オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(2):第1幕/第2幕

2022年01月30日 15時05分08秒 | 風営機

第1幕:ジュークボックスで儲けちゃる
(この物語は実際の出来事を基に創作したフィクションです)

登場人物
・ミハイル:大東貿易の社長。ウクライナ出身。日本語に堪能。
・社員:大東貿易の社員。
・時代:昭和28~33年(1953~58年)

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ミハイル:日本のGDPが戦前の水準を超えたそうじゃ。経企庁は「もはや戦後ではない」なんぞと抜かしちょる。
社員:どおりで、我々のピーナツベンダーもいっそう儲かってるはずですね。

当時太東貿易が販売していたウォッカとピーナツベンダー。ただしピーナツベンダーは想像図。どちらもTAITO社史「遊びづくり四十年のあゆみ」より。

ミハイル:ワシら、次は形の無いものを売ってさらに儲けよんぞ。
社員:形の無いものを売る? どういう意味ですか。
ミハイル:鈍いのう。ジュークボックスじゃ。
社員:ジュークボックスって何ですか?
ミハイル:わりゃ、ジュークボックスを知らんのか。ゼニ入れると自動的に音楽レコードをかけるアメリカの機械じゃ。
社員:自動の流しみたいなものですね。
ミハイル:まあ、そうとも言えるのう。聞けば、在日米軍が廃棄するジュークボックスがたくさんあるそうじゃ。それらを払い下げてもらって、付き合いのある飲み屋に第二のピーナツベンダーとして置こうっちゅう算段じゃ。
社員:なるほど。音楽ならピーナツベンダーのピーナツのような形はありませんね。
ミハイル:ほうよ。ワシは米軍と話付けてくるけえ、ワレは設置先の飲み屋を開拓しちょけ。ほうじゃ、法改正で遊郭が茶屋に続々切り替わっちょるけえ、そこも狙い目じゃ。

こうして大東貿易は、米軍から払い下げられたジュークボックスを修理して酒場などにリースするビジネスを始め、当初こそ思惑通り順調に稼いでいたのだが・・・

ミハイル:ジュークボックスは儲かるのう。昨年は広島と大阪と福岡に新しい営業所建てたったわ。ぐははは。
社員:社長、大変です。
ミハイル:なんなら、騒々しい。
社員:ジュークボックスが作れなくなりました。
ミハイル:わりゃ、ふざけたこと抜かしちょるとしごうしたるぞ。なんで作れないなんてことがあるんじゃ。
社員:米軍払下げの機械は殆どスクラップ同然で、今まではいくつもの機械から部品取りして1台に仕立て上げてきたんですが・・・
ミハイル:なんじゃ、フルーツポンチか。そんなこたあわかっちょったことじゃろう。
社員:それが最近は払下げ品が払底していて、今月は2台か3台作るのが精一杯なんです。アメリカから輸入できませんか。
ミハイル:ワレ、アメリカ製がいくらするか知っちょるんか。1台200万円もしよんぞ。ワレの給料の5年分じゃ。おまけに輸入手続きがぶちたいぎい(非常に大変)んじゃ。
社員:しかしこのままでは引き合いに応じきれません。何か手を打たないと。
ミハイル:うぬぬ、こうなったらジュークボックスをワシらで作っちゃろやないけ。そうじゃ、いつまでもスクラップ屋続けてても埒あかんけえのう。

本社を東京の千代田区に移した大東貿易は自前のジュークボックスの開発に全力をあげて取り組み、ついに国産ジュークボックス第一号機「J40」が完成した。しかし。

TAITOが開発した「ジュークJ40」。TAITO社史「遊びづくり四十年のあゆみ」より。

社員:社長、大変です。
ミハイル:なんなら、騒々しい。
社員:我々が開発したJ40は故障が多くて使い物になりません。
ミハイル:わりゃ、ふざけたこと抜かしちょるとしごうしたるぞ。アメリカ製のコピー造っとんのになんで動かんのじゃ。
社員:国産の部品の品質が悪くてすぐにダメになってしまうのです。それに・・・
ミハイル:それに、なんなら。
社員:そんな粗悪品でも採算が合わず、作るほど赤字です。
ミハイル:うぬぬぬぬ。やむをえん、たいぎいが、ジュークボックスを輸入するしかないのう。

