セガ「PERISCOPE」フライヤー。
日本におけるコインマシンメーカーの老舗と言えば、セガ、タイトー、それにナムコでしょう。しかし、これら老舗も、ここ10年以上の長期に及ぶアーケードゲーム業界の低迷の余波で、オーナーシップが変わったり、あるいは会社組織が変わって社名が変更されるなど、いずれも創業期とはずいぶん趣が変わってきているように感じます。
他に老舗メーカーと言えば、日本娯楽機と関西精機の名も挙げるべきでしょうが、現在の彼らは、前者はオペレーターに特化し、後者は残念ながら存在しません。
日本国内でコインマシンが本格的に製造されるようになるのは、おそらく1964年頃以降と言って良いのではないかと思われます。ナムコ(当時は中村製作所)、日本娯楽機、それに関西精機の三社は、それ以前からコインマシンを製造していましたが、現在に伝わる当時の国産コインマシンはごく僅かであるところを見ると、このころはまだバラエティを取り揃えるだけの市場も余力もなかった時代だったようです。
当初のセガは、もっぱらアメリカの、娯楽機に限らないコインマシンを輸入し、日本各地の米軍基地に設置していたと聞いています。もともとセガは、極東の地でスロットマシンを製造販売するために設立された外資系の会社をそのスタートとしていたとのことで、この辺についてはいずれ機会を見て述べてみたいと思っています。
タイトーは、「ミハイル・コーガン」という在日ロシア系ユダヤ人が、1953年に「太東貿易」という会社を立ち上げ、ウォッカの製造販売を始めたのが始まりだそうです。その後、1956年前後頃にピーナツの自販機を手掛け、成功を収めたことがコインマシンの世界に入るきっかけだったようです。このあたりについても、いずれもう少し述べてみようと思っています。
さて、おそらく1966年か67年頃、そしてたぶん横浜ドリームランドでの記憶だと思うのですが、この時ワタシは、「ペリスコープ(PERISCOPE)」というゲーム機に出会い、衝撃を受けました。これがワタシにとって、おそらく二番目に古いコインマシンの記憶です。
「ペリスコープ」は、潜望鏡を覗きながら敵戦艦を捉えて魚雷を発射し、命中すると敵戦艦が炎上しながら沈没するというエレメカ機です。潜望鏡の握りについているボタンを押すと、魚雷が光の筋となって敵戦艦に向かって発射される演出が滅法美しくカッコよく、また、潜望鏡にはシャッターが内蔵されており、お金を入れるとシャッターが開いて視界が開けるようになり、ゲームが終わるとまたシャッターが閉じて何も見えなくなるという仕組みにも痺れたものでした。
後に知ったことですが、「ペリスコープ」は、1965年に、ナムコとセガの両社が同名にして同コンセプトのゲーム機として発売しています(セガ社製は1966とする資料もある)。ワタシがあの時遊んだのがどちらかであるかは不明ですが、現在見ることができる資料では、セガ製品は1人用仕様であることに対し、ナムコ製品は3人同時プレイが可能であるところから、おそらくナムコ製の方だったのだろうと推測しています。
ゲームアーケード業界の歴史については、業界団体であるJAMMAのウェブサイトで、ある程度見ることができます。
http://www.jamma.or.jp/history/
日本におけるコインマシンメーカーの老舗と言えば、セガ、タイトー、それにナムコでしょう。しかし、これら老舗も、ここ10年以上の長期に及ぶアーケードゲーム業界の低迷の余波で、オーナーシップが変わったり、あるいは会社組織が変わって社名が変更されるなど、いずれも創業期とはずいぶん趣が変わってきているように感じます。
他に老舗メーカーと言えば、日本娯楽機と関西精機の名も挙げるべきでしょうが、現在の彼らは、前者はオペレーターに特化し、後者は残念ながら存在しません。
日本国内でコインマシンが本格的に製造されるようになるのは、おそらく1964年頃以降と言って良いのではないかと思われます。ナムコ(当時は中村製作所)、日本娯楽機、それに関西精機の三社は、それ以前からコインマシンを製造していましたが、現在に伝わる当時の国産コインマシンはごく僅かであるところを見ると、このころはまだバラエティを取り揃えるだけの市場も余力もなかった時代だったようです。
当初のセガは、もっぱらアメリカの、娯楽機に限らないコインマシンを輸入し、日本各地の米軍基地に設置していたと聞いています。もともとセガは、極東の地でスロットマシンを製造販売するために設立された外資系の会社をそのスタートとしていたとのことで、この辺についてはいずれ機会を見て述べてみたいと思っています。
タイトーは、「ミハイル・コーガン」という在日ロシア系ユダヤ人が、1953年に「太東貿易」という会社を立ち上げ、ウォッカの製造販売を始めたのが始まりだそうです。その後、1956年前後頃にピーナツの自販機を手掛け、成功を収めたことがコインマシンの世界に入るきっかけだったようです。このあたりについても、いずれもう少し述べてみようと思っています。
さて、おそらく1966年か67年頃、そしてたぶん横浜ドリームランドでの記憶だと思うのですが、この時ワタシは、「ペリスコープ(PERISCOPE)」というゲーム機に出会い、衝撃を受けました。これがワタシにとって、おそらく二番目に古いコインマシンの記憶です。
「ペリスコープ」は、潜望鏡を覗きながら敵戦艦を捉えて魚雷を発射し、命中すると敵戦艦が炎上しながら沈没するというエレメカ機です。潜望鏡の握りについているボタンを押すと、魚雷が光の筋となって敵戦艦に向かって発射される演出が滅法美しくカッコよく、また、潜望鏡にはシャッターが内蔵されており、お金を入れるとシャッターが開いて視界が開けるようになり、ゲームが終わるとまたシャッターが閉じて何も見えなくなるという仕組みにも痺れたものでした。
後に知ったことですが、「ペリスコープ」は、1965年に、ナムコとセガの両社が同名にして同コンセプトのゲーム機として発売しています(セガ社製は1966とする資料もある)。ワタシがあの時遊んだのがどちらかであるかは不明ですが、現在見ることができる資料では、セガ製品は1人用仕様であることに対し、ナムコ製品は3人同時プレイが可能であるところから、おそらくナムコ製の方だったのだろうと推測しています。
ゲームアーケード業界の歴史については、業界団体であるJAMMAのウェブサイトで、ある程度見ることができます。
http://www.jamma.or.jp/history/