オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

86年JAMMAショウ・CAPCOM編

2023年09月03日 21時50分26秒 | メーカー・関連企業

ワタシがJAMMAショウを見物するようになったのは1986年からのことです。この頃は各メーカーのブースを回ってフライヤーを集め回っていたものでした。一昨年の2021年07月25日には、この時に集めたフライヤーのうちTAITOのものをご紹介しました(関連記事:86年JAMMAショウ・TAITO編)が、今回は拙ブログではめったに取り上げない「CAPCOM」のフライヤーをご紹介します。

86年当時のCAPCOMはまだそれほど大きな企業ではなかったようで、出展した機種は僅か4機種、フライヤーは2機種分しかありません。一つ目は、このときのCAPCOMの目玉(のはずだった)、「アレスの翼」です。

「アレスの翼」(1986)のフライヤーの表裏。この当時はまだ「萌え」という概念がほとんど無かったことが察せられるビジュアル。

縦画面シューティングと、横スクロールのプラットフォームゲームの二種類のステージを交互に行うゲームで、一定のサイクルで宝箱を取るだけのボーナスステージがあったように思います。しかしそのゲーム性は、ナムコゼビウスバラデューク(またはドラゴンバスター)を一つに混ぜたもののように感じられて、当時はナムコの熱狂的なファンだったワタシは一度もやったことがありません。後の印象としてもそれほどヒットしたとは言えないように思いますが、「いや、これは実に面白いゲームだった」との反論がございましたら、ぜひコメント欄でその熱い思いをお聞かせください。

二つ目は子供向けメダルゲーム機の「ニューフィーバーチャンス(NEW FEVER CHANCE)」です。

「NEW FEVER CHANCE」のフライヤー。片面印刷。

カプコンの創業者である辻元憲三氏のAM産業への関わりはシングルロケ市場から始まっており、この種のゲーム機を早い段階から多く発売しています。それらの多くのゲーム性はレジャック(コナミ)の「ピカデリーサーカス」の亜流でしたが、ピカデリーサーカスだけでは市場の需要を満たせなかったのか、カプコンに限らず、他の大中小メーカーが開発した類似機種もそれなりに普及していたように記憶しています。

筐体画像を見ると、子供向けのメダル機であるにもかかわらず最大払い出し枚数が99枚を超える配当があります。つまりこの時点では、まだJAMMAの「健全化を阻害する機械基準」が策定されていなかったことがわかります。

「ニューフィーバーチャンス」のベット表示部分。最大でメダル160枚の払い出しがある(右上)。これ以外にも120枚の払い出しもあるが、これらは現在であれば「健全化を阻害する機械基準」に抵触する仕様である。

同時に頒布された価格表にはビデオゲーム「RUSH AND CRUSH」の名前も見えますが、フライヤーがありません。これは、フライヤーが作成されなかったのか、それともワタシが受け取った袋に入れ忘れられていただけなのか、真相はわかりません。

’86JAMMAショウで頒布されたCAPCOMの価格表。

「ラッシュアンドクラッシュ」の「99,800円」は、基板の値段としては安いように思います。ひょっとしてROM売りの値段でしょうか。これに比べて、「ニューフィバーチャンス(原文ママ)」の198,000円は、筐体売りとは言え、駄菓子屋が買う機器としてはめっぽう高く感じます。おそらくは販売よりも、レベニューシェアで設置されていたのではないかと思いますが、ワタシはこの分野はよくわかりません。どちら様か、シングルロケの運営に詳しい方がいらっしゃいましたら、どうぞご教示ください。


1991年のセガ(後編)

2023年07月16日 18時55分54秒 | メーカー・関連企業

前回も申しあげたとおり、この総合カタログが頒布された1991年9月は、日本の「バブル景気」が終焉を迎えた直後になります。従ってこの総合カタログ掲載されている製品はそのバブルの最中に開発されたものと言うことになります。3ページ目と4ページ目では9機種のマスメダル機と、同じく9機種のシングルメダルが掲載されています。

