オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

新・幻の「アタミセンター」を求めて(1):これまでの経緯

2024年03月31日 18時38分15秒 | 歴史

ワタシは長年、国産初のフリッパー・ピンボール機こまや社が1965年にリリースした「クレイジー15」であると信じ切っていました(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール:「クレイジー15ゲーム」)。

こまやのクレイジー15(1965)。フリッパーで弾き返したボールが入った穴の番号でビンゴゲームを行う。ワタシは長い間これが国産初のフリッパー・ピンボールゲームだと信じていた。

ところが昨年の11月、拙ブログではお馴染のカナダのCaitlynから、「日本のネットオークションにこんなモノが出ている」と、「スーパーホームランゲーム」のフライヤーの存在を知らされました。Caitlynの調査によれば、この機械は1948年製の米国製品のコピーであるようで、もしこれが「クレイジー15」よりも古いとすれば、シーラカンスの発見に匹敵する新発見です(関連記事:【衝撃!】国産初のフリッパーゲーム機に従来の説を覆す大発見?)。

二つ折り4ページで構成されている「スーパーホームランゲーム」のフライヤーの表紙部分。

しかし、このフライヤーが作成・頒布された時期がどうにもわかりません。何か特定できる手掛かりはないかと探して見つけたのが、裏表紙の「熱海市浜町四一六 アタミセンター」との記述でした。現在の熱海市には「浜町」は存在しません。従って「浜町」が消滅した時期がわかれば、その結果次第では国産初のフリッパー・ピンボール機の歴史が塗り替えられます。

「スーパーホームランゲーム」のフライヤーの裏表紙部分。「直営宣傳場」として「熱海市浜町四一六 アタミセンター」の記載がある。

こうして始めた「浜町」の調査を記録したものが、先月、4週に渡って連載した「幻の『アタミセンター』を求めて」シリーズでした。

◆幻の「アタミセンター」を求めてシリーズ
(1):失われた町、浜町(熱海市)
(2):旧浜町で発見した看板建築
(3):「加奈」以前の浜町
(4):最終回

この調査により、「浜町」の区域が概ね判明し、またかつて「アタミセンター」だったと思しき建物も発見できました。しかし、「浜町」は「クレイジー15」がリリースされた翌年の1966年まで存在していたことが判明し、また「アタミセンター」の存在時期も明らかにできなかったため、現時点ではこのフライヤーが「クレイジー15」よりも古いと断定することはできませんでした。

果たしてこのフライヤーはいつ作成・頒布されたのか。姿は見えているのに、必ずあるはずの正解には1ミリも近づくことができないまま手詰まりとなりました。残る可能性としては、実際に熱海に乗り込んで現地で調査することも考えられますが、その時点では実際に熱海に行く具体的なアイディアは全くありませんでした。

しかし、試しに調べてみると、熱海は想像していたよりもはるかに手軽に行けるところであることがわかりました。これなら無駄足となっても損害は軽微そうなので意を決し、去る3月15日(金)、1泊の旅程で調査してまいりましたので、次回よりその記録を「新・幻の『アタミセンター』を求めて」として残していこうと思います。

(つづく)

【ボーナストラック】:今回は新しい情報が皆無なので、熱海取材で撮った観光写真を少しご紹介してお茶を濁しておこうと思います。

温泉と言えば射的とストリップと言うのがワタシ世代の固定観念ですが、現在の熱海にはどちらも1軒ずつしか残っておらず、ストリップにあっては「静岡県唯一」とのことです。

画像:①熱海に唯一残る射的場「ゆしま遊技場」の看板。以前はパチンコ店だった時代もあるらしい。 ②ゆしま遊技場の入り口。間口は狭い。 ③入って右手の射的コーナー。撃ち落とした品物に得点が付いており、得た総得点で景品と交換するらしい。 ④入って左手のスマートボールコーナー。スマートボールとは名乗っているが、ビンゴのようなラッキーボール系で、最近作成されたジェネリック版。

