オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

リズムボーイズ ―― スロットマシンの必勝法の話

2016年12月29日 12時12分44秒 | 歴史
リズムボーイズ(Rhythm Boys)」とは、アメリカでスロットマシンを攻略したプレイヤーたちの事です。彼らのために、年間7億ドルあったカジノのスロットマシンの収益は、2億ドルまでに落ち込みました。

ワタシが「リズムボーイズ」という言葉を知ったのは、1975年のことでした。近所の書店で買った「カジノプレイ入門(田中潤二 大泉書店 1975)」というハウツー本に、リズムボーイズがスロットマシンをやっつけるエピソードが、10ページほどに渡って記述されていました。

ワタシは、この話の裏を取ろうと、機会があるたびにそれらしい資料を探して当たってみるということを長い事続けていましたが、「リズムボーイズ」という言葉を「カジノプレイ入門」以外に見出したためしはなく、幻のような存在としてずっと心に引っかかり続けていました。

ところで、ワタシがラスベガスに毎年行くようになって16、7年ほどになりますが、最初の数年は、行くたびに「ギャンブラーズ・ジェネラルストア」という店に行き、スロットマシンやギャンブル関連の書籍を買っていました。

そんな本の中の一つに、「Scane's New Complete Guide To GAMBLING(スカーニーの新版ギャンブル完全ガイド)」があります。870ページ以上に及ぶ分厚い本で、様々なギャンブルゲームの解説や歴史が綴られています。ワタシは英語には全く堪能ではなく、一生をかけても全編を読み下す自信などありませんでしたが、何しろ日本語で記述されたこの手の本は殆どないので、いつか苦労しながら読むこともあろうと買ったまま、いわゆる「積ん読(つんどく)」状態にしていました。


Scane's New Complete Guide To GAMBLING。相当古い本だが、今でもネット通販で入手することは比較的たやすい。

あるとき、ふと思い立ってこの本を手に取り、スロットマシンのページをつらつら眺めていたら、そこに「THE RHYTHM SYSTEM」という見出しを見つけました。

「リズムシステム?」

これはひょっとして「リズムボーイズ」と関係する話なのかも? 英語は依然として苦手(特に聞き取り)だが、読むだけなら昔に比べればいくらかマシにはなっているし、今はオンライン辞書のおかげで言葉を調べる手間が格段に楽になっているので、一念発起してこの部分だけでも読んでみようと決意しました。

****以下、Scane's New Complete Guide To GAMBLING P.450~P.456の抜粋と要約****

数年前、スロットの不正は、キャビネットの木製部分に小さな穴を開け、カギ型に曲げたワイヤーを差し込んでペイアウトスライド(注・払い出し機構の部品の名称)に引っかけて引っ張ることによって、ペイライン上の絵柄の組み合わせに関わらずコインを払い出していた。これに対してスロットマシンメーカーは、木製部分の内側に、ドリルを受け付けない金属製の板を張り付けて対策した。

別の手口では、スプーン状の器具が使われた。スプーン使いは、コイン返却口にティースプーンを突っ込んで、小さなトラップドア(注・意味不明。スロットマシンの内部機構の一部と思われる)を開いた状態でコインを投入してレバーを引いた。これでスライド(注・ペイアウトスライドの事と思われる)は、絵柄の組み合わせに関わらずコインを払い出した。もう一つの方法として、自在に曲がる長い竿をコイン払い出し口からペイアウトシュート(注・機械内部の、払い出されたコインの通り道)に差し込んだ。これでコインを払い出すスライドを前後に操作することで、絵柄に関わらずコインを払い出させた。スロットマシンメーカーは、ペイアウトシュートの2カ所に鋭角な角度を設けて、シュートに何かを差し込むことを不可能にすることで対策できた。

◆リズムシステム
スロットマシンメーカーは、これでスロットマシンへの不正を封じ込めたと考えた。しかしその数年後のある日、怪しげなよそ者が、ラスベガスのゴールデンナゲットにふらりとやってきた。彼が5セントマシンをプレイし始めて10分ほどすると、マシンのコインチューブ(注・払い出し用のコインを収納する筒)とジャックポットチェンバー(注・大当たりの時に払い出すコインが入った区画)は空っぽになった。更に1時間の間に、彼は1ダース以上のマシンでジャックポットを当てた。彼は最終的に500ドルを懐にゴールデンナゲットを出て行った。ゴールデンナゲットのオーナーは、彼がマシンにそれとはわからない何かを仕掛けたと疑ったが、それが何であるかを特定することはできなかった。彼はキャビネットに穴を開けたりスプーン状の器具を使ったりなどはしていなかった。

その夜、よそ者は「フラミンゴ」で、更にその後「エル・ランチョ」でも同様の成功を収めた。翌週には、彼はラスベガス中でおよそ300台のマシンでジャックポットを当てた。