1991年に頒布された総合カタログの3ページと4ページ。

総合カタログだけあって、現在販売中の機種には新旧が入り混じっています。まずはここにある9機種のマスメダル機と、同じく9機種のシングルメダルのリリース年を記録しておこうと思います。

■1988年
ワールドダービー

■1989年
ビンゴサーカス
ゴールデンウェーブ
M3001
M3002
M4001

■1990年
エキサイティングブラックジャック
M3003
M4002
M5001

■1991年
ロイヤルアスコット
ダービーデイ
ゴールデンナイト21
ロイヤルクラブ
M3004
ブリックス
ティンカーベル(?)

■1992年
カリビアンブール

旧型機が多く含まれる理由としては、もともと稼働期間が長いメダルゲーム機が買ってすぐに旧型機になってしまうようではオペレーターとしては安心して購入できないという事情もあることでしょう。

なお、これらのうちカリビアンブールのみイメージイラストですが、マーキーには「CRAP CARD」と描かれていることから、この時点では開発中であることが窺われます。実際、カリビアンブールがリリースされたのは1992年のことです。あまり成功作とは言えなかったように思いますが、モナコのカジノにも設置されたと聞いています。

次は5ページ目と6ページ目です。

1991年に頒布された総合カタログの5ページと6ページ。

5ページ目はプライズ機が並んでいますが、プッシャーの「スターバースト (STARBURST)」とシングルメダル機「雀夢」、それにシングルメダルの汎用筐体「リベラルキャビネット」がはみ出しています。

「スターバースト」は海外製のプッシャーですが、製造元がよくわかりません。ワタシの手元には2種類のフライヤーがありますが、一つは英国、もう一つは米国の会社が頒布しています。

スターバースト(STARBURST)のフライヤー2種。上はイングランドの「K. W. SYSTEMS」社によるもので、下は米国ニュージャージー州の「COIN CONSEPTS」社によるもの。

「雀夢」はイーグル社製の麻雀ゲームですが、同様の内容のゲームが他社からも出ていました。一体この辺はどうなっているのか、全くわけがわかりません。

プライズ機のうち「ドリームパレス」はゆっくりと回る回転台の上に筐体があり、客はこの回転台に乗って、筐体と一緒に回りながらゲームをしました。実に全くバブルの世情にマッチした、大げさな機械ですが、やることはUFOキャッチャーで、この当時の景品の上限価格は500円に過ぎないものでした。

6ページ目には、キディライドといくらかのカーニバルゲーム、それに両替機が記載されています。この辺りはワタシは詳しくありませんが、キディライドにCRTモニターを載せるようになったのはこの頃からだったように思います。

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3ページ目。

4ページ目。

5ページ目。

6ページ目。

バブル崩壊以降、日本の景気は右肩下がりとなっていくのですが、バブル時の「毎日がお祭り」のような狂騒状態を忘れられない多くの日本国民は、以前よりも「安く、近く、短期間で(安・近・短)」楽しめるレジャーに流れていきました。ゲームセンターはその格好のスポットであったため、ゲームセンターは世間の「不景気」の気分に反して活況を呈し(関連記事:ロンゴロンゴ(sigma, 1993):最もバブリーなロケーション)、今となっては夢のような日々がこの後数年の間続くのでした。


1991年のセガ(前編)

2023年07月09日 17時20分29秒 | メーカー・関連企業

【本題に関係ない前置き】
ワタシはブログを更新するとツイッターでお知らせをしていますが、前回記事「アルゼゲーミング、消滅の危機」の更新のお知らせが万バズ(と言ってもインプレッション数での話です。でも通常は250から多くても1000には届かない程度なので桁違いです)してしまいました。ユニバーサル(アルゼ)ってそんなに皆さんの関心の高い企業だったのでしょうか。弱小泡沫ブログの、人を選ぶ極めてニッチなテーマにこれだけのインプレッションがあるとは驚きです。