画像:①静岡に唯一残るストリップ劇場「アタミ銀座劇場」の看板。なぜか大通り(銀座商店街)側ではなく、路地側に付いている。 ②銀座劇場の外観。角が面取りされているのは、かつてはここもカフェーだったということだろうか。 ③ウィンドウに見える張り紙。「女性お一人さまでもお気軽に」とある。今は男性向けに限定する時代ではないのだろう。そう言えばラスベガスでは一般の観光客を対象に「一日バーレスク教室」なんてものもある。 ④外壁の張り紙。上演時間は19時から24時とのこと。

①今年営業75年を迎えた老舗喫茶店「ボンネット」の店内の、入り口側。 ②同じくボンネット店内の奥側。 ③~④ボンネットのシグネチャーメニューであるハンバーガーセット。ボンネットは「加奈」のすぐ近くにあり、ここで重要なお話を聞くことができた。詳細は次回以降の本編で。


レトロゲームサミット (略称レゲット)に行ってきた

2024年03月24日 18時22分51秒 | その他・一般

昨日の3月23日(土)、京急蒲田駅近くの展示場、「大田区産業プラザ」で開催された、「レトロゲームサミット(略称レゲット)」に行って来ました。「レトロゲーム」をテーマに、同人誌や製作物の物販ブースが並ぶ、ごく小規模なコミックマーケット(コミケ)のようなものです。入場料は1000円で、前日までにオンラインでチケットを購入するという形になっていました。

レトロゲームサミット(レゲット)の、今回のポスター。

ワタシはかつて、埼玉県で行われた類似の催しに行ったものの、メインと期待していたブースはなぜか不在で他に興味を惹く出展もなく、ほぼ無駄足となった経験があります。その時の来場者はまばらで、今回もそれと大差あるまいと多寡を括っていたのですが、開場20分前に現地に到着してみると長蛇の列ができていました。しかも、並んでいる人は必ずしもワタシのようなオヤジ層ばかりではなく、ナウなヤングや親に付き添われた子供までいました。

開場を待つ人々の列。会場は2Fにあり、1Fに続く階段沿いに第一列、続いて3F以上に続く階段沿いに第二列が形成されていた。具体的な人数はわからないが少なくとも200人以上はいたように思う。

会場は来場者数に対してかなり狭く、人の行き来が難しいため、入り口と出口が別々のU字型の通路は一方通行とし、見逃したブースはいったん外に出てから再入場する必要があるほどでした。

開場の中の、入り口から入って奥を臨んだ様子。

今回のワタシの一番の目当ては、レトロゲーム界では有名なおにたまさんが主宰する「オニオン製作所」(関連記事:レトロビデオゲーム同人誌のご紹介)が出品する「Pinball Guide Book 1」(同人誌)と、「OBSコレクション・横浜ドリームランド編」(SDカード)を購入することでした。

「Pinball Guide Book 1」は、つい先日秋葉原BEEPで「品切れ」と言われていましたが、今回、これで念願を果たすことができました。

「Pinball Guide Book 1」の表紙。ページを開くのがもったいなくてまだ読んでいない。

もう一つの目的である「OBSコレクション・横浜ドリームランド編」は感涙ものでした。実はワタシも横浜ドリームランドが閉園する前にオールドゲームの画像を残しておこうと会社をさぼって行き、相当な数の写真を撮影していたのですが、画像を保管していたパソコンのハードディスクがクラッシュしてしまい、すべて失っていたのです。この時ほどバックアップの大切さを痛感したことはありませんでした。

「OBSコレクション・横浜ドリームランド編」のジャケット。4編に分けられた横浜ドリームランドのゲーム施設の動画に、上海の大世界(ダスカ)のルポ動画がオマケとして付いている。媒体はSDカード。

動画内で紹介されている、セガの「プロボウラー」(関連記事:プロボウラー(セガ、1972)に関するメモ)が3台並んでいる驚異のシーンなどは、薄れつつある記憶をまた蘇らせてくれました。なお、この動画集では触れられていませんが、メダルプッシャーに景品(と言ってもグリコのオマケ並みの極めてチャチな小物類)を入れて営業しており、いかに遊園地のゲームコーナーは風適法の対象外とは言えこれでいいのかと疑問を感じたことも思い出しました。

