オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

「パチンコ百年史」(アド・サークル, 2002)を勝手に検証する

2023年12月24日 18時21分24秒 | 風営機

パチンコ百年史」と言うムックがあります。パチンコの業界誌を発行するアド・サークル社2002年に刊行した、全180ページに及ぶパチンコの歴史本で、表紙には山田清一氏と今泉秀夫氏の両氏を「責任編集」としてあります。

パチンコ百年史の表紙

今回は、この「パチンコ百年史」に見られる2カ所の疑わしい部分について検証しようと思います。

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一つ目は、カナダのCaitlynから届いたメッセージで気づいたものです。彼女は、「この本(パチンコ百年史)に、昭和30年代の日本にコインプッシャーが持ち込まれ、その後禁止されたとあるが、この件について何か聞いたことがあるか」と聞いてきました。ワタシは、この時期の日本でプッシャーがギャンブルに使われたとの話をこれまで一度も見聞したことがなかったので、新鮮ではあるものの、大いに訝しく感じました。

改めて手元の「パチンコ百年史」を見ると、その43ページには英国Bryan社のプッシャー機「ダブルデッカー(Double Decker)」の画像が掲載され、「一種のコイン落としギャンブル。昭和30年代に日本にも入ってきたことがあるが射倖心をそそり過ぎると間もなく禁止になった」とのキャプションが付いています。

パチンコ百年史の43ページ(上)と、そのうちのダブルデッカーの部分の拡大図(下)。英国サウサンプトンにある「カヌートパビリオン」の「アンティークマシン博物館」での展示物を、34ページから10ページに渡って紹介しているうちの最後のページ。

昭和30年代と言うと、1955年から1964年までの期間です。この時期に日本にプッシャーが存在した事実は本当にあったのでしょうか。

ワタシはこれまで、世界初のコインプッシャーは英国クロンプトン社1963年に発明した「Wheel-A-Win」(関連記事:プッシャーに関する思いつき話(3):クロンプトン社の歴史1・「ペニー・フォールズ」誕生まで)だと認識していました。昭和30年代の最後の2年にかかってはいますが、「Wheel-A-Win」はヒットせず、輸出されたという話も聞きません。クロンプトンが次に作ったプッシャーが「ペニー・フォールズ」で、それは1966年昭和40年代に入ってからのことです。

「ダブルデッカー」の製造年はよくわかりません。ネット上を検索すると1968年とするものが複数見つかり、Caitlynの認識としても「ダブルデッカーは60年代後半の機械」としているので、それらが正しければ「昭和30年代」にはひっかかりません

クロンプトンやBryanに先駆けて日本国内で独自にコインプッシャー機が発明されていた可能性も考えましたが、キャプションには「日本に入ってきた」と言っているので、この線もなさそうです。そもそも、メダルゲームというジャンルが発生する以前の日本にコインプッシャーがあったという話は、この「パチンコ百年史」を除いたあらゆる媒体を通じて見たことがありません。

本当に、昭和30年代の日本にプッシャー機が入ってきていたのでしょうか。どちら様でも、そのようなお話をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひともコメント欄にてご教示いただけますようお願いいたします。

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二つ目は、96ページから始まる「パチスロ百年史」の中にあります。ここには終戦後の沖縄でのスロットマシンのオペレートの様子が述べられている興味深い部分もあります。しかし、99ページに掲載されている「オリンピアマシン」は、オリンピアマシンではありません。

「パチンコ百年史」99ページ(上)と、オリンピアマシンとする機械の画像部分の拡大図(下)。画像のキャプションには「(写真提供山田清一)」とある。

この画像の機械にはプレイヤーがリールを任意のタイミングで停めるためのスキルストップボタンがありません。それどころか、筐体の「OLYMPIA STAR」となっているべき部分には「DIAMOND 3 STAR」の文字が打たれています。これを「オリンピア機」として紹介してしまうのは、明らかな誤りです。

そしてこの誤りはこの本だけに留まらず、パチスロメーカーであるオリンピア社のウェブサイトや、「パチンコ歴史辞典」(ガイドワークス、2017)の中でも受け継がれてしまっています(関連記事:「パチンコ歴史事典」(ガイドワークス, 2017)を勝手に訂正する(2))。