*********** これより本題 ************

「失われた30年」となる以前の、バブル景気時代を知る世代にとっては、現在の日本は本当にめちゃくちゃな国になってしまったなあと思います。少子化も含めひとえに政治の貧困が原因ですが、二人に一人が選挙に行かない国民がそんな政治を許しているわけで、「こりゃもうニッポン、ダメかもしれんね」と半ば諦めの境地に達しつつあります。

日本の「バブル景気」は、ウィキペディアによれば1986年11月から1991年5月の55か月間に日本で起きた好景気とそれに付随する社会現象を指すそうです。そのバブルが崩壊した直後の1991年9月、セガは全8ページの総合カタログを頒布しました。

この総合カタログは少し変則的な形で、両面に印刷された横に長い帯状のフライヤーを4等分してまず両端を内側に折りこみ、次に中央で内側に折りこんで、最終的にはA4判、全8ページの形になっています。今回はこれらのうち片面の4ページをご紹介します。

まずは表紙と裏表紙です。

1991年9月にセガが頒布した総合カタログのうち、表紙(右)と裏表紙(左)。

セガの総合カタログでは、裏表紙最後のページでは両替機など周辺機器を掲載することが多いのですが、ここでは「CYBER DOME」や「AS-1」、「CCDカート」といった大型設備が掲載されており、いかにもバブル時代の雰囲気を感じます。しかしこの時代、ゲームアーケードに留まらない大型機種を作ろうとする傾向はセガに限ったことではありませんでした。

次は表紙と同じ面に印刷されている2ページです。ページ番号としては、左が2ページ目、右が7ページ目となるものと思います。

画像2ページ目(左)と7ページ目(右)。2ページ目を左に、7ページ目を右に開くと、3~6ページ目が見えるようになる。

2ページ目には今では伝説的な「R360」、7ページ目には「ホログラム・タイムトラベラー」が見えます。タイムトラベラーは、ワタシの記憶ではアメリカで作られたものをセガで販売していたと思うのですが、今それを裏付ける資料が出てきません。あまり売れずに、だぶついた筐体を利用した「ホロシアム」も出ましたが、これも残念ながらあまり普及しなかったように思います。

以下、各ページの拡大図。

表紙

2ページ目

7ページ目

裏表紙

「ポリゴン」が実用化される以前のビデオゲームの画面には、ある種の郷愁を感じさせられますね。

これにて前半は終了とします。

次回「後半」につづく。

 


アルゼゲーミング、消滅の危機

2023年07月02日 19時42分42秒 | メーカー・関連企業

米国のゲーミング機メーカーであるアルゼゲーミング(以下アルゼ)が破産(チャプター11)を申請したというニュースを聞いたのは今年の2月1日のことでした。ワタシの記憶では、アルゼが「自社とは直接関係しない訴訟への対応策の一環であり問題はない」という内容のプレスリリースを出していたように思うのですが、今そのソースを探しても見つけられません。

アルゼはラスベガスで毎年秋にラスベガスで開催されるGlobal Gaming Expo(G2E)ではIGT、Aristocrat、Scientific Gaming(旧Bally+Williams)らに引けを取らない規模のブースを出展し続け、またラスベガスのカジノではそこそこのシェアを得ており、大手の一角に食い込んでいると言っても過言ではない企業のはずだったので、このニュースは意外でした。

G2Eショウ2019におけるアルゼのブース。

多くの方はご存じと思いますが、アルゼは日本のゲーム機メーカーである「ユニバーサル」を母体としてできた会社です。アルゼが2015年のG2Eで展示していた社史によると、アルゼの始まりは1969年に設立された「ユニバーサルリース」となっています。

G2E2015のアルゼブースに展示されていたアルゼの社史年表(一部)。1969年から始まっている。

確かに、過去記事「初期の国産メダルゲーム機(5) ユニバーサル その1・沿革」でも「ユニバーサルリース」の設立年を「1969年12月」としていますが、これは記事を掲載した2018年当時の「ユニバーサルエンターテインメント株式会社」のウェブサイトをソースとしています。しかし、ユニバーサルが1982年に頒布した会社案内では、ユニバーサルリースが発足したのは「昭和42年(1967)」で、1969年は社名を「ユニバーサル」に変更した年としています。