オニオン製作所はこれまでにもいくつもの同人誌を作成していますので、ぜひみなさんもお手元に持っておかれると良いと思います。
オニオン製作所公式HP

オニオン製作所の既刊案内。

欲を言うと、出展サークルがAMとコンシューマの区別なく配置されているところが、コンシューマを守備範囲外とするワタシにとっては不便でした。

なお、次回のレトロゲームサミット(レゲット)は、2024年11月30日(土)、場所はやはり大田区産業プラザ(PIO)の、1F大展示ホールだそうです。今回はかなりの人込みで窮屈だったので、この変更は大いに歓迎したいところです。


「三協音機」って知ってる?(番外):「天龍工業」って知ってる?

2024年03月17日 17時59分49秒 | メーカー・関連企業

前々回記事で「まるで見当がつかない」と言っていた機種の一つが、「天龍工業」の「クレミー」というクレーンゲーム機であることが、「しいたけと猫が好き」のオーサー、accs2014さんのご指摘で判明しました。どうもありがとうございます。

前々回記事で「まるで見当が付かない」と言っていた3機種のうち、①が天龍工業の「クレミ―」であることが判明。

「クレミ―」のさらに鮮明な画像は、「しいたけと猫が好き」のこちらの記事でも見ることができます。

accs2014さんの「しいたけと猫が好き」より拝借した、水上温泉「ホテル松泉閣」のパンフレットの一部。右端に「クレミ―」が写っている。

「クレミー」の名は、かつてある方から頂いたフライヤー画像の中で見ていた覚えはありましたが、今確認するとその商品名は「ロボットクレミー CR-7」と言って、人型のロボットをモチーフとしており、三協音機のフライヤーのものとはずいぶん形状が違いました。

「ロボットクレミー CR-7」のフライヤーの表裏。

「ロボットクレミー CR-7」のフライヤーの頒布時期は不明ですが、この機械は遊戯機械年鑑69年版にも掲載されており、おそらくは「クレミー」のバリエーションと思われます。「CR-7」とは、もしかしたら「CRaneマシンの7番目」の意味だったのかもしれません。

メーカーである「天龍工業」の名はAM産業の分野ではあまり聞いた覚えがありませんが、一体どういう会社なのでしょうか。遊戯機械年鑑を調べると、72年版巻末の「索引」には「ロボットクレミー CR-7」のメーカーとして天龍工業の名前がみつかります(この年の版は、本文中で機械名と簡単な説明のみ記載し、製造元は巻末の「索引」に記載している)が、78年版以前のどの版の業界団体リストにもその名前は見られません

大手の下請けで普段は表に名前が出て来ない比較的小規模な町工場が奮起して自社ブランドのゲーム機を作った可能性も思い付きましたが、「ロボットクレミー CR-7」のフライヤーには3つの工場と国内7カ所に営業所がある旨が記されており、それなりの規模を持つ会社のようです。

ダメ元でネット上を検索して筆頭に挙がってきた「天龍工業株式会社」は、「シート、樹脂成形品、輸送機部品」を製造する会社とのことで、そのウェブサイトはたいへん立派なものでした。まさかここが「クレミー」のメーカーなのかと訝しく思いながら会社概要を見ると、設立は2009年とあります。なんだやはり同名他社かと思いながらもページをスクロールダウンしていくと、「天龍グループ」なる項目が出てきて、その先頭にある「天龍ホールディングス株式会社」の所在地はフライヤーの記載と同じ「岐阜県各務原市蘇原町」でした。

社名と所在地まで一致しておいて無関係はなかろうと確信してさらにウェブサイトを掘って行ったところ、1950年代から年表形式でグループ会社の製品を紹介する「天龍製品の歴史」とのページに辿りつき、その1960年代に「クレミー」がありました(ただし、「ロボットクレミー CR-7」への言及はない)。

天龍ホールディングスのウェブサイトより、「天龍製品の歴史」の「キャンディ娯楽販売機 クレミー」が登場する部分。

この年表にはそればかりか、1970年代には「ゲームマシン」、1980年代には「テレビゲーム機」がそれぞれ文字のみ登場し、1990年代には「ゲーム機『マイパズル』」が小さいながらも画像と共に紹介されています。

