オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

新・幻の「アタミセンター」を求めて(5):二日目の記録その1

2024年04月28日 16時14分43秒 | 歴史

【前回のあらすじ】
およそ半世紀前のTVのCMで知った「熱海ニューフジヤホテル」に投宿。温泉ホテルにはしばしばレトロゲームが残っていたりするので期待していたゲームコーナーには、残念ながら見るべきものは全く無かった。

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7時15分に起床。昨晩、写真や資料の整理をしながら、念のため80年代の地図も見ておこうと考え、今日もまた図書館に行こうと考えていました。しかし、その前にまずは朝食です。

今回の宿泊は、朝食付きプランとしていました。チェックイン時に希望する朝食の時間帯を申請することになっていて、ワタシは「8:00」としていました。このシステムによって入場者数をある程度調整しているのでしょう。

朝食は別館の1階にある「麗峰」でとります。昨夜覗いたゲームコーナーはこの上階にあったので、通りすがりにディナータイムの営業の様子を垣間見てはいたのですが、中に入るとその広さに驚きました。テーブル数はラスベガスのカジノのバフェイ(コロナ禍後に次々と閉鎖され今は僅かしか残っていないが)の数倍はありそうです。かつてステージだったと思しき造作も見えるので、昔はここでディナーショウが行われていたのかもしれません。

スタイルはバフェイ形式です。入り口で受け取った「このテーブルは使用中」の札をテーブルに置いて、料理を取りに行きます。

朝食バフェイで取ってきたもの。

実はこの後で一度お代わりをして、さらにおデザもいただいています。

おデザ。

料理は押しなべて並クラスですが、別な言い方をすれば悪くとも並止まりで、ひどいものはありません。これで550円(素泊まりとの差額)ならむしろおおいに上等です。ただ一つだけ、ワタシはホテルの朝食バフェイではごはんよりもパンを好む傾向があるので、パン類の選択肢が貧弱だった点は残念でした。

朝食から部屋に戻ったのが8時40分頃。チェックアウトは10時ですが、あまり間際だと混むかもしれず、また徒歩5分程の場所にある図書館は9時に開くので、ホテルを出ることにしました。

歯を磨き髭を剃って荷物をまとめてフロントに行き、ルームキーを差し出すと、「入湯税150円です」と言われました。そうか、そういう課金もあるのか。昨晩、寒い思いをしながらも露天風呂に入っておいて良かった。もし不精してお風呂をさぼっていたら、ただ150円を取られただけだったろう。

図書館に行き、カウンターで「1980年代の住宅地図をお願いします」と告げると、1981年、84年、85年、86年、88年、89年の6冊を出してくれました。これらのうち最も古い1981年版の「喫茶 加奈|アタミセンター」の記載は1973年版以来変わっていません。

1981年発行の「ゼンリンの住宅地図 熱海 ’81」(善隣出版)での銀座町2丁目とその付近。「喫茶加奈|アタミセンター」の記述は1973年版以降変わっていない。赤矢印部分に意味不明の傷がある。

ただ、赤矢印が示す傷かゴミのような線は実は1979年版にもあり、また区割りの形状や字体も79年版とほぼ重なるので、銀座町2丁目の部分は79年版のコピーであるように思えます。とは言え、他の部分では屋号が変わっているところもあるので、まさかこの部分だけ手直しがされていないなどと言うことは無いと信じて話を進めます。

1979年発行の「ゼンリンの住宅地図 熱海 ’79」(善隣出版)での銀座町2丁目とその付近。81年版に見える傷と同じものがここにも見られる(赤矢印)。

てっきり「スーパーホームランゲーム」の宣伝場の名称だとばかり思っていた「アタミセンター」は、少なくとも1981年まで存続していることが判明しました。しかし、次に参照できる地図は3年後の1984年版まで飛び、ここで「アタミセンター」の記載がなくなっています。

1984年発行の「ゼンリンの住宅地図 熱海 ’84」(善隣出版)での銀座町2丁目とその付近。「アタミセンター」の記載が消え、「喫茶 加奈」のみとなっている(赤円内)。

