単なる玉ころがし屋に留まらず、日本風の公園事業(日本テーマのアミューズメントパークやファンランドの類)や、当時アメリカで良く行われていた博覧会のプロモーターとして成功し、アメリカにおける日本人社会の歴史に名を残しています。

残念ながら初期の玉ころがしの画像が見つからないのですが、拙ブログにしばしばコメントをくださるカナダのCaitlynが、自身のブログで「Tamakorogashi - Japanese Roll Ball - 玉ころがし」という記事を公開されており、ここに日本におけるバガテールから始まり、アメリカに広まっていくまでを今に伝える資料がたくさん掲載されていますので、ぜひご参照いただきたいと思います。

Caitlynのブログより、アメリカの有名な行楽地「コニ―アイランド」で営業されていた玉ころがしの図。ここでは「JAPANESE ROLLINGBOARD」と呼ばれている。

玉ころがしはアメリカでも好評を得て、同じアメリカの日本人社会内だけでなく、アメリカにも模倣する者が現れました。注目したいのは、1906年、後にスロットマシンの最大手メーカーとなるミルズ社が、玉ころがしを模倣した「Japanese Roll Ball 」を売り出した事実です。ミルズがその後の1910年に売り出した「オペレーターズベル」は、スロットマシンに初めてフルーツ柄を採り入れた機種で、これ以降フルーツはスロットマシンのデファクトスタンダードとなっています(関連記事:スロットマシンのシンボルの話(2) フルーツシンボルの出現)。

また、これまで拙ブログで何度か触れてきているGマシン「Winter Book」を製造していたアメリカのEvans社も「Japanese Roll Down」と言う名称の玉ころがしゲームを販売していた事実も目を惹きます。

こちらもCaitlynのブログより、アメリカEvans社が1929年に頒布したカタログに掲載されていた玉ころがし。

Caitlynは、杉山さんが本書を執筆するにあたり、カナダから多くの資料を提供しており、本文中の各所にそのお名前が出てきています。

同じバガテールから派生したパチンコは今も残っているのに、「玉ころがし」の名は消えてしまいました。しかし、アメリカに渡って定着した玉ころがしはやがて「スキーボール」に姿を変えて、現在もなお親しまれ続けていることが、冒頭の前置きにつながるというわけです。

なお、スキーボール同様今でもみられるボールを転がすゲームに、一般に「ケンタッキーダービー」と呼ばれるカーニバルゲームがあります。レーンの手前からボールを転がすのはスキーボールと同じですが、ジャンプ台はなく、レーンの先にはいくつかの穴があり、ボールが入った穴に記された数だけ正面ボードの駒(多くは競馬馬の形をしている)が進んで、他の客と着順を競うというものです。

これもそのゲーム性から玉ころがしから発展したものと言えそうです。日本でも70年代半ばに新宿歌舞伎町のゲームセンターが導入した実績があり、業界紙誌の記事で見た覚えがあるのですが、残念ながら締め切りまでに見つけることができませんでした。


第九回アミューズメントマシンショウ(4)出展機種画像その3

2022年07月10日 21時03分37秒 | 歴史

1970年10月に開催された第9回アミューズメントショウの出展機種画像その3です。機種名は全日本遊園誌1970年11月号の記載に従っており、誤りもそのままにしてあります。

・五十音順出展社別で掲載しています。

・無印=ワタシの手持ち資料。
 ★印=拙ブログをご高覧いただいているさる凄い方から過去にいただいていた物。
 ▲印=全日本遊園70年5月号、7月号、11月号、または71年1月号、4月号に掲載されていた記事・広告
 ■印=遊戯機械名鑑'74/'75

・ショウ出展時と販売時期は必ずしも一致するとは限りませんが、少なくともその機種が70年10月時点には存在していたことの証明にはなります。

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日本自動販売機

 

▲「ホークナイン」。全日本遊園70年11月号の記事中より筐体の拡大図と、71年4月号に掲載された広告。同誌の説明によれば、後方から編隊で現れる鉄器を狙ってミサイルを発射して誘導するものとのこと。1ゲームは20円、7機撃墜で再ゲーム。

 