彼のことは多くのギャンブル業界人の間で語られた。「奴は何者だ?」「単なるラッキーでこんなに当たるのか?」「1週間に300回もジャックポットを当てる奴などあり得ない。何かやらかしていることは間違いない」「ひょっとすると彼は科学者で、最高機密の遠隔操作技術みたいなものを使っているのではないか」

彼の奇跡的な幸運はその後も続き、翌週に彼が立ち去るときには3万ドルを勝っていた。

彼がラスベガスに姿を見せなくなってから1か月後、今度はリノのオペレーターが、係員が補充するスピードが間に合わないほど次々とチューブとジャックポットを空にしていく男に注意をはらい始めた。一週間後、彼は再び姿を消した。すると、機械の払い出し状況がいつもの状態に再び戻ったので、スロットマシンのオーナーは、機械に何らか欠陥があるのではないかと思い始めた。

それから数か月が過ぎた。スロットマシンメーカーは、全国の様々な地域の顧客から相次いで寄せられる「よそ者が理論値をはるかに超える勝ちをおさめている」という苦情に苦慮していた。

1948年の初め、リノとラスベガスのカジノオペレーターは、スロットマシンの日々の収支が再び落ちていることに気付いたが、その時点では数年前のあのラッキーなよそ者を思い出すことはなかった。いくつかのオペレーターはスロットマシンをメーカーに送り返し、予想の利益が得られないマシンはもう使い物にならないから交換してくれと迫った。メーカーは新品と交換したが、それでも事態は改善されず、ネバダの全てのスロットマシンの売り上げは急降下した。

1人のカジノマネージャーが話した。「何日か前、以前に15台のスロットマシンのチューブとジャックポットを空にした男がやってきました。私は彼が何か不正をしているに違いないと見て監視しました。彼は5分もプレイしないうちに、ジャックポットを当てました。係員がジャックポットに30ドル分の25セント硬貨を補充し、私は近くによって監視を続け、彼が投入するコインを数えていたら、40枚めに、さっき聞いたジャックポットを払い出す音をまたもや聞きました。さすがにこれ以上はもうないだろうと見ていると、今度は3つのBARシンボルがペイラインに揃ったのです」

私(注・この本の著者であるスカーニー氏のこと)は訊ねた。「その時あなたはどうしましたか?」

「私に何ができるって言うんですか? 私は支払いましたよ。彼はこの後の30分の間にさらに5回のジャックポットを当て、私は彼が何かしらをやっていることを確信しました。しかし、私が指摘できる、普通と違うただ一つの点は、彼がハンドルを引くペースが普通のスロットプレイヤーとは違ったということだけです。彼は、一度ハンドルを引いたら直ちに次のコインを投入したり、別の時にはコインを投入したら少しの間ハンドルを引くのを待ったりしていました。プレイしている間、様々なペースがあり、ある時は他の時より長く待つこともありました。でも、それが何を意味するのかはわかりません。いずれにせよ、スロットプレイヤーがどんなペースでプレイしようがそれは本人の勝手で、私に何かできるようなことはありません」

少し後のこと、私が家に帰ると、私は友人であるネバダ州の副知事のクリフォード・ジョーンズから、自らを「リズム・ボーイズ」と名乗るプレイヤー集団が、スロットマシンを攻略する「リズム・システム(rhythm system)」という方法の全てを500ドルで教える学校をラスベガスに開いたと聞いた。その学校は何人もの優秀な生徒を輩出し、1949年には数千のリズムプレイヤー ―その多くは女性― が、ネバダ全域や全米のそのほかの様々な地域でスロットマシンを攻略した。そのうちの数百人はスロットルームから締め出された。

私は、1948年には国中で7億ドルあったスロットマシンの収益が、どん底の1949年には2億ドルまで急落していることを知った。リズムプレイヤーは、1949年までの間にスロットマシンから5億ドルを抜いたのだ。

元となった謎のよそ者は何者か? 私は探偵作業を続けた結果、彼がアイダホ州の農夫で、余暇に、スロットマシンのメカニックをしている友人が故障したマシンを修理するのを手伝っていたことを突き止めた。

彼は、ある種のマシンでは、スロットマシンのリールが回転する時間をコントロールするクロック・ファン(注・スロットマシンの部品の一つ)が、リールが停止してから7~8秒間作動せず、3つのリールがハンドルを引いてから全く同じだけ回転することに気づいた。

彼はまた各リールのシンボルの配置を記憶した。実際のプレイでは、ウィンドウから見える9つのシンボルから、見えていない部分の絵柄の並びを知ることができた。そして彼は、自分でタイミングを正確に計って、即座に、そしてクロック・ギアが働かなくなる前にレバーを引き、望むシンボルをペイラインに停止させる操作が可能であることを発見した。

このシステムを学んだリズムプレイヤーの殆どは、第一リールにチェリーを停められるようになるのがせいぜいだったが、それでも払い出しのコインチューブを空にするには十分だった。