・・・と、ここまで記録したところで、この後、熱海市立図書館で参照した地図の情報を基に、アタミセンター、銀馬車、加奈が存在した時期を一覧にして考察していこうと考えていたのですが、並行して行っていた追加調査で、国会図書館に、熱海市立図書館では欠けていた70年代、80年代の地図があることを発見してしまいました。それらを参照すれば、現時点よりも解像度の高い記録となりそうなので、今回はここまでとして、このGW中に新たに発見した地図を調査して来ようと思います。

(つづく)


新・幻の「アタミセンター」を求めて(4):初日の記録その3

2024年04月21日 17時09分02秒 | 歴史

【前回のあらすじ】
●初日の午後、図書館を出て、熱海のレゲエスポット「和田たばこ店」と、熱海に唯一残る射的場「ゆしま遊技場」を巡ったが、収穫と呼べるものはなかった。
●「加奈」の近くにある開業75年の老舗喫茶店「ボンネット」で、
 ・アタミセンターはキャバレーだった時期がある。
 ・アタミセンターは射的屋だった時期がある。
 ・加奈は開店当初から1Fだった。
とのお話を聞くことができた。

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「ボンネット」を出たのが午後2時半ころ。そろそろチェックインが始まる頃合いなので、ホテルに向かいました。

今回宿泊する「ニューフジヤホテル」は、図書館や加奈のすぐ近くという格好の立地だっただけでなく、朝食付きで8000円ちょっと(但し部屋の眺望は無し)と、コロナ禍前のラスベガスの中堅ホテル並みにリーズナブルでした。

ニューフジヤホテルのエントランス付近。往年の大型豪華ホテルの威容は今も残る。右手に少し見える白い建物は別館の一部。

1960年代から70年代にかけて、東京のTVでは温泉ホテルのCMが良く流れていました。「ニューフジヤホテル」はそのある時期、冒頭で「Las Vegas On Ice!」と謳い、最後にコーカソイド系外国人のショーガールたちがカタコトの日本語で「アタミニキテネ」と言って終わるCMを流しており、中学進学前から「いつか必ずラスベガスに行くのだ」と心に決めていたワタシの記憶に強く残っていました。

ワタシの記憶に残るニューフジヤホテルのTVCM。この画像のソースはYouTube。放映時期ははっきりしないが、ワタシが多少なりとも英語を解しているので、中学生か高校生だった1975年±2年の範囲と思われる。

海外からショウの一座を呼ぶなど今では到底考えられないことですが、当時の大ホテルはどこも豪華さを競っていたように思います。あれからおよそ半世紀を経て泊まる事になるとは、タイムスリップでもしているかのような気になります。

レセプションの列に並んでチェックイン手続きをしたのは午後2時40分頃でしたが、ルームキーの引き渡しは3時からとのことで、別の行列に並ぶ必要がありました。キーを受け取り、別館に続く地下通路の手前にある棚から浴衣を選んで部屋に向かいました。

受け取った館内案内図より、部屋の構成の部分。ワタシは9階の45号室(赤丸内)で、外界に向かう面が無いが、角部屋だったのは良かった。

部屋の広さは18平米くらいでしょうか。ビジネスホテルの狭いシングルルームよりはずっとゆとりはありますが、机もしくはテーブルが無いのでパソコンの作業をするには若干不便ではありました。窓は開かず、開いたとしても向かいの16~21号室の窓が見えただけでしょう。しかし、それも承知の上での選択です。

部屋の様子。窓は採光のためのもので、開かない。

部屋に荷物を置き、まだ日はあるので再び外に出て繁華街や海岸などをうろつき、いくらかの熱海観光らしきものをしてみました。

静岡県に唯一残るストリップ劇場「銀座劇場」。

画像:①「加奈」の脇を流れる「糸川」は、渚町から河原に降りられるようになっている。 ②河原にはベンチがあり寛ぐことができる。 ③橋の下。満潮時にはかなり足元まで水が迫ってくるようだ。 ④河口の先はヨットハーバー。

画像:①渚町から海側は「熱海親水公園」となっている。 ②1950年の熱海大火の火元となった、渚町の北端付近。 ③熱海の興隆と凋落の差を示す廃墟の一つ、旧熱海海浜ホテル。現在再開発計画が進行中とのこと。 ④「金色夜叉」の像。バカボンのパパとママの馴れ初めのモチーフなのだが、ナウなヤングはわかるだろうか。

