オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

86年JAMMAショウ・TAITO編

2021年07月25日 21時58分05秒 | メーカー・関連企業

前回の記事、「sigmaのフリーペーパー「ビンゴゲーム入門」(1985)」で、記事に使用したフリーペーパーの画像が小さく見えづらかったので大きな画像のPDFファイルをお分けすると申し上げたところ、予想を上回る反応がありました。ご応募くださった皆さん、ありがとうございました。AMゲームのミームを残すことも拙ブログの目的ですので、ご応募くださった方々も、機会がございましたら拡散していただければ一層ありがたく存じます。そのうちまた同じようなことをやらかしていきたいと思っておりますので、その時もまたよろしくお願いいたします。

さて、この連休中、押入れをひっくり返していたら、86年に行われたJAMMAショウでもらってきたフライヤーの束が出てきました。今回はその中からタイトーのフライヤーをご紹介しておこうと思います。

一つ目は、今や伝説的なレゲエとなっている「DARIUS」です。3台の19インチモニターを、ハーフミラーを使って継ぎ目のない3画面にして見せた筐体は、大メーカーであるタイトーの面目躍如たる画期的な工夫でした。

DARIUSのフライヤーはA3判を二つ折りにした4ページ構成。上から表紙側、中側、中側左、中側右。

初めてこの筐体を見たときは圧倒されましたが、やってみると案外難しく、あまり先に進むことができませんでした。しかし、敵キャラのモチーフがワタシが好む海の生物だったので、それを見たさに上手な人のプレイを後ろから眺めたりしていたものでした。

次は、これも今ではレゲエファンにとってはビッグネームとなっているビデオゲーム「奇々怪界」です。

奇々怪界のフライヤーの表と裏。

1986年当時、まだ「萌え」という言葉は発明されていませんでしたが、同様の観念自体は既に存在していたと思います。奇々怪界の主人公キャラ「小夜ちゃん」にも、今の言葉で言う「萌え」ている人々は多くいました。

奇々怪界はフリーペーパーも作られ、ショウではこれも頒布されていました。

奇々怪界のフリーペーパーの表紙側と中側。

メダルゲームでは、「ドリーミー・フォールズ」というプッシャーを出展していました。

ドリーミー・フォールズのフライヤー。6人用プッシャー。

ドリーミー・フォールズは、ピンパネル上を左右にスイングするポケットにメダルが乗ると2枚から20枚のボーナスメダルがプレイフィールドに払い出されました。当時としては良く考えられた仕掛けだったと思いますし、比較的多くのロケで見かけはしましたが、革命的と言えるほどでもなかったように思います。

タイトーは、自社が発行するフリーペーパーに「TILT」と名付けるなど、ピンボール機に対していくらかのこだわりがあるかのように見えることがあります。このショウでは、Premier(旧Gottlieb)の「Genesis」と、Williamsの「Road King」を出展していました。

「Genesis」と「Road King」のフライヤー。この頃はまだピンボール機がショウに出展されていた。

また、タイトーはこの年、「ちびっこシリーズ」と称して、子供向けエレメカ機「げんきがでるかっぱ」、「ぱくぱくどり」、「おこさまげきじょう」、「ぐるぐるストップ」という4種の子供向けAM機を出展しています。

ちびっこシリーズのフライヤーは4A判を二つ折りにした4ページ。この画像は商品画像が掲載されている中の2ページ。

実はこの年、タイトーは「インスピレーション・ベースボール」という大型メダル機を出展していました。タイトー始まって以来の大型システムで、ショウ会場でも最も広いスペースを使ってお披露目していましたが、ロケテストまでは行われたものの、その後量産化されることはありませんでした。


sigmaのフリーペーパー「ビンゴゲーム入門」(1985)

2021年07月18日 20時11分51秒 | スロットマシン/メダルゲーム

かつて、ゲーセンのオペレーターは、宣伝活動の一環としてフリーペーパーを作成して頒布するということを良く行っていました。特にナムコの「NG」タイトーの「TILT」は、今ではレゲエファンにとってのお宝になっています。

