今を去ること11年前の2011年、拙ブログではおなじみの米国Bally社が、「SKEE BALL (スキーボール)」というタイトルのスロットマシンを発表しました。
Ballyが2011年に発表したスロットマシン「スキーボール」のボーナスゲーム画面。慌てて撮影したので若干ボケているのが悔やまれる。
上の画面から、正面ボード部を拡大した図。ボケている画を画質調整しているので画面が汚い。
「スキーボール」は、その終端が若干持ち上がってジャンプ台となっている長さ数メートルのレーンに、直径9㎝程の木製のボールをボウリングのように転がし入れてジャンプさせ、正面ボードに設置されている穴に入れて得点を競うゲームです。穴はいくつかあって、その大きさや位置によって得点が異なります。
スキーボールが開発されたのは20世紀初頭(1907年に特許出願、翌1908年に特許取得)ですが、現在も全米の多くのアーケードやアミューズメントパークに設置されており、アメリカ人なら知らない者はいないほど浸透している定番ゲームとなっています。日本では、広い設置面積を要するためかどこにでもあるというわけにはいきませんが、遊園地などで見ることができます。
日本での設置例として、八景島シーパラダイスに設置されているスキーボール(八景島シーパラダイスの公式ウェブサイトより)。レーンの長さは一律でなく、これは比較的短いタイプ。
スキーボールは子供でも難なくできる簡単なゲームですが、誕生以来1世紀以上を経た今でも健在なのは、このゲームにはボウリングとダーツを併せたような技量が要求される、普遍的な競技性があるからだと思います。
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さて、実は今回の話の本題はここからです。(毎度前置きが長くてすみません)。拙ブログではかつて、パチンコの起源から発達の歴史を追った書籍「パチンコ」をご紹介いたしました(関連記事:法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介)。
著者の杉山一夫さんは自宅を改造して「パチンコ誕生博物館」を造り上げ、パチンコの歴史を追う調査で得た資料を公開されています(関連記事:【特報】パチンコ誕生博物館オープン(1))。その杉山さんが、このたび新たな著書「法政大学出版局 ものと人間の文化史 188 玉ころがし」を上梓されました。
杉山一夫さんの新著「玉ころがし」の表紙。
このご本は 3200円+税で、購入可能な書店、オンライン書店は法政大学出版局の公式ウェブサイトで紹介されています。
「玉ころがし」は、パチンコと同じく「バガテール」を祖としますが、パチンコは欧州で生まれた「ウォールマシン」を経ており、バガテールの孫と言えます。一方の玉ころがしは江戸時代に西洋から持ち込まれたバガテールが直接日本国内で変容しており、バガテールの子に当たります。
従って玉ころがしの登場時期はパチンコよりもずっと早く、明治10年代からすでにパチンコのようにゲームの結果に応じて景品を提供する営業が行われ、たいそうな人気を博していたそうです。本書の4ページには、昭和26年(1951)のアサヒグラフ誌を初出とする「パチンコが流行るにつけても昔の「玉ころがし」を想い出す」で始まる秋山安三郎(演劇評論家、随筆家)の文章が紹介されています。
上から順に、出島資料館に掲示されていたバガテールの説明、長崎阿蘭陀出島之図の外国人がバガテールを遊んでいる図(部分)、それに復元されたバガテールテーブル。説明では「ビリヤード」と言っている。
明治29年(1896)、玉ころがしをアメリカに持って行って運営した櫛引弓人(くしびき・ゆみんど)という日本人がいました。櫛引は単なる玉ころがし屋に留まらず、日本風の公園事業(日本テーマのアミューズメントパークやファンランドの類)や、当時アメリカで良く行われていた博覧会のプロモーターとして成功し、アメリカにおける日本人社会の歴史に名を残しています。
残念ながら初期の玉ころがしの画像が見つからないのですが、拙ブログにしばしばコメントをくださるカナダのCaitlynが、自身のブログで「Tamakorogashi - Japanese Roll Ball - 玉ころがし」という記事を公開されており、ここに日本におけるバガテールから始まり、アメリカに広まっていくまでを今に伝える資料がたくさん掲載されていますので、ぜひご参照いただきたいと思います。
Caitlynのブログより、アメリカの有名な行楽地「コニ―アイランド」で営業されていた玉ころがしの図。ここでは「JAPANESE ROLLINGBOARD」と呼ばれている。
玉ころがしはアメリカでも好評を得て、同じアメリカの日本人社会内だけでなく、アメリカにも模倣する者が現れました。注目したいのは、1906年、後にスロットマシンの最大手メーカーとなるミルズ社が、玉ころがしを模倣した「Japanese Roll Ball 」を売り出した事実です。ミルズがその後の1910年に売り出した「オペレーターズベル」は、スロットマシンに初めてフルーツ柄を採り入れた機種で、これ以降フルーツはスロットマシンのデファクトスタンダードとなっています(関連記事:スロットマシンのシンボルの話(2) フルーツシンボルの出現)。
また、これまで拙ブログで何度か触れてきているGマシン「Winter Book」を製造していたアメリカのEvans社も「Japanese Roll Down」と言う名称の玉ころがしゲームを販売していた事実も目を惹きます。
こちらもCaitlynのブログより、アメリカEvans社が1929年に頒布したカタログに掲載されていた玉ころがし。
Caitlynは、杉山さんが本書を執筆するにあたり、カナダから多くの資料を提供しており、本文中の各所にそのお名前が出てきています。
同じバガテールから派生したパチンコは今も残っているのに、「玉ころがし」の名は消えてしまいました。しかし、アメリカに渡って定着した玉ころがしはやがて「スキーボール」に姿を変えて、現在もなお親しまれ続けていることが、冒頭の前置きにつながるというわけです。
なお、スキーボール同様今でもみられるボールを転がすゲームに、一般に「ケンタッキーダービー」と呼ばれるカーニバルゲームがあります。レーンの手前からボールを転がすのはスキーボールと同じですが、ジャンプ台はなく、レーンの先にはいくつかの穴があり、ボールが入った穴に記された数だけ正面ボードの駒(多くは競馬馬の形をしている)が進んで、他の客と着順を競うというものです。
これもそのゲーム性から玉ころがしから発展したものと言えそうです。日本でも70年代半ばに新宿歌舞伎町のゲームセンターが導入した実績があり、業界紙誌の記事で見た覚えがあるのですが、残念ながら締め切りまでに見つけることができませんでした。