▲「クレーガン」。全日本遊園70年7月号に掲載された広告。クレー射撃をテーマとしたガンゲーム。この機械を遊んだ確かな記憶はないが、ナムコが1978年に発売したやはりクレー射撃テーマのガンゲーム「シュ―タウェイ」を見た時にずいぶん進歩したものだと感じたのは、以前にこのクレーガンをやっていたからかもしれない。

日本自動販売機は、その歴史のどこかでタイトーの子会社となっているが、それがいつのことかは現時点では明らかではない。少なくとも、同社がユニバーサル社の最初のヒット作となる「タイム80」を販売していた1972年の時点では、子会社となっている(関連記事:ユニバーサル1977)(追記参照)。なお、「タイム80」の発売年は、ユニバーサルの会社案内1982年版では「昭和45年(1970)」としているが、アミューズメントジャーナル2017年1月号に掲載された記事では「昭和47年(1972)年より製造開始」とあり、どちらが正しいのかはわからない。

追記日本自動販売機がタイトーの子会社になったのは、このショウが行われた翌年の1971年のことだそうです。コメント欄にて教えてくださったRobot415さん、本当にどうもありがとうございました(2022年7月16日)

 

日本展望娯楽

 
▲「ジャンボキック」。全日本遊園70年7月号に掲載された広告と、ゲーム機部分の拡大図。キックボクシングテーマのピンボール機。当時、日本ではキックボクシングが高い人気を集めており、「真空飛び膝蹴り」と言う必殺技を持つスター選手「沢村忠」をモデルとするスポコン漫画「キックの鬼」はアニメ化もされた。
ところでワタシは過去記事「初期の国産フリッパー・ピンボール:ウルトラアタック(日本娯楽機、1970年代?)」で、「ウルトラアタック」のメーカーを「日本娯楽機」として紹介したが、実は「日本展望娯楽」の誤りであるらしいことが判明したため、訂正した。

ホープ

 

▲「ベビーギャング」、「魚雷シャーク」。全日本遊園71年1月号に掲載された広告と、ゲーム機部分の拡大図。残念ながらゲーム内容は不明。どちらもロックダウンバー上にフリッパーゲームには見られない操作系が付いている。

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【積み残し】
さとみ

★「大障害」。左下のハンドルで最上段にボールを打ち上げた後は、ハンドル操作で各段を山にしたり谷にしたりしてボールを上から下に運び、プレイフィールド右下に見える「GOAL」に入れれば景品が出る。小学生の頃、目黒駅ビル屋上のゲームコーナー(関連記事:商業施設の屋上の記憶(2) 目黒近辺)で、ふいに知らない中学生くらいのあんちゃんから肩を叩かれ、振り向いたら「ほら」と言って菓子の箱をくれた。何かと思ってあんちゃんの向こうを見ると、その仲間と思しき数人の少年がこの機械を取り囲み、次々と景品を獲得していた。

【画像無し情報】

タガワ機械
ビリーボール」。ビリヤードとボウリングを一つにしたゲーム。100円硬貨を入れるとピンが配置される。ボールをキューで突いてピンを倒すが、ボールを左右のクッションに一度当てなければならない。

東都
トーブル」。ランプが点灯したらいち早くボタンを押した方がポイントを得て、先にゴールした方が勝ちと言う二人対戦ゲームらしいが、詳細は不明。

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4回に渡った「第九回アミューズメントマシンショウ」は今回が最終回となります。

掲載画像の半分ほどは他人様からの頂き物(★印の画像)で、これをドヤ顔で掲載することに幾分かの躊躇を感じるものではありますが、この時代の機械の情報をウェブ上に残しておくことの益を優先させ、また提供してくださった方からも掲載しても構わないとのお言葉をいただいていることもあり、掲載させていただきました。どうもありがとうございました。

(このシリーズ・おわり)


第九回アミューズメントマシンショウ(3)出展機種画像2

2022年07月03日 15時59分11秒 | 歴史

1970年10月に開催された第9回アミューズメントショウの出展機種画像その2です。機種名は全日本遊園誌1970年11月号の記載に従っており、誤りもそのままにしてあります。

・五十音順出展社別で掲載しています。

・無印=ワタシの手持ち資料。
 ★印=拙ブログをご高覧いただいているさる凄い方から過去にいただいていた物。
 ▲印=全日本遊園70年5月号、7月号、11月号、または71年1月号、4月号に掲載されていた記事・広告
 ■印=遊戯機械名鑑'74/'75

