オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

北米に手打ち式パチンコを見る

2021年05月30日 14時08分44秒 | 風営機

ゲーム機メーカーのタイトーは、かつて自社の公式ウェブサイトで、過去の自社製品のフライヤー画像を公開していました。画像の解像度はやや低かったものの、最も古い1965年から発行年ごとに仕分けされており、貴重な資料となっていたものです。そのうちの1973年のページに、英語表記のパチンコ台のフライヤーがありました。

かつてタイトーが自社のウェブサイトで公開していたフライヤー画像集から拾った、パチンコのフライヤーの表面と裏面。いずれもなるべく大きく表示するため、オリジナルより若干拡大して上下に二分割してある。このフライヤーは、1973年に頒布されたものとして掲示されていた。

フライヤーの表面では、「最も有名な東京銀座のパチンコ店の、稼働2年未満の機械を完璧に再調整した完動品」と謳い、「家族の誰もがこの一風変わったゲームに夢中になり、いつまでもやめられない新たな興奮があなたの家に」と煽っています。裏面にはセッティングと遊び方の簡単な説明があります。

これを最初に見たときは、AM業界の巨人であるタイトーが中古パチンコ機? と違和感を覚えましたが、1973年がパチンコの電動ハンドルが認可された年であることに気づけば、その理由も想像がつきました。つまり、今後のパチンコ店では電動ハンドル機への入れ替えが進み、その代わりに旧来の手打ち式パチンコ機が大量に押し出されて来ることは既定路線です。それらは多少のクリーニングなどは必要だとしても、動作自体には問題ないものがほとんどで、それがごく安価で手に入るのであれば、商売としてはうまみがありそうです。

実際のところ、70年代に手打ち式パチンコ機が何らかのルートで北米に伝わっていたことは確かなようです。ワタシは70年代のアメリカのTVシリーズ「刑事コロンボ」の「ルーサン警部の犯罪(1977年放映)」の回で、登場人物の家に手打ち式パチンコ機が置かれているシーンを見た覚えがあります(調べてみたら、こちらのブログでそのパチンコのシーンがありました)。

さて、拙ブログに時々コメントをくださるカナダのCaitlynも、いくつかのパチンコ機をコレクションされています(関連記事:カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション)。彼女とは普段からオールドゲームに関する情報をメールでやり取りしていますが、先日は、北米でのパチンコの普及に関するワタシの質問に対して、「北米にも多くのパチンコ、パチスロファンがいる。日本からは1970年代から期限切れのパチンコ機が北米に送られてきている」との回答をいただき、一例として北米におけるパチンコ関係のリンクを二つ教えてくれました。

リンク1:70年代に米国で放映されたパチンコのCMの動画。最後には「39.99」の値段と、「MONTGOMERY WARD Your Christmas Store」の表示が見える。

リンク2:北米のパチンコファンによる個人サイト「Pachinko Man」より、カタログギフトのページ

これらを見ると、70年代の北米では、手打ち式のパチンコがクリスマスギフトとして広く紹介されていたことが窺われます。この情報をヒントに自分でもいろいろ調べてみたところ、「Dan Welch」という人が多くの手打ち式パチンコの試遊風景をyoutubeに挙げていることを発見しました。この人は米国でおそらく唯一、パチンコ台の修理を商売としてやっているのだそうです。その修理の様子を撮影した動画はyoutubeでも見られますが、汚れた古いパチンコ台がまるで新品のように生き返る様はまさに魔法のようです。こうして見ていると、手打ち式パチンコ台の残存数は、今は明らかに日本よりも北米の方が多いのではないかと思われます。

タイトーは、中古の手打ち式パチンコ機の市場としてアメリカを選びました。確かに、パチンコはアメリカ人にとっては新奇なゲーム(ノベルティ・ゲーム)だったでしょうし、逆に当時の日本の一般家庭にはそれほどの需要は無かったかもしれません。しかし、この時日本でも売り出していてくれていれば、日本にも手打ち式パチンコ機が多少は残されていたかもしれないと思うと残念でなりません。

(5月31日追記)と思ったら、ネットオークションを見ると、結構手打ち式パチンコ機が出品されていました。正村ゲージ以前のものもわずかですが見つかります。ワタシの周辺ではオールドゲームについて詳しい人は多いのですが、パチンコについて語る人は皆無だったので、少しばかり思い込みが過ぎたようです。


「Continental Bingo(Bally, 1972) 」の検証(2)