1950年、スロットマシンのリズムはいかにして現れるかを暴いた10ページのパンフレットが5ドルで売り出された。以下はその詳細である。

「リズムボーイズ」はタイミングに基づくシステムである。すべてのマシンはそれぞれのリールの回転数を決定するクロックギアを持っており、タイミングは正確でなければならない。言い換えれば、もしあなたがチェリーに狙いを付けた場合、あなたはオレンジ以上の当たり、またはチェリー未満は望んでいないということだ(注・当たりの序列は低い順にチェリー、オレンジ、プラム、ベル、ジャックポットシンボルが一般的)。平均的なクロックは、7~8秒間作動しない。その時間が経過すると、リールのコントロールは効かなくなる。

平均的なスロットマシンのペイアウト率は80~92%の間である。我々のタイミングシステムは、これを110~125%に引き上げる。

このシステムはタイミングに基づくが、ストップウォッチを手にしてマシンの前に立っていれば、明らかにばれる。そこで、我々は心の中でタイミングを計る必要がある。

まずはじめの練習は、かっきり5秒間の間に、1から20までを小声でカウントし、次に11から30をぴったり5秒の間にカウントできるようになることだ。これを完璧にできるようになるまで行う。あなたが時計を使うことなくできるようになったら、次のステップ、マシンのプレイとカウントをどうやってマッチさせるかを学ぶ。

プレイスタイルは、左手にコインを持ち、右手でコインを一枚ずつ取り出し、スロットに投入してから右手をハンドルに置く。この理由は、あなたがうっかり長くカウントしてしまったり、または短くカウントしてしまった時に直ちに準備できるようにするためである。あなたは5~25の様々なカウントをすることになるだろう。

カウントは、正確に3番目のリールがストップすると同時に数え始めること。このシステム全体は精密なカウントに立脚している。ここで「正確に」と言った場合、それは文字通り正確にである。あなたがこれを学び終えたら、この実施に最も重要な部分であるリールの絵柄の配列を覚える時である。

全てのマシンは「保持」カウントを持つ。保持カウントの基準は16である。例えば、もし最後にBARシンボルがウィンドウ内にあり、そしてもしハンドルと共にメカニズムを無効化するまで第3リールが停止すると同時に正確に16をカウントしていたら、最後に出たBARシンボルはペイスロット(注・原文は「pay slot」だが、「pay line」のこと?)に再び停止するか、または上下のいずれか3コマ以上は離れないはずであり、そうであればあなたはリールをコントロールしていると言える。これはペイスロットから不要なシンボルやレモンなどの不要なシンボルを排除できるということである(注・レモンは役にならないハズレシンボル)。

短いカウントはシンボルを上昇させ、長いカウントはシンボルを下降させる。1カウントにつき一つ上下する。

例えば、保持カウントが16で、シンボルをセンターから1つ上昇させたいときは17カウント、2つ上昇させたいときは18カウント、三つ上昇させるときは19カウントと言った要領である。逆に、センターから1つ下降させたいときは15カウント、2つ下降させたいときは14カウント、3つ下降させたいときは13カウントである(注・カウントの長短と上昇/下降の関係が前の説明の逆になっている?)。センターとはペイラインの事である。

保持カウントは、それぞれのマシンで異なる。保持カウントを知るには、保持したいと思う目的のシンボルがウィンドウ内にあるときに、14カウントで回してみる。もし目的のシンボルがセンターから5コマ下に停止したら、14から5を引いて、保持カウントは9であろうと推察できる。

もう一つの例として、目的のシンボルがセンターより6コマ上にあるときは、14に6を足した20が保持カウントとなり、あなたが再びマシンのプレイを始めたら、それがあなたがマシンを御するための正しい保持カウントとなる。もしセンターから遠く離れた場所に飛んでしまったら、そのマシンは普通ではないので、他のマシンに移る。


このパンフレットはあまりにも出来が良すぎた。1951年、スロットメーカーは問題の原因を知り、対応策を取った。彼らはクロックが作動を始める時間をまちまちにする「バリエイター」という新たな装置をマシンに組み込んだ。これにより、たくさんのプレイヤーにとってスロットマシンの歴史上最もエキサイティングだった時代は終焉を迎えた。

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ここに書かれているストーリーと数字は、「カジノプレイ入門」に書かれていた内容と概ね一致しており、おそらくこれを主たるネタ元としているのであろうという確信を得ました。ただ、事実関係の記述に一部異なるところもある(ゴールデンナゲットで稼いだ同じ夜、「フラミンゴとエル・ランチョに行った」としている部分は、カジノプレイ入門では「フラミンゴとデザート・インに行った」となっているなど)ので、別の資料も存在する可能性も無きにしも非ずです。また、文脈にも若干異なっている部分がありましたが、それはおそらく、全体の文章の構成上敢えてそうしていると見ることもできます。

