オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【小ネタ】セガ・マッドマネーとアルフレッド・E・ニューマン(Alfred E. Neuman)

2022年02月27日 17時46分11秒 | スロットマシン/メダルゲーム

セガのスロットマシンに、「MAD MONEY」というタイトルがあります。製造時期を特定できないのですが、筐体の形状からおそらく1960年前後から1960年代前半の間に作られたものと推察されます。

MAD MONEYのフライヤー。

MAD MONEYのトッパ―には、前歯が欠けた少年の顔と、「WHAT-ME WORRY? (何が心配なんだ?)」の文字が書かれています。これは、米国の「MAD」という雑誌のマスコットキャラクターとその決めセリフです。
MAD誌は1952年に創刊され、社会、文化、政治や芸能など日常のあらゆる出来事を風刺してギャグやジョークに転化する「ユーモア雑誌」(ウィキペディア英語版による定義)で、現在も刊行されています。漫画家の赤塚不二夫さんも大きな影響を受けていたそうで、MAD編集部を訪れた模様を描いた漫画を中学生の頃に読んだ覚えがあります。

前歯が欠けた少年の名は「アルフレッド・E・ニューマン(Alfred E. Neuman)」と言い、元々は19世紀に無痛を謳う歯医者の広告に使われていたキャラクターだったのだそうです。「WHAT, ME WORRY?」のコピーもまたその時に使われていたもので、MADのキャラクターとなった後も使い続けられました。歯が欠けているのもそんな出自に関係があるようです。

MADの表紙を毎回飾っているアルフレッド・E・ニューマン。

しかし、この時期にセガがMAD誌にロイヤリティを支払って「アルフレッド・E・ニューマン」を使用していたとはどうしても思えません。おそらく、日本で製造し、ターゲットはアジア圏の米軍基地や英国なので、MAD誌の著作権など無視して無断で使用したものと思い続けていましたが、その裏付けとなるエピソードを見たことはありませんでした。

しかし先週の日曜日、ワタシはFacebookのあるグループで、この「MAD MONEY」の画像がアップされているところを発見し、そのスレッドには「MAD誌は、この機械が米国に持ち込まれた場合は訴訟を起こすと述べていた」とするコメントがありました。

(赤線部分の翻訳)マッド誌はもしこれらが米国内に持ち込まれたら訴訟を起こすと述べ、そのためセガはこれらの機械のほとんどをUKと大英帝国に輸出した。

このコメント自体も裏を取る必要はあるとは思いますが、少なくともMAD誌がセガのMAD MONEYの存在を把握しており、訴訟の意思があると明言していたとする情報は初めて見ました

MAD MONEYは、アルフレッド・E・ニューマンの顔がどこでも3カ所に出現すれば18枚のコインが支払われる「マッドマネー」と言うフィーチャーを特徴としています。よほど人気があったのか、スターシリーズ筐体の後に開発されたコンチネンタル筐体やウィンザー筐体(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(4) セガのスロットマシンその2)でも発売されました。また、このフィーチャーは7号機に転用された「オリンピア」のスキーシンボルにも応用されています。

オリンピアのペイテーブル。スキーシンボルについて、「(ドノ位置デモ3ツ出レバ)」はマッドマネーフィーチャーの応用と思われる。

最後にまったくどうでも良いことですが、NHK朝の連ドラ「まんぷく」の登場人物「レオナルド」を初めて見た時、生きているアルフレッド・E・ニューマンだと思いました。

朝の連ドラ「まんぷく」に登場したレオナルド。演じるのはハリー杉山さん(画像はハリー杉山さんの公式ブログより)。


オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(5):ファクトチェック

2022年02月20日 17時23分53秒 | 風営機

「オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場」は、「この物語は実際の出来事を基に創作したフィクションです」と謳っている通り、断片的な事実を都合よくつなぎ合わせて創作したストーリーです。

この泡沫ブログでは無用な懸念かもしれませんが、よもやまさか創作部分が事実として伝承されることのないよう、本シリーズの最後は各エピソードのファクトチェックで締めくくっておきたいと思います。

エピソードの真偽の程度を表す記号の意味は以下の通りです。
◎:事実。
〇:事実だが改変あり。
△:証拠はないが状況から事実と推認しうる。
×:完全な創作。

なお、登場人物の会話は全て創作で、実在するミハイル・コーガン氏とレイモンド・レメヤー氏が、それぞれ広島弁、土佐弁を話していたという事実もありません。

第1幕:ジュークボックスで儲けちゃる
◎タイトーはジュークボックスの前にピーナツベンダーを酒場などに設置して稼いでいた。
×大東貿易が「もはや戦後ではない」と言われてからジュークボックスを始めている。
タイトーがウォッカやピーナツベンダーの扱いを開始した年は昭和28年(1953年)で、ジュークボックスを扱い始めたのは翌昭和29年(1954年)です。経済企画庁が経済白書に「もはや戦後ではない」と記したのはそれより後の昭和31年(1956年)ですから、物語の時系列が事実と異なっています。