重ねて強調しておきますが、この画像はオリンピア機の画像ではありません

もう一つオマケを付け加えると、このページでは現在のパチスロの嚆矢となるジェミニが誕生する経緯を、「(ゲーム機のスロットマシンで賭博を行い警察当局が摘発に乗り出したので)こうした危機を突破するためには、スロットマシンをパチンコ機と同じ風営機として警察に認定してもらうしかない」としている部分についても疑問を感じます(関連記事:「アメリカンパチンコ」・ジェミニ」)。

ゲーム業界やパチンコ業界にはなるべく明るみに出したくない闇の部分があり、当事者がそこを隠すためにうまいこと言い繕うので、この部分はそれをそのまま掲載しているのでしょう。実際、ジェミニが誕生しパチスロ市場が確立した後でもゲーム機賭博は無くならず、1980年代には社会問題に発展したためにゲームセンターも風俗営業に組み入れられはしましたが、それでメダルゲームからスロットマシンが無くなることはありませんでした。

一度伝播し普及してしまった説はそのまま信じられ続けてしまうことも多いですが、将来歴史を検証しようとする人が現れた時のために、誤りに気付いた者はそれを見逃さずに指摘しておくことは大切なことだと思って、今回の記事を作成しました。蛇足ながら、誤りが含まれているからと言ってこの本の価値や製作に携わった方々への敬意がゼロになるわけではもちろんないことは付言しておきます。

◆◆◆ ブログ更新お休みのお知らせ ◆◆◆

次の日曜日は大晦日ですので、拙ブログの更新はお休みとさせていただきます。今年も一年お付き合いくださりありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。


名前通り天国のようなHeavenly(埼玉県羽生市)に感謝を

2023年12月17日 18時33分25秒 | ロケーション

Heavenly」は、埼玉県の北東部、群馬県に接し栃木県にもほど近い羽生市にある、極めて特殊なロケーションです。ワタシは昨日(12月16日)、こちらを訪問してまいりました。

赤い点が羽生市の位置。ワタシの家(青い点)からは電車を乗り継いで2時間ほどかかる。

Heavenlyには百数十台のピンボール機があり、全て無料で遊ぶことができます。Heavenlyは風俗営業の許可を得ていないので、お金を取ってしまうと違法な無許可営業となってしまうからです。

実はHeavenlyは、個人のピンボールコレクターが「個人的には無料でもピンボールをやってもらえたら楽しいなぁみたいなフワっとした動機」で始めた(Heavenlyの公式ブログより)という、まさに神様のような篤志家が、これに賛同する天使のようなボランティアスタッフと共に運営している、その名の通り「天国のような(Heavenly)」ロケーションなのです。

ただ、Heavenlyはいつでもだれでも入場できるわけではありません。オープンする日は不定期で、概ね月に1回を目安として予めSNSなどで告知されるので、入場を希望する者はメールなどで申し込んでおきます。

また、Heavenlyはゲーム施設として作られているわけではなく、供給できる電気のアンペア数に限りがあるため、利用者はゲームを終えたら筐体下面の電源スイッチを切り、遊びたいゲームがあれば自分で電源を入れることがお約束となっています。さらに、ピンボール機が並ぶ1列に付き概ね6台までの稼働に留めたいとのことで、稼働中の機械が多いラインは空くまで他のラインで遊んでいるという気づかいが必要です。

Heavenlyの場内。5つのレーンにピンボール機が並んでいる。意外にもピンボール世代には見えない若い人が多く、ご婦人も5-6人見かけた。人がまばらに見えるのには理由がある。この画像には入っていないが古いビデオゲームも若干ある。

Heavenlyに設置されているEM機は、ラスベガスの「ピンボール・ホール・オブ・フェイム」にも無い貴重な台が多く、その点でもまさにHeavenlyなところです。ワタシは昨年9月以来2回目の訪問でしたが、今回もたくさんのEM機を楽しみました。中でも、「Doodle Bug (Williams, 1971)」は思い入れの強い機種で、前回に続いて今回もさんざん挑戦してきました。

