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フリッパー・ピンボールに関する重箱の隅 「フリッパー」と「Gottlieb」

2017年01月22日 20時37分15秒 | ピンボール・メカ
「ピンボール」と聞くと、一般的にはこの画像のようなゲーム機を想起する人が殆どだと思います。



Fire Ball(Bally、1972)

それはそれで間違いではないのですが、しかし実は、「ピンボール」はかなり広い範囲をカバーする言葉で、例えば過去に言及したピン・ビンゴ(関連記事:都立大学駅前のビリヤード場「アサヒ」と「ピン・ビンゴ」)もピンボールの一種ですし、また日本の「パチンコ」や「スマートボール」だってピンボールの概念に含まれます。要するに、「ピン」と「ボール」で構成されたゲームはたいていピンボールと思って差支えないくらいの言葉です。

と言うわけで、上記画像のようなゲームを特定して指したい場合は、「フリッパー・ピンボール(Flipper Pinball)」という言葉が使われることがあります。今回の記録は、このフリッパー・ピンボールの名の由来となる「フリッパー」に関するものです。

「フリッパー」とは、プレイフィールド上のボールを弾き返すためにプレイヤーが操作する装置のことです。細長い涙滴型をしており、キャビネットの両側面に設置してあるボタンを押すと、鈍端を軸に鋭端が一定の角度で跳ね上がる(=Flip)ことからそう呼ばれています。


Domino(Gottlieb、1968)のフリッパー。そのサイズから「2インチ」と呼ばれる。


Trail Drive(Bally、1970)のフリッパー。そのサイズから「3インチ」と呼ばれ、現在の主流となっている。初めて登場したのは1968年。


初めてフリッパーを装備したピンボール機は、米国Gottlieb社の「Humpty Dumpty(1947)」とされています。実際には、それ以前から「フリッパー」を装備するゲーム機はありましたが、それらはいわゆる「フリッパー・ピンボール」とは趣が異なるものでした。Gottliebはこのゲームを「フリッパー」と名付けたいと考えていましたが、1932年に既に同名のゲーム機が存在していたため、断念せざるを得ませんでした。

ところで、ピンボールにフリッパーが搭載される以前の時代、ピンボールは偶然によるゲーム(= A Game of Chance)、すなわちギャンブル機とみなされ、アメリカの多くの州で禁じられましたが、フリッパーは、ピンボールは熟練のゲーム(= A Game of Skill)であり、ギャンブルではないと主張する根拠とされました。

このことからもわかるように、ギャンブルと非ギャンブルの境目は、ゲームの結果が偶然(Chance)と技量(Skill)のどちらで決まるものであるかが一般的な判断基準となっています。余談ながら、パチンコやパチスロがギャンブルゲームとみなされない理由の一つは、結果に技量が関与する余地が存在する熟練のゲームだと解釈されているからです。

Williams社やBally社といった他の大手ピンボール機メーカーは、かねがねギャンブル機開発にも手を染めていましたが、Gottlieb社はひたすら非ギャンブルのアミューズメント機の開発に徹していました。その意味でもフリッパーは同社のプライドでもあったようで、フリッパーの絵と「SKILL GAME」という文言が入った図柄をトレードマークとして登録し、これは1960年代から1970年までのGottlieb社のフリッパー・ピンボールのバックグラスには(おそらく必ず)描かれ、それ以降も、1980年までフライヤーに掲載し続けました。


Gottlieb社が登録したトレードマーク。現在はその権利が放棄されているが、200ドルほど支払えば、いくらかの条件はあるものの、再登録して使えるようになるらしい。


KING & QUEENS(Gottlieb 1965)のバックグラス。下段中央に「FLIPPER SKILL GAME」のトレードマークがある(赤円内)。


CIRCUS(Gottlieb 1980)のフライヤー。赤円内にトレードマークがある。

Gottlieb社のこの主張はいささかくどいようにも見えますが、例えばニューヨーク州などはピンボール機を1975年まで禁止していたなど、ピンボール機に対する偏見は比較的最近まであったので、同社としては意地にかけてそう言い続けていたのではないかと思います。

現在、フリッパー・ピンボールの市場は縮小し、今でも開発を継続している企業は、ほとんどGottlieb社Chicago Coin社(ご指摘により修正・20.04.02)の流れを汲むStern Pinball社一社になってしまっています。これというのも、フリッパー・ピンボール機は故障が多くメンテナンスが大変な割にゲーム時間が長くて商売としてうまみがないとみなされ、設置したがるロケーションが減ったのが大きな原因のようです。しかし、ファンはその灯を消すまいと奮闘しており、フリッパー・ピンボールを敢えて主たる設置機種とするロケーションは世界各地にあり、それらの中にはファンの聖地と化しているものもあります。その様子はまるで、絶滅危惧種を懸命に保護する人々の戦いのようにも見えます。

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2 コメント

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Unknown (名無しさん)
2020-04-02 01:34:11
スターン・ピンボールって、ゴットリーブ(プリミアテクノロジー)ではなく、データイーストピンボール→セガピンボール(日本のセガ社(70年代にピンボールを出していた頃の開発)とは異なる。日本ではデータイーストピンボールに引き続きデータイーストが代理店を務めた)→スターン・ピンボールという変遷だった気が・・・

ちなみに、末期のプリミアテクノロジー製品はサミーが代理店として販売していました
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Unknown (nazox2016)
2020-04-02 22:04:58
ご指摘いただきありがとうございます。今の今まで気づかずにおりました。おっしゃる通り、現スターンのルーツにゴットリーブは関係しておりません。本当は「シカゴ・コイン」とするはずのところを、それまでずっとゴットリーブについて語っていた勢いでついうっかり「ゴットリーブ」としてしまっていたようです。該当箇所は修正いたしました。これからも間違いなど発見されましたらご指摘いただけますようお願い申し上げます。

一応確認してみたところ、現在のスターン・ピンボールにたどり着くまでの流れは、シカゴ・コイン(1931)→ スターン・エレクトロニクス(1977)→ データイースト・ピンボール(1987)→ セガ・ピンボール(1994)→ スターン・ピンボール(1999)でした。
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