◎タイトーが米軍払い下げのジュークボックスを修理してリースしていた。
◎米軍払下げのジュークボックスが払底し生産が覚束なくなった。
〇ジュークボックスで儲けたタイトーは広島、大阪、福岡、に営業所を新設した。
米軍払い下げのジュークボックスの部品を寄せ集めて1台に仕立て上げる「フルーツポンチ」が行われていた件と、のちに払い下げ品が払底して供給に間に合わなくなった件は、タイトーの社史本「遊びづくり四十年のあゆみ」に記載されています。
タイトーのジュークボックスビジネスが当初順調で、広島、大阪、福岡に営業所を作ったことは事実ですが、その具体的な時期はわかっていません。

◎自社製ジュークボックス「J40」は国産部品の品質が悪く、使い物にならなかった。
◎最終的にジュークボックスの国産化は断念し、米国AMI社から輸入した。
タイトーが国産ジュークボックス「ジュークJ40」を開発したのは昭和31年(1956年)ですが、国産部品の不良による故障が多く使い物にならず、結局国産化を断念したこともタイトーの社史本に記載されています。

〇津上製作所がAMIの機械を生産し、タイトーと市場の奪い合いとなった。
〇タイトーが米国シーバーグ社のジュークボックスを扱うようになった。
×タイトーがシーバーグに乗り換えたそのあとに津上製作所がAMI製品を生産した。
タイトーと津上製作所の間で熾烈なシェア争いが繰り広げられたのは事実ですが、津上製作所がAMI社製品のノックダウン生産を始めたのは、実はタイトーがAMI社製ジュークボックスの国内販売権を得たのと同じ年の昭和33年(1958年)です。従って、タイトーがシーバーグに乗り換えた後に津上製作所が後釜としてAMIを作りはじめたとするストーリーは事実と異なります。タイトーの公式ウェブサイトによれば、タイトーが米国シーバーグ社製品を扱うようになったのはAMIの販売権を得た4年後の昭和37年(1962年)とのことです。

第2幕:開発子会社設立とスロットマシン参入
×タイトーはセガに倣ってスロットマシンビジネスに参入した。
タイトーがスロットマシン製造に乗り出した動機は全く不明です。サービスゲームに倣ってスロットマシンビジネスに参入したとするストーリーを裏付ける証拠はありません。

◎「ローヤルクラウン」に「クラウン(CROWN)」のブランド名が付けられた。
〇タイトーが開発・製造を専門とする子会社「パシフィック工業(物語中はパン・パシフィック工業)」を設立した。
ローヤルクラウンにはパシフィック工業製品に付いている「CROWN」のブランド名と三本角の王冠型エンブレムが付いていますが、実在するパシフィック工業が初めてローヤルクラウンを製造したのがいつかはわかっていません。

パシフィック工業の設立年は、タイトーの公式ウェブサイトではオリンピアが風営許可を得る前年の昭和38年(1963年)としています。しかし、パシフィック工業が当初からスキルストップボタン付きのオリンピアを作る目的でセガの機械をコピーしていたとは考えにくく、またタイトーの社史本では「(オリンピアは)1960年ころから準備して」と言っていることから、物語ではパン・パシフィック工業の設立時期を1960年ころとして、ストップボタンが付かないローヤルクラウンを先に作ったことにしています。

△ローヤルクラウンはセガのスターシリーズを無断コピーして作られた。
海外に現存するローヤルクラウンのオーナーの言によると、ローヤルクラウンの中身はスターシリーズ同様ミルズ社製と互換性があり、またローヤルクラウンをセガ製品と誤解、または推測しているケースも見られ、証拠はなくともコピーであること自体は疑いようがありません。ただし、そのコピーがセガの許諾を取った上である可能性を否定する証拠はありません。

×ミハイルがローヤルクラウン試作一号機の筐体デザインを変えさせた。
ローヤルクラウンの筐体デザインがなぜあのようになったのかも含めて、ローヤルクラウン開発現場の描写はすべて創作です。

第3幕:仁義なき戦い(前編)
×タイトーはローヤルクラウンが売れなかったので7号市場を目指した。
第2幕のファクトチェックでも述べたとおり、ローヤルクラウンが作られた時期は不明です。従って、これをオリンピアに流用したとするストーリーは創作です。

〇タイトーが苦労して風俗営業の許可を取得した。
タイトーの社史本には「苦労して風営七号許可を取るや」との記述がありますが、その苦労の内容は伝わっておらず、警察の担当官に買収まがいの饗応もしたとのエピソードは創作です。