上から順に1970年代、1980年代、1990年代の、AMに関連する部分。

さらに、別ページである「70年の歩み」には、AM産業に言及する箇所がありました。

顧客ニーズを先取りする製品開発・販路開拓を進め、(中略)さらにヘリコプター、テーマパークのダークライド(注・決まった軌道を進む台車に乗って仕掛けのある部屋を巡る遊園施設)、各種ゲームマシンなどの生産にも奮励しました
「70年の歩み」 1976-1985年「一流の追求」より抜粋)

なるほど。コインマシンばかり追いかけていると忘れがちですが、遊園施設も同じAM業界(関連記事:AM産業と業界誌の謎(2))です。「70年の歩み」にはゲームマシンやビデオゲームの詳細までは述べられていませんでしたが、座席や樹脂成形品を本業とする天龍工業には「ダークライド」というAM業界との接点があったと知って、かなり納得できた気がします。

異業種がAM業界に新規参入するケースと言えば、「ホープ自動車」(関連記事:「三共」についての備忘録(6) 三共に関するエピソードあれこれ(前半)や「スバル(正確にはスバルカスタマイズ工房)」などが思い出されます(たぶん他にもいろいろあるはずなのでご存じの方はご教示ください)。産業に勢いがあればこういうこともあるでしょうが、今のAM業界では考えにくいのは何とも寂しいことです。

このシリーズ・おわり

自分用メモ:
●スバルカスタマイズ工房
くっつけ名人(プライズ機)
 →アミューズメントジャーナル2005年3月号

つっ走り名人(ドライブシミュレーター)
 →ゲームマシン2005年3月15日号


「三協音機」って知ってる?(2)

2024年03月10日 16時54分53秒 | メーカー・関連企業

前回は「三協音機」という会社が頒布したフライヤーの表紙に写る機械とそのリリース年を特定しました。いくつかは特定できなかったものもありましたが、判明したものの中で最も新しい機種は1966年製のジュークボックスでした。今回はフライヤーの2ページ目以降について、同様に掲載機種の製造年を特定してフライヤーの頒布時期を推測して行こうと思います。

2ページ目には7台のジュークボックスが並んでいます。そのうち左の5台はシーバーグ社製、右の2台はAMI社製です。

三協音機のフライヤーの2ページ目。

ジュークボックスにも熱心なコレクターが多く、そのような人々にとってはこれらもお宝になるのでしょうが、ワタシ個人には残念ながらそれほど興味を惹く分野ではなく、知識はあまりありません。それでも機種名が判明しているので調査は楽で、上段の三機種はいずれも1967年製、下段は左から順に1959年、1954年、1953年、1966年製であることがすぐに判明しました。

最も古いものと最も新しいものの差が14年もありますが、本当に在庫もしくは取り扱いがあったのでしょうか。もしかして、古いものは米軍基地からの払い下げ品と言うことはなかったのでしょうか。ともあれ、この時点でこのページの最新機種は1967年製であることはわかりました。

フライヤー3ページ目にはいよいよゲーム機が現れます。「フリッパー」以外はいずれも国産品で、そのうち「スキルディガ」と「パチンガム」の製造年の特定が難しいのですが、「ヘリコプタ-」、「モトポロ」、「スゴロクゲーム」の製造年はいずれも1968年で、これよりも新しいということはおそらくありません。

三協音機のフライヤーの3ページ目。

「フリッパー」として挙げられている機種はWilliamsの「Whoopee」(1964)です。おそらくは「フリッパー各種取り扱い」という程度の意味だと思いますが、どうせなら最新機種を挙げておけばいいのにと思います。なお、隣のページからはみ出してきている左下のジュークボックスは1963年製です。

裏表紙となる4ページ目には「ガン」と「ボウラ―」が掲載されています。「ガン」の画像はセガの「ジャングルガン」(1961)です。前ページの「フリッパー」もそうですが、なぜカタログにこんなに古いモデルを掲載するのでしょうか。当時は機種の新旧がわかる顧客などそれほどいなかったからこれで十分だったということでしょうか。