大東貿易は結局ジュークボックスの国産化を諦め、昭和33年(1958年)に米国AMI社製ジュークボックスの日本での販売権を獲得した。その直後、日本に温泉ブームが発生し、全国各地に多くの温泉ホテルが建設され、AM業界にとって強い追い風となった。

社員:ジュークボックスではえらい目に遭いましたが、温泉ブームのおかげでなんとかおさまりが付きましたね。
ミハイル:ほうじゃのう。あのカミカゼが吹かなんだらワシらも危ないとこじゃったわ。扱うジュークボックスをAMIからシーバーグに乗り換えたのも良かったかもしれん。
社員:それなんですが社長。津上製作所がAMI製ジュークボックスのノックダウン生産を始めましたよ。
ミハイル:なんじゃと。ワシらが乗り換えた途端に後釜あ狙ってきよったんか。
社員:はい。既に我々の顧客のいくつかから、津上が営業かけてきたとタレコミが入ってきています。
ミハイル:うむむ、あのド外道が。おう、お前ら。これから戦争が始まるけえ、心せえや。向こうは筋金入りの機械メーカーかもしらんが、商売は素人じゃ。ワシらのシマを守るんじゃ。

こうして大東貿易と津上製作所の熾烈な戦いが全国各地で繰り広げられたが、最後には先行企業であった大東貿易が従来からの顧客の義理と人情にも助けられ、勝利をおさめたのであった。

(第2幕:「開発子会社設立とスロットマシン参入」につづく)
方言参考:はだしのゲン(中沢啓治)、とろける鉄工所(野村宗弘)

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第2幕:開発子会社設立とスロットマシン参入
(この物語は実際の出来事を基に創作したフィクションです)

登場人物
・ミハイル:大東貿易の社長。ウクライナ出身。日本語に堪能。
・社員:大東貿易の社員。
・社員B:パン・パシフィック工業の社員その1
・社員C:パン・パシフィック工業の社員その2

・時代:昭和35年(1960年)

 

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ミハイル:津上にはなんとか勝ったが、ワシらもジュークボックス一本では今後に不安が残るけえ、もっといろいろ扱っていかんとあかん。
社員:ごもっともですが、何かアイディアはあるんですか?
ミハイル:聞けばライバルのサービスゲームズ社が米軍相手にスロットマシンを作って儲けているちゅう話じゃ。ワシゃ次はこれに乗ろうと思っちょる。
社員:スロットマシンってなんですか?
ミハイル:わりゃ、スロットマシンを知らんのか。ゼニ入れてレバーを引くと自動的に抽選して、当たるとゼニを払い出しよるアメリカのゲーム機じゃ。
社員:自動のインスタント宝くじみたいなものですね。
ミハイル:まあ、そうとも言えるのう。実は既に日本国内にも米軍から放出されたスロットマシンが出回っちょってな。これがそれじゃ。わしらのライバルのサービスゲームズ社製じゃが、元はアメリカのミルズちゅう会社のもんじゃ。
社員:想像していたより大きいですね。それにずいぶん重いな。
ミハイル:キャビネットが鋳物じゃけえのう。内部の部品にも鋳物が多く使われちょる。
社員:どうやって遊ぶんですか?
ミハイル:ここにゼニ入れてこのハンドルを引くと、この窓から見える3つのリールが回って、停まった時の絵柄の組合せによって下からゼニが払い出されるんじゃ。
社員:で、これをまた米軍から払い下げてもらうんですか?
ミハイル:アホ。もうジュークボックスみたあな苦労はまっぴらじゃけえ、ワシらで作るんじゃ。
社員:社長、我々は過去にジュークボックス作ろうとして大失敗したじゃないですか。我々はしょせん商社でありオペレーターなんですよ。
ミハイル:ワレの言うことも一理ある。じゃけえ、ワシは開発製造専門の子会社を作ろうと考えちょるんじゃ。
社員:開発製造専門の子会社、ですか。
ミハイル:ほうよ。いつまでも他人が作る機械を回すだけじゃのうて、ワシら自身で市場を開拓する機械を作れるようにならんといけんのじゃ。この機にワシらも津上製作所みたあに自前で機械が作れるしっかりした技術を確立するんじゃ。