メダルゲームの盟主であるsigmaも、70年代の中ごろから後半にかけて「GF」というフリーペーパー(関連記事:ポパイ@1979年(5・最終回):その4・スロットマシン)を季刊で発行していました。しかし、こちらの知名度は低いようで、Googleで画像検索をしてもかすりもしません。残念なことです。

そのsigmaは、「GF」以外にもしばしばフリーペーパーを作成しては自社ロケで頒布していました。特に、ピンボール・ビンゴ関連記事:【小ネタ】ビンゴ・ピンボールの謎ふたつ)のフリーペーパーには、豪華なものも含んでいくつもあります。今回はそのうちの一つである「ビンゴゲーム入門」をネット上に残しておこうと思います。

「ビンゴゲーム入門」は、B6版のポケットサイズでオールカラー12ページで、裏表紙には1985年とのクレジットが入っています。

「ビンゴゲーム入門」の表紙と裏表紙。

表紙を開くと、中は全ページ見開きでビンゴの遊び方を説明しています。しかし、過去記事「ポパイ@1979年(4):その3・ビンゴ・ピンボール」でも触れたとおり、ピンボール・ビンゴの遊び方を文書で説明することは難しいです。

ビンゴ・ピンボールには専門用語が多く、まずはそれぞれの意味を理解する必要があります。もちろんこの冊子でも当然その説明はしているのですが、狭い紙面に効率的かつ見栄え良く情報を詰め込もうとあれこれレイアウトを工夫した結果、情報がまるでおもちゃ箱をひっくり返したようにページのそちこちに散らばって、どこから読んで行けばよいのか見当がつきません。こんなものを何も知らない人が見ても、面倒で読みたくなくなることでしょう。

sigmaは、従業員にビンゴの遊び方を叩きこみ、「インストラクター」と名乗らせて客に遊び方の指導ができるように鍛えていました。確かに、実機を目の前に口伝で教えられれば冊子を読むよりもずっと理解はしやすいのですが、気軽に質問しようとする人ばかりではありません。そこでフリーペーパーで啓蒙しようと考えること自体は自然ですが、なにしろモノをわかっている人が作っているので、最低限必要な情報は網羅していても、「知らない人でもわかり易い情報の文書での伝え方」を確立することはできなかったようです。

とまあ、御託はこのくらいにして、見開きで5面に及ぶ肝心の中身をご紹介します。

「ビンゴゲーム入門」の中身。見開きで5面にわたる。

見開き前提の構成となっているため、1ページずつのご紹介では内容がわかりにくくなってしまうので、敢えてこのような方法でご紹介していますが、システムの推奨サイズ(縦横最大640ピクセル)だと小さくて見えにくくなってしまいました。そこで今回は、以下のルールに同意していただけることを条件として、この「ビンゴゲーム入門」をスキャンしたPDFファイル(9.42MB)を希望される方にお分けしようと思います。

【ルール】
①受付期間:2021年7月24日(土)まで。
②申し込み方法:eメールでのみ受け付けます(そのメールに返信する形でPDFファイルを添付して返信します)。
  ・宛先: nazox2016@yahoo.co.jp (@は半角に書き換えてください)
  ・タイトルに「ビンゴゲーム入門PDF希望」と記入する。
  ・本文には、拙ブログへのご意見、ご要望、ご感想など(必須ではありません)。
③申し込みはお一人さま1通でお願いいたします。複数必要な場合は複製してください。
④返信は順次行いますが、場合によっては1週間ほどお待ちいただく可能性があります。
⑤ルールに従っていただけない場合はお分けできないことがあります。ご了承ください。

みなさまのご応募をお待ちしています。


「Boozometer」(Sega, 1960年代?) 元祖電流イライラ棒?