・ショウ出展時と販売時期は必ずしも一致するとは限りませんが、少なくともその機種が70年10月時点には存在していたことの証明にはなります。

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セガ

■「ジェット・ロケット」。ジェット機を操作して地上の目標を攻撃するゲームとのこと。youtubeに動画が上がっており、まっすぐ進むだけでなく旋回もしているように見える。

グランプリ」。ほとんど関西精機の「インディ500」のコピーだが、衝突するとハンドルが振動するという、「何か一つヘンなことをしないと気が済まない」(関連記事:「パンチング・バッグ」(sega, 1962)のフライヤーから思ったこと)セガらしい特徴があった。

 

ダービーデー」。3頭の馬のミニチュアが走るプライズ機。ゲーム開始時に選んだ1頭が1着になると景品が出る。馬は自動的に進み、パチンコ部に打ち出したボールが通過したロールオーバーの番号の馬はスピードアップする。また、盤面の馬蹄型は反時計回りに回転しており、ここに入ったボールは選んだ馬がスピードアップする「YOUR HORSE」のロールオーバーに吐き出される。しかし、選んだ馬はほかの馬よりも進行が遅く、多少リードしても放置すれば抜かれるようにできている。ゲームスタートボタン(ハンドルの左にある丸いボタン)を省略し、馬を選んだらすぐにゲームがスタートする「ジョッキークラブ」も後に発売された。

 

スタントカー」。これもゲーム場で見た記憶はない。説明によれば、プレイフィールドの上から落ちてくるボールを、下の方にある車(フライヤーにはほとんど写っていない)を操作してバンパーで弾き返し、時間内に1番から7番までの穴すべてに入れると、バックグラス下部に見える穴から景品が払い出されるとのこと。

太東貿易

★「スペースドッキング」。前年の1969年、アメリカはアポロ9号、10号、11号、12号と立て続けに有人宇宙飛行船を打ち上げ、日本でもちょっとした「アポロブーム」に沸き返った時代だった。二機の宇宙船が宇宙空間で落ち合って接続するランデブードッキングと言う言葉は流行語となり、男女のデートの比喩としても使われた。中村製作所も同テーマの機械を作っていたように思うが、資料が出てこない。

 

★「アポロ・ボール」。風俗営業の許可を得た6カードビンゴ(関連記事:IPDBと「アポロボール(TAITO, 1971?))。これもアポロブームに乗ったネーミングであろうことは想像に難くない。しかし、ワタシはセガの同内容のビンゴ機「スキルボール」(関連記事:スキル・ボール(初の国産ピン・ビンゴ)と大岡山のオリンピアセンターの記憶)はあちこちで見かけたが、アポロボールを見たことはない。

 


★「ファンタジー」。70年頃に頒布された総合カタログから部分を拡大した画像。詳細は過去記事「1960年代のTAITO(5)追加情報その3」をご参照ください。

 


★「マジックカート」。フライヤーを見る限り、「マジックカード」が正しいらしい。パチンコ型のプライズ機で、8カ所の穴全てにボールを入れるとリプレイもしくは景品が出る。時間制で、最後の15秒は中央下段の「ラッキーホール」が開き、ここに入っても勝ちとなる。

東光遊園設備

★「パチンボール」。セーフ穴に入るとガムが出てくるプライズ機。70年前後はガムを払い出すパチンコのプライズ機がいくつもあった。当時、子供向けに売られているガムは3枚入りで10円が相場だったが、プライズ機だと同じ10円で5枚、6枚のガムが手に入る甘い機種もあった。


中村製作所

▲「レーサー」。これも関西精機の「インディ500」の後追い企画ではあるが、エネミーカーの影絵には立体モデルを使用しており、機構は全く異なる。その技術は後の「Formula-X(1973)」や「F-1(1976)」にも応用された。

 

▲「ミニコンピューター」。スクリーンに映し出される問いにYESかNOで答えていくと、最後に適正な職業が提示される。恋人版もあるとのことだが、ワタシは見たことはない。赤塚不二夫さんの人気漫画「もーれつア太郎」をちゃんと版権を取って使用しているところがナムコらしい。「道端に落ちている1円玉を拾うか?」という問いだけはなぜか覚えている。

 