2021年05月23日 19時07分59秒 | スロットマシン/メダルゲーム

前回のあらすじ
5リールのスロットマシン、Continental Bingo(Bally, 1972) は、フライヤーが謳う通り、確かに95通りの勝ちパターンが存在することは確認できた。しかし、レギュラーカード上にどのように番号を配置して80通りの勝ちパターンを実現しているのかがわからないので、カード上の番号をリール別に色分けして可視化してみることにした。

********* これより今回の話のはじまり ********* 

前回の記事において、「皆さんもレギュラーカードの番号の配置を考えてみてはいかが」とけしかけたところ、EM好きおじさんに、見事に正解を提示されてしまいました(前回記事のコメント欄参照)。今回はその正解の具体的なビジュアル化として、レギュラーカード上の番号をリール別に色分けしました。使用する色は、以下のように各リールに割り当てました。なお、ついでにスーパーカードと「B-I-N-G-O」のスペルシンボルも色分けしてみます。

第1リール:桃
第2リール:緑
第3リール:青
第4リール:黄
第5リール:橙

各リールの番号がどこに配置されているかを色分けした図。

なるほど。一つのリールに配されている5つの番号は、ビンゴカード上では右上がりの斜め線上に配置されていました。5個に満たない線上の場合は、不足分と同数の別の線上に配置しています。答えを知ってしまえば当たり前のことのように見えますが、ワタシ程度のドタマではこのパターンに気づくまではちょっと時間がかかりそうです。

なお、「スーパーカード」の方は、4つの「コーナーズ」にはそれぞれ異なるリールの番号を配する必要があるので、必然的に中央の番号は残る一つのリールの番号を配する必要があることに気づかされました。そして、コーナーの番号と同じリールにある番号は、コーナーから桂馬の位置に配置しています。これも知ってしまえば当たり前のことですが、こうして可視化する前は気づいていませんでした。

次に、リール上に配されている番号の個数を、同じカード上に反映させてみました。

各番号の、リール上に配されている個数。ビンゴカードの上の「3-5-3-6-5」は、左から順にスペルネームシンボル「B-I-N-G-O」の個数。

さて、この情報があれば、それぞれのペイアウト率を計算することができます。そこでワタシも、エクセルで検証を試みてみたのですが、仕様書よりも0.1754%高い、「89.4195%」という数字が出てきてしまいました。

これは、1回のゲーム中で二つ以上の勝ちパターンが重複して発生するケースを考慮していないからだということはすぐに見当が付きました。このゲームでは、勝ちパターンが重複した場合は配当が高い方だけ支払うことになっており、配当表にも「ONLY HIGHEST WINNER PAID」との注意書きがあります。

そこで、どんな重複があるかを考えてみたところ、

・通常ラインの3-IN-LINEと、スーパーラインのANY 2またはANY3
・通常ラインの4-IN-LINEと、スーパーラインのANY 2
・スーパーカードの3-IN-LINEと、スーパーラインのANY 2またはANY3
・スペルネームの3並びと、スーパーラインのANY 2

と、結構たくさんあることが判明しました。それぞれの勝ちパターンについて他の勝ちパターンと重複する個数を数えるのは、理屈の上では難しい話ではないのですが、非常に面倒な作業になります。結局ペイアウト率の検証は挫折してしまいました。

パソコンにエクセルなどという極めて便利なツールがあってさえ一筋縄ではいかないこの計算を、1970年代初頭のBallyはどうやって、どれだけの労力を費やして行っていたのでしょうか。いや、単にワタシのドタマの回転が鈍いだけと言われても否定はいたしませんけれども。この積み残し問題は、いつの日か、隠居して暇なときにでも再チャレンジすることにします。

(このシリーズ・おわり)


「Continental Bingo(Bally, 1972) 」の検証(1)

2021年05月16日 16時35分54秒 | スロットマシン/メダルゲーム

「今度のブログのネタ、どうしようかなあ」と手持ちの資料を漁っていたら、なんと昨年の9月に掲載した記事「Continental Bingo」(Bally, 1972)
で取り上げたスロットマシンの仕様書が出てきてしまいました。

Continental Bingo(Bally, 1972) のフライヤー。

ワタシはその記事の中で出鱈目な確率の試算をして後に慌てて訂正するというお粗末をやらかしていますが、それはつまり、当時のワタシはこの資料の存在を忘れていたということです。いや、忘れていたというよりも、むしろ知らなかったという方が心情的には正確な気がするほど、いつ、どうやって入手したのか、全く記憶にありません。この資料がどなたかからの頂き物だったとしたら、実に全く申し訳ないことです。

