オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

コインマシンメーカーの老舗と「ペリスコープ」の話

2016年02月28日 18時47分39秒 | 歴史
 セガ「PERISCOPE」フライヤー。

 日本におけるコインマシンメーカーの老舗と言えば、セガ、タイトー、それにナムコでしょう。しかし、これら老舗も、ここ10年以上の長期に及ぶアーケードゲーム業界の低迷の余波で、オーナーシップが変わったり、あるいは会社組織が変わって社名が変更されるなど、いずれも創業期とはずいぶん趣が変わってきているように感じます。

 他に老舗メーカーと言えば、日本娯楽機と関西精機の名も挙げるべきでしょうが、現在の彼らは、前者はオペレーターに特化し、後者は残念ながら存在しません。

 日本国内でコインマシンが本格的に製造されるようになるのは、おそらく1964年頃以降と言って良いのではないかと思われます。ナムコ(当時は中村製作所)、日本娯楽機、それに関西精機の三社は、それ以前からコインマシンを製造していましたが、現在に伝わる当時の国産コインマシンはごく僅かであるところを見ると、このころはまだバラエティを取り揃えるだけの市場も余力もなかった時代だったようです。

 当初のセガは、もっぱらアメリカの、娯楽機に限らないコインマシンを輸入し、日本各地の米軍基地に設置していたと聞いています。もともとセガは、極東の地でスロットマシンを製造販売するために設立された外資系の会社をそのスタートとしていたとのことで、この辺についてはいずれ機会を見て述べてみたいと思っています。

 タイトーは、「ミハイル・コーガン」という在日ロシア系ユダヤ人が、1953年に「太東貿易」という会社を立ち上げ、ウォッカの製造販売を始めたのが始まりだそうです。その後、1956年前後頃にピーナツの自販機を手掛け、成功を収めたことがコインマシンの世界に入るきっかけだったようです。このあたりについても、いずれもう少し述べてみようと思っています。

 さて、おそらく1966年か67年頃、そしてたぶん横浜ドリームランドでの記憶だと思うのですが、この時ワタシは、「ペリスコープ(PERISCOPE)」というゲーム機に出会い、衝撃を受けました。これがワタシにとって、おそらく二番目に古いコインマシンの記憶です。

 「ペリスコープ」は、潜望鏡を覗きながら敵戦艦を捉えて魚雷を発射し、命中すると敵戦艦が炎上しながら沈没するというエレメカ機です。潜望鏡の握りについているボタンを押すと、魚雷が光の筋となって敵戦艦に向かって発射される演出が滅法美しくカッコよく、また、潜望鏡にはシャッターが内蔵されており、お金を入れるとシャッターが開いて視界が開けるようになり、ゲームが終わるとまたシャッターが閉じて何も見えなくなるという仕組みにも痺れたものでした。

 後に知ったことですが、「ペリスコープ」は、1965年に、ナムコとセガの両社が同名にして同コンセプトのゲーム機として発売しています(セガ社製は1966とする資料もある)。ワタシがあの時遊んだのがどちらかであるかは不明ですが、現在見ることができる資料では、セガ製品は1人用仕様であることに対し、ナムコ製品は3人同時プレイが可能であるところから、おそらくナムコ製の方だったのだろうと推測しています。

 ゲームアーケード業界の歴史については、業界団体であるJAMMAのウェブサイトで、ある程度見ることができます。
http://www.jamma.or.jp/history/

古いコインマシンに関するブログを始めるにあたり、ご挨拶

2016年02月28日 15時08分46秒 | その他・一般
  (2010年秋、「Chicagoland Show(イリノイ州シカゴ近郊で年2回開催されるコインマシンの骨董市)にて撮影)

 「コインマシン(Coin Machine)」、とは、硬貨を投入して稼働させる機械の事です。例えば、飲料やタバコの自動販売機もその一種ですが、ワタシがこの言葉を使うときは、特に注釈がない限り、ゲームセンターのゲーム機やカジノのスロットマシン類などの娯楽機を指します。

 ワタシの最も古いコインマシンの記憶は、たぶんワタシが幼稚園に上がっていたかどうかの1964年前後、東横線都立大学駅前にあったゲーム場で遊んだピンボール機についてのものです。ごく断片的にしか覚えていないのですが、当時、幼いワタシの面倒を見てくれていた叔母が、ワタシがそのゲーム場にあまりに強い興味を示すので根負けして一度だけ遊ばせてくれたというような事だった気がしています。その時に遊んだマシンのフリッパー(ボールを弾き返す仕掛け)の操作ボタンはキャビネット前面に付いていたように思うのですが、その後にいくら調べても、そのような操作系のピンボール機の資料に行き当たったためしがなく、これは今でも腑に落ちていません。

 これを皮切りとして現在に至るまで、ワタシの人生のすぐそばには、殆ど常にコインマシンやギャンブルゲームがありました。
 ところが、馬齢を重ねるにつれ、徐々にそれらに関する記憶が薄れて来ており、既にいくつかは修復不能なまでにあやふやになってしまっています。そこで、完全に忘れてしまう前に文章に記録しておこうと思い立ち、本ブログを立ち上げるに至りました。

 そういうわけで、今後拙ブログでは、ワタシの記憶に残る古いコインマシンやその周辺のエピソードを中心に、副次的に知るに至ったコインマシンやゲーム機メーカーの歴史などについて、記して行こうと思います。

 なお、余談ではありますが、拙ブログの記述人は、サーバーの容量オーバーのために更新が止まり、ついにはNiftyのサービス変更により廃止となるラスベガス旅行記個人ウェブサイト「東京ラスベガス(など)ランド」と同一です。そのため、ときどき、ラスベガスの旅行記とか、ギャンブルやボウリングなど、コインマシンではない分野に脱線することもあろうかと思いますが、なにとぞお許しいただきたくお願い申し上げます。