ユニバーサルの1982年版の会社案内に記述されている沿革(部分)。図中の西暦はワタシが後から加えたもの。

ただ、アルゼの会社案内1982年版には他にも疑わしい部分があり(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a)、何をどこまで信じて良いのか悩ましいところです。

それはまあとりあえず措くとして、ユニバーサル(もしくはアルゼ)はいつ頃からか悪い話が多く流れてくるようになり、叩けばいくらでも埃が出てきそうなダーティーなイメージが強い企業となっていました。

ユニバーサル(アルゼ)は、創業者の強権的でワンマンな企業体質を指摘する報道や刊行物が少なからずあること、またワタシの周辺から非公式に流れて来る数々の噂話からも、創業者による「会社の私物化」が相当に激しいもの(この言い方はむしろ穏当と思われるくらい)であったように思われます。ただ、そのような体質だったからこそ一代でここまでグローバルな大企業になれたとも言え、その良し悪しは置かれた立場や人により判断が分かれるところでしょう。

しかし、会社が大きくなるにつれてユニバーサル(アルゼ)の社内では激しい権力闘争が発生し、今もいくつもの訴訟沙汰が続いています。しかしそれらには創業者が関わる法人がいくつも複雑に絡み合っていてなかなか把握しきれません。今回、アルゼの破産について調べていたところ、非常に詳しく報じており実に興味深いウェブサイトを発見したので、興味のある方はこちらをご参照いただければと思います。

ユニバーサルエンターテインメントの経営騒動に潜む闇

思えば、ユニバーサル(アルゼ)はこれまでにいろいろとやらかしてきた企業でした。1980年代にはスロットマシンで違法な演出を行ってネバダでのライセンスを取り消されたり、重役として入社した長男をある日いきなり解雇したり(その確執は現在進行形で続いている)、ウィン・ラスベガスに出資(それが許可されたことも驚きでしたが)して一時は蜜月状態にあったウィン・リゾートから「株主として不適切な行い」を理由に強制的に追い出されたりなど、話題には事欠きません。

しかし一方で、ユニバーサルはメカスロットの分野においてはいち早くステッピングモーターを導入しています。電子的に決定したゲーム結果をステッピングモーターで制御して表示するという手法は、今ではメカスロットの不可欠な標準的な技術となっており、功の部分もないわけではありません。

最近のニュースによると、アルゼゲーミングは今後同業他社に買収される公算が大きいようです。その場合、1980年代から続いてきたアルゼ(ユニバーサル)の名前は消えてしまうことになると思われ、一抹の寂しさを感じます。ただ、ワタシ個人の好みとしては、パチンコ・パチスロ的なセンスを感じるアルゼの機械は嫌いだったので、アルゼ的なゲームが無くなること自体には特別な感慨はありません。


「三共」についての備忘録(7) 三共に関するエピソードあれこれ(後半)

2023年04月02日 17時57分50秒 | メーカー・関連企業

前回は三共と直接・間接に関係があった他社の名前がいくつも出てきて複雑になってしまいました。今回はこれら他社について、前回では言及しきれなかった補足を含んで情報を整理しておこうと思います。

・日本遊園設備:
'69遊戯機械名鑑」巻末の「各社の沿革と営業品目」によれば、創業は昭和30年(1955)4月。その後「アメリカ精機」を経て昭和39年(1964)3月に「日本遊園設備」となり、昭和40年(1965)11月に東京都昭島市に本社と工場を建設したとのことです。

事情通から伺ったお話でも日本遊園設備は昭島市にあったとしており、その点は符合します。しかし、ワタシの手元にあるフライヤー資料に記載されている所在地は「武蔵野市」とするものが7点、「中央区銀座東」とするものが2点あるのみで、「昭島市」とするものは1点もありません。おそらく本社の移転があったものと思われますが、そうだとしても腑に落ちない点が多く、謎です。