今回発見した仕様書は3種類あります。

一つ目は、各リールに配されているシンボルとその個数と、それだけを見ても何のことかはわからない部品番号が記されているものです。

二つ目は、仕向け地や仕様により異なる部品及びその部品番号の対応表です。ここで挙がっている部品には、リールストリップ(ここでは「TAPES」と書かれている)、コンタクトプレート(表出絵柄検知用基板)、それにインデックスホイール(表出絵柄検知用回転輪)など、全部で8種類が記載されています。

三つめは、当たり判定の回路図です。前の二つは画像ファイルでしたが、これだけpdfファイルです。ワタシは電気の知識は殆どなく、回路図を読み解くことはできないものの、ビンゴカード上で当たりが発生するラインごとにそれぞれ独立した判定回路があるくらいのことはわかりました。この変則的なスロットマシンの回路構成は、おそらく通常の機種とはずいぶん違うのではないかと思います。

これら三つのうち、今回はゲームの仕様を理解する上で最も重要な情報が記載されている、一つ目の仕様書を詳しく見て行こうと思います。

一つ目の仕様書から、5本ある各リールのそれぞれに、何のシンボルがいくつ配されているかが記述されている部分。

この画像の最上段に見える「#929-1」は、Continental Bingoのモデル番号(929)とその枝番です。上述の二つ目の仕様書によると、枝番1が付く機種は、ゲーム結果の払い出しを、ホッパーとクレジットカウンターのどちらかに切り替えが可能なモデルのことです。

次の段は、5つの各リールに配されているシンボルと、それぞれがリール上にいくつ配置されているかを示す見出しで、ペイアウト率が89.24%用と81.96%用の2種類があります。それにしても、高い設定でも90%未満とは、今の感覚ではずいぶん渋く見えます。一概には言えませんが、これは日本のメダルゲームと似たような水準です。

見出しに続く段には、リールに配されているシンボルの種類と、そのシンボルがリール上に配されている個数が、左から第1リール、第2リール・・・の順に記載されています。例えば第1リールには、「B、11、9、12、25、7」の6種類のシンボルが、それぞれ「3個、4個、7個、4個、1個、1個」配されているということです。すべてのリールは、1種類のスペルネームシンボルと5種類の番号シンボルで構成されており、どのシンボルも他のリールには存在しません。

★ここまでのポイント
・1つのリールには1~25までの番号のうちの5種と、B、I、N、G、Oのスペルネームのうち1種が配されている。
・複数のリールに配されている番号、またはスペルネームはない。

さて、これらが知れただけでも大収穫ですが、まだ確かめたいことがあります。フライヤーでは、95通りの勝ちパターンがあると謳っていますが、本当にそれだけあるかどうかを確認してみました。

Continental Bingo のトッパ―グラス。2種類のビンゴカードと、当たり役とその配当表が描かれている。

■レギュラーカード(通常ライン)
レギュラーカードには、9本の通常ラインと、1本のスーパーラインがあります。
このうち、通常ラインは、1本につき3通りの3-IN-LINE2通りの4-IN-LINE、それに1通りの5-IN-LINEの勝ちパターンがあります。つまり、1本の通常ラインには6通りの勝ちパターンがあるということです。それが9本あるのですから、通常ラインでの勝ちパターンは6×9=54通りがあることになります。
*レギュラーカードの通常ラインでの勝ちパターンは54通り。

■レギュラーカード(スーパーライン)
スーパーラインでの勝ちパターンは、10通りのANY 210通りのANY 35通りのANY 41通りの5-IN-LINEがあります。これらを全部足すと、スーパーラインでの勝ちパターンは26通りとなります。
*レギュラーカードのスーパーラインでの勝ちパターンは26通り。
*レギュラーカードでの勝ちパターンの合計は80通り。

■スーパーカード
スーパーカードには8本のラインがあり、1本につき1通りの3-IN-LINEがあるので、1×8=8通りの勝ちパターンがあるということになります。
さらに、スーパーカードには4つのコーナーが全部点灯するCORNERSが1通りあります。これらを足すと、スーパーカードの勝ちパターンは9通りとなります。
*スーパーカードの勝ちパターンは9通り。
*レギュラーカードとスーパーカードの勝ちパターンの合計は89通り。

■スペルネーム
スペルネームとは、「BINGO」の文字列が3個以上連続して並ぶと勝ちとなるフィーチャーです。スペルネームの勝ちパターンとしては、3通りの3個並び(B-I-N、I-N-G、N-G-O)、2通りの4個並び(B-I-N-G、I-N-G-O)、1通りの5個並び(B-I-N-G-O)があります。これらを足すと、スペルネームの勝ちパターンは6通りとなります。
*スペルネームの勝ちパターンは6通り。
*レギュラーカードとスーパーカードとスペルネームの勝ちパターンの合計は95通り。

