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「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた

2019年07月14日 17時20分55秒 | 歴史

拙ブログではこれまで、折に触れてメダルゲームの歴史に言及してきましたが、それらは個別的・断片的であったため、全体の経緯を把握することが困難でした。そこで今回は、最近になって判明した新事実(あくまでもワタシ個人にとって、の意味で)を含んで、メダルゲームと言うジャンルの発生から確立までの流れを一つの記事にまとめておこうと思います。

ワタシは、メダルゲームという業態がAM業界に発生してから業界の定番ジャンルとなるに至るまでには、以下の4つの段階があったと考えています。

(1)胎動期 (1968~71)
sigmaが、現在のメダルゲームの原型となる実験店舗の運営を行っていた時期。sigmaはこの運営方法を「カスタム方式」と名付けた。

(2)黎明期 (1971~73)
初のカスタム方式の単独店舗がオープンした以降の時期。当初は業界人の誰もがその成功を疑問視し、追随する者はおらず、「カスタム方式」は「シグマ方式」と呼ばれた。
しかし、1972年夏ころから模倣する同業者が現れ始めたのを皮切りにメダルゲーム場は急増し、メダルゲームは「メダルイン・メダルアウト方式」と呼ばれるようになった。

(3)発展期 (1974~77)
国内メーカーが機器開発に乗り出した時期。このころから「メダルゲーム」という呼称が定着した。しかし、なにぶん新しい業態なため業界の秩序を維持する体制は未熟で、違法な賭博営業や年少者の扱いなどに関する問題や混乱が山積された時期でもある。

(4)停滞期 (1978~)
スペースインベーダー以降のビデオゲームブームにより、業界におけるメダルゲームのシェアが縮小した時期。

以上4つの時期のそれぞれについて、もう少し詳しいメモを残しておきます。

◆1968年 胎動期その1
・sigma(真鍋勝紀氏創立)は、「新小岩ボウリングセンター」に、スロットマシン1台、ビンゴ・ピンボール機数台、ウィンターブック(関連記事:大阪レゲエ紀行(6) DAY 2・その1:tさんとGマシンなどの話で盛り上がるの巻)1台で構成するメダルゲームの実験コーナーを設けた(出典1)。 ワタシはずっと、翌1969年の渋谷での店舗から始まったと思っていたので、この事実を拙ブログで言及するのはこれが初となる。

◆1969年 胎動期その2
・この年の2月、sigmaは渋谷道玄坂で新装した百貨店「緑屋」に併設されたボウリング場「東京ホリデーボウル」(ワタシはこのボウリング場の屋号は「ミドリボウル」だったように記憶している。屋号の変更があったのかもしれない)内に、メダルゲームの実験店舗「ゲームファンタジア・カスタム」をオープンした(関連記事:メダルゲームの曙を見た記憶)。この頃はまだ「メダルゲーム」と言う言葉は存在せず、sigmaは自社のこの新業態を「カスタム方式」と名付けた(出典2)。


業界誌「アミューズメント産業」74年3月号に掲載された記事「特集 メダルゲーム カスタム方式からメダルゲームまで」の冒頭に掲げられた、渋谷カスタムの写真。左手にビンゴ機が5台、正面もおそらくビンゴ機と思われるものが1台、右手奥にはリアプロジェクター式のスロットマシンが3台と、手前にウィンターブック1台が見える。

◆1970年 胎動期その3
・大田区池上の「トーヨーボール」に第三の実験店舗「池上カスタム」をオープンし、カスタム方式のデータ蓄積を続ける(出典2)。

◆1971年 黎明期その1 メダルゲーム誕生
・年末も近い12月18日、sigmaは新宿歌舞伎町の東急ミラノビル内に、初めて他の施設の付帯施設ではない、単独店舗である「ゲームファンタジア・ミラノ」をオープンする(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)(出典3)。この時点ではまだその成功に懐疑的だったAM業界は、この業態を「シグマ方式」と呼ぶ(出典4)。


開業直後のゲームファンタジア・ミラノの様子を伝える、アミューズメント産業1972年3月号の記事の一部。

◆1972年 黎明期その2 同業他社参入と業界の混乱
・「ゲームファンタジア・ミラノ」がオープンしてからおよそ9か月後の1972年8月、「シグマ方式」を模倣する同業者が現れ、これを皮切りに同様の模倣店舗がぼつぼつと現れるようになる(出典5)。このことからワタシは、日本のAM業界にメダルゲームと言うジャンルが確立されたのはこの年であるという認識でいる(関連記事:「メダル」と「メダルゲーム」という呼称についての備忘録(1))。