銀座町に戻るとすっかり暗くなっていました。メイン通りの「熱海銀座」は意外と早い時間に多くの店が閉まり、中央町の旧赤線地帯は元々仕舞屋が多く、日が暮れるとやることがあまり無くなってしまいました(大人にはそれなりの遊び場があるのかもしれないけどワタシはケチなので興味がないので知らない)。開いている数少ない店の一つで、ゲストハウスを名乗る「マルヤテラス」で鹿のソーセージだという「ジビエドッグ」(750円)をテイクアウトして、さらにコンビニでいくらかの食料と飲み物を買い足してホテルの部屋に戻り、夕食としました。

メニューに記載されているジビエドッグ(750円)と、その実物。珍しいから試してはみるし、うまくないというわけでもないが、積極的にリピートしようと思うほどでもない。

食後は、別館3階にあるゲームコーナーに行きました。本館と別館は道を隔ててはいますが、地下通路でつながっており、外に出ずとも行き来できます。温泉ホテルのゲームコーナーはレトロゲームの宝庫であることが多いので期待していたのですが。

ニューフジヤホテルのゲームコーナーの1。メカ系の一部。


ニューフジヤホテルのゲームコーナーの2。メダル機の一部。


ニューフジヤホテルのゲームコーナーの3。ビデオ系の一部。

むむむ・・・ 期待していたようなレトロゲームが殆ど無いのは仕方ないとして、コンセプトというものが全く感じられない、空いているスペースにただ漫然と機械を並べているだけの、悪い意味での昔ながらのゲームコーナーです。

例えば昔のピンボール機を多数置いてピンボールの聖地を謳うとか、台場一丁目商店街のようにレトロゲームで昭和の雰囲気を再現する(関連記事:セガのエレメカ機「MOTOPOLO」 (1968))など、今だからこそできる施策はあるはずだと思うのですが、せっかくこれだけのスペースがあるのに、なんとももったいないことです。どうせ手をかけないのなら、定見なく新台と入れ替えるより、いっそ1960年代のままでいてくれた方が今の時代には良かったのではないかと思います。

全くお布施をする気にもならず部屋に戻った後、せっかく熱海に来たのだからと本館屋上の露天風呂に行ったのですが、3月半ばの気候では洗い場で濡れた体に風が吹くと滅法寒く、屋内の大浴場に行けばよかったと後悔しました。

(つづく・次回から二日目)


新・幻の「アタミセンター」を求めて(3):初日の記録その2

2024年04月14日 15時37分24秒 | 歴史

【前回のあらすじ】
「アタミセンター」の謎解明のため熱海市立図書館で地図を調べたところ、蔵書としては最古の1961年版に「アタミセンター」の名があった。しかし、「アタミセンター」は70年代の地図にもその名前が残されており、どうやら「アタミセンター」が「スーパーホームランゲーム」の「直営宣傳場」だったのはその歴史の一時期に限定されるらしいことがわかった。

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図書館での調査はひとまず終え、今夜資料を整理して不足があればまた明日来ることにして図書館を出たのは昼の12時頃でした。

ところで熱海には、知る人ぞ知るレゲエスポット「和田たばこ店」があると常々聞いていました。図書館から和田たばこ店までは約1kmとのことなので、ひょっとすると「アタミセンター」や「三協音機」(関連記事:「三協音機」って知ってる?(1))についても何かご存じかもしれないとの期待もあり、訪ねてみることにしました。

和田たばこ店については事前にいくらか調査してありました。店主の和田員昌さんは1960年代からゲーム業界に携わるようになり、最盛期には熱海のホテルや旅館に800台ほどのゲーム機をリースしていたそうです。しかし熱海の景気が悪くなって閉業する施設が増えたため撤収し、現在はご自分のたばこ店を兼ねる駄菓子屋と、その隣に建てた小さなゲームセンター「ちょっくらよってたらー」に多少の機械を置いているだけとのことですが、今でも倉庫に400台ほどを稼働が可能な状態で保存しており、それらはコレクターにも売るつもりはないとのことでした。