▲「サーテイテスト」。盤面に並ぶ1から30までの番号が付いたボタンを番号順に押していく。制限時間内に何番まで押せるかを競う。日本遊園設備の「ホイホイテスト」など、ほぼ同様のゲーム機はこれ以前にもいくつかあったはず。

 

★「ベースボール」、「浪人」、「プレイランド」。おそらくは有限会社こまやの代理出展。中村製作所はこれ以前にも「こまや」の「クレイジー15ゲーム」等3種のピンボール機を掲載するフライヤーを頒布している(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール:こまや製作所製の2機種)。

(次回につづく)


第九回アミューズメントマシンショウ(2)出展機種画像1

2022年06月26日 19時51分33秒 | 歴史

前回は、第9回アミューズメントショウ(1970年10月)に出展されていたゲーム機のリストをテキストで掲載しました。今回からは何回かに分けて、発見できたゲーム機の画像を掲載してまいります。

・五十音順出展社別で掲載しています。

・掲載画像の出典
 無印=ワタシの手持ち資料。
 ★印=拙ブログをご高覧いただいているさる凄い方から過去にいただいていた物。
 ▲印=全日本遊園70年11月号または71年1月号に掲載されていた記事・広告
 ■印=遊戯機械名鑑'74/'75

ショウ出展時と販売時期は必ずしも一致するとは限りませんが、これにより少なくともその機種が70年10月時点には存在していたことの証明にはなります。

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オリエンタル興業

 

★「モンテカルロ」、「ワイルドサイクル」、「インベーション」、「スーパーマッチ」。上は4機種が一枚に載るフライヤー。下は機械部分のみを抜きだした拡大図。「スーパーマッチ」はおそらくドイツからの輸入品かそのコピー機種で、同型もしくは類似機種をシングルロケでよく見かけた。

関西精機

▲「エアーファイター」。戦闘機の空中戦のゲームを遊んだ記憶はあるが、それがエアファイターだったかどうかは記憶がなく、定かでない。


■「インディ500W」、「インディ500M」。「W」は、「アミューズメントジャーナル」2018年8月号によれば、キャビネットを木製にしてコストを落としたものとのこと。

■「コンバットガン」。昭和40年代初期(1965~1969)のものとのことで、ショウ時点で新規披露したと言うわけではなさそう。

コパルマシン

★「C.P.M.」。上は総合カタログの中のC.P.M(青枠内)。下はC.P.M部分の拡大図。どんなものかはよくわからないが、「ムードビジョン」の命名から、アダルト映像を見せる機械のように思われる。

サニックコーポレーション


★「コンピューター」。上は「電子結婚相談コンピューター」を謳う「マリーコンピューター」のフライヤーの表裏、下は、「電子職業安定所」を謳う「ビジネス・コンピューター」のフライヤーの表裏。リストには単に「コンピューター」としか書かれておらず、このどちらを指しているかは不明。ひょっとすると両方か、もしくは別に「コンピューター」と言う機種があるのかもしれない。この当時、「コンピューター」は未来を連想させるマジックワードだった(関連記事:TRON(Bally/MIDWAY, 1982))が、これらの機械に本当にコンピューターが使われていたわけではない。


三共遊園

★「ねずみ退治」(上)と「ミニボクシング」(下)。当時の百貨店の屋上や遊園地のゲームコーナーでどこでも見かけた。ミニボクシングのボクサー像は、同社製パンチングバッグマシン「ボクシング」でも使用されていた。


▲「アストロファイター」。関西精機の「エアファイター」と同じく、ドッグファイトのゲームを遊んだ記憶はあるが、これだったのかどうかは不明。

▲「キックボクシング」。全く記憶になし。いわゆる「前蹴り」をさせるつもりなのだろうか。

三精輸送機

▲「月世界旅行」と「ジャンケンストリップゲーム」。上は全日本遊園70年11月号の第9回AMショウでの三精輸送機のブースを報じる写真で、「月世界旅行」と「ジャンケンストリップ」の筐体が見える。下は全日本遊園71年1月号の三精輸送機の広告より、「ジャンケンストリップ」部分の拡大図。どちらも実機を見た記憶はない。


児童遊園設備:

★:「タイガークレーン」。駄菓子屋の店頭やスーパーの屋上などで見かけていたかもしれないという程度の記憶しかない。


(次回に続く)