ワタシが今回自分で訳してみて思うのは、単に英語を日本語に置き換えるだけでは日本人に伝わる日本語にはならないという事でした。著者の田中潤二さんと言う方は本来は翻訳家とのことですが、こんなことを職業的にできる人はすごいなあと思います。

ところで、「リズムボーイズ」のエピソードは、1940年代終わりころから1950年代初頭にかけての出来事です。バーリー社がエレクトロニクスを導入しホッパーを積んでスロットマシンに革命を起こしたのが1964年ですから、それから10数年くらい前、まだ電気を使わないメカ機構だけで作動していたスロットマシンしかなかった時代のことです。なので、ステッパーモーターで動作する、あるいはビデオスロットなどの現代のスロットマシンに、リズムシステムは残念ながら通用しないことを、念の為申し添えておきます。

新・ラスベガス半生中継 2016年9月 番外 ハンバーガーについて。

2016年12月28日 18時21分34秒 | 海外カジノ
今回のラスベガス旅行は、8泊10日の日程でした。滞在中に摂った食事は機内食を除いて19回、そのうちハンバーガーが12回でした。

以前のワタシは、アメリカに行ったら「ステーキ&エッグス(S&E)」ばかり食べていました。これは、ワタシがステーキを好むのはもちろんですが、S&Eは大抵のレストランが提供しており、日本に当てはめると定食に相当するポジションのメニューに感じられたので、いろいろ食べ比べてみようと思い立ったからでした。


今まで渡り歩いてきたS&Eのサムネイル(一部)。ちなみに、ワタシが最も最低だと思ったS&Eは、ニュージャージー州アトランティックシティのトランプ・マリーナというカジノのカフェで食べたものだった。当時の最高値の16ドルもしたくせに、薄っぺらい、これを米国人は許すのかと思わずにはいられないものをステーキとして出してきた。トランプ・マリーナは現在は人手に渡り、元オーナーのトランプ氏は次期アメリカ大統領である。うーん・・・

こうしてS&Eを追いかけ始めたのがたぶん15年位前のことです。S&Eの値段は、多くの場合、安ければ3ドル台、高くても16ドルを超えることは無く、多い価格帯は10~12ドル台程度でした。しかし、ラスベガスが高級を指向するようになった2000年代中ごろ以降からは、それまでの上限値を軽く超える店も珍しくなくなり、最多価格帯も以前の最高価格に近くなっているように見受けられ、以前ほどのお買い得感がなくなっています。日本国内に当てはめるなら、それまで1200円だった天ぷら定食が1500円~1800円になったくらいの印象です。

そこで最近のワタシは、S&Eの代わりにハンバーガーを追いかけるようになっています。ワタシはもともとパンに何かを挟んで食べる事を好む上に、ハンバーガーならマクドナルドでさえうまいと思うおめでたい感性なので、アメリカの、うまくてボリュームがあってそのくせ安いハンバーガーを食べない手はないと思うのは必然でした。

ワタシは、アメリカにおけるハンバーガーとは、その価格帯や、国中のいたるところに店が遍在しているところから、日本のラーメンに相当するアメリカの国民食であると思っています。しかし、そんなアメリカのハンバーガー界にも、最近、高級志向の波が押し寄せて来ているように見えます。特にラスベガスのストリップエリアには、有名シェフの名を冠した店に代表される、バーガー1個10ドルより(そしてフライやドリンクは別というケースもある)、などという高級バーガー店が増えています。

値段が高くなってしまう理由が、厳選された高価な材料を使用しているとか、あるいは有名人の名前や洒落たサービスで付加価値を付けた結果であるなら、ワタシはそのようなサービスは、ラーメンやハンバーガーには求めておりません。フツーの店のおっかさんやおやじさんがテキトーな材料でいつも通りに作ってくれたもので十分で、10ドルより高いバーガーは要らないというのがワタシの原則的なスタンスです。とは言うものの、重要なのは払ったお金に見合う満足感が得られるかどうかであり、場合によっては10ドルをいくらか超える程度であれば許容することはあり得ます(ラーメンのトッピング全部乗せが1200円でも注文してしまうみたいなもの)。

今回の旅行で食べた12個のハンバーガーのうち、5個がフルサービスのカフェ、7個がファストフードでした。今後の参考としてランク付けのメモをしておこうと思います。

◆フルサービス(評価の高い順。同数の場合は適当。)










◆ファストフード(同)














新・ラスベガス半生中継 2016年9月(11) いよいよ最終日 その2

2016年12月25日 00時02分05秒 | 海外カジノ
◆いよいよ最後の夜
F田とT本を乗せてメインストリートステーションに着くと、ポーカープレイヤーのT本は、ゴールデンナゲットでポーカーをすると言って去って行きました。ワタシは、帰りの長いフライトを眠って過ごすために、今夜は眠らずにカジノで過ごすつもりですが、F田はしっかり寝ないと体調を崩すなどと言って、ワタシの部屋で寝ることにしました。ま、いいのですが。