◎タイトーがサービスゲームズのオリンピア追随に激怒して他社に抗議した。
〇サービスゲームズ(セガ)がタイトーの尻馬に乗ってきた。
タイトーの社史本では、タイトーがオリンピアに便乗してきた「日本娯楽物産などの他社」に抗議したと述べられています。物語では大東貿易が抗議した先をサービスゲームズとしていますが、当時のサービスゲームズは日本娯楽物産と日本機械製造に分裂していたか、もしくは日本娯楽物産を存続会社として日本機械製造と再統合していたか、あるいは既にセガ・エンタープライゼスを名乗っていた時期です(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(1)まずは過去記事から概説)。

実在のサービスゲームズの母体となる「レメヤー・アンド・スチュワート」は、「レイモンド・レメヤー」と「リチャード・スチュワート」という二人の人物の名前から来ており、後にスチュワートが率いる「日本娯楽物産」とレメヤーが率いる「日本機械製造」に分かれます。物語ではサービスゲームズの社長をレメヤーとしていますが、スチュワートとした方が事実に近かったかもしれません。

◎サービスゲームズが賄賂などの不正でアジア圏の米軍基地に深く食い込んでいた。
セガが日本を含むアジア圏の米軍基地の担当官を賄賂や接待で抱き込んでいたのは事実で、他にも軍事物資に偽装して輸入した物資をダミー会社を通じて民間に横流しするなどの不正行為もしており、そのためセガは米軍から出入り禁止とされたこともありました。(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(2) 4つの「Service Games」)。

△サービスゲームズが英国のディストリビューターと手を組んでいた。
現存するローヤルクラウンに英国の通貨単位でデノミを表示している個体があるため、大東貿易は英国市場も視野に入れていたというストーリーにしています。しかし、セガが英国のディストリビューターと手を組んでいたことは事実ですが、その時期がこれ以前からなのか、それとももっと後になってからの話なのかは分かっていません。

第4幕:仁義なき戦い(後編)
◎セガはミルズから金型と権利を買い取っていた。
セガがミルズからスロットマシンの金型と権利を買っていたことは事実です。これは、1951年に米国で成立したジョンソン法と呼ばれるスロットマシンを規制する法律のため、ミルズが売却したものと思われます(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(3) セガのスロットマシンその1)。

◎タイトーとセガで「株式会社オリンピア」を設立した。
×セガがタイトーに株式会社オリンピアの構想を持ち掛けた。
×タイトーとセガのオリンピアの生産能力(タイトー月産80台、セガ300台以上)。
「株式会社オリンピア」ができたこと自体は事実ですが、その経緯は全く不明で、設立年も伝わっていません。セガ側が提案しタイトーが飲んだというストーリーは創作です。物語中のタイトーとサービスゲームズの生産能力も、ストーリーの整合性を保つために適当と思われる数字を設定したもので、事実ではありません。

〇オリンピア機の製造をセガ、販売と運営は主にタイトーが行った。
製造をセガ、販売運営を主にタイトーが受け持つとしたことは、一般には事実であると認識されているようです。しかし、セガもタイトーも、株式会社オリンピアの枠外で積極的に販売していたように見受けられる節もあります。

×セガはローヤルクラウンに対する権利を放棄した。
セガがローヤルクラウンのロイヤリティを放棄したという話は創作です。実際どうであったかは不明です。

タイトーの社史本「遊びづくり四十年のあゆみ」P.63に掲載されているオリンピアのロケーション風景。キャプションには「昭和39年」とあるが、筐体はセガのスターシリーズで、筐体の右上には株式会社オリンピアのエンブレムも見えており、社史本の記載内容にはいろいろと矛盾が感じられる。

第5幕:仁義なき戦い(エピローグ)
×大東貿易とサービスゲームズ双方の思惑はすべて創作。
エピローグでは、タイトーとセガが最終的に株式会社オリンピアで協業したという事実を説明するために、ストーリーをでっちあげました。逆にタイトーの方から協業を持ちかけるというストーリーも考えましたが、ミハイルの抗議など馬耳東風でも良かったはずのサービスゲームズがこれを飲む、説得力を持つ理由が思いつかず、結局こうなりました。

タイトーは「株式会社オリンピア」設立後の1968年に、ローヤルクラウンを含む自社製品の広告を米国の業界誌に掲載していることは確認できています。しかし米国のスロットマシン市場は、払出装置にホッパーを搭載してスロットマシンに革命を起こしたバーリー製のスロットマシンが市場を席巻しており(関連記事:米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2))、ローヤルクラウンが多少なりとも普及したことを示す事実は、状況証拠すら見当たりません。レメヤーに「あんなもんどうせ売れんき」と言わせているのもそんな状況に基づいています。

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「オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場」はこれにて完結です。主要登場人物には、キャラクターを立たせる演出の目的で方言をしゃべらさせていますが、ワタシが漫画で学んだそれら方言はネイティブの方々から見ればおそらくかなりでたらめであろうと思われ、気分を害された方々にはお詫び申し上げるとともに、当然ながら方言を揶揄する意図は無いことを申し添えておきたいと思います。


オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(4):第4幕/第5幕

2022年02月13日 15時26分01秒 | 風営機

第4幕:「仁義なき戦い(後編)」
(この物語は実際の出来事を基に創作したフィクションです)

登場人物
・ミハイル:大東貿易の社長。ウクライナ出身。日本語に堪能。
・レメヤー:サービスゲームズ社の社長。
・時期:昭和39年(1964年)ころ
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前回のあらすじ
大東貿易が苦労してローヤルクラウンの風営許可を得たところ、ライバルのサービスゲームズ社がすかさずその尻馬に乗って類似の風営機種を作り始めたことを知ったミハイルは激怒し、サービスゲームズのレメヤー社長を高級料亭に呼び出して抗議した。しかし、レメヤーは一向に動じず、大東貿易がローヤルクラウンを作るまでの経緯を問いただしてきた。

レメヤー:おまさんらあのとこじゃ、コピーを研究ちゅうがですか。

レメヤーに痛いところを遠回しに突かれたミハイルの胸中に不安が沸き上がる。しかしここで弱気になったら付け込まれる。強引に逆上して見せるミハイル。

ミハイル:わりゃ、何が言いたいんじゃ! オリンピアは正真正銘ワシらで作ったもんじゃ! ワシらとてやりゃできるんじゃ!

しかしレメヤーはミハイルの剣幕にも一向に怯む様子を見せず、平静を保っている。

レメヤー:おお、不調法があったら堪忍しとおせ。わしらあ田舎もんじゃき、口の利き方をよう知らんがじゃ。
ミハイル:ほうよ。それをワレ、ケチ付けられちゃあ、温厚なワシでも怒るわ。

レメヤーは口では非礼を詫びつつも、依然として落ち着いた様子で続けた。

レメヤー:もちろん研究はメーカーには不可欠の努力じゃき、わしらあもその一環としてローヤルクラウンを見てみたがじゃ。

ミハイルの顔色が変わる。レメヤーはそれに気づいてか気づかずでか、何事もなかったかのように続ける。

レメヤー:キャビネットのフォルムもさることじゃけんど、側面の鋲が打たれてる位置までほとんどわしらあが機械と一緒じゃったき、外から一目見ただけで中の構造まで元ネタが割れましたがよ。

大東貿易のROYAL CROWN(左)とサービスゲームズのスターシリーズ(右)の側面の比較。筐体上部のデザインを変えた結果、背が少し高くなったが、胴部のフォルムと側面に打たれているリベット(赤円内)の配置はほぼ同じ。但し、最も左下のリベットは、スターシリーズ筐体にはない。このROYAL CROWNの画像は「WorthPoint」より

ミハイルは狼狽しながらも、恫喝では突破できないと悟り、コピーではあるがそのオリジナルはサービスゲームズではなく米国ミルズ社であるとする方向に作戦を変更する。

ミハイル:た、たしかにワシらはいろいろの機種を研究しちょったからのう。ほうじゃ、アメリカのミルズの機械なんぞもずいぶん参考にしちょる。
レメヤー:ほう。ミルズ、ですがか。
ミハイル:ほうじゃ。やっぱりアメリカ製はモノが違うと感心して、大いに見習わせてもろうたんじゃ。

ミハイルは内心これでレメヤーの追及をかわせると期待した。しかし。

レメヤー:そのミルズですがのう。わしらあはミルズにカネ出して金型と一緒に権利を買うちょることはご存知ありゃせんでしたかの。

その事実はミハイルが知らないことだった。逃げ道を塞がれたミハイルは、抗議するつもりで呼び出した相手に逆に窮地に立たされた。ミハイルは、次に続くであろうレメヤーの逆襲に対してどんな落としどころを見つけたものか、必死に考えを巡らせるが。

レメヤー:のう、大東さん。あんたらあが警察から風俗営業の許可を得るまでに味わった苦労はわしらあも良うわかっちゅうつもりじゃ。あいつらあ権力かさに弱い者いじめばあする卑怯者じゃき、わしも大嫌いじゃ。

レメヤーは逆襲に出るどころかミハイルに理解を示す。ミハイルにはまだその意図が読めない。

レメヤー:そんなん相手に大東さんが新しい市場を開拓してくれたことにはわしらあもこじゃんと感謝しちゅうがじゃ。ほじゃき、大東さんにも今までの苦労に見合った見返りがなきゃならんと考えちゅうがよ。

てっきり宣戦を布告してくると思っていたレメヤーの意外な言葉に、ミハイルは困惑しながらも、それがまだどういうものかはわからないが一抹の期待のようなものが芽生えて来る。

レメヤー:そこでじゃ大東さん。わしらあ、オリンピアで大東さんと協業するちゅうアイディアを考えちゅうが、どうかのう。
ミハイル:きょ、協業・・・?
レメヤー:そうじゃ、協業じゃ。のう、大東さん。あんたらあがとこじゃ、オリンピアを月に何台生産できゆうがか?