Doodle Bug (Williams, 1971)を正面から見たところ。

「Doodle Bug」には、そのバージョン違いを除いて他の機械では採用された例が無い、(拙ブログでおなじみの、カナダのCaitlynよりコメント欄にて1981年にBallyからリリースされた「Fireball II 」にも搭載されているとの指摘をいただいたので削除・2023.12.23)Doodle Bug Feature」という特異なフィーチャーがあります。これは、プレイフィールド中段にある5つのターゲットのうち中央のターゲットにボールを当てると、プレイフィールドの下に埋め込まれているキャプティブボール(封入されていてプレイフィールドには出てこないボール)が上下に往復運動を始め、キャプティブボールの通路中央にあるボタンを踏むたびに得点が得られるフィーチャーです。キャプティブボールの往復運動は、プレイフィールド上の「STOP DOODLE BUG」ボタンを踏むか、ボールが中段左右のロールオーバーを通過するか、またはボールがアウトになるまで延々と続きます。

プレイフィールド中段に埋め込まれている「Doodle Bug」フィーチャーとその周辺。5個あるターゲットのうち中央にボールを当てると、キャプティブボールが往復運動を始める。1から4のターゲットを番号順に4まで当てると、「Doodle Bug SCORES」が一段階アップする。

Doodle Bugはフリッパーの配置にも特徴があります。通常、フリッパーは「スリングショット」と呼ばれる三角形のバンパーの下端に付いているものですが、この機械ではフリッパーとスリングショットの間にやや大きな隙間があります。こうすることで、Doodle Bugフィーチャーが起動している最中にボールをホールドトラップ(フリッパーを上げて、スリングショットとの間にボールを留めるテクニック)ができないようにしていますが、この隙間からボールがアウトに抜けてしまうことも良くあります。

Doodle Bugの、フリッパーとスリングショットの間にボールが通り抜ける間隔が空く独特な配置。

このようなフリッパー配置は、他には「Gold Rush (Williams, 1971・1P用はKlondike)」でも使われましたが、そちらではフリッパーとスリングショットの間にピンを立てて、ボールがアウトにならないようにされていました。

Gold Rush(この画像はその1P版であるKlondikeのもの)のフリッパー配置。スリングショットとのすき間にピンが打たれている。

ワタシは、一度でいいから「Doodle Bug SCORE」を10000点まで上げてDoodle Bugを起動させてみたいと50年以上前から思い続けているのですが、1000点まですらアップさせたことがありません。今回も100点まで上げるのがせいぜいでした。

Heavenlyにはどれだけ感謝の言葉を並べても足りません。この度は本当にありがとうございました。今後も機会があればお伺いさせていただきたいと思います。
なお、拙ブログをご高覧くださるみなさまには、Heavenlyは法律上ゲーム料金は取れませんが、なんらかの寄付をすること自体は違法ではないことはお伝えしておきたいと思います。また、Heavenlyの母体は斯界では有名なレトロPCゲーム専門店「BEEP」(ウェブサイトはこちら)とのことですので、今後もBEEPをご支援くださいますようお願い申し上げます。

 


【衝撃!】国産初のフリッパーゲーム機に従来の説を覆す大発見? 

2023年12月10日 17時44分43秒 | ピンボール・メカ

前回までラスベガス巡礼の記録を7回に渡って掲載している間に、拙ブログではおなじみのカナダのCaitlynから、「このオークションに友人と入札しようと話し合っているのだが」と、日本のネットオークションに関する相談を受けました。そのオークションはワタシにとっても非常に興味深いものだったので、「ワタシもオークションに協力したい」と返答し、まずはその時点でビッドできる最低額で入札しました。オークションはそのまま終了直前まで平穏に進んでいたのですが、終了15分前くらいから動きが活発になり、最終的には我々が想定するよりもはるかに高い額に跳ね上がってしまって、残念ながら勝つことはできませんでした。

オークションサイトのスクリーンショット。終了寸前まで1100円だったものが最後に51000円まで高騰して終了した。

このオークションで出品されているのは、「スーパーホームランゲーム」というゲーム機のフライヤーです。ワタシはこれまでこのゲーム機について見聞したことはありません。写真を見るとどうもフリッパー機のようです。Caitlynは「ひょっとするとこれは1965年発売の『クレイジー15(こまや)』(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール:「クレイジー15ゲーム」)よりも古いものではないか」と言っていますが、オークションページの商品説明にはこのフライヤーが作成、頒布された時期が特定されていません。