伺ったお話では、「日本遊園設備が解散した時」に、一派が児童遊園設備を設立し、別の一派がホープ自動車のAM事業立ち上げに加わったとしているのですが、それぞれからAM機器がリリースされた後も日本遊園設備の活動は続いており、食い違いがあるように思われます。

児童遊園設備及びホープ自動車の機器を掲載する'69遊戯機械名鑑に掲載された日本遊園設備の広告。「アポロ77」は渋谷の東急百貨店東横店の屋上で遊んでおり、秒読みの後轟音と共に打ち出されたボールがらせん状のレールを猛烈な勢いで遡っていく様子には痺れた。

・児童遊園設備:
児童遊園設備の名は、「'69遊戯機械名鑑」巻末の「各社の沿革と営業品目」に記載がありますが、沿革が延べられておらず、具体的な設立年は不明です。

児童遊園設備は、三共遊園設備(注・元情報では「三共精機」としているが、時期的には「三共遊園設備」のはず)とは協力関係にあったそうで、児童遊園設備が製造した「チューハンター」で使用したねずみの模型は三共遊園設備(前注に同じ)から購入したとのことです。

児童遊園設備は1968年に「王将」を売り出し、1970年10月に開催された第9回AMショウではプライズ機「タイガークレーン」を出展していますが、その後の動向を知る資料がなく、消滅した時期も不明です。

ワタシの手元にある児童遊園設備の資料としては最も新しい「タイガークレーン」(1970)のフライヤー。

・三鷹遊機:
事情通からのお話では、三鷹市新川にあった三鷹遊機は、児童遊園設備の下請け業者で、「王将」を組み立てていたそうです。王将のフライヤーに写る筐体は、売れなかった「爆撃」の筐体を流用したものだそうです。製品版の筐体のアートワークはパートのおばさんがマスキングテープを貼ってストライプを塗装していたので、その時々によってストライプ幅が違ったそうです。

児童遊園設備の「爆撃」のフライヤー。王将のフライヤーに使われた筐体はこれを流用していたとのことで、比べてみれば確かに同じものに見える。

現在、「三鷹遊機」のキーワードで検索をかけると、「三鷹遊機製作所」という事業所がヒットするのですが、その所在地は移転したのか、区画変更があったのか、それとも全く別の会社なのか、三鷹市新川ではなく三鷹市中原となっています。Googleのストリートビューでこの所在地を見ると、レンタルスペースと斎場が示され、AM機を作っていそうな施設は見当たりません。

・関東電気工業:

事情通のお話の中では全く言及されていませんが、三共遊園設備(または三共精機)および児童遊園設備とはなんらかの繋がりがあったと思われるメーカーです。

「'74-'75遊戯機械年鑑」巻末の「関連業者名簿」によれば、関東電気工業の設立は昭和33年(1958年)10月と古いのに、1972年に製造販売したフリッパー・ピンボール機「ターキーボール」(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール機:ターキーボール(関東電気工業、1972))以前は全くどこにも名前が見つかりません。「ターキーボール」の広告の中で、関東電気工業のその他の製造品目として以下を挙げられています。

・闘牛A型(牛の鳴き声付)
・闘牛B型
・チューハンター
・レッドフォックス
・アイスホッケー
・王将(新型)
・その他ゲーム機使用変圧器各種

この中に「チューハンター」が含まれ、また「王将」に「新型」と付け加えている意味を考えると、児童遊園設備は1972年までには消滅しており、関東電気工業は児童遊園設備の知的財産を引き継いだと推理できそうです。

また、「レッドフォックス」は三共精機の製品として「'72コインマシン名鑑」に記載されており、この関係から、三共精機が1976年にリリースした二つのフリッパー機にも関わっている可能性を感じるのですが、現在のところその証拠となる資料は見つかっていません。

関東電気工業が自社名で売り出している製品は、「ターキーボール」以外では1974年(1973年かも?)にリリースした「早撃マック」しか確認できていないのですが、他にもあったのでしょうか。