サービスゲームズはなぜか大東貿易を正面から叩き潰しに来る気はないらしい。ミハイルはこの穏便な空気を壊さないでいる方が得策と考え、相手を下手に刺激することのないよう正直に答える。

ミハイル:たぶん100・・・ いや、当初はもう少し少ない80台くらいかもしれんのう。
レメヤー:まあそんなもんじゃろうのう。けんどわしらあなら月に300は堅いがじゃ。一方で、もともと商社でオペレーターの大東さんなら、販売と運営はお手の物ろう。

ミハイルには協業の意味の見当は付いてきたが、イメージが湧かない。

ミハイル:じゃがサービスの。一つの事業を二つのアタマで動かして、そがいに都合よく動くもんじゃなかろうが。
レメヤー:その懸念はもっともじゃ。ほいじゃき、わしゃ、おまさんらあとわしらあで合弁会社作って、オリンピア事業はそこに統合することを考えちゅう。
ミハイル:合弁会社じゃと?
レメヤー:いかにもタコにもぜよ。わしらあは作った機械をその合弁会社に納入して、おまさんらあを中心に結成する営業部隊がそれを売ったり運営したりするちゅう算段ぜよ。

確かにサービスゲームズの生産能力を以てすれば、オリンピアの展開も早いだろう。しかし、それではローヤルクラウンの在庫問題は解決しない。

ミハイル:うむう。じゃが、ワシらのローヤルクラウンはどうなるなら?
レメヤー:大東さん、こりゃあ互いの得意分野を活かしてオリンピアちゅう新しい事業を発展させようちゅう、げに太い計画ぜよ。だからこそわしらあも自前で販売や運営できるだけの営業所網を全国に持っちょるが、そこはおまさんらあに任せる言うちょるんじゃ。そんためにはローヤルクラウンはオリンピアから引いてもらわんとのう。

確かに、製造をサービスゲームズに頼る方が売れるタマは飛躍的に多くなる。しかしせっかく作ったローヤルクラウンが活かせないのも惜しい。逡巡するミハイルを見てレメヤーは付け加えた。

レメヤー:じゃが、オリンピアと競合しないところでローヤルクラウンを展開する分には、わしらあは何も言う気はないきに、大東さんが好きに作って好きに売ってもらって結構じゃ。
ミハイル:え? ほんまにええんか? 
レメヤー:もちろんじゃ。ほいでもこの話が飲めんちゅうなら、わしらあは独自に機械作って独自に販売運営するだけじゃき。そうなりゃおまさんらあとは戦争になるじゃろうが、月産80台と300台がケンカして勝負になるろうか、良く考えとおせ。

ジュークボックスでは津上製作所との戦いに勝てた大東貿易だったが、それはウォッカやピーナツベンダーでかねてから付き合いのある飲み屋の存在が大きかった。しかし、オリンピアで目指す市場にはそのような味方はいない上に、今度の相手は自分たちよりも強い力を持つ同業者で、まともに喧嘩しては旗色が悪いことは明らかだ。おまけにローヤルクラウンのコピーは咎めないと言われれば、ミハイルに選択の余地はなかった。

ミハイル:ええじゃろ。わしらのオリンピア発展のために、力を貸してつかあさい。

ミハイルは、レメヤーを刺激しないよう下手に出る言葉を選んだが、オリンピアの主役は自分たちだという主張は忘れなかった。この言葉を聞いたレメヤーは、手を叩いて仲居を呼び出した。

レメヤー:おねえさん。こんな小さい盃じゃ埒明かんき、枡を持ってきとおせ。ふたつ。

仲居が枡を持ってくると、レメヤーは一つをミハイルの卓に置かせた。

レメヤー:わしらあとてオリンピア立役者の大東さんと好んで戦争したいわけじゃないがやき、わかってもらえて今日はまっことえい日じゃ。ほいたら、固めの盃じゃ。

二人は枡に次いだ酒を飲み干した。

レメヤー:ところで合弁会社の名前じゃが、大東さんの尽力に敬意を表して「株式会社オリンピア」でどうがじゃ? もちろん製品名も「オリンピア」で決まりじゃとわしゃ思うちょるが。

レメヤーは最後までミハイルを持ち上げ続けた。こうして株式会社オリンピアの設立は決まり、大東貿易とサービスゲームズのそれぞれの役割も定まった。

(次回第5幕:「仁義なき戦い(エピローグ)」につづく)

方言参考:はだしのゲン(中沢啓治)、とろける鉄工所(野村宗弘)、おーい竜馬(小山ゆう)、仁(村上もとか)

