オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

GAUNTLET(ATARI, 1985)で思い出した話

2024年05月19日 19時10分02秒 | ビデオゲーム

昔収集したゲーム関連のファイルブックを25年ぶりくらいに開いたら、「ガントレット」(ATARI,1985)のフリーペーパーが出てきました。

ガントレットのフリーペーパー。二つ折り4ページで構成されており、上が表紙と裏表紙、下が中の2ページと3ページ。

ワタシが熱中したビデオゲームはたくさんありますが、「ガントレット」はその中でも上位5作に入る思い出深いゲームです。「ガントレット」とは、西洋の鎧の籠手のことだそうですが、その響きが滅法カッコ良く感じられました。

最大の特徴である、最高4人のプレイヤーがどのタイミングでもゲームに参加、もしくは離脱できるシステムは、インカムを上げるには絶好の方法で、米国で大ヒットしました。また、それぞれ特徴が異なる「戦士」、「女戦士」、「妖精」、「魔法使い」の4種類のキャラクターから一人を選択するシステムはゲームの世界観を広げ、さすがアタリ、発想がとびぬけていると感心したものでした。

機を見るに敏なセガは、翌1986年に、やはり最高4人が同時にプレイ可能な後追い企画「カルテット」をリリースしました。ワタシは残念ながらこちらにはのめり込むことができませんでしたが、そこそこヒットしていたように思います。

「カルテット」のフライヤーの表裏。登場人物の画風がいかにも80年代っぽい。

「ガントレット」は日本でも広範囲に渡って設置されました。しかし、米国のように知らない者同士でも気軽に一緒に遊ぶ文化がない日本では、もしかしたら筐体の大きさのわりに稼げなかったのではないかと余計な心配をしていますが、実際のところどうなのでしょうか。

セガはさらに、1988年に3人が同時にプレイできるアップライト筐体の「ゲイングランド」をリリースしましたが、テーブル筐体が主流の日本国内ではもっぱら2人同時プレイ機として稼働していました。リリース当初はクソゲー扱いされたようですが、アーケードゲーム雑誌「ゲーメスト」が根気よく攻略記事を掲載したこともあってか、その戦略性の面白さが理解されるようになり、多くのプレイヤーの記憶に残るゲームとなりましたが、米国では逆に難し過ぎたのか、ヒットはしなかったようです。

「ゲイングランド」のフライヤー。裏面はシステムボード「システム24」と「エアロシティ」及び「エアロテーブル」筐体の紹介だった。

1990年代に入ると、日本では「ストリートファイターII」に代表される2P対戦格闘ゲームが爆発的に広まって、ガントレットのようなプレイヤー同士で協力して進んでいくゲームは(少なくともアーケードゲームとしては)作られなくなってしまったのは残念なことです。


セガが破格の扱いを行ったビデオゲーム(2)「サムライ」(1980)

2023年08月20日 20時15分14秒 | ビデオゲーム

ケチなセガがなぜか豪華なフライヤーを作成したビデオゲームの二つ目は「サムライ」(1980)です。

「サムライ」の、フルカラー二つ折り4ページの豪華フライヤーの表紙側(上)と内側(下)。侍とガンマンの組み合わせは1971年の映画「レッド・サン」からインスパイアされたのだろうか。ちょっと疑問符が付くコンセプトだと思う。

実は「サムライ」には片面印刷の通常のフライヤーもあります。

「サムライ」の、片面印刷版のフライヤー。こちらには人間のモデルは使用されていない。

「サムライ」になぜ二種類ものフライヤーが作成されたのかは謎ですが、片面印刷版にはアップライト筐体が、豪華版にはテーブル筐体が記載されています。当時はテーブル筐体が急速に普及した時期だったので、まず先に片面印刷版が作成され、その後慌てて「もちろんテーブル筐体もありますよ」と訴えるつもりでもう一つのフライヤーも作成したのでしょうか。

「サムライ」は、主人公が四方を敵に囲まれている点や、当時のまだ貧弱なハードウェアで何とか無理矢理にでも世界観やストーリーを表現しようとしている点など、任天堂から前年に発売されたビデオゲーム「シェリフ」に通じるところがあると感じます。しかし後発のセガは、「同心」のシーンと「与力」のシーンを分けることで「マルチフェイズ・ゲーム」を謳って新しさをアピールしています。

シェリフ(任天堂、1979)のフライヤーの表面。

確かに当時は、一つのゲームの中で異なるステージを戦わせるゲームは珍しかったように思います。しかし、「サムライ」が今でも語り草になっている理由は、残念ながらそのようなゲームが目指したオリジナリティよりも、プレイヤーが捕方に仕留められた際に表示される「ムネンアトヲタノム」の「名文句」にあるように思えます。

後にこれほど伝説的と言って良いほどに人口に膾炙する「名文句」は、他にはなかなか思い付きません。ATARI1989年にリリースした「スタンランナー (S.T.U.N. RUNNER)」の「コインいっこ いれる」以外に、これに匹敵する「名文句」があれば、ぜひコメント欄にてお知らせください。