・しかし、「シグマ方式」の営業に新規参入する業者の中にはメダルを換金する悪質な者も少なからず発生し、業界にとって深刻な問題となった。

◆1973年 黎明期その3 「メダルゲーム」という言葉の誕生
・夏ごろ、AM業界は、業界における「シグマ方式」の正式呼称を「メダルイン・メダルアウト方式」と決める(出典4)。

・メダルゲームの業態を悪用して違法な賭博営業を行うオペレーターが後を絶たないため、業界団体は警察庁の指導を得て、メダルイン・メダルアウト方式のロケーションの営業者が遵守する方針「メダルゲーム場運営基準」を策定する(出典6)。

◆1974年 発展期その1 国産メダルゲーム機の登場
・メダルゲーム場は爆発的に増加したが、業界にはまだ業界全体の秩序を維持する体制が確立されておらず、黎明期からつづくメダルゲーム賭博や年少者の扱いなどに関する混乱や問題があった。

・この年、セガは初の国産メダルゲーム機「シルバーフォールズ(Silver Falls)」(関連記事:初の国産メダルゲーム機:シルバーフォールズ)と、次いで(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)を発売する。セガはさらに、初のメカ式の競馬メダルゲーム機「ハーネスレース(HARNESS RACE)」を、同年の秋に発売する(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))。



セガ初の国産メダルゲーム機「シルバーフォールズ」(上・発売年不明)」と、1974年に発売したメダルゲーム機「ファロ」(下)。当時は多人数用メダルゲーム機というものはまだほとんどなかったこともあってか、メダルゲーム場の殆どに設置される大ヒット機種となった。

・「メダルゲーム」という言葉が業界に定着し、ほぼ統一されるが、タイトーは独自に「Medal In Medal Out」の頭文字を取った「ミモ(MI-MO)」という用語を使い続けた(関連記事:「メダル」と「メダルゲーム」という呼称についての備忘録(2))。


◆1975年 発展期その2 他の国内企業もメダルゲーム機開発に参入
・タイトー、ユニバーサル、任天堂レジャーシステムなどがメダルゲーム機開発に参入する(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム / 初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a)。

・タイトー初のメダルゲーム「ダークホース」、「デッドヒート」、「ギャラクシーフォールズ」は、75年2月に同社の新製品発表会で披露された。

・ユニバーサル初のメダルゲームが何で、いつ頃発売されたのかはまだよくわかっていないが、「ニューウィンターブック」は、ゲームマシン紙においては、74年11月20日号に初めてその広告を掲載している。

・任天堂レジャーシステムの初メダル機はビデオ競馬の「EVRレース」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4)競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム)。EVRシステムは故障も多かったのだが、それでもほとんどのメダルゲーム場に設置されたのではないかと思うくらい普及した。

・sigmaは、後に自社の看板タイトルとなる初のオリジナルメダルゲーム機「ザ・ダービーMARK φ」を稼働させている(関連記事:sigma「THE DERBY」シリーズの系譜メモ (と、GWに伴う更新スケジュール変更のお知らせ)。


◆1978年 停滞期
・スペースインベーダーに端を発するビデオゲームの一大ブームにより、AM業界におけるメダルゲームのシェアは著しく減少し、メダルゲームの退潮傾向は数年間続いた。ワタシのあやふやな記憶では、ロケーションで再びメダルゲームコーナーの拡張が見られるようになったのは、1983年か84年頃からであるように思われるが、この辺についてはまだ裏付けとなる資料がないため、今後の調査を要する。

◆出典
1:これからますます四次元ゲーム産業が面白い(真鍋勝紀著・かんき出版 1998 P.109)
2:同 P.112
3:同 P.115
4:ゲームマシン創刊号(74年8月10日号 P.7)
5:これからますます四次元ゲーム産業が面白い(P.131)
6:アミューズメント産業(1974年2月号 P.56)


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2 コメント

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Unknown (tom)
2019-07-14 23:04:47
停滞期以降の調査、ご期待申し上げます。

今思えば貸メダル価格も随分変わりつつありますね。コチラでは、1000円/33枚(紙筒巻き)のお店がありました。


Unknown (nazox2016)
2019-07-15 11:54:48
tomさん、コメントいただきありがとうございます。

今回の記事は、表題に沿うなら「発展期」で終わっても良かったのかもしれません。しかし、実際にこの目で見てきた、インベーダーブーム以降のビデオゲームブームによりメダルが勢力を弱めて行ったところはメモしておきたかったので、なかば無理を承知で「停滞期」まで入れてしまいました。

それ以降については、ワタシの手元には80年代の様子を確認できる資料があまりないので、現時点では続きのめどは立っておりません。ここはゲームマシンアーカイブの続きに期待したいところです。

ところでメダルが1000円33枚って、sigmaより高いですね。sigmaもメダル単価は30円でしたが、1000円の巻きメダルは35枚でした。

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