オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

IGTとEVERIが合併! 今年のG2Eはいかに?

2024年09月22日 15時55分14秒 | メーカー・関連企業

世界最大のスロットマシンメーカーであるIGT社は、2015年にイタリアの宝くじ会社GTECH社に買収され、GTECH社は後に「International Game Technology PLC」と社名変更しました。買収した方がされた方の名前を名乗るのは良くあることで、昨年はアルゼ(のスロットマシン部門)を買収したPlay Synergy社が買収したアルゼ(のスロットマシン部門)の名を引き継いで「Aruze Gaming Global」に社名変更した例があります(関連記事:新ラスベガス半生中継2023年G2Eショウ(5) DAY 3・G2Eショウ(後半))。このような社名の移り変わりは企業の歴史が追いにくくなって、ワタシのような野次馬にはたいへん迷惑なことです。

GTECH社のトレードマーク(左)と、GTECH傘下のIGTのトレードマーク(右)。

さて、その「International Game Technology PLC」は、これまで宝くじ運営、スロットマシン製造、それにオンラインゲーミング運営を行ってきましたが、今年の2月29日、そのスロットマシンとオンラインゲーミング部門を切り離し、米国ネバダ州のスロットマシンメーカーであるEVERI社と合併させて、新たな社名を「IGT」とすると発表しました。

EVERIのトレードマーク。

え? ちょっと待って、てことは宝くじ運営会社の「International Game Technology PLC」社とスロットマシンメーカーの「IGT」社が並立するわけ? この辺、まだよく理解できていません。ただ、この合併は、米国の「アポロ・グローバル・マネジメント」という投資会社によるとのことで、新IGTは「International Game Technology PLC」の傘下から「アポロ・グローバル・マネジメント」の傘下となるということのようです。

アポロ・グローバル・マネジメントのトレードマーク。

これにより、業界地図がどのように変化するのでしょうか。少し古い、2019年のデータですが、スロットマシンの市場占有率は、1位がIGTで33.2%で群を抜き、2位が24.7%のサイエンティフィック・ゲーミング(現ライト・アンド・ワンダー)、3位が21%のアリストクラートでした。以下は大きく水があき、EVERIは4位コナミの9.0%に次いで3.2%の5位でした。

つまり今回は業界トップと5位の合併ということですが、その思惑が謎です。ニュースリリースでは、シナジー効果がどうとか株主価値創造を推進するとか、よくわからないことばかり述べられています。2015年にサイエンティフィック・ゲームズがBally(シャッフルマスター含む)とWMSを買収した時(関連記事:新ラスベガス半生中継2023年G2Eショウ(4) DAY 3・G2Eショウ(その1))ほどの変化でもないようにも思えます。

ただ、EVERIはもともとキャッシュディスペンサーのメーカーで、ラスベガスではEVERI製の多機能両替機を備えているカジノも多く、現金の取り扱いやトランザクションのインフラが既に広く普及しているので、「今後ギャンブルのキャッシュレス化が進む際にはそれが優位に作用することでもあるのかなあ、知らんけど」などと想像しています。

今年も来たる10月5日(土)からG2Eショウの見物にラスベガスに行って参りますので、この合併による変化も大きな興味の一つになっています。EVERIのブースはおそらく無くなっていることと思いますが、昨年出展されていた「Project Moon」や「Big Bubble」のようなアバンギャルドなスロットマシン(関連記事:新ラスベガス半生中継2023年G2Eショウ(5) DAY 3・G2Eショウ(後半))が果たしてどうなってしまうのかがちょっと心配です。メインストリームとはなり得ずとも、こういうヘンなことをしてくれるところが無くなってしまうのは寂しいことです。

昨年のG2Eに出展された「Project Moon」(上)と「Big Bubble」(下)。どちらもまだ製品化されていない試作段階だった。


1977~8年のデータイースト

2024年08月11日 19時51分17秒 | メーカー・関連企業

ワタシの手元に、データイーストの古い総合カタログがあります。頒布時期は定かではありませんが、掲載されている機種から、早ければ1977年の後半、遅くとも1978年の前半であろうと推察できます。総合カタログは横に三等分して折りたたまれた全6ページの構成になっています。

おそらくデータイーストが1977年後半から1978年に頒布したと思われる総合カタログ。上が表紙側、下が内側。横に三等分した左右を内側に折りこみ、全6ページとなっている。

