オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

1981年の新日本企画

2022年06月12日 16時16分01秒 | ビデオゲーム

資料をひっくり返していたら、初期の新日本企画(後のSNK)のフライヤーが出てきました。頒布時期は明確ではないのですが、記載されている機種から1981年と推察されます。

フライヤーは4ページ構成で、当時新日本企画が売り出していたビデオゲームが6機種と、ミニアップライト筐体が紹介されています。

新日本企画が1981年に頒布したものと思しきフライヤーの表紙。「ORIGINAL GAMES」と称して、「VANGUARD」のアップライト筐体がフィーチャーされている。

1ページ目は、当時の最新機種と思われる、「ヴァンガード(VANGUARD)」(1981)と「サタンオブサターン(SATAN OF SATURN)」(1981)が紹介されています。

1ページ目。では「ヴァンガード(VANGUARD)」と「サタンオブサターン(SATAN OF SATURN)」紹介されている。

ヴァンガードは、ステージ(フライヤーでは「パターン」と呼んでいる)によって縦、横、斜めにスクロールするのも斬新でしたが、4つのショットボタンでレーザー弾を上下左右に撃ち分ける操作系は前例がなく、そしてフォロワーも現れませんでした。
SNKは後の1984年に「ヴァンガードII(VANGUARD II)」を発売しましたが、ナムコの全方向スクロールシューティング「ボスコニアン」と、同じくナムコの飛行物と地上物を撃ち分けるシューティング「ゼビウス」を併せたような内容で、名前だけ借りた別のゲームになっていました。

もう一つの「サタンオブサターン」は、当時はスポーツ新聞の広告でその名前をよく見かけてはいましたが、ワタシはロケで実機を見たことがありません。今調べてみると、ギャラクシアンの流れをくむゲームのようですが、グラフィックもゲーム性も、先行機種を凌駕する要素が見当たりません。それでもこの頃は、とりあえず出せば売れた時代だったと思います。

2ページ目には、「サスケVSコマンダー」(1980)、「サファリラリー」(1979)、「与作」(1979)の3機種が紹介されています。

2ページ目。「サスケVS.コマンダ―」、「サファリラリー」、「与作」の3タイトル。

「サスケVSコマンダー」は多少遊んでいるので今見れば懐かしさを感じます。
「サファリラリー」は、ゲーム中にライオンが出てきて轢き殺すとボーナス得点が得られたり、ステージをクリアすると女性の顔が出てきて「GOOD」のメッセージを表示する工夫が加えられていました。ステージクリア時このような演出を挟むAMビデオゲームは、ワタシはこれ以前のタイトルでは覚えがないのですが、何かありましたでしょうか。

「与作」は、過去記事「史上最も期待された「クソゲー」:「与作」の記憶」で述べている通り、複数のメーカーが群がって同名(もしくは類似名)のゲームを出していましたが、どれ一つとしてヒットしたものはなく、この新日本企画の「与作」もほとんど見た記憶がありません。

3ページ目には「オズマウォーズ」とミニアップライト筐体が紹介されています。

3ページ目。オズマウォーズの「オズマ」とは、敵キャラの総称であったことは知らなかった。

オズマウォーズは、ワタシが初めてエンドレスで遊べるようになったゲームです。当時のワタシは若年性椎間板ヘルニアが日常生活に支障をきたすほど悪化していたのですが、テーブル筐体のオズマウォーズを2時間半ほど遊んだところ、ゲームを終えて立ち上がった時には、椎間板ヘルニアの痛みが全くない、健康だった時の感覚そのものに戻っていました。上体を前屈することで脊椎の間隔を広げた状態が長時間維持されていたのが良かったようです。

なお、3ページには「スーパータンク」(1981)の名前も見えますが、ワタシはこのゲームをロケで見た覚えがありません。別ルートから入手したフライヤーを見ると、どうもドイツ製だったようです。そのゲーム画面は、sigmaが1980年に発売した「RED TANK」と似た印象を得ますが、関連性の有無はわかりません。

「スーパータンク」のフライヤー。ドイツ製らしいが、そう聞けば納得もできるデザイン。

【オマケ】

sigmaが1980年に発売した「レッドタンク」のフライヤーの表裏。これも、100円で1時間遊べるゲームだった。


レトロビデオゲーム同人誌のご紹介

2022年03月13日 17時50分50秒 | ビデオゲーム

ウィキペディアでは日本語版のみならず英語版、イタリア語版でも採り上げられている「HSP」というプログラミングツールを90年代に開発した「おにたま」さんは、オールドゲームの記憶の保存活動も活発に行ってらっしゃいます。そのうちの一つで、おにたまさんが主宰する「おにたま放送局(OBS)」では、古くからゲーム業界で活躍されてきた識者とのトークを月一ペースで生放送しており、昔のゲーム業界に興味がある方は必見となっています。