早撃マックのフライヤー。ここにはメーカー名が記載されていないが、「'74-'75遊戯機械名鑑」には関東電気工業の製品として広告と共に記載されている。

・ホープ自動車:
自動車メーカーからAM機器事業に転向した企業です。自動車メーカー時代にヒットした軽自動車「ホープスター」は、後にスズキの「ジムニー」の原型となりました。1974年には社名を「ホープ」に変え、ナムコが販売していた「ワニワニパニック」の製造などAM業界の第一線で活躍しましたが、残念ながら2017年に破産、消滅しました。

事情通のお話では、ホープ自動車がAM部門を立ち上げる際に日本遊園設備の一派が加わった(具体的な時期は言及無し)とのことですが、ホープ自動車がAM事業に転向したのはまだ日本遊園設備が健在だった60年代前半から中ごろ(諸説あり)で、食い違いがあります。

今回伺ったお話の中には、ホープ自動車と児童遊園設備の関係がうかがわれるものもありました。

●バズーカは児童遊園の製造スタッフがホープ自動車に行って組み立てた。
(元情報では「児童遊園」は「ジドウユーエン」とカタカナで表記)

「バズーカ」がどんなものかはわかりませんが、ひょっとして軟式野球のボールを圧縮空気で発射して的に当てるアトラクションのことでしょうか。そのような娯楽設備は60年代から遊園地などにありましたが、ホープ自動車の製品としてそういうものがあったかどうかはわかりません。

もしくは、「レッツゴー・バズーカ」のことであれば、「'69遊戯機械名鑑」に掲載されているホープ自動車の広告に、「新発売」と謳って記載されています。この名鑑の具体的な刊行時期は不明なため、レッツゴー・バズーカの正確なリリース年はわかりませんが、1968年か、もしくは1969年のいずれかではありましょう。

「'69遊戯機械名鑑」に掲載されているホープ自動車の広告より、「新発売」と謳うレッツゴー・バズーカの部分の切り取り。「レッゴー」は単なる脱字だと思われる。

どちらであったにしても、児童遊園設備とホープ自動車には日本遊園設備と言う共通項があるので、昔のよしみで協力関係を結ぶことはあってもおかしくないと思います。

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三共とその周辺のメーカーに関して事情通の方から伺ったお話は以上です。
日本のAM機メーカーが世界のAM業界から注目を集めるようになるのは、78年のインベーダーブーム以降のことです。今回のシリーズでは、そこに至るまでに発生し、そしていつの間にか消えて行った数多くのメーカーのうちの一部に触れることになりましたが、まるで進化論の適者生存の流れを見ているようで大変興味深いものでした。

最後に、事情通の方とはまた別の方からSNSを通じていただいた、三共(遊園設備か精機かは不明)のプライズ機「メリークレーン」の画像をご紹介して、本シリーズを終わろうと思います。

三共のプライズ機「メリークレーン」。マーキーの左下には三共遊園設備の頃より一貫して使用しているシンボルマークがはっきりと描かれている。

この筐体のマーキーに描かれている女児は、過去記事「「三共」についての備忘録(4) 三共精機のAM機」でご紹介した「アクロバット」に描かれている女児と同じモチーフであるように見えます。

三共は他にも、パンチングボールの「ボクシング」とエレメカ機の「ミニボクシング」で同じボクサー像を使い回したという例があります。

左が「ボクシング」、右が「ミニボクシング」。どちらが先に作られたかは不明。なぜかワタシは、このボクサー像のモデルは、日本人初の世界王者となった白井義男さんだと根拠なく信じ込んでいる。

こちらは同じボクシングテーマですので流用も理解できます。しかし、メリークレーンとアクロバットにはそのような共通項は見られず、作られた順番としては「メリークレーン」の方が先だと思われるのですが、なぜ大幅に加筆までして使い回したのかは、きっと永遠に明らかにはならない謎であろうことが残念です。

(このシリーズ・終わり)