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第5幕:「仁義なき戦い(エピローグ)」
(この物語は実際の出来事を基に創作したフィクションです)

登場人物
・ミハイル:大東貿易の社長。ウクライナ出身。日本語に堪能。
・社員:大東貿易の社員。
・レメヤー:サービスゲームズ社の社長。
・社員D:サービスゲームズの社員。
時期:1965年頃
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ミハイル:諸君、重大な発表をする。サービスゲームズは、ワシらと「株式会社オリンピア」ちゅう合弁会社を作ることを提案してきよったので、ワシはこれを飲んだ。サービスゲームズは作ったオリンピアを合弁会社に納入し、その販売と運営を合弁会社の主にワシらで構成する営業部隊が行うちゅう枠組みじゃ。

一同に驚きと不安が混じったざわめきが起きる。

社員:社長、それは我々がサービスゲームズの支配下に入るということですか。
ミハイル:ワシらとサービスゲームズはあくまでも対等じゃ。大東貿易ちゅうくらいじゃけえ。
社員:ダジャレ言ってる場合じゃないですよ。サービスゲームズは何と言っているんですか。
ミハイル:この話が飲めんようなら戦争じゃと。
社員:上等じゃないですか。津上製作所みたいにやっつけてやりましょうよ。
ミハイル:そういきんなや。津上は機械づくりのプロじゃが、客商売は素人じゃった。じゃけんどサービスゲームズはワシらを上回る営業所網を全国に持っちょる同業者じゃけえ、津上ん時とはわけが違うんじゃ。それに月産80台のワシらが月産300台以上のあいつらとまともに競争して、どれだけ戦えるちゅうんじゃ。
社員:社長は悔しくないんですか? ローヤルクラウンはどうなるんですか?
ミハイル:ワシとて100%満足とはいかん。じゃが、サービスゲームズはワシらが機械をコピーしたことを咎める気はない、オリンピアと競合さえしなければ、今後もローヤルクラウンを好きに作って好きに売ったらええちゅうんじゃ。

サービスゲームズの意外にも寛容な態度にどよめきが起きる。

社員:この話で、我々にどんなメリットがありますか?
ミハイル:サービスゲームズの生産力を以てすれば、ワシらが撃てるタマの数は最初から4倍近くになるけえ、ワシらの販売益も運営益も4倍になるだけじゃのうて、オリンピアの普及も一層はようなる。ローヤルクラウンだけではこうはいかん。
社員:でも、サービスゲームズはなぜこんな提案をしてきたんでしょうね。
ミハイル:サービスゲームズは、ワシがこの話を蹴ることを恐れているんかと思うくらい、最後までワシを持ち上げちょった。おそらく、今後7号の商売をして行く上で警察と接点のあるワシらと喧嘩したくなかったんじゃろうのう。ローヤルクラウンを見逃したのも、それで仁義を切ったことにしたいんじゃろ。
社員:なるほど、よくよく考えれば悪い話ではなさそうですね。
ミハイル:ほうじゃろう。じゃけえ、これからはサービスゲームズを下請けにして儲けさせてもらうつもりでみんながんばってや。
社員:サービスゲームズを下請けか。なんか痛快ですね。

社員の得心を得たミハイル。一方、サービスゲームズでは。

レメヤー:大東貿易は、オリンピアで協業するわしらあの提案を飲んだぜよ。これでわしらあが作ったオリンピアを勝手に売ってくれる手足ができたがじゃ。
社員D:我々に経験のない7号市場の開拓に手を焼くことがなくなったということですね。
レメヤー:ほうじゃ。それだけじゃのうて、まだ海のものとも山のものともつかないこのオリンピアが例えヒットしなかったとしても、損失は太東貿易と折半できるがじゃ。まっことありがたいことぜよ。
社員D:しかしローヤルクラウンまで譲らなくても良かったんじゃないですか? ロイヤリティくらい取っても良かったと思うんですが。
レメヤー:販路を持たないあいつらあじゃあどうせ売れんき、ロイヤリティなんぞ取ってもたいした儲けにゃならんぜよ。
社員D:そうですかね。よほど安ければ買う人もいるんじゃないですか?
レメヤー:わしらあのコピーを型から何から全部新規におこして月産80台じゃあ、赤字承知のダンピングでもせんことにゃ安うできる余地なんぞありゃせんが。
社員D:それにしても、もう少し締め上げても良かったようにも思うんですが。
レメヤー:おんし、わかっちょらんのう。交渉ちゅうんは相手に利益があると思わせるのが上策じゃ。わしらあにとっちゃこんまいローヤルクラウンの利益を放棄するちゅうただけで、あいつらあ涙を流さんばかりに喜んで従ってきたがじゃ。
社員D:ローヤルクラウンと言うエビで鯛を釣ったってことですね。
レメヤー:そういうことじゃ。わしらあにとってはメリットの大きいこの話も、あちらあは別に損をしたと思っちょらん。これが交渉の極意よ。
社員D:なるほど。でも、オリンピアが大ヒットしちゃったらちょっと惜しい気はしますね。
レメヤー:そうなったらわしらあで独自にオリンピアを販売運営すればいいだけじゃ。別にわしらあがやっちゃいかんとは決めちょらんきにの。