「スーパーホームランゲーム」は、得点の表示を、機械式のリールではなくランプの点灯で行っているようです。このようなピンボール機は、米国では1940年代から1961年までの間に製造されています。しかし、その事実だけでは「スーパーホームランゲーム」が「クレイジー15」よりも古いとする根拠にはなりません。

フライヤーは二つ折り4ページで、表紙、見開いた状態、裏表紙の3つの画像があります。表紙の冒頭では「日本遊戯機械生產史上に一大エポックを劃する/”最豪華遊戯の決定版”/スーパーホームランゲーム/PH-51型」と謳って、ピンボールに興じている人たちの写真が掲載されています。

フライヤーの表紙の画像。(推奨サイズでなるべく大きく表示するため歪みを補正してトリミングしてある=以下同じ)

ここで気になるのは、「日本遊戯機械生史上」の言葉です。これはつまり、「スーパーホームランゲーム」は日本国内で製造していると言っているように読めます。

続く2枚目の画像はフライヤーを見開いた図で、左ページは製品のアピール、右ページは機械の各部名称の説明図となっています。

フライヤーを見開いた内側の画像。フリッパーを「バット」と呼んでいる。

この見開きの左ページでも、「日本遊戯機械の革命」、「アメリカン遊戯の王座ピンボールマシンの日本版」と述べて、国内で製造されたものであることを示唆しています。

最後の画像はフライヤーの裏表紙で、ここでも「幾多の苦心と技術的ハンデーキヤツプを乗越へ遂にここに結実した弊社が斯界に誇る遊戯機械の最豪華版」と、自社で開発製造していると読める宣伝文句が謳われています。

フライヤーの裏表紙部分。

裏表紙にはさらに、社名や関連施設及びその所在地と、「直営宣」としている「アタミセンター」の画像が掲載されています。「アタミセンター」は二階建てで、ネオンサインの背後の壁には何か文字が見えるのですが、やっと判読できたのは「高級喫茶」と「階上」の二つだけでした。ただ、このことから、アタミセンターはもともと娯楽施設であったことが推察されます。

フライヤーには年代を特定できる具体的な記述がないので、ワタシは裏表紙に記載されている三つの所在地に注目してみました。もし町名変更などで現存しない地名があれば、このフライヤーは少なくともその名が消える以前に作られたことなります。

すると、「アタミセンター」の所在地として記述されている「熱海市浜町(はまちょう)」が現存しないことを発見しました。現在、「浜町」の名は、「浜町観光通り」と「浜町通り」の二つの道路と、「渚町」と「銀座町」が属する町内会の名称としてのみ残っており、町名としては残っていません。しかし、「浜町」がなくなった時期がどうにも特定できません。

ならばということで「渚町」と「銀座町」がいつできたかを調べたところ、「銀座町」については詳しいことはわかりませんでしたが、「渚町」は「クレイジー15ゲーム」が売り出された後の昭和42年(1967)の住居表示実施により成立していることが判明しました。これでは「スーパーベースボール」の方が古いと主張する証拠もしくは傍証にはなりません。残念ながら地名から特定することはできませんでした。

次に、フライヤーに書かれている日本語に注目してみました。フライヤーの文言には、拗音や促音を大文字で記述する歴史的仮名遣いと、「」や「」と言った旧字体が見えます。

仮名遣いが現代仮名遣いに改められたのは昭和21年(1946)、漢字が新字体に改められたのは昭和24年(1949)に、それぞれ内閣の告示があったとのことで、どちらも「クレイジー15」よりも圧倒的に早いです。ただ、これら旧日本語は告示の直後に完全に無くなったわけではなく、古い人の中には告示後も歴史的仮名遣いや旧字体を使い続ける人もいたので、完全な証拠にはなりません。とは言え、「スーパーホームランゲーム」が「クレイジー15」よりも古いものである可能性を思いつくには十分な状況証拠とは言えそうです。