以上で、確かにフライヤーが謳う通り、95通りの勝ちパターンがあることは確認できました。

しかし、スーパーカードはどうにでもなるとして、レギュラーカード上で80通りの勝ちパターンを実現するには、各リールの番号をどのように配置すれば良いのでしょうか。1本のライン上には、一つのリールに配されているシンボルを2つ以上配置することはできないことくらいはパッと思いつきますが、具体的な配置を考えるのはなかなか骨のあるパズルのように思えます。

そこで、ビンゴカードに配されている数字を、リール別に色分けして、その答えを可視化してみることにしました。

・・・と、ここまで述べたところで、今回は存外に長くなってしまいました。というわけで、残りは来週の更新に持ち越しとさせていただきます。よろしければみなさまも、レギュラーカードの番号の配置を考えてみていただければと思います。

(つづく)

 


1980年前後のセガのビデオゲームいくつか

2021年05月09日 19時57分11秒 | ビデオゲーム

ただいま多忙のため、ブログ更新にあまり時間を割くことができません。そこで今回は、ワタシのセガのビデオゲームのフライヤーコレクションから、1980年前後のものをいくつかご紹介することでお茶を濁しておこうと思います。これらは、語れるネタがあまりないため今まで拙ブログでは取り上げずにいたものの一部です。

一つ目は、1979年のフライヤーです。表面には「CAR HUNT」、裏面にはその「CAR HUNT」と「DEEP SCAN」を1つのテーブル筐体に収めた「スペシャル・デュアルIII」が掲載されています。

「CAR HUNT」と「DEEP SCAN」を収めた「SPECIAL DIAL III」フライヤーの表と裏。

二つ目も同じく1979年のもので、「HEAD ON PART II」のテーブル筐体です。従来のヘッドオンは一方通行でしたが、パートIIでは「Uターン・ゾーン」が設けられ、反対方向に進むことが可能となりました。

「HEAD ON PART II」のフライヤーの表と裏。

三つめは1980年の「TRANQUILLIZER GUN」です。当時としてもお粗末なグラフィックだったし、ゲームとしてもそれほど面白いと思っていたわけではないのですが、なぜかそこそこやりこんでしまった記憶があります。

「TRANQUILIZER GUN」のフライヤーの表と裏。

元々喫茶店ロケに設置することを想定していたテーブル筐体が一般のゲームセンターにも普及し始めるのは1979年ころからですので、これらは比較的初期のテーブル筐体です。コントロールパネルを見ると、ジョイスティックが右、ボタンが左に付いています。タイトーや他のメーカーはジョイスティックを左に付けているものがほとんどで、その方が操作もしやすかったものですが、セガはなぜこのような仕様にしていたのでしょうか。

今回の最後は、今回の一つ目と同様、表と裏に異なるタイトルを載せたフライヤーです。表面はATARIの「WARLORDS」、裏面はビリヤードをビデオ化した「VIDEO HUSTLER」となっています。

「WARLORDS」と「VIDEO HUSTLER」を表裏に載せたフライヤー。

「VIDEO HUSTLER」の開発元は、実はコナミでした。当時のコナミはまだ弱小メーカーで、セガから売りだされていたタイトルは他にもあります。その中でも「FROGGER」はなぜか北米で大ヒットして、今でもパックマンなどと並ぶ往年の名作扱いされ、何年か前、カジノ業界で「スキル・ベースド・ゲーミング」が注目されていたころには、スロットマシンのテーマにも取り入れられています。

今回取り上げたのは、1979年から1981年のタイトルです。セガは1979年ころよりフライヤーの裏面に作成年を記述しており、資料として整理するときに大変ありがたいです。他のメーカーのフライヤーにはこのような配慮がない場合が非常に多いので、発表年を特定するのに苦労します。


サンフランシスコ・スロットマシン工房跡地巡りの記録

2021年05月02日 18時14分28秒 | 歴史

今年もゴールデンウィークがやってきました。平時であればラスベガスに巡礼に行くところなのに、COVID-19のせいでラスベガスはおろか国内旅行すらままなりません。昨年の今頃は、「まあ、来年には終息しているだろう」などと甘いことを考えていましたが、事態はむしろ悪化しています。手を尽くしてこうであるならともかく、今の行政は殆ど何もしていないように見えるのが、いいかげん腹立たしくなってきました。