表紙側はとりあえず措いて、内側を1ページずつ詳しく見ていきます。なお、推奨サイズでなるべく大きく表示するために各ページは上下に二分割しています。

内側の3ページのうち、左のページ。

筆頭に掲載されている機種はメダルゲームの「ジャックロット」で、業界紙「ゲームマシン」1977年7月1日号の「話題のマシン」で紹介されています。ただ、このゲームはその半年余りも前の1977年1月にジャトレが売り出した「TV21」と酷似しており、一時紛糾しかけていたように見受けられる曰く付きの機種でした(関連記事:【訂正・追加等】メダルゲーム ジャトレ「TV21」の開発元が判明!)。

「ジャックロット」の下には、アップライト筐体の「バルーン」と「バルーンミニ」が掲載されています。ゲーム内容は米国Exidy社の「Circus」のコピーと言えるものでした。

「ジャックロット」の右に見えるテーブル筐体は、次ページに続く説明では「R-D型(2in1)」とあり、「ボウリングゲーム」と、爆雷を発射して潜水艦を沈めるゲームの2種類が遊べるとのことです。この「ボウリングゲーム」は、前述「バルーン」同様Exidy社の「ROBOT BOWL」、「潜水艦を沈めるゲーム」はやはりExidy社の「Depth Charge」のコピーと思われます。ただ、「ROBOT BOWL」の発売年は1977年ですが、「Depth Charge」の発売年は1978年で、この総合カタログの頒布年を1977年と言いきれない理由のひとつとなっています。

内側の3ページのうち、中央のページ。

横に3ページ続く中央のページには、「S-G型(2in1)」と「S-B型(2in1)」、それに「スーパーブレイク」の3種のテーブル筐体が掲載されています。

「S-G型(2in1)」は「スーパーブレイクII」(スーパーブレイクのバリエーション)と「ジプシージャグラー」の2種類が、「S-B型(2in1)」では「スーパーブレイクII」と「バルーンサーカスゲーム」の2種類のゲームが遊べるとあります。「S-G型」に見える「ジプシージャグラー」は米国Meadows games社が1978年に発表したビデオゲーム(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(3) スペースインベーダー(1978)以前のヒットゲーム)、「バルーンサーカス」は前出「バルーン」の同工異曲で、モニターを縦に置いているところが従来の風船割ゲームとは異なりました。

内側の3ページのうちの3ページ目。

最後の右ページには「バルーンサーカス」と「スーパーブレイクII」の2機種が掲載されています。この総合カタログが頒布された時期はテーブル筐体が急速に普及し始めた時期で、掲載内容もテーブル筐体が主流となっています。ただ、この頃は「筐体の使い回し」は行われても、まだ「汎用筐体」の概念は発生しておらず、ゲームは筐体売りが当たり前でした。

データイーストは、「野村電気」からスピンオフした福田哲夫氏によって1976年に設立されましたが、当初はここに見られるようにコピーばかりで、真にオリジナルと呼べる製品が出るのは「アストロファイター」が発売される1980年以降です(関連記事:「野村電機」と「データイースト」の謎)。その後数々のヒット作を開発して発展を重ね、ビデオゲームばかりでなく世界のピンボール界にも名を残しましたが、残念ながら現存しないことは皆さんもご存じのとおりです。


ローゼン・エンタープライゼス1961(5)ジュークボックスとキディライド

2024年06月23日 18時26分51秒 | メーカー・関連企業

セガの前身となった企業の一つ、「ローゼン・エンタープライゼス」が1961年ころに作成したと推察されるカタログシリーズ5回目(最終回)は、「ジュークボックス」と「キディライド」のページです。

前回のベンディングマシンとともに、ワタシにとってはストライクゾーンにギリかかるかどうかのきわどいボールで、また拙ブログをご高覧いただいている方の多くには退屈かもしれませんが、アーケードゲーム機とはコインマシンという共通項を持つジャンルを全く無視するわけにはいかないのです。

******* ジュークボックス

日本においてジュークボックスは、タイトーが1950年代に進駐軍払い下げのジュークボックスを再生して酒場に置いたところ大ヒットして、戦後復興期の日本に広まったようです。しかし、やがて払い下げ品が払底して製品の供給がままならなくなったタイトーは、1956年には自社で開発した「ジュークJ40」を売り出しましたが、不良品が多く失敗に終わりました(関連記事:オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(2):第1幕/第2幕


その後1961年セガが「SEGA1000」を発売します。輸入品よりも格段に安いのでよく売れたそうです。国産ジュークボックスとしては他に「ツガミ」と言うブランドがあったようですが、こちらは調べていないので詳しいことはわかりません。

タイトーが先鞭をつけた日本のジュークボックス市場はやはり米国製品が強く、ローゼン・エンタープライゼスも早い段階から複数のブランドの機械を手広く扱っていました。

 

★画像は例によって1ページを上下に二分割しています。

ジュークボックスその1。共に米国企業であるSeeburg社AMI社の製品が掲載されている。上の余白に誰かの手による「1963年」との書き込みがあるが、ここに掲載されている機種は次ページも含めて最も新しいものでも1961年製(最も古いものは1951年製)である。