三協音機のフライヤーの4ページ目。

「ボウラー」の画像はBallyの「Bally Bowler」(1963)ですが、「Bally Bowler」はその後64年に「De Lux Bally Bowler」、65年に「1965 Bally Bowler」、66年に「1966 Bally Bowler」、そして69年に「1969 Super Bally Bowler」と、バックグラスのデザインが若干異なる続編が立て続けにリリースされており、これも「ピンボール」や「ガン」のように、単に同種のボウリングゲームの代表として挙げているにすぎぬものと思われます。

ところで、テレビゲーム史研究家として斯界では有名なぜくうさんより、SNSを通じて興味深いお話を伺いました。それによると、「73/74全レジャー産業・設備・機器・製品情報集(1972)」では三協音機の所在地は小田原市中町になっているとのことです。また、業界紙「アミューズメント」(続刊中の「アミューズメント産業」誌の前身)1973年1月号掲載の各社新年のあいさつでも同様とのことです。

73/74全レジャー産業・設備・機器・製品情報集(上)、及び「アミューズメント」1973年1月号に掲載されている三協音機の会社情報(下)。

ここで、現時点で判明している三共音機の所在地の移り変わりを整理してみます。

 時期     所在地        出典
不明(1968以降) 熱海市 昭和町 (今回取り上げたフライヤーを頒布していた時期)
        →小田原市中町(他2か所)に営業所との記載あり
1972年 小田原市 中町 (73/74全レジャー産業・設備・機器・製品情報集)
1973年 小田原市 中町 (アミューズメント誌73年1月号)
1974年 熱海市 梅園町 ('74-'75遊戯機械名鑑)
1980年 熱海市 梅園町 ('80遊戯機械総合年鑑)

素直に考えれば、本社が熱海市昭和町にあった時期にこのフライヤーを頒布し、後に本社機能を小田原市中町の営業所に移したものの、1973年~74年の間に熱海市の梅園町に新設した本社に再移動したと言うことだと思います。

ただ、最初は小田原に本社があって、1973年以降に旧小田原本社は営業所として残して熱海の昭和町に移ってからこのフライヤーを頒布し、すぐに梅園町に引っ越したと可能性も考えられます。現在確実に言えることは、この新旧ごちゃまぜのフライヤーが頒布された時期は1968年以降であるということまでで、それ以上絞ることはできませんでした。

***************** 前回情報の補足

ところで、前回記事「『三協音機』って知ってる?(1)」について、拙ブログをご高覧下さっている方々から情報をいただきましたので、補足します。

(1)不明だったガンゲーム
ブログ「しいたけと猫が好き」で、昭和時代の観光ホテルのゲームコーナー画像を豊富に紹介されていらっしゃるaccs2014さんより、正体不明のガンゲームは米国「Bally」の「Sharpshooter」であろうとご教示をいただきました。こちらでも調べたところまさにその通りで、1961年にリリースされている製品でした。

Sharp Shooter (Bally, 1961)と特定されたガンゲーム。

Bally Sharpshooterについては、英文表記ですがより詳しい情報と画像がこちらにありますので、興味のある方はご覧ください。

(2)見当がつかなかった機械のうち1台
記事中で「おそらくはカラフルなトッパ―の機械」と指摘していた機械が、タイムリーなことにaccs2014さんのブログ「しいたけと猫が好き」の最新記事に一部映り込んでおり、「天龍工業」の「クレミー」であることが判明しました。

①が「クレミー」(天龍工業、1960年代)と特定できた機械。②と③は依然として不明。

「クレミー」と「天龍工業」については次回、本シリーズの番外編でもう少し詳しく触れようと思います。

次回番外につづく


「三協音機」って知ってる?(1)

2024年03月03日 21時03分47秒 | メーカー・関連企業

以前、拙ブログをご高覧下さっていた方からいただいたたくさんのフライヤー画像の中に、「三協音機株式会社」というこれまで聞いたこともない会社のものが1枚、紛れ込んでいました。頒布時期は不明でかなり古そうだという事しかわからず、かねてより気になっていました。

