「パチンコ百年史」と言うムックがあります。パチンコの業界誌を発行するアド・サークル社が2002年に刊行した、全180ページに及ぶパチンコの歴史本で、表紙には山田清一氏と今泉秀夫氏の両氏を「責任編集」としてあります。
パチンコ百年史の表紙
今回は、この「パチンコ百年史」に見られる2カ所の疑わしい部分について検証しようと思います。
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一つ目は、カナダのCaitlynから届いたメッセージで気づいたものです。彼女は、「この本(パチンコ百年史)に、昭和30年代の日本にコインプッシャーが持ち込まれ、その後禁止されたとあるが、この件について何か聞いたことがあるか」と聞いてきました。ワタシは、この時期の日本でプッシャーがギャンブルに使われたとの話をこれまで一度も見聞したことがなかったので、新鮮ではあるものの、大いに訝しく感じました。
改めて手元の「パチンコ百年史」を見ると、その43ページには英国Bryan社のプッシャー機「ダブルデッカー(Double Decker)」の画像が掲載され、「一種のコイン落としギャンブル。昭和30年代に日本にも入ってきたことがあるが射倖心をそそり過ぎると間もなく禁止になった」とのキャプションが付いています。
パチンコ百年史の43ページ(上)と、そのうちのダブルデッカーの部分の拡大図(下)。英国サウサンプトンにある「カヌートパビリオン」の「アンティークマシン博物館」での展示物を、34ページから10ページに渡って紹介しているうちの最後のページ。
昭和30年代と言うと、1955年から1964年までの期間です。この時期に日本にプッシャーが存在した事実は本当にあったのでしょうか。
ワタシはこれまで、世界初のコインプッシャーは英国クロンプトン社が1963年に発明した「Wheel-A-Win」(関連記事:プッシャーに関する思いつき話(3):クロンプトン社の歴史1・「ペニー・フォールズ」誕生まで)だと認識していました。昭和30年代の最後の2年にかかってはいますが、「Wheel-A-Win」はヒットせず、輸出されたという話も聞きません。クロンプトンが次に作ったプッシャーが「ペニー・フォールズ」で、それは1966年、昭和40年代に入ってからのことです。
「ダブルデッカー」の製造年はよくわかりません。ネット上を検索すると1968年とするものが複数見つかり、Caitlynの認識としても「ダブルデッカーは60年代後半の機械」としているので、それらが正しければ「昭和30年代」にはひっかかりません。
クロンプトンやBryanに先駆けて日本国内で独自にコインプッシャー機が発明されていた可能性も考えましたが、キャプションには「日本に入ってきた」と言っているので、この線もなさそうです。そもそも、メダルゲームというジャンルが発生する以前の日本にコインプッシャーがあったという話は、この「パチンコ百年史」を除いたあらゆる媒体を通じて見たことがありません。
本当に、昭和30年代の日本にプッシャー機が入ってきていたのでしょうか。どちら様でも、そのようなお話をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひともコメント欄にてご教示いただけますようお願いいたします。
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二つ目は、96ページから始まる「パチスロ百年史」の中にあります。ここには終戦後の沖縄でのスロットマシンのオペレートの様子が述べられている興味深い部分もあります。しかし、99ページに掲載されている「オリンピアマシン」は、オリンピアマシンではありません。
「パチンコ百年史」99ページ(上)と、オリンピアマシンとする機械の画像部分の拡大図(下)。画像のキャプションには「(写真提供山田清一)」とある。
この画像の機械にはプレイヤーがリールを任意のタイミングで停めるためのスキルストップボタンがありません。それどころか、筐体の「OLYMPIA STAR」となっているべき部分には「DIAMOND 3 STAR」の文字が打たれています。これを「オリンピア機」として紹介してしまうのは、明らかな誤りです。
そしてこの誤りはこの本だけに留まらず、パチスロメーカーであるオリンピア社のウェブサイトや、「パチンコ歴史辞典」(ガイドワークス、2017)の中でも受け継がれてしまっています(関連記事:「パチンコ歴史事典」(ガイドワークス, 2017)を勝手に訂正する(2))。
重ねて強調しておきますが、この画像はオリンピア機の画像ではありません。
もう一つオマケを付け加えると、このページでは現在のパチスロの嚆矢となるジェミニが誕生する経緯を、「(ゲーム機のスロットマシンで賭博を行い警察当局が摘発に乗り出したので)こうした危機を突破するためには、スロットマシンをパチンコ機と同じ風営機として警察に認定してもらうしかない」としている部分についても疑問を感じます(関連記事:「アメリカンパチンコ」・ジェミニ」)。
ゲーム業界やパチンコ業界にはなるべく明るみに出したくない闇の部分があり、当事者がそこを隠すためにうまいこと言い繕うので、この部分はそれをそのまま掲載しているのでしょう。実際、ジェミニが誕生しパチスロ市場が確立した後でもゲーム機賭博は無くならず、1980年代には社会問題に発展したためにゲームセンターも風俗営業に組み入れられはしましたが、それでメダルゲームからスロットマシンが無くなることはありませんでした。
一度伝播し普及してしまった説はそのまま信じられ続けてしまうことも多いですが、将来歴史を検証しようとする人が現れた時のために、誤りに気付いた者はそれを見逃さずに指摘しておくことは大切なことだと思って、今回の記事を作成しました。蛇足ながら、誤りが含まれているからと言ってこの本の価値や製作に携わった方々への敬意がゼロになるわけではもちろんないことは付言しておきます。
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