こうして株式会社オリンピアは立ち上がったが、なぜかその活動の詳細は後世にあまり多くは伝わっていない。初代のオリンピア機こそ株式会社オリンピアの名で頒布されたフライヤーが残っているが、その後に発売された「ニュー・オリンピア」と「オリンピア・マークIII」は、筐体にこそ株式会社オリンピアのエンブレムが掲示され続けたが、タイトーは「太栄商事」、セガは「セガ・エンタープライゼス」としてそれぞれ独自に販売、運営を行っていたように見受けられる。

オリンピア機が現場で稼働したのは1960年代後半から1970年代後半の10余年に過ぎなかった。その後の回胴式遊技機は新要件機の「ジェミニ」(関連記事:「アメリカンパチンコ」・ジェミニ)に引き継がれ、以降現在のパチスロに至る。

1968年、タイトーはローヤルクラウンを米国に向けて売り出そうとしていたが、広く普及したという話は聞かない。現存するローヤルクラウンは、海外のコレクターからセガ製、またはミルズ製と誤解されているケースも見られる。

最終回「オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(5):ファクトチェック」につづく。

方言参考:はだしのゲン(中沢啓治)、とろける鉄工所(野村宗弘)、おーい竜馬(小山ゆう)、仁(村上もとか)


オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(3):第3幕

2022年02月06日 12時52分24秒 | 風営機

第3幕:「仁義なき戦い(前編)」
(この物語は実際の出来事を基に創作したフィクションです)


登場人物
・ミハイル:大東貿易の社長。ウクライナ出身。日本語に堪能。
・社員:大東貿易の社員。
・レメヤー:サービスゲームズ社の社長。
・女将:高級料亭の女主人。

・時代:昭和39年(1964年)頃
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(前回のあらすじ)
娯楽機器を自社開発しようと決意した大東貿易は、開発と製造を専門とする子会社「パン・パシフィック工業」を設立し、ライバルのサービスゲームズ社が製造するスロットマシンのコピーである「ローヤルクラウン(ROYAL CROWN)」を完成させるに至った。

社員:社長、大変です。
ミハイル:なんなら、騒々しい。
社員:ローヤルクラウンが売れません。
ミハイル:わりゃ、ふざけたこと抜かすとしごうしたるぞ。サービスゲームズ製と同じ性能のもんがなんで売れんのじゃ。
社員:アジア圏の米軍基地はサービスゲームズが「飲ませる抱かせる握らせる」の接待攻勢でがっちり食い込んでいて、どこも門前払いです。
ミハイル:おのれド外道め。アメリカはどうなんじゃ。
社員:アメリカの民間市場はネバダのみですが、先行する大手に独占されて新参者が入り込む余地がなく、サービスゲームズ製さえわずかです。
ミハイル:うぬぬ。じゃあイギリスはどうじゃ。
社員:見込みがゼロではありませんが、販売網が致命的に脆弱です。サービスゲームズはイギリスの大手ディストリビューターと既に手を組んでいます。
ミハイル:おのれサービスゲームズめ、抜かりはないちゅうんか。しゃあないけえ、まずはイギリス当たってみてや。残りはワシが何か考えるけえ。

作ったはいいが売れない「ROYAL CROWN」を抱えて苦境に陥った大東貿易。しかしここで、ミハイルに一つのアイディアが閃いた。

ミハイル:そうじゃ。ローヤルクラウンを7号(注・風俗営業機)に流用できんもんかのう。
社員:パチンコ業界ですか? しかし、スロットマシンは1951年に一度風俗営業の申請が出されましたが、1954年に賭博機だと結論付けられて却下されてますよ。
ミハイル:そんくらいわかっちょるわ。その理由はスロットマシンには技術介入性が無く完全に偶然のゲームだったからじゃ。
社員:ではROYAL CROWNに技術介入性を付けるというのですか?
ミハイル:ほうよ。ストップボタン取り付けて、客が自分の意思でリールを止めるんじゃ。
社員:理屈の上ではわかりますが、前例主義の役所が新規のゲームをそう簡単に認めてくれるでしょうか。
ミハイル:難しいのはわかっちょる。しかしこのままじゃわが社は大損じゃけえ、少しでも可能性があるならやるしかないんじゃ。

こうして大東貿易の警察(国家公安委員会)詣でが始まった。最初のうちはけんもほろろだった警察の対応も、大東貿易の、時に違法すれすれ、時に涙すら誘う懸命の努力により、ついに1964年、スキルストップボタンを付け加えたローヤルクラウンに風俗営業の許可が降りた。