2021年07月11日 13時33分29秒 | ピンボール・メカ

1971年か、その前後1年のいずれかのことだったと思います。両親に連れられて長野県にスキーに行ったとき、宿の近くの食堂に、いくらかのゲーム機が設置されていました。そこには、10円玉で稼働し10円玉を払い出すセガのスロットマシンや、おそらくこれも現金のペイアウトがあったと思われる「ウィンターブック」の他に、今回取り上げる「Boozometer」という機械がありました(関連記事:セガのスロットマシンに関する思いつき話)。

Boozometerのフライヤー。

この機械がいつ頃作られたものなのかはよくわかりません。ワタシが持つ1966年のセガの価格表(関連記事:セガ・エンタープライゼス@1966)にも、1972年の価格表にも、その名前はありません。ネット上を調べると、「1960年代」としているところや、「左上の人種差別的な描画(注:「人食い人種」が白人を火にかけている絵)から、遅くとも1970年以降と言うことはあるまい」と述べているウェブサイトなどがみつかり、これらに加えてワタシの記憶から、やはり60年代の機械と判断しておくのが、現段階では妥当かと思われます。

このゲームは、先端が輪状の電極となっているハンドルを、上下に波打つレールに触れないように、右端から左端までなるべく遠くまで運ぶことを目的としています。原理は単純で、ハンドルがレールに触れると通電してゲームオーバーとなる、というものです。筐体には「SOBRIETY TEST(飲酒テスト)」という文言とともに、スパークリングカクテルと思しきグラスの絵が描かれています。おそらく、バーなどで酔客が自分の酔っぱらい加減を診断する遊びに使う事を示唆しているのでしょう。

ゲームのスタート地点となる部分は厚いビニールの筒で包まれており、レールとハンドルを絶縁しています。ゲームを始める際には、まず最初にハンドルをこのスタート地点に戻しておく必要があります。 ワタシはそのことに気づかず、ハンドルがスタート地点に戻っていない状態で10円硬貨を入れてしまい、硬貨を投入した途端に「チン!」とベルが鳴り即ゲームオーバーとなって貴重な小遣いを失ったという、苦く、忘れられない思い出があります。

スタート地点のアップ(上)とインストラクション(下)。「コインを投入する前に、ビニールの筒で包まれている部分(緑矢印)にハンドルを戻しておくこと」との注意書きがある。ワタシはこれに気づかず(と言っても当時は英語を解していなかったので読んでもわからなかった)に遊ぼうとしたが、ハンドルはレール上の赤矢印の部分にあり、貴重な小遣いを何もせぬうちに失ってしまった。

今フライヤーを読むと、「最後まで到達するとリターンコインボタンを押すことで投入したコインが戻ってくる」と書いてあります。ワタシは最後まで行ったことがないのでそんなフィーチャーがあるとは知らなかったのですが、それはいいとして、最後まで到達したことをどうやって判断しているのかが謎です。フライヤーの筐体を見ても、特にフィニッシュを判断するような仕掛けがあるようにも見えません。

フライヤーに書かれている製品の説明(左)と、レールの最後の部分(右)。どうやって最終段階の「SUPER・MAN」に達したことを検出していたのだろう。

 1990年代のTV番組で「爆裂電流イライラ棒」というゲームが流行りました。SNKはこれを1996年に「ウルトラ電流イライラ棒」と言うタイトルでアーケードゲーム化し、さらに翌年にはビデオゲーム版も開発されました。ワタシは残念ながらそのフライヤーを持っていませんが、調べているうちに筐体の画像と詳しい説明が記述されたウェブサイトを発見したので、どんなものかを知りたい方はこちらをご参照ください。 ウィキペディアによれば、「爆裂電流イライラ棒」の考案者は番組ディレクターの三木康一郎さんとされています。この方は1970年の生まれだそうですが、果たして「Boozometer」の存在をご存じだったのかどうか、お伺いできるならしてみたいものだと思います。


初期の国産フリッパー・ピンボール機:サッポロ(セガ、1971)

2021年07月04日 20時34分14秒 | ピンボール・メカ

新宿駅南口の広場で、最新式のピンボール機を多数展示して自由に遊ばせるというイベントが行われているところをたまたま通りかかり、近くにあった1台を見ると、筐体の右半分はビデオモニターでエレメカ時代のフィーチャーを再現し、左半分がメカのプレイフィールドとしているかつてない形式の最新機種で、ワタシが見たのはセガの「サッポロ」のリメイクでした。