こうして大東貿易の開発製造専門の子会社「パン・パシフィック工業」が設立された。

ミハイル:パン・パシフィック工業の諸君。これから諸君にはスロットマシンちゅうもんを作ってもらう。
社員B:スロットマシンってなんだ?
社員C:さあ?
社員B:ざわ・・・
社員C:ざわ・・・
ミハイル:静粛に。これがスロットマシンじゃ。諸君はこの機械をよく研究して、同じものを作ってもらいたい。複雑な機構じゃが、諸君なら必ずやできると信じちょる。では頼んだで。

こうしてパン・パシフィックの社員たちは寝食を忘れてサービスゲームズ社のスロットマシンを研究し、正確にコピーすることに成功したのだが・・・

社員B:社長、スロットマシンの試作機が出来ました。
ミハイル:ほうかほうか。で、それはどこにあるなら?
社員B:社長の目の前にある、それがそうです。
ミハイル:え? これか? サービスゲームズの機械かと思うたわ。
社員B:同じものを作れとおっしゃるので完璧にコピーしました。
ミハイル:このぽんすー(馬鹿)が! コピーするのは内部機構だけでええんじゃ! 外見まで同じものつくってどうすんなら! ワシはサービスゲームズの偽物を売りたいわけじゃありゃせんわ! 今月中に作り直さんとしごうしちゃるけえのう、覚えちょけ。

社員B:参ったなあ。今月中にキャビネットを作り直せだとさ。
社員C:え。鋳型をゼロから作り直すんですか? 
社員B:今月中じゃそれは無理だなあ。下手に形を変えてうっかり内部機構に干渉しちゃったなんてことも避けたいし。
社員C:じゃあ、もともと少し窮屈だった筐体上部のコインシュートとエスカレーターの部分だけを、容積が大きめになるように作り変えるのはどうでしょう。
社員B:なるほど、それなら鋳型の修正も部分的で済むし、危険も少なそうだな。よし、その線で行くか。

ほどなくして出来上がった試作二号機は、サービスゲームズ社の機械をほうふつとさせながらも、少なくとも同一物ではないと思える程度にはなっていた。

社員B:社長、試作機の改良版が出来ました。
ミハイル:ふむ。腹の部分はそのままじゃが、まあこれならええじゃろ。

社員:社長、我々もこれからどんどん自前の機械を作って行くのですから、イメージを統一するブランドが欲しいですね。
ミハイル:ワレもたまにはいい事言うのう。何か名案でも考えよるんか?
社員:海外市場も視野に入れて、外国にも知られている「ウタマロ」なんてどうでしょう。
ミハイル:このぽんすーが。マジメに考えんとムゲチンにしてホントのウタマロにしちゃるぞ。
社員:(・・・まじめに考えたんだけどなあ)
ミハイル:立派で豪華で誰もが憧れるシンボルちゅうたらどんなんがあるかのう。
社員:では、気品と風格漂う王者のイメージで「クラウン」はどうでしょう。
ミハイル:そりゃぴったりじゃ。よしゃ、ムゲチンは勘弁しちゃる。ではこのスロットマシンは「ローヤルクラウン」と名付けよう。
社員:(クラウン印のローヤルクラウン? なんか重複してね? ま、いっか)

ROYAL CROWN(左)とスターシリーズ(右)の比較。アングルが異なるので正確な比較はできないが、筐体上部のコイン投入口周辺以外はスターシリーズとそっくり。ROYAL CROWNの画像は「pennymachines.co.uk」のフォーラムより。

こうして大東貿易のスロットマシン「ROYAL CROWN」は完成した。しかし・・・

(第3幕:「仁義なき戦い(前編)」につづく)
方言参考:はだしのゲン(中沢啓治)、とろける鉄工所(野村宗弘)


オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(1):プロローグ

2022年01月23日 18時04分32秒 | 風営機

回胴式遊技機(いわゆるパチスロ)の嚆矢である「オリンピア」は、タイトー1964年に風俗営業の許可を取り付けるところから始まったのですが、タイトーがいったいどうやって警察から許可を取り付けたのかがずっと謎でした。と言うのは、タイトーが60年代前半以前にスロットマシンを製造していたという話をこれまで見聞したことが全く無かったからです(関連記事:オリンピアというパチスロの元祖についての謎)。

実機がなく、書類による説明だけで、警察が風営機として許可を与えるとは到底考えられません。実際のところ、市場に設置された初代オリンピアの筐体は、セガの「スターシリーズ」筐体(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(3) セガのスロットマシンその1)を流用したものでした。

オリンピア(左)とスターシリーズ筐体(右)。1960年前後から作られていたと推察されるセガのオリジナル筐体で、「ダルマ筐体」と呼ばれている。

しかし、昨年12月にアップした記事「1960年代のTAITO」シリーズをご高覧くださっている方々から寄せられた情報の中に、従来のワタシの認識を覆す資料を発見してしまいました。そして、それを糸口にオリンピアのストーリーが見えたような気がしてきました。

そこで、今回から何回かに渡り、オリンピアが風俗営業機として稼働を開始するまでのストーリーを、NHKの教養バラエティ番組「チコちゃんに叱られる」の人気企画「たぶんこうだったんじゃないか劇場(TKG)」風に推測(妄想でも可)していきたいと思います。

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オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(TKG)第1話:プロローグ

ずいぶん以前のことですが、ワタシは英国のオールドゲームファンから、ひとつのスロットマシンの画像をいただきました。そのトッパ―には「ROYAL CROWN」と描かれ、リール窓の右には英国通貨のデノミと思しき「6D」の文字が見えます。

英国人からいただいた「ROYAL CROWN」の画像。

この筐体はジャックポットチェンバーのデザインに至るまで、確かにセガのスターシリーズ筐体に似ています。

ROYAL CROWNのジャックポットチェンバー(上)とセガのスターシリーズ筐体のジャックポットチェンバー(下)。大文字と小文字の違いはあるが、文言も構成も同じでよく似ている。

しかし、前面上部のデザインはスターシリーズ筐体とは完全に異なります。ひょっとしてセガがスターシリーズ筐体を開発するときに並行して試作した第二案かとも考えてみましたが、そのような話があったことを窺わせるようなセガ側の資料を見聞したことはありません。「ROYAL CROWN」のキーワードでネット上を検索してみると、「1960's SEGA/MILLS ROYAL CROWN SLOT MACHINE」と題するebeyの記録がいくつかの画像とともに見つかりましたが、にわかに信じることもできません。その後もネット上で似た筐体の画像をまれに発見することはありましたが、結局のところ正体不明のまま今に至っていました。

ところが。昨年11月から12月にかけて「1960年代のTAITO」というシリーズ記事を掲載した(関連記事:1960年代のTAITO その1 その2 その3 その4 その5)ところ、多くの方々よりたくさんの情報をお寄せいただいたその中に、「ROYAL CROWN」の謎に迫る情報が含まれていました。

それは1968年7月に発行された米国の娯楽業界誌「CASH BOX」で、TAITOはそこに、ブログ記事で言及したバスケットボール、ペリスコープ、サンダーバードと並んで「ROYAL CROWN」を紹介する広告を掲載していたのです。

CASH BOX 1968年4月号に掲載されていたタイトーの広告。右は「ROYAL CROWN」の部分を拡大したもの。

タイトーはこの広告で、自らを「Manufacturers of:(以下の製造者)」として、その一つに「ROYAL CROWN」を挙げています。これを見たとたん、ワタシの脳内では、タイトーがオリンピアの風営許可を取り付けてからセガの筐体で売り出されるまでの「たぶんこうだったんじゃないか」というストーリーが閃いたのでした。

(次回、TKG第一話「ジュークボックスで儲けちゃる」につづく)