女ガンマンの「サムライ ツヨイネ!」は、「ムネンアトヲタノム」を意識してのモノでは、おそらくないと思われる。

「サムライ」の各ページの拡大図。


セガが破格の扱いを行ったビデオゲーム(1)「ペンゴ」(1982)

2023年08月06日 21時33分45秒 | ビデオゲーム

セガは、こと宣伝には極力費用をかけたがらない、吝嗇(ケチ)な傾向が強いように思います。筐体モノなど強力に売り出したい高額の機械でもあれば豪華なフライヤーを作ることも時々はありましたが、通常のアップライトまたはテーブル筐体に収まる通常のビデオゲームのフライヤーは、例え裏面が白黒でも両面印刷であればまだ恵まれていた方で、片面印刷で済ませることも珍しくありませんでした。また、両面印刷であっても、表面と裏面で異なるゲーム機を掲載した例もあります。

しかし、そのセガにも、他と大きく異なる外見的特徴があるわけでもないビデオゲームであるにもかかわらずオールカラー二つ折り4ページの豪華なフライヤーを作成した例が、極めて少数ですが存在します。今回と次回の2回に分けて、そんな「破格の扱い」を受けたビデオゲーム2機種のフライヤーをご紹介します。

一つ目は「ペンゴ」(1982)です。これは今更ワタシが説明するまでもない往年の名作で、発売当時も、そして今も愛好するファンは多いです。一般的にはセガの製品として紹介されることが多いようですが、実際に開発したのは「コアランド」でした。「コアランド」はその前身を「豊栄産業」と言って、今もヒット作として語り草になる「ジャンプバグ」(1981)(関連記事:レトロビデオゲーム同人誌のご紹介)を開発しています。

その「ペンゴ」がどういう経緯でセガから発売されることになったのかはわかりませんが、セガはペンゴを売り出すにあたり、二つ折り4ページの豪華フライヤーを作成しました。

二つ折り4ページのペンゴのフライヤーの、表紙側(上)と内側(下)。

「ペンゴ」は確かに良くできたゲームです。しかしこの豪華フライヤーが、当時のセガが「ペンゴ」の傑出したゲーム性を適正に評価して強くプッシュしようとした結果とはどうしても思えません。ひょっとして予算を消化するためにむりやり作ったのではないかと勘繰りたくなるくらい謎です。

「ペンゴ」のフライヤーをページごとに拡大。表紙、1ページ目、2ページ目、3ページ目、裏表紙の順。

普通のフライヤーは多くとも表紙機能を含んで2ページ、下手すると表紙の1ページ内にすべてを詰め込まなければならないのに、ゲームの説明に3ページ(うち1ページは裏表紙)も費やすことができた「ペンゴ」のフライヤー作成作業はさぞや楽しかったことと思います。

ところで「ペンゴ」は日本では大人気で海賊版まで作られましたが、アメリカではどうだったのでしょうか。一応家庭用に移植されたものがそこそこ出回ったようですが、「パックマン」や「ギャラガ」、あるいは「センチピード」のように今でも語り草になるほどスタンダードなタイトルのようにも見えません。

(次回「侍」につづく)


【小ネタ】1976年のタイトロニクス

2023年06月18日 21時29分41秒 | ビデオゲーム

今回は多忙につき、タイトーが1976年に頒布したビデオゲーム(当時はTVゲームと称していた)の総合カタログをご紹介してお茶を濁します。

1976年に頒布された「タイトロニクスシリーズ」総合カタログの表紙。ビデオゲームが世に出て間もない時期らしいゲーム画面。

タイトーは、セガと並んで日本で最も早い段階からビデオゲームの開発に着手し、大手メーカーとしての地位を盤石のものとしました。タイトーは自社のビデオゲームを「タイトロニクスシリーズ」と名付け、この呼称は少なくとも1980年代前半までは使い続けていました。

フライヤーは全6ページで、2ページ目から5ページ目までは製品の筐体画像が並んでいます。

2ページ目:

●CRUSHING RACE (1976)
●INTER CEPTOR (1976)
●ELEPON (1973)
●PRO HOCKEY (1973)
●SOCCER (1973)

3ページ目:

●AVENGER (1976)
●WESTERN GUN (1975)
●BASKET BALL (1974)
●SOCCER DX (1973)
●ASTRO RACE (1973)
●ASTRO RACE DX (1973)

4ページ目:

●DAVIS CUP (1973)
●ATACK U.F.O. (不明)
●SEA WOLF (MIDWAY製・1976)
●ANTI AIR CRAFT (ATARI製・1975)

5ページ目

●SPEED RACE TWIN (1976)
●SPEED RACE (1975)
●SPEED RACE DX (1975?)