そのおにたまさんが、昨年暮れに、「モナコGP大百科」と「ジャンプバグ大百科」という二つの同人誌を発行され、ワタシも先日これらを入手しました。

モナコGPは、1979年セガから発売されたドライブゲーム機です。この当時、ドライブゲームと言えばタイトーの「スピードレース」が大ヒットしていましたが、そこにセガは、ほぼ前例がなかったコックピット筐体(初のコックピット筐体は、同年夏に米国Exidy社が発売した「STAR FIRE」とされている)で殴り込みをかけました。

ゲームシステムも斬新で、残機制という概念を導入し、それまで時間制が当然だったレースゲームのスタンダードに挑戦するものでした。

モナコGP大百科の表紙。B6版50ページ。

一方、ジャンプバグは、1981年豊栄産業から発売されたビデオゲームです。しかし、豊栄産業はパブリッシャーで、実際の開発はアルファ電子だったと、この同人誌で知りました。アップライト筐体もあったようですが、日本国内ではほとんどがテーブル筐体で供給されていました。

実はワタシは、このジャンプバグと言うゲームを一度もプレイしたことがありません。ただ、他人が熱中して遊んでいるところをよく見ており、スペースインベーダーやギャラガの陰に隠れたビッグヒットと読んで差し支えないタイトルだったと思っています。この同人誌では、ジャンプバグの成功を「ジャンプアクションの革新」にあるとしています。また、開発者インタビューも読みごたえがあり、当時の業界の内幕を垣間覗くことができました。

ジャンプバグ大百科の表紙。B6版78ページ。

あまり語るとネタバレしてしまうのでご紹介はこのくらいに留めておきますが、この同人誌はネット通販で入手できます。どちらも1冊1650円と若干お高めではありますが、グラビア印刷に堪え裏写りしない上質紙が使用されており、その高い資料性のみならず、極めて上質な写真とレイアウトはプロが関わっているものと思われるお値打ち品です。

モナコGP大百科通販(BEEP通販)はこちら

ジャンプバグ大百科通販(BEEP通販)はこちら

蛇足ですが、みなさんがこのリンクからご購入されても、ワタシ個人には利益は全くありません。あくまでも、オールドゲームファンであればこの資料を一冊手元に置いておくことをお勧めすることだけが目的です。


TRON(Bally/MIDWAY, 1982)

2021年10月31日 17時46分06秒 | ビデオゲーム

ワタシが小中高生だった1960年代から70年代半ばころ、「コンピューター」という概念自体は既に一般に浸透していました。ただしそれはSFの世界の荒唐無稽なもの(この場合は「電子頭脳」などと言われることも多かった)か、現実においては限られた場所で限られた少数の人が扱う最先端科学技術の結晶であって、一般消費者が意識するようなものではありませんでした。

1974~5年ころに平和島競艇場の周辺の路上で見かけた「コンピューター競艇必勝法」なる小冊子を売っていた香具師は、これまでの実績(それも大いに怪しむべきものですが)を並べ立て、「コンピューターだから間違いはない!」と胸を張っていましたが、そんな口上でもなんとか世を渡ることができていた時代だったのです。

マイコンを趣味とする人は70年代の後半くらいからいましたが、それは半製品のキットを組み立てる電子工作の趣が強く、また比較的費用がかかる(当時の週刊誌記事では「本腰を入れれば40~50万円かかる」とあった)ため、広く普及していたとまでは言えなかったと思います。

それが、1979年、日本電気(NEC)が買ってすぐにコンピューターとして機能する「PC-8001」を発売したころを境に、なぜか「マイコンブーム」という社会現象が発生しました。Eメールもマイクロソフトオフィスもアドビフォトショップもなかった当時、それらマイコン(パソコン)が何に使われていたのか、ワタシはよくわかりません(もっぱらゲームばっかりだったような気がします)。ただ、「BASIC」というプログラミング言語を勉強すれば、自分なりにプログラムを組み画面に反映させて遊ぶことはできました。そのような自作プログラムを投稿する「マイコンBASICマガジン」という雑誌も人気がありました。