・・・と言う夢を見たのが先週の水曜日でした。現実に戻って思い返すと、夢の中の「サッポロのリメイク」は実在する「サッポロ」とは似ても似つかず、そもそもピンボールにすらなってない機械のはずなのですが、夢の中ではそれは確かに「サッポロのリメイク」だったのです。とまあそんなことがあって、今度のブログのテーマはセガの「サッポロ」にしようと決めました。

A3判を二つ折りにして4ページにしてあるサッポロのフライヤーの表紙側(上)と、中側(下)。

重要部分の拡大図。

セガは、1971年から1973年までの3年間に9機種のEMピンボール機を売り出しており、「サッポロ(SAPPORO)」は、そのうちの最初期である1971年に発売された3機種のうちの一つです。フライヤーの表紙に「冬季オリンピック記念フリッパー!!」とある通り、翌1972年に札幌で開催される、日本での二度目のオリンピック(冬季)にぶつけた企画だったことは明らかです。

「サッポロ」のプレイフィールドには、二つのウィンタースポーツをテーマとしたフィーチャーがあります。一つは「スラローム(アルペン競技の回転)」で、フィールド左上の穴に入ったボールはリフターで持ち上げられて左側のスラロームレーンを滑降します。

スラロームレーン。

もう一つは「スキージャンプ」です。レーンを遡ったボールが「SKI JUMP」と書かれたロールオーバーボタンを押すと、レーンに仕込まれた「ジャンプ台」を左のフリッパーボタンで操作できるようになります。レーンを下ってくるボールのタイミングを見計らってジャンプ台を跳ね上げると、ボールの飛距離が伸びてより高得点のロールオーバーボタンを踏めるようになります。

スキージャンプレーン。


ワタシは過去記事「「パンチング・バッグ」(sega, 1962)のフライヤーから思ったこと」で、「セガは昔から「何か一つヘンなことをしないと気が済まない」という性状があり」と述べていますが、このスキージャンプもその例の一つと言えましょう。「何か一つヘンなこと」は、その後のセガのピンボール機のほとんどに見られます。

また、この「サッポロ」には、2ボールのマルチボールフィーチャーがありました。マルチボールを初めて採り入れた機種がなんであるのかはまだ調べていませんが、71年の時点では珍しいフィーチャーでした。マルチボールとなっている時にスラロームレーンにボールを通すと、エクストラボールのチャンスとなりました。

ところで、フリッパー・ピンボールには「ナンバーマッチ」というフィーチャーがあります。これは、ゲーム終了後にバックグラスに表示される一桁(または二桁)の数字が、得点の下一桁(または二桁)と一致すると1回フリープレーとなるもので、下手なプレイヤーにとってはありがたい最後の望みした。しかし、EM機時代のセガのピンボールにはこれが装備されていませんでした(76年以降、SS機になってから装備されたが、それも「ヘンなこと」と言える変則的なルールだった)。そのため、ワタシにはセガのピンボールはソンだという印象があり、あまり多くは遊んでいません。でも、「サッポロ」は、当時珍しかったマルチボールと言うフィーチャーがあったのと、楽しみにしているオリンピックテーマと言うこともあって、比較的良く遊んだ機種でした。

思えばこの頃の日本はまだ夢と希望に溢れており、オリンピックも純粋に楽しめたものでした。ワタシはスポーツ観戦オタク(関連記事:RIO五輪に因んだ(こじつけた)スロットマシンの話)であるので、今回の東京五輪が決まった時も楽しみだったのですが、エンブレムの盗作騒ぎから始まり、スタジアムのデザイン変更やどんどん増える開催費用といった騒ぎを見るにつけだんだんとこの五輪の意義に疑念が生じ、このたびのコロナ禍でも強引に開催させようとする政治家たちの言動に呆れ切っており、今回の五輪は観なくてもいいやと思うようになってきてしまいました。東京五輪、ホントにやるんですかね。