Caitlynの考察によれば、「スーパーホームランゲーム」は、どうも米国製ピンボール機をコピーしたもののようです。詳しくは彼女自身のブログ1950年代~ スーパーホームランゲーム [PH-51型] by 東洋プレーイングマシン」で述べられていますので、拙ブログをご高覧下さる皆様にもぜひご覧いただきたいと思います。

そして、どちら様でも、この「スーパーホームランゲーム」及びメーカーである「東洋プレーイングマシン」について何かご存じのことがございましたら、ぜひともコメント欄にてご教示いただけますようお願い申し上げます。


新ラスベガス半生中継2023年G2Eショウ(7) DAY 5・事実上の最終日

2023年12月03日 20時43分20秒 | 海外カジノ

本日の予定:
①日中はダウンタウンと、これまで行ってなかったストリップエリア西側でゲームをする。
③夜9時から、9月にオープンしたばかりの球形アリーナ「スフィア(Sphere)」でショウ鑑賞。
③日が変わって翌日未明2時にはホテルを出て帰国の途に就く。

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・朝からダウンタウンの最新カジノホテル「サーカ(Circa)」を覗く。かつての老舗「ラスベガスクラブ(Las Vegas Club)」は、今やストリップエリアに引けを取らない、ゴージャスなハイエンドカジノホテルに生まれ変わってしまった。

ラスベガスクラブ時代(上)と現在(下)の比較。

これも時代の変化というべきなのだろうが、ワタシ個人としては嬉しくない。

・同行者を引き連れてCircaの中を通過し、Boyd系列のカリフォルニアメインストリートステーションを覗く。名目としては、この両カジノをつなぐプロムナード(と言うのか?)にある、ワタシがラスベガス唯一の名物と認定する高級チョコレート店「Ethel M」でお土産を買うことだが、ワタシの真の目的はコロナ禍前にワタシの贔屓だったメインストリートステーションが現在どのように変化しているかを見ることだった。

・メインストリートステーションはコロナ禍以降は長く閉鎖されていた。現在は再開こそしていたが、テーブルゲームは稼働しておらず、「テーブルゲームは姉妹店カリフォルニアへどうぞ!」との看板が立っていた。また、マシンゲームがずいぶん間引かれており、ワタシが2回デルトロイヤルを引いているビデオポーカーのバンクも縮小されていた。密度が下がってスカスカになった印象を受けるカジノフロアにはETGが導入されていた。さらに悪いことに、このカジノではビデオポーカーでクワッズ以上の手を作ると、最大5000ドルが当たるというスクラッチカードをくれる「SCORE WITH 4」というプロモがあったのだが、その対象となる機械が限定されてしまっていた。後で調べたところでは、スクラッチカードがデジタル化されたとのこと(以前はアテンダントを呼んで、確認後にカードを受け取るアナログだった)だが、今回はそれを確認することはできなかった。名所だったダイニング「777(トリプルセブン)」は営業時間が大幅に縮小されており、この日は休みの日だった。時間帯のせいもあるかもしれないが、コロナ禍前の活気は感じられなかった。

・午後、かつて若干のスキル・ベースド・ゲーミング機を設置していた「オーリーンズ(The Orleans)」に移動。ワタシは専らプログレッシブ付きのビデオポーカーを遊ぶ。アップダウンの激しい展開でロイヤル様の降臨もなかったがスペシャルなクワッズが結構出てくれたので、若干お金が増えた。しかし、カジノ全体にどんな変化があったかはあまり記憶がない(てへぺろ)。

・夜はSphereに行くので少し早めに夕食を取っておこうとオーリンズを出たのが午後3時過ぎころ。最後くらいフルサービスのレストランで食べようということで、Sphereへ行き易く比較的安い場所としてロングホーン関連記事:ロングホーン・カジノのレストラン「チャックワゴン」)を目指そうとしたが、今月下旬に開催されるF1レースのための工事の影響で大渋滞が発生している。信号が1回変わってもやっと2台か3台が通過できるくらいしか進まない。1時間以上も車に閉じ込められた。やっとストリップに出たところで、ノースストリップの小規模カジノ「ジェリーズナゲット(Jerry's Nugget)」を目指すことに方針を変更し、ストリップを左折して北上する。渋滞が有名なストリップなのにすいすいと進む。