ワタシはカジノに下り、ビデオポーカーのトリプルプレイBP8/5を始めましたが、昨日に引き続き様子が悪く、全然楽しめません。BP8/5は比較的分散が小さいゲームで、細く長く遊ぶのに適しているゲームのはずなのに、なぜか分散が大きいDBやDDBと同じくらいのペースでお金が無くなって行きます。

こういう時は意地を張らずに違うことをしようとやっとのことで気持ちを切り替えて、クラップスに移りました。しかし、こちらもあっという間に最初にバイインしたチップを失い、こんなはずではないと同額をリバイしたところ、ようやくホットな展開に恵まれるようになり、一時は500ドル弱くらいまでプラスになりました。ここでやめられれば、さっきのビデオポーカーの負けを取り返してまだお釣りが残るはずだったのですが、ある時期から再びブリザードが吹き荒れ、あっという間にプラス分が溶けてしまいました。あまりの波の激しさに急に怖気づいて、クラップスでは結局プラスマイナスゼロで終了しました。

ビデオポーカーのツキの波もきっと変わっているだろうと自分に都合よく考えて、再びトリプルプレイのBP8/5に移りました。先ほどよりもクワッズがそこそこ出てくれる分、マシにはなっていますが、それもことごとく5-Kで、一矢報いるというほどのものではありません。



出るクワッズは5‐Kばかりだが、そこそこ出てくれてはいる。こんな事ならいっそDBかDDBを遊んでいた方が、クワッズの配当が倍になる分マシだったかもしれない。

そんな状況で苦しんでいる中、こんな手ができました。

写真3フル
2ペアから3つの手すべてにフルハウスが降臨。

3つの2ペアのすべてがフルハウスに発展する確率は約1622分の1(0.062%)です。デルトクワッズの発生確率(4165分の1、0.024%)と比較すれば驚くほどのことではありません。ドロー後も含んだクワッズの出現率がざっと400分の1なのに、その4倍も出にくい今回の配当が5-Kのクワッズよりも低いという事実は気に入りませんが、ツイていない時はこんな事でもささやかな達成感を求めてしまいたくなるものなので、それも良しとします。

しかし、この時点で、失ったお金の累積も結構な額になっていました。手持ち資金はまだ尽きてはいませんが、そろそろ「命に別状はないが重傷」と形容しても良いくらいの損失にはなってきています。今回はもう諦めてレートの安いライブポーカーに逃げるかという思いも頭をかすめました。ワタシはガマンが利かない性質なので、ライブポーカーでこれまでの負けを取り戻す可能性はほぼゼロと言っても良いでしょう。それでもポーカーを選択肢に挙げるのは、今後マシンゲームを続けるよりも傷口の広がり具合が小さく済む可能性が高いからです。

そんな弱気なことを思いながらも踏ん切りがつかないままビデオポーカーを続け、先ほどの2ペアからフルハウス3発が出てから5分ほど経った後の事です。ディールボタンを押したらこんな手ができました。

◆本日のジャックポット


ディールボタンを押し、カードが1枚ずつディールされるところを目で追っていると、4枚目まで同スーツのハイカードが連続して表示されるのがわかりました。「え? 4ロイヤル?」と思った次の瞬間、最後の5枚目にもやはり同じスーツのハイカードが表示され、なんと今年のゴールデンウィークに達成したデルトロイヤルを、またもや、二滞在連続で達成してしまいました。

思わず立ち上がり、両こぶしを天に突き上げて、「Yes!」と叫んだら、近くを通りかかったおばさんが、「なんだこいつは?」という目で見て去って行きましたが、そんなの気にしないもんね、なんたって64万9740分の1をまたもや引いちゃったんだもんね、などとすっかり有頂天になって、アテンダントがやってくるのを待ちました。

ほどなくしてアテンダントがやってきて、いろいろ確認作業をするときに、「マガジンに写真を掲載しても良いか?」と聞かれました。「マガジン? マガジンって何ずら?」と聞くと、どうやらカジノの宣伝用のフリーペーパーやウェブサイトなどに、ジャックポットウィナーの写真を掲載するという事らしいので、承諾してみました。後で、その承諾書にサインさせられました。

このデルトロイヤルによりワタシのトータルの収支は一気に黒字に転じました。しかし、ここで一発最後の大勝負でもかまそうという発想にはならず、今回はこのまま黒字を守り抜こうと防御姿勢に移ってしまうところがワタシの器の小さいところです。