2010年のゴールデンウィークのことです。
ワタシはラスベガスに行く際にサンフランシスコ空港(SFO)で乗り継ぎがあることを利用して、ついでに19世紀から20世紀初頭にサンフランシスコのベイエリアに集中していたスロットマシンメーカーの跡地を訪ねてみることにしました。

こんな酔狂を思い立ったきっかけは、スロットマシンの歴史本としておそらく最も普及している「SLOT MACHINES A Pictorial History of the First 100 Years」という本の中に、19世紀終わりから20世紀初頭にかけてサンフランシスコに存在したスロットマシンメーカーの地図「サンフランシスコ 1892-1906 スロットマシンの峡谷 (San Francisco 1892-1906 SLOTMACHINE GULCH)」があったからです。

「SLOT MACHINES A Pictorial History of the First 100 Years」に掲載されている、19世紀終わりから20世紀初頭にかけてのサンフランシスコにあったスロットマシンメーカーの地図。この図は第5版の25ページより。同じ図は他の版にも掲載されており、現在は第6版が容易に入手可能。

過去記事「サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアムの記憶(1/3):プロローグ」でも述べているように、この時期、サンフランシスコはギャンブルがまったく野放し状態で、男が出入りする場所ならどこでも1台以上のスロットマシンがあったそうです。Google mapで現在のこのあたりの地図を見ると、道筋自体は当時とほとんど変化がありません。そこで、効率よく巡礼する順番を一覧できる自家製マップを作成し、現地に向かいました。

自家製の巡礼マップ。全部で18カ所が、サンフランシスコのベイエリアに集中している。

成田空港を発ったUA便は、SFOへは朝に到着します。荷物をリチェックしたのち、空港から市内に直接行ける「BART」という鉄道に乗るのですが、チケットが何種類もあって多少まごつきました。それでもなんとか無事にモンゴメリ通り駅までの切符を買って乗り込みましたが、車内アナウンスがほとんど聞こえず、うっかり乗り過ごしたりせぬよう常に注意を払っている必要がありました。

モンゴメリ通り駅に着くと、弱い雨が降っていたので、雨宿りを兼ねて「BOUDIN」というレストランで朝食をとりました。この店はSFOの中にも店を出しており、サワードゥという酸味のある丸いパンをくりぬいて、中にサンフランシスコ名物のクラムチャウダーを注いだものが名物です。

BOUDINの名物。ワタシは「クラムチャウダー イン ブレッドボウルをくんろ」と注文しているが、実は正式の商品名はいまだに知らない。

BOUDINを出ると、雨は上がっていました。まず最初に、現代スロットマシンの要件を規定したとされる「リバティ・ベル」が製作されたという、チャールズ・フェイの工房跡地[1]を目指します。そこは現在、地下駐車場の出入り口の脇となっており、カリフォルニア州の937番目の史跡として記念碑が建てられています。

フェイの工房跡地と記念碑。

以降は、原則としてここから近い順に回っていきました。赤い文字は、スロットマシンのアンティークの本によく出てくる名前です。同じ名前が複数出てくる場合もありますが、間違いではありません。


(1)=[2] Royal Card Machine Co. 
(2)=[3] Schultze
(3)=[4] Holtz
(4)=[5] Holtz & Fey


(1)=[6] T.F.Holtz
(2)=[7] Novelty Machine Works
(3)=[8] Holtz & Fey
(4)=[9] Caille


(1)=[10][11] Wattling, Schultze
(2)=[12] Novelty Machine Works
(3)=[13] Mills Novelty
(4)=[14][15] Bracford Novelty, Reliance Novelty


(1)=[16] Chicago Slotmachine
(2)=[17] Monarch Card Machine
(3)=[18] Royal Novelty

特に大通り沿いの建物は現代的な高層ビルになっているところが多く、当時の面影はありませんが、中には時代を感じさせるビルもあり、ひょっとしたらここで、今ではアンティークとして人気があるスロットマシンが作られたりしていたのかなあと想像してみたりしました。

市中から空港方面に向かうBARTには4種類の線があり、空港に向かう線は一つしかなく、土地勘がないとうっかり乗り間違えそうに思われたので、少し早めに空港に戻りました。興味のない人には大して面白くもないであろうこの酔狂に、嫌な顔もせず付き合ってくれた女房には、心よりありがとうと言いたいです。

それにしても、次にラスベガスに行けるのはいったいいつになるんだろう。現地からの情報では、ラスベガスでは賑わいがすっかり戻ってきているとのことですが、それというのも地域挙げてワクチンの接種を進めているからです。それに比べて、ろくに手を打たない日本の行政にはまったく腹が立ちます(大事なことなので二回言いました)。