和田たばこ店を発見し、「ごめん下さい」とあいさつして中に入ると、店内にいた壮年の男性二人に「いらっしゃいませ」と迎えられました。店主の和田員昌さんはご存命なら今年86歳になられるはずなので、ひょっとするとこのお二人はご子息で、お店を継がれたのかと推測しました。

和田たばこ店。テント看板には「熱海の駄菓子屋 店内レトロゲーム・駄菓子がいっぱい」と謳われている。向かって左隣りに建つ黒いたてものが「ちょっくらよってたらー」。所在地は静岡県熱海市昭和町4-27。

狭い店内を見渡すと、いわゆる「駄菓子屋ゲーム」と呼ばれるゲーム機が7、8台くらいあったと思いますが、店頭に「撮影はご遠慮下さい」との張り紙されていることもあり、無理に撮影をお願いするほどでもないと判断し、代わりにお話を聞こうと、お二人に「熱海のゲーム業界について調べているのですが」と話しかけてみました。しかし反応は極めて鈍く、一つ二つ質問もしてみましたが全くわからないとのことで、また話を広げようとする姿勢も感じられません。どうやら和田員昌さんのレガシーはこのお二人には伝承されていないようです。諦めて、今夜ホテルで食べるつもりでいくらかの駄菓子を買い、落胆のうちに和田たばこ店を後にしました。「ちょっくらよってたらー」は施錠されていて入れませんでした。

後にこのことをオールドゲーム界隈のコミュニティでは有名なある方にお話しすると、「それは残念だった、あそこのおやじさんは一つ聞けば喜んで十を話してくれる人だったのに」と慰められました。

【本日のお昼ごはん】

和田たばこ店から銀座町に戻る道すがら発見したインドレストラン「The Taji」で昼食。スペシャルランチセット(バターチキン)。ふつうにおいしい。

銀座町に戻り、「加奈」の建物をあちこちの角度から撮影した後、熱海に唯一残る射的場の「ゆしま遊技場」に立ち寄ってみました。何度も言いますが、温泉場と言えば射的(とストリップ)ですので、文化遺産として貴重な店だとは思いますが、スマートボールコーナーの機械は最近製造された後発品なので、懐古趣味を期待すると裏切られます。ところでこの「スマートボールのジェネリック版」は、風俗第4号営業の認可を受けているのだろうか。

①熱海に唯一残る射的場「ゆしま遊技場」の看板。 ②ゆしま遊技場の入り口。間口は狭い。 ③入って右手の射的コーナー。撃ち落とした品物に得点が付いており、得た総得点で景品と交換するらしい。 ④入って左手のスマートボールコーナー。スマートボールと名乗ってはいるが、ゲーム内容はビンゴのようなラッキーボール系。

ホテルのチェックインにはまだ少し時間があるので、いくらかなりとも聞き込みができればと期待して、「加奈」のすぐ近くにある老舗喫茶店「ボンネット」に入ると、まだ午後2時前だというのに、あと一時間ほどで閉店となるが良いかと聞かれました。繁盛されているようで店内はほぼ満席でしたが、運よく一つテーブルが空いたところだったので、構わないと言って席に着き、つい30分前に昼食を摂ったばかりですがこの店のシグネチャーメニューと思しき「ハンバーガーセット」を注文しました。

①今年営業75年を迎えた老舗喫茶店「ボンネット」の店内の入り口側。 ②同じくボンネット店内の奥側。 ③~④ボンネットのシグネチャーメニューであるハンバーガーセット。

ボンネットは、どうやら家族で運営されているようです。まず、ご息女と思しき女性がコーヒーを運んできたので、話の切っ掛けとして「この近くにあった加奈と言う喫茶店は、その前は何屋さんだったかご存じですか」と聞いてみました。すると女性は、厨房にいる、おそらくは母君と思しき年配の女性にバトンタッチされ、「あそこは前はキャバレーでしたよ」とのお返事がいただけました。

キャバレー? あり得ることだとは思いますが、射的だか空気銃の店とも聞いている関連記事:幻の「アタミセンター」を求めて(2):旧浜町で発見した看板建築)ので、「空気銃のお店だったことはありますか?」と聞いてみたところ、「ああ、射的屋さんだったこともありました」とおっしゃいました。ふむう。空気銃(射撃)ではなく射的か。「ずいぶん大きい射的屋さんですね」と少し突っ込んでみましたが、「そうね、大きい射的屋さんでしたよ」とのお答えで、少なくともこの方の認識としては射的屋でした。