深夜の2時過ぎころ、ゴールデンナゲットでポーカーをしていたT本がメインストリートステーションにやってきました。聞けば、途中いろいろ危険な局面はあったものの800ドルほどお金が増えたとのことです。なかなかたいしたものです。そして、「nazoxさんと一緒にクラップスやりたいなあと思ったんですが」と言ってくれるのですが、防御姿勢に入ってしまっているワタシとしては、先ほどのアップダウンの激しいゲームのような恐ろしい思いを避けたいという気持ちが働き、せっかくそう言ってくれるところ申し訳ないのだけれどとお断りさせていただきました。その代わりに、プログレッシブが少したまっているシングルのDB7/5を一緒に打ちました。

◆空港へ
午前4時、T本と共に部屋に戻ると、F田は既に起きており、そろそろ出発の支度も終わろうとしているところでした。2人を車に乗せ、まだ夜明けの気配さえ感じない真っ暗な中、空港に向かって出発しました。

F田が乗る飛行機はワンワールド系、T本は今回はユナイテッドだと言うので、それぞれ乗機するターミナルが異なります。まずF田をT1(第1ターミナル)に降ろした後、T本を乗せてT3に向かいました。

ところが、移動途中の交差点で、交差道路側の信号は何度も青になったり赤になったりを繰り返すのですが、自分の進行方向の信号はずっと赤のままです。どこかに信号をオンにする車センサーでもあるのかと疑いましたが、それらしいものは見えません。

交通量はきわめて少ないものの、交差道路側は毎回1台から数台の車が通ります。一方、ワタシがいる道路には、ワタシ以外の車はいません。ひょっとしてワタシ、本来入れないはずの間違った道にでも入った?

10分ほども待った挙句、それが何かはわからないが、どうやら何かが間違っているらしいという結論に達し、交差道路の信号が赤の時を見計らって、発進しました。T3へはその後すぐに到着しました。

T本を降ろした時点で、時刻はまだ5時前でした。ワタシは11時半に車を返却するつもりでいたので、それまでカジノで過ごしていようと、空港に近いステーション系のカジノホテル、「サンセットステーション」に向かいました。

サンセットステーションは、空港から車で10分程度のところにあります。同系列のカジノの中では中の上クラスで、広くてきれいなカジノホテルです。プレイヤブルなビデオポーカーが多いのは良いのですが、クラップスのフィールドベットのハウスエッジが5.6%ほどもあるのが玉に瑕です。

ただ、サンセットステーションでペイアウト率の高いマシンは分散の大きい種目が多く、ツイていない時はお金がすぐになくなります。何度か立て続けに20ドル札を瞬殺されたので、いったん諦めて朝食でも摂ろうとカフェに行き、クラシックバーガーを注文しました。




ステーション系列のカジノに共通するカフェ「グランドカフェ」のハンバーガー。パティは1/2ポンド。下の写真はクラウンを取り除いたところ。
実はこのカフェのハンバーガーは、深夜は3.99ドルとなります。今回もそれを期待していたのですが、そのサービスは5時で終わっていたことを知って、少し落胆しました。しかし、0.99ドルのチーズを追加して7.98ドル、飲み物として注文したクラブソーダは水扱いなのかチャージされておらず、税金に多少弾んだチップ込みで12ドルを支払っても、ゴールデンゲートのハンバーガーよりも満足感は高いです。

朝ごはんを終え、まだずいぶん時間があるので、今度はバッファローシリーズなどのビデオスロットにも手を出してみたのですが、やはり良い手に恵まれません。これは深追いすると、せっかく黒字に転じた収支も覚束なくなってしまいそうな勢いです。そこで、予定よりもずいぶん早い9時ころには引き上げて、空港に向かいました。

途中で車に給油し、レンタカーセンターで車を返して空港に到着すれば、今度は恒例のラストチャンスの時間です。スモーキングエリアにあるビデオポーカーのビデオポーカー、TDB(トリプルダブルボーナスポーカー)で、最後の1000ドルにチャレンジしました。

TDBは、デノミg25セントでも、4Aにキッカーローカードで1000ドルになります。以前は、デノミが1ドルのデューシーズワイルドで4デシューシーズを狙っていたのですが、こちらの方が資金は少なくて済む(ただし、1000ドルのヒット率は低い)ので、最近はずっとこの機種にしているのですが・・・

Orz

やっぱり駄目でした。サンセットステーションに続きここでは40ドルを失い、この後、SFO(サンフランシスコ空港)に向かいました。

SFOに到着すると、もう午後3時に近いので、昼食のつもりでこの旅最後のハンバーガーを、空港内のバーガーキングでいただくことにしました。





バーガーキングは、さすがのアメリカらしくボリュームは充分だし、ファストフードのバーガー屋の中でも決して悪い方ではないと思います。ダブルワッパーのコンボで税込11.45ドルという値段は、空港は元々物価が高いものと相場が決まっていますので、目をつぶることもできます。それでもやはり、早朝に食べたサンセットステーションのハンバーガーとつい比較して、これがあのフルサービスのハンバーガーとほぼ同じ値段かと思ってしまったとしても、神様はきっと許してくださることでしょう。