ワタシの口の悪い友人にはジェリーズナゲットを「貧乏カジノ」などと呼んだりする者もいるが、ここのカフェには名物と呼べるプライムリブやショートケーキなど見どころがあるので、これまでしばしば訪れている。ラスベガスに行った日本人男性の多くが連れていかれるストリップ小屋「パロミノ(Palomino)」とは交通量の多くない道を挟んだ向かいになるので、見たことがある人もいるだろう。

ジェリーズナゲットでは、ワタシは1/2ポンドハンバーガーを、他の3人はプライムリブと、4人でシェアするシュリンプカクテル、オニオンリング、サラダ、それにめいめいが飲み物を1品注文して、チップ込みで$200。店員は気が利いていて大変良かったので多少チップをはずんではいるが、それでもカフェで一人当たり$50も使う事があろうとは、コロナ禍前には思いもよらぬことだった。

①ジェリーズナゲットの外観。 ②シェア用に注文した3品。サラダは、これだけで腹いっぱいになれる素晴らしいボリューム。 ③ワタシが注文した1/2ポンドハンバーガー。バンズが大きい。

・食後、ジェリーズナゲットのカジノの中をうろついていたら、今どき珍しくクラップスのミニマムが$5であることを発見。同行者の一人はかねてから「クラップスでサイコロを投げたい」と言っていたので、ここで少しゲームをして行こうと誘う。オッズベットはダブル止まりだが、2-2-1サイドベット(アルゼのETGクラップスでは「Dice It Up」と呼んでいる)が2~3回当たったり、プレイスベットが良く効いたりして、$200ほどお金が増えた。

・Sphereはまだ工事中の部分があり、多くの人はPalazzoの駐車場に車を停め、徒歩で会場に向かうのだが、その進路の案内が貧弱だった。

①Sphereの遠景。 ②遠くから見ると全面が光っているように見える外壁も、近づくと画素のピッチが案外荒いことがわかる。 ③一つの画素は48個のLEDからできている。

入場は、予めスマホにチケットを登録しておき、入り口でセンサーにタッチする。

①球体の中は多階層の映画館のような造り。 ②AIで客と会話するロボットがいたりする。ただし歩かない。 ③ 座席番号によって振り分けられている入り口から場内に入る。 ④待機中。スクリーンには長方形の光しか見えないが、ショウが始まると赤い線の左側全面がスクリーンになり、没入感がすごいことになる(赤い線はワタシが書き込んだもので、実際には存在しない)。

・夜が明ければ帰国の途に就くが、ラスベガスの空港はしばしばセキュリティが混雑するので、またレンタカーに給油して返却する時間も考慮して、2時過ぎにはホテルを出ることにした。Sphereからホテルに戻ったのは12時過ぎだったので、まずは全員の荷物を事前に車に積みこんでおき、残ったわずかな時間をカジノで過ごす。この時ワタシは、フォークィーンズのプレイヤーズカードが見当たらないことに気づいた。サービスの窓口はもう閉まっており、残る2時間、カードなしで悔恨の歯ぎしりをしながらゲームをせざるを得なかった。しかし、25¢DDBではキッカーがローカードの4デュース、最後の最後と思って始めた$1DBでも1回クワッズが出てくれたので、収支としてはプラスで終えることができた。

25¢DDBでのスペシャルクワッズ(上)と、$1DBでの、この巡礼最後のクワッズ。

・フォークィーンズのプレイヤーズカードは、帰国後に携帯していたポーチの中から発見された。悔しさがより増加した。

・この巡礼で面白かったゲーム二つ。
一つは「EVERI」の「MONEY SLAM」。リールは大別してブランクとシンボルの2種類があり、左のリールから右のリールまで、とにかく途切れずに出現すればシンボルとして描かれているクレジット数が全て加算される。アリストクラートの「バッファロー」のゲーム性をより凝縮させたようなゲームで、ボーナスゲームもあってついつい続けてしまう。

もう一つは「LIGHT & WONDER」の「ULTIMET FIRE LINK」。アリストクラートの「Lightning Link」の「ホールド・アンド・スピン」というボーナスゲームのシステムを通常のゲームに採用してしまった。コロンブスの卵。

「MONEY SLAM」(上)と「ULTIMET FIRE LINK」(下)。

(このシリーズ・終わり)