スキルストップボタンが付いたクラウン機。但し画像の個体は風営機として認定された機種と同一のものではなさそう。スキルストップボタンは押し込むタイプではなく、つまみを押し下げるタイプになっている。ワタシはこのタイプのスキルストップボタンが付いたスロットマシンを、1974年頃に渋谷のゲーセン(全線座(現東急イン)か、もしくはその向かいの渋谷東口会館のどちらか)で一度だけ見たことがあるが、それがこれと同種の機械であったかどうかは覚えていない。なお、この画像の出どころは忘れてしまっており、ウェブ上を検索しても一致するものはヒットしなかった。

社員:社長、我々はついにやったんですね!
ミハイル:おお。苦節4年、ワシらが独自に作った機械がついに業界に新しい分野を築きよったんじゃ。そうじゃ、今年は東京五輪が開催されるめでたい年じゃけえ、記念にこの機械をオリンピアと名付けよう。

念願がかなった大東貿易は社を挙げて祝賀ムードに包まれた。しかし、それも束の間だった。

社員:社長、大変です。
ミハイル:なんなら、騒々しい。
社員:サービスゲームズが我々の尻馬に乗ってスロット型の風営機を作り出しました。
ミハイル:なんじゃと、あのド外道が!
社員:社長、私は悔しいです。警察の担当官にさんざんいびられ馬鹿にされ、それでも日参して時には飲ませ食わせ、幇間の真似までしてきた我々の苦労で得た成果が横から攫われるなんて耐えられません。うううう。
ミハイル:その思いはワシとて同じじゃ。よっしゃ、わしが話付けてくるけえ泣くなや。おのれサービスゲームズ、許さん。

激怒したミハイルは、サービスゲームズの社長であるレメヤーに直接抗議するつもりで、高級料亭に呼び出した。

女将:ミハイルはん、レメヤーはんがおいでにならはりましたえ。
ミハイル:おう、そうか。こっち通したってや。
女将:へえ。どうぞレメヤーはん、こちらどすえ。

レメヤー、女将に案内されてミハイルの向かいの卓に座る。ミハイルがレメヤーの盃に酒を注ぎ、続いて自分の盃に注いだ。ミハイル、自分の盃に口を付けてから話の口火を切る。

ミハイル:のう、サービスの。こんたびのあんた方のやり方あ、ちいっとばかし仁義に外れよるんじゃありゃせんかのう。

レメヤーは注がれた盃を干して卓に置き、平然と答える。

レメヤー:はて、わしらあは法に則って商売しゆうが、なにか気に障るようなことでもありましたかえ。
ミハイル:オリンピアの件じゃ。ありゃあワシらが長い時間かけて、苦労して警察の許可を取ったもんじゃ。それをあんた方、ワシらになんの仁義も切らんと始めよるそうじゃないか。

レメヤー、自分の盃に手酌で酒を注ぎながらあくまでもとぼける。

レメヤー:オリンピア? ああ、ありゃあオリンピアちゅうがですか。まっことえいネーミングセンスじゃ。わしらあも見習わなきゃならんぜよ。

ミハイル、レメヤーの人を食った態度に湧き上がる怒りを抑えて続ける。

ミハイル:のう、サービスの。今からでも遅うないけえ、ここは一歩退くなり、なにがしかの気持ちを見せるなりしてもらうことは考えられんかのう。

ミハイルは、出方次第では穏便に済ませる姿勢を見せた。これで尻尾を巻かせれば、レメヤーに大きな貸しを作ることができる。レメヤーは自分で注いだ盃を持ったまま視線を落とし、少し考えるそぶりを見せてから口を開く。

レメヤー:ほたら大東さん、ちくと聞きたいことがあるがじゃ。おまさんらあ、こう言っちゃなんじゃが、メーカーとしてはまだ駆け出しも駆け出しろう。どうやってオリンピアを作ったがじゃ? 

あれこれと言い訳を並べ立てて来ると予想していたミハイルは当惑し、まさかサービスゲームズの機械をコピーしたとは言えず、言葉を濁す。

ミハイル:そりゃあんた、アレじゃ。あー、いろいろ研究に研究を重ねてじゃな、あー、まあ、そ、そういうようなことじゃ。
レメヤー:ほう。研究。

レメヤー、再び自分の盃に酒を注ぐと、タンと音を立てて徳利を卓に立てる。

レメヤー:おまさんらあのとこじゃ、コピーを研究ちゅうがですか。

痛いところを遠回しに突かれたミハイルの胸中に突如として暗雲が立ち込め始め、それは猛烈な勢いで膨張した。

(次回第4幕:「仁義なき戦い(後編)」につづく)

方言参考:はだしのゲン(中沢啓治)、とろける鉄工所(野村宗弘)、おーい竜馬(小山ゆう)、仁(村上もとか)