この後、飛行機に搭乗し、何事もなく帰国いたしました。

新・ラスベガス半生中継 2016年9月 終わり

新・ラスベガス半生中継 2016年9月(10) いよいよ最終日 その1

2016年12月24日 23時14分50秒 | 海外カジノ
今回の巡礼も残すところ1日です。明日の昼過ぎにはラスベガスを発ち、帰国します。また、今回の旅でしばしば行動を共にしていたF田も明日の早朝にラスベガスを発つ予定でいますが、F田は今夜、車を返却するので、その後はワタシの車で移動をすることになっています。

◆本日の朝ごはん
F田、K泉とともに、ハンバーガーチェーンの「Jack In The Box」に行きました。ラスベガス市内を車で走っているとあちこちで見かける店ですが、これまで一度も入ったことのないチェーン店です。


コンボ(ドリンク+ポテト)のおトク感が高いが、併記されているカロリーを見ると、たったこれだけでこんなになるのかと少し恐ろしくなる。

ワタシは、その名前に惹かれて「Jumbo Jack Cheeseburger」のコンボを注文してみました。税込で5.68ドルという価格は、他店と比較するといくらか安く感じます。


これが4番のコンボ。ファストフードのバーガーにしては、レタスの量が多いように思う。

そこそこにうまいことはうまいです。しかし、残念なことに、「ジャンボ」を名乗る割には大して大きくもないという印象です。安いので腹は立ちませんし、今後は避けたいなどと思いませんが、近くにウェンディーズかインナウトバーガーがあれば、そちらに行ってしまうと思います。

この後、3人はそれぞれ散り、夕ごはんまで思い思いに過ごす事にしました。ワタシは、ターゲットなどで帰国後にばらまくお土産を買ったり、ずいぶん昔にカジノゲストだったニューヨーク・ニューヨークを久しぶりに覗いてみたりなどして、極力ゲームをしないで過ごしました。何しろ今夜は徹夜でカジノにいるつもりなので、特に資金を温存しておきたかったのです。なので、この日の日中に特に記録しておくことはありません。

◆本日の夕ごはん
F田は、この旅に出る前から、「ラスベガスの最終日が金曜なら、ディナーはやはり蟹食べ放題のシーフードバフェイしかないでしょう」と強く主張していたので、何を食べるかは決定していました。しかし、シーフードバフェイを提供するカジノはいくつもあるので、値段、味、混み具合、行き易さなどを勘案して、今回はゴールドコーストに行くことにしました。F田の他に、元同僚のT本も一緒でした。


カニバフェ@ゴールドコースト。何を血迷ったのか、普段は絶対に取らないパスタ(スパゲッティ)を取ってきている。アメリカでおいしいスパゲッティに出会ったためしがない記録が更新されただけだった。

二日目に行ったサウスポイントのカニバフェはハズレでしたが、ゴールドコーストは、安く、行き易く、そして混まない(並ばない)割には、なかなか食えるカニが出てきます。生カキも、この価格帯のバフェイにしてはマシな方だったので、格別好物と言うわけではありませんが、いくつかいただきました。やはりここは、シーフードバフェイの穴場です。

◆カジノの駐車場に怪しげな事故車! すわ、事件か!?
夕食後、F田は一足先にtiへ車を返しに行き、ワタシはT本を乗せてF田の後を追い、tiの駐車場に行きました。駐車場の一角にはレンタカー会社専用のスペースがあり、そこに車を置き、営業カウンターまで行って必要事項を記入した書類を添えてカギを返却すれば手続きは終わるはずです。ワタシとT本は、専用スペースの近くに車を停めてF田を待っていましたが、なかなか来ません。その代わりと言うわけではありませんが、専用スペースの奥の方に、車体の一部が大きく破損した車が、ライトを点灯して停車しており、中には誰か人が乗っているようです。

ひょっとしてこれから犯罪に巻き込まれたりして、などと嫌なストーリーをあれこれと想像して少し心配になり、いつでも車を発進できるようにしていると、カジノ棟に続くエレベーターからF田がやってきて、「カウンターに人がいないんだけど、どうすればいいだろう」などと言ってきました。たいていはドロップボックスがあって、そこにカギを書類と共に投げ込んでおけばいいはずだと言うと、F田は再びその場を去りました。

F田を再び待っていると、パトカーがやってきて、ワタシの車とあの事故車の間くらいに停車して、中から出てきた警官がその怪しい車に近づいていきました。何が話されているのかは全くわかりませんが、単に自損事故を起こした人が警官を呼んだだけのようにも見えるほど静かな様子でした。

パトカーの赤と青の回転灯が暗い駐車場の中をカラフルに照らし出すのを眺めているうちにF田が戻ってきたので、車に乗せ、パトカーの脇をゆっくりとすり抜けつつ怪しい車の様子を窺ってみましたが、事件なのかそうでないのかは、全く見当もつきませんでした。