次に、「加奈」が「銀馬車」の後釜だとしたら「加奈」はアタミセンターの2階で営業していたのかもしれないとの思いから、「加奈は2階にあったのですか」と聞くと、「いいえ、加奈は最初から1階ですよ。加奈が閉まってからは今までずっと空き家のままです」とのことでした。と言うことは、「銀馬車」は1階で、2階が「アタミセンター」だった? そして「アタミセンター」がキャバレーで、「銀馬車」が射的屋だった?

謎が謎を呼びますが、他にも客がおり、また閉店時刻が迫っていることもあって、あまり長く捕まえていることも憚られるので、お礼を言って話を切り上げました。小ぶりのハンバーガーは、米国でもたまに見かける、別に添えられているオニオンスライスとレタスを自分で挟むスタイルですが、味は懐かしい昭和のお惣菜ハンバーグの味でした。

帰りのレジで精算していると、店主と思しきご高齢の男性が「ウチは今年で75年になります。私は95」と言って自分を指さしました。店に立って元気に働いていらっしゃる姿はとても95歳とは思えず、驚きでした。明日もまた来ようと思いますと言うと、「ぜひどうぞ、ウチは日曜はお休みですけど、明日はやってますので」とのことでした。気さくなお店で好印象でしたが、営業時間がかなり短いようなのでタイミングを見計らう必要があります。

◆初日午後の収穫:
・アタミセンターはキャバレーだった時期がある。
・アタミセンターは射的屋だった時期がある。
・加奈は開店当初から1Fだった。

(つづく)


新・幻の「アタミセンター」を求めて(2):初日の記録その1

2024年04月07日 19時06分33秒 | 歴史

3月15日金曜日、横浜駅9時24分発の踊り子3号に乗車。特急料金(1020円)は貯まっているJREポイントで支払うが、期間限定キャンペーン中とのことで、通常720ポイントのところ500ポイントで済んだ。熱海到着は10時20分。成田空港に行くより早い。

熱海は、バブル崩壊以降観光客が年々減少しているとか、2000年代半ばには財政危機宣言が出されたなど景気の悪い話ばかりが耳に入っていたので、寂れた斜陽の観光地をイメージしていたけれど、到着してみれば平日の午前だというのに駅前のアーケード商店街はかなりの賑わいが見られました。興味深い店が次々と目に入りつい立ち止まって覗きたくなりますが、明日の帰り道でまたここを通ると自分に言い聞かせ、後ろ髪を引かれる思いでほぼ素通りして熱海市立図書館に向かいます。

スマホの地図を頼りに駅から歩くことおよそ15分、熱海市立図書館に到着。カウンターで1950年代から70年代の熱海の地図を探していると尋ねると、閉架から1961年、67年、73年、74年、79年の住宅地図を出して来てくれました。抜けている年が多いのは、欠けなのか、そもそも出版されていないのかは不明です

まず、最も古い1961年発行の「熱海市明細図」(新日本明細地図社、1961)を見ると、当然ながら町名の索引に「浜町」があります。期待を込めて当該ページを開くと、ありました

「熱海市明細図」(新日本明細地図社、1961)より、アタミセンターとその周辺部分。アタミセンターの番地は「421」となっている。

後に「加奈」が開業する場所には「アタミセンター」と記されています。併記されている「銀馬社」は、ひょっとしてフライヤーの写真の外壁に見られる「高級喫茶 階上」の事でしょうか。これにより「アタミセンター」は遅くとも1961年には既に存在していたことは確認できました。

フライヤーのアタミセンター画像の部分拡大図。赤線建築の特徴である面取りされた角の壁面に「高級喫茶」と「階上」の文字が辛うじて読み取れる。これが「銀馬社」なのだろうか。