【続報】「HOW TO PLAY BINGO」頒布時期探求メモ

2022年01月16日 15時08分40秒 | 訂正・追加等

前回の記事で募集した、sigmaのフリーペーパー「HOW TO PLAY BINGO」をお分けするお年玉企画には、今回も予想を超えるご応募をいただきました。どうもありがとうございます。

前回記事では、今回お分けしたフリーペーパーの頒布時期を、「不明、おそらく1980年か81年」としていました。しかし、その後の調査で、実はもっと古いものである可能性が出てまいりましたので、メモを記録しておこうと思います。

前回の記事でお分けしたsigmaのフリーペーパー「HOW TO PLAY BINGO」の表紙と裏表紙。

●ビンゴインの始まりは1975年
 このフリーペーパーの裏表紙には、「BINGO-IN Milano」、及び「はじめてのビンゴ・初めての友 ゲームタウン ビンゴイン ミラノ」と書かれています。「ビンゴイン」とは、かつてsigmaが展開していたビンゴ・ピンボール専門のゲームセンターのブランドで、その第一号店は1975年に歌舞伎町の「ゲームファンタジア・ミラノ」の上階にオープンした「ビンゴイン・ミラノ」(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)でした。このフリーペーパーは、まさにこのビンゴイン・ミラノの名前で作られているわけです。

●2号店「ビンゴイン・サブナード」のオープンは1975年末
同じ1975年の12月25日には、ビンゴインの2号店となる「ビンゴイン・サブナード」がオープンしました。業界紙「アミューズメント産業」76年2月号には、そのオープンを報じる記事が掲載されています(関連記事:新宿・ゲームファンタジア・リトルサーカス&ビンゴイン・サブナードの記憶)。

 

「ビンゴイン」は、その後渋谷、高田馬場、池袋、六本木、上野などにも作られています。1977年秋に頒布されたsigmaのフリーペーパー「GF」の裏表紙には、その時点でのビンゴイン4店舗の名称と連絡先が記載されています。

sigmaが発行していたフリーペーパー「GF」の、77年秋号の裏表紙の一部。その時点のGFチェーンとビンゴイン4店舗が挙げられている。

sigmaが作成するフリーペーパーや広告ポスターには、系列店が記載されるのが通例と言えるほど多くありました。しかし、今回お分けしたフリーペーパー「HOW TO PLAY BINGO」には、「ミラノ」の名前しかありません。これはつまり、このフリーペーパーが作られた時点では、ビンゴインはまだミラノしかなかった可能性を示唆しています。

しかし、前述のビンゴイン・サブナードのオープンを報じるアミューズメント産業誌の記事には、こんな一節があります。

また、宣伝も口コミに期待し(中略)もっぱら同社が独自で制作している印刷物【ハウ・トウ・プレイ・ビンゴ、G・F等】を活用しているようだ

ビンゴイン・サブナードのオープンを報じるアミューズメント産業76年2月号の記事。宣伝に使用する印刷物として「ハウ・トウ・プレイ・ビンゴ」の文字が見える

ここで名指しされている「ハウ・トウ・プレイ・ビンゴ」が、今回のお年玉企画としてお分けしているフリーペーパーと同一のものであるなら、この作成及び頒布時期は1975年で、二号店オープン後も使い続けられていたということになります。

ただ、その蓋然性は高まったとは言えますが、決定的な証拠と言うにはまだ不足があります。そこでさらに調査を進めたところ、ネットオークションに出品されていた名画座ミラノのチラシに、今回のフリーペーパーからの流用と思しき画像を発見しました。名画座ミラノとは、ゲームファンタジア・ミラノとビンゴイン・ミラノが入居する商業ビルにあった映画館の一つです。

ネットオークションに出品されていた名画座ミラノのチラシ。三つ折りの背に相当する部分がsigmaの広告になっており、フリーペーパーから流用したと思しき写真が使用されている。

この名画座ミラノのチラシには、「No.69/May-June」とありますが、年の記載がありません。しかし、10号前の「No.59 77年7月号」と、7号後の「No.76 79年2-3月号」を発見し、No.69が作成されたのは1978年で、その時点で既に「HOW TO PLAY BINGO」を作成する映像素材が存在していることが判明しました。