そのせいか、世間では、「これからの時代はBASICくらい組めないと社会人としてやっていけない」などという思い込みが広がりました。実は、BASICなんて覚えたところで実務に役立つような例はそれほど無かったのですが、パソコン教室に通って初めて見る16進数に当惑するおやじたちが大勢いたものです。そして、会社にミニコンオフコンが導入されると、新しいテクノロジーに適応できない会社員(特に高齢のおやじ世代に多い)はみな戦慄し、コンピューターを使った作業は全部部下に押し付けるというケースが頻発したようです。

そんなご時世だった1982年ディズニーが、「世界で初めて全面的にコンピューターグラフィックスを導入した」と謳った映画「TRON」を公開しました。「ビデオゲームのプログラマーが何かの加減でコンピューターの電子世界に迷い込み、悪のマスター・コントロール・プログラム(MCP)と戦う」というストーリーで、予告編では「誰も見たことがない映像を見せてあげよう」というキャッチフレーズが用いられました。

実際のところ、コンピューターグラフィックで作られたシーンはさほど多くはなく、残りの部分は手作業などアナログ手法によって作られています。この辺の詳しい話は、ウィキペディアの「トロン(映画)」の「本作におけるCGと仮想世界シーン」をご参照ください。

映画「TRON」は話題となり、興業的にはまあまあの成功をおさめたようです。そうなると、既にカラーでの画像表現が標準的になっていたビデオゲーム業界が興味を示すのも当然のことと言えましょう。米国のBally/MIDWAY社は、映画をフィーチャーしたビデオゲームとしての「TRON」を1982年に発表しました。

TRON(Bally/MIDWAY)のフライヤー。全6ページにわたる大作で、メーカーの力の入れ具合が想像できる。

ワタシは1982年当時、このゲームを新宿歌舞伎町の「木川(キガワ)」で遊びましたが、英語表記だったために遊び方が良くわからず、あまり楽しんだ記憶がありません。大阪・心斎橋の「ザ・シルバーボールプラネット」では今も現役で稼働しているそうなので、次に同所を訪れるときには再チャレンジしたいと思っています。


【小ネタ】「ROAD RACE」(SEGA, 1976)とセガロゴの話

2021年10月10日 20時20分26秒 | ビデオゲーム

セガのロゴと聞けば、たいていの方はこの形を想起されるものと思います。

セガのロゴを象った「セガロゴ焼き」。2018年の夏に今は無き池袋GIGOで販売(厳密には、ゲーセンに併設されたたい焼き店「セガのたい焼き」での販売)され、昨年にはセガ秋葉原5号店(同上)でも販売された。

しかしセガは、以前にはこのようなロゴを使用していました。

現在のセガロゴになる以前の旧ロゴ。

ロゴの変更が行われた詳細な時期はよくわからないのですが、業界誌「アミューズメント産業」の1976年3月号では旧ロゴ、同年7月号では新ロゴの広告が掲載されていることなどから、1976年の初春から初夏頃に絞れそうです。

上が業界誌「アミューズメント産業」1976年3月号、下が同7月号に掲載されたセガの広告(部分)。4月号と6月号にはセガの広告無し、5月号は手元にないため確認できず。

例によって前置きが長くなりましたが、これからが今回の本題です。ちょうどセガがロゴを変更するかどうかと言う時期に、セガは「ロードレース」というビデオゲーム機を発売しており、業界紙「ゲームマシン」がその1976年4月1日号で報じています。

セガ「ロードレース」の発売を報じるゲームマシン紙1976年4月1日号の記事。

ワタシはこのゲームを見たことはありますが、遊んだことはありません。ハンドルの角度を変えられる「チルトハンドル」機能がなければ、記憶にも残っていなかったかもしれません。ワタシ的な評価としてはその程度のゲームです。それを今回敢えて取り上げるのは、このゲームのフライヤーに、新旧2種類のカンパニーロゴが併載されているという、他のフライヤーには見られない特殊な特徴があったからです。

「ロードレース」のフライヤーの表(上)と裏(下)。旧ロゴ(赤円内)と新ロゴ(青円内)の両方が見られる。

上図に見られるように、このフライヤーには旧ロゴと新ロゴの両方が記載されています。セガは、他との競合を避ける意味で、製品のネーミングでは必ず頭に「セガ」を付けていました。ワタシは商標には詳しくありませんが、もしセガロゴを含んだ上で商標登録されているのだとすると、後々面倒なことにはならないものだったのでしょうか。