三協音機が頒布した二つ折り4ページのフライヤー。上が表紙と裏表紙、下が中身。ここに掲載されている機械はどれもかなり古そうに見える。

「三協音機」を遊戯機械年鑑【注】で調べると、その名が初めて現れるのは「'74-'75遊戯機械名鑑」(1974)で、以降「'80遊戯機械総合年鑑」(1980)まで記載されています。それによると、熱海市梅園(ばいえん)町の企業で、設立は昭和41年(1966年)の4月とのことです。遊戯機械年鑑は1969年に初めて刊行され、以降72年、73年と続くのですが、それらに三協音機の名前が見えないのは、業界の組織化がまだ発展途上だったためではないかと想像します。

「'74-'75遊戯機械名鑑」の巻末付録に掲載されている三協音機。熱海市梅園町にあり、設立は昭和41年(1966)4月となっている。

ところで、熱海と聞くと前回まで連載していた「アタミセンター」(関連記事:幻の「アタミセンター」を求めて(1):失われた町、浜町(熱海市))について調査している時に知った話が思い出されます。熱海は日本でもレジャーの機運が高まる1950年代終わりころから広く支持を集めたそうなので、三協音機が設立された1966年には既に熱海のAM市場は相当に大きかったであろうと思われます。

ワタシはこのフライヤーの頒布時期を推測するため、各ページに見られる機械の名称と製造年を特定してみることにしました。まずは表紙から見ていきます。

三協音機のフライヤーの表紙。

中央下に見えるジュークボックスは、米シーバーグ社製の「S-160 Showcase」で、これは1966年製です。三協音機の設立年と同じということは、ひょっとするとこのフライヤーは三協音機ができて間もない時期のものかもしれませんが、まだ断定するには早すぎます。続けて右上のロケーションの画像に注目してみました。

三協音機のフライヤーの表紙の、ロケーション画像の拡大。

手前のクレーンゲームは何ともわかりませんが、次のガンゲームはセガ1961年に発売した「ジャングルガン」です。同じページのジュークボックスよりもずいぶん古い機械ですが、当時はそれだけ製品寿命が長かったということなのでしょう。

ジャングルガンの右手に二つ並ぶ「パチンガム」は、パチンコをセーフ穴に入るとガムが1枚払い出されるように改造した日本自動販売機プライズ機です。筐体に描かれているデザインは何種類かあるようで、この機械では藤子不二雄さんの「怪物くん」を模している(パクっている、と言うべきか)ように見えますが、「怪物くん」の雑誌連載は1965年、テレビアニメ化は1968年であるため、これだけでは製造時期を特定することは困難です。

次にピンボール機が3台並んでいます。ワタシはこれらを遊んだ記憶がなく、得点表示の桁数やプレイ人数、あるいはフロントドアの形状などから見当を付けてInternet Pinball Data Baseで調べたところ、左から順に「Caravelle (Williams, 1961)」、「Fun Cruise (Bally, 1966)」、「Merry Widow (Williams, 1963)」であることが判明しました。この中で最も新しい機種は1966年製と言うことは、依然としてこのフライヤーの頒布時期は1966年以降であるとの推測は変わりません。

ピンボール機のさらに右、柱を挟んだ向こうには、おそらくカラフルなトッパーの機械が2台続き、その更に右にはドライブゲームのようなものが見えますが、これらの機種がまるで見当が付きません。かろうじて、その次に見えるピンボール機が「Base Hit (Williams, 1967)」であることがわかり、このフライヤーが1967年以降のものであることは確定しました。

最も右に見えるガンゲームも正体がわかりません。商品コンセプトはセガの「モンスターガン」(1972)と似たものに見えますが、筐体のアートワークやガンの形状が異なり、別のもののようです。これだけ特徴がある機械なのに特定できないのは何とも悔しいです。

モンスターガン(セガ、1972)のフライヤー。

(つづく)

【注】遊戯機械年鑑
1969年版の「'69遊戯機械名鑑」を最古として、業界団体が発行する遊戯機械年鑑はたびたびその誌名が変わっており、拙ブログではそれらをまとめて「遊戯機械年鑑」もしくは「年鑑」と称している。