旧型機も併せて掲載されていますが、まだテーブル筐体もコックピット筐体も無かった時代だったので、すべてアップライト筐体です。私はこの中で、「ATACK U.F.O.」だけが記憶にありません。どなたかどんなゲームだったかご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。

タイトーはこのフライヤーの最後のページで、「アメリカのアポロ計画により高度に発達したエレクトロニクス(電子工学)技術の産物、IC(集積回路)の応用と、デジタル技術により、テレビブラウン管を使用した、全く新しい発想のゲームマシンです」と謳っています。

裏表紙。「アメリカのアポロ計画により高度に発達したエレクトロニクス~」とハッタリをかまして、タイトーの技術力を誇示しようとしている。

コンピューター技術の発達にアメリカの宇宙開発計画が大きく関わっていることは事実でしょうが、まるでタイトー自身も同様の技術があるように誤認させるブラフですが、まあ、宣伝とはそういうものでしょう。それも、「コンピューター」とか「IC」、「エレクトロニクス」という言葉がまだパワーワード、もしくはマジックワードだった時代(関連記事:TRON(Bally/MIDWAY, 1982))ならではのネーミングだと思います。


1981年の新日本企画

2022年06月12日 16時16分01秒 | ビデオゲーム

資料をひっくり返していたら、初期の新日本企画(後のSNK)のフライヤーが出てきました。頒布時期は明確ではないのですが、記載されている機種から1981年と推察されます。

フライヤーは4ページ構成で、当時新日本企画が売り出していたビデオゲームが6機種と、ミニアップライト筐体が紹介されています。

新日本企画が1981年に頒布したものと思しきフライヤーの表紙。「ORIGINAL GAMES」と称して、「VANGUARD」のアップライト筐体がフィーチャーされている。

1ページ目は、当時の最新機種と思われる、「ヴァンガード(VANGUARD)」(1981)と「サタンオブサターン(SATAN OF SATURN)」(1981)が紹介されています。

1ページ目では「ヴァンガード(VANGUARD)」と「サタンオブサターン(SATAN OF SATURN)」のビデオゲーム2機種が紹介されている。

ヴァンガードは、ステージ(フライヤーでは「パターン」と呼んでいる)によって縦、横、斜めにスクロールするのも斬新でしたが、4つのショットボタンでレーザー弾を上下左右に撃ち分ける操作系は前例がなく、そしてフォロワーも現れませんでした。
SNKは後の1984年に「ヴァンガードII(VANGUARD II)」を発売しましたが、ナムコの全方向スクロールシューティング「ボスコニアン」と、同じくナムコの飛行物と地上物を撃ち分けるシューティング「ゼビウス」を併せたような内容で、名前だけ借りた別のゲームになっていました。

もう一つの「サタンオブサターン」は、当時はスポーツ新聞の広告でその名前をよく見かけてはいましたが、ワタシはロケで実機を見たことがありません。今調べてみると、ギャラクシアンの流れをくむゲームのようですが、グラフィックもゲーム性も、先行機種を凌駕する要素が見当たりません。それでもこの頃は、とりあえず出せば売れた時代だったと思います。

2ページ目には、「サスケVSコマンダー」(1980)、「サファリラリー」(1979)、「与作」(1979)の3機種が紹介されています。

2ページ目。「サスケVS.コマンダ―」、「サファリラリー」、「与作」の3タイトル。

「サスケVSコマンダー」は多少遊んでいるので今見れば懐かしさを感じます。
「サファリラリー」は、ゲーム中にライオンが出てきて轢き殺すとボーナス得点が得られたり、ステージをクリアすると女性の顔が出てきて「GOOD」のメッセージを表示する工夫が加えられていました。ステージクリア時このような演出を挟むAMビデオゲームは、ワタシはこれ以前のタイトルでは覚えがないのですが、何かありましたでしょうか。

「与作」は、過去記事「史上最も期待された「クソゲー」:「与作」の記憶」で述べている通り、複数のメーカーが群がって同名(もしくは類似名)のゲームを出していましたが、どれ一つとしてヒットしたものはなく、この新日本企画の「与作」もほとんど見た記憶がありません。

3ページ目には「オズマウォーズ」とミニアップライト筐体が紹介されています。

3ページ目。オズマウォーズの「オズマ」とは、敵キャラの総称であったことは知らなかった。

オズマウォーズは、ワタシが初めてエンドレスで遊べるようになったゲームです。当時のワタシは若年性椎間板ヘルニアが日常生活に支障をきたすほど悪化していたのですが、テーブル筐体のオズマウォーズを2時間半ほど遊んだところ、ゲームを終えて立ち上がった時には、椎間板ヘルニアの痛みが全くない、健康だった時の感覚そのものに戻っていました。上体を前屈することで脊椎の間隔を広げた状態が長時間維持されていたのが良かったようです。

なお、3ページには「スーパータンク」(1981)の名前だけがリストアップされていますが、ワタシはこのゲームをロケで見た覚えがありません。別ルートから入手したフライヤーを見ると、どうもドイツ製だったようです。そのゲーム画面は、sigmaが1980年に発売した「RED TANK」と似た印象を得ますが、関連性の有無はわかりません。

「スーパータンク」のフライヤー。ドイツ製らしいが、そう聞けば納得もできるデザイン。

【オマケ】

sigmaが1980年に発売した「レッドタンク」のフライヤーの表裏。これも、100円で1時間遊べるゲームだった。