ジュークボックスその2。前ページに引き続きAMI社と、やはり米国企業のUnited社の製品が掲載されている。ジュークボックスは以上の2ページしかなく、よく知られているWurlitzer社Rock-Ola社が扱われていないのはなぜだろう。

******* キディライド

キディライドは1930年に米国で発明されたものが最初だそうです。日本では、兵庫県の「宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)」に娯楽機が導入されたと聞いた日本娯楽機(後のニチゴ)の遠藤嘉一氏が昭和3年(1928)に視察に行ったところ、係員に2銭を渡すとアヒルのような形をした鞍が2分間揺動するドイツ製のキディライドを見て感じ入るものがあり、翌年これを自動化して売り出したものが国産のキディライドの始まりでした(関連記事:AM産業と業界誌の謎(2))。

日本のAM機器メーカーにはキディライドから始まった企業が多く、例えばナムコは、社内報のタイトルを自らの原点である「もくば」としていました。また後に日本のAM業界に「メダルゲーム」という新ジャンルを確立したsigmaの創始者である真鍋勝記氏も、最初はキディライドのレンタルから始まったと聞いています。

キディライドその1。上段中央に大きく掲載されている「Kamel」は「最新のキディライド」と謳われている。それにしてもなぜ「K」で始まるのか。米国製品には、このような故意のスペルミスをする商品をたまに見かける。中段左の「Fire Chief」は、Williamsのピンボール「Fire! (1987)」を思い出す。消防士はいつの時代もヒーロー。

キディライドその2。1961年は、ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行をし、またアポロ計画が発表された年。大きく掲載されている「Moon Rocket」はそれらを受けてのものなのだろうか。有人ロケットがどんなものなのかろくにわからなかった時代に、何を考えながら船内をデザインしたのだろうか。

キディライドその3。馬は定番であろうが、TVカメラマンは珍しい。左下のバイクは、ビンゴ・ピンボールなどギャンブル機に強く、3年後の1964年には世界のスロットマシン業界の頂点に君臨するBally製。

キディライドその4。「宇宙への飛行」や「ヘリコプター」を、「上昇、降下、左右の傾きなどリアルな動きでシミュレートする」と言っている。「加速、減速、ハンドルでの方向転換」や「離陸、飛行中音、秒読みを再現するサウンドシステム」などと謳われると、うっかり乗ってみたくなる。

(このシリーズ終わり)


ローゼン・エンタープライゼス1961(4)ベンディングマシン

2024年06月16日 18時36分56秒 | メーカー・関連企業

セガの前身となった企業の一つ、「ローゼン・エンタープライゼス」が1961年ころに作成したと推察されるカタログシリーズ4回目は、「ベンディングマシン」のページです。

ベンディングマシンとは、つまり自動販売機です。日本では、明治時代に郵便切手の自販機が登場しています。そこで販売される切手は、機械の中ではトイレットペーパーのようにロール状に収納されているため、側面に目打ち(切り取り線)がありません。このような切手は、収集家の間では特に「コイル切手」と呼ばれています。

後に日本のアミューズメント業界をリードする日本娯楽機(後のニチゴ)は、大正から戦前の昭和にかけて自販機を精力的に製造しています。

日本娯楽機が戦前の1936年ころに頒布したカタログに掲載されている自動販売機のページ2つ。香水や飲料水の販売機や、菓子販売機を謳うゲーム機が見える。

しかし、日本が「自販機大国」などと呼ばれるようになるのは、これら先行する国産自販機の躍進によるものではなく、1960年代の早い時期コカ・コーラの海外製自販機が全国に設置されてからのようです。1970年3月15日付の朝日新聞には「1967年から3年間、自販機の伸びは30%以上」との記事があり、この時期に既に社会的な注目を浴びる勢いで増加していたことが窺えます。

ローゼン・エンタープライゼスは、自動写真撮影機の成功から、日本における自販機の可能性を予期していたであろうことは想像できます。このカタログにも10ページに渡って各種自販機が紹介されています。

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★画像は例によって縦に二分割しています。

 

自販機その1。ホットサンドイッチの自販機。機械内の冷蔵庫に保存されているサンドイッチを電子レンジで加熱しているらしい。文字が潰れていて判読が難しいが、1個25セントから35セントまで、5種類を販売している。

自販機その2。コーヒーとココアの自販機。

コーヒーは「先進国」米国では当たり前の習慣でしょうが、1961年ころの日本にどれだけ馴染んでいたかはわかりません。ウィキペディアによれば「普及には1960年に森永製菓が国内生産を開始して以降、国産化が進展するまで時間を要した」とのことなので、認知はされていたようです。