No.59(77年7月号)とNo.76(79年2-3月号)の表紙

●結論
「HOW TO PLAY BINGO」の頒布時期をピンポイントで特定することは結局できませんでしたが、
 ・早ければ1975年には頒布されていた可能性がある。
 ・ただし76年以降も継続して頒布されていた可能性がある。
 ・遅くとも1978年には既に頒布されていたものと思われる。
と言う推論は成立すると思います。以上から、前回記事の「不明、おそらく1980年か81年」は、「1970年代後半」に訂正しておきたいと思います。


新年お年玉企画

2022年01月09日 15時41分19秒 | ピンボール・メカ

明けましておめでとうございます。
昨年は多くの方々から貴重なコメントや情報をいただき、いくつもの長年の謎を解明することができました。本当にありがとうございました。どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。

さて、今年の第一回目となる今回は、ピンボールの本を買ってしまった話から始めようと思います。

昨年末に注文した「The Pinball Compendium」と言う本が、この1月4日に届きました。ホントは全部で4冊から成るシリーズですが、諸事情により、今回購入したのはまずはそのうちの3冊です。

今回購入した「The Pinball Compendium」シリーズ4冊のうちの3冊。左から「1930s-1960s」、「1970 -1981」、「Electro-mechanical Era」。この他に「1982 to the Present」がある。

ネット上を検索すると、国内でもこれらを扱っているEコマースがヒットするのですが、なぜか「現在出荷できない」と表示されたり、ただでさえ安くないものがさらに高い値段に設定にされていてなかなか手が出せずにいましたが、女房に背中を押されて、版元に直接注文してしまいました。送料込みで約3万円は少々度胸を要しましたが、セルフお年玉だと自分を納得させています。

収録されている機種数は膨大で、取り上げている機種一つ一つについて、その特徴と、概ねの市場価格が記載されています。この本に記載されている60年代終わり以降のBally, Gottlieb, Williams3社の製品はその殆どがワタシ自身が遊んでいるか、少なくとも見た覚えがあり、フィーチャーの概要を読んでいると、当時の記憶がまざまざと蘇ります。

この本は、Schiffer Publishingの公式ページから購入できます。参考までに、今回のワタシの購入にかかった送料は約60ドルでした。

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今回はもう一件、sigmaのビンゴ・ピンボール関連のフリーペーパー「HOW TO PLAY BINGO 得がたい愉しみのために。」を取り上げておきます。

これは過去に何度も記事にしようと思っていたネタですが、製作にお金をかけたと思われる割りにはあまりバエない内容で、さらに頒布された時期が特定できなかった(おそらく1980年か1981年ころ、早ければ1975年、遅くとも1978年か(2023.8.16訂正)、少なくともsigmaがICビンゴを本格的に展開する以前のもの)ため、一つの記事に仕立て上げるにはネタとして弱く、かと言って何もしないでいるのも惜しい、鶏肋となっていました。

そこで、今回はお正月に因んで、このフリーペーパーのスキャンデータ(PDFファイル(8.07MB))を、拙ブログをご高覧くださる皆様にお分けするお年玉企画を思いつきました。ご希望の方は、本文最後の応募方法に従ってeメールでご応募ください。

【サンプル画像】(PDFでは片側1ページの解像度は1586*2000です)


表紙と裏表紙


見開き2~3ページ

見開き4~5ページ


見開き6~7ページ

見開き8~9ページ


見開き10~11ページ


見開き12~13ページ

【応募方法】
①受付期間:2022年1月15日(土)まで。
②申し込み方法:eメールでのみ受け付けます(そのメールにPDFファイルを添付して返信します)。
  ・宛先: nazox2016@yahoo.co.jp (@は半角に書き換えてください)
  ・タイトルに「HTP BINGO PDF希望」と記入する。
  ・本文には、拙ブログへのご意見、ご要望、ご感想など(必須ではありません)。
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みなさまのご応募をお待ちしています。

最後にもう一度、今年も一年よろしくお願いいたします。