ともあれ、1976年の3月くらいから6月くらいのどこかで生じたロゴ変更は、1976年の4月頃に発売された「ロードレース」にこのような混乱を起こしたという、実に些末なトリビアが今回の収穫でした。

さて、今回はこれまでなのですが、ずいぶんあっさり終わったので、最後に余談を少々付け加えようと思います。セガは1950年代に「サービス・ゲームズ」という社名で始まったことは拙ブログをご高覧くださる方々の殆どはご存じのことと思います(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(1) まずは過去記事から概説)。

この時のロゴは、当時のサービス・ゲームズ社が扱っていた米国ミルズ社製のスロットマシンのサービスマニュアルで見ることができます。

ミルズ社製のスロットマシンのサービスマニュアルより、当時のサービス・ゲームズ社のロゴ。

それがいつのころからか商品名に「SEGA」を名乗るようになり、やがては社名にまでなって、「サービス・ゲームズ」は無くなったはずでした。しかし、1970年代の中ごろの時点で、この「サービス・ゲームズ」を名乗る会社がありました。

 

業界誌「アミューズメント産業」1974年10月号に掲載された、サービス・ゲーム社の広告。

本家のロゴと見比べると微妙に異なるものの、基本的には踏襲しされているように見えます。また、社名だけでなく、ミルズのトレードマークであった「ミミズク」まで模倣しているようです。この70年代のサービス・ゲームズの素性はよくわかりません。どうも、セガのOBが設立した会社であるらしい話は見聞した覚えがあるのですが、どなたか詳細をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。


1980年前後のセガのビデオゲームいくつか

2021年05月09日 19時57分11秒 | ビデオゲーム

ただいま多忙のため、ブログ更新にあまり時間を割くことができません。そこで今回は、ワタシのセガのビデオゲームのフライヤーコレクションから、1980年前後のものをいくつかご紹介することでお茶を濁しておこうと思います。これらは、語れるネタがあまりないため今まで拙ブログでは取り上げずにいたものの一部です。

一つ目は、1979年のフライヤーです。表面には「CAR HUNT」、裏面にはその「CAR HUNT」と「DEEP SCAN」を1つのテーブル筐体に収めた「スペシャル・デュアルIII」が掲載されています。

「CAR HUNT」と「DEEP SCAN」を収めた「SPECIAL DIAL III」フライヤーの表と裏。

二つ目も同じく1979年のもので、「HEAD ON PART II」のテーブル筐体です。従来のヘッドオンは一方通行でしたが、パートIIでは「Uターン・ゾーン」が設けられ、反対方向に進むことが可能となりました。

「HEAD ON PART II」のフライヤーの表と裏。

三つめは1980年の「TRANQUILLIZER GUN」です。当時としてもお粗末なグラフィックだったし、ゲームとしてもそれほど面白いと思っていたわけではないのですが、なぜかそこそこやりこんでしまった記憶があります。

「TRANQUILIZER GUN」のフライヤーの表と裏。

元々喫茶店ロケに設置することを想定していたテーブル筐体が一般のゲームセンターにも普及し始めるのは1979年ころからですので、これらは比較的初期のテーブル筐体です。コントロールパネルを見ると、ジョイスティックが右、ボタンが左に付いています。タイトーや他のメーカーはジョイスティックを左に付けているものがほとんどで、その方が操作もしやすかったものですが、セガはなぜこのような仕様にしていたのでしょうか。

今回の最後は、今回の一つ目と同様、表と裏に異なるタイトルを載せたフライヤーです。表面はATARIの「WARLORDS」、裏面はビリヤードをビデオ化した「VIDEO HUSTLER」となっています。

「WARLORDS」と「VIDEO HUSTLER」を表裏に載せたフライヤー。

「VIDEO HUSTLER」の開発元は、実はコナミでした。当時のコナミはまだ弱小メーカーで、セガから売りだされていたタイトルは他にもあります。その中でも「FROGGER」はなぜか北米で大ヒットして、今でもパックマンなどと並ぶ往年の名作扱いされ、何年か前、カジノ業界で「スキル・ベースド・ゲーミング」が注目されていたころには、スロットマシンのテーマにも取り入れられています。

今回取り上げたのは、1979年から1981年のタイトルです。セガは1979年ころよりフライヤーの裏面に作成年を記述しており、資料として整理するときに大変ありがたいです。他のメーカーのフライヤーにはこのような配慮がない場合が非常に多いので、発表年を特定するのに苦労します。