ラスベガスは治安が良いなどとよく言われますが、最近英語の勉強のつもりで読み始めたラスベガスの地方紙(ラスベガス・レビュージャーナル)を見ると、発砲事件や強盗事件、通り魔事件などがしょっちゅう報じられており、実は思うほど安全な街ではないらしいと考えるようになってきたところだったので、緊張したひと時でした。

その2に続く。

新・ラスベガス半生中継 2016年9月(9) コンベンション三日目(2)ピンボール・ホール・オブ・フェイム

2016年12月18日 13時39分38秒 | 海外カジノ
前回の記録では言及しておりませんでしたが、ゲームで負けてばかりで泣きそうになったワタシは、「ピンボール・ホール・オブ・フェイム(Pinball Hall of Fame = PHoF)」に行っていたので、今回はその記録を残しておきます。


PHoFの外観。トロピカーナ通りを、メリーランド通りの交差点から更に少し東に行った左手にある。

PHoFは、ネバダ州立大学のトーマス・アンド・マックセンターに近い、トロピカーナ通り沿いにあります。店内には200台以上(公称)のピンボール機と古いアーケードゲームが並んでいます。

設置されている機種には、現在僅かに残るピンボール機メーカーが細々ながら生産している最新鋭機もありますが、中心となるのはやはりピンボール機の衰退期を迎える1980年代初頭以前の、ワタシが最もピンボール機に傾倒していた時期のマシンなので、ここはラスベガスに来たら一度は立ち寄らなければならない聖地となっています。

ここを運営している「ティム」と呼ばれる男性は、ピンボール機を1000台ほども所有しているそうで、店内で稼働している機械はその一部に過ぎません。設置機の入れ替えはしばしば行われているようですが、常に部分的で、一度に大半を入れ替えるということは無いようです。なので、ワタシが初めてここを訪れた10年前に見た機種が、今も少なからず設置されています。


店内の様子の一部。(4)にあるように、ピンボールのほかに、古いアーケードゲームやビデオゲームも多少ある。

ここにあるマシンの殆どは非常に良い状態で遊べますが、たまに例外もあります。特に、デジタル技術が導入されるようになった1970年代終わりころ以降の機種は、基板がイカれているのか、オリジナル通りのゲームになっていないものも、残念ながら散見されます。しかし、店の奥には工具や部品を揃えた一角があり、店内で見かけるティムや彼の奥さんと思しき女性は、たいていマシンの修理やメンテナンスをしています。これだけ大量のマシンの状態を維持するのは簡単なことではないはずです。


店の奥の、事務所の役割の場所には、工具や部品がそろっている。

ところで、今回は、見かけは普通のピンボール筐体ですが、プレイフィールドとバックグラスをすべてビデオ化した「PINBALL X」が1台設置されていました。


PINBALL X。表示されているゲームはMousin' Around ! (Bally 1989)

PINBALL Xについては、2年くらい前から話には聞いていましたが、実物を見るのは初めてです。

ビデオピンボール自体は1980年代から存在しますが、PINBALL Xは、それらとは全く違いました。従来のビデオピンボールは所詮はビデオゲームでしたが、PINBALL Xは、ピンボールシミュレーターと呼ぶべきものです。ボールの動きはどこまでもリアルで、実物との差は殆ど全くと言って良いほど感じません。

リアルなのはボールの動きだけでなく、プレイフィールド上のランプの光り方まで実物のようです。PINBALL Xでは、プレイフィールド上の強いフラッシュランプが点滅すると、それを光源としてその周辺までちゃんと明るくなるのです。

ただ、一つだけ残念なのは、実物よりも幾分ボールが見えにくいと感じる点です。特にフリッパー回りにボールがあるときに、一瞬ボールから目を離してこれから狙うところに視線を向けてからまたボールに視線を戻そうとすると、まるでボールが背景に溶け込んでしまっているかのように、一瞬見失うということを何度か経験しました。この感覚は、アナログではそれほどあることではありません。

今回ワタシが見たのは、Ballyの「Mousin' Around」と、Williamsの「Swords of Fury」の二機種だけでしたが、PINBALL Xには200種近いゲームタイトルが用意されており、これをダウンロードすることで、同じ筐体で違ったゲームができるとのことです。


上が「Mousin' Around」、下がWilliamsの「Swords of Fury(1988)」のバックグラス。

それにしても、版権問題なんかはどうやってクリアしているのでしょう。タイトルの中には、映画やアニメなどの他社IPを使ったものもあるようなんですが。謎です。

PHoFでは2時間以上の時を過ごし、ゲーム代に20ドルを使い、150枚以上の写真を撮りました。ただ、店内は暗く、しかし機械は色とりどりのランプで光り輝いているので、カメラのピントが合いづらいようで、ときどきピンボケになっているのが残念です。


今回のPHoFで撮影した写真のサムネイル(一部)