自販機その3。これもコーヒーとココアの自販機。

自販機その4。牛乳の販売機。能書きには「Rudd-Melikianによる大容量牛乳ディスペンサーは、工場、オフィス、それに学校で、完全な殺菌とトラブルフリーの問題への答えです。従業員や学童は、昼食時やいつもの3時のおやつ時に、R-M 社が提供するさまざまなフレーバーの発泡スチロールカップに入った新鮮な冷たいミルクを好みます」とある。

自販機その5。130の品物が入るという自販機。選んだ商品が運ばれてくるシステムを「The magic touch」と呼んでいるが、何をどうするとどうなるのかはよくわからない。

自販機その6。コカ・コーラの自販機。冒頭で述べた「1960年代の早い時期全国に設置されたにコカ・コーラの海外製自販機」にはこれも含まれていたのだろうか。

自販機その7。コーヒーの自販機。スイッチの切り替えで、豆から淹れるコーヒーかインスタントコーヒーか、冷蔵されたフレッシュクリームか粉クリームかが切り替えられるらしい。普通に考えれば豆から淹れるコーヒーにフレッシュクリームがいいに決まっているが、選択によって値段が変わるのだろうか。

自販機その8。菓子やたばこの自販機。キャプションの「CAUDY」は意味不明。「CANDY」の事だろうか。

自販機その9。10セントの商品を販売する「U-SELECT-IT」は、10セント硬貨の他に5セント硬貨が使用可能であることが売りらしい。

自販機その10。これも「U-SELECT-IT」。188個の商品を収納可能な自販機で、客は店に行くのと同等の選択肢を提供できるとある。

次回「ジュークボックス他」(たぶん最終回)につづく。


ローゼン・エンタープライゼス1961(3)ピンボール

2024年06月09日 18時13分59秒 | メーカー・関連企業

セガの前身となった企業の一つ、「ローゼン・エンタープライゼス」が1961年ころに作成したと推察されるカタログシリーズ3回目は、「ピンボール」のページです。

このカタログにはピンボールのページが7ページありますが、そのうち4ページはページを横にして見るようにレイアウトしてあります。そういうわけで、通常の縦レイアウトのページは前回通り上下二分割ですが、横レイアウトのページは左右二分割として少しでも大きく表示できるようにしています。

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1961年ころに作成されたと思しきこのフライヤーには、まだ得点表示をリールではなくランプで行う1950年代半ばの機械が多く含まれています。IPDBを調べると、GottliebもWilliamsも得点表示にリールを使用するようになったのは1955年からで、しかも一気にではなく徐々にでした(Ballyはこの時期、ビンゴ・ピンボールしか作っていない)。

 

ピンボールその1。カタログの8ページ目。シャッフルボードが混じっているが、GotliebとWilliamsの、得点表示をランプで行う旧型機が14機種掲載されている。

ピンボールその2。カタログの9ページ目。上半分のGottlieb製ピンボールリストは、1954年から1961年までのリリース時期まで記載されており、貴重な資料となる。下段の機械4機種はいずれも得点表示がリールになっている。

 

ピンボールその3。カタログの10ページ目。横に見るレイアウトのため、左右二分割にしてある。

 

ピンボールその4。カタログの11ページ目。このページも左右二分割にしてある。右下の「EASY ACES」のバックグラスには、Gottliebが1960年代初頭まで使い続ける「Amusement Pinballs as American as Baseball and Hot Dogs!」のキャッチフレーズが登場している。

 

ピンボールその5。カタログの12ページ目。左右二分割。

 


ピンボールその6。カタログの13ページ目。左右二分割。

横に見るレイアウトの4ページのいずれにも、最下部に「FIRST」で始まる宣伝文句が添えられています。

P.10 ”FIRST" is always second to none for values! (一番の価値は常に他の追随を許さない)
P.11 FIRST prize for FIRST class equipment! (一等賞は最高級の備品から!)
P.12 Always FIRST in qualiity! Satisfaction guaranteed" (常に品質第一! 満足を保証!)
P.13 ”FIRST" always brings you the best-FIRST! (一番は常にあなたにベストを最初にもたらす)

これはつまり、「だから躊躇せずさっさと(我々から)買え」と言いたいのでしょうか。60年代初頭と言えばまだどライバルが殆どいなかったはずと思うのですが、それ以上にそれほど多くのゲーム場があったとも思えません。この当時のローゼン・エンタープライゼスは一種のベンチャー企業だったと言えるのではないでしょうか。

ピンボールその7。カタログの14ページ目。ここから縦に見るレイアウトに戻る。

 

次回「各種自販機」につづく。