ワタシは「野村電機」というゲーム機メーカー(?)を知らなかったので、ブログの記事中で情報のご提供を訴えたところ、先月、ご高覧下さったTOMさんという方から、「業界紙『ゲームマシン』1976年8月15日号の記事では、野村電機の社長が、後にデータイーストの創業者となる福田哲夫氏となっている」との興味深いコメントをお寄せくださいました。

TOMさんが指摘する、野村電機の倒産を報じる記事(業界紙「ゲームマシン」1976年8月15日号3面より)。確かに社長は「福田哲夫」と記載されている。
TOMさんはその後の掲示板でのやり取りの中で、さらに野村電機は「The Great Ocean Cup」を作る前に、日本ブランズウィック社とコインオペレーションの光線銃を共同開発したというゲームマシン紙の記事をご紹介くださいました。しかし、その記事では、野村電機の社長に別人の名前が記載されており、謎が謎を呼ぶ展開になっていました。

野村電機が日本ブランズウィックと開発したコインオペレーションの光線銃の記事(業界紙「ゲームマシン」1974年11月10日号4面より)。この記事では、野村電機の社長は「野村良男」となっている。
ちょっと横道ですが、日本ブランズウィック社は、1961年に米国のブランズウィック社と三井物産の合弁会社として設立されたボウリング関連事業の総合商社でしたが、日本のボウリング市場の低迷により2007年に合弁が解消され、現存しません。
「Brunswick」のブランドは、日本ではボウリング設備や用具で有名ですが、エアホッケーやプールテーブルなどでもその名を見かけることもありました。米国ではボウリングだけでなく、プレジャーボートの大手メーカーとして等、総合レジャー機器メーカーとしてもよく知られている大企業です。
コメントの内容の詳細については上記当該記事のコメント欄をご参照いただくとして、ワタシとしては、手元の資料にもう少し詳しい話はないものかとひっくり返してみたところ、データイーストの初のオリジナルビデオゲームと言っても良いと思われる「アストロファイター」のフライヤーに、興味深い記述を発見しました。


アストロファイターのフライヤーの表紙側(上)と中身側(下)。A3を二つ折りした4ページ構成。
フライヤーの裏表紙に当たる部分には、代表取締役社長としての福田哲夫氏の署名が入った「ごあいさつ」が掲載されています。画像では読みにくいので書き起こします(注と下線はワタシによる)。
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ごあいさつ
データイースト株式会社は、昭和51年(注1)、エレクトロニクス分野の第一線で活躍する技術者が、共通の目的のもとに結集した頭脳集団です。コンピューターを中心としたシステム・コンピュータ周辺機器、計測システム機器の開発・生産の必須化という今後の業界の方向を察知し、そのニーズに応えようというのが、その共通の目的でした。以後一転して、メダルマシン、ジャックロット(注2)を契機にスーパーブレーク(注3)、バルーンサーカス(注4)、スペースファイター(注5)等のゲーム機器を製造販売致して参りました。
私たちの原動力は<技術力>と<ユーザーに密着した機器開発>の一語に尽きます。今後もこの姿勢を崩さず、技術に一層の磨きをかけてゆく所存です。より一層のご指導とご鞭撻を仰ぎたくお願いする次第でございます。
代表取締役社長 福田哲夫(自筆署名)
注1:1976年。
注2:1977年発売のシングルメダル機(関連記事:メダルゲーム ジャトレ「TV21」の開発元が判明!)。
注3:ウィキペディアによれば、1976年発売のブロック崩しゲーム。販売時期が、「(ゲームメーカーとなる)契機」と言っているジャックロットよりも早いのはどういうこと?
注4:詳細不明。おそらくは米国Exidy社が1977年に開発した「Circus」という風船割りゲーム(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(3) スペースインベーダー(1978)以前のヒットゲーム)のコピーもしくは類似品と思われる。
注5:1978年発売の、スペースインベーダーの類似品。
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さて、ここまでについてまとめておこうと思います。
1974年:野村電機、日本ブランズウィック社とコインオペレーションの光線銃ゲームを共同開発。この時の野村電機の社長は野村良男氏らしい。
1975年:野村電機、娯楽提供企業恵通商事の依頼で大型マスメダルゲーム開発。
1976年:野村電機倒産。この時の野村電機の社長は福田哲夫氏らしい。
:福田哲夫氏がデータイースト立ち上げ。
1977年、データイースト、一人用メダルゲーム機「ジャックロット」発売。
不明(1977以降):データイースト、米国Exidy社のビデオゲーム「Circus」の類似品「バルーンサーカス」発売。
1979年:データイースト、スペースインベーダーの類似品「スペースファイター」発売。
1980年:データイースト、「アストロファイター」発売。
まだまだ謎の多い野村電機とデータイーストではありますが、少なくとも「野村電機」がAM産業に関わって来た実績の一部と、「データイースト」の出自の一部が垣間見えたことはワタシにとっては進歩です。特に、「ジャックロット(TV21)」がゲームメーカーとしてのデータイーストに強く関わっていたという事実は全く予期していなかった新事実でした。
ところで、ワタシも「アストロファイター」をそこそこプレイしましたが、当時のワタシの主たるホームであった「マジックランド都立大学店」に設置されていたものは、敵弾が僅か1ドットの微小な点で表されていました。ところが、よそでは敵弾が縦長の棒状であるバージョンを見ています。幅も2ドットくらいあったかもしれません。おそらくはバージョン違いという事なのでしょう。この辺にも何かエピソードがありそうなものですが、ご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。