ただ、フライヤーでは「浜町四一六」となっている番地が、地図では「421」となっている点が気になります。道を挟んだ下に見える「ヤブソバ」が「417」なので、「四一六」はこの「ヤブソバ」が建つブロックのどこかのはずです。これはつまり、「スーパーホームランゲーム」のフライヤーが作られた時期は、この地図が発行された1961年ではなかったということでしょうか。「浜町」が記載されている地図はこの1961年版しかないため、残念ながらこれ以上はわかりません。

次に古い地図は、「浜町」消滅後の1967年に発行された「ゼンリンの住宅地図 熱海」(善隣出版)で、ここでは、「銀馬|アタミセンター」と記載されています。1961年の地図と比較すると、他にも表記名や土地の区割りが異なる部分があちこちにあり、精度はさほど問題とされていなかったようです。

1967年発行の「ゼンリンの住宅地図 熱海」(善隣出版)より、アタミセンターとその周辺部分。この時点で「浜町」は「銀座町」に統合されており、「アタミセンター」は銀座町2丁目7番となっている。

この地図が出版された1967年は「クレイジー15」リリースされた翌々年ですが、当時の日本のAM機メーカーはまだ比較的単純な構造の機械しか作れていなかったので、「スーパーホームランゲーム」が1948年製の米国製ピンボール機のコピーであっても、まだ「国産」と言う意味では先進性は残っていたとは思います。

しかし、この時期はもうセガなどが米国製の最新フリッパーゲーム機を輸入販売しており、そしてそれらは観光ホテルやボウリング場などのゲームコーナーに導入されていたはずで、今さら得点表示を電光で行う旧式の「スーパーホームランゲーム」が出る幕はそろそろなくなっていたのではないかと思われます。

三番目に古い「ゼンリンの住宅地図 ’71 熱海」(善隣出版、1970)」でも、4年前の1967年版と同じく「銀馬車|アタミセンター」と記載されています。

「ゼンリンの住宅地図 ’71 熱海」(善隣出版、1971)より、アタミセンターとその周辺部分。「銀馬車|アタミセンター」の記載は67年版と同じ。

ここまで時代が進めば、「アタミセンター」はもう「スーパーホームランゲームの直営宣傳場」ではなくなっていたと考えるのが自然ですが、では何をやっていたのかというと、これがまた全くわかりません。

「アタミセンター」の記載が変わるのは、「ゼンリンの住宅地図 ’73 熱海市」(善隣出版、1973)です。この版から「銀馬車」の名が消え、代わりに「喫茶 加奈」が記載されます。

「ゼンリンの住宅地図 ’73 熱海市」(善隣出版、1973)より、アタミセンターとその周辺部分。「銀馬車」が「喫茶 加奈」に代わっている。

ということは、「加奈」は「銀馬車」の後釜で、「銀馬車」は「射的場(もしくは空気銃の遊技場)」関連記事:幻の「アタミセンター」を求めて(2):旧浜町で発見した看板建築)だったということでしょうか。仮にそうだとして、では「アタミセンター」とは何だったのでしょうか。 

ゼンリンの住宅地図 ’74 熱海市」(善隣出版、1974)、そして「ゼンリンの住宅地図 ’79 熱海市」(善隣出版、1979)も、1973年版同様、「アタミセンター」と「加奈」が併記されていました。

上が「ゼンリンの住宅地図 ’74 熱海」(善隣出版、1971)、下が「ゼンリンの住宅地図 ’79 熱海」(善隣出版、1979)の、アタミセンターとその周辺部分。周辺に若干の変化があるが、「アタミセンター」と「加奈」に変化はない。

今回参照した地図での記述を整理します。
 1961 浜町421番地に「アタミセンター 銀馬社」
 1967 「銀馬車|アタミセンター」
 1971 「銀馬車|アタミセンター」(67年版と同じ)
 1973 「喫茶 加奈|アタミセンター」
 1974 「喫茶 加奈|アタミセンター」(73年版と同じ)
 1979 「喫茶 加奈|アタミセンター」(73年版と同じ)

今までワタシは、「アタミセンター」はスーパーホームランゲームの直営宣傳場の名称だとばかり思いこんでいましたが、それはアタミセンターの限られた一時期に過ぎないものであることがわかったのは小さな収穫でした。

(つづく)

★ここに掲載している地図の画像は、図書館に「調査